民事法情報研究会だよりNo.32(平成30年4月)

春風の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、当法人は6期目の事業年度を迎えました。目下、4月21日開催予定の第1回通常理事会及び6月16日開催予定の会員総会に向けて、旧年度の決算、新年度の事業計画等について資料作成中であり、4月中には会員総会の開催通知をお送りする予定です。なお、同時に行われるセミナーでは、元東京高裁長官の吉戒修一弁護士にご講演をお願いしております。(NN)

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

ネット時代の憂鬱 ~子どもたちのネット利用の危うさ~
倉吉 敬(法務省中央更生保護審査会委員長)

※ 本稿は、「人権のひろば」(公益財団法人人権擁護協力会編集・発行)2018年1月号に「特別寄稿」として掲載されたエッセイに加筆・転載したものです。

1 子どものしつけ
著名な女性バイオリニストのTさんが、9歳の息子に買い与えた任天堂のゲーム機を二つ折りにして壊した。ゲーム機で遊ぶのは週末宿題が終わった後に限ると息子に約束させ、息子は土曜日の午後5時から7時までをゲーム時間にすると予定表に書き込んでいた。ところが、平日の金曜日に仕事を終えて帰宅したら息子がゲーム機で遊んでいたので、怒ったのである。彼女はこの話を自身のブログで紹介し、新聞のコラムにも書いた。そうしたら、ネット上で大炎上した。「子どもへの虐待」「子供の気持ちをわかろうとしない親はバカ」「任天堂に謝れ」等々の声が殺到したという。
しかし、私は、Tさんのしつけ方に感心した(ちなみに、作家の佐藤愛子さんは、「Tさんの気持ち、約束を守らなかった息子さんに腹を立ててゲーム機を二つに折った気持ち、私にはよくわかる、普通の母親であれば誰だってカンカンに怒る。それが母親というものだ。」と書いている。佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」181頁)。最近の子供たちのネット利用の危うさに大いに関係するのだが、第一に、ゲーム機を買い与えた時に、息子がゲーム機に依存しかねないことを危惧し、使い方のルールを決めたこと、第2に、息子のルール違反をなあなあで済ませることなく、親として正面から息子の非を指摘し、怒ったことである。たかがゲーム機の話ではないかと思われるかもしれないが、最近のゲームサイトにはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)機能が付いていて、ネットを通じて競技者同士がコミュニケーションをしながらゲームを楽しめるものがある。幼いころにゲーム機に無原則に依存していた子どもが、このようなゲームサイトにのめり込むと、見ず知らずの危険な大人と出会うことにもなりかねないのである。
2 ネットによる犯罪と子どもたち
警察庁は、SNSなどネット上で不特定多数の相手とやりとりできるサイトのうち、出会い系サイトを除いたものをコミュニティサイトと総称し、これを、「ツイッター」や「LINE(ライン)」といった複数交流系、チャット系、動画等投稿・配信系、ゲーム・アバター系などに分類し、18歳未満の児童に対するネットによる犯罪の現状等を公開している。
最新の統計は平成29年上半期(1~6月)のもの(警察庁ホームページ→「平成29年上半期におけるコミュニティサイト等に起因する事犯の現状と対策について」)だが、これによると、コミュニティサイトで犯罪被害に遭った児童は過去最多の919人で、その9割は中高校生。罪種別では、淫行などの青少年育成条例違反が350人(38.1%)で、児童ポルノ289人、児童買春243人がこれに続く。一方、出会い系サイトの被害児童数は過去最少の13人で、平成20年の出会い系サイト規制法の改正以降減少傾向にある。
コミュニティサイト関係についてみると、被害者の大半が女子で、被疑者と会った理由では、「金品目的」や「性的関係目的」といった援助交際に関連する理由が約4割を占める。自ら「援助交際」を申し入れ、あるいは、男たちからの申入れに応じた上、見ず知らずの男について行ったわけで、その無防備ぶりに驚かされる。男について行って強姦や誘拐など凶悪判罪の被害に遭った子どもも25人いた。子どもたちの約9割がスマートフォンでサイトにアクセスしており、サイト別では、短文投稿サイトの「ツイッター」が327人で最も多く、全体の3割強を占めている。
有害サイトの閲覧を制限する「フィルタリング」は、被害児童の9割が利用していなかった。保護者へのアンケート調査では、利用しない理由について、64%が「特に理由はない」、20%が「子どもを信用している」と答えている。保護者の無関心、知識不足が大きな問題といえそうだ。なお、フィルタリング利用の徹底を義務付けた改正青少年インターネット環境整備法が、平成30年6月までに施行される(注・平成30年2月1日施行された。)。
3 ネットによるいじめと子どもたち
教育現場の悩みも深い。文部科学省は、毎年「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題」についての調査結果を公表している。最新の調査では、「いじめ」に当たると考えられるケースを広く拾うようにしたということだが、これによると、平成28年度の全国小中高校のいじめの認知件数は32万3808件で、過去最多となった。
このうち1万7833件がネットによるいじめだった。文科省のホームページをみると、いじめの統計をとるようになった平成19年度は約6000件だったのが、ここ数年で急増した。
典型的なのは、特定の生徒を中傷し、のけ者にするよう呼びかけるメールをクラスメートに送るという類のものだが、特定の生徒の名をかたって、いかがわしい合成写真画像やメッセージをサイトに送り、不特定多数のサイト参加者の好奇の目にさらすといった手の込んだものもあるという。「LINE(ライン)」で「きもい」などと書かれた生徒が自殺したというケースも報道されており、事態は深刻である。
ネットによるいじめで問題なのは、加害生徒には軽いいたずら程度の気持ちしかなく、加害者意識に欠ける場合が多いことだといわれる。これほど陰湿で卑劣なことをしておきながら加害者意識に欠けるとはなにごとかと唖然とするが、今の子どもたちには、そんな感受性や正義感を身に付ける機会が乏しいのだろうか。それだけに、保護者も教師も、ネットによるいじめが深く相手を傷つけること、卑怯で卑劣なやり方であること、調査すれば、システム上犯人はわかること等を、生徒に強く伝え自覚を促す必要がある。また、被害生徒も率直に被害を訴えることが少ないため、保護者や教師も気づきにくいようだ。悩みがあってもそれを見せずにことさら明るく振る舞おうとする近頃の若者気質も影響しているのかもしれないので、要注意である。
いじめだけでなく、上記2の犯罪に巻き込まれる可能性があることも考慮にいれると、より根本的な問題として、子どもにスマホを自由に使わせていいのかということがある。スマホは依存性が強く、勉強中も、食事中も、学校の休み時間でも、時には授業中ですら、始終スマホをいじっている中高校生もいると聞く。全面使用禁止は現実的でないとしても、上記1のエピソードのようにスマホ使用のルールを決めて守らせること、上記2のフィルタリング機能を付すことは、最小限必要だろう。
法務省の宣伝をするわけではないが、法務省人権擁護局のホームページ(「人権擁護局フロントページ」→「啓発活動」→「インターネットを悪用した人権侵害をなくしましょう」)には、「インターネットの向こう側」と題する啓発ビデオがある。秀逸な学園ドラマに仕上がっていて、ネットによるいじめの実態がよくわかる。視聴回数は72万3000を超えている。まだご覧になっていない方には、視聴をお勧めしたい。
4 終わりに
この原稿を書いていた平成29年10月30日に、神奈川県座間市のアパートで、18歳未満の子どもを含む9人の遺体が発見された。脱稿した11月19日現在、被疑者は、死体遺棄等、次いで殺人の罪で逮捕、勾留されている。捜査中の事件なので憶測でものを言うことはできないが、報道によれば、被疑者と被害者を結びつけたのは、自殺願望に関するツイッターでのやりとりだったという。裁判官だった経験で学んだことの一つが、世の中にはとてつもなく悪い人間がいるということだった。「相手の境遇や考えていることがわかれば、それに乗じた作り話で即座に金をだまし取る自信がある」と供述した詐欺師もいた。匿名のネットの世界で胸のうちを明かした相手の誘いに乗ることほど危険なことはない。ネットの相手は、想像を超える悪意を秘めている可能性があること、そして、それが世間の常識なのだということを、子どもたちや若者にわかってもらわなければならない。家族、学校、そして社会の重い課題だと思う。

喜寿を前にして戯言(町谷雄次)

平成23年5月に公証人を退職して、以後は悠々自適な生活をしているはずであるが、どうもゆっくりするというのは性に合わないようで、テニス、絵画、水墨などの習いごとと畑仕事(貸農園)に追われる傍ら、OB会、同窓会、老人会、自治会などの各種世話人を引き受けて、気が付いたら喜寿を迎える年になっている。加えて、最近は、妻と交互に病院通いの日も増えた。折角、投稿の依頼を受けたので、何か有意義なものをと考えていたが、年齢の関係かアドレナリンの分泌も悪くなっているようで、中々考えがまとまらない。結局、公証人退職後にOB会や所属クラブの情報紙等に寄稿したものの中から、小文を抜粋して近況の披露に代えさせて戴くことにしました。
〇 青 春 の 老 成
昨年(注・2015年)のサロン・エウスン展(注・四国の絵画クラブの作品展)講評の席で、顧問のK先生が話された“青春とは”の話が強く印象に残っている。“青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ”、“年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる”、“希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる”。これは、アメリカの無名の作詩家といわれるサミエル・ウルマンの“Youth(青春)”という詩の翻訳文の一節を引用されたものであるが、古希も通り過ぎて、青春とは無縁の存在と自覚していた自分にとって、何かカンフル剤を打たれたような気分になる言葉であった。後に調べて分かったことだが、原文(英語)の詩は、第2次大戦後、日比谷の占領軍総司令部のマッカーサー元帥が座右の銘として何時も執務室の壁に飾っていたとのことであり、漢詩調の翻訳したものは松下幸之助氏の眼に止まり、インタビューで紹介し,雑誌にも掲載され一躍有名になったようである。又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこの詩の一節を引用したのも有名な話になっているようである。
“青春時代は昔の話よ”と諦めきっていた中高年、或いは老年期の世代にとって、“青春の詩”は、正に“年をとっても、いつまでも青年の志は持ち続けよ”と、叱咤・激励の言葉に聞こえたのは、私だけではなかったと思う。
たまたま、上記打上げ会のすぐ後の昨年11月に、その5ヶ月前の6月に93歳で亡くなられた元最高裁判事で法務省民事局長なども務められた香川保一先生を忍ぶ会が東京であり出席した。その際、「香川保一随想録」(株式会社テイハンが出版している)が記念品として出席者に配られた。香川先生は、生粋の法律家であり、特に現在の不動産登記制度を確固たるものにした第一人者と言われる人で、関係者からは登記の神様と称されている人であるが、配られた冊子の中身は、法律とは無縁の香川先生の生き様、人生観とかが詩情豊かに語られた随筆、エッセイ集であった。その中で特に目をひいたのは、香川先生も“老い”と“青春”についてひたむきに探求し続けてこられたこと、そして、最後まで青春の気概を持ち続けてこられたことである。その中で、先生は「青春の老成」という造語を編み出し、随所に使用されている。その幾つかをピックアップする。

〔庭仕事の愉しみ〕 「日本でもその小説(…)がよく読まれたヘルマン・ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』(エッセイと詩の和訳)が平成7年に出版された。私の拙い『青春の老成』の造語はこれにヒントを得たものであるが、ついで、平成8年に『庭仕事の愉しみ』(エッセイと詩の和訳)が出版された。彼は文筆を採る以外の多くの時間を庭仕事に過ごしたといわれるが、その土と植物、自然を相手にして、草花や樹木から教示される生命の神秘、尊さを瞑想し、『年年歳歳花相似たり』の自然と人生の心理を追求、会得した彼にしてはじめて、人はいかにして老いを生きることができるかを教示し、人生の老いの素晴らしさ、楽しさを綴る前者の『若くなる』が後者の『愉しみ』から生まれたように思われる。」。
〔送歳迎年〕 「人間は、その肉体の衰えはいかんともし難いが、その心、精神は、自助努力により年輪のように連綿と日々新生を重ね、それが肉体の老化をも防ぐことができるものである。…送歳迎年の機に日々新たなることを念じ、なお年新たなることを期したいものである。…『青春の老成』を新しい年のモットーとしよう。」
〔青春の老成〕 「人皆若い頃は発奮して一所懸命になるが、中年を過ぎるとその気概を亡くしてゆく。老いては尚更である。しかし、花を咲かせて実を結び、また花を咲かせる気概があってこそ、老いて朽ちないのである。老いてなお気概があると同時に、おおらかなゆとり、楽しみがあってこそ、老いのいたらんとするのを知らないのである。人間が熟するためには、この気概とゆとりがなければならない。」
〔「敬老の日」の老いのくりごと〕 「私も老人の仲間入りをせざるを得ない年齢となって、できるだけ若い人たちの負担とならないよう、『日に新たに、日々新たなり』を訓えとして、活気のある人間となるべく努力しているが、さらに「青春の老成」という言葉を頼りとして、老熟した人間を志している。それかあらぬか、最近は夕焼けをこよなく美しいものと思う。それは決して老いの残りの少ない人生と対比してのものでなく、老いたればこその新しい美なるものの発見である。『夕日は故人の情』のせまりくるというよりも、老いたることにより自然と人生の深い美を発見することができると勇気づけられているのである。」

 “青春の詩”と“青春の老成”、時期を同じくして、否応なしに“老い”を受容しようとしていた自身の心に、何か清風が吹き込んだことは確かである。
〇 日 々 是 好 日
今、日本は超長寿社会に突入しつつあります。平均寿命は、男性80.5歳、女性86.83歳、今後も延びると予想され、人生90年時代の到来も遠くない状況で、総人口に占める65歳以上の割合は25パーセントを超え、2060年には40%となる見込みです(平成27年9月21日読売新聞)。総務省が平成27年9月21日の敬老の日に合わせて発表した日本の高齢者人口の推計でも、65歳以上の高齢者が前年比80万人増の3384万人(男女別では男性1462万人、女性1921万人)で、総人口に占める割合は前年比0.8ポイント増の26.7%となり、最高を更新、そのうち80歳以上は1002万人(前年比38万人増)で初めて1000万人を超え、世界的にも突出した高齢国家になることは間違いない情勢なのです。ちなみに、私の住む大阪府交野市(人口79,000人)の松塚という地区では、特に高齢化が進み、地区の高齢化率は約40パーセントに達しているとのことであり、現在、地元の大学が高齢化のモデル地区としての調査を実施しています。たしかに、町を歩いても子供を見ることは少なく、逆に、高齢者には必ずお目にかかります。そして、町のあちこちに設置された市の広報用のスピーカーからは、度々、家を出て徘徊している老人の行方探しの協力依頼のアナウンスが流されています。
健康な状態で高齢化するならむしろ喜ばしいことかもしれませんが、残念ながら寝たきりとか認知症の状態での高齢者の比率も増加の一途を辿っているようであり、その結果、様々な社会問題が生起しているのも実情です。
先般も,重度の認知症の高齢者(当時91歳)が徘徊して列車にはねられ死亡した事故をめぐって、JR東海が男性の妻や長男に監督義務を怠ったとして損害賠償を求めた裁判で、一,二審の賠償命令を破棄して請求を棄却した最高裁判決があり大きな波紋を呼びました。判決が大きく注目された一番の理由は、決して他人事ではない、というのが多くの人の共通の認識だったからではないでしょうか。
これからの老い行く人生を、どう生きるか、高齢者の誰もが直面する共通の課題です。私が尊敬する大先輩の前田榮先生(御年92歳)が、ある情報誌に自身の気構えを次のように書いておられます。 「まさに『我が国は、高齢社会の真っ只中である。』、『楽しい事より悲しい事が多くなる高齢者、しかし、生ある以上生きねばならぬ。“限りある一度限りの人生”、知識、見識、胆識を持って、世の移り変わりや現今世情の全体像を見渡しつつ、長生の道は自立自尊と心得て生きていく。・・』と。
私は、仕事をリタイアし、古希も過ぎた後、「日々是好日」を座右の銘としてきました。元々は、禅語で、中国の雲門禅師の言葉ですが、文字通り解釈すれば、「毎日が平安で無事の日である」という意味になりますが、禅語としての意味は深く、「どんな雨風があろうとも、日々に起きる好悪の出来事があっても、この一日は二度とない一日であり、かけがえの無い一時であり、一日である。この一日を全身全霊で生きることができれば、まさに日々是れ好日となるのである。好日は願って得られるものではなく、待ってかなえられるものではない。・・只座して待つのでなく主体的に時を作り充実したよき一日一日としていきていくところにこの語の真意がある。」(「禅語に親しむ」から)と説かれています。
今はやりの言葉で言えば、“ポジティブに生きる”ということでしょうか。
〇 二度とない人生だから
ところで、私自身は、とにかく限られた残りの人生を、できるだけ有意義な時間を使うことをモットーに、手持ちの予定表には相変わらず隙間なく日程を詰め込み、周囲の人に“多忙”をひけらかしてきました。ただ、以前は、趣味の活動と各種会合等への出席等が主な中身であったのが、最近は、妻の病院通いの送迎のほかに自身の通院(泌尿器科、眼科など)の回数も増え、多忙の中身が変貌しつつあります。
たまたま、大谷大学ホームページの「今日のことば」を検索しましたら、かつて、四国で人権の仕事に勤務していた頃にはよく記憶していたのに、その後ほとんど忘れていた仏教詩人・坂村真民の詩句のことが紹介されていました。「二度とない人生だから」と題する7節からなる詩で、どの節も「二度とない人生だから」で始まっていますが、そのうち第5節の全文が取り上げられていました。
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
そして、「きょうのことば」として、次の文言が添えられています。
「この詩句を眼にしたあなたは、『人生が一度きりであることは分かっています。だからこそ私は、必死に生きているのです。』と、内心思われたかもしれません。でも、そんなあなたこそ、この詩句に込められた真民の思いを、味わってみてはいかがでしょうか。そっと口ずさんでみてください。少し肩の力が抜けたような気持ちになりませんか。
実は、かく言う私が、この詩句をふと目にしたとき、足を止めて草花の表情をみつめたことなど、この数年なかったことに思い当たりました。ついつい『忙しい』を口癖にして暮らしている私は、思わず深呼吸をしていました。
思えば、『忙しい』の『忙』という漢字は、『忄(こころ)』(=立心偏)に『亡(うしな)う』と書きます。日々、途切れぬ仕事、目前の課題や役目に追われるなか廻りが視野に入らないばかりか、自らも見失っている。残念ながら、これが今を生きる私たちの姿でしょうし、さらに言えば、私たちは、そんな自らを省みる余裕すら失っているのかもしれません。
今の私たちのライフスタイルが、そのような息が詰まりそうなものであることに気づくとき、この真民の言葉は、私たちの身の回りの環境(世界)や自分自身をもう少し慈しみ暮らすことの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。」
これまで、「二度とない人生だから」を自他を激励する意味でしかとらえてこなかった私にとっては、まさに「目から鱗(うろこ)」でした。皆さんはいかがでしょうか。

OB会(本間 透)

誌友の皆さんの中には、法務局を退職してから関係のあった各局のOB会の会員になっている方が多いと思います。私も出身局の秋田、北海道での勤務が長かった縁で札幌、そして退職局となった千葉の三か所のOB会に入会しています。それぞれの会則で入会資格が定められていますが、概ね何らかの関係があり、希望すれば入会できるようです。
秋田県法友会からは、法務局退職直後、大先輩の幹事の方から早々に電話をいただき、「当然に入会するでしょうから、総会は9月末の予定なので是非出席するように」と有無を言わせない?お誘いに、一つ返事で「勿論です、よろしくお願いします」と申し上げました。最初に出席した総会では、会員の中には私が秋田局を出てから27年ぶりにお会いする方もおられ、諸先輩を前に緊張しながら挨拶をし、全テーブルを回って皆さんにお酌をした際に「本間君、よく来てくれたね」と言っていただき、改めて郷土の諸先輩の温かさを感じました。
秋田局では、採用されて間もない未熟な私を、礼儀から仕事に対する心構えまで公私にわたり御指導いただき(ある先輩の「酒が飲めない奴は、仕事もできない」という言葉を真に受けて、毎晩のように飲み歩いたものでした。)、秋田局から本省に転出する際は、「何があっても戻ってくるなよ」と温かい?激励をいただきました。秋田局は、私の法務局人生の正しく原点でした。
札幌桐友会には、管区局の札幌局で2度勤務したことから、管内地方局の方々とも公私にわたりお付き合いいただき、仕事以外では、特にゴルフを通じて転出後も長く親交を深めていたこともあり、快く入会させていただきました。北海道管内は、総じてオープンマインドでオールウエルカムの気質があり、管内地方局の多くの職員との知己を得て、在京の北海道会にも参加させていただいています。こうして北海道の方々とのお付き合いが多いことからか、私が北海道出身と思われたようで、一時、在京の東北会からお呼びがかからないこともありました。
毎年、6月末の札幌桐友会総会では、土曜日の午後からの総会前に有志によるゴルフが企画されるとともに、翌日曜日には、総会ゴルフコンペが開催されており、これも総会出席の大きな楽しみとなっています。桐友会役員の方々には、総会の準備、進行等と共にゴルフに伴う送迎等もしていただいており、おもてなしの気持ちに深く感謝しております。
千法会には、千葉局在職中に登記所の地図整備や登記相談等の事業の推進に当たり、多くのOBの方々に御理解と御協力をいただくとともに多大の御尽力をいただいたことに少しでも感謝したい気持ちと、私の法務局人生の仕上げとなった局としての思いから入会させいただきました。
千法会は、1月の新年会と7月の総会があり、他の会と同様に現職幹部職員も出席しますが、組合役員も出席しているのが特徴なのかもしれません。在職時は、立場の違いこそあれ、千葉局の課題や在り方について熱心に議論し、お互いに如何にして千葉局を盛り上げていくか考えたものでした。総会等では、その当時のことを懐かしみながら若い現職の方々と語らい、法務局全体や千葉局を取り巻く最近の状況などを知る貴重な機会となっています。
私は、一昨年の6月末をもって公証人を退任し、7月に福島県いわき市から千葉県柏市に転居したことにより、正しく名実共に千法会の会員になりました。
それぞれのOB会では、会員同士が再会して親交を深め、物故者の冥福を祈り、昔話や近況を語らうなど、退職後も現職時代の延長のように感じられます。これは、故枇杷田先生が唱えられた法務局文化を各職場で一緒になって担ってきたという共通の強い意識があるからではないでしょうか。その証として、他の国の機関では、全国各局における法務局OB会のような集いがないと思われ、公証人在職当時に法務局出身ではない方に法務局OB会のことをとても羨ましいと言われたことがありました。
また、各局のOB会に現職幹部職員も出席され、自分が在職時に本省やブロック間人事交流で他局に送り出した職員が期待に応えて活躍し、幹部職員としてOB会で再会したときは、感慨深いものがあります。
ところが、私達団塊の世代の大量退職が過ぎたという量的な面や退職後も在職当時の上司、先輩と関わりたくないという意識もあるようで、OB会の会員が増えず、むしろ減る傾向にあるように思われます。何事も時代の流れと人の意識の影響で変わりゆくとはいえ、寂しい気がします。
私は、法務局OB会の他にも機会をとらえてOB会的な集まりに参加していますが、いずれも法務省・法務局繋がりで、中には同じような顔ぶれのものもありますが、これまでの諸先輩の御厚情に少しでも報いるとともに、嫌がられない程度で後輩の役に立てればと思っておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

マスク(由良卓郎)

最近、季節や場所を問わずやたらとマスクを付けている人を見かけるようになりました。一種異様ささえ覚えることもありますが、このように申し上げる私もマスク使用者の一人であります。
マスクを使用する目的は人それぞれで、私どもがとやかく申し上げるべきものではありませんが、公証役場に訪れる方の中にも、老若男女を問わず、マスクをしている方がいらっしゃいます。
ある公正証書作成に際して、帽子を被りマスクをして来た人がいましたので、マスクを外して顔を見せてくださいとお願いしたところ、快くマスクを外して顔をみせてくださいました。そして、帽子を脱がない理由として、現在病気治療のため投薬している関係からとお話しされました。抵抗力が低下していることによる感染症予防のためにマスクをされていたようです。その後直ぐにマスクをしていただいたのは、申し上げるまでもありませんし、私もマスクをして対応させていただきました。
私は、最近、時々マスクをするのを忘れることがありますが、私がマスクをする理由は、福山に来て2年ほど経った頃でしょうか、風邪がなかなか治らず、咳が長引きましたので、妻からも医師に診てもらうよう再三再四やかましく言われ、内科、耳鼻科などにも行きましたが原因が分からず、最終的に呼吸器内科で、咳喘息だろうという診断にたどり着きました。
相談時や証書作成時に咳き込むこともあり、随分と皆さんに不愉快な思いをさせてしまったと反省しています。
それで、今では、冒頭に申し上げた方と同様、季節や場所を問わずマスクをするようになりました。冬などは、防寒のために深々と帽子を着てマスクをして、徒歩通勤していますと、行き交う人からは不審人物のように見られているかも知れませんが、それでもマスクを付けて、外気を直接吸い込まないようにすると、その日は事務室でマスクをしていなくても咳き込むことが少なくなったように思います。マスクなしで通勤した日は、その日一日中、咳き込むことが多いように思います。
過日テレビを見ていますと、咳喘息から気管支喘息に進行する割合は結構あるようですし、気管支喘息で亡くなる方もあるようですから、気を付けたいと思っています。
私は、マスクを付けるのは元来好まないのですが、狭い街で、公証役場に来たことのある方とお会いしたときに、相手様に気を遣わせないためにも、便利なグッズかも知れないと思っています。
マスクを付ける付けないは皆様のご自由ですが、何とぞご健康にはくれぐれもご留意ください。寒い日に外を歩くときは、私の場合、結構大きな効果があると思っています。

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.57 相続人又は受遺者の地位にない遺言執行者からの遺言検索及び遺言公正証書の謄本交付請求における取り扱いについて

公正証書の作成や私書証書の認証等については,予約制をお願いしていることもあり,事前に検討することができますが,公正証書の謄本請求や確定日付の付与請求は予約をせず窓口へ来られる方も多く,その場での判断が求められることがあります。
先日,他の公証役場で作成された遺言公正証書の謄本を持参された方から,「自分(甲)は,乙の遺言により,遺言執行者に指定された者(相続人又は受遺者の地位にない)であるが,乙は,この遺言の他にも遺言を作成している可能性があるので,遺言の検索を申請し,その結果,他に遺言があった場合は,当該遺言公正証書の謄本を請求したい。」と申出がありました。
甲は,①乙の遺言公正証書の謄本のほか,②乙が死亡した記載がある戸籍謄本,③甲の本人確認書類を持参していました。

遺言検索の照会が可能とされる者は,「公文書等により遺言者が死亡した事実及び法律上利害関係を有することの証明があった者」(「遺言検索システム実施要領」昭和63年5月20日定時総会決議)とされており,乙の遺言検索の時点で,遺言執行者である甲が法律上の利害関係を有していることは明らかです。しかし,検索の結果,甲が持参した遺言公正証書の「前・後」に遺言公正証書が作成されていたことが判明した場合でも,甲は,当然に公証人法第51条第1項の「法律上の利害関係」を有する者に該当するのかについては疑問が生じました。なぜなら,遺言は,遺言者の死亡の時からその効力を生ずる(民985),また,前の遺言が後の遺言と抵触するときは,その抵触する部分については,後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす(民1023)とされ、仮に,甲が前後の遺言において,遺言執行者又は受遺者として遺言書に記載されていない場合には,甲に利害関係があるといえるか否か疑問が生じるからです。
そこで,「他の遺言書において,甲に利害関係があると認められない場合には,他の遺言公正証書の存否そのものについてもお答えできませんが,よろしいですか?」と念押ししたうえで,検索に応じ,その検索結果を注視していたところ,甲が持参した遺言以外に乙の遺言は作成されていないことが判明したことから,その旨を口頭で甲に伝え,この件は無事終了しましたが,今後,同様な事案が生じた場合に備え,少し検討してみることにしました。

今回の事例の場合,甲が持参した遺言公正証書の「前」に乙の遺言公正証書が存在していた場合でも,甲は,前遺言との抵触を確認した上で甲が遺言執行者である遺言公正証書(以下「本遺言」といいます。)を執行しなければならないという遺言執行者の法律上の任務から考えて,当該証書の謄本交付請求を甲が法律上の利害関係人としてできることに問題はなさそうです。しかし,本遺言の「後」の遺言公正証書の存在が判明した場合において,その内容が本遺言と完全に抵触しかつ甲が遺言執行者として記載されていない場合は,甲の遺言執行者としての地位は否定されることになり,その場合,甲は,「後」に作成された証書の謄本交付請求をする法律上の利害関係人に当たらないともいえそうです。
しかし、その一方で,遺言執行者は,相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する(民1012),遺言執行者は相続人の代理人とみなす(民1015)という規定等から,「後」の遺言の内容が明らかになっていない時点では,本遺言により,相続財産に対する管理処分権は遺言執行者である甲にあると推測され,それと矛盾する相続人の管理処分権は喪失させられている状態(民1013)にあることになります。また,甲にしてみれば,善管注意義務をもって遺産を管理する義務及び管理に付される財産目録と執行状況の報告義務を負わされている状態であり,しかも任務を行わなければ職務懈怠の責任が生ずることにもなりかねません(民1012,644)。甲がこれらの義務や懈怠責任を相続人に対し抗弁するためには,甲を利害関係人とする考えもありそうです。
他方,この辺の事情について,公証人の立場からすると,「後」の遺言によって,一部の相続人が,あるいは受遺者が既に遺言の執行を開始していることも考えられ,後の遺言が他の役場で作成されていたりするとなおさらその辺の実態は公証人としては分からず,仮に謄本請求に応じた場合,相続人又は受遺者ではない者に謄本を交付したことになり相続人等から利害関係のない者に謄本を交付したとして非難される可能性は否定できないところです。
結局,結論が出ず先延ばしにしていたところ,後日,ある検討会で協議していただく機会を得,その協議のまとめでは,2つの意見に別れました。
A説では,「利害関係人に該当するとして,検索及び謄本の交付を許容すべき」とし,B説では,「遺言の秘密性も考慮し,相続人からの請求を促すような対応をする」というもので,議論は白熱しA説とB説が拮抗しましたが,A説がやや多数という結果でした。
今回検討した事例は,非常にまれな事例であり,そもそも「前」の遺言が「後」の遺言と抵触するかは,個別具体的に判断することになりますが,遺言検索の結果,「後」の遺言が他の公証役場で作成されていることもあることから,そのような場合,検索結果を甲に伝えるにあたり,甲が謄本を請求できないと判断される場合があることを伝えるなど慎重な対応が必要と考えています。
本件について,小職が本誌で結論めいた見解を示すことは荷が重いので,控えたいと思いますが,公証人法第51条の「法律上の利害関係」の意味を考える上で,参考になる事例と考えたので,紹介させていただく次第です。また、上記の協議会で各位から示された論点については,本稿の中でひととおり触れたつもりですが,それも含めて足りない点は本誌友のご指摘を待ちたいと思います。
(小田切敏夫)

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