時候的には秋冷の候とはいうものの、9月下旬に至ってもなお猛暑日が観測される地域があるなど、とても暑かった今年の夏も、朝晩にはようやく秋の気配が感じられるようになりましたが、会員の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
元日の大地震からようやく立ち直りの兆しをみせていた能登半島において、長時間にわたる線状降水帯の豪雨に伴う土砂災害や河川の氾濫などによって、またしても大きな人的物的被害が生じています。このほかにも、全国各地において、過去の経験や知見を超える異常気象や災害が数多く発生しています。
被災された方々に心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧復興をお祈りいたします。(YF)
今日この頃
このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。
今日この頃(柿村 清) |
7月1日午後2時過ぎ、民事局勤務時の同期からの電話が突然鳴った。久しぶりだなと懐かしく思いつつ、電話に出た。すると、突然、本誌の本欄への原稿を書いてくれないかという依頼であった。依頼者曰く「遡って調べてみたら、柿さんにはこれまで原稿の依頼をしていないことがわかったので、これ好都合と思い電話した。」とのことであった。今更原稿を書いてくれといわれてもと思いながらも、同期からの依頼でもあり無碍にもできないので渋々引き受けることにした。
引き受けることにしたはいいのだが、さて何をどんな風に書けば誌友の皆さんらに読んでもらえるものかと色々と思案し、その日は、原稿のことばかり考えることとなった。
<7月1日>
7月1日は、8年9か月勤めた公証人を引退した日であり、引退後4年となる節目の日であった。しかし、直近の4年間を振り返ってみても本誌に記せるようなことは何もしておらず、ぼうっと時を過ごしてきた感を否めない今日この頃である。
現に、7月1日は、朝5時に起きて、アメリカ大リーグ(MBL)ドジャース対ジャイアンツの試合をテレビ観戦した(大谷選手の活躍が楽しみで、ドジャースの試合のテレビ放映がある日はできるだけLIVEにて観戦することとしている。当日は、27本目の本塁打を打って欲しいと期待を込めて観戦した。しかし、残念ながら本塁打は出ず、3三振であった。)。
また、その日は、梅雨のまっただ中にあり、早朝から非常に強い風が吹きあれており、家庭菜園で実を付けはじめているトマトやなすらの支柱が倒れていないか心配になったので、9時過ぎに様子を見に菜園に出向き、支柱の補強作業を行った。
帰宅後は、朝5時からテレビ放映のあったアメリカのプロゴルフツアー(PGA)を録画しておいたので、それを観ながら、自ら用意した簡単な朝兼昼の食事をとり、うとうとと昼寝をした(PGAの試合には、日本人プロゴルファーの松山英樹や久常涼らが参戦している。いつもは、この時間帯には、ゴルフ練習場に行っているのだが、この日は強風のため練習場は休業していた。)。
その途中に、先に記した原稿依頼の電話があった。
午後4時頃には、風呂に入り、午後5時には夕食をした。夕食は午後5時からとしており、買置きしておいた食材にて小生自らが夕食を用意し、妻と二人で晩酌をしながら食べた。ちなみに、我が家では、小生より先に妻が亡くなったとしても独りで生活していけるようにとの妻の方針の下に、夕食の用意と自らの洗濯物は自分ですることとなっている(なお、食後の食器洗いや片付けは妻がしている。)。
午後9時過ぎには、同居している小学生の男孫が「じいじ寝よう。」と言って我々の居るところに迎えに来たので、男孫とともに寝室に向かい床についた。
しかし、その日は、原稿のことが頭から離れず、翌朝2時に起きて、NHK・FMラジオの深夜便「ロマンチックコンサート」とその次の「にっぽんの歌こころの歌」を懐かしく聴きつつ、パソコンと睨めっこして本原稿を書いている。
小生の日課の主立ったものは、ここに記したように、大谷選手の活躍を楽しみにしたテレビでの野球観戦、家庭菜園、それにゴルフ(テレビ観戦を含む。)である。
<我が家>
我が家は、2階建の変形した独立型の二世帯住宅である。玄関、台所、浴室、洗面所・トイレがそれぞれ2つあり1階と2階で二世帯に分かれており、玄関は吹き抜けで、内部は階段のドア1つでつながっている。
我が家は、我ら夫婦が2階に、息子夫婦と3人の孫(中学生の男孫、小学生の男孫と娘孫)が1階に暮らしている。
なお、1階の2部屋にはロフト(3畳半)が付いており、そのうちの1部屋のロフト部分は2階の廊下とドア1つでつながっており、自由に行き来できるようになっている。そのロフト部分にベッドを置き、小生がそこで寝起きしており、ロフトには常設の階段が設けられており、階下の1階部分に二段ベッドを置き、男孫2人が寝起きしている。よって、先に記した小学生の男孫の「じいじ寝よう。」の際は、2階廊下からロフト部分に入り就寝した。
我ら夫婦と息子ら家族は、通常は独立して生活しており、互いに干渉しないこととしているが、必要に応じて互いに連絡を取り合い、協力し合い、誕生日会等のイベントは合同して催している。また、我ら夫婦は、孫らの登校時の見送りや下校時の出迎えを日課としており、孫らの元気な声が聴け、時折孫らが2階に顔を出してくれて話をしてくれ、楽しみを与えてもらっている。中学生の男孫はここ1年で15㎝以上も背が伸び、174㎝の小生をあっというまに超えてしまった。日に日に成長する孫らに毎日触れており、元気をもらっているので我ら夫婦も負けないようできるだけ長く元気でいたいと話し合っている今日この頃である。
<ゴルフ>
退職した年(2020年、令和2年)は、コロナ禍のため、人との交流・接触を極力避けざるを得ない状況下にあり、会合や飲み会などの各種行事が一斉に中止となり、退職し自由時間が増えたにもかかわらず、楽しみにしていた仲間うちの懇親の機会がほぼ失われてしまった。
こうした中にあって唯一行えたのがゴルフである。ゴルフは、屋外で行うため室内での行事に比べれば制約が少なかった(しかし、クラブ施設内ではマスクの着用が義務であった。)。そこで、70過ぎまで働いてきた自分へのご褒美として、これまで20年近く使ってきゴルフクラブを、お気に入りのゴルフクラブ(フルセット)に買い換え、月に2~3回のペースで気の知れた仲間たちや近所のゴルフ好きとともに平日にゴルフコースを回ってゴルフを楽しんでいる。行きつけのゴルフコースは2カ所であり、それらは、我が家から100㎞前後の距離にあるため、復路の交通渋滞を避けたいので、スタート時間を7時半から8時過ぎという早い時間帯にセットしてもらっている。よって、ゴルフ場には、毎回、朝4時か5時には自宅を車で出発し、高速道路を利用して行っている。朝の早いのは夜9時過ぎには床についており、歳のせいもあり早く目が覚めるので、まったく苦にならない。また、高速道路での事故渋滞等により到着が遅れることもあるため、余裕を持って出発しているので、高速を下りる直前のパーキングエリアで休憩をとり、仮眠するなり、軽い朝食を取るなどして時間調整を行っている。さらには、年に3回ある30年近く続く泊込みのゴルフコンペにも参加している。いつもはゴルフ場への往復が車であるため飲酒はできないが、泊込みの場合はそれができ、旧知の仲間と親交を深められるのでとても楽しみである。
また、一緒に回る仲間うちに迷惑をかけてはいけないし、少しでもスコアを良くしたいので、健康維持のための運動を兼ねて、週に3~4日ほど自宅近くのゴルフ練習場に通っている。練習場では、直前に回ったコースの結果を踏まえ反省しながら試行錯誤で球打ちをしている。球打ちは1回当たり150から200球ほどである。自分なりには努力しているのだが、年齢には逆らえず、歳を重ねるごとに飛距離は毎年4~5ヤードは落ちて来ており、今では、ドライバーの飛距離は200㍎程度であり、たまに220㍎飛べば良い方で寂しい限りである。それをクラブのせいにして、この4年間にドライバーを2度更新して、飛距離の維持に苦心している今日この頃である。
<家庭菜園>
家庭菜園は、自宅から徒歩5分ほどのところにある市民農園(32区画、1区画・車2台駐車できるほどの面積)を借りて行っている。家庭菜園を始めて4年目に入っているが、野菜の栽培については、知識も経験もないので見よう見まねである。家庭菜園を始めた当初は、いちごやメロンを栽培し、収穫を楽しみにしていたのだが、収穫の直前には何者かに横取りされ、がっかりしたので今はやめている(SNSによると、農園の近くにはハクビシンが生息しているとのことであった。こうした動物は、果実の熟成時期をよく知っており、こちらより1日早くに横取りしてしまうので、非常に悔しい思いをした。)。今は、トマト、なす、ピーマン、ジャガイモ、里芋、ネギ、大根等を植えており、各種野菜の成長と収穫を楽しんでいる。ただ、自宅から市民農園に行く途中には起伏があり、農園には水道施設がない上、駐車場もなく車の利用は禁止されているため、自宅から20リットルのポリタンク等で水を運ばなければならず、夏場は汗だくになり、かなりきつい。その分、収穫の喜びが増すのである。しかし、余り採れ過ぎると、同じものが食卓に何度も並ぶので、妻にはいやがられることもある今日この頃である。
<今後>
以上、ここに記したように小生のここ4年の歳月は詩友の皆さんにお知らせするようなことは何も無いが、これまで入院したことがなく、薬いらずで健康に過ごせてきたことが、何にも代えがたい幸せであったと喜んでいる。
しかし、今後は、いつ倒れか、いつ患うか、また、いつまで車の運転ができるか、いつまでゴルフができるか、いつまで健康で生きられるか、といった明確でないことを前提に何らかの準備、子供らにできるだけ負担をかけない、迷惑とならないような準備をしていかなければならないと考えている今日この頃であり、できる終活(相続財産の評価、二世帯住宅の相続特例、墓選び、介護、等々)を来年には75歳の後期高齢者となるのでぼちぼち進めていきたい。
(元長野・諏訪公証役場公証人 柿村 清)
誌友の皆様は、毎日の業務が終わり、帰宅してからどのように過ごしていらっしゃいますでしょうか。
私は、晩酌をしながらその日の出来事等を思い出し、明日はどういう段取りで相談案件等を処理しようかなど考えながら、くつろいだ時間を過ごしております。
最近は、晩酌といえばビールに始まり、日本酒で締めます。
私が20代の頃は、日本酒といえば、熱燗で飲むことが多く、日本酒独特の臭いなどから、あまりおいしい飲み物だとは思っておりませんでした。それが、なぜ日本酒を好んでたしなむようになったかといえば、法務局職員として、高知局と佐賀局に勤務したことが大きく影響しているようです。
高知県はいわずとしれた日本酒天国であり、日頃から県民の皆様が日本酒をたしなむ土壌が醸成されているようです。それを肌で感じたのは、4月に高知県香南市で開催される「どろめ祭り」というイベントでした。そこでは、会場に集まった参加者が、地引網で採れたドロメ(マイワシ・ウルメなどの稚魚)を肴に、日本酒を酌み交わすのですが、メインイベントの「大杯飲み干し大会」というイベントは、男性は、日本酒一升(1.8リットル)、女性は、日本酒五合(0.9リットル)の入った大杯を飲み干し、その「飲み干す時間」と「飲みっぷり」の総合得点で争うという豪快なものでした。優勝者の平均時間が、男性12.5秒、女性10.8秒ということですから、最初そのイベントを見たときは、参加者の飲みっぷりに圧倒されました(なお、参加者が体調を崩した場合に備え、イベント会場の裏に医師が控えていたことも衝撃でした。)。
また、高知市内にある「ひろめ市場」は、大きな屋根で覆われた施設の中に屋台が約60店舗あり、それぞれの屋台で購入したものを、館内に設置された共有のテーブルで自由に飲食できるようになっております。共有のテーブル席では、地元の利用客と観光客が相席となり、自然と会話が始まるなど、なごやかな雰囲気で飲食することができます。この「ひろめ市場」で、鰹のたたき、ウツボのから揚げ、焼きギョーザなど、地元の食材を食べながら飲む日本酒は、格別でした。日本酒を冷やで飲み始め、日本酒がおいしいと感じたのもこの頃からです。
また、高知県の日本酒(美丈夫、桂月、酔鯨、司牡丹など)は、辛口(日本酒度が+のもの)が多く、カツオを始めとする魚介類との相性が抜群にいいということもあり、日本酒が自然と進みました。
高知県のお酒の飲み方のルールの一つとして、「返杯」というものがあります。
それは、相手にお酒を注いだら、注がれた人は、それを一気に飲んで、それから飲み干したおちょこを、お酌してくれた人やその会話の中にいる他の人に返して、お酌をし、渡された人は、それを一気に飲んで、他の人にお酌していくというもので、これを繰り返すことにより、一気に酔いが回るということもしばしばでした。
その後、佐賀局に勤務することとなりましたが、佐賀県も高知県におとらず日本酒どころでした。
恥ずかしいことに、私は、佐賀局に勤務するまで、日本酒に、純米酒、特別純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒、本醸造酒、特別本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒があり、使用原料、精米歩合(玄米を削って残った割合)などの違いによって区別されていることを知りませんでした。
醸造アルコールあり | 醸造アルコールなし | |
精米歩合指定なし | | 純米酒 |
精米歩合70%以下 | 本醸造酒 | |
精米歩合60%以下又は特別な製造方法 | 特別本醸造酒 | 特別純米酒 |
精米歩合60%以下 吟醸づくり | 吟醸酒 | 純米吟醸酒 |
精米歩合50%以下 吟醸づくり | 大吟醸酒 | 純米大吟醸酒 |
簡単に説明すると、上記の区別は、大きく「純米酒」、「本醸造酒」、「吟醸酒」のカテゴリーに分けられ、「純米酒」は、酒米、米麹及び水のみで醸し、自然につくられたアルコールで仕上げたものを指しており、米本来の味わいや風味が楽しめます。
一方、「本醸造酒」は、精米歩合70%以下の酒米、米麹、水に、醸造アルコールを添加したものです。醸造アルコールを添加することでネガティブなイメージを持つ方もいるかもしれませんが、醸造アルコールは、主にサトウキビを原料とする天然のアルコールであり、無味無臭のため、酒本来の風味を邪魔することはなく、むしろ雑味を抑え、すっきりと爽やかな飲み味になる特徴があります。
そして、「吟醸酒」は、水と米、米麹、醸造アルコールを原料とし、精米歩合が60%以下のものを指しています。
日本酒のラベルや箱を見ると、特定名称、使用原料、精米歩合、製造者、製造場所在地等が記載されており、日本酒購入を考える上で参考になると思います。
ところで、私がこのような日本酒の区別を知るようになったきっかけは、次のようなことからです。
佐賀県内には、27の酒蔵があり、それぞれの酒蔵がおいしい日本酒をつくろうと競っておりますが、特徴的なところとして挙げられるのは、佐賀県産の原料と水を使った日本酒(純米酒)と焼酎(本格焼酎)を対象に、毎年春と秋の2回、「The SAGA 認定酒」の認定が行われ、各酒蔵が、「The SAGA 認定酒」の認定を目指して切磋琢磨しているところです。
私も、「The SAGA 認定酒」に認定された日本酒を飲んでみましたが、どの日本酒も私がこれまでに味わったことがない香りとうまみがあったことから、さらに、もっと日本酒のことを知るために、日本酒のラベルに書いてある、特定名称、使用原料、精米歩合等を見るようになった結果、純米酒、特別吟醸酒、純米大吟醸酒等の区別があることを知るようになったわけです。
また、佐賀県では、「最初の乾杯を日本酒で行おう」という「佐賀県日本酒で乾杯を推進する条例」が定められております。この条例は、酒席での最初の乾杯を佐賀県産の日本酒で乾杯することを推進するというもので、ますます日本酒と触れ合う機会が増えました。
なお、佐賀県産の日本酒でおいしいと感じて飲んでいたのは、鍋島、七田、天吹、東一、能古見、前、基峰鶴、万齢などです。
私は、現在長崎県諌早市に住んでいますが、よこやま、飛鸞、六十餘洲、杵の川など、長崎県産のおいしい日本酒もたしなんでいます。
ここで、日本酒の原料、製造過程について、若干触れておきます。
日本酒を製造する上で欠かせないのが、日本酒の原料として使われる米であり、「酒造好適米」と呼びます。代表的な酒造好適米としては、山田錦、五百万石、雄町などがあります。山田錦は、時に“酒米の王様“と呼ばれることもある、酒造好適米の代表格であり、粒が大きく、約8割を心白が占めるため、雑味が出にくいことで知られています。五百万石は、新潟県で生まれた、比較的早い時期に収穫できる早生品種であり、米質が硬めで溶けにくいことから、辛口でキレのある酒をつくりやすいのが特徴です。雄町は、江戸時代に生まれた古い品種で、酒造好適米の過半数が雄町の遺伝子を受け継いでいるといわれており、豊潤な風味を備え、現代でも人気の高い品種とされています。
ところで、ビール、ワインなど、日本酒以外の酒は、原料に含まれる糖を微生物が分解することにより、アルコールを生成しますが、日本酒の主原料である酒造好適米には、糖質がなく、そのままでは発酵させることができないため、米麹を加えることにより、米のでんぷん質を糖に変え、さらに、その糖に酵母、乳酸菌を加えて、アルコール発酵させているわけです。
日本酒の製造過程をみてみますと、精米・洗米・浸漬→蒸米→放冷→製麹→酒母、醪づくり→上槽・濾過・火入れ→瓶詰め・出荷といった工程をとるのが一般的です。
1度目の火入れを終えた酒は、一定期間貯蔵し、熟成させ、瓶詰めと同時に通常2度目の火入れが行われます。
日本酒のラベルに、「生」、「生酒」等書かれているものがありますが、これは、日本酒を搾った後に「火入れ」という加熱処理を行う回数の違いによる名称です。
1度も火入れせず、生の状態で出荷されるものは、「生酒」、搾った直後と出荷直前の2回火入れするものは、「火入れ酒」と呼び、常温で置かれている多くの日本酒は、2回火入れしています。そのほか、火入れのタイミングが生酒、火入れ酒と異なるものとして、「生貯蔵酒」、「生詰め酒」があります。
このように、日本酒は、調べれば調べるほど、奥が深く、どんどん深みに入っていきます。
最近では、日本酒好きが高じて、酒蔵めぐりを体験するようにもなりました。
今年3月下旬には、佐賀県の鹿島市にある酒蔵6蔵をめぐる「鹿島酒蔵ツーリズム」に行ってきましたが、鍋島で有名な富久千代酒造を始め、それぞれの酒蔵をめぐり、つまみをつまみながら、日本酒を試飲し、「鹿島酒蔵ツーリズム」限定の日本酒を購入するなど、存分にツーリズムを堪能しました。
日本国内において、日本酒離れが深刻だと言われて久しくなりますが、皆様も1度日本酒を飲んでみて、自分好みの日本酒を見つけませんか。自分の好きな料理と相性のいい日本酒を探すことから始められてもよいかもしれません。
以上、思いつくまま書いてまいりましたが、私の随想が、皆様方の日本酒の新たな魅力の発見につながれば望外の喜びです。
(長崎・諫早公証役場公証人 森 一朋)
親しまれる公証役場を目指して(羽田野和孝) |
令和5年7月1日に津地方法務局所属の公証人に任命され、松阪公証人合同役場に着任して早1年以上が過ぎました。この間、「あっという間の1年」という思いもありますが、「何とか1年を乗り越えられた。」というのが本音のところです。
着任に当たって、先輩方から貴重な資料やアドバイスを頂戴し、公証役場に訪問した際にもお忙しいなか快く受けて頂き、丁寧にご指導いただきました。それでも、いざ一人で仕事を進めていくと不安な事ばかり、文例集や先輩方が作成された公正証書の記録を参考にしながら、本当にこの重責を全うすることができるだろうか、不安や悩みが続く毎日でした。
昨年一年間、先輩方にご指導いただいた相談事案が、記録に残してあるだけでも90件を超え、先輩方に支えられた1年でした。
また、毎日の生活も公証役場とアパートを往復する日々、気分転換を図ることがなかなか難しいところ、最近は、少しずつではありますが松阪市内を散策し、歴史や文化に触れる時間を設けています。
1年の経験しかない私が、会友の皆様にお伝えできる情報や実績がありません。そこで、せっかくの機会ですので、私が勤務する公証役場のある松阪市を紹介させていただきながら、1年間を振り返って感じたことをご報告させていただきたいと思います。
松阪市(「まつさか市」と言います。「まつざか市」ではありません。)は、三重県のほぼ中央に位置し、東は伊勢湾、西は台高山脈と高見山地といった山々、北には雲出川、南には櫛田川といった清流が流れ、自然に恵まれた都市です。そのすばらしい自然を背景に産業の発展や歴史・文化が育まれてきました。
松阪と言えば、ご存じとのとおり全国的に有名な“松阪牛(まつさかうし)”です。
松阪牛の美味しさの秘密は、「香り(甘くて上品な香り)」、「脂肪(ヘルシーで良質な脂肪)と「食感(すぐに溶けるまろやかさ)」にあると言われ、松阪市のふるさと納税のサイトをのぞけば、お礼として様々な部位の品を探すことができます。一方で、地元の人にとってはサーロインやカルビはなく、庶民的な価格から身近な存在なのが「ホルモン」です。肪酸が豊富で、サラリとしていて特有の甘味が特徴です。ちなみに公証役場の隣にはホルモンで有名なお店の本店があり、お昼時や、夕方に役場の窓を開けるとお店からの臭いが役場内に充満し大変なことになります。
また、市内の商店街では「松阪もめんで街歩き」と記載された看板やのぼり旗を目にします。「松阪もめん」とは、天然藍の先染め糸を使い、「松坂嶋(まつさかじま)」と呼ばれる縞模様が特徴の松阪地域で生産される綿織物です。「松阪もめん」は、江戸時代、倹約令によって華美な着物を堂々と着られなくなっていたところ、天然の藍で染めた地にバリエーション豊かなシマ柄(ストライプ柄)がイナセな江戸っ子に受けたと言われ、市内には、昔ながらの機織り体験ができる施設もあります。
そして、松阪市内にある松坂公園は、全国歴史公園100選の一つに選ばれ、もともとは、1588年青年武将・蒲生氏郷が築いた城郭で、約60年後、大風により天守閣その他が倒壊大破し、現在はその姿を見ることはできません、戦後を残す石垣からは、松阪市内を一望することができます。
ちなみに、蒲生氏郷は、町づくりの達人でもあったとも言われ、松坂に城下町を開いた際に、城下全般に幅約1m、延長各数百mの自然流下の下水溝「瀬割し下水」を縦横に作り、四百年来、公共下水道のできた現代でも雨水とほこりをきれいに流しています。
その他にも、道をのこぎりの歯のようにぎざぎざにして、見通しをわるくし、敵から攻められにくくする「のこぎり横丁」を見たときには、和紙公図当時は公図の管理も苦労したであろうと思いながら、各土地の杭を一つ一つ確認して歩いていました。
このように1年が経過し、休日に街を散策するなど、仕事や生活に少しずつではありますが気を休める時間を作ることができてきましたが、任命当時の私は不安な気持ちから、相談の際には難しい表情をしていたと思います。その表情から「この公証人は本当に分かってくれているのだろうか」、「大丈夫だろうか、他の公証人にお願いしようか」と感じた相談者は少なくなかったと思います。それではやはり相談や作成件数も増えません。
公証役場というところは、普段の生活との関りや結びつきが薄いことから、ご指導いただいた先輩方からも、公証役場の宣伝、情報発信が難しい一方で、利用されたお客様が直接伝える印象は信頼性が高く、利用された方が同じ世代や同じ悩みを持つ人に「公証役場を紹介してみよう」と言われる役場を目指して、できることから自分なりに工夫して実践するようにとアドバイスをいただいてきました。そこで、経験や実績がない私でもできることは何かと考えて、小さなことですが一つ一つ始めてみました。
その一つが、とにかく名刺を配る。遺言書の作成で施設や病院等を訪れた際には、施設の関係者にも名刺やリーフレットを配布し、公証役場の利用をお願いしてきました。最近では講演会や相談会の依頼もありますので、少しずつ効果が出てきました。ちなみに私の名刺には「QRコード」が印刷してありますが、この「QRコード」を読み取ることでリンク先である役場のメールアドレスが表示されます。アドレス入力が省略できスマホ利用者にはとても好評です。
もう一つが本年1月から実施しています月1回の「休日無料相談会」です。実施に当たっては、管轄内の3市7町の協力をいただき、毎月の広報に「休日無料相談会の案内」を掲載していただいており、広報を見ての相談も増えてきましたが、何よりも費用をかけることなく、広報の活用により市町民の方々に公証役場を知っていただくことができて、費用対効果の高い取組であると言えます。
その他にも、些細なことですが土地の地名を正しく読むこと。嘱託人の住所のほか、遺言書では財産として「不動産の表示」を記載しますが、地元の者であれば当たり前である読み方を「当たり前のように読む」、これでも反応は随分と違いました。松阪市内には「駅部田町(まえのへた)」、「白粉町(おしろいまち)」といった、昔の法務局であれば書庫の入り口に「難読よみ一覧」が掲示してあるような地名がいくつもあります。そういった地名を正確に読み上げること、街を散策して拾ってきた情報を活用することも、この土地の公証人であるといった印象を持っていただくことの一つと思います。その他にも、これも先輩方のアドバイスですが、公証役場の環境を整えること、書記の意見を聞きながら、机や待合椅子、パンフレットスタンド等の備品を更新し、消耗品も整備して心地よい空間(役場)を作るように心がけています。公証役場には松阪市以外にも尾鷲、熊野といった遠方からも相談に見えますが、今後は各地域にも足を運び、歴史や文化、暮らす人にも触れていきながら、地元に必要とされ、信頼される公証役場となれるよう日々、努力していきたいと思います。
(津・松阪公証役場公証人 羽田野和孝)
公証人生活を振り返って(竹村 政男) |
平成27年6月に公証人に任命され,長野県佐久市で業務を始めて9年1月の間公証人として業務を行ってきましたが、本年7月1日付けをもって退任辞令をいただき約3ヶ月が過ぎました。
その間、自宅のリフォームや私自身の入院・手術があり、何かと慌ただしい日々を過ごしていましたが、今後は「無職」生活が満喫できるのではないかと考えています。
この度,公証人を退任するに当たり,何か記事を投稿してほしいとの依頼を受けましたが,前号(№62号)で鳥取の山本先生、三条の小田切先生も同様の趣旨での投稿があったため、いかがなものかとの思いはあるものの現役の公証人の方々には参考とならなくとも,せめて,公証人生活が始まって間もない方々に参考となる内容となればとの思いから,かすかな記憶をたどりたいと思います。
1 開業当初の時期
前任者の仕事ぶりを事前研修という形で見ていたものの,いざ本番となると想像していたものと異なり,なかなか仕事がはかどらず,四苦八苦の日々が続いた。
あちこちの先輩公証人の方に,様々な助言を仰いだことは当然のことだった。
そのような状況のなか,まだ1か月も経たない時期,夕方の5時間際に一本の電話が架かり,肝心な用件の話は全くなく,かなり失礼な内容の話となり,「どうせドサ回りをしてきたんだろう」あるいは「どうせ仕事も分からないだろうから,せめて司法書士か行政書士を雇って業務をしろ」などと訳の分からない内容の話である。
業務時間が過ぎている旨を伝えると,あっさりと「失礼しました」と話が終わった。
同様の電話が2~3本架かってきたが,その後は全くない。ひょっとすると新任公証人に対し冷やかしの意図をもって電話をしている人たちかもしれない。
また,公証人に任命された年の年末に,成年被後見人の方の遺言依頼があり,2名の医師の方と施設に出張したことがあった。成年被後見人の方の遺言は9年間で1件のみであった。
2 数年経過した時期
法務局勤務時において,特に最後の10年間程度は,赴任地での勤務が2年から3年間で,次の勤務地への引っ越しの繰り返しであったためか,公証人としての執務期間が3年から4年目頃になると,一カ所でずっと仕事をしていることによる一種の倦怠感が生じてきた。
緊張感を持って業務に当たらなくてはならないのは当然のことではあるものの,一カ所に留まって仕事と生活をすることができる幸せに感謝しなければならないにもかかわらず,贅沢な感情である
また,今後数年間を公証人として仕事をすることが,とてつもなく永い期間に感じられたものだった。
ようやく落ち着いて仕事をすることができるようになってきた時期に,突然コロナの脅威が襲ってきた。
特にお年寄りが出歩くことを控えたせいか,当事務所の受託件数も激減し,手数料収入が他の月の半分程度となってしまい,事務所を維持するための経費が捻出できず,公証人の蓄えで穴埋めをする状況であった。
このような状況が数ヶ月継続するようであれば,とても事務所を維持できないのではないかと考えたが,何とか持ちこたえることができた。
さらにこの時期には法改正・制度改正が相次ぎ,債権法関係・相続法関係と,公証事務に密接な関係を持つ法律が施行されたため,しょぼしょぼした目で改正法を理解するよう努めた記憶がある。
3 終盤の数年間
コロナ禍の最中に,送別会もできない中,先輩公証人が次々と退任され,いつの間にか公証人としてはベテランと言われるようになってきてしまった。
ようやく,残りの期間を指折り数えることができるような時期となると,月日の過ぎるのが早くなり,どことなく寂しさを感じるようになってきた。
特に,あと一年となった時期以降は日々の過ぎるのが早く感じた。
一言で9年間と言っても,その間には,面談する前に嘱託人が死亡してしまった案件,証書交付当日に死亡連絡が入った案件,面談した際,意思能力が不十分であると判断せざるを得ない案件等があった。また,個人的には体重と処方される薬の種類が増え,手術も2回経験した。
現役の公証人又は公証人退任後間もなくお亡くなりになる方もおり,とにかく心身の健康が一番大事だと感じている。
公証事務の電子化あるいは今後の法改正等により,対応が大変だと思うが皆様のご活躍を一民間人として応援しています。
(長野・佐久公証役場元公証人 竹村政男)
実務の広場
このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。
No.103 死亡保険金請求権(死亡保険金)を信託財産とする遺言信託について(大谷勝好) |
1 はじめに
v高崎公証人合同役場に勤務し3年目となります。当役場では、遺言信託は、極めて少ない状況ですが、今般、あまり例のない事案の嘱託がありました。嘱託は、遺言、任意後見契約、死後事務委任契約の依頼です。遺言の内容は、第三者に全ての財産を遺贈するとともに、遺言者が加入する生命保険の死亡保険金受取人を、遺言執行者に変更し、死亡保険金請求権及びその保険金を遺言により、遺言執行者を受託者として信託するものです。参考になればと思いご紹介します。
2 事案の概要
本件は、遺言者の信頼している人物Aが遺言執行者及び任意後見契約・死後事務委任契約の受任者となっている。
(1)遺言の内容
① 遺言者は、一人息子の長男が死亡し、長男の婚約者であったBに世話になっているので、財産を換価・換金し、葬儀費用、債務、執行に必要な費用等(以下「各種費用」という。)を控除した残金を、Bに遺贈する。
➁ 遺言者が加入している死亡保険金請求権及びその保険金を遺言により信託(受託者はA)し、その信託財産(保険金)を各種費用に充当し、その残金をB(受益者)に給付することを目的とする遺言信託を設定する。
(2) 背景事情
① 実情として、遺言者の上記(1)①の財産だけでは、各種費用の支払いが不足するおそれがある。
➁ 遺言者が加入している生命保険の死亡時保険金受取人は、死亡した長男となっているため、死亡した長男の相続人(詳細は不明)が保険金の受取人となるが、遺言者は、長男の相続人には保険金を受領させたくない。
③ このような場合、遺言で保険金の受取人をBに変更することで足りると考えられるが、その場合、死亡保険金はBに直接支払われるため、遺言執行者のコントロール外となってしまい、各種費用が不足した場合に、保険金を各種費用に充当できない。
④ そこで、遺言信託により、死亡保険金請求権及び死亡保険金を信託財産とし、受託者をAとすることにより、Aが保険金を受領し、その信託財産(保険金)を各種費用に充当し、その残金をB(受益者)に給付することを目的とする遺言信託の嘱託となった。
3 検討
死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることはできるかについて、検討しました。
信託の対象となる財産については、信託法上の制限はないので(年金受給権などの一身専属権は譲渡できないなど、法令上等の理由により譲渡が禁止されている場合を除く。)、死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることは可能と考えられます。
また、信託会社においては、「生命保険信託」という商品が取り扱われています。これは、生命保険契約者が、信託銀行等と信託契約を締結し、保険金請求権を信託し、契約者死亡後、信託銀行等が保険金を請求し、受益者に決められた方法により、金銭を交付する仕組みとなっている旨がホームページ等に公開されています。
また、東京国税局のホームページの文書回答例「保険契約者が死亡保険金請求権を信託財産とする生命保険信託契約を締結した場合の生命保険料控除の適用について」には、次のような仕組みが掲載されています。
① 保険契約者と保険会社と間で生命保険契約を締結
② 保険契約者は、形式上、保険金受取人を自己に変更する意思表示を保険会社に対して行った上、信託銀行との間で本件信託契約を締結する(当該意思表示は、信託における信託財産は委託者(保険契約者)が処分できる財産であるという信託財産としての適格性を満たすため)。
③ 本件信託契約の締結後、委託者(保険契約者)から保険会社に対し直ちに保険金受取人を信託銀行に変更する意思表示を行う。
④ 被保険者の死亡による保険金支払事由が発生した場合、保険会社から死亡保険金請求権を有する信託銀行に対し死亡保険金が支払われ、以後、当該保険金が信託財産となる。
以上から、自己の有する死亡保険金請求権(保険金)を受託者(受取人)に移転することは可能であり、また、信託会社の「生命保険信託」においても、死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託契約(自己の有する請求権を受託者に移転する信託行為)が一般的に利用されていることからも、死亡保険金請求権(保険金)を信託財産とすることはできると考えました。
4 対応
以上の検討の結果、死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託を遺言によって設定することは可能と考えました。なお、遺言公正証書は下記の事項を記載して作成しました。
① 全財産(信託財産を除く。)を、清算型でBに遺贈する。
➁ 死亡保険金の受取人を「A」へ変更(指定)する。
③ 死亡保険金請求権及びその保険金を信託財産とする信託の設定
④ 遺言執行者を弁護士法人に指定
この原稿を書きながら改めて考えると、②の手続は、正に死亡保険金請求権等の財産権を委託者から受託者に移転する信託行為と考えられます。そうであるならば、②と③は記載順を入れ替えたほうが理論的に適っていると考えられます。なお、遺言執行者による保険給付請求権限の有無については否定的な見解がある(日本公証人連合会「証書の作成と文例」遺言編三訂版148ページ)ことにも留意を要すると考えます。
5 おわりに
上記のとおり検討し作成しましたが、検討すべき事項、記載事項が十分であったかは、心もとない部分があります。皆様からのご指導等をいただけたら幸いです。
公証役場には、高齢化社会を反映し、様々な遺言、任意後見契約、死後事務委任契約等の嘱託がされています。今後も、多様なニーズに対応できるよう適正な公正事務に努めていきたいと考えています。
(前橋・高崎公証人合同役場公証人 大谷勝好)