若葉の緑が目にも鮮やかな季節となり、花の便りが相次ぐ今日この頃、会員の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
最近の報道では、「はしか(麻疹)」が世界的に流行し、国内でも感染が広がる可能性があるとして、厚生労働省がワクチン接種などの感染対策に取り組むよう呼び掛けているとのことです。2回のワクチン接種で95%以上の人が免疫を獲得できるので、ワクチン接種が極めて有効な手段とのことです。
この年齢になっては、その昔「はしか」に罹ったか、予防接種を受けたかが気にはなるものの、記憶も記録もなく、知る由もありません。少し様子を見て、感染が拡大したなら予防接種を受けることも考えなければならないのかもしれないと思っています。(YF)
今日この頃
新設公証役場開設までの道のり(中村雅人) |
1 はじめに
令和4年11月1日、静岡県焼津市に所在する焼津公証役場の公証人として勤務し始めてから、1年余りが経過しました。勤務開始当初は、嘱託人からの相談や公正証書の作成等を行うに当たり、どのように対応してよいのかよくわからず、かなり疲弊していましたが、先輩公証人の皆様に、その都度、案件を相談しながら事案を処理することにより、何とか今まで乗り切って来ることができました。最近になってようやく、少しずつではありますが、業務処理のペースがつかめてきたような気がしているところです。
私の勤務する焼津公証役場を紹介させていただきますと、
① 当役場が置かれている静岡県焼津市は、東京から西へ約190㎞、名古屋から東へ約170㎞で京浜地区と中京地区のほぼ中間に位置しています。市内には、主要交通機関として、JR東海道本線の焼津駅、西焼津駅があり、東名高速道路の焼津ICと大井川焼津藤枝スマートICがあります。この地域は温暖な気候であり、冬に雪が降ることはまずないとのことです。焼津市に隣接する藤枝市には、静岡地方法務局藤枝支局があり、同支局の不動産登記管轄区域は、藤枝市、焼津市、島田市、牧之原市、榛原郡吉田町及び榛原郡川根本町の4市2町となっており、これらの市町全体は、志太榛原(しだはいばら)地域と呼ばれており、焼津公証役場の利用者のほとんどは、同地域に在住する方々です。
② 焼津公証役場の事務所は、平成20年11月に焼津市に合併した旧大井川町の町役場(現在は、焼津市役所大井川庁舎)内に設けています。JR焼津駅、西焼津駅、藤枝駅のいずれの駅からも、8㎞から9㎞ほど離れた場所にあり、公共交通機関としては、JR焼津駅前から大井川庁舎行きの路線バスが、約30分間隔で運行されています。
さて、焼津公証役場は、令和4年11月1日に新設された公証役場であり、役場の開設まで、その準備を全て自分一人で行わなければならず、開設までには、それなりに苦労がありましたので、次回、新たに公証役場を開設される方への一助になればと考え、以下のとおり、開設までの道のりを書き留めることとしました。
2 公証人の公募
令和3年12月初旬、公募先の焼津市等について説明を受けました。その内容は、「任命時期は令和4年11月。前任者はおらず、役場は新設とのこと。詳細は、今後示される予定である。」とのことでした。
法務省ホームページに掲載されていた「公証人法第13条ノ2に規定する公証人の選考に関する公告」を見て、「採用予定地:静岡地方法務局藤枝支局管内 焼津市、採用予定人員:1人、採用予定年月日:令和4年11月1日」であることを確認しました。その公告で、他の採用地における採用予定年月日の多くが令和4年7月、8月、9月となっているのに対し、焼津公証役場については、11月となっているのは、新設だからきっと開設までの準備期間を考慮しているのだろうと思いました。そして、新設の公証役場ということもあって、複数の応募者が出ることは間違いないだろうから、試験のための勉強をしっかりやらないといけないとも思いました。
結果として、公募については競合したらしいのですが、筆記試験の実施までには至らず、令和4年2月に実施された口述試験までの間、時間を作って勉強するように努めました。同年3月に法務省から公証人として採用の内定通知を受けたときは、ほっとしました。
3 自宅住居の選定
令和4年3月末までに関係者から入手した情報によると、新設される公証役場を置く場所は予定されている(私が不動産物件を探す必要はない。)とのことでした。私は、JR焼津駅近辺に公証役場が置かれるのだろうと勝手に想像していましたが、実際は、上述のとおりJR焼津駅から9㎞ほど離れた焼津市役所大井川庁舎に置かれることがわかりました。
そこで、3月下旬の休日に、レンタカーを運転して現地に行ってみると、大井川庁舎の周辺には公民館、消防署、図書館、そして約1000人収容可能のホールを持つ立派な文化会館があるほか、庁舎のそばに銀行や信用金庫もあるものの、毎日の生活の本拠を置く場所としては、少し不便と感じたことから、私は、静岡市内にアパートを借り、役場には、電車とバスを利用して通勤(所要片道約1時間)することに決めました。
3月末の法務局退職から役場開設の11月まではかなり期間はあるものの、退職後すぐに静岡に引っ越すこととし、家族の協力も得て、短期間のうちに物件を探し、4月3日には、退職時に居住していた公務員住宅から直接、静岡市内の駅近物件のアパートに引っ越しました。通勤するに当たり、電車の遅延や台風等での運休の際に対応できるか不安もありましたが、公証人となってから今のところ、通勤面でのトラブルは生じていません。
なお、近年、公共交通機関は台風などにより交通障害が起きそうな場合には、事前に計画運休等の情報を知らせてくれるので、そのような場合には、焼津市内のホテルに宿泊することにより対応しています。
4 退職直後の生活
令和4年3月31日に法務局を退職し、4月に静岡に移り住んでから、5月末までの間は、先輩公証人の事務所をいつくか訪問し、公証人としての仕事を間近で拝見させていただくことができました。その際、私は、役場の開設に当たり参考とするため、各役場のレイアウト、必要となる備品、図書、消耗品、各種帳簿類、ゴム印等を細かく把握するよう努めました。
なお、訪問させていただいた先輩公証人の中には、役場新設に必要となると思われる物品等をメモにして準備していただいていた方もおり、とてもありがたく感じました。
5 焼津市・法務省・法務局の打合せ会
公証役場開設に向けて実質的に動き出したのは、令和4年5月30日に大井川庁舎で行われた焼津市、法務省、法務局の各担当者による打合せ会からでした。当日は、焼津市総務部長、同市管財課長、同課管財係長、法務省民事局付、同局総務課公証係長、静岡地方法務局長、同局総務課長、同課監査専門官及び私が出席し、役場開設に向けての打合せが行われました。
焼津市担当者から、まず、大井川庁舎(地上3階建)では、1階に市民サービスセンターを置き、住民サービス(戸籍・住民登録、年金等の事務)を行っていること等、庁舎の概要説明がありました。次に、①公証役場の事務室として、大井川庁舎2階の旧町長室(約50㎡)、②書庫として、旧町長室の隣室である旧市史編さん資料室(約40㎡)、③公証人が使用する車両の駐車場(車庫)を有償で使用させること、④公証役場を来訪する者については、大井川庁舎への来訪者用の駐車場を無償で使用させること、⑤光熱水料の負担割合については今後協議すること、⑥事務室となる部屋の経年劣化等に伴う修繕工事(壁紙等の貼り直し等)については、公証役場開設までに焼津市の予算により対応するが、その額については予算の制約があるので、公証人からの全ての要望に応じることはできないことを理解してもらいたい等の説明がありました。
当日の打合せは、公証役場の事務室となる旧町長室で行われましたが、その部屋は、周囲の壁紙が日焼けして茶色っぽく変色しており、床のタイルカーペットも汚れが目立ち、応接セットや打合せテーブルが適当に置かれている感じの物置のような状況で、この部屋を公証役場事務室として使用するためには、一定程度の修繕が必要であり、今後、焼津市担当者との折衝が不可欠となることを実感しました。
6 電話回線、備品、消耗品等の調達
令和4年6月中旬、電子公証システムを導入する業者の担当者から連絡が入り、電話回線(専用回線)を手配するよう依頼がありました。これを受けて、翌日、NTTに電話をして、回線の手配を依頼したところ、回線敷設は3か月後になるとの回答がありました。そんなに期間を要するのかと驚くとともに、役場開設日直前に慌てることのないよう、様々な準備作業を前倒しで進めていかなければならないと思いました。
事務室のレイアウトについては、先に訪問させていただいた公証役場のレイアウトも参考にして、およそのイメージをフリーハンドで書いた図を、業者に渡して、必要となるパーティション、カウンター、事務机、椅子などの必要備品のリストアップとレイアウトを提案してもらい、作業を進めていきました。業者の選定については、開業までに業者との打合せを機動的に行う必要があること、また、開業後のアフターサービスも考え、焼津市役所担当者から焼津市内の事務機器を扱う業者を数社教えてもらい、その中から、焼津市内の文房具店を選定し、コピー複合機、電話機、インターネット回線の手配も含めて一括して依頼しました。
一方、諸帳簿(証書原簿、認証簿、確定日付簿、計算書等)については、漏れのないように注意し、自ら印刷会社に発注し調達しました。また、事務用の消耗品については、文房具店から提供されたカタログを参照し、品名、単価、個数、合計額をエクセルシートにまとめ、文房具店に提出することにより調達しました。この作業は、細かい作業で、途中で嫌になってしまうこともありました。かつて、法務省勤務時代に、法務省浦安総合センターの開設に当たり、予算要求・執行作業を担当しましたが、昔を思い出しつつ、法務局を退職した後も、予算規模は違うも同様の作業をしていている自分に苦笑いでした。
7 書記の採用
焼津公証役場は新設であることから、書記も新たに採用する必要がありました。公証人の中には、配偶者を書記とする方もいらっしゃいますが、私の場合は、当初からその選択肢は全くなく、一般の方を採用すると決めていました。令和4年11月という中途半端な時期からの勤務となるため、早めに内定したいと考えていました。
そこで、令和4年5月の上記担当者打合せ会において、法務局総務課長に対し、法務局OBや法務局に勤務経験のある非常勤職員で、焼津公証役場に書記として勤務していただける方を紹介していただけないかと相談したところ、法務局総務課長から心当たりのある方に書記として勤務できないか打診してみるとのお話をいただきました。かなり期待していたのですが、6月中旬に法務局総務課長から電話があり、公証役場の書記の話について断られたとのお話でした。一連のやりとりから、法務局に書記候補者を依頼することは困難であると感じ、その後、開設に当たり法務局に対して依頼することは極力しないようにしました。
結局、書記の採用については、9月初旬にハローワークで公募したところ、短期間のうちに10人以上の方が応募してくれました。しかし、大半は65歳以上の高齢者でした。数少ない40代、50代の方と面接するものの、やる気の感じられない方ばかりで内定を出すことはできず、途方に暮れていたところ、一人の女性が応募してきてくれました。履歴書を見ると、PCスキルもあり、実用英検2級を取得されている方で、面接を経て、すぐに採用内定を出しました。開業1か月半前にようやく書記を採用することができました。お陰様で、その書記は、現在も勤務を継続してくれています。
8 公正証書遺言作成時の証人の人選
公正証書遺言の作成時の証人については、遺言者が手配できない場合に、どの公証役場も、証人を引き受けてくれる方を複数用意しているものと思います。前任の公証人がいる役場であれば、証人についても継続して担当していただいているものと思いますが、新設公証役場は、そういうわけにはいきません。まずは、志太榛原地区の司法書士の方に相談させていただき、そこから足がかりをつかみたいと思い、令和4年4月に司法書士の名簿を頼りに、司法書士の方に電話を掛けて相談したのですが、とても冷たい対応でした。自ら何とかして探さなければなりませんでしたが、人選の方法について、よいアイデアは浮かびませんでした。
公証役場事務室に設置する複合機の営業担当者が、志太榛原地区の行政書士会の支部長をよく知っているということでしたので、挨拶に行き事情を説明し、行政書士の方に引き受けてもらおうとも考えましたが、開業する前から特定の士業者の力を借りるのもどうなのかとの疑問もありました。そんな時、市役所職員のOBの方に依頼することはできないかと思いつきました。
そこで、公証役場開設準備でいつも対応窓口となってくれているとてもフットワークの軽い焼津市役所の係長に、相談したところ、「4人くらいならすぐに用意できると思います。候補者に当たってみますよ。」と力強い返事をいただきました。翌日、同係長から、「4人に声を掛けて、全員協力してもよいと言っています。」と連絡がありました。10月11日にその4名に公証役場事務室にお集まりいただき、証人の役割や留意事項等につき説明を行い、全員協力していただけることになりました。証人を確保できたときには、とても安堵しました。
この焼津市役所の係長とは様々な折衝を通じて、相互にコミュニケーションが取れており、それが証人を確保することにつながりました。
9 書記の業務の習得
私は、当初から、法律関係業務を経験した書記を採用することは困難と予想していましたので、開業前までに私が書記の業務を理解して、開業後、書記に対して指導していかざるを得ないと考えていました。そのためには、私自身がどこかの公証役場において書記の業務を実際に体験させてもらうことが最も効果的と考えていました。
そんな時、7月に富士公証役場の岩崎公証人から連絡をいただき、同役場で書記の業務を勉強してはどうかと提案がありました。大変ありがたいお話でしたので、是非お願いしたいと申し上げ、7月初旬から9月初旬まで、延べ約3週間、書記の業務を体験させてもらう機会に恵まれました。
富士公証役場に勤務するベテランの書記の方からは、電話応対、確定日付、計算書、統計、文書の保存等に関する事務、外国文認証における甲用紙、乙用紙、丙用紙の取扱い、遺言検索システム、電子公証システムの操作方法等について、OJTにより教えていただきました。今、考えてみると、富士公証役場におけるこの書記業務の習得は、最も重要であったと感じています。岩崎公証人には、御自身が7月に公証人に就任されたばかりであったにもかかわらず、このような機会を与えていただいたことに、心から感謝いたします。
10 公証人の業務の習得
9月、10月は、公証人の業務の習得のために、袋井公証役場に通い、延べ約2週間、名取公証人(当時。令和5年2月末に退職)から、公証人の業務全般について、指導をいただきました。名取公証人は、公証役場新設のための準備がいかに大変かということを気にかけてくださり、4月の段階から、いろいろ相談に乗っていただきました。名取公証人とはそれまで面識はなかったのですが、とても親切に指導していただきました。また、これまで袋井公証役場において使用した各種の公正証書等の代表的な文例を、データで提供していただきました。さらに、公証役場開設後も、業務を処理するに当たり不明な点について、その都度連絡し、適切なアドバイスをいただきました。開設準備も含め、最もお世話になった名取公証人に対し、心から感謝いたします。
11 開所式
公証役場開設の直前、令和4年10月30日(土)、焼津市の主催により、開所式が行われました。開所式には、焼津市長、焼津市議会議長、法務副大臣、地元選出の衆議院議員、静岡県弁護士会会長、同司法書士会会長、同行政書士会会長、法務省民事局総務課長、静岡地方法務局長、地元自治会関係者らが出席しました。
庁舎玄関前で行われたセレモニーでは、焼津市長の挨拶の後、公証人予定者の挨拶、法務副大臣、地元選出衆議院議員を始め、来賓からの祝辞がありました。その後、焼津市の御配慮で庁舎入口の壁に設置していただいた「焼津公証役場」の木製看板の除幕式が行われました。さらに、出席者による焼津公証役場の内覧会が行われました。
12 開設後現在まで
令和4年11月1日(火)、焼津公証役場が開設、業務を開始しました。初めての仕事は、地元の司法書士が来訪し、父親の遺言があるかどうか確認したいとする遺言検索でした。その司法書士は、焼津公証役場に一番乗りしたいと考えていたようで、役場の開設を大変喜んでくれていました。
業務を開始して最も苦労したことは、過去に処理した事件の書類が存在しないということです。過去の事例を参考にしようとしても、書類がないことから、事案を処理するに当たり、とても不安に感じました。特に、外国文認証については、どのような形で認証すればよいのかがよくわからないので、嘱託人から、メール、FAX等で認証の対象となる文書を事前に送付していただき、内容を検討してから嘱託人に来訪していただくようなスタイルをとることにより、対応してきました。
開業から1年余りが経過し、書庫には、各種帳簿が複数蓄積されるようになり、過去の事例を参考にすることができるような環境が少しずつではありますが整ってきています。
13 終わりに
公証役場の新設は、30数年ぶりということらしく、開設の準備に当たり、過去の事例を参考にすることができなかったことから、何から手をつけてよいのかが全くわかりませんでした。法務局を退職後、4月から開設までの7か月間は、本当に開設できるのかどうか、とても不安な日々を送っていました。公証役場という重要な機関の新設に係る準備作業を一人で行うことがいかに大変かということを思い知らされました。
役場が開設してから1年余りが経過し、嘱託事件数も1年前と比較すると徐々に増えてきていることを実感します。今後、自分の健康に留意しつつ、地域の皆さんのお役に立てるよう努力していきたいと考えています。
最後に、焼津公証役場の開設に当たり、いろいろなアドバイスをいただいた皆様に心から感謝申し上げますとともに、今後とも御指導・御鞭撻をよろしくお願いいたします。
(静岡・焼津公証役場公証人 中村雅人)
未来列車Ⅱ(槇 二葉) |
古川(宮城県大崎市)に来て二年が経ちます。
古川駅から徒歩数分、陸羽東線(JR東日本)沿いのアパートに住んでいるのですが、線路脇の木杭柵には、昭和の趣きがあります。昔、この辺りに大型スーパーのニチイがあった?とは、全くイメージできない住宅地の風景です。
陸羽東線は、小牛田駅(宮城県遠田郡美里町(旧:小牛田町))から、古川、鳴子温泉を通り、新庄駅(山形県新庄市)までを結んでいます。
旧小牛田町は鉄道の町として栄え、小牛田駅は東北本線、陸羽東線、石巻線(気仙沼線)が乗り入れる、昔からの主要駅です。一方、古川駅は新幹線駅ですが、在来線は、陸羽東線しか通っていません。
列車の音を聞きながら、昔、一度だけ、陸羽東線新庄行きの列車に乗ったときも、このアパートの前を通ったんだろうなぁと、ニチイが見えたのかまでは、残念ながら憶えていませんが、なんだか不思議な気持ちになります。
1980年(昭和55年)11月、仙台で試験がありました。初めて会った隣の席の人が偶然、同じ高校の一学年先輩でした。夕方近くまでかかり、一緒に山形に帰ろうと、仙台駅へ。17時台の列車に、ぎりぎり間に合った!はずでした。各駅停車でも90分ほどで山形に着きます。
おしゃべりに夢中で、知らない駅が続くことに気づいたのは、どのくらい経ってからだったのでしょう。
終点だった小牛田駅で降りて、駅員さんに訊ねると、新庄行き最終列車まで20分近く時間があり、それに乗れば、新庄から奥羽本線の最終で山形に着くとのことでした。二人共、駅の公衆電話で家に連絡。私は、家族に「金はあるのか。」とだけ聞かれたことを憶えています。もう聞くことのできない声ですが、もしも今日、電話しても、用件のみの、そんなやり取りのような気がします。
先輩の家は、北山形駅から少し東にある魚屋さんで、小牛田駅からの電話に、いろいろと問いただされたらしく、気の毒で仕方がありませんでした。
勘違い乗車は、たぶん、私のミスリードだったに違いありません。
私が山形駅に着いたのは23時30分頃で、当たり前ですが、乗り越し料金をしっかり取られ、タクシー待ちの列では、酔っ払いのおじさんたちにたくさん話しかけられ、何とか乗車できたタクシーの運転手さんにも、いろいろ聞かれまくって、セーラー服の女子高生は、深夜に、ようやく帰宅。タクシー代まで持っていたのか、家に着いてから払ってもらったのか。家族には「あほ。早く寝ろ。」と呆れられました。
私の家は、当時、マチナカから少し離れた住宅地に引っ越していて、距離ならば、北山形駅からの方が近いけれど、繁華街ではない北山形駅だとタクシーには乗れないと思ったという判断だけは、「当然だ。けど、正解だったな。」と言ってもらえたような。
翌日、一つ前の北山形駅で降りた先輩に電話してみると、魚屋さんは朝が早いのに、駅まで迎えに来てくれた御両親の車で帰宅し、駅員さんには、乗り越し料金は要らないと言ってもらったとのことでした。その日、私は、学校へは行ったのかどうかも定かではありません。
あれから、一度も先輩には連絡もしないまま、現在に至ります。お顔もフルネームも、もう思い出せなくなってしまいました。
高橋さん、お元気ですか。
どちらにお住まいですか。
きっと幸せで、穏やかで、もう大きいお孫さんがいらっしゃるのかもしれませんね。私の娘は、残念ながら、まだ独身です。まぁ、ギリギリ20代ですから、そのうち何とかなってくれたらいいなと思いつつ、このままだと、本人の老後が思いやられるので、任意後見制度について説明しておく必要がありそうです。
先日、久しぶりに、山形へ行き、高橋さんの家の前を通りました。お店の看板が、昔のままに残っていて懐かしかったです。
あの日のこと、覚えていますか。
私は、今、宮城県の古川で仕事をしています。
あの日乗った陸羽東線沿いに住まいがあります。ここを通ったんですね。
すっかり夜になっていて、何も見えなかったように思うけれど。
列車がアパートの前を通るたびに、この線路の先は、新庄なんだなぁと思ったりしています。
あの日、私たちには、きっと、たくさんの未来がありました。
私が古川で、公証事務に携わるなんて、思いもしなかった未来です。
公証人になって、もう二年が経とうとしているのに、自分の力量のなさを棚に上げて、時間に追われては、イライラしたりもしています。あの日は、列車を乗り違えても、全く焦らなかったのに。
受験情報を交換しながら、高橋さんは公務員を目指しているとお話されていたように思います。私は、ラジオでニュースを読むアナウンサーか、通訳になりたいなどと夢だけを語っていましたか。英語の成績も芳しくなかったくせに。あれから英語の勉強もほとんどせずに、この歳になって、外国向け文書の認証に悪戦苦闘するはめになりました。天罰が下ったとしか言いようがありません。
まだまだ先になるけれど、古川を離れる時が来たら、あの日のルートにしようかな、と思ってみたりします。
それまで、陸羽東線がなくなっていないと良いのですが。
人生で、たった一度だけ出会って、試験の結果(推して知るべし)も含めて、忘れられない一日を一緒に過ごした高橋さん。
今、未来行きの列車に乗っている若者に、あの日の私たちを重ねて、今夜も、列車の音を聞いています。
………………………
あの日、仙台駅で山形行き(仙山線)と小牛田行き(東北本線)は隣合わせのホームだったのか、何分違いの発車だったのか、今となっては、もう…。
否。今だから、辿り着けました。1980年10月の、各駅の時刻表の画像なるものを、Twitterで発見してしまいました。
巨人の王貞治選手が現役引退を発表し、三浦友和と山口百恵が挙式した11月も、おそらくこのダイヤだったはずで、ネットの記事とおぼろげな記憶を重ね合わせて推測すると、当日は11月5日の水曜日だったようです。
陸羽東線普通列車、新庄行き最終は、小牛田駅19:15発−新庄駅(21:55着)
奥羽本線普通列車、山形行き最終は、新庄駅22:02発−山形駅(23:30着、北山形駅23:25着)
記憶に当てはまっていくドキドキ感。
仙台からの東北本線小牛田行き…仙台駅17:54発−小牛田駅(18:54着)
これに乗ったんですね。家に電話した小牛田駅では20分ほどの待ち合わせ。完璧です。ピースがぴたっと、はまってしまい、ドキドキを通り越して動揺?感動?感無量?です。
なるほど。以前は、陸前古川駅(まだ「古川市」)でした。そうそう、その駅名ならば、何となくですが、記憶にあります。
注:1980年11月1日古川駅に改称、1982年6月23日東北新幹線開業
乗るはずだった仙山線山形行きはというと、仙台駅17:56発。残念ながら、発車番線までは分かりませんでしたが、2分後の発車でした。どちらも仙台駅が始発なので(勝手に、それぞれ当時の5番線と6番線だと認定)、乗り違えてしまって、隣のホームの列車には全く気づかなかったのだと思います。
深呼吸して、もう少し小牛田駅の時刻表を見てみると、小牛田駅の改札を抜けずに、すぐに駅員さんに訊ねていたら、小牛田から仙台行きの、おそらく折り返し運転(小牛田駅18:58発)に乗れたはずで、仙台駅発20:11の仙山線快速列車で、もっと早くに山形に帰れたのだということも、分かりました。
全く余計な旅。ABCD(台形?)の上底A→Dで着くところ、5時間半をかけて、他の3辺を全部めぐった(点A:仙台→ B:小牛田→ C:新庄→ D:山形、と辿った)旅でした。そして、小牛田駅の改札を抜けて駅員さんと話した時点で、次の仙台行き普通列車は21:44までなく、特急も20:43までないため、結果、仙台発山形行き20:11には乗れないので、その日のうちに山形まで辿り着くには、たった一つの残されたルートだったことも、ネット画像の時刻表が教えてくれました。
でも、何事もなく帰っていたら、部屋も見ないで決めてしまった、今住んでいるこのアパートの前の線路を、私の乗った列車が通ることはなく…私の未来列車は、あの日、乗り違えて、今、古川に住んで、この駄文を書く、という行き先だったのかもしれません。
1980年11月5日仙台駅17:56発の仙山線普通列車の乗車券は、今、ここに在る未来の私への、思い残し切符だったのでしょうか。
あれからたくさんの未来列車に乗りました。
いつか古川を卒業する時には、もう一度、小牛田から新庄までの最終列車に乗って、家路につきたいと思います。真っ暗で何も見えなくても。
※ 未来へ
駄文完成後、「陸羽東線活性化ロゴマーク」なるものを見つけました。
美しい鳴子峡をぜひ車窓から(夜以外は、徐行運転してくれるようです)。
また、「四季島」(3泊4日コース)は、鳴子温泉に停車します。したがって、運行シーズン中は、早朝、拙宅の前を四季島が通るのですが、聞こえる音の優雅さが、全然違います。
古川は、大正デモクラシーの旗手、吉野作造のふるさとです。市内に記念館があり、「作造珈琲」は、良き香りがします。 (仙台・古川公証役場公証人 槇 二葉)
実務の広場
このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。
No.101 撤回された遺言の受遺者からの遺言検索及び当該遺言公正証書の謄本交付請求に対する取扱いについて(大竹聖一) |
1 はじめに
遺言検索については、昭和63年に構築された遺言検索システム(以下「旧検索システム」という。)を基礎とする新たな遺言情報管理システム(以下「新システム」という。)が構築され、遺言検索のみならず、遺言公正証書の原本を電磁的記録に保存するためのシステムの充実を図るとともに、旧検索システムにおける日本公証人連合会に対する照会手続が廃止され、各公証役場において検索を可能とするなどの新たな機能が整備されており、新システムの運用については、遺言情報管理システム実施要領(令和4年5月21日定時総会決議)。以下「実施要領」という。)にその詳細が定められているところです。
実施要領によれば、遺言検索に当たっては、「遺言情報管理システム運用マニュアル(役場業務)」で定める方法により、遺言者が死亡した後については、公証人法第51条所定の遺言者の承継人、法律上の利害関係を有している者からの請求に基づいて遺言者情報を検索することができるとされており、また、公証人は、遺言検索結果を書面で交付するものとされ、その場合には、個人情報を開示することになることから、請求者の資格要件の審査はもとより、請求に係る遺言者と、新システムに登録されている遺言者情報との同一性の判断を適正かつ慎重に行うものとされています。
この遺言検索結果の書面による交付に当たっては、その対応に苦慮する場合も生じるところであり、今回は、そのような事案について、紹介させていただきます。
2 事案の概要
本件事案における遺言者の作成に係る遺言公正証書は、次の①~③の計3件ですが、②の遺言の受遺者である遺言者の甥B(以下「請求者」という。)から遺言者の死亡事項の記載がある戸籍の全部事項証明等の必要書類を持参の上、新システムによる遺言検索の請求(遺言が存在する場合は、併せて当該遺言公正証書の謄本の交付請求)があったものです。
① 第一遺言(平成15年)
(概要)
・ 全財産を妻に相続させる遺言
・ 遺言執行者・A(遺言者と妻の知人)
〇 平成17年
遺言者 妻と共に甲を養子とする養子縁組
〇 平成19年 妻死亡
② 第二遺言(平成20年)
(概要)
第一遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載有
財産を養子甲に相続させるとともに、上記A及び遺言者の甥Bに遺贈する内容
遺言執行者 上記A
③ 第三遺言(平成25年)
(概要)
・ 第二遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載有
・ 全財産を養子甲に相続させる内容
・ 遺言執行者 養子・甲
〇 令和6年 遺言者死亡
3 検討及び対応
(1)謄本の交付請求について
撤回された遺言は、民法第1022条、第1023条及び第985条の規定によりその効力が生じないものとして取り扱うべきであるとの見解がある一方、平成23年11月7日開催の日本公証人連合会法規委員会の協議結果(協議問題6「撤回された遺言公正証書の閲覧請求の可否」、公証166号222頁)を踏まえれば、本件事案においても、次の事由により、請求者について、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものと考えられる第二遺言については、その謄本の交付請求に応ずることが相当と考えました。
① 公証人は、公証人法施行規則第27条の規定に従い、証書の原本を同条に掲げる期間保存しなければならず、この保存義務は、当該証書の内容である法律行為の効力がないとき、又は当該法律行為が取り消され、若しくは撤回されたときに消滅する旨の規定は存在しないこと。
② 公証人法第51条第1項によれば、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有することを証明した者は、証書又はその附属書類の謄本の交付を請求することができるものとされており、この請求があった場合において、当該証書の内容である法律行為の効力がないとき、又は当該法律行為が取り消され、若しくは撤回されたときには、その謄本の交付の請求を拒絶することができる旨の規定は存在しないこと。
③ 民法第1025条ただし書き及び最高裁平成9年11月13日判決(民集51巻10号4144頁。判決要旨は、注記参照)によれば、第三遺言(遺言がされた順序は、本件事案に置き換えています。)が詐欺又は脅迫による場合や、第三遺言を更に撤回する第四遺言がされた場合等には、第二遺言が復活する余地があることが認められている上、第二遺言を撤回する第三遺言について公正証書を作成した公証人といえども、そのことのみから第二遺言が確定的に無効なものとなったと断定する権限を有しない(撤回された遺言の効力の消長は、結局判決以外の方法では確定しない。)と考えられること。
なお、第三遺言における第二遺言を全部撤回し、改めて遺言をする旨の記載部分については、請求者について、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものとして、当該部分の抄録謄本を交付することができるという見解もあり得るところですが、本件事案においては、後記(2)のとおり、遺言検索結果の書面による交付に当たって、同書面に第二遺言を撤回する旨の遺言がある旨を付記することにより対応することとしました。
(注)判決要旨
① 遺言者が遺言を撤回する遺言を更に別の遺言をもって撤回した場合において、遺言書の記載に照らし、遺言者の意思が当初の遺言の復活を希望するものであることが明らかなときは、当初の遺言の効力が復活する。
② 遺言者が、甲遺言について乙遺言をもって撤回した後、更に乙遺言を無効とし甲遺言を有効とする内容の丙遺言をしたときは、甲遺言の効力が復活する。
(2)遺言検索結果の書面による交付について
上記(1)で検討したとおり、請求者について、第二遺言については、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものと考えられますが、第一遺言及び第三遺言については、証書の趣旨につき法律上の利害関係を有しないと考えられる(注)ことから、本来であれば、その存否を明らかにすることもできないと考えられます。
しかしながら、本件事案において、第三遺言で撤回されている第二遺言のみの遺言検索結果を通知し、さらに、第二遺言の謄本を交付した場合には、第二遺言に基づく遺言執行がされてしまう危険性があることから、公証人としては、これらによる混乱等を防止するため、第二遺言を撤回する旨の遺言があることを何らかの形で請求者に伝える対応を講ずる必要があると考えました。
これを付記した通知書の案は、別紙のとおりです(通常の遺言検索結果の書面と違い、この書面は、新システム上では作成できないことから、新システム外で別途作成する必要があります。)。
(注)ただし、第二遺言には、第一遺言を撤回する旨の記載とともに、第一遺言の作成年月日、証書の番号、作成公証人の氏名等が記載されています。また、第三遺言については、上記のとおり、抄録謄本の交付が可能であるとの見解もあり得るところですが、本件事案においては、上記により対応することとしたものです。
4 おわりに
実務の広場No.57においては、小田切敏夫公証人が、相続人又は受遺者の地位にない遺言執行者からの遺言検索及び遺言公正証書の謄本交付請求における取扱いについて、検討会における白熱した議論の内容をご紹介いただいています。
本件事案については、公証業務照会センターの担当公証人(日本公証人連合会法規委員)に対して照会をしたところ、法規委員会等においては、これまでに本件事案と同じ内容について検討されたことはないが、同種の事案を検討した際の議論等を踏まえて本件事案を検討すれば、概ね上記3のような考え方及び対応となるのではないかとの回答を得たところです。
近年においては、当公証役場を含め、遺言検索の請求件数が相当数増加している状況にあり、その背景として、相続人に対し、相続発生時における遺言検索を積極的に勧めている税理士法人等の存在などが指摘されているようですが、遺言検索結果の書面による通知等に当たっては、今後も慎重な対応が求められるところであり、参考事例として紹介させていただきました。
(奈良・高田公証役場公証人 大竹聖一)
別 紙
令和〇〇年〇〇月〇〇日
○ ○ ○ ○ 様
○○公証役場
公証人 ○ ○ ○ ○
遺言検索照会結果通知書
あなたから照会のあった○○ ○○(フリガナ・性別・生年月日)様に係る公正証書遺言の有無を調査した結果は、次のとおりですので通知します。
記
令和〇年〇月末日現在、日本公証人連合会で運営する遺言情報管理システムに登録されており、その内容(ただし、公証人法第44条第1項又は第51条第1項によりあなたが証書の趣旨につき法律上の利害関係を有するものに限ります。)は、次のとおりです。
遺言作成日 平成○○年○○月○○日 (注)第二遺言を表示
証書番号 平成○○年第○○○号
遺言作成役場 ○○公証役場
所在地
電話番号
作成公証人
なお、上記公正証書遺言については、その後、これを撤回する公正証書遺言が作成されていますが、あなたは、その遺言について、公証人法第44条第1項又は第51条第1項による法律上の利害関係を有しないため、その内容をお知らせすることはできません。
以上