入梅の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、当法人は4月に新年度を迎えて以降、若干の退会者がありましたが、新たな会員のご入会により、前年度を上回る会員数を維持しており、手探りで進めてきた事業の展開ですが、おかげさまで皆様のご支持をいただいているものと考えております。今後とも継続して皆様の期待に添えるよう改善に努めていきたいと思いますので、引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(NN)
「登記と法と社会生活」(テイハン刊)と著者・田代有嗣先生の思い出(会員 渡邊玉五知)
―田代有嗣先生の思い出―
私は、田代有嗣先生が法務総合研究所研修第3部長になられた年に高等科研修を受講、先生からは民法総則の講義を受けました。
研修終了後も私は民事局第1課に在籍していましたので、営繕課を訪ねた帰りに、同じ棟にあった部長室に屡々お邪魔し、いろんなお話を聞くのが楽しみでした。
机の上にはいつも書籍や資料が雑然と積み上げられていましたが、先生の話では、右、左、少し斜め等、置き場所、積み方に意味があり、これを親切な係員がきれいに整頓してくれると探すのに難儀する、と苦笑されていました。
お酒は飲まれませんでしたが、研修生の同期会には何回かご参加いただき、幹事室での2次会では得意のジョークを連発、翌日の観光にもつきあっていただきました。残念ながら晩年はお会いする機会もなく、年賀状だけのお付き合いになってしまいました。
先生のご専門は会社法のイメージが強いと思いますが、第5課長(国籍)と第2課長(戸籍)を合わせて9年、本書の上巻から下巻まで14年、構想から下巻完成までは実に35年が費やされており、こちらの方がライフワークと言っても良い労作です。
折に触れ手続法の重要性を説かれ「不動産登記は各種法制度の宝庫であり、この制度を支えているのは国民の総力である」と熱く語られていたのを懐かしく思いだします。
登記法の解説書は多数ありますが、本書のように登記制度に特化した比較法の専門書は他に類を見ない貴重なものです。
古い話で申し訳ありませんが、法務局関係者にはぜひ読んでほしい一冊として語り継ぐため、以下その概要を紹介させていただきます。
―アメリカには戸籍も登記もない!―
1 「登記と法と社会生活」(全3巻・1555頁)執筆の動機と目的
「登記と法と社会生活」(以下「本書」と書きます)は、上巻;身分法、中巻;財産法、下巻;会社法の3巻から成り、副題は『「法律風土」日米格差の根源』。上巻の箱には「戸籍・不動産登記・会社登記等、各種登記制度の有無が、日米の法構造の根源を大きく左右している。」と記されています。
田代先生が、本書を執筆されることになった動機は、昭和44年、民事局第2課長の時、家族法会議のため、カナダ、アメリカへ出張された際、そこには戸籍(身分に関する登記)、不動産・会社の登記制度がないことを知り、驚いたことによるとのことです。
本書執筆の目的は、副題にあるとおり、社会の法的風土の違いは「登記の有無」にあることを実証することにあります。
本書で私の心に強く残っているのは「①どんな立派な実体法も実行可能な手続法と、それを支える歴史的・文化的背景がなければ存続できないこと、②実体法の要請が手続法の能力を超える時、それは実行しえないもの(絵に描いた餅)となり、そのことが実体法に跳ね返って、実体法そのものの変更を余儀なくすること、③「公的機関の能力の限界が法の限界である」とする部分で、このことは先生が繰り返し語られていたこところです。
登記;全ての人(国民・法人)と物(不動産)について日々生起する重要な変動を漏れなく、しかも正しく継続記録して、その「現状」を公証するもの(上巻、4頁)
2 アメリカの身分登録(国籍登録)(以下上巻)
出生に立会った医師等の報告により、人口動態統計局が、出生年月日、出生地、子の氏名、母の住所・氏名、人種等を登録します。父の氏名・人種は母の申告により記載しますが、法律上の父となる訳ではなく、その後の婚姻、氏名変更、死亡等の記録はなされません。
届出義務者が母でなく医師等とされているのは、国籍が出生地主義であることにもよりますが、遵法精神等、国民性や文化の違いがあると、資料を基に分析されています。
占領下の日本でも、親による申告漏れを恐れたGHQの指示により、昭和22年、出生に立ち会った医師等は市町村長に出生報告をするよう省令を発しました。しかし、当時日本の国籍は父系優先の血統主義のため、父を知る立場にない医師等による出生事実の報告だけでは足りず、親の届出義務も残され、市町村長への二重報告は講和条約発効まで続きました。
3 公証人による本人証明
アメリカの公証人は証書の作成は行わず、サイン証明が主たる業務です。「宣誓の上Aである旨証言し、署名した」という事実を証明するのみで、真否についての責任はありません。本人証明は面識主義のため、看護師や街のたばこ屋さん等兼務が殆どで、日本の民生委員より多く、その数は数百万人とも言われています。システムとしては危うく見えますが、神に誓った「宣誓」の上なされた供述を、疑う方がおかしいのです。
4 結婚と離婚
結婚;ワシントン市では、①市に宣誓の上「婚姻許可状」発布申請 ②3日間公示 ③異議がなければ「許可状」発布 ④結婚式挙行 ⑤牧師は本人に「婚姻証明書」交付、婚姻庁に「結婚式挙行報告書」送付 ⑥「婚姻登録簿」にその事実を登録、となっています。
離婚;親族関係を公示する制度(戸籍)がないため、協議離婚制度は存在せず、教義上離婚を認めない教会も離婚に関与しませんので、裁判離婚のみとなります。
裁判所は離婚登録庁のため、当事者間に争いがなくても裁判所に行きます。離婚裁判を経ない再婚は重婚となり違法ですが、著名人でなければ、上記の婚姻手続を経れば重婚は簡単にできます。そこで違法な再婚でも、長期間平穏に継続すれば「自分占有」により「身分の時効取得」が成立し、有効な婚姻になるようです。戸籍のない国特有の法理論です。
5 父子関係の個別主義
普遍的に父を公示する制度(戸籍)がないため、抽象的に父子関係の存否を確認する訴訟や認知制度はなく、父は扶養、相続等必要の都度裁判で定めることになります。しかしそれは当該紛争の解決に付随して処理されるだけで、普遍的に父を定めるものではありませんので、裁判毎に父を定める個別主義(分裂主義)となります。
6 相続
実体法に法定相続の定めがあっても、戸籍がないため、他に相続人がいないことを証明することは困難です。そこで遺言相続が中心で、州もそれを推奨しているようです。
7 不動産に関する証書登録制度(以下中巻)
(1)リコーディング・システム(recording system);不動産譲渡証書(deed)を登録所へ提出し、謄本が年代順に編綴されます。
(2)トレンス・システム(torrens system);創設的登記を望む者が登記申請訴訟を提起し、裁判所から登記官への通知により創設的登記(登録)。以後の取引は(1)によります。
登録申請は任意で、登記官は審査をすることなく、申請書を機械的に編綴します。
届書には「この登録(届出)は、正しく行われたときは、永久的な法的記録となります」と記されています。つまり、国は登録の内容について責任を負いませんので、届出の真否は国民の自己責任で調査することになっています。
そこで国民は、弁護士(120万人)・調査会社(abstract company)等の調査報告書により取引しますが、報告書が間違っていた場合は、大きな損害を被ることになります。
それをカバーするためには、不動産権原保険会社(title insurance company)と保険契約も締結しておかなければなりません。日本に比べますと、多くの時間と経費が必要です。
8 登記の有無と「物権」・「債権」峻別の有無
日本の民法では、「物権法」は強行法で物権法定主義・一物一権主義。「債権法」は契約自由の原則で任意法、と分けられていますが、アメリカ等無登記国では、「物権」と「債権」を峻別する概念はありません。その法的構造を詳しく比較・分析されています。
無登記国では所有より占有が優先され、日本とは逆に「売買は賃貸借を破らない」ことになります。
9 不動産登記の公信力と対抗力
日本では、「実体法」で物権を法定し、「手続法」では戸籍➞住民登録➞印鑑証明制度等を整備して本人の意思確認を容易にし、加えて緻密な登記ルールの設定により、登記官は形式審査により忖度を要することなく、迅速な審査が可能になっています。
日米とも登記・登録に公信力はありませんが、日本では対抗力しかなくても、登記に対する信頼は厚く(第三者に対抗できない権利は無意味)、取引の静的安全も動的安全も守られています。登記簿謄本に損害保険をかける必要はありません。
登記により公示される権利は、訴訟による二者間の争いとは違い、万人に対するものですから、形式審査であれ実質審査であれ、絶対的な権利の証明は、正に悪魔の証明です。
悪魔の証明(ラテン語probation diabolica);ローマ法以来「所有権の証明責任を負う当事者が、無限に連鎖する承継取得のいきさつを証明することの不能性および困難性によって、必ずや敗訴する」という「所有権帰属の証明の困難性」を比喩した言葉。
10 会社の設立(下巻)
設立者が基本定款を州長官に届け、設立証書が発せられると会社は成立し、以後役員変更、解散等の届け出はなされません。詳細は省略しますが、いわゆる登記制度はありません。
・・・・・・・・・
※昨年は、田代先生の7回忌に当たります。先生のご実家もお寺さんだったと記憶していますが、偶然にも昨年の高等科研修の同期会は高野山で行うことになりました。出発前、高野山大学にインド憲法の起草者、アンベードカル博士の銅像が建立されると聞いていましたので、博士のことを調べていたところ、田代先生と博士の風貌が良く似ていることを発見しました。
当日、私は集団から離れて高野山大学を訪ね、除幕式前のアンベードカル博士の銅像に合掌し、田代先生にお礼を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りした次第です。
【田代先生略歴】 昭和3年熊本市生れ 同29年東京地検検事 同41年法務省民事局第5課長(国籍) 同43年第2課長(戸籍) 同50年法務総合研究所研修第3部長 同54年法務省退職・弁護士登録 同55年日大教授 平成10年日大退職 同19年没(80歳)
著書 登記と法と社会生活 国籍法逐条解説 体系戸籍用語辞典(監修) 株式会社法 親子会社の法律と実務 企業提携の法律 海外子会社の管理 新銀行取引と相続 他多数
このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。
公証人を退職して丁度一年になる。一年前のあの日、公僕・公務とか、責務・責任とかの目には見えない何となく重たいものを両肩から降ろし、夢にまで見たご褒美の自由な時間を手にし、我が人生最後?のスタートを切ったのである。
健康・経済・家族等、我が身を取り巻く状況をしっかりと見極めて、その上で楽しい余生を送るための設計図を描く予定であった。時間はいくらでもある。従って、今日、明日中に完成させなくてはならないものでもない。それでも今月中には、来月中には、夏が来る前には、冬が来る前には、と熟慮?しているうちに一年が経った。
ある先輩のお言葉が蘇る。「仕事を辞めると、とにかく時間の経つのが異常に速いので、そのことを頭において、過ごしなさい」と。正しく、一日が、一週間が、一か月が、一年があっという間に過ぎ去った。
結局、余生を送るための設計図には、一本の線すら入れることができずに一年が過ぎたのである。
私にとっての一番の問題点は、これといった趣味や特技を持ち合わせていないということである。唯一心の隅にひっそりと温めていたのは、「小料理屋のおやじ」であるが、お客と言えば毎週土・日にやって来る近所の孫たちの夕食造りに留まっている。水彩画も書も俳句・短歌も嫌いではなく、やればそこそこはやれる(と、自己評価)とは思うが、余生のために無理してやることもないし、特段に上手くなりたいとも思わない。どこかの教室で先生に師事するなど、私の性格上ありえない。これらの分野は、すでに諸先輩方がその道を極めておられる。等々の言い訳づくりに専念している。が、結局は単にやる気がないだけなのである。
そんな私が、公証人時代から唯一続いているのが、早朝のスロージョキングである。女房殿と二人でただ黙々と走っている。たまに散歩の人に抜かれることもあるが気にしない。毎日同じ景色を見ながら、季節の移り変わりを感じながらゆっくりと走る。余計なことは考えないようにしているが、たまには空っぽの頭に浮かんでくるものがある。忘れたいのに忘れられない長年の習性であろうか。
その一つは、法務局のことである。古くは、採用(昭和41年)された頃のバインダー登記簿や記入用ローラそしてアンモニアコピーのこと、施設整備のこと、組織・増員のこと、特別会計のこと、コンピュータ化のこと、登記所の窓口対応の変遷そして、最近の一般会計予算の動向、定員の状況、所管する法制度の改正の動向、震災復興に関わる対応などなどを懐かしんだり、現役の職員の皆さんの今の時世ならではのご苦労ぶりを思ったりして、時に躓きながら走っている。その二は、公証人時代のことである。遺言書の作成をした依頼者の方々は安心して老後を過ごされているだろうか、遺言書のとおり上手く執行出来ただろうか、相続人の間で揉めていないだろうか、離婚給付の契約公正証書のとおり養育費は支払われているだろうか、金消は、賃貸借は、などなどがたまに頭をかすめる。その三は、すでにご引退されたお世話になりっぱなしの先輩のこと、心配な?後輩の赴任先・役どころのこと、残念ながら鬼籍に入られた先達の方々のことなどが頭をよぎる。その四は、兄弟姉妹のこと、親戚のこと、友人・知人のことなどが浮かんでは消える。走り終える頃には荒い息遣いとともに忘却の彼方である。確実なのは、いつまで走れるかなと思うことである。
よく言えば悠々と過ごした、悪く言えばだらだらと過ごした一年でありましたが、現役中にあまり考えもしなかったことや気が付かなかったことも、ゆとりある時間の中で少し見つめなおすことができた一年でもあった。
平成13年7月釧路局に在任中、急性前骨髄性白血病を患いましたが、治療のかいあって、その後は健康を快復することができ、新たに吹き込んで貰った命も古希を迎えることになり、支援・応援をして頂いた多くの皆様と家族に感謝申し上げながら毎日を過ごしている。
この上は、少しでも速く、未完の人生設計図に一本でも二本でも線を入れたいと思いながら、ゆっくりと走る日々である。
商業登記倶楽部は、今
(一般社団法人商業登記倶楽部代表理事・主宰者/桐蔭横浜大学法学部客員教授/公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート理事/日本司法書士会連合会顧問 神﨑満治郎)
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1 商業登記倶楽部発足の経緯
法務局を卒業して早や24年になります。卒業年次は、平成5年4月1日ですが、この年の7月1日が奇しくも商業登記制度100周年記念日で、当日は、虎ノ門のホテルにおいて、法務省主催の記念式典が盛大に挙行され、小生もその末席を汚す光栄に恵まれました。そこで、商業登記制度100周年の年に法務局を卒業したご縁を考え、商業登記制度のPRと司法書士の皆さんにもっと積極的に商業・法人登記に取り組んでいただくために主として法務OB司法書士の支援を目的に始めたのが商業登記倶楽部というわけです。もちろん倶楽部発足の日は、商業登記制度100周年記念日の平成5年7月1日です。そして、110周年記念日の平成15年7月1日に有限責任中間法人商業登記倶楽部となり、さらに平成20年12月1日に施行された一般法人法に対応する登記を経て、同日我が国第1号の一般社団法人になったというのが商業登記倶楽部の歴史です。
以下、商業登記倶楽部の今日この頃について紹介します。
2 商業登記倶楽部の今日この頃
商業登記倶楽部には、正会員(司法書士)と特別会員(法務局職員、公証人)がおり、会員を対象に次の事業を実施しています。なお、正会員と特別会員(公証人)からは、年会費18000円をいただいています。
(1)商業登記倶楽部のホームページを活用した情報の提供。「商業登記漫歩」と題する小職のブログを毎週月曜日に登録(会員以外は、閲覧不可。)
(2)商業登記倶楽部のホームページを活用した相談・回答
インターネットを通じてホームページに投稿された質問(匿名可)に対して24時間以内に回答。会員は、質問と回答を24時間中いつでも閲覧することができます。
(3)電話、FAXによる相談(24時間以内に回答)
質問件数は、(2)と(3)を合わせて1日平均2~3件程度。
(4)商業・法人登記に関するセミナーの開催
① 夏期商業登記東京セミナーの開催
毎年8月の最後の土曜日の13:00~17:00、日司連ホールで開催。
② 支部セミナーの開催
札幌、仙台、茨城、千葉、横浜、静岡、名古屋、金沢、大阪、岡山、高松、福岡、沖縄に支部を設け、支部長(司法書士会の名誉会長クラス)を置き、年1回~2回の支部セミナー開催。時間は、土曜日の10:00~17:00の6時間コースと13:00~17:00の4時間コースです。今年の日程も決定済です。
例えば、札幌は10月7日、最後の沖縄は12月3日で、これが千秋楽です。
なお、札幌や茨城等は、法務局からも首席登記官、統括登記官、登記官等多数の参加者がいます。
③ 会員数の少ない司法書士会との共催による「司法書士のための商業・法人登記特別セミナー」の開催
毎年7月の3連休(海の日)の初日の土曜日13:00~17:00に開催。今年は、7月15日、島根県司法書士会と共催で出雲市において、「夏期商業登記出雲縁結びセミナー(商業・法人登記とご縁のあるセミナー)」を開催します。
以上、①~③の講師は、現在のところ小職が1人で務めていますが、終了後は地酒と郷土料理で2時間程度の懇親会もあり、十分疲れを癒すことができます。
(5)図書の出版
(2)のホームページに寄せられた質問・回答を「商業・法人登記事務相談事例」として出版しています。その他の図書と合わせ、商業登記倶楽部が著作権を有する書籍はかなりあり、会費収入に次いで、印税収入が倶楽部の財源となっています。
(6)研修会に対する講師の派遣
要請に応じて、司法書士会、法務局(講師料は無料)に小職がでかけています。
(7)その他
① 「司法書士・商業登記スペシャリスト養成塾」を東京、大阪、沖縄で計5回開催しましたが、第1回目の東京の講師は、史上最高でした。特別講師(肩書は当時のもの)は、次のとおりです。
保岡興治(衆議院議員、元法務大臣)、筧康生(日本公証人連合会長)、稲葉威雄(早稲田大学大学院法務研究科教授)、相澤哲(法務省民事局商事課長)、松井信憲(法務省民事局付)、野村修也(中央大学法科大学院教授)
② 非営利型一般社団法人の運営と税務に関するノウハウを蓄積するため、平成21年6月1日に一般社団法人商業法人登記総合研究所を設立しましたが、必要なノウハウは蓄積しましたので、平成28年3月31日解散し、6月30日清算結了しました。
③ 法律図書の出版社といえば有斐閣というのが小職の年代の通説です。その有斐閣から「判例六法Professional」(商業登記法担当の編集協力者に過ぎません。)と商業登記法入門(著者)を上梓し、平成27年7月31日、法曹会館において、大谷剛彦最高裁判事(元最高裁事務総長で本年3月定年退官)、野口商事課長(現総務課長)、松井参事官(現商事課長)、三河尻日司連会長のご臨席を得て、出版記念会を開催していただき、身に余る光栄でした。
3 ただ今、後継者募集中
「悠々自適は、認知症への1里塚」を合言葉に、商業登記馬鹿一代を続けてきましたが、引き際も近づいたようです。どなたか、事業承継をいたしませんか。2~3人共同でも、法人でも結構です。ただし、次の点は、厳守をお願いします。
(1)照会に対する回答は、24時間以内にする。
(2)セミナーにおける最低4時間の講義と講義内容に対する質疑の時間を設ける。
(3)懇親会には、可能な限り出席する。
なお、小職の右肩も相当凝っていますが、これは肩書が多すぎるからだと冷やかす人もいます。正に、そのとおりです。ここに記してない肩書に、一般社団法人日本成年後見法学会理事と日本登記法研究会顧問があります。これらの肩書の承継も併せてお願いします。
(商業登記倶楽部 http://stclub.co-site.jp/public/STClub2.htm)
このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。
No.51 ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の遺言
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1 ALS
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と聞いて私の脳裏に浮かんだのは、徳洲会事件の報道で徳田虎雄氏が文字盤を使ってコミュニケーションを行っているテレビ放映である。ALSは、筋肉を動かす指令が脳から伝わらなくなる難病で、手足や呼吸に必要な筋肉が急速に衰え、有効な治療法がない病気である。
2 民生委員からの相談
今から約2年前、あるALS患者(以下「A氏」という。)が「遺言をしたい」と言っているがどうしたら良いかと、民生委員が当役場に相談に来られた。民生委員の話では、視力、聴力に全く問題はないが、口述、筆記はできないとのことであった。私は、A氏が遺言をしたいと思っていることがどうして分かったのかと民生委員に尋ねたところ、A氏が入院している病院の看護師から聞いたとのことであった。そこで、遺言をするには、印鑑登録証明書、戸籍謄本、これらの他、身体障害者手帳、病名・遺言能力の有無及び意思疎通の方法を記載した診断書などの書類の提出と証人二人の手配が必要である旨を説明してその場は終わった。
それから2か月を経過したころ、民生委員が突然来訪し、A氏が「どうしても遺言をしたい」と言っているので病院で面会していただけないかとの申し出を受けたので、病院で面会する運びとなった。
3 病院での面会
面会のアポを取って、A氏、担当医師・看護師と面会した。私は、A氏が4人部屋に入院しており、自力では動けないこと、気管を切開して人口呼吸器を装着していること、胃に直接栄養剤を注入するチューブを取り付けていることを確認し、担当医師・看護師からは、A氏が遺言をしようと思っている本人に間違いないこと、視力、聴力に問題はないこと、口述、筆記はできないが複数の介護支援専門員との間で透明文字盤を使用して意思疎通することは可能であるとの証言を得た。後日提出された診断書には、86歳のALS患者であること、遺言能力に問題はないこと、遺言は透明文字盤にて伝授することができることなどが記載されていた。
4 事前準備
その数日後、当役場で民生委員と打合せを行い、病院内の相談室等の個室を3時間から5時間程度借用したいので病院の了解を得ること、通訳人として看護師又は介護支援専門員の手配、透明文字盤を使用して遺言をした状況全てを撮影・録音するのでビデオカメラとその撮影者の手配、証人二人の手配を指示した。
それから3か月後、民生委員が来訪し、病院には酸素ボンベなどの医療器具を搬入し公証人や証人など大勢が入れる相談室等ないので、A氏は一度遺言を諦めたが、先日、「どうしても遺言をしたい」と強く希望したので正式に嘱託したいこと、近くのホテルの会議室を借用してA氏をそこに運ぶこと、病院から通訳人として介護支援専門員の派遣を受けること、別室に看護師が待機して何時でも痰の吸引ができるようにすること、証人の一人はA氏の甥が引き受けその甥がビデオ撮影・録音を行うこと、もう一人の証人は公証役場が手配してその証人が役場持参のテープレコーダーを操作して欲しいなど準備状況を説明した。
5 遺言手続の状況
最初の相談から約6か月経過した日の午後、ホテルの会議室を借用してA氏を大型の車椅子に乗せて寝かせ、人口呼吸器を装着し胃に直接チューブを取り付けている状態で3時間を超える遺言手続を行った。なお、途中、何度か作業を中断して看護師による痰の吸引を行った。
(1) 透明文字盤を使用した遺言の仕方
透明文字盤は、透明のプラスチック板に平仮名と数字を書いた紙が貼り付けてあるものをいう。意思疎通の方法は、遺言者の目の前に通訳人である介護支援専門員が透明文字盤を片手に持ち、もう一方の手に持った差し棒で平仮名又は数字を一文字ずつ指し示して遺言者の目の動きを判断して言葉にしていく方法である。例えば、私の生年月日の「昭和26年」を聴き出すには、介護支援専門員が、「あ行」、「か行」、「さ行」と声を出しながら文字盤を指し示し、遺言者の目の動きを判断して「さ行」と決定する。そして、「さ行のさ」、「さ行のし」と指し示し、目の動きを判断して「し」と決定する。これで昭和の「し」が確認でき、この作業を繰り返して「昭和26年」と確認し、最後に「昭和26年」で間違いないかと聴き、遺言者の目の動きを判断して決定する仕方である。
(2) 有効な口授がなされたことの補強証拠としてのビデオ撮影と録音
遺言者には、妻と、先妻との間の子供が3人いる。事前に、担当看護師及び介護支援専門員に遺言者がどのような遺言をしたいと言っていたか尋ねたところ、「農地の一部を妻に、その他の不動産は長男に、二女と三女には預貯金を少しずつ、残りの預貯金は妻と長男に平等に、預貯金以外は全部長男」とのことであった。ところで、実際に透明文字盤を使用してこのような遺言がなされたとしても遺言の無効を主張する相続人が現われるかも知れない。そのためには、遺言がしっかりなされたことの証拠として、出張遺言のメモを作成するだけではなく、ビデオ撮影と録音をしておくことが重要と考えた。ビデオ撮影では、介護支援専門員が指し示した透明文字盤の文字に遺言者がどのような目の動きをするか、これを上手く撮影できるよう注意を払った。
(3) 遺言書の作成
ビデオ撮影と録音をするに当たっては、先ず、遺言者の了解を得ることから始めた。その後、遺言の趣旨と公正証書遺言手続等について説明後、遺言者の名前、生年月日、妻の名前、先妻との間の子供の名前、妻との間の子供の有無、財産のうち不動産の確認、定期貯金と普通預金の額などを聴取して、遺言公正証書を作成した。
遺言の聴取では、妻に相続させる不動産の特定に時間を要した。また、二女と三女に相続させる預貯金の額を聴取するのも手間取った。最後に、不動産、預貯金以外の財産を相続させるのは誰かと聴いたところ、「きんぶちのめがねは よめ」という予想していなかった口授があった。この遺言の確認に時間を要した。その後は、次のとおり作成した遺言の読み聞かせ、閲覧を行い、その内容に間違いがないことの確認を得、遺言者の依頼により私が遺言者に代わって署名・押印して終了した。
平成○○年 第○○号
遺 言 公 正 証 書
本公証人は、遺言者○○○○の嘱託により、証人☆☆☆☆ 証人□□□□立会いのもとに、後記通訳人の通訳による遺言者の申述を筆記して、この証書を作成する。
(遺言内容省略)
本 旨 外 要 件
遺言者の住所、職業、氏名、生年月日
証人二人の住所、職業、氏名、生年月日
遺言者は、口がきけないので、遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述させるため、次の通訳人を立ち会わせた。
通訳人の住所、職業、氏名、生年月日
上記遺言者、証人及び通訳人に読み聞かせ、かつ、閲覧させたところ、各自この筆記の正確なことを承認し、署名押印する。
遺言者 ○ ○ ○ ○ ㊞
遺言者は、病気で手指が不自由のため署名することができないので、本公証人が代署・代印した。印
(以下記載省略)
6 おわりに
民生委員からの最初の相談から遺言書作成まで約6か月を要した。この間、遺言をするという遺言者の強い意思、妻の理解、病院関係者の協力、遺言者・病院・公証役場との調整に努めた民生委員の尽力がなければこの遺言はできなかった。
遺言手続の最後に、私が遺言者に対し、「これで、公正証書遺言が完成しました。よろしいですか」と聴いたところ、遺言者が満面に笑みを浮かべた。私は、あの笑顔が今でも忘れられない。
(林 久義)
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