民事法情報研究会だよりNo.63(令和6年10月)

 時候的には秋冷の候とはいうものの、9月下旬に至ってもなお猛暑日が観測される地域があるなど、とても暑かった今年の夏も、朝晩にはようやく秋の気配が感じられるようになりましたが、会員の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 元日の大地震からようやく立ち直りの兆しをみせていた能登半島において、長時間にわたる線状降水帯の豪雨に伴う土砂災害や河川の氾濫などによって、またしても大きな人的物的被害が生じています。このほかにも、全国各地において、過去の経験や知見を超える異常気象や災害が数多く発生しています。
 被災された方々に心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧復興をお祈りいたします。(YF)

今日この頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

今日この頃(柿村 清)

 7月1日午後2時過ぎ、民事局勤務時の同期からの電話が突然鳴った。久しぶりだなと懐かしく思いつつ、電話に出た。すると、突然、本誌の本欄への原稿を書いてくれないかという依頼であった。依頼者曰く「遡って調べてみたら、柿さんにはこれまで原稿の依頼をしていないことがわかったので、これ好都合と思い電話した。」とのことであった。今更原稿を書いてくれといわれてもと思いながらも、同期からの依頼でもあり無碍にもできないので渋々引き受けることにした。
 引き受けることにしたはいいのだが、さて何をどんな風に書けば誌友の皆さんらに読んでもらえるものかと色々と思案し、その日は、原稿のことばかり考えることとなった。
<7月1日>
 7月1日は、8年9か月勤めた公証人を引退した日であり、引退後4年となる節目の日であった。しかし、直近の4年間を振り返ってみても本誌に記せるようなことは何もしておらず、ぼうっと時を過ごしてきた感を否めない今日この頃である。
 現に、7月1日は、朝5時に起きて、アメリカ大リーグ(MBL)ドジャース対ジャイアンツの試合をテレビ観戦した(大谷選手の活躍が楽しみで、ドジャースの試合のテレビ放映がある日はできるだけLIVEにて観戦することとしている。当日は、27本目の本塁打を打って欲しいと期待を込めて観戦した。しかし、残念ながら本塁打は出ず、3三振であった。)。
 また、その日は、梅雨のまっただ中にあり、早朝から非常に強い風が吹きあれており、家庭菜園で実を付けはじめているトマトやなすらの支柱が倒れていないか心配になったので、9時過ぎに様子を見に菜園に出向き、支柱の補強作業を行った。
 帰宅後は、朝5時からテレビ放映のあったアメリカのプロゴルフツアー(PGA)を録画しておいたので、それを観ながら、自ら用意した簡単な朝兼昼の食事をとり、うとうとと昼寝をした(PGAの試合には、日本人プロゴルファーの松山英樹や久常涼らが参戦している。いつもは、この時間帯には、ゴルフ練習場に行っているのだが、この日は強風のため練習場は休業していた。)。
 その途中に、先に記した原稿依頼の電話があった。
 午後4時頃には、風呂に入り、午後5時には夕食をした。夕食は午後5時からとしており、買置きしておいた食材にて小生自らが夕食を用意し、妻と二人で晩酌をしながら食べた。ちなみに、我が家では、小生より先に妻が亡くなったとしても独りで生活していけるようにとの妻の方針の下に、夕食の用意と自らの洗濯物は自分ですることとなっている(なお、食後の食器洗いや片付けは妻がしている。)。
 午後9時過ぎには、同居している小学生の男孫が「じいじ寝よう。」と言って我々の居るところに迎えに来たので、男孫とともに寝室に向かい床についた。
 しかし、その日は、原稿のことが頭から離れず、翌朝2時に起きて、NHK・FMラジオの深夜便「ロマンチックコンサート」とその次の「にっぽんの歌こころの歌」を懐かしく聴きつつ、パソコンと睨めっこして本原稿を書いている。
 小生の日課の主立ったものは、ここに記したように、大谷選手の活躍を楽しみにしたテレビでの野球観戦、家庭菜園、それにゴルフ(テレビ観戦を含む。)である。
<我が家>
 我が家は、2階建の変形した独立型の二世帯住宅である。玄関、台所、浴室、洗面所・トイレがそれぞれ2つあり1階と2階で二世帯に分かれており、玄関は吹き抜けで、内部は階段のドア1つでつながっている。
 我が家は、我ら夫婦が2階に、息子夫婦と3人の孫(中学生の男孫、小学生の男孫と娘孫)が1階に暮らしている。
 なお、1階の2部屋にはロフト(3畳半)が付いており、そのうちの1部屋のロフト部分は2階の廊下とドア1つでつながっており、自由に行き来できるようになっている。そのロフト部分にベッドを置き、小生がそこで寝起きしており、ロフトには常設の階段が設けられており、階下の1階部分に二段ベッドを置き、男孫2人が寝起きしている。よって、先に記した小学生の男孫の「じいじ寝よう。」の際は、2階廊下からロフト部分に入り就寝した。
 我ら夫婦と息子ら家族は、通常は独立して生活しており、互いに干渉しないこととしているが、必要に応じて互いに連絡を取り合い、協力し合い、誕生日会等のイベントは合同して催している。また、我ら夫婦は、孫らの登校時の見送りや下校時の出迎えを日課としており、孫らの元気な声が聴け、時折孫らが2階に顔を出してくれて話をしてくれ、楽しみを与えてもらっている。中学生の男孫はここ1年で15㎝以上も背が伸び、174㎝の小生をあっというまに超えてしまった。日に日に成長する孫らに毎日触れており、元気をもらっているので我ら夫婦も負けないようできるだけ長く元気でいたいと話し合っている今日この頃である。
<ゴルフ>
 退職した年(2020年、令和2年)は、コロナ禍のため、人との交流・接触を極力避けざるを得ない状況下にあり、会合や飲み会などの各種行事が一斉に中止となり、退職し自由時間が増えたにもかかわらず、楽しみにしていた仲間うちの懇親の機会がほぼ失われてしまった。
 こうした中にあって唯一行えたのがゴルフである。ゴルフは、屋外で行うため室内での行事に比べれば制約が少なかった(しかし、クラブ施設内ではマスクの着用が義務であった。)。そこで、70過ぎまで働いてきた自分へのご褒美として、これまで20年近く使ってきゴルフクラブを、お気に入りのゴルフクラブ(フルセット)に買い換え、月に2~3回のペースで気の知れた仲間たちや近所のゴルフ好きとともに平日にゴルフコースを回ってゴルフを楽しんでいる。行きつけのゴルフコースは2カ所であり、それらは、我が家から100㎞前後の距離にあるため、復路の交通渋滞を避けたいので、スタート時間を7時半から8時過ぎという早い時間帯にセットしてもらっている。よって、ゴルフ場には、毎回、朝4時か5時には自宅を車で出発し、高速道路を利用して行っている。朝の早いのは夜9時過ぎには床についており、歳のせいもあり早く目が覚めるので、まったく苦にならない。また、高速道路での事故渋滞等により到着が遅れることもあるため、余裕を持って出発しているので、高速を下りる直前のパーキングエリアで休憩をとり、仮眠するなり、軽い朝食を取るなどして時間調整を行っている。さらには、年に3回ある30年近く続く泊込みのゴルフコンペにも参加している。いつもはゴルフ場への往復が車であるため飲酒はできないが、泊込みの場合はそれができ、旧知の仲間と親交を深められるのでとても楽しみである。
 また、一緒に回る仲間うちに迷惑をかけてはいけないし、少しでもスコアを良くしたいので、健康維持のための運動を兼ねて、週に3~4日ほど自宅近くのゴルフ練習場に通っている。練習場では、直前に回ったコースの結果を踏まえ反省しながら試行錯誤で球打ちをしている。球打ちは1回当たり150から200球ほどである。自分なりには努力しているのだが、年齢には逆らえず、歳を重ねるごとに飛距離は毎年4~5ヤードは落ちて来ており、今では、ドライバーの飛距離は200㍎程度であり、たまに220㍎飛べば良い方で寂しい限りである。それをクラブのせいにして、この4年間にドライバーを2度更新して、飛距離の維持に苦心している今日この頃である。
<家庭菜園>
 家庭菜園は、自宅から徒歩5分ほどのところにある市民農園(32区画、1区画・車2台駐車できるほどの面積)を借りて行っている。家庭菜園を始めて4年目に入っているが、野菜の栽培については、知識も経験もないので見よう見まねである。家庭菜園を始めた当初は、いちごやメロンを栽培し、収穫を楽しみにしていたのだが、収穫の直前には何者かに横取りされ、がっかりしたので今はやめている(SNSによると、農園の近くにはハクビシンが生息しているとのことであった。こうした動物は、果実の熟成時期をよく知っており、こちらより1日早くに横取りしてしまうので、非常に悔しい思いをした。)。今は、トマト、なす、ピーマン、ジャガイモ、里芋、ネギ、大根等を植えており、各種野菜の成長と収穫を楽しんでいる。ただ、自宅から市民農園に行く途中には起伏があり、農園には水道施設がない上、駐車場もなく車の利用は禁止されているため、自宅から20リットルのポリタンク等で水を運ばなければならず、夏場は汗だくになり、かなりきつい。その分、収穫の喜びが増すのである。しかし、余り採れ過ぎると、同じものが食卓に何度も並ぶので、妻にはいやがられることもある今日この頃である。
<今後>
 以上、ここに記したように小生のここ4年の歳月は詩友の皆さんにお知らせするようなことは何も無いが、これまで入院したことがなく、薬いらずで健康に過ごせてきたことが、何にも代えがたい幸せであったと喜んでいる。
 しかし、今後は、いつ倒れか、いつ患うか、また、いつまで車の運転ができるか、いつまでゴルフができるか、いつまで健康で生きられるか、といった明確でないことを前提に何らかの準備、子供らにできるだけ負担をかけない、迷惑とならないような準備をしていかなければならないと考えている今日この頃であり、できる終活(相続財産の評価、二世帯住宅の相続特例、墓選び、介護、等々)を来年には75歳の後期高齢者となるのでぼちぼち進めていきたい。
(元長野・諏訪公証役場公証人 柿村 清)

日本酒雑感(森 一朋)

 誌友の皆様は、毎日の業務が終わり、帰宅してからどのように過ごしていらっしゃいますでしょうか。
 私は、晩酌をしながらその日の出来事等を思い出し、明日はどういう段取りで相談案件等を処理しようかなど考えながら、くつろいだ時間を過ごしております。
 最近は、晩酌といえばビールに始まり、日本酒で締めます。
 私が20代の頃は、日本酒といえば、熱燗で飲むことが多く、日本酒独特の臭いなどから、あまりおいしい飲み物だとは思っておりませんでした。それが、なぜ日本酒を好んでたしなむようになったかといえば、法務局職員として、高知局と佐賀局に勤務したことが大きく影響しているようです。
 高知県はいわずとしれた日本酒天国であり、日頃から県民の皆様が日本酒をたしなむ土壌が醸成されているようです。それを肌で感じたのは、4月に高知県香南市で開催される「どろめ祭り」というイベントでした。そこでは、会場に集まった参加者が、地引網で採れたドロメ(マイワシ・ウルメなどの稚魚)を肴に、日本酒を酌み交わすのですが、メインイベントの「大杯飲み干し大会」というイベントは、男性は、日本酒一升(1.8リットル)、女性は、日本酒五合(0.9リットル)の入った大杯を飲み干し、その「飲み干す時間」と「飲みっぷり」の総合得点で争うという豪快なものでした。優勝者の平均時間が、男性12.5秒、女性10.8秒ということですから、最初そのイベントを見たときは、参加者の飲みっぷりに圧倒されました(なお、参加者が体調を崩した場合に備え、イベント会場の裏に医師が控えていたことも衝撃でした。)。
 また、高知市内にある「ひろめ市場」は、大きな屋根で覆われた施設の中に屋台が約60店舗あり、それぞれの屋台で購入したものを、館内に設置された共有のテーブルで自由に飲食できるようになっております。共有のテーブル席では、地元の利用客と観光客が相席となり、自然と会話が始まるなど、なごやかな雰囲気で飲食することができます。この「ひろめ市場」で、鰹のたたき、ウツボのから揚げ、焼きギョーザなど、地元の食材を食べながら飲む日本酒は、格別でした。日本酒を冷やで飲み始め、日本酒がおいしいと感じたのもこの頃からです。
 また、高知県の日本酒(美丈夫、桂月、酔鯨、司牡丹など)は、辛口(日本酒度が+のもの)が多く、カツオを始めとする魚介類との相性が抜群にいいということもあり、日本酒が自然と進みました。
 高知県のお酒の飲み方のルールの一つとして、「返杯」というものがあります。
 それは、相手にお酒を注いだら、注がれた人は、それを一気に飲んで、それから飲み干したおちょこを、お酌してくれた人やその会話の中にいる他の人に返して、お酌をし、渡された人は、それを一気に飲んで、他の人にお酌していくというもので、これを繰り返すことにより、一気に酔いが回るということもしばしばでした。
 その後、佐賀局に勤務することとなりましたが、佐賀県も高知県におとらず日本酒どころでした。
 恥ずかしいことに、私は、佐賀局に勤務するまで、日本酒に、純米酒、特別純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒、本醸造酒、特別本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒があり、使用原料、精米歩合(玄米を削って残った割合)などの違いによって区別されていることを知りませんでした。

 醸造アルコールあり 醸造アルコールなし
精米歩合指定なし        純米酒  
 精米歩合70%以下 本醸造酒   
 精米歩合60%以下又は特別な製造方法 特別本醸造酒 特別純米酒
 精米歩合60%以下  吟醸づくり 吟醸酒 純米吟醸酒
 精米歩合50%以下  吟醸づくり 大吟醸酒 純米大吟醸酒

 簡単に説明すると、上記の区別は、大きく「純米酒」、「本醸造酒」、「吟醸酒」のカテゴリーに分けられ、「純米酒」は、酒米、米麹及び水のみで醸し、自然につくられたアルコールで仕上げたものを指しており、米本来の味わいや風味が楽しめます。
 一方、「本醸造酒」は、精米歩合70%以下の酒米、米麹、水に、醸造アルコールを添加したものです。醸造アルコールを添加することでネガティブなイメージを持つ方もいるかもしれませんが、醸造アルコールは、主にサトウキビを原料とする天然のアルコールであり、無味無臭のため、酒本来の風味を邪魔することはなく、むしろ雑味を抑え、すっきりと爽やかな飲み味になる特徴があります。
 そして、「吟醸酒」は、水と米、米麹、醸造アルコールを原料とし、精米歩合が60%以下のものを指しています。
 日本酒のラベルや箱を見ると、特定名称、使用原料、精米歩合、製造者、製造場所在地等が記載されており、日本酒購入を考える上で参考になると思います。
 ところで、私がこのような日本酒の区別を知るようになったきっかけは、次のようなことからです。
 佐賀県内には、27の酒蔵があり、それぞれの酒蔵がおいしい日本酒をつくろうと競っておりますが、特徴的なところとして挙げられるのは、佐賀県産の原料と水を使った日本酒(純米酒)と焼酎(本格焼酎)を対象に、毎年春と秋の2回、「The SAGA 認定酒」の認定が行われ、各酒蔵が、「The SAGA 認定酒」の認定を目指して切磋琢磨しているところです。
 私も、「The SAGA 認定酒」に認定された日本酒を飲んでみましたが、どの日本酒も私がこれまでに味わったことがない香りとうまみがあったことから、さらに、もっと日本酒のことを知るために、日本酒のラベルに書いてある、特定名称、使用原料、精米歩合等を見るようになった結果、純米酒、特別吟醸酒、純米大吟醸酒等の区別があることを知るようになったわけです。
 また、佐賀県では、「最初の乾杯を日本酒で行おう」という「佐賀県日本酒で乾杯を推進する条例」が定められております。この条例は、酒席での最初の乾杯を佐賀県産の日本酒で乾杯することを推進するというもので、ますます日本酒と触れ合う機会が増えました。
 なお、佐賀県産の日本酒でおいしいと感じて飲んでいたのは、鍋島、七田、天吹、東一、能古見、前、基峰鶴、万齢などです。
 私は、現在長崎県諌早市に住んでいますが、よこやま、飛鸞、六十餘洲、杵の川など、長崎県産のおいしい日本酒もたしなんでいます。
 ここで、日本酒の原料、製造過程について、若干触れておきます。
 日本酒を製造する上で欠かせないのが、日本酒の原料として使われる米であり、「酒造好適米」と呼びます。代表的な酒造好適米としては、山田錦、五百万石、雄町などがあります。山田錦は、時に“酒米の王様“と呼ばれることもある、酒造好適米の代表格であり、粒が大きく、約8割を心白が占めるため、雑味が出にくいことで知られています。五百万石は、新潟県で生まれた、比較的早い時期に収穫できる早生品種であり、米質が硬めで溶けにくいことから、辛口でキレのある酒をつくりやすいのが特徴です。雄町は、江戸時代に生まれた古い品種で、酒造好適米の過半数が雄町の遺伝子を受け継いでいるといわれており、豊潤な風味を備え、現代でも人気の高い品種とされています。
 ところで、ビール、ワインなど、日本酒以外の酒は、原料に含まれる糖を微生物が分解することにより、アルコールを生成しますが、日本酒の主原料である酒造好適米には、糖質がなく、そのままでは発酵させることができないため、米麹を加えることにより、米のでんぷん質を糖に変え、さらに、その糖に酵母、乳酸菌を加えて、アルコール発酵させているわけです。
 日本酒の製造過程をみてみますと、精米・洗米・浸漬→蒸米→放冷→製麹→酒母、醪づくり→上槽・濾過・火入れ→瓶詰め・出荷といった工程をとるのが一般的です。
1度目の火入れを終えた酒は、一定期間貯蔵し、熟成させ、瓶詰めと同時に通常2度目の火入れが行われます。
 日本酒のラベルに、「生」、「生酒」等書かれているものがありますが、これは、日本酒を搾った後に「火入れ」という加熱処理を行う回数の違いによる名称です。
 1度も火入れせず、生の状態で出荷されるものは、「生酒」、搾った直後と出荷直前の2回火入れするものは、「火入れ酒」と呼び、常温で置かれている多くの日本酒は、2回火入れしています。そのほか、火入れのタイミングが生酒、火入れ酒と異なるものとして、「生貯蔵酒」、「生詰め酒」があります。
 このように、日本酒は、調べれば調べるほど、奥が深く、どんどん深みに入っていきます。
 最近では、日本酒好きが高じて、酒蔵めぐりを体験するようにもなりました。
 今年3月下旬には、佐賀県の鹿島市にある酒蔵6蔵をめぐる「鹿島酒蔵ツーリズム」に行ってきましたが、鍋島で有名な富久千代酒造を始め、それぞれの酒蔵をめぐり、つまみをつまみながら、日本酒を試飲し、「鹿島酒蔵ツーリズム」限定の日本酒を購入するなど、存分にツーリズムを堪能しました。
 日本国内において、日本酒離れが深刻だと言われて久しくなりますが、皆様も1度日本酒を飲んでみて、自分好みの日本酒を見つけませんか。自分の好きな料理と相性のいい日本酒を探すことから始められてもよいかもしれません。
 以上、思いつくまま書いてまいりましたが、私の随想が、皆様方の日本酒の新たな魅力の発見につながれば望外の喜びです。
(長崎・諫早公証役場公証人 森 一朋)

親しまれる公証役場を目指して(羽田野和孝)

 令和5年7月1日に津地方法務局所属の公証人に任命され、松阪公証人合同役場に着任して早1年以上が過ぎました。この間、「あっという間の1年」という思いもありますが、「何とか1年を乗り越えられた。」というのが本音のところです。
 着任に当たって、先輩方から貴重な資料やアドバイスを頂戴し、公証役場に訪問した際にもお忙しいなか快く受けて頂き、丁寧にご指導いただきました。それでも、いざ一人で仕事を進めていくと不安な事ばかり、文例集や先輩方が作成された公正証書の記録を参考にしながら、本当にこの重責を全うすることができるだろうか、不安や悩みが続く毎日でした。
 昨年一年間、先輩方にご指導いただいた相談事案が、記録に残してあるだけでも90件を超え、先輩方に支えられた1年でした。
 また、毎日の生活も公証役場とアパートを往復する日々、気分転換を図ることがなかなか難しいところ、最近は、少しずつではありますが松阪市内を散策し、歴史や文化に触れる時間を設けています。
 1年の経験しかない私が、会友の皆様にお伝えできる情報や実績がありません。そこで、せっかくの機会ですので、私が勤務する公証役場のある松阪市を紹介させていただきながら、1年間を振り返って感じたことをご報告させていただきたいと思います。
 松阪市(「まつさか市」と言います。「まつざか市」ではありません。)は、三重県のほぼ中央に位置し、東は伊勢湾、西は台高山脈と高見山地といった山々、北には雲出川、南には櫛田川といった清流が流れ、自然に恵まれた都市です。そのすばらしい自然を背景に産業の発展や歴史・文化が育まれてきました。
 松阪と言えば、ご存じとのとおり全国的に有名な“松阪牛(まつさかうし)”です。
 松阪牛の美味しさの秘密は、「香り(甘くて上品な香り)」、「脂肪(ヘルシーで良質な脂肪)と「食感(すぐに溶けるまろやかさ)」にあると言われ、松阪市のふるさと納税のサイトをのぞけば、お礼として様々な部位の品を探すことができます。一方で、地元の人にとってはサーロインやカルビはなく、庶民的な価格から身近な存在なのが「ホルモン」です。肪酸が豊富で、サラリとしていて特有の甘味が特徴です。ちなみに公証役場の隣にはホルモンで有名なお店の本店があり、お昼時や、夕方に役場の窓を開けるとお店からの臭いが役場内に充満し大変なことになります。
 また、市内の商店街では「松阪もめんで街歩き」と記載された看板やのぼり旗を目にします。「松阪もめん」とは、天然藍の先染め糸を使い、「松坂嶋(まつさかじま)」と呼ばれる縞模様が特徴の松阪地域で生産される綿織物です。「松阪もめん」は、江戸時代、倹約令によって華美な着物を堂々と着られなくなっていたところ、天然の藍で染めた地にバリエーション豊かなシマ柄(ストライプ柄)がイナセな江戸っ子に受けたと言われ、市内には、昔ながらの機織り体験ができる施設もあります。
 そして、松阪市内にある松坂公園は、全国歴史公園100選の一つに選ばれ、もともとは、1588年青年武将・蒲生氏郷が築いた城郭で、約60年後、大風により天守閣その他が倒壊大破し、現在はその姿を見ることはできません、戦後を残す石垣からは、松阪市内を一望することができます。
 ちなみに、蒲生氏郷は、町づくりの達人でもあったとも言われ、松坂に城下町を開いた際に、城下全般に幅約1m、延長各数百mの自然流下の下水溝「瀬割し下水」を縦横に作り、四百年来、公共下水道のできた現代でも雨水とほこりをきれいに流しています。
 その他にも、道をのこぎりの歯のようにぎざぎざにして、見通しをわるくし、敵から攻められにくくする「のこぎり横丁」を見たときには、和紙公図当時は公図の管理も苦労したであろうと思いながら、各土地の杭を一つ一つ確認して歩いていました。
 このように1年が経過し、休日に街を散策するなど、仕事や生活に少しずつではありますが気を休める時間を作ることができてきましたが、任命当時の私は不安な気持ちから、相談の際には難しい表情をしていたと思います。その表情から「この公証人は本当に分かってくれているのだろうか」、「大丈夫だろうか、他の公証人にお願いしようか」と感じた相談者は少なくなかったと思います。それではやはり相談や作成件数も増えません。
 公証役場というところは、普段の生活との関りや結びつきが薄いことから、ご指導いただいた先輩方からも、公証役場の宣伝、情報発信が難しい一方で、利用されたお客様が直接伝える印象は信頼性が高く、利用された方が同じ世代や同じ悩みを持つ人に「公証役場を紹介してみよう」と言われる役場を目指して、できることから自分なりに工夫して実践するようにとアドバイスをいただいてきました。そこで、経験や実績がない私でもできることは何かと考えて、小さなことですが一つ一つ始めてみました。

 その一つが、とにかく名刺を配る。遺言書の作成で施設や病院等を訪れた際には、施設の関係者にも名刺やリーフレットを配布し、公証役場の利用をお願いしてきました。最近では講演会や相談会の依頼もありますので、少しずつ効果が出てきました。ちなみに私の名刺には「QRコード」が印刷してありますが、この「QRコード」を読み取ることでリンク先である役場のメールアドレスが表示されます。アドレス入力が省略できスマホ利用者にはとても好評です。
 もう一つが本年1月から実施しています月1回の「休日無料相談会」です。実施に当たっては、管轄内の3市7町の協力をいただき、毎月の広報に「休日無料相談会の案内」を掲載していただいており、広報を見ての相談も増えてきましたが、何よりも費用をかけることなく、広報の活用により市町民の方々に公証役場を知っていただくことができて、費用対効果の高い取組であると言えます。
 その他にも、些細なことですが土地の地名を正しく読むこと。嘱託人の住所のほか、遺言書では財産として「不動産の表示」を記載しますが、地元の者であれば当たり前である読み方を「当たり前のように読む」、これでも反応は随分と違いました。松阪市内には「駅部田町(まえのへた)」、「白粉町(おしろいまち)」といった、昔の法務局であれば書庫の入り口に「難読よみ一覧」が掲示してあるような地名がいくつもあります。そういった地名を正確に読み上げること、街を散策して拾ってきた情報を活用することも、この土地の公証人であるといった印象を持っていただくことの一つと思います。その他にも、これも先輩方のアドバイスですが、公証役場の環境を整えること、書記の意見を聞きながら、机や待合椅子、パンフレットスタンド等の備品を更新し、消耗品も整備して心地よい空間(役場)を作るように心がけています。公証役場には松阪市以外にも尾鷲、熊野といった遠方からも相談に見えますが、今後は各地域にも足を運び、歴史や文化、暮らす人にも触れていきながら、地元に必要とされ、信頼される公証役場となれるよう日々、努力していきたいと思います。
(津・松阪公証役場公証人 羽田野和孝)

公証人生活を振り返って(竹村 政男)

 平成27年6月に公証人に任命され,長野県佐久市で業務を始めて9年1月の間公証人として業務を行ってきましたが、本年7月1日付けをもって退任辞令をいただき約3ヶ月が過ぎました。
 その間、自宅のリフォームや私自身の入院・手術があり、何かと慌ただしい日々を過ごしていましたが、今後は「無職」生活が満喫できるのではないかと考えています。
 この度,公証人を退任するに当たり,何か記事を投稿してほしいとの依頼を受けましたが,前号(№62号)で鳥取の山本先生、三条の小田切先生も同様の趣旨での投稿があったため、いかがなものかとの思いはあるものの現役の公証人の方々には参考とならなくとも,せめて,公証人生活が始まって間もない方々に参考となる内容となればとの思いから,かすかな記憶をたどりたいと思います。

1 開業当初の時期
 前任者の仕事ぶりを事前研修という形で見ていたものの,いざ本番となると想像していたものと異なり,なかなか仕事がはかどらず,四苦八苦の日々が続いた。
 あちこちの先輩公証人の方に,様々な助言を仰いだことは当然のことだった。
 そのような状況のなか,まだ1か月も経たない時期,夕方の5時間際に一本の電話が架かり,肝心な用件の話は全くなく,かなり失礼な内容の話となり,「どうせドサ回りをしてきたんだろう」あるいは「どうせ仕事も分からないだろうから,せめて司法書士か行政書士を雇って業務をしろ」などと訳の分からない内容の話である。
 業務時間が過ぎている旨を伝えると,あっさりと「失礼しました」と話が終わった。
 同様の電話が2~3本架かってきたが,その後は全くない。ひょっとすると新任公証人に対し冷やかしの意図をもって電話をしている人たちかもしれない。
 また,公証人に任命された年の年末に,成年被後見人の方の遺言依頼があり,2名の医師の方と施設に出張したことがあった。成年被後見人の方の遺言は9年間で1件のみであった。

2 数年経過した時期
 法務局勤務時において,特に最後の10年間程度は,赴任地での勤務が2年から3年間で,次の勤務地への引っ越しの繰り返しであったためか,公証人としての執務期間が3年から4年目頃になると,一カ所でずっと仕事をしていることによる一種の倦怠感が生じてきた。
 緊張感を持って業務に当たらなくてはならないのは当然のことではあるものの,一カ所に留まって仕事と生活をすることができる幸せに感謝しなければならないにもかかわらず,贅沢な感情である
 また,今後数年間を公証人として仕事をすることが,とてつもなく永い期間に感じられたものだった。
 ようやく落ち着いて仕事をすることができるようになってきた時期に,突然コロナの脅威が襲ってきた。
 特にお年寄りが出歩くことを控えたせいか,当事務所の受託件数も激減し,手数料収入が他の月の半分程度となってしまい,事務所を維持するための経費が捻出できず,公証人の蓄えで穴埋めをする状況であった。
 このような状況が数ヶ月継続するようであれば,とても事務所を維持できないのではないかと考えたが,何とか持ちこたえることができた。
 さらにこの時期には法改正・制度改正が相次ぎ,債権法関係・相続法関係と,公証事務に密接な関係を持つ法律が施行されたため,しょぼしょぼした目で改正法を理解するよう努めた記憶がある。

3 終盤の数年間
 コロナ禍の最中に,送別会もできない中,先輩公証人が次々と退任され,いつの間にか公証人としてはベテランと言われるようになってきてしまった。
 ようやく,残りの期間を指折り数えることができるような時期となると,月日の過ぎるのが早くなり,どことなく寂しさを感じるようになってきた。
 特に,あと一年となった時期以降は日々の過ぎるのが早く感じた。
 一言で9年間と言っても,その間には,面談する前に嘱託人が死亡してしまった案件,証書交付当日に死亡連絡が入った案件,面談した際,意思能力が不十分であると判断せざるを得ない案件等があった。また,個人的には体重と処方される薬の種類が増え,手術も2回経験した。
 現役の公証人又は公証人退任後間もなくお亡くなりになる方もおり,とにかく心身の健康が一番大事だと感じている。
 公証事務の電子化あるいは今後の法改正等により,対応が大変だと思うが皆様のご活躍を一民間人として応援しています。
   (長野・佐久公証役場元公証人 竹村政男)

実務の広場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.103 死亡保険金請求権(死亡保険金)を信託財産とする遺言信託について(大谷勝好)

1 はじめに
v高崎公証人合同役場に勤務し3年目となります。当役場では、遺言信託は、極めて少ない状況ですが、今般、あまり例のない事案の嘱託がありました。嘱託は、遺言、任意後見契約、死後事務委任契約の依頼です。遺言の内容は、第三者に全ての財産を遺贈するとともに、遺言者が加入する生命保険の死亡保険金受取人を、遺言執行者に変更し、死亡保険金請求権及びその保険金を遺言により、遺言執行者を受託者として信託するものです。参考になればと思いご紹介します。
2 事案の概要
 本件は、遺言者の信頼している人物Aが遺言執行者及び任意後見契約・死後事務委任契約の受任者となっている。
(1)遺言の内容
① 遺言者は、一人息子の長男が死亡し、長男の婚約者であったBに世話になっているので、財産を換価・換金し、葬儀費用、債務、執行に必要な費用等(以下「各種費用」という。)を控除した残金を、Bに遺贈する。
➁ 遺言者が加入している死亡保険金請求権及びその保険金を遺言により信託(受託者はA)し、その信託財産(保険金)を各種費用に充当し、その残金をB(受益者)に給付することを目的とする遺言信託を設定する。
(2) 背景事情
① 実情として、遺言者の上記(1)①の財産だけでは、各種費用の支払いが不足するおそれがある。
➁ 遺言者が加入している生命保険の死亡時保険金受取人は、死亡した長男となっているため、死亡した長男の相続人(詳細は不明)が保険金の受取人となるが、遺言者は、長男の相続人には保険金を受領させたくない。
③ このような場合、遺言で保険金の受取人をBに変更することで足りると考えられるが、その場合、死亡保険金はBに直接支払われるため、遺言執行者のコントロール外となってしまい、各種費用が不足した場合に、保険金を各種費用に充当できない。
④ そこで、遺言信託により、死亡保険金請求権及び死亡保険金を信託財産とし、受託者をAとすることにより、Aが保険金を受領し、その信託財産(保険金)を各種費用に充当し、その残金をB(受益者)に給付することを目的とする遺言信託の嘱託となった。

3 検討
 死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることはできるかについて、検討しました。
 信託の対象となる財産については、信託法上の制限はないので(年金受給権などの一身専属権は譲渡できないなど、法令上等の理由により譲渡が禁止されている場合を除く。)、死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることは可能と考えられます。
 また、信託会社においては、「生命保険信託」という商品が取り扱われています。これは、生命保険契約者が、信託銀行等と信託契約を締結し、保険金請求権を信託し、契約者死亡後、信託銀行等が保険金を請求し、受益者に決められた方法により、金銭を交付する仕組みとなっている旨がホームページ等に公開されています。
 また、東京国税局のホームページの文書回答例「保険契約者が死亡保険金請求権を信託財産とする生命保険信託契約を締結した場合の生命保険料控除の適用について」には、次のような仕組みが掲載されています。
①  保険契約者と保険会社と間で生命保険契約を締結
② 保険契約者は、形式上、保険金受取人を自己に変更する意思表示を保険会社に対して行った上、信託銀行との間で本件信託契約を締結する(当該意思表示は、信託における信託財産は委託者(保険契約者)が処分できる財産であるという信託財産としての適格性を満たすため)。
③ 本件信託契約の締結後、委託者(保険契約者)から保険会社に対し直ちに保険金受取人を信託銀行に変更する意思表示を行う。
④ 被保険者の死亡による保険金支払事由が発生した場合、保険会社から死亡保険金請求権を有する信託銀行に対し死亡保険金が支払われ、以後、当該保険金が信託財産となる。
 以上から、自己の有する死亡保険金請求権(保険金)を受託者(受取人)に移転することは可能であり、また、信託会社の「生命保険信託」においても、死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託契約(自己の有する請求権を受託者に移転する信託行為)が一般的に利用されていることからも、死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることはできると考えました。

4 対応
 以上の検討の結果、死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託を遺言によって設定することは可能と考えました。なお、遺言公正証書は下記の事項を記載して作成しました。
① 全財産(信託財産を除く。)を、清算型でBに遺贈する。
➁ 死亡保険金の受取人を「A」へ変更(指定)する。
③ 死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託の設定
④ 遺言執行者を弁護士法人に指定
 この原稿を書きながら改めて考えると、②の手続は、正に死亡保険金請求権等の財産権を委託者から受託者に移転する信託行為と考えられます。そうであるならば、②と③は記載順を入れ替えたほうが理論的に適っていると考えられます。なお、遺言執行者による保険給付請求権限の有無については否定的な見解がある(日本公証人連合会「証書の作成と文例」遺言編三訂版148ページ)ことにも留意を要すると考えます。

5 おわりに
 上記のとおり検討し作成しましたが、検討すべき事項、記載事項が十分であったかは、心もとない部分があります。皆様からのご指導等をいただけたら幸いです。
 公証役場には、高齢化社会を反映し、様々な遺言、任意後見契約、死後事務委任契約等の嘱託がされています。今後も、多様なニーズに対応できるよう適正な公正事務に努めていきたいと考えています。
(前橋・高崎公証人合同役場公証人 大谷勝好)

民事法情報研究会だよりNo.62(令和6年7月)

向暑の候、会員の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 去る6月15日(土)に、定時会員総会、セミナー及び懇親会を開催いたしました。ご参加いただきました会員の皆様、誠にありがとうございました。
 今年の梅雨は、全国的に例年より1週間から10日程度遅れたものの、梅雨明けの時期は例年並みになるようで、降るときはザッと降り、晴れると危険な暑さが隣り合わせとなるようなメリハリ型と予想されています。梅雨入り前にも、線状降水帯による集中豪雨がありましたし、最近の天候は、我々の予想を超えて異常な状態が続いていますので、体調には十分ご留意願います。(YF)

今日この頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

行政書士登録6年目(由良卓郎)

第1 はじめに
 私は、平成30年8月1日付けをもって、福山公証役場公証人を退任しました。
 福山の公証人を拝命した縁から今も福山で暮らしています。
 公証人退任を前に、公証人退任後どう暮らしていくかを考えた末、公証人の経験が活かせるとの思いで家事調停委員の申込みをし、同年10月から4年間、広島家庭裁判所福山支部で家事調停委員をさせていただきました。
 公証人は、主に当事者間で合意したことを公正証書にしますが、調停は、当事者間で合意できなかった事案について当事者双方から個別に事情を聴きながら合意を目指す作業をします。したがって、公証人としてはあまり接することのなかった、合意できない多様な事情に接することになります。つらくも貴重な経験をさせていただきました。
 調停委員任命当初は担当事件が少なかったこともあり、行政書士登録をすることにしました。事務所を探して回り、裁判所の前に以前司法書士事務所だった貸事務所を借りることができました。
 行政書士登録申請前に事務所を確保する必要があったことも影響し、行政書士登録は平成31年1月15日となりました。改めて事務所を借りた上、照明・空調設備の整備、机・キャビネット等備品の整備、各種図書の整備等を要したため、当初想定した以上の費用がかかってしまいました。
 さて、皆様も行政書士がどういう仕事をするかは、ご経験はなくても大体はご存知のことと思います。行政書士の仕事は、多種多様で幅が広く、おもしろいという表現が適切かどうか分かりませんが、飽きない仕事だと思います。
 開業当初、「先生は何をやるんですか」との質問を受けることが多かったように思います。私は当初その意味が分からなかったのですが、行政書士の仕事は、幅が広く法改正や制度改正に注意を払う必要があることなどから、建設業専門にやるとか入管業務専門にやるなど、次第に専門化していく人が多いようです。
 さて、これら幅広い仕事についての研鑽の機会ですが、広島県行政書士会では、主な業務ごとに協議会があり、定期的に研修が実施されています。
 私は、既に退会したものも含めると、国際業務協議会、成年後見・民事信託協議会、建設業協議会、相続実務協議会に加入しています(又は、いました)。
 各協議会とも年会費がありますし、研修も広島市内で開催されることが多いので、多くの協議会に加入し、その全ての研修を受けることは、時間的にも経済的にも負担になりますから、ある程度方向性を決めていかざるを得ません。
 以下において、私の所属した協議会や近況などについて少しお話したいと思います。時間のある方はお付き合い下さい。

第2 国際業務協議会
 行政書士は、中・長期在留外国人に代わって、地方出入国在留管理局(以下「入管」と称します)に我が国での在留に関する申請手続、いわゆる申請取次業務を行うことができます。しかし、そのためには、所定の研修を受け、研修の効果測定を受け、その結果所定の効果が認められて、管轄の入管局長名でピンク色の「届出済証明書」(通称ピンクカード。身分証明書のようなもの)を交付してもらう必要があります。
 これは、外国人の在留資格の取得や変更など、入管への申請手続を取り次ぐことのできる資格証になります。申請取次行政書士として入管に書類を提出するときは必ずこのカードを見せなければなりません。
 私もピンクカードを持っていますが、ピンクカードの交付を受ければ、その日から先輩方と同じように実務ができるわけではありません。それで、国際業務協議会に入会し、入管制度や入管への申請手続についてのノウハウなどを教えていただいたり、交友関係を広げたりして研鑽を積みます。
 私は、これまで、在留資格認定証明書交付申請や在留資格変更許可申請など、一通りの入管申請手続を経験することができました。

 登録支援機関(TSF)の設立

 技能実習制度の見直しが検討されていることはご存知のとおりですが、その流れの中で、特定技能制度が新設され、平成31年4月に施行されました。在留資格「特定技能」は1号と2号があります(介護は1号のみ)が、最初に取得するのが特定技能1号です。1号特定技能外国人は、所属機関(雇用主)又は登録支援機関の支援が必要です。支援をする担当者や責任者になるには、所定の期間就労外国人の受入れ・管理実績や相談業務従事実績などを有することが必要とされています。
 行政書士登録(開業)後早々に受けた研修が国際業務の研修であったこともあり、この研修を受講していた某行政書士から国際業務を勧められました。私も、たった今受けた研修で国際業務は十分に需要があると聞いたこともあって、勧められるままに国際業務をやってみることにしました。それで、大阪まで行って申請取次の研修を受け、申請取次行政書士の資格を取りました。その後、同じ行政書士の誘いもあり、申請取次行政書士有志で、1号特定技能外国人を支援する登録支援機関を設立することになり、令和元年5月に「一般社団法人特定技能サポートセンター福山」(略称「TSF」)を設立しました。
 そして、数年を経て、私も支援担当者、支援責任者になることができ、3つの特定産業分野の業務に従事する3か国の1号特定技能外国人の支援を受け持っています。
 なお、TSFが支援する外国人及び企業の数は少しずつですが増えており、現在4つの特定産業分野の業務に従事する4か国の1号特定技能外国人を支援しています。

第3 建設業協議会
 建設業者が一定程度以上の規模の建設業を請け負うには、都道府県知事又は国土交通大臣の許可を得る必要があります。許可を得た建設業者は、毎決算期後所定の期間内に定期の届出(決算変更届)が必要ですし、5年ごとに更新も必要です。
 行政書士は、こういった許可申請手続や定期届出手続などを業務として行いますが、建設業の種類や、建設業の許可に必要な資格を有する者が会社にいるかどうかなどによって、許可申請に必要な書類が異なってきます。
 したがって、建設業についても、行政書士登録をすれば直ちに実務ができるわけではなく、協議会に入会し、研修を受講するなどして研鑽を積んだり、人間関係を広げたりします。
 私も、これまで、複数の会社から許可申請、更新申請、定期届などの依頼を受けています。

第4 成年後見・民事信託協議会
 行政書士も、任意後見契約の作成支援や、民事信託(家族信託)契約の組成支援などを行っていますが、成年後見人を引き受ける人もいます。
 この協議会では、任意後見契約を含む成年後見制度や民事信託契約などについて、会員のほか、学者、公証人、民事信託に詳しい他の専門士業などに講師をお願いするなどして研修を実施しています。私も何度か講師を引き受けたことがあります。
 成年後見制度に取り組む行政書士の団体として、公益社団法人コスモス成年後見サポートセンターがあります。日本行政書士会連合会により設立された法人で、高齢者、障がい者の財産管理、身上保護を行ってサポートしています。
 コスモス成年後見サポートセンターに入会するためには、入会前に、数日間にわたり専門研修を受け、効果測定を受けます。効果測定で所定の効果が認められれば、入会前研修の修了証を交付してくれます。そして成年後見人を受任する人は、通常コスモス成年後見サポートセンターに入会します。任意後見契約書もコスモス成年後見サポートセンターの文案があるようです。
 私は、成年後見人の業務を知りたいと思い、入会前研修を受け、修了証をいただきましたが、実際に成年後見人をお受けするのには、少々年齢を重ねすぎていると思い、コスモス成年後見サポートセンターには入会していません。

第5 相続実務協議会
 相続手続未了のため登記簿上現在の所有者が分からないという所有者不明土地の増加により、災害復旧工事や防災工事に支障を来していることなどから、相続法改正のほか、自筆証書遺言の法務局保管制度、相続登記の義務化、相続土地の国庫帰属制度等々、新たな制度が矢継ぎ早に導入されてきたところですが、相続実務協議会では、遺言や遺産分割だけでなく、こういった新たな制度についても研修を行っています。
 私は、当初この協議会には加入していなかったのですが、お誘いを受けて加入し、更には代表を頼まれ、現在代表二期目になります。相続実務協議会に加入後日も浅いことから、いまだに役員の皆さまに助けていただいています。
 当然ですが、私も講師となり、改正相続法、相続・遺言制度、相談の受け方等々、いろいろな資料を漁りながら公証人とは異なる立場も含めて研修資料を作成しています。
 研修資料作成の際は、原典を確認するために図書館に行ったり、図書を購入したり、発行元に確認したりします。定期刊行物は発行元に確認しても入手できないことがあるため、最終手段として公証役場や法務局支局にお願いして確認することもあります。
 研修資料の作成を通して勉強することも多く、研修講師をお受けする一番の成果は私自身の研鑽にあるように思います。
 士業に身を置き、いくつかの公証人にお会いした経験や、講師たる私の説明に対する受講者の反応などから、同じ公正証書を作成する場合でも公証人によって違いがあることを知ることもあります。その違いは当然理由があってのことと思いますので、私だけの経験で説明しないよう配慮し、固定的な説明は避け、幅のある説明をしなければならないと思っています。

つなぐテラスひろしま(TTH)の設立
 相続の相談を受けていて思うことは、老後や病気・認知症などに備えて、しかるべき準備をしていなかったために、相続手続などで大変な思いをする人が一定数存在するということです。
 例えば、親や兄弟が亡くなったという方からの相続の相談では、共同相続人の中に、認知症の人がいたりします。
 被相続人が遺言をしていれば相続手続ができたのに、遺言がないために遺産分割協議が必要になったり、遺産分割協議のために成年後見人の選任が必要になったりします。しかし、今の制度では、成年後見人は一度選任されると、認知症が改善するか本人が死亡するまで外れず、後見人の報酬も発生し続けます。資産のある人にとっては大きな問題ではないかも知れませんが、資産のない人や、資産があっても、その資産を頼りに暮らしている家族がいる場合は、結構大きな問題だろうと思います。
 このようなことから、少しでも多くの人に「老後に備えてどんなことをしておけばよいか」、「何らかの準備をしておかなければならない状況にあるのではないか」、といったことを知っていただきたいと常々思っていました。
 しかし、福山市民としての経験も、行政書士としての経験も浅い者の頑張りには限界があります。それで、趣旨に賛同してくれる行政書士数名と令和4年に「一般社団法人つなぐテラスひろしま」(略称「TTH」)を立ち上げることになったのです。
 TTHは、こういった老後の備えについての周知活動とともに、遺言書作成支援、遺言執行、任意後見契約等の作成支援、任意後見人の受任などを通して地域の社会福祉の向上に資することを主な目的としています。
 岡山には、同趣旨で設立された「一般社団法人晴ればれ岡山サポートテラス」(以下「サポートテラス」という)がありますが、サポートテラス様との交流会を通しての研鑽も積んでいます。
 現在、手弁当で広報活動をしています。皆が個人事業主としての行政書士業務を行いながらの活動ということもあって、思うような成果は上がっていませんが、引き続き周知活動、支援活動に尽力して参りたいと思っています。

第6 終わりに
 自筆証書遺言の法務局保管制度が始まって4年になります。
 私は、行政書士として遺言の相談を受けたとき、公正証書にするか自筆証書にするか、自筆証書の場合は法務局保管制度を利用するか等について、そのメリット・デメリットを説明するなどして、相談者に検討していただきます。
 自筆証書遺言や法務局保管制度は、私の認識に誤りがなければ、積極的には勧めにくいと思っています。もう少し使い勝手がよくなれば、利用者は増えるのではないかと思っています。
 もちろん、公正証書遺言に勝るものはありませんので、相談者には、そのメリットをキチンと説明しています。
 福山は、ばらのまち福山としても有名です。歴史的な経緯は省きますが、100万本のバラを目標にバラの植栽を進めてきたところ2016年に100万本が達成されたとのことです。
 バラの季節になると、駅前だけでなく、バラ公園、緑町公園など随所にバラが咲き誇り、写真を撮る人も多く見かけます。
 その「ばらのまち福山」で、老後の備えの周知活動や外国人の在留支援など、少しでも地域のお役に立てるよう、もうしばらく頑張ってみようかなと、いまも定時出勤しています。
(行政書士由良事務所代表 元広島・福山公証役場公証人 由良卓郎)

5年をふりかえって(山本芳郎)

 早いもので就任して5年が経過しました。覚えることが多く、事務処理に右往左往しながらの毎日だったせいか、法務局時代の5年よりも時の経過が早かったように感じます。さて、生来、これといった趣味もなく、身を助けるような特技も芸もありませんので、思いつくまま、以下のとおり、近況を報告します。

1 はじめに
 当役場はJR鳥取駅から徒歩2分の雑居ビルの5階にあります。鳥取駅は県庁所在地の駅なのに自動改札機のない駅で、毎朝、改札にいる駅員の朝の挨拶を受けて出勤しています。役場事務室からは駅ホームの全容を見下ろすことができ、また、鳥取平野を一望する久松山(263㍍)とその麓にある鳥取城趾を遠望できます。当役場の利用者の多くは鳥取市と近隣の4町(1市4町の住民人口は約22万人)の方です。「鳥取」という地名は、かつて、水鳥を捕らえて朝廷に献上する「鳥取部(ととりべ)」が置かれていたことに由来するといわれています。
 法務局退職を機に郷里に戻り、40年前に自ら住む予定で建築した自宅から約1時間をかけて通勤しています。毎日定刻に起床し、お袋(93歳)の弁当を手に持って、野鳥の囀りが聞える無人駅からワンマンカーに乗り、帰りは漁り火を眺めながら帰宅し、ほぼ定刻に就寝、という規則正しい日々を送っています。台風や強風、大雨、大雪による警報が発令されるときはJR運休に備えて役場近くのホテルに宿泊(年間十数回)しています。

2 取扱い事件「雑感」
 就任後5年が経過するものの、未だに、付箋やインデックスの付いた文例集を机に広げて、アンダーラインや判読に苦労するメモ書を見ながら嘱託事件に向き合っています。
 当役場の取扱い事件数は都市部の役場とは比べようもありませんが、それなりに頭を悩ます事案も舞い込んできます。対処方針が決まらない事案については、本誌の索引を紐解き「実務の広場」から多くの示唆を得ており、ありがたいことだと感謝しています。
 取り扱う事件の種類は、遺言、離婚、債務承認弁済、任意後見、保証意思、その他の事件と続きます。文字盤を使用して作成したALS罹患者の死因贈与契約、医師立会いの下で作成した統合失調症罹患者の遺言や遺言者死亡で作成できなかった残念な事案も経験しました。事件の進行管理表から、記憶に残っている事案を拾ってみました(呟きなので文体はご容赦ください。)。

 涙してしまった
「・・ちょっとスイマセン」と言って相談室を出て、ハンカチで目元を拭って深呼吸し、再び相談室に戻った。証人二人(法務局出身の先輩OB)が心配そうに私を見ている。事前に何度か通読したボリュームのある付言を読み上げている途中で、亡親父が私に語りかけているような錯覚に陥り、瞼に涙が溢れ活字が読めなくなってしまった。

 (1)見直しを待っています
 「この内容でホントにいいのですか」と、付言の内容を遺言者に再確認した。先の遺言を撤回して改めて遺言する動機を、同居する長男の嫁の行状のせいにする内容の付言であり、再考を求めたが修文の返事はなかった。帯同している娘(新遺言で相続財産が大幅増)の意向を多分に反映したものと推察したが、原案のまま作成した。遺言見直しの再訪を待っている。

 (2)受け取ってしまった
 「息子が喜んでくれました。これはお礼です」と、左手に杖を、右手に小さな菓子折を持ったおばあさん(80歳半ば)がカウンター越しに立っている。過日、先祖代々の田畑を守っている長男に財産全てを相続させる遺言を作成した女性である。山間部にある自宅から交通機関を利用して役場まで約1時間、駅前にある和菓子屋の菓子を持参したとのこと。「お礼」はいつも丁重にお断りしているが、このときばかりはお断りすることをためらい有り難くいただくことにした。杖をついて歩くおばあさんをエレベータホールまで先導し、「お気を付けて」と、見送った。

 (3)兄弟喧嘩に遭遇した
 「喧嘩は外でして」と、思わず声を出してしまった。独身の叔母が帯同した亡兄の子である甥(兄弟)に相続させる財産の配分方法を話している途中で、亡父の遺産で裁判沙汰になっている兄弟がお互い相手を指弾して罵り出したところで発した一言である。遺産争いは、手にした遺産の多寡ではなく、これまでの(親子)兄弟の感情のもつれに端を発していると、聞いてはいたが、生の「争族」事案に接し、遺言の必要性を実感した。

 (4)他人ごとではない「おひとりさま」
 「人は一人では死ねないですよ」と、高齢の相談者からため息まじりの声。任意後見制度、死後事務委任契約について相談者に説明しているところで、相談者が「身寄りがなく、年金暮らしで蓄えのない者はどうすればいいの」と、言った後の一言である。役場を利用する行政書士から「任意後見制度はお金持ちの制度ですよ」と、言われたこともある。頼れる人がいて前記契約の締結に至る事案はよいが、そうでない相談の方が多いような気がする。独身の私はどのような最期を迎えるのであろうか、他人ごとではない。

 (5)遺言合戦ですか
 「遺言を書き直します」と、弱々しい声で意思表示したのは90歳を超える資産家のおばあさん。持参した公正証書をみると、介護等面倒を看てくれる子どものところを転居する度に新たな遺言を作成している。子どもたちが抱える事情はいろいろあるにせよ、年老いた母親をたらい回ししているようで、なんともやるせない気持ちになった。

 (6)いらぬ一言でした
 「ホントに離婚するの」と、思わず若い夫婦に尋ねてしまった。土曜日には予約制で相談や証書作成の嘱託に応じている。この日も土曜日で、書記のいない事務室内を幼い二人の娘が走り回り、父親は乳飲み子を腕に抱きあやしている。相談時にも夫婦で訪れ、仲良く談笑していた。面会交流の内容も詳細に定めてある。離婚原因等何の事情も知らない他人がいらぬことを言ってしまった、と反省した。

 (7)今思えば気恥ずかしい
 婚約解消による慰謝料支払契約証書を作成した30歳代の女性から、お世話になりました、とのお礼のメールをいただいた。相談から始まり何度かメールのやり取りを経て内容を固め契約に至った事案である。お礼のメールに対し、「まだお若い 第2章の始まりです 新しいページにたのしい人生を書き込んでください」と、返信した。今思えば、気恥ずかしい。

 以上、記憶に残る事案のいくつかを記してみました。これまでに経験した事案・処理した事件から学んだノウハウ、反省点、改善点、見直し点を今後にいかしていくことに加えて、相談者や嘱託人の思いに寄り添いつつ、適切な公証事務の遂行に努めたいと考えています。

3 おわりに
 一人役場なので遅刻することも許されず休暇を取得することもかないませんが、嘱託人から報酬をいただきながら、「ありがとう」と、お礼を言っていただける仕事に携わっていることの責任の重さを再認識し、健康に気遣いながら任期を全うしたいと思う今日この頃です。
(鳥取・鳥取合同役場公証人 山本芳郎)

今日この頃(小田切敏夫)

公証人に任命されてから8年余りが過ぎました。薫風漂う中、今年の秋には新たな生活を始めている自分を想像し、心ときめかせながらも、退任を迎えるときまでの事務処理を適正に行えるよう気を引き締め直しているところです。
 そのようなときに本だよりへの原稿依頼を受けましたので、この8年余りの出来事からいくつか私見を含め少しお話しさせていただきます。

1 新型コロナウイルス感染症対策について
 令和2年1月の終わり頃から、新型コロナウイルス感染症の拡大が始まりました。一人公証役場(公証人及び書記が各一人)としては、万が一でも感染すると、公証役場を閉鎖し、業務を一時中断しなければならなくなります。このことにより遺言作成を希望する嘱託人の依頼に公証役場側の事情により応えられなくなります。これまで嘱託人側の事情により、遺言作成を延期し、その間に嘱託人である遺言者がお亡くなりになるという実例を複数回経験していたことから、公証役場を一時閉鎖するという事態は絶対避けなければならないと思いました。
 感染が全国的に拡大する中、日本公証人連合会から、①基本方針、②感染防止の具体策、③感染が判明した時の対応策等が示され、その後、感染防止対策ガイドラインが示されました。当役場では、示されたガイドライン等を参考に①手洗い・うがいの励行、②アルコール消毒液の設置、③マスクの着用、④アクリル板の設置、⑤共用するテーブル・椅子等の消毒、 ⑥都道府県をまたぐ移動の自粛等を実施し、今日に至るまで危惧する事態はどうにか回避できましたが、新型コロナウイルスの感染法上の位置づけが5類感染症に移行された後も、7か月間に全国で約1万6、000人が亡くなっているという新聞報道に接しました。5類への移行に伴い、先のガイドラインは廃止されていますが、引き続き感染症対策に配慮する日々が続きそうです。
 一人公証役場では、ほとんどの役場で業務継続を最優先し、自身及び書記の健康に留意するとともに、年休がありませんので親族の冠婚葬祭の際にも日程調整を行っていると承知しています。この点につき、今後予定されている公証業務のデジタル化により、役場間の連携を図り、将来的には業務継続にも繋がる事務処理体制が構築されることを願っています。

2 公証業務のデジタル化について
 政府の「デジタルによる質の高い公共サービスの提供」という方針の下、公証業務は今までにないスピード感で電子化・デジタル化が進んでいます。令和5年6月には、公証人法が一部改正され、公正証書の「原本」は今までのように紙で作成されたものではなく電磁的記録で作成されたものに替わることになりました。また、嘱託人と公証人との面談もウエブ会議の方法によることが可能とされました。具体的な事務の運用については、今後の省令の制定を待つことになりますが、日本公証人連合会では、関係機関・団体と令和7年9月末までに全国の公証役場で実施可能な状態とするために電子公正証書システム(電子公正証書作成システム及び電子公正証書の保存管理システムの総称)の全体構成とセキュリティについて検討を進めています。私が公証人に任命された平成27年頃は、公証業務に係る「電子化」は、電子私署証書の認証、電子定款の認証、電子確定日付の付与、電子版遺言登録システムによる遺言公正証書の二重保存くらいだったのではないかと記憶しています。当時はまだ全ての公証役場が電磁的処理を行う「指定公証人」に指定されていた訳ではなく(その後、平成30年9月3日から全ての公証役場で電磁的記録に関する事務を取り扱うことになりました。)、公証業務に関する嘱託人又は公証人連合会との連絡は、ファクシミリ及び電話が多かったと記憶しています。現在、嘱託人との連絡は一般のインターネットを通じて行うことが多くなりました。また、公証人連合会からの有益な各種情報の入手や各種帳票等の報告は専用のWebグループウェアで行うことになっています。さらに電子確定日付の付与に関しては、電子確定日付センターが設置(令和2年8月3日)され、遺言公正証書の二重保存に伴う遺言検索を各公証役場で行う(令和5年1月)ことになりました。中でも電子定款の認証ついては、制度の変更が多岐にわたり行われ「実質的支配者となるべき者の申告制度(平成30年11月30日)」、「テレビ電話等による認証手続(平成31年3月29日)」、「定款認証と設立登記の同時申請制度・スーパー・ファストトラック・オプション制度(令和3年2月15日)」、「定款認証手数料の改定(令和4年4月1日)」、「手数料のクレジットカード決済(リンク決済)の導入(令和4年4月1日)」、「定款認証の48時間以内処理(令和6年1月10日東京・福岡で試行的実施)」、「面前確認におけるウエブ会議(テレビ電話)の原則化(令和6年3月1日)」等が実施されています。当然のことですが、これらの変更にあたっては、システムの改修や操作方法の習得が必要になります。昭和の半ば世代としては、これらシステムの改修や操作方法の習得に苦労した思いがありますが、今後はデジタル機器の操作習得が益々重要になってくるものと考えています。
 今後予定されている公証業務のデジタル化により、嘱託人との面談もウエブ会議の方法によることが可能とされていますので、嘱託人の本人確認や嘱託人の真意等の確認をどのように行っていくか悩ましいところです。公証制度は、私的法律生活の安定と私的紛争の予防を図るものといわれています。本人確認や嘱託人の真意等の確認方法等について、これまでの経験と制度改正後の経験を公証人間で十分共有することが求められるものと考えます。各種困難を乗り越え、各役場でデジタル化による業務の効率化を図り、公証制度が安定的に発展していくことを願っています。
(新潟・三条公証役場公証人 小田切敏夫)

近隣公証役場連名での広報活動(山岡徳光)

1 はじめに
 年の瀬も押し迫った令和5年12月某日、隣の新宮公証役場公証人三橋先生から、紀伊民報(本社が田辺市で、主に田辺市を中心として和歌山県南部へ地域情報を発信している地方新聞)に、ゴールデンウィークを中心に「遺言」を題材とした連載記事を掲載してもらえそうであり、田辺公証役場と連名での広報に協力してもらいたいとの連絡を受けました。
 三橋先生は、地元新聞紙・広報誌への掲載、講演会・相談会などの地域に対する広報活動を積極的に行い、本年5月の第75回日本公証人連合会定時総会において、令和5年度の広報活動が特に優秀と認められ、会長表彰を受けるほどの成果を挙げられているところ、紀伊民報は、新宮公証役場の最寄りの地域である串本町への地域情報の発信も行っていることから、三橋先生は、早くから当職と連携して紀伊民報への連載を意図し、紀伊民報本社へ連載の企画を持ち込んだりしていたところ、三橋先生が串本町での講演会を実施するに当たり、紀伊民報の串本支局に取材依頼を行い、その記者との懇談の中で、公証事務は公的事務であり、紙面に空きがあれば話題は掲載できること、記者から本社に連絡して掲載を可能とするよう働きかけるとのことで、とんとん拍子に広報活動が実現しました。
 三橋先生が広く広報活動を行っていたことから、持ち込み企画が早々に実現したものであり、広報活動を拡大するためには、多方面にわたる積極的な行動が必要であることを感じました。

2 記事掲載までの対応について
 掲載が決定してからは、三橋先生が今までに使用した文案をベースとして、それに当職の意見を盛り込んだ原稿案をQ&A方式で7回分作成しました。
 内容は、①公証人の仕事内容、②遺言が必要な理由、③遺言での相続争いの未然防止、④財産が少ないときや身体が元気な場合の遺言書作成と遺言の変更が可能なこと、⑤遺言の種類、⑥遺言書作成時の意思表示の必要性、⑦作成費用で、できる限り一般の人に分かりやすい文言を使用した原稿にして、新宮公証役場と田辺公証役場の連絡先等を連記しています。
 原稿は、三橋先生が既に作成していた文案を使用したこともあり、当職はあまり悩まずに原稿案を作成することができました。
 そして、令和6年4月17日号を初回として、同年5月22日号まで、計7回の掲載をしていただきました。
 また、本年5月11日(土)には、三橋先生は串本町文化センターで、当職は田辺公証役場で休日相談を実施することとしました。相談会場は紀伊民報の読者エリアを考慮して決定したものです。

3 記事掲載後の反応及び今後の予定について
 読者の皆様からは、新聞記事を読んだことを契機とした相談が田辺公証役場に10件程度ありました。その内容は、今後遺言をするための参考としてのものが多かったですが、具体的に作成までに至った案件も数件あり、広報活動の効果はあったものと考えています。
 休日相談に関しては、三橋先生が4組の相談を受け、当職は、休日相談の予約対応をする中で(田辺公証役場の業務状況から)平日の方がゆっくり相談できる旨を話したところ、全員が平日相談になり、休日相談はありませんでした。
 さらに、今回の掲載が終了したため、お盆時期、公証週間、年末年始の掲載希望を紀伊民報の串本支局の記者に伝えたところ、直接、本社の担当者と面談する機会を設けていただき、本年5月末に、三橋先生と当職でお礼を兼ねて本社を訪ね、打合せを行いました。その席上で、「今回の記事では「作成費用」が一般読者には参考になった。」、「今後、ランダムではあるが記事に空きスペースが出たときは掲載を前向きに検討する。」との回答をいただき、本年7月以降の掲載もほぼ確実になり、広報活動の継続が可能となりました。

4 終わりに
 今回は、隣接役場との連名での広報活動を紹介しました。
 一人での広報活動には限界があると思いますが、複数で協力して、各人の経験やノウハウを出し合えば一人一人の労力を少なくして広報活動の幅が広がると感じました。
 また、余談ではありますが、田辺公証役場の独自の広報活動として、田辺市回覧板や田辺市市民便利帳の広告欄に、日本公証人連合会のマスコットキャラクター「ミネルヴァくん」を本部の了解を得た上で使用した広告を掲載して広報活動を行っています。
 回覧板や市民便利帳は長年に渡り使用するものであることから、地道な公証制度の周知・浸透を期待しています。
 また、公証週間に向けて郵便局の待合スペースを活用したポスター掲示やパンフレットの設置をする広告も予定しています。
            (和歌山・田辺公証役場公証人 山岡徳光)

実務の広場

 このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.102 離婚給付等契約公正証書における養育費の支払期間の終期等の記載について(多田 衛)

 離婚給付等契約公正証書は、作成嘱託を受ける公正証書のうち、遺言公正証書に次いで事件数の多い公正証書であり、ほぼ全ての離婚給付等契約公正証書に養育費についての合意の記載をすることになります。その際、養育費の支払いに関する当事者間の合意内容を尊重しつつ、その認識の不一致を防ぐことと、将来、養育費の不払いが生じたときの強制執行に支障がないよう注意して起案しています。
 日々の実務においは、日本公証人連合会発行の「証書の作成と文例」を参照しながら公正証書を起案していますが、養育費に関する条文については、証書の作成と文例の文例1の2において「第2条(養育費)甲は、乙に対し、丙及び丁の養育費として、離婚届出の前後を問わず、平成○○年○○月から丙及び丁がそれぞれ満20歳に達する日の属する月まで、各人について1か月金3万円ずつを、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の預金口座に振り込んで支払う。振込手数料は、甲の負担とする。」との文例があります。また、養育費の支払期間に関し、「終期は、20歳に達する月までが多く、18歳に達する月までというのもある。さらに、22歳あるいは大学卒業時までとの合意がされることもある。」「なお、「大学卒業まで」との定め方では、大学浪人した場合、大学を中途退学した場合、入学後留年した場合などに、養育費の支払いについて疑義が出る危険があるので、証書作成の場合には、大学卒業予定である「22歳に達した日の属する月」あるいは「22歳に達した後の最初の3月」等の明確な終期を記載すべきである。そして、「その時点で在学中のときは、卒業(あるいは、学業終了等)まで養育費を支払う。」などの合意内容を付加することで対処する。」との解説がされています(証書の作成と文例の文例2の解説)。
 ちなみに、支払終期について「大学卒業まで」というような定めをしたいとの相談があった場合は、当事者に対し、上記解説のような疑義が生じるだけでなく、手続面においても、大学入学以降に強制執行をしようとするときに、大学入学という事実を証する書面を提出して事実到来執行文の付与を受け、改めて送達をしなければならなくなることなども説明した上で、適切な支払終期の定めをするよう努める必要があるものと思われます。例えば、「満18歳に達した後の最初の3月まで養育費を支払う。ただし、大学等に進学した場合は大学等を卒業する日の属する月まで養育費を支払う」という2段階の終期の定めをすることにより、明確な終期が記載されている満18歳に達した後の最初の3月までは単純執行文により強制執行をすることができ、大学等入学以降に強制執行をするときは、事実到来執行文により強制執行をすることになるということが、当事者にとっても分かりやすくなるものと思われます。
 基本的には、前記の文例に準拠して公正証書を作成していますが、嘱託人からの要望を踏まえて、様々な書きぶりをしてきましたので、実際に私が作成した公正証書の養育費の終期の書きぶりをご紹介し、会員の皆様のご参考に供したいと思います。
 おって、胎児及び認知された子の養育費の支払に関する公正証書については、公正証書を作成するタイミング(①夫婦間の胎児が出生する前に離婚公正証書を作成するケース、②非嫡出子として出生した後に認知し、その後に養育費公正証書を作成するケース、③胎児認知をした後、出生前に養育費公正証書を作成するケース、④胎児認知をした後に出生し、その後に養育費公正証書を作成するケース)によって、書きぶりを変えていますので、併せてご紹介することとします。
 (名古屋・春日井公証役場公証人 多田 衛)

【養育費の終期の定めの類型】・【胎児及び認知された子の養育費の定めの類型】

第1 子の年齢で特定したもの
 ① 18歳まで
 ② 18歳3月まで
 ③  20歳まで
 ④  22歳3月まで
 ⑤ 15歳まで及び22歳3月まで(変額)

第2  具体的な年月で特定したもの
 ① 年月を特定
 ② 年月を特定し変額
 ③ 成年と未成年の場合

第3 終期を短縮する旨のただし書きをしたもの
 ① 22歳3月まで(大学進学しなかった場合短縮)
 ② 22歳3月まで(22歳3月より前に卒業した場合短縮)

第4 胎児の養育費を定めたもの
 出生前に離婚するケース

第5 認知した子の養育費を定めたもの
 ① 出生→認知→公正証書のケース
    胎児認知→公正証書→出生(予定)のケース
    胎児認知→出生→公正証書のケース

第1 子の年齢で特定したもの
例1-①
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満18歳に達する日の属する月まで、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

例1-②
第○条 甲は、乙に対し、丙、丁及び戊の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙、丁及び戊がそれぞれ満18歳に達した後の最初の3月まで、各人について1か月金○円ずつを、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

例1-②参考  (※3月中に満年齢に達する場合)
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満18歳に達する3月まで、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

例1-③
第○条 甲は、乙に対し、丙、丁及び戊の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙、丁及び戊がそれぞれ満20歳に達する日の属する月まで、各人について1か月金○円ずつを、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込む方法により支払う。

例1-④
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満22歳に達した後の最初の3月まで、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

例1-⑤
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満15歳に達する日の属する月までは1か月金○円を、また、満15歳に達する日の属する月の翌月から丙が満22歳に達した後の最初の3月までは1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

第2  具体的な年月で特定したもの

例2-①
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から令和○○年○月まで、毎月末日限り、金○円を乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。振込手数料は、甲の負担とする。

例2-②
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から令和○○年3月までは1か月金○円、令和○○年4月から丙が満20歳に達する日の属する月(令和○○年○月)までは1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。振込手数料は、甲の負担とする。

例2-③ (1人は成年)

第2条 甲は、乙に対し、離婚届出の前後を問わず、長女 ○○(※成年に達している子、以下「丙」という。)の養育費として、令和6年○月から令和○年○月まで、1か月金○円、丁(※未成年の子)の養育費として、令和6年○月から令和○○年○月まで、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

第3 終期を短縮する旨のただし書きをしたもの
例3-①
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満22歳に達した後の最初の3月まで(ただし、丙が高校を卒業後、大学、短期大学、専門学校等の高等教育機関(以下「大学等」という。)に進学しなかった場合は、高校を卒業する日の属する月まで。)、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

例3-②
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、令和6年○月から丙が満22歳に達した後の最初の3月まで(ただし、丙が、満22歳に達した後の最初の3月より前に大学等を卒業した場合は、大学等を卒業した日の属する月まで。)、1か月金○円を、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込んで支払う。

第4 胎児の養育費を定めたもの
例4-①  (出生前に離婚するケース)
第○条 夫 甲と 妻 乙は、本日、協議離婚すること及びその届出は乙において速やかに行うことを合意した。
2 甲と乙は、甲と乙間の子である乙の胎児(令和○年○月○日出産予定、以下「丙」という。)について、乙が親権者となり監護養育することを確認した。
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、離婚届出の前後を問わず、丙が出生した日の属する月から丙が満20歳に達する日の属する月まで、1か月金○円の支払義務があることを認め、これを毎月末日限り、乙の指定する口座に振り込んで支払う。

第5 認知した子の養育費を定めたもの
例5-① (出生→認知→公正証書のケース)

(認知の事実)
第○条 甲は、令和6年○月○日に、乙(本籍 愛知県春日井市○○番地、筆頭者 乙)の長男 ○○(令和5年○月○日生、以下「丙」という。)を認知した。

(養育費等についての合意)
第○条 甲と乙は、本日、丙の養育費等に関して次条以下のとおり契約を締結した。

(丙の養育費)
第○条 甲は乙に対し、丙の養育費として、令和6年○月から丙が満20歳に達する日の属する月まで、1か月金○円の支払義務があることを認め、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込み支払う。

例5-② (胎児認知→公正証書→出生(予定)のケース)
(養育費の合意)
第○条 甲と 乙は、本日、乙の胎内にある子(令和6年○月出産予定、以下「丙」という。)の出生後の養育費に関して次条以下のとおり契約を締結した。
(胎児認知の事実)
第○条 甲は、丙が甲・乙間の子であることを認め、乙の承諾を得て、令和6年○月○日に、乙の本籍地である愛知県○○市役所に胎児認知届を提出した。
(丙の養育費の支払)
第○条 甲と乙は、丙が出生した場合に、乙が丙を引き取り、監護養育することを確認した。
2 甲は、乙に対し、丙の養育費として、丙が出生した日の属する月(予定 令和6年○月)から丙が満20歳に達する日の属する月(予定 令和26年○月)まで1か月金○円の支払義務があることを認め、毎月末日限り乙が指定する金融機関の口座に振り込み支払う。

例5-③ (胎児認知→出生→公正証書のケース) 
(認知の事実)
第○条 甲は、令和6年○月○日に、乙の長男 ○○(令和6年○月○日生、以下「丙」という。)を胎児認知した。
(養育費等についての合意)
第○条 甲と乙は、本日、丙の養育費等に関して次条以下のとおり契約を締結した。
(丙の養育費)
第○条 甲は、乙に対し、丙の養育費として、令和6年○月から丙が満18歳に達した後の最初の3月まで、1か月金○円の支払義務があることを認め、毎月末日限り、乙の指定する金融機関の口座に振り込み支払う。

民事法情報研究会だよりNo.61(令和6年4月)

 若葉の緑が目にも鮮やかな季節となり、花の便りが相次ぐ今日この頃、会員の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 最近の報道では、「はしか(麻疹)」が世界的に流行し、国内でも感染が広がる可能性があるとして、厚生労働省がワクチン接種などの感染対策に取り組むよう呼び掛けているとのことです。2回のワクチン接種で95%以上の人が免疫を獲得できるので、ワクチン接種が極めて有効な手段とのことです。
 この年齢になっては、その昔「はしか」に罹ったか、予防接種を受けたかが気にはなるものの、記憶も記録もなく、知る由もありません。少し様子を見て、感染が拡大したなら予防接種を受けることも考えなければならないのかもしれないと思っています。(YF)

今日この頃

新設公証役場開設までの道のり(中村雅人)

1 はじめに
 令和4年11月1日、静岡県焼津市に所在する焼津公証役場の公証人として勤務し始めてから、1年余りが経過しました。勤務開始当初は、嘱託人からの相談や公正証書の作成等を行うに当たり、どのように対応してよいのかよくわからず、かなり疲弊していましたが、先輩公証人の皆様に、その都度、案件を相談しながら事案を処理することにより、何とか今まで乗り切って来ることができました。最近になってようやく、少しずつではありますが、業務処理のペースがつかめてきたような気がしているところです。
 私の勤務する焼津公証役場を紹介させていただきますと、
① 当役場が置かれている静岡県焼津市は、東京から西へ約190㎞、名古屋から東へ約170㎞で京浜地区と中京地区のほぼ中間に位置しています。市内には、主要交通機関として、JR東海道本線の焼津駅、西焼津駅があり、東名高速道路の焼津ICと大井川焼津藤枝スマートICがあります。この地域は温暖な気候であり、冬に雪が降ることはまずないとのことです。焼津市に隣接する藤枝市には、静岡地方法務局藤枝支局があり、同支局の不動産登記管轄区域は、藤枝市、焼津市、島田市、牧之原市、榛原郡吉田町及び榛原郡川根本町の4市2町となっており、これらの市町全体は、志太榛原(しだはいばら)地域と呼ばれており、焼津公証役場の利用者のほとんどは、同地域に在住する方々です。
② 焼津公証役場の事務所は、平成20年11月に焼津市に合併した旧大井川町の町役場(現在は、焼津市役所大井川庁舎)内に設けています。JR焼津駅、西焼津駅、藤枝駅のいずれの駅からも、8㎞から9㎞ほど離れた場所にあり、公共交通機関としては、JR焼津駅前から大井川庁舎行きの路線バスが、約30分間隔で運行されています。
 さて、焼津公証役場は、令和4年11月1日に新設された公証役場であり、役場の開設まで、その準備を全て自分一人で行わなければならず、開設までには、それなりに苦労がありましたので、次回、新たに公証役場を開設される方への一助になればと考え、以下のとおり、開設までの道のりを書き留めることとしました。

2 公証人の公募
 令和3年12月初旬、公募先の焼津市等について説明を受けました。その内容は、「任命時期は令和4年11月。前任者はおらず、役場は新設とのこと。詳細は、今後示される予定である。」とのことでした。
 法務省ホームページに掲載されていた「公証人法第13条ノ2に規定する公証人の選考に関する公告」を見て、「採用予定地:静岡地方法務局藤枝支局管内 焼津市、採用予定人員:1人、採用予定年月日:令和4年11月1日」であることを確認しました。その公告で、他の採用地における採用予定年月日の多くが令和4年7月、8月、9月となっているのに対し、焼津公証役場については、11月となっているのは、新設だからきっと開設までの準備期間を考慮しているのだろうと思いました。そして、新設の公証役場ということもあって、複数の応募者が出ることは間違いないだろうから、試験のための勉強をしっかりやらないといけないとも思いました。
 結果として、公募については競合したらしいのですが、筆記試験の実施までには至らず、令和4年2月に実施された口述試験までの間、時間を作って勉強するように努めました。同年3月に法務省から公証人として採用の内定通知を受けたときは、ほっとしました。

3 自宅住居の選定
 令和4年3月末までに関係者から入手した情報によると、新設される公証役場を置く場所は予定されている(私が不動産物件を探す必要はない。)とのことでした。私は、JR焼津駅近辺に公証役場が置かれるのだろうと勝手に想像していましたが、実際は、上述のとおりJR焼津駅から9㎞ほど離れた焼津市役所大井川庁舎に置かれることがわかりました。
 そこで、3月下旬の休日に、レンタカーを運転して現地に行ってみると、大井川庁舎の周辺には公民館、消防署、図書館、そして約1000人収容可能のホールを持つ立派な文化会館があるほか、庁舎のそばに銀行や信用金庫もあるものの、毎日の生活の本拠を置く場所としては、少し不便と感じたことから、私は、静岡市内にアパートを借り、役場には、電車とバスを利用して通勤(所要片道約1時間)することに決めました。
 3月末の法務局退職から役場開設の11月まではかなり期間はあるものの、退職後すぐに静岡に引っ越すこととし、家族の協力も得て、短期間のうちに物件を探し、4月3日には、退職時に居住していた公務員住宅から直接、静岡市内の駅近物件のアパートに引っ越しました。通勤するに当たり、電車の遅延や台風等での運休の際に対応できるか不安もありましたが、公証人となってから今のところ、通勤面でのトラブルは生じていません。
 なお、近年、公共交通機関は台風などにより交通障害が起きそうな場合には、事前に計画運休等の情報を知らせてくれるので、そのような場合には、焼津市内のホテルに宿泊することにより対応しています。

4 退職直後の生活
 令和4年3月31日に法務局を退職し、4月に静岡に移り住んでから、5月末までの間は、先輩公証人の事務所をいつくか訪問し、公証人としての仕事を間近で拝見させていただくことができました。その際、私は、役場の開設に当たり参考とするため、各役場のレイアウト、必要となる備品、図書、消耗品、各種帳簿類、ゴム印等を細かく把握するよう努めました。

なお、訪問させていただいた先輩公証人の中には、役場新設に必要となると思われる物品等をメモにして準備していただいていた方もおり、とてもありがたく感じました。

5 焼津市・法務省・法務局の打合せ会
 公証役場開設に向けて実質的に動き出したのは、令和4年5月30日に大井川庁舎で行われた焼津市、法務省、法務局の各担当者による打合せ会からでした。当日は、焼津市総務部長、同市管財課長、同課管財係長、法務省民事局付、同局総務課公証係長、静岡地方法務局長、同局総務課長、同課監査専門官及び私が出席し、役場開設に向けての打合せが行われました。
 焼津市担当者から、まず、大井川庁舎(地上3階建)では、1階に市民サービスセンターを置き、住民サービス(戸籍・住民登録、年金等の事務)を行っていること等、庁舎の概要説明がありました。次に、①公証役場の事務室として、大井川庁舎2階の旧町長室(約50㎡)、②書庫として、旧町長室の隣室である旧市史編さん資料室(約40㎡)、③公証人が使用する車両の駐車場(車庫)を有償で使用させること、④公証役場を来訪する者については、大井川庁舎への来訪者用の駐車場を無償で使用させること、⑤光熱水料の負担割合については今後協議すること、⑥事務室となる部屋の経年劣化等に伴う修繕工事(壁紙等の貼り直し等)については、公証役場開設までに焼津市の予算により対応するが、その額については予算の制約があるので、公証人からの全ての要望に応じることはできないことを理解してもらいたい等の説明がありました。

当日の打合せは、公証役場の事務室となる旧町長室で行われましたが、その部屋は、周囲の壁紙が日焼けして茶色っぽく変色しており、床のタイルカーペットも汚れが目立ち、応接セットや打合せテーブルが適当に置かれている感じの物置のような状況で、この部屋を公証役場事務室として使用するためには、一定程度の修繕が必要であり、今後、焼津市担当者との折衝が不可欠となることを実感しました。

6 電話回線、備品、消耗品等の調達
 令和4年6月中旬、電子公証システムを導入する業者の担当者から連絡が入り、電話回線(専用回線)を手配するよう依頼がありました。これを受けて、翌日、NTTに電話をして、回線の手配を依頼したところ、回線敷設は3か月後になるとの回答がありました。そんなに期間を要するのかと驚くとともに、役場開設日直前に慌てることのないよう、様々な準備作業を前倒しで進めていかなければならないと思いました。
 事務室のレイアウトについては、先に訪問させていただいた公証役場のレイアウトも参考にして、およそのイメージをフリーハンドで書いた図を、業者に渡して、必要となるパーティション、カウンター、事務机、椅子などの必要備品のリストアップとレイアウトを提案してもらい、作業を進めていきました。業者の選定については、開業までに業者との打合せを機動的に行う必要があること、また、開業後のアフターサービスも考え、焼津市役所担当者から焼津市内の事務機器を扱う業者を数社教えてもらい、その中から、焼津市内の文房具店を選定し、コピー複合機、電話機、インターネット回線の手配も含めて一括して依頼しました。
 一方、諸帳簿(証書原簿、認証簿、確定日付簿、計算書等)については、漏れのないように注意し、自ら印刷会社に発注し調達しました。また、事務用の消耗品については、文房具店から提供されたカタログを参照し、品名、単価、個数、合計額をエクセルシートにまとめ、文房具店に提出することにより調達しました。この作業は、細かい作業で、途中で嫌になってしまうこともありました。かつて、法務省勤務時代に、法務省浦安総合センターの開設に当たり、予算要求・執行作業を担当しましたが、昔を思い出しつつ、法務局を退職した後も、予算規模は違うも同様の作業をしていている自分に苦笑いでした。

7 書記の採用
 焼津公証役場は新設であることから、書記も新たに採用する必要がありました。公証人の中には、配偶者を書記とする方もいらっしゃいますが、私の場合は、当初からその選択肢は全くなく、一般の方を採用すると決めていました。令和4年11月という中途半端な時期からの勤務となるため、早めに内定したいと考えていました。
 そこで、令和4年5月の上記担当者打合せ会において、法務局総務課長に対し、法務局OBや法務局に勤務経験のある非常勤職員で、焼津公証役場に書記として勤務していただける方を紹介していただけないかと相談したところ、法務局総務課長から心当たりのある方に書記として勤務できないか打診してみるとのお話をいただきました。かなり期待していたのですが、6月中旬に法務局総務課長から電話があり、公証役場の書記の話について断られたとのお話でした。一連のやりとりから、法務局に書記候補者を依頼することは困難であると感じ、その後、開設に当たり法務局に対して依頼することは極力しないようにしました。
 結局、書記の採用については、9月初旬にハローワークで公募したところ、短期間のうちに10人以上の方が応募してくれました。しかし、大半は65歳以上の高齢者でした。数少ない40代、50代の方と面接するものの、やる気の感じられない方ばかりで内定を出すことはできず、途方に暮れていたところ、一人の女性が応募してきてくれました。履歴書を見ると、PCスキルもあり、実用英検2級を取得されている方で、面接を経て、すぐに採用内定を出しました。開業1か月半前にようやく書記を採用することができました。お陰様で、その書記は、現在も勤務を継続してくれています。

8 公正証書遺言作成時の証人の人選
 公正証書遺言の作成時の証人については、遺言者が手配できない場合に、どの公証役場も、証人を引き受けてくれる方を複数用意しているものと思います。前任の公証人がいる役場であれば、証人についても継続して担当していただいているものと思いますが、新設公証役場は、そういうわけにはいきません。まずは、志太榛原地区の司法書士の方に相談させていただき、そこから足がかりをつかみたいと思い、令和4年4月に司法書士の名簿を頼りに、司法書士の方に電話を掛けて相談したのですが、とても冷たい対応でした。自ら何とかして探さなければなりませんでしたが、人選の方法について、よいアイデアは浮かびませんでした。
 公証役場事務室に設置する複合機の営業担当者が、志太榛原地区の行政書士会の支部長をよく知っているということでしたので、挨拶に行き事情を説明し、行政書士の方に引き受けてもらおうとも考えましたが、開業する前から特定の士業者の力を借りるのもどうなのかとの疑問もありました。そんな時、市役所職員のOBの方に依頼することはできないかと思いつきました。
 そこで、公証役場開設準備でいつも対応窓口となってくれているとてもフットワークの軽い焼津市役所の係長に、相談したところ、「4人くらいならすぐに用意できると思います。候補者に当たってみますよ。」と力強い返事をいただきました。翌日、同係長から、「4人に声を掛けて、全員協力してもよいと言っています。」と連絡がありました。10月11日にその4名に公証役場事務室にお集まりいただき、証人の役割や留意事項等につき説明を行い、全員協力していただけることになりました。証人を確保できたときには、とても安堵しました。
 この焼津市役所の係長とは様々な折衝を通じて、相互にコミュニケーションが取れており、それが証人を確保することにつながりました。

9 書記の業務の習得
 私は、当初から、法律関係業務を経験した書記を採用することは困難と予想していましたので、開業前までに私が書記の業務を理解して、開業後、書記に対して指導していかざるを得ないと考えていました。そのためには、私自身がどこかの公証役場において書記の業務を実際に体験させてもらうことが最も効果的と考えていました。
 そんな時、7月に富士公証役場の岩崎公証人から連絡をいただき、同役場で書記の業務を勉強してはどうかと提案がありました。大変ありがたいお話でしたので、是非お願いしたいと申し上げ、7月初旬から9月初旬まで、延べ約3週間、書記の業務を体験させてもらう機会に恵まれました。
 富士公証役場に勤務するベテランの書記の方からは、電話応対、確定日付、計算書、統計、文書の保存等に関する事務、外国文認証における甲用紙、乙用紙、丙用紙の取扱い、遺言検索システム、電子公証システムの操作方法等について、OJTにより教えていただきました。今、考えてみると、富士公証役場におけるこの書記業務の習得は、最も重要であったと感じています。岩崎公証人には、御自身が7月に公証人に就任されたばかりであったにもかかわらず、このような機会を与えていただいたことに、心から感謝いたします。
           

10 公証人の業務の習得
 9月、10月は、公証人の業務の習得のために、袋井公証役場に通い、延べ約2週間、名取公証人(当時。令和5年2月末に退職)から、公証人の業務全般について、指導をいただきました。名取公証人は、公証役場新設のための準備がいかに大変かということを気にかけてくださり、4月の段階から、いろいろ相談に乗っていただきました。名取公証人とはそれまで面識はなかったのですが、とても親切に指導していただきました。また、これまで袋井公証役場において使用した各種の公正証書等の代表的な文例を、データで提供していただきました。さらに、公証役場開設後も、業務を処理するに当たり不明な点について、その都度連絡し、適切なアドバイスをいただきました。開設準備も含め、最もお世話になった名取公証人に対し、心から感謝いたします。

11 開所式
 公証役場開設の直前、令和4年10月30日(土)、焼津市の主催により、開所式が行われました。開所式には、焼津市長、焼津市議会議長、法務副大臣、地元選出の衆議院議員、静岡県弁護士会会長、同司法書士会会長、同行政書士会会長、法務省民事局総務課長、静岡地方法務局長、地元自治会関係者らが出席しました。
 庁舎玄関前で行われたセレモニーでは、焼津市長の挨拶の後、公証人予定者の挨拶、法務副大臣、地元選出衆議院議員を始め、来賓からの祝辞がありました。その後、焼津市の御配慮で庁舎入口の壁に設置していただいた「焼津公証役場」の木製看板の除幕式が行われました。さらに、出席者による焼津公証役場の内覧会が行われました。

12 開設後現在まで
 令和4年11月1日(火)、焼津公証役場が開設、業務を開始しました。初めての仕事は、地元の司法書士が来訪し、父親の遺言があるかどうか確認したいとする遺言検索でした。その司法書士は、焼津公証役場に一番乗りしたいと考えていたようで、役場の開設を大変喜んでくれていました。
 業務を開始して最も苦労したことは、過去に処理した事件の書類が存在しないということです。過去の事例を参考にしようとしても、書類がないことから、事案を処理するに当たり、とても不安に感じました。特に、外国文認証については、どのような形で認証すればよいのかがよくわからないので、嘱託人から、メール、FAX等で認証の対象となる文書を事前に送付していただき、内容を検討してから嘱託人に来訪していただくようなスタイルをとることにより、対応してきました。
 開業から1年余りが経過し、書庫には、各種帳簿が複数蓄積されるようになり、過去の事例を参考にすることができるような環境が少しずつではありますが整ってきています。

13 終わりに
 公証役場の新設は、30数年ぶりということらしく、開設の準備に当たり、過去の事例を参考にすることができなかったことから、何から手をつけてよいのかが全くわかりませんでした。法務局を退職後、4月から開設までの7か月間は、本当に開設できるのかどうか、とても不安な日々を送っていました。公証役場という重要な機関の新設に係る準備作業を一人で行うことがいかに大変かということを思い知らされました。
 役場が開設してから1年余りが経過し、嘱託事件数も1年前と比較すると徐々に増えてきていることを実感します。今後、自分の健康に留意しつつ、地域の皆さんのお役に立てるよう努力していきたいと考えています。
 最後に、焼津公証役場の開設に当たり、いろいろなアドバイスをいただいた皆様に心から感謝申し上げますとともに、今後とも御指導・御鞭撻をよろしくお願いいたします。
    (静岡・焼津公証役場公証人 中村雅人)

未来列車Ⅱ(槇 二葉)

 古川(宮城県大崎市)に来て二年が経ちます。
 古川駅から徒歩数分、陸羽東線(JR東日本)沿いのアパートに住んでいるのですが、線路脇の木杭柵には、昭和の趣きがあります。昔、この辺りに大型スーパーのニチイがあった?とは、全くイメージできない住宅地の風景です。
 陸羽東線は、小牛田駅(宮城県遠田郡美里町(旧:小牛田町))から、古川、鳴子温泉を通り、新庄駅(山形県新庄市)までを結んでいます。
 旧小牛田町は鉄道の町として栄え、小牛田駅は東北本線、陸羽東線、石巻線(気仙沼線)が乗り入れる、昔からの主要駅です。一方、古川駅は新幹線駅ですが、在来線は、陸羽東線しか通っていません。
 列車の音を聞きながら、昔、一度だけ、陸羽東線新庄行きの列車に乗ったときも、このアパートの前を通ったんだろうなぁと、ニチイが見えたのかまでは、残念ながら憶えていませんが、なんだか不思議な気持ちになります。
 1980年(昭和55年)11月、仙台で試験がありました。初めて会った隣の席の人が偶然、同じ高校の一学年先輩でした。夕方近くまでかかり、一緒に山形に帰ろうと、仙台駅へ。17時台の列車に、ぎりぎり間に合った!はずでした。各駅停車でも90分ほどで山形に着きます。
 おしゃべりに夢中で、知らない駅が続くことに気づいたのは、どのくらい経ってからだったのでしょう。
 終点だった小牛田駅で降りて、駅員さんに訊ねると、新庄行き最終列車まで20分近く時間があり、それに乗れば、新庄から奥羽本線の最終で山形に着くとのことでした。二人共、駅の公衆電話で家に連絡。私は、家族に「金はあるのか。」とだけ聞かれたことを憶えています。もう聞くことのできない声ですが、もしも今日、電話しても、用件のみの、そんなやり取りのような気がします。
 先輩の家は、北山形駅から少し東にある魚屋さんで、小牛田駅からの電話に、いろいろと問いただされたらしく、気の毒で仕方がありませんでした。
 勘違い乗車は、たぶん、私のミスリードだったに違いありません。
 私が山形駅に着いたのは23時30分頃で、当たり前ですが、乗り越し料金をしっかり取られ、タクシー待ちの列では、酔っ払いのおじさんたちにたくさん話しかけられ、何とか乗車できたタクシーの運転手さんにも、いろいろ聞かれまくって、セーラー服の女子高生は、深夜に、ようやく帰宅。タクシー代まで持っていたのか、家に着いてから払ってもらったのか。家族には「あほ。早く寝ろ。」と呆れられました。
 私の家は、当時、マチナカから少し離れた住宅地に引っ越していて、距離ならば、北山形駅からの方が近いけれど、繁華街ではない北山形駅だとタクシーには乗れないと思ったという判断だけは、「当然だ。けど、正解だったな。」と言ってもらえたような。
 翌日、一つ前の北山形駅で降りた先輩に電話してみると、魚屋さんは朝が早いのに、駅まで迎えに来てくれた御両親の車で帰宅し、駅員さんには、乗り越し料金は要らないと言ってもらったとのことでした。その日、私は、学校へは行ったのかどうかも定かではありません。
 あれから、一度も先輩には連絡もしないまま、現在に至ります。お顔もフルネームも、もう思い出せなくなってしまいました。
 高橋さん、お元気ですか。
 どちらにお住まいですか。
 きっと幸せで、穏やかで、もう大きいお孫さんがいらっしゃるのかもしれませんね。私の娘は、残念ながら、まだ独身です。まぁ、ギリギリ20代ですから、そのうち何とかなってくれたらいいなと思いつつ、このままだと、本人の老後が思いやられるので、任意後見制度について説明しておく必要がありそうです。
 先日、久しぶりに、山形へ行き、高橋さんの家の前を通りました。お店の看板が、昔のままに残っていて懐かしかったです。
 あの日のこと、覚えていますか。
 私は、今、宮城県の古川で仕事をしています。
 あの日乗った陸羽東線沿いに住まいがあります。ここを通ったんですね。
 すっかり夜になっていて、何も見えなかったように思うけれど。
 列車がアパートの前を通るたびに、この線路の先は、新庄なんだなぁと思ったりしています。
 あの日、私たちには、きっと、たくさんの未来がありました。
 私が古川で、公証事務に携わるなんて、思いもしなかった未来です。
 公証人になって、もう二年が経とうとしているのに、自分の力量のなさを棚に上げて、時間に追われては、イライラしたりもしています。あの日は、列車を乗り違えても、全く焦らなかったのに。
 受験情報を交換しながら、高橋さんは公務員を目指しているとお話されていたように思います。私は、ラジオでニュースを読むアナウンサーか、通訳になりたいなどと夢だけを語っていましたか。英語の成績も芳しくなかったくせに。あれから英語の勉強もほとんどせずに、この歳になって、外国向け文書の認証に悪戦苦闘するはめになりました。天罰が下ったとしか言いようがありません。
 まだまだ先になるけれど、古川を離れる時が来たら、あの日のルートにしようかな、と思ってみたりします。
 それまで、陸羽東線がなくなっていないと良いのですが。
 人生で、たった一度だけ出会って、試験の結果(推して知るべし)も含めて、忘れられない一日を一緒に過ごした高橋さん。
 今、未来行きの列車に乗っている若者に、あの日の私たちを重ねて、今夜も、列車の音を聞いています。
    ………………………
 あの日、仙台駅で山形行き(仙山線)と小牛田行き(東北本線)は隣合わせのホームだったのか、何分違いの発車だったのか、今となっては、もう…。
 否。今だから、辿り着けました。1980年10月の、各駅の時刻表の画像なるものを、Twitterで発見してしまいました。
 巨人の王貞治選手が現役引退を発表し、三浦友和と山口百恵が挙式した11月も、おそらくこのダイヤだったはずで、ネットの記事とおぼろげな記憶を重ね合わせて推測すると、当日は11月5日の水曜日だったようです。
 陸羽東線普通列車、新庄行き最終は、小牛田駅19:15発−新庄駅(21:55着)
 奥羽本線普通列車、山形行き最終は、新庄駅22:02発−山形駅(23:30着、北山形駅23:25着)
 記憶に当てはまっていくドキドキ感。
 仙台からの東北本線小牛田行き…仙台駅17:54発−小牛田駅(18:54着)
 これに乗ったんですね。家に電話した小牛田駅では20分ほどの待ち合わせ。完璧です。ピースがぴたっと、はまってしまい、ドキドキを通り越して動揺?感動?感無量?です。
 なるほど。以前は、陸前古川駅(まだ「古川市」)でした。そうそう、その駅名ならば、何となくですが、記憶にあります。

注:1980年11月1日古川駅に改称、1982年6月23日東北新幹線開業

 乗るはずだった仙山線山形行きはというと、仙台駅17:56発。残念ながら、発車番線までは分かりませんでしたが、2分後の発車でした。どちらも仙台駅が始発なので(勝手に、それぞれ当時の5番線と6番線だと認定)、乗り違えてしまって、隣のホームの列車には全く気づかなかったのだと思います。
 深呼吸して、もう少し小牛田駅の時刻表を見てみると、小牛田駅の改札を抜けずに、すぐに駅員さんに訊ねていたら、小牛田から仙台行きの、おそらく折り返し運転(小牛田駅18:58発)に乗れたはずで、仙台駅発20:11の仙山線快速列車で、もっと早くに山形に帰れたのだということも、分かりました。
 全く余計な旅。ABCD(台形?)の上底A→Dで着くところ、5時間半をかけて、他の3辺を全部めぐった(点A:仙台→ B:小牛田→ C:新庄→ D:山形、と辿った)旅でした。そして、小牛田駅の改札を抜けて駅員さんと話した時点で、次の仙台行き普通列車は21:44までなく、特急も20:43までないため、結果、仙台発山形行き20:11には乗れないので、その日のうちに山形まで辿り着くには、たった一つの残されたルートだったことも、ネット画像の時刻表が教えてくれました。
 でも、何事もなく帰っていたら、部屋も見ないで決めてしまった、今住んでいるこのアパートの前の線路を、私の乗った列車が通ることはなく…私の未来列車は、あの日、乗り違えて、今、古川に住んで、この駄文を書く、という行き先だったのかもしれません。
 1980年11月5日仙台駅17:56発の仙山線普通列車の乗車券は、今、ここに在る未来の私への、思い残し切符だったのでしょうか。
 あれからたくさんの未来列車に乗りました。
 いつか古川を卒業する時には、もう一度、小牛田から新庄までの最終列車に乗って、家路につきたいと思います。真っ暗で何も見えなくても。

※ 未来へ  
 駄文完成後、「陸羽東線活性化ロゴマーク」なるものを見つけました。
 美しい鳴子峡をぜひ車窓から(夜以外は、徐行運転してくれるようです)。
 また、「四季島」(3泊4日コース)は、鳴子温泉に停車します。したがって、運行シーズン中は、早朝、拙宅の前を四季島が通るのですが、聞こえる音の優雅さが、全然違います。
 古川は、大正デモクラシーの旗手、吉野作造のふるさとです。市内に記念館があり、「作造珈琲」は、良き香りがします。    (仙台・古川公証役場公証人 槇 二葉)

実務の広場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.101 撤回された遺言の受遺者からの遺言検索及び当該遺言公正証書の謄本交付請求に対する取扱いについて(大竹聖一)

1 はじめに
 遺言検索については、昭和63年に構築された遺言検索システム(以下「旧検索システム」という。)を基礎とする新たな遺言情報管理システム(以下「新システム」という。)が構築され、遺言検索のみならず、遺言公正証書の原本を電磁的記録に保存するためのシステムの充実を図るとともに、旧検索システムにおける日本公証人連合会に対する照会手続が廃止され、各公証役場において検索を可能とするなどの新たな機能が整備されており、新システムの運用については、遺言情報管理システム実施要領(令和4年5月21日定時総会決議)。以下「実施要領」という。)にその詳細が定められているところです。
 実施要領によれば、遺言検索に当たっては、「遺言情報管理システム運用マニュアル(役場業務)」で定める方法により、遺言者が死亡した後については、公証人法第51条所定の遺言者の承継人、法律上の利害関係を有している者からの請求に基づいて遺言者情報を検索することができるとされており、また、公証人は、遺言検索結果を書面で交付するものとされ、その場合には、個人情報を開示することになることから、請求者の資格要件の審査はもとより、請求に係る遺言者と、新システムに登録されている遺言者情報との同一性の判断を適正かつ慎重に行うものとされています。
 この遺言検索結果の書面による交付に当たっては、その対応に苦慮する場合も生じるところであり、今回は、そのような事案について、紹介させていただきます。


2 事案の概要
 本件事案における遺言者の作成に係る遺言公正証書は、次の①~③の計3件ですが、②の遺言の受遺者である遺言者の甥B(以下「請求者」という。)から遺言者の死亡事項の記載がある戸籍の全部事項証明等の必要書類を持参の上、新システムによる遺言検索の請求(遺言が存在する場合は、併せて当該遺言公正証書の謄本の交付請求)があったものです。
 ① 第一遺言(平成15年)
 (概要)
・ 全財産を妻に相続させる遺言
・ 遺言執行者・A(遺言者と妻の知人)
〇 平成17年
    遺言者 妻と共に甲を養子とする養子縁組
〇 平成19年 妻死亡

 ② 第二遺言(平成20年)
 (概要)
 第一遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載有
 財産を養子甲に相続させるとともに、上記A及び遺言者の甥Bに遺贈する内容
 遺言執行者 上記A

③ 第三遺言(平成25年)
 (概要)
・ 第二遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載有
・ 全財産を養子甲に相続させる内容
・ 遺言執行者 養子・甲

〇 令和6年 遺言者死亡

3 検討及び対応
(1)謄本の交付請求について
 撤回された遺言は、民法第1022条、第1023条及び第985条の規定によりその効力が生じないものとして取り扱うべきであるとの見解がある一方、平成23年11月7日開催の日本公証人連合会法規委員会の協議結果(協議問題6「撤回された遺言公正証書の閲覧請求の可否」、公証166号222頁)を踏まえれば、本件事案においても、次の事由により、請求者について、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものと考えられる第二遺言については、その謄本の交付請求に応ずることが相当と考えました。
① 公証人は、公証人法施行規則第27条の規定に従い、証書の原本を同条に掲げる期間保存しなければならず、この保存義務は、当該証書の内容である法律行為の効力がないとき、又は当該法律行為が取り消され、若しくは撤回されたときに消滅する旨の規定は存在しないこと。
② 公証人法第51条第1項によれば、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有することを証明した者は、証書又はその附属書類の謄本の交付を請求することができるものとされており、この請求があった場合において、当該証書の内容である法律行為の効力がないとき、又は当該法律行為が取り消され、若しくは撤回されたときには、その謄本の交付の請求を拒絶することができる旨の規定は存在しないこと。
③ 民法第1025条ただし書き及び最高裁平成9年11月13日判決(民集51巻10号4144頁。判決要旨は、注記参照)によれば、第三遺言(遺言がされた順序は、本件事案に置き換えています。)が詐欺又は脅迫による場合や、第三遺言を更に撤回する第四遺言がされた場合等には、第二遺言が復活する余地があることが認められている上、第二遺言を撤回する第三遺言について公正証書を作成した公証人といえども、そのことのみから第二遺言が確定的に無効なものとなったと断定する権限を有しない(撤回された遺言の効力の消長は、結局判決以外の方法では確定しない。)と考えられること。

 なお、第三遺言における第二遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載部分については、請求者について、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものとして、当該部分の抄録謄本を交付することができるという見解もあり得るところですが、本件事案においては、後記(2)のとおり、遺言検索結果の書面による交付に当たって、同書面に第二遺言を撤回する旨の遺言がある旨を付記することにより対応することとしました。
(注)判決要旨
  ① 遺言者が遺言を撤回する遺言を更に別の遺言をもって撤回した場合において、遺言書の記載に照らし、遺言者の意思が当初の遺言の復活を希望するものであることが明らかなときは、当初の遺言の効力が復活する。
  ② 遺言者が、甲遺言について乙遺言をもって撤回した後、更に乙遺言を無効とし甲遺言を有効とする内容の丙遺言をしたときは、甲遺言の効力が復活する。

(2)遺言検索結果の書面による交付について
 上記(1)で検討したとおり、請求者について、第二遺言については、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものと考えられますが、第一遺言及び第三遺言については、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有しないと考えられる(注)ことから、本来であれば、その存否を明らかにすることもできないと考えられます。
 しかしながら、本件事案において、第三遺言で撤回されている第二遺言のみの遺言検索結果を通知し、さらに、第二遺言の謄本を交付した場合には、第二遺言に基づく遺言執行がされてしまう危険性があることから、公証人としては、これらによる混乱等を防止するため、第二遺言を撤回する旨の遺言があることを何らかの形で請求者に伝える対応を講ずる必要があると考えました。
 これを付記した通知書の案は、別紙のとおりです(通常の遺言検索結果の書面と違い、この書面は、新システム上では作成できないことから、新システム外で別途作成する必要があります。)。

(注)ただし、第二遺言には、第一遺言を撤回する旨の記載とともに、第一遺言の作成年月日、証書の番号、作成公証人の氏名等が記載されています。また、第三遺言については、上記のとおり、抄録謄本の交付が可能であるとの見解もあり得るところですが、本件事案においては、上記により対応することとしたものです。

4 おわりに
 実務の広場No.57においては、小田切敏夫公証人が、相続人又は受遺者の地位にない遺言執行者からの遺言検索及び遺言公正証書の謄本交付請求における取扱いについて、検討会における白熱した議論の内容をご紹介いただいています。
 本件事案については、公証業務照会センターの担当公証人(日本公証人連合会法規委員)に対して照会をしたところ、法規委員会等においては、これまでに本件事案と同じ内容について検討されたことはないが、同種の事案を検討した際の議論等を踏まえて本件事案を検討すれば、概ね上記3のような考え方及び対応となるのではないかとの回答を得たところです。
 近年においては、当公証役場を含め、遺言検索の請求件数が相当数増加している状況にあり、その背景として、相続人に対し、相続発生時における遺言検索を積極的に勧めている税理士法人等の存在などが指摘されているようですが、遺言検索結果の書面による通知等に当たっては、今後も慎重な対応が求められるところであり、参考事例として紹介させていただきました。

(奈良・高田公証役場公証人 大竹聖一)

別 紙

令和〇〇年〇〇月〇〇日  

○ ○ ○ ○ 様

              ○○公証役場

公証人 ○ ○ ○ ○

遺言検索照会結果通知書

あなたから照会のあった○○ ○○(フリガナ・性別・生年月日)様に係る公正証書遺言の有無を調査した結果は、次のとおりですので通知します。

令和〇年〇月末日現在、日本公証人連合会で運営する遺言情報管理システムに登録されており、その内容(ただし、公証人法第44条第1項又は第51条第1項によりあなたが証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものに限ります。)は、次のとおりです。

遺言作成日 平成○○年○○月○○日 (注)第二遺言を表示

証書番号  平成○○年第○○○号

遺言作成役場  ○○公証役場

 所在地

 電話番号

 作成公証人

  なお、上記公正証書遺言については、その後、これを撤回する公正証書遺言が作成されていますが、あなたは、その遺言について、公証人法第44条第1項又は第51条第1項による法律上の利害関係を有しないため、その内容をお知らせすることはできません。

以上