民事法情報研究会だよりNo.3(平成25年12月)

 師走の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。  さて、当法人成立後初めての会員総会・セミナー・懇親会が、12月7日、70余名の会員のご出席をいただいて開催されました。会員総会の議事録は当法人のホームページの活動報告に掲載しておりますので、ご参照ください。セミナーでは現在の成年後見制度の発足から深く関わってこられた小池信行会員が「成年後見制度の現状と問題点」について講演されました。大変参考になる内容の濃い講演ですので、録音したものを書面にして近々全会員に配付する予定です。  なお、今号では、小畑理事の「随想」と、アララギ派の歌人でもある皆川二郎会員が東北アララギ会の歌誌「群山」平成9年1月号に寄稿された記事を掲載いたします。(NN)

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 随想(理事 小畑和裕) 1 公証人を退任してから4か月が経過しました。現役のころは、毎朝5時に起床し、8時半には役場に出勤しました。お陰様で多くの人たちのご指導、ご協力を得て8年3か月間を1日も休むことなく、終えることができました。ありがとうございました。公証事務のうち、法律的な事務は言うまでもないことですが、自営業者としての事務はどなたもそうでありましょうが、全く初めての事務であり戸惑うことも多くありました。さて、現時点で会員の皆様、特に現役の公証人である会員の皆様に何か参考になる事柄はないかと考えた結果、公証人を退任する際の事務手続きなら少しはお話できると思いますので、私の拙い経験の一端を恥を忍んで披露したいと思います。 2 「終わりよければすべてよし。」という言葉がありますが、自営業者としての事務のうち、退任をする手続きについては、特にそのためのマニュアルもなく、今となれば後任者に多大の迷惑をかけていることと思い、申し訳なく思っています。この事務は、大きく分けて、公証役場の①内部的な事務と②外部的な事務に分けることができると思います。  内部的な事務としては、後任の公証人への引き継ぎ事務があります。私の場合には、スムーズに引き継ぎを行うつもりでしたが、うまく行うことができませんでした。また、詳細な引継書を作成すべきでしたが、雑なものになって申し訳なかったと反省しています。一方、書記には、あらかじめ、3か月前に退任の日を告げました。書記の都合もありますので、後任者に対して、同人を引き続き任用するかどうかを確認し、その結果を知らせました。また、顧問税理士についても、退任の旨を告げ、後任者の意向も聞き、対応しました。私の場合は、8月1日退任でしたので、書記の所得税の計算等の事務がありましたので、3か月前くらいには、退任する旨告知しました。書記が雇用保険、厚生年金等に加入している場合には、事業主の変更手続きがそれぞれの官公署で必要になります。  外部的な事務についていえば、電子定款認証に使用する電子証明書等の返還等の事務については、所属法務局が一切を行ってくれますので、その指示に従うことになります。退任発令日の1か月前くらいに、法務局の直接の担当者に挨拶してお願いしたほうが良いと思います。具体的な手続きは、それぞれの時期に、法務局から通知がありました。退任の発令を法務局で受ける際に、既に交付を受けている電子証明書3枚を持参して返納し、法務局では返納された証明書に新たに証明番号を付し、新任の公証人に交付することになります。  次に、役場の賃貸借関係があります。後任者が、引き続き賃貸借を継続するかどうかの意思を確認したうえ、可能な限り早めに、担当者に連絡をしたほうが良いと思います。特に家賃の徴収を管理会社が行っている場合には、オーナーとの連絡及び手続きに時間がかかる場合もあります。私の場合、入居しているビルのオーナーが当初から3人も変わっていて、契約書の作成も日々の事務に追われて、ルーズであったため、敷金返還債務などが適正に引き継がれているかも不安でした。早めに対応するに越したことはありません。一番困ったのは、電話機、コピー機、パソコン、電子認証の機器等の移転手続きでした。特に電話機については、任命当初は、近くのNTTのサービスステーションに行き、簡単に手続きが終わったため、のんびりしていましたが、その後、光電話を入れNTT以外の会社が参入していたり、サービスステーションもなくなり、後任者に随分迷惑をおかけしました。電話料金、コピー料、リース料などの請求書は、手続きの連絡先を確認する必要があるため、3、4か月前ころからしっかり保存しておく必要があります(料金の徴収と、移転の手続きは会社が異なる場合もあります。)。また、料金請求日の〆の都合上、後任者に迷惑をかけることにもなります。  なお、当然ですが公証人の自営業の廃業の届が必要です(顧問税理士がいる場合には同人が行います。)。公証人のほとんどの方が中小企業共済金を積み立てておられると思いますが、この積立金を受領する際には、廃業届の写しが必要になります。余談ですが、この積立金を分割により受領するか、一括で受領するかについては、よく考える必要があります(分割だと毎年の所得になり、税申告の問題があります。)。 3 以上拙い経験を述べましたが、要は早めにかつ後任者と十分に意見交換を行うことが必要だと思います。
小畑和裕 第2回日本語文章能力検定協会「心に響く三行ラブレター」より *           もし天国で僕を見つけても    どうか知らんぷりでいてほしい。    今度も、僕からプロポーズしたいから。
  野口栄一郎氏のこと(皆川二郎)《東北アララギ会「群山」平成9年1月号通巻597号掲載》  野口栄一郎氏は、平成7年10月30日死去されたが、主に東北各地の判事として活躍、退職後は、横浜の自宅で生活されていた。古くからの「群山(むらやま)」会員として活躍した人であるが、私自身は直接存じ上げない。  たまたま今年の春、同じ職場の上司として本省から着任された野口尚彦氏の父君であることを知り、数々の思い出話などを聞くことができた。尚彦氏が帰省された際に、父の書斎から当時のはがきなどを発見されて、記念に持ち帰られたのを拝見することができた。この機会に氏に対する追悼の意味も込めて紹介することにした。  氏が「群山」に作品を発表されていたのは、昭和23年からであるが、私が「群山」に入会した昭和58年当時も作品Ⅰの上位で発表されており、平成4年9月号を最後に出詠されていない。  尚彦氏の話によると、氏が山形県酒田市の裁判所に勤務されていたころは、平成6年に死去された岸田隆氏らと時々栄一郎氏の宿舎において、小歌会を開いていたことを記憶しているとのことであった。  ところで、氏は生前に歌集を刊行しておられないので、40数年分の「群山」から秀歌を抽出するのに大変な労力を要する。はがきをいただいた時期、すなわち昭和35年から40年代は、酒田にいて精力的に発表されているので、その中から抽出することとした。 ① 昭和23年10月号、十月集、其三に、「葛の花」6首がある。   高杉をわたる風あり山かげの径に葛の花むらさきに散る ② 昭和35年5月号に「ああ坂本忠一氏」と題する「自鳴鐘」を発表しているが、氏は昭和27年2月弘前の裁判所に勤務したときに坂本氏を知り、弘前アララギ会に入会して活動していたが、昭和32年5月酒田の裁判所に転勤した後、坂本氏の死去を知って寄稿したものである。   青森県西津軽郡車力村坂本忠一ありて知りゐき ③ 昭和36年1月号、群山作品「納沙布岬」と題する39首がある。   根室国納沙布岬のうへに立ち見ゆる島々わが国にあらぬ   納沙布の岬に近く蒲公英の花のむしろに揚雲雀啼く  この時期は、歌集評や作品評などにも活躍されており、作品には北海道を旅しての秀歌が多い。 ④ 昭和37年1月号、群山作品「富士五湖」16首がある。   白樺の林ことごとく落葉して幹しろじろと風に吹かるる ⑤ 昭和37年8月号、群山作品「脳溢血」30首がある。   いかならむめぐりあはせか法廷に罪裁きつつ脳溢血す   血圧の高まりにつつ眠られぬ夜半をきこゆる遠き海鳴り   子の捥ぎて来りし見れば裏山の(たま)(づき)熟れて色づきにけり ⑥ 昭和38年8月号、群山作品「上高地」20首がある。   梓川の峪深くして残雪にタカネザクラのくれなゐ映ゆる   梓川のみなもとの空さへぎりてくろがねのごとし穂高ケ岳は ⑦ 昭和39年3月号、群山作品「飛島」19首がある。   わが船の舳先(へさき)はるけき(うな)さかに飛島低くよこたはる見ゆ   黒潮のかそけくここに流れゐてタブノキ椿くろく繁茂す ⑧ はがきは、昭和38年11月19日付けであり、氏が200号記念大会に出席した後日、扇畑忠雄からのものであり、次のように書かれている。  「こんどの大会にはるばるご出席いただき大へんありがたく存じます。予想外の盛会にてただただ喜んで居ります。さぞお疲れだったでしょう。さて会が終って会場を片づけていましたら「ノート」1冊忘れものがありました。名前がないので失礼ながら中をひらいてみましたところ、どうも貴兄のものではないかと思われますので一応御連絡いたします。もしそうでしたら早速お送りいたします。ノートの表紙には「作歌(55)」とあります。右迄」  扇畑先生の人柄と、大事にはがきを持っておられた栄一郎氏の思いを知るような気がします。氏は、昭和39年5月に酒田から下田に転勤されました。 ⑨ 昭和40年8月号に、次の作品がある。   入り来て今日よりわが子起き臥さむ小さき部屋の真中に坐る  これは、東北大学に子息尚彦氏が入学されたときに仙台に来て詠まれたものである。 ⑩ 昭和40年2月号、自鳴鐘「浜木綿」を寄せている。氏が下田に移ってから、下田の浜木綿の種を酒田アララギ会の岸田隆ほかのメンバーに送ったことが書かれている。  これを受けて、昭和40年12月26日付けで、岸田隆氏から栄一郎氏あてに、寄せ書きされたはがきが送られ、次の4氏の歌がある。   忘年の酒くみ合ひて下田なる君を偲びつ被く雪見つつ 鈴木 孝吉   赴任せし下田にありて最上川の歌尽くることなきアララギを見る 千葉 清   歌会終へ君がことなど語りつつ酒賜はりぬ岸田先生宅 鈴木 敬治   月重ね第六十回の年の暮雪積むフレームに育つ下田浜木綿 岸田 隆 ⑪ 昭和41年11月号、自鳴鐘「小歌会」樋口賢治氏が酒田を訪れた際に、鈴木敬治、岸田隆、鈴木孝吉、斎藤邦明、野口榮一郎の5名が出席、歌会を開いた。   クレーンの下ゆふぐらき水の上を灯をともす船のはやく過ぎゆく 樋口賢治   秋とおもふ風吹きわたり最上川下瀬ノ渡行く船早し 野口栄一郎 ⑫ 平成3年11月号、自鳴鐘「安房保田」を寄せている。  また全国各地の歌碑などの拓本を集めておられ、貴重なものを数多く拝見することができた。判事として、定年まで裁判所に勤務された氏の色紙も拝見したが、そのうちの2首を最後に記し、心からご冥福を祈りたい。   判事となりて三十年余となる今も判決するとき胸騒ぎすも   定年のけふしみじみとおもひけり下田裁判所十三年の恩
皆川二郎 歌集「源流地帯」(平成25年6月)より*            かたくなに吾と暮らすを拒みゐる母ふる里に老い深みつつ    再びの職に就かむと移り来ぬみちのくに入る白河の街    事務室に妻の活けくれしユリの花風入るたびに香り放ちぬ    峠二つ越え来て山間(やまあい)のわが生れたるからむしの里    遠く住む孫の写メール届くたびほつと安らぐ妻の笑顔に    母の名を石に刻みて納めたり落葉散りしくふる里の墓地    心身のいづこか常に病む妻と支え合ひつつ四十年経つ    微かなる稲のさやぎを聞きしとき蛍幾つか光放てり
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