民事法情報研究会だよりNo.30(平成29年12月)

師走の候、会員の皆様におかれましては何かと心せわしい日々をお過ごしのことと存じます。 さて、本研究会だよりは法人発足直後の平成25年6月に発行した第1号以降、30まで号を重ねて参りました。会員の皆様に法人の活動状況等をお知らせする手段として、インターネットのホームページとともに採用したものですが、おかげさまでご好評をいただいております。これからも会員の皆様の交流を補助するツールとしても、充実を図っていきたいと考えております。つきましては、本年10月開催の通常理事会の協議を踏まえて、今月号から巻頭言を廃し、「今日この頃」の記事に一元化し、広く会員の皆様からの投稿をいただいて、ご紹介することといたしました。ご投稿は、各理事を経由して若しくは直接、会長(野口理事)又は編集委員長(小林理事)にお送りください。(NN)

今日この頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

後期高齢者になって(坂巻 豊)

平成29年6月に満75歳となり、行政から後期高齢者医療保険者証が送付されました。 ご承知のように75歳になると全ての人が、それまで加入していた被用者保険や国民健康保険から後期高齢者医療保険に移行します。そして、医療費のうち、後期高齢者が医療機関などの窓口で支払った金額を除いた残りの分は、①税金(約50%)、②若年者からの支援金(約40%)、③後期高齢者からの保険金(約10%)の3つの資金でまかなわれているようで、被用者保険や国民健康保険の加入者が支払う保険料には後期高齢者医療制度への支援金が含まれているようです。 ところで、この後期高齢者医療制度にも「2025年問題」があるようです。この問題は、2025年には日本の人口形成の中心に位置する団塊の世代の約800万人が75歳以上となり後期高齢者になることから上記の②の世代が一斉に給付を受ける側にまわることを意味し、後期高齢者の支払う保険料も、若年者の負担も増えていき、また、若年者の世代の数も減っていく見込みから若年者の1人当りの負担も更に重くなる、ということです。社会保障制度全体に影響するものと思われます。 目下のところ、おかげさまで医師のお世話になることもなく過ごしております。ただ、数年前から足腰の衰えや筋力の衰えからか道路のちょっとしたでこぼこに躓いたり、階段の上り・下りをするときに自然と体が手すりの方に寄っていたり、歩幅が狭くなったりを実感しています。若い頃、いろいろの場所で、どうしてフラフラと、また動作がにぶい高齢者に舌打ちすることがありましたが、自分がその身になり、はじめてわかることが多くなっております。また、最近、しきりと話題になり週刊誌などで記事になっている誤嚥性肺炎が気になります。著名な作家が週刊誌のコラムで「人は厄介なものを飲みこむ際に誤嚥をおこすわけではない。水でも、空気でも誤嚥はおこるのだ。そんな時、ごほん、ごほん、とむせる。このむせる力が大事なのだが、年をとると盛大にむせることができなくなってくる。朝、錠剤を飲みこむ時にも、うっかりするとスムーズに喉を通らないことがあるのだ。誤嚥の一つの原因は、慌てることだ。もう一つが、無意識にやることである。さあ、今からちゃんと飲みこむぞ、と自分に言いきかせてごっくんする。」と述べておられます。私も、これを心掛けるようにと思っております。 私は、20数年前からプルーン系の健康食品を家族全員で毎日夕食後に食べております。当初は誰かが脱落し全滅するだろうと思った時期もありましたが、今日まで続いております。これを食したからといって目に見える効果がはっきりと分かるものでなく、また何かが改善されていることも意識できません。ただ風邪をひいた時に、食べる量を少し多くすることで風邪をこじらせる予防にはなっているのではと体感しています。先般、消費者庁は健康食品を利用する際の注意点をパンフレットにまとめました。それには「健康食品に、病気を治したり、防いだりする効果はありません」、「健康食品だけで楽に痩せることはありません」等と過度な期待を抱きがちな消費者に警鐘を鳴らす内容になっており、パンフレットを監修した担当官は、「同時にバランスの良い食事や適度な運動を心がけたなら、効果が表れる可能性が高い」と述べておられます。これを肝に銘じて続けていきたいと思います。 後期高齢者なった今、体調を維持するために具体的に何かを思い至っておりませんが、ともかく健康寿命を一秒でも長く保つことに心掛けていきたいと考えております。

酒 (小畑和裕)

1 高校一年生の秋、景気づけに一杯引っかけて村祭りの神輿を担ぎ、三日間の停学を食らって以来、酒との付き合いは永い。京都で過ごした学生時代のアルバイトは、もっぱら酒屋の御用聞きだったし、採用された京都地方法務局の初任地は、灘と並ぶ有名な酒どころの伏見だった。出張所の宿直室には伏見の名だたる名酒が山ほど積まれていて、時たまペーペーにも払い下げがあった。当時はそれほど呑兵衛ではなかったので、すべて下宿のオヤジに進呈することにしていたが、酒に目のないオヤジは、私がすばらしい役所に就職したことをほめたたえ、陽当たりの良い部屋に移してくれるなど、格段に待遇を改善してくれた。 社会人としての飲酒のマナーは、各種行事の際の飲み会等を通じて上司や先輩から直接指導を受けた。当時の法務局は、一年を通して様々な行事があった。桜の花見に始まり、歓迎会、旅行会(春、秋)、野球・卓球・ボーリング大会、秋の運動会、忘年会、新年会等々。加えて庁内清掃や定期的な勉強会後の懇親会など、飲酒の機会は多かった。また、先輩から個別に誘われたり、同期の仲間との飲み会など、ほとんど毎日酒と付き合っていた。酒を飲みながら、上司・先輩の話に耳を傾け、仕事のこと、人付き合いのことなどを直接若しくは間接に教わるのである。同僚と飲むときは、もっぱら上司の悪口が肴になった(ただし、上司が憎い訳ではない。)。その頃、日本列島改造のアオリを受けて超繁忙になった登記事務処理上の不満や疲れも酒で癒した。毎日、酒を飲むことで一日を閉じると共に明日への英気を養っていたのである。 2 酒の効用は、ストレス発散のほか、酒の力を借りて、思いのたけを本音で語り合い、その結果円滑な人間関係がきずけることにある。仕事の不満や、人間関係の悩みなど、素面ではとても言えない場合には、酒を飲んで上司や同僚に打ち明けた。また、いかめしく取っつきにくい上司が、酒の場で意外にやさしい一面を見せてくれて親近感を持つことも多くあった。そんな酒の効用として今でも忘れられないことがある。それは、法務局から民事局に転勤したての頃のことだ。いつものように、係全員で居酒屋に行き、酒を酌み交わしていた。現場と本省の仕事ぶりに違和感を抱いていた私は、生意気にも酒の勢いで直属の上司にその不満をぶちまけた。当然のことながらその上司からは大いに反論された。両方とも、かなりの酒を飲んでいて一歩も引かなかった。座が白けてきたのが分かった。他の上司から、若年のお前が謝れ、と命ぜられたがそれでも引かなかった。 帰宅して酔いが醒め冷静になるにつれ、猛然と反省の気持ちが湧いてきた。愚にもつかない未熟で幼稚な意見を言い張って、楽しい懇親の場をぶち壊し、先輩諸氏に迷惑をかけた。翌朝、早めに登庁し、上司に謝罪しようと決めた。ところが、翌朝いつもより早く出勤すると、その上司はすでに出勤しておられ、「昨夜は悪かった。大人げなかったな。」と謝罪された。私は、深く自分を恥じた。なんと余裕のない器の小さい人間なのだろうと恥じた。そんなことがあってから、その先輩には親しくしていただき数々の指導を受けた。数年前鬼籍に入られたが、私はその上司をいまも尊敬し敬愛している。 3 一方、酒を飲んで失敗したことも数えきれないほどある。今思い出しても冷や汗の出る強烈な思い出は、大阪法務局戸籍課での失敗である。その当時、すなわち昭和47年の戸籍事務は繁忙を極めていた。5月15日には沖縄復帰、9月29日には日中国交回復など、歴史的な出来事があり、本土復帰を果たした沖縄戸籍の訂正・回復、台湾系中国人を中心とした帰化事件が激増、加えて大阪局特有な事情として族称の記載がある除籍・原戸籍等の再製の認可の検査などにより、超繁忙だったのだ。一方で、戸籍事務の窓口を他の業務も担当する総合窓口制とする市町村が増え、担当者の養成が喫緊の課題となっていた。そのため、戸籍課では、戸籍事務吏員の養成研修に力を入れていた。そんな中、ペーペーの私にも、戸籍実務研修の講義を命ぜられた。しかも、先輩達が繁忙であるため、私の担当は、戸籍実務では重要な科目である「養子縁組・離縁」である。講義時間も長時間が割り振られていた。必死で参考書・先例集等を読み込み独自の講義ノートを作成したり、直接市町村の職員に問題となる事例を聞くなどそれなりの準備をした。講義の前日には、前回の担当者から飲み会に誘われ、初めて講義を担当する心得を伝授していただいた。先輩から、「研修の大きな目的は、市町村の担当者に君を覚えてもらうことにある。担当者が、実務で分からないことがあった時、勝手に処理しないで、君のところに電話して指示を仰ぐという体制づくりにある。」との教示を受けた。張り切っていた私は、いささか気が抜けたが、反面、緊張も和らぎ、大いに気が楽になった。当然、酒も進んだ。結果、痛飲し、京都の自宅に着いたのは深夜だった。いかん!寝過ごした。翌朝、あわてて、朝食も取らずに自宅を出た。あれほど頑張って作成した講義ノートと六法全書を忘れたと気がついたのは、研修講義の壇上について鞄を開いた時だった。長い講義時間をどのように過ごしたかは、とても記す気にはなれない。法務局人生における、最初の進退窮まった出来事であった。もっとも、後日談だが、市町村の担当者からは、この失敗のお蔭で親近感を持たれたのか、気軽にしかも頻繁に電話連絡が入るようにはなったのだが・・・。 4 最近、法務局では、以前に比べ酒を飲む機会が減っていると聞く。呑兵衛の身としてはいささか寂しい思いである。

「シロモチくん」(渡辺秀喜)

安倍総理大臣は,「景気回復軌道をより確かなものとし,その実感を必ずや全国津々浦々にまでお届けする」(平成26年9月3日第二次安倍改造内閣所信表明)や「そして,必ずや,景気回復の実感を全国津々浦々へとお届けしてまいります」(平成26年12月24日第三次安倍内閣総理大臣記者会見)などのように,「全国津々浦々」という言葉をよく使われているようですが,若者の間では,この「つつうらうら」って何?。「津は港を,浦は入り江や海岸を意味し,全国いたるところ」の意味。「へえ~そうなんだ」といった具合のようです。もはや「津々浦々」は死語のようです。むしろ若者向けには「全国コンビニ道の駅」と言った方が通じるのでしょうか? ところで,当役場がある三重県津市は,そのむかし「安濃津」(あのつ)と呼ばれ,「博多津」(福岡市)や「坊津」(鹿児島県南さつま市)とともに,日本三津に挙げられていました。その安濃津の景気ですが,津財務事務所による本年10月の三重県内の経済情勢は「一部に弱さがみられるものの,全体として回復している」,また,津商工会議所の10月業況DIでも「3カ月ぶりに改善。先行きは慎重な見方残り,ほぼ横ばいの動き」だそうです。ここのところヒマで「うつらうつら」状態の当役場にも,ようやく景気循環のトリクルダウンが,ダウンする前に来るのではないかと心待ちにしているところです。 さて,前置きが長かったですが,その安濃津は,藤堂藩32万石の城下町で,藩祖は藤堂高虎公です。津市民は,敬愛を込めて「高虎さん」と呼よび,NHK大河ドラマの主人公に取り上げてほしいと平成14年以降毎年誓願を重ねております。そのようなこともあって,私も一津市民として応援いたしたく,ここに高虎公の人物像などを紹介します。 藤堂高虎は,1556年に近江国犬上郡藤堂村(滋賀県甲良町)で生まれ,幼いころから人並み外れた身体で,成長した頃には身長六尺二寸(約190㎝),体重三十貫(約113㎏)の大男であったそうです。14歳で浅井長政に出仕したのを皮切りに主君を替えて渡り歩いた後,羽柴秀長(秀吉の弟)に足軽300石で召し抱えられて2万石の筆頭家老に上り詰め,秀長亡き後は豊臣秀吉の水軍司令として伊予宇和島・大津8万石の大名となり,秀吉亡き後は徳川家康の片腕となって豊臣滅亡に貢献するなど生涯7人の主君に仕えたそうです。そのためか,「世渡り上手」,「日和見武将」,「裏切り者」などのネガティブイメージもあるようです。 しかし,高虎は,実際には仕えた主君を裏切ったことはなく,自分を評価してくれる主君には「槍一本」で常に先陣に立って勇猛果敢に戦って戦功を挙げました。とりわけ,秀長のもとでは,信長・秀吉による天下統一のため,播磨攻めや四国攻め,九州攻めの先陣に立って大きな戦果を挙げており,また,秀長と家康の親交が深かったことから,秀長亡き後は家康を深く尊敬するに至り,関ヶ原の戦いや大坂の陣では徳川方の先陣として大きな犠牲を払いながらも戦功を挙げ,家康の信頼を決定的なものにしました。 なぜ高虎は秀吉の臣下でありながら家康側についたのかについては諸説ありますが,私は,高虎は秀吉の天下統一や朝鮮出兵のために数多の戦に加わり,戦乱の世の悲惨さや国内の疲弊を間近に見ていることから,豊臣一強による中央集権国家よりも,幕藩体制による分権国家によって天下泰平の世を築くという家康の考え「偃武(えんぶ)」(武器を伏せて戦のない泰平の世)に共鳴し,同じ志を持ったと考えます。そうでなければ,自ら家康に進言して幕府側に従った伊達政宗に藤堂家の所領宇和島10万石を譲ったり,また,家康の死後も14年間75歳の生涯を閉じるまで,徳川家の相談役として,二代将軍秀忠の末娘「和子」を天皇家に嫁がせたりするなど,徳川幕府の体制整備に尽力するということはなかったと思います。 また,高虎は,築城の名手で,甲良大工衆や石垣積み穴太衆などの専門技術集団とも太いパイプがあり,その築城技術は,石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり,徳川方における大坂城包囲網をつくるべく,今治城,篠山城,津城,伊賀上野城や膳所城などを築城しています。 そのため,高虎は,常に徳川家康に重用され,外様大名でありながらも別格譜代として,江戸城の縄張りや江戸の町割り,日光東照宮の普請などを行っています。このような高虎の偉業により,藤堂藩は,明治維新まで改易されることなく260年間続いたそうです。 ところで,表題の「シロモチくん」とは,主君を求めて放浪の中の高虎が,三河国吉田宿(豊橋市)の餅屋で,空腹のあまりに銭がないのに餅を注文し,ぺろりと餅を食い終えてから,正直に無銭飲食であることを店主にわびると,店主は年若い高虎に対し,それをとがめるどころか帰郷の路銀まで恵み,支払いは出世したときでよいといって無罪放免にした。これに感激した高虎は,「白餅」と「城持ち」をかけ,「白もち三つ」(重ね餅)を旗印とし,大名に出世した後で再び吉田宿を訪れ,店主に丁重なお礼をしたそうです。そのようなエピソードにちなんで,津市が2008年に「高虎公の津入府400年」を記念してイメージキャラクターとして制定したものです。なお,2011年「ゆるキャラグランプリ」のランキングは,200位中87位だそうです(この年は「くまモン」が1位)。人気は,日光の一つ手前「イマイチくん」ですね。 最後に,自己を評価してくれる主君には全身全霊を尽くすという高虎の生き方は,現代のトップエリートが正当に評価してくれる会社を渡り歩き,会社の再建や発展に尽くすという姿にも通ずるものがあると思いませんか…。ぜひ藤堂高虎公がNHK大河ドラマの主人公となりますよう,応援のほどよろしくお願いいたします。 なお,藤堂高虎公に興味を持たれた方へ。高虎に関する書籍としては,「藤堂高虎」(横山高治:創元社),「藤堂高虎という生き方」(江宮隆之:(株)KADOKAWA),「江戸時代の設計者‐異能の武将・藤堂高虎‐」(藤田達生:講談社現代新書)などがありますが,読み物としては「下天を謀る」(安部龍太郎:新潮社)が面白いと思います。

42.195への道(永井行雄)

目的地まであと5キロ、その男の身体は限界に近づき、心は折れそうになっていた。「きつい。休みたい。」という気持ちを何とか抑えて、ヤシの木の並木道を左にUターンしたとき、目の前に現れた遠くまで広がる青い海、白い砂浜、空からの光を浴びてキラキラと輝く波、その男は、この美しい景色に感動し、少しの間、走りを止め、海風を身体一杯にゆっくりと何度も吸い込んだ。すると、脳が活性化され、肺に酸素が充填されたのだろう。「もう少しだ。頑張ろう。」と、その男に最後の力がみなぎった。 この絶景の地は、スタートから37キロの地点、宮崎県の青島トロピカルロードから望む日向灘の景色である。三人の仲間と一緒にゴールしたその男の顔は、満足感と達成感にあふれていた。 これは、私が、昨年12月に宮崎市で開催された「第30回青島太平洋マラソン」(フルマラソン)を走ったときのゴール前の情景である。 マラソンは、法務局に勤務していた平成22年に沖縄で始めた。きっかけは、体重を落とすために始めた運動が高じてマラソンへと発展したのである。 その年の春、人間ドックで医者にこう言われた「永井さん、たばこを止めないと、5年後には酸素ボンベを付けて生活しなければならなくなりますよ。」と、これにはショックを受けた。今までの医者とはトーンが違う。その医者に禁煙治療を勧められ、治療を受け、苦悶しながら何とか止めることができた。反面、食欲が増し、体重が5~6キロ増え、80キロ近くになった。身長は169センチである。身体が重い。歩くとすぐに足が痛くなる。体重を落とさなければ・・・。しかし、食事制限は辛い、他の方法はないか・・・と。 そこで、運動を始めてみることにした。これまで、ほとんど運動をやっていなかったので、まず、歩くことから始めた。1か月くらいは1キロをゆっくりと歩き、それから、距離を少しずつ伸ばした。2か月経った頃、軽く走ってみた。上半身がぐらぐらする。500メートルくらい走るのがやっとだった。しかし、人の身体は不思議なもので、徐々に慣れ、やがて身体も安定してきた。そこで、距離を少しずつ伸ばして、3キロくらい走れるようになった。運動を始めてから4か月、体重は4キロくらい落ちた。 そして、翌23年3月、職場のメンバーに誘われて糸満市で開催された「なんぶトリムマラソン」に参加した。10キロコースである。不安だったが、経験者からいろいろ指導してもらい、何とか完走することができた。 翌4月に福岡に転勤になったが、そこでも、職場の人たちと10キロマラソンを何度か走った。そのころ、飲むことも多く、体重は75キロをキープしていた。そして、2年後の平成25年3月に法務局を退職して、都城市で公証人の仕事をすることになった。週5日3キロ走は、一人でひっそりと続けていたが、体重が落ちることはなかった。まだまだメタボど真ん中であった。 そのような生活をしていたところ、平成27年、人間ドックで医者から次のことを言われた。「永井さん。肝機能が相当悪いです。このままでは肝硬変になりますよ。」「とにかく、体重を落としてください。」「まず、5キロの減量を目標にしてください。」と、私は「毎日3キロくらい走っていますよ。」と言ったところ、「それくらいの運動量では体重は落ちません。カロリー摂取量を減らさなければ絶対に無理です。」と厳しく言われた。私は、これまで20数年来、人間ドックでは、コレステロールや中性脂肪の数値が高く、特にγーGTPは基準値の3~4倍であった。医者からは、脂肪肝と診断され、アルコールを控えて、体重を減らすようにと、ずっと言われていたが、自覚症状がないので、食事制限などの努力は何もしなかった。しかし、「肝硬変」という言葉にかなりショックを受けた。 それで、病院からの帰りに、本屋に寄って、何冊か本を買い込んだ。楽をして減量できるのが一番いい、何か方法はないか・・・と。これだ!見つけた。「岡本羽加著・脂肪燃焼ダイエットスープ」である。それと、夜だけ炭水化物抜きである。ダイエットスープ(野菜とすり下ろしショウガ、味付けは何でもOK)は夜だけ、肉や魚は夜OK。朝昼は何でもOK。これならできる。即、実践してみた。ところが、なかなか体重が落ちない。「止めようか・・・。」と思いながら、惰性で続けていた。1月半くらい経った頃である。「あれ?1キロ減っている。」。翌日また1キロ減った。それから日を追うごとに減ってきた。とうとう70キロの壁を破った。20年ぶりだ。減量を始めて4か月、65キロまで落ちた。沖縄当時のピーク時からすると15キロ近く落ちたことになる。この変化に病気ではないかと心配してくれる人もいた。しかし、驚くことにメタボが改善されていたのである。この食生活を始めてから10か月後には肝機能はすべて正常値になった。信じられないことが起きたのである。 そして、平成27年の11月頃のこと、都城でこちらの仲間と飲んでいたときに、マラソン大会に出ようという話になった。近くハーフ(約21キロ)があるのでこれに出ようということになり、その勢いで「天翔けろ 南九州クラブ」という12人ほどのチームが発足したのである。 出ると言ったものの、走れるのだろうか、不安になった。そこに、救いの神が現れた。フルマラソンを何度も完走しているAさんとYさんである。 AさんとYさんのマラソンに対する考え方は、タイムを競うのではなく、完走を目指す。苦しい走り方はしないことである。Aさんには、ペース配分や呼吸の仕方、上り坂や下り坂の走り方などを教えもらった。Yさんには、足の運び方、丹田(へその下)に力を入れるイメージや上り坂は太ももで走ることなどを教えてもらった。初めてのハーフ、無事にゴールできた。 その後、ハーフを1本走って、とうとう、昨年12月に冒頭に書いたように、フルマラソンに挑戦することになったのである。ハーフからわずか9か月後、ここでも、二人からフルマラソン用の特訓を受けた。この歳になって、フルマラソンを完走できるとは思ってもみなかった。この二人が私に新しい世界を見せてくれた。本当に感謝している。 マラソンは、ランナーと地域の人たちとの間に一体感が生まれる。沿道の人たちの声援は、折れそうになった心をつないでくれる。エイド(給水・給食の施設)の温かいおもてなしに勇気づけられる。そして、走り終わった後、メンバーと温泉で疲れを癒やし、乾杯。互いの連帯感が強まり、達成感を共有できる。素晴らしいひとときである。 人は、仕事を離れて、趣味や遊びなど外部からの刺激や感動に触れて、情操力が高まり感受性が豊かになるものだと思う。 それは、仕事にも生かされてくるのではないかと思う。例えば、遺言の場合、本旨事項は、法律に従ったものでなければならないが、付言事項は、遺言者の気持ちを受け止めて、それを適切に反映した文章に仕上げるのがよいと思う。そのためには書き手に、遺言者の気持ちを受け止めるだけの情操力や感受性が備わっていることが大事だと思われるが、ときどき、付言事項に涙してくれる遺言者がいてくれることは、公証人として嬉しい限りである。マラソンを通じて得た内面的なものが仕事に役に立っているように思われる。 これから来年の春にかけて、ハーフを2本、フルを1本走ってみたいと思っている。これからも、身体と心を健康に保って、公証人の任期を全うしたい。

新人公証人、悪戦苦闘の数か月(榮 孝也)

私は、本年6月1日付けで米沢公証役場公証人に任命されました。この間、公証人の諸先輩方から教えを請いながら、何とか業務遂行ができておりますことに、紙面をお借りし厚く御礼を申し上げます。 さて、公証役場のある米沢市は、山形県南部に位置する人口約8万5千人の地方都市です。とろけるような美味しさの『米沢牛』で御承知の方も多いことでしょう。江戸時代に遡れば、上杉藩(米沢藩)30万石の城下町で、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり・・・」の名言で知られる第10代藩主上杉鷹山公による質素倹約・殖産興業の藩政改革がなされた地であります。現在も、上杉城趾公園や上杉謙信公を始めとする歴代藩主の御廟所があり、閑静な城下町のたたずまいが色濃く残っている街です。 公証役場の建物は、市内中心部にはありましたが、幹線道路から中に入った住宅地の中にあり、木造2階建ての民家を賃借して、これまで公証人が5代にわたり就業してまいりました。来庁者に場所を案内するにしても、目立った建物もなく一苦労でした。就任前には、何度か公証役場に足を運び、前任公証人からの引継を受けたわけですが、その中の一つが、冬期間の除雪作業のことです。県内でも有数の豪雪地帯にあり、除雪車が路肩に寄せた雪の壁で、役場前の道路は車1台がやっと通れるぐらいであるとのこと。唯一ある1台分の来庁者用駐車場も雪の山。役場利用者のために、心して雪片づけに努めるべしと・・・。 就任して間もなく、一念発起し役場を移転することにしました。公証業務もまだまだ心もとない状況であるにもかかわらず、就任から3ヶ月間は、土日返上で不動産屋を巡り、やっとのことで物件を探し当てました。書庫や事務スペースの模様替え工事を経て、9月17日、台風18号が来襲する中、無事、役場の移転作業を終えることができました。現職中に、出先の統廃合による庁舎移転に数多く関わった経験から、移転作業の成否は入念な準備作業にかかっていることを承知しているため、約2週間余りを費やして準備を行いました。結果、一滴の雨滴もかかることなく、短時間で全ての書類、備品等を運び入れることができました。 一方、30年近く賃借していた役場の原状回復にも苦心しました。役場開設当初に、書庫の床、壁、天井を約15センチほどの分厚いコンクリート壁に改造しており、建て替えない限り原状回復は困難な状況です。幸いにも大家さんの理解を得て、現状のまま返還させていただくことができ、ほっと胸を撫で下ろした次第です。 新役場は、少々古い建物ですが、鉄筋コンクリート造4階建ての1階テナント、約80平米の広さで、消雪設備完備の駐車場4台分もあり、同じ建物の4階には居住用のアパートも賃借できました。冬期間の除雪作業の心配もなく、出勤はエレベータを降りるだけ。市役所、郵便局、年金事務所、法務局、各種金融機関、農協などが一直線上に存在する幹線道路に面した立地であり、来庁者への案内も容易となりました。来庁者の利便性は、大幅に向上しています。 新米公証人の悪戦苦闘の数か月が過ぎ、これからは、公証業務に専念して、自らの知識を深めつつ、公証役場が地域の皆様に更に親しまれ、一層、公証制度を利活用していただけるよう精一杯努めてまいる所存です。 諸先輩公証人の皆様の御指導御鞭撻のほど、今後ともよろしくお願い申し上げます。

詩 歌

聞こえる     佐々木 暁

風の音が聞こえていますか 花の咲く音が聞こえていますか 星の瞬く音が聞こえていますか 川の流れの音 鮎の跳ねる音が聞こえていますか 雲の流れる音 雨の足音聞こえていますか 夜更けの音 夜明けの音聞こえていますか 自分の歩いている足音聞こえていますか -確かな一歩の音を ゆっくりな一歩の音を -想い出の足音を 軌跡の足音を -未来の足音を

実務の広場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.55 委任契約及び任意後見契約無効の訴えに対する陳述書

1 遺言公正証書について遺言無効の裁判が提起された場合における、公正証書作成についての陳述書については、民事法情報研究会だよりNo.25(平成29年2月)の実務の広場No.46において紹介されています。遺言公正証書の作成について、陳述書の提出を求められた会員は、相当数おられるのではないでしょうか。 2 今般、私が直面したのは、作成した委任契約及び任意後見契約公正証書について無効の訴えが提起されたということで、弁護士から公正証書作成時の説明や陳述書の提出を求められたものです。弁護士から聞き及んだところでは、任意後見契約の委任者の子Aが法定後見の手続を進める中で、委任者の子Bが任意後見契約をしていることが分かり、委任者は契約当時高齢であり、判断能力がなかったとして、その契約の無効を主張し訴えの提起に及んだもののようです。 3 会員の皆さんは、遺言書を作成する場合は、意思確認や内容の確認を厳格に行っており、その遺言が無効となるような事態は生じていないと考えますが、委任契約及び任意後見契約公正証書について無効が争われ、裁判所から呼出しや陳述書の提出、あるいは公正証書の作成状況について説明を求められると、前例がないこともあり、困難な事態となります。そこで、会員の参考になればということで、弁護士に提出した陳述書を紹介します。なお、その後の裁判の経緯は、不明です。 記

弁護士 〇〇〇〇 殿 大分公証人合同役場 公証人 中垣治夫 ㊞ 平成〇年〇月〇日付け平成〇年第〇号をもって当職が作成した委任契約及び任意後見契約公正証書について、次のとおり回答します。 1 大分公証人合同役場において委任契約及び任意後見契約公正証書(以下「公正証書」という。)を作成する場合の一般的な手順は、次のとおりです。 ⑴ 事前準備 大分公証人合同役場において公正証書を作成する場合は、まず予約をして、委任者及び受任者又はこれらの者の意思を正確に公証人に伝えることができる者(親族、委託を受けた司法書士、弁護士、行政書士等(以下、これらの者を「親族等」という。)に公証役場に出向いてもらって、①委任契約及び任意後見契約の内容の説明、及び②公正証書の作成に必要な書類の説明を聴くように促し、予約の日時を設定します。 ⑵ 事前相談 ア 公正証書作成のための事前相談日には、委任者、受任者又は親族等に公証役場に出向いてもらって公証人と面談します。 イ 事前相談は、公証人が委任者、受任者又は親族等に対して、①別添資料1(契約書案文)を交付した上で、委任契約及び任意後見契約(代理権目録を含む。)について説明し、②これらの者から公正証書に記載するために必要な次に掲げる内容を聴き取り、③委任者本人が来所しているときはその事理弁識能力及び授権意思について観察し、判断することを主な内容としています。 また、この別添資料1(契約書案文)が公正証書の内容になるので、当事者2人がこれを熟読し、十分に内容を理解することが必要であることをあわせて説明している。 (ア) 委任契約(第1章)関係について a 契約の開始時期(第4条関係) b 報酬の有無、ある場合は月額(第7条関係) c 報告の期間(第8条関係) (イ) 任意後見契約(第2章)関係について a 報酬の有無、ある場合は月額(第7条関係) b 報告の期間(第8条関係) ウ 委任者本人と面談する場合において、その事理弁識能力及び授権意思について疑義があるときは、まず雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していることを確認し、その後に聴き取り事項の内容を聴き取るようにしています。また、雑談等をしてもなお委任者の事理弁識能力及び授権意思について疑義がある場合は、別添資料2(診断書様式)を交付し、診断書の提出を求めています。 エ 委任者本人が来所せず親族等と面談する場合は、委任者本人と親族等との関係、委任者本人の健康状態(特に公正証書作成について支障の有無)、公正証書に記載する内容を聴き取り確認します。 なお、司法書士等が来所するときは、委任者及び受任者と打合せをした上で作成した公正証書案を持参することが多いが、このときでも司法書士等から公正証書案の内容を聴き取り、①委任者及び受任者が契約内容を十分理解していること並びに②委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していること確認します。 また、委任者本人が来所せずしかも高齢である場合は、親族等に対し、委任者の事理弁識能力は問題ないかを尋ね、公正証書作成日において「委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止する」ことを説明し、当日、延期又は中止があっては困るようであれば、あらかじめ医師の診断書を提出することを求めています。 オ 事前面談から数日又は1~2数週間後、事前面談の際に交付していたイ(ア)及び(イ)に掲げる事項の書き込みをした別添資料1(契約書案文)及び必要書類が委任者、受任者又は親族等から、提出されます。 また、この際に事前相談の際に交付していた別添資料1(契約書案文)の内容について質問などがされることもあります。 カ 大分公証人合同役場では、これらの書類提出があると公正証書案の作成に取り掛かり、書類提出の日から、おおむね1週間後の契約当事者である委任者及び受任者の都合の良い日時に公正証書作成日時を設定して、公証役場に出向いてもらいます。 ⑶ 公正証書作成 公正証書作成時には、委任者及び受任者が来所したら、閲覧用に準備している書類(公正証書が完成したらその正本になるもの)を読んでもらって委任者及び受任者による内容の確認を行った後、公証人、委任者及び受任者が一つのテーブルに着席します。 ア まず、公証人が委任者に対し、氏名及び生年月日を述べさせます(公証人から、「○○さんですね」とか、「何年何月何日生れですね」といった聞き方はせず、「氏名・生年月日をお願いします」と言って、必ず本人に氏名及び生年月日を述べてもらう。)。その後、本人により、提出済みの印鑑登録証明書に実印を押印させ、両印影を照合し、委任者本人であることを確認します。次に、公証人が受任者に対し、氏名及び生年月日を述べさせます(委任者本人の場合と同じ。)。その後、本人により、提出済みの印鑑登録証明書に実印を押印させ、両印影を照合し、受任者本人であることを確認します。 なお、事前相談の際に親族等が来所していたため、公証人が委任者本人と面談していない場合(この時が公証人と委任者本人とが初対面である場合)には、最初に雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していることを確認した後、氏名及び生年月日を述べてもらい、実印の照合をしています。 イ 次に、契約当事者の本人確認が済んだら、委任者の事理弁識能力及び授権意思のほか、委任者及び受任者が契約の内容を理解しているかを確認するために「契約書案文は熟読しましたか」、とか「内容は理解できましたか」等の質問をします。多くの場合は、「大丈夫です」、「分かりました」等という回答ですが、中には(割合にして1割程度か)「読んだけど分からなかった」、「理解できない」等の回答をする当事者がいます。 ウ 公証人は、イにおいて「分かりました」等と回答した案件については、公正証書全文の読み聞かせを省略し、公正証書の条項の幾つかについて説明をし、委任者及び受任者に閲覧の結果に間違いがないことの確認をします。 他方、イにおいて「理解できない」等と回答した案件については、公証人は、公正証書全条項の理解がないと公正証書は作成できないことをまず説明し、公正証書全文の読み聞かせ及び質問・回答等を行った後、委任者及び受任者に対し「いま読み上げた内容で間違いありませんか」と確認します。 エ いずれも委任者及び受任者が「間違いない」旨述べたときは、公正証書原本に委任者及び受任者が自ら署名し、押印してもらいます。 オ 委任者及び受任者に署名・押印させ、公証人が署名・押印することによって公正証書の作成が完了し、委任者及び受任者に対し公正証書正本を交付します。 カ ところで、公正証書を作成する過程(アからオまで)において、異常な事態や委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止し、医師の診断書を提出させるなど、客観的資料によって確認することになります。 また、後日の紛争防止等のために、公証人が必要と認めるときは、委任者本人の事理弁識能力の確認に関し、面接した際の本人の言動その他の状況又は親族等から聴取した状況等を記載した書面(以下「録取書面」という。)を作成します。 2 本件委任者・〇〇〇〇、受任者・〇〇〇〇の公正証書作成については、次のとおりです。 ⑴ 私は、公証人として事務を開始して以来、相当数の公正証書を作成しており、そのために多数の依頼者等と面談を行っていますので、よほど特殊な状況や異常な事態がない限り、公正証書作成当時の依頼者の状況等について記憶していることはありません。 ⑵ 本件受任者〇〇〇〇の公正証書作成については、特に記憶していることはありませんので、本件公正証書は、公証人が①受任者及び受任者が契約内容を理解していること、②1⑵オで提出された所要の書き込みをした別添資料1(契約書案文)と齟齬がないこと、及び③1⑵オで提出された必要書類と齟齬がないことを確認した後、受任者及び受任者に自署させ、かつ、押印させて公正証書の作成を完了するという大分公証人合同役場における一般的な手順に従って作成したものと考えます。 3 ところで、委任者・〇〇〇〇が公正証書作成当時、〇〇歳であることからすると、事前相談において判断能力に問題がないことの記載のある診断書を求めるのが通常と考えられるにもかかわらず、診断書の提出がないまま公正証書を作成していることからすると、当時、事前相談における公証人からの診断書の提出の求めに対し、来所した者から「本人に会ってください。会えば、判断能力等は何ら問題がなく、しっかりしていることが分かるはずです。」等との回答があり、公証人が「それでは委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止する」ことを告げた上で、公正証書の作成に及んだものと想定されます。 4 以上のこと及び録取書面を作成していないことからすると、本件公正証書を作成する過程において、異常な事態や委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱くような事態はなかったものと考えます。

別添資料1 【移行型】 任意後見契約公正証書作成のための資料について 任意後見契約を公正証書で作成するには、あらかじめ次のものを準備してください。 1 委任者 (1) 印鑑登録証明書(発行後3か月以内のもの) 1通 (2) 戸籍全部事項証明書(戸籍謄本) 1通 (3) 住民票 1通 2 受任者 (1) 印鑑登録証明書(発行後3か月以内のもの) 1通 (2) 住民票(本籍の記載あり) 1通 詳しいことは、お尋ねください。相談は無料です。 大分公証人合同役場 電 話 097-535-0888 FAX 097-535-0891

委任契約及び任意後見契約公正証書 本職は、委任者○○○○(以下「甲」という。)及び受任者○○○○(以下「乙」という。)の嘱託により、次の法律行為に関する陳述の趣旨を録取し、この証書を作成する。 (趣旨) 甲と乙は、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、次の二つの契約を締結する。 ⑴ 第1章の委任契約は、甲が甲の療養看護及び財産の管理についての事務を委任するものである。 ⑵ 第2章は、甲が任意後見契約に関する法律第4条第1項に定める「精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況」すなわち甲の判断能力が不十分な状況になったときに、甲の療養看護及び財産管理についての事務を委任するものである。 第1章 委任契約 (契約の趣旨) 第1条 甲は、乙に対し、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、甲の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務(以下「委任事務」という。)を委任し、乙は、これを受任する(以下「本委任契約」という。)。 (任意後見契約との関係) 第2条 本委任契約締結後、甲が精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況になったときは、乙は、速やかに家庭裁判所に対し、任意後見監督人の選任の請求をしなければならない。 2 本委任契約は、第2章の任意後見契約につき任意後見監督人が選任され、同契約が効力を生じた時に終了する。 (委任事務の範囲) 第3条 甲は、乙に対し、別紙「代理権目録(委任契約)」記載の委任事務(以下「本件委任事務」という。)を委任し、その事務処理のための代理権を付与する。 (委任事務の開始) [契約と同時] 第4条 本件委任事務は、本委任契約の締結と同時に開始する。 [甲の申し出により開始] 第4条 本件委任事務は、甲の乙に対する委任事務開始の申出により開始するものとする。 2 甲の委任事務開始の申出は書面によるものとし、書面による申出ができない場合に限り、口頭での申出によるものとする。この場合、乙はその旨を書面に記録しておくものとする。 (証書等の引渡し等) 第5条 甲は、乙に対し、本件委任事務処理のために必要と認める範囲で、適宜の時期に、次の証書等及びこれらに準ずるものを引き渡す。 ①登記済権利証・登記識別情報通知、②実印・銀行印、③印鑑登録カード、住民基本台帳カード、個人番号(マイナンバー)カード・個人番号(マイナンバー)通知カード、④預貯金通帳、⑤キャッシュカード、⑥有価証券・その預り証、⑦年金関係書類、⑧健康保険証、介護保険証、⑨土地・建物賃貸借契約書等の重要な契約書類 2 乙は、前項の証書等の引渡しを受けたときは、甲に対し、預り証を交付してこれを保管し、この証書等を本件委任事務処理のために使用することができる。 (費用の負担) 第6条 乙が本件委任事務を処理するために必要な費用は、甲の負担とし、乙は、その管理する甲の財産からこれを支出することができる。 (報酬) [報酬額の定めがある場合] 第7条 甲は、乙に対し、本件委任事務処理に対する報酬として、1か月当たり金○○○円を当月末日限り支払うものとし、乙は、その管理する甲の財産からその支払を受けることができる。 [無報酬の場合] 第7条 乙の本件委任事務処理は、無報酬とする。 (報告) 第8条 乙は、甲に対し、○か月ごとに、本件委任事務処理の状況につき報告書を提出して報告する。 2 甲は、乙に対し、いつでも、本件委任事務処理状況につき報告を求めることができる。 (契約の変更) 第9条 本委任契約に定める代理権の範囲を変更する契約は、公正証書によってするものとする。 (契約の解除) 第10条 甲及び乙は、いつでも公証人の認証を受けた書面によって本委任契約を解除することができる。ただし、本委任契約の解除は、後記本任意後見契約の解除とともにしなければならない。 (契約の終了) 第11条 本委任契約は、第2条第2項に定める場合のほか、次の場合に終了する。 ⑴ 甲又は乙が死亡し、又は破産手続開始決定を受けたとき。 ⑵ 甲又は乙が後見開始の審判を受けたとき。 ⑶ 本委任契約が解除されたとき。 第2章 任意後見契約 (契約の趣旨) 第1条 甲は、乙に対し、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、任意後見契約に関する法律に基づき、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況における甲の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務(以下「後見事務」という。)を委任し、乙は、これを受任する(以下「本任意後見契約」という。)。 (契約の発効) 第2条 本任意後見契約は、任意後見監督人が選任された時からその効力を生ずる。 2 本任意後見契約締結後、甲が精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況になったときは、乙は、速やかに、家庭裁判所に対し、任意後見監督人の選任の請求をしなければならない。 3 本任意後見契約の効力発生後における甲と乙との間の法律関係については、任意後見契約に関する法律及び本任意後見契約に定めるもののほか、民法の規定に従う。 (後見事務の範囲) 第3条 甲は、乙に対し、別紙「代理権目録(任意後見契約)」記載の後見事務(以下「本件後見事務」という。)を委任し、その事務処理のための代理権を付与する。 (身上配慮の責務) 第4条 乙は、本件後見事務を処理するに当たっては、甲の意思を尊重し、かつ、甲の身上に配慮するものとし、その事務処理のため、適宜甲と面接し、ヘルパーその他日常生活援助者から甲の生活状況につき報告を求め、主治医その他医療関係者から甲の心身の状態につき説明を受けることなどにより、甲の生活状況及び健康状態の把握に努めるものとする。 (証書等の保管等) 第5条 乙は、甲から本件後見事務処理のために必要な次の証書等及びこれらに準ずるものの引渡しを受けたときは、甲に対し、その明細及び保管方法を記載した預り証を交付する。 ①登記済権利証・登記識別情報、②実印・銀行印、③印鑑登録カード、住民基本台帳カード、個人番号(マイナンバー)カード・個人番号(マイナンバー)通知カード、④預貯金通帳、⑤キャッシュカード、⑥有価証券・その預り証、⑦年金関係書類、⑧健康保険証、介護保険証、⑨土地・建物賃貸借契約書等の重要な契約書類 2 乙は、本任意後見契約の効力発生後、甲以外の者が前項記載の証書等を占有所持しているときは、その者からこれらの証書等の引渡しを受けて、自らこれを保管することができる。 3 乙は、本件後見事務を処理するために必要な範囲で前記の証書等を使用するほか、甲宛ての郵便物その他の通信を受領し、本件後見事務に関連すると思われるものを開封することができる。 (費用の負担) 第6条 乙が本件後見事務を処理するために必要な費用は、甲の負担とし、乙は、その管理する甲の財産からこれを支出することができる。 (報酬) [報酬額の定めがある場合] 第7条 甲は、本任意後見契約の効力発生後、乙に対し、本件後見事務処理に対する報酬として、1か月当たり金○○○円を当月末日限り支払うものとし、乙は、その管理する甲の財産からその支払を受けることができる。 2 前項の報酬額が次の事由により不相当となった場合には、甲及び乙は、任意後見監督人と協議の上、これを変更することができる。 ⑴ 甲の生活状況又は健康状態の変化 ⑵ 経済情勢の変動 ⑶ その他現行報酬額を不相当とする特段の事情の発生 3 前項の場合において、甲がその意思を表示することができない状況にあるときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意によりこれを変更することができる。 4 前2項の変更契約は、公正証書によってしなければならない。 5 後見事務処理が、不動産の売却処分、訴訟行為、その他通常の財産管理事務の範囲を超えた場合には、甲は、乙に対し、毎月の報酬とは別に報酬を支払う。この場合の報酬額は、甲と乙が任意後見監督人と協議の上、これを定める。甲がその意思を表示することができないときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意によりこれを定めることができる。この報酬支払契約は、公正証書によってしなければならない。 [無報酬の場合] 第7条 乙の本件後見事務処理は、無報酬とする。 2 本件後見事務処理を無報酬とすることが、次の事由により不相当となったときは、甲及び乙は、任意後見監督人と協議の上、報酬を定め、また、定めた報酬を変更することができる。 ⑴ 甲の生活状況又は健康状態の変化 ⑵ 経済情勢の変動 ⑶ その他本件後見事務処理を無報酬とすることを不相当とする特段の事情の発生 3 前項の場合において、甲がその意思を表示することができない状況にあるときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意により報酬を定め、また、定めた報酬を変更することができる。 4 前2項の報酬支払契約又は変更契約は、公正証書によってしなければならない。 5 (報酬額の定めがある場合の第5項に同じ) (報告) 第8条 乙は、任意後見監督人に対し、3か月ごとに、本件後見事務に関する次の事項について書面で報告する。 ⑴ 乙の管理する甲の財産の管理状況 ⑵ 甲を代理して取得した財産の内容、取得の時期・理由・相手方及び甲を代理して処分した財産の内容、処分の時期・理由・相手方 ⑶ 甲を代理して受領した金銭及び支払った金銭の状況 ⑷ 甲の生活又は療養看護につき行った措置 ⑸ 費用の支出及び支出した時期・理由・相手方 ⑹ 〔報酬の定めがある場合〕報酬の収受 2 乙は、任意後見監督人の請求があるときは、いつでも速やかにその求められた事項につき報告する。 (契約の解除) 第9条 甲又は乙は、任意後見監督人が選任されるまでの間は、いつでも公証人の認証を受けた書面によって、本任意後見契約を解除することができる。ただし、本任意後見契約の解除は、本委任契約の解除とともにしなければならない。 2 甲又は乙は、任意後見監督人が選任された後は、正当な事由がある場合に限り、家庭裁判所の許可を得て、本任意後見契約を解除することができる。 (契約の終了) 第10条 本任意後見契約は、次の場合に終了する。 ⑴ 甲又は乙が死亡し、又は破産手続開始決定を受けたとき。 ⑵ 乙が後見開始の審判を受けたとき。 ⑶ 乙が任意後見人を解任されたとき。 ⑷ 甲が任意後見監督人選任後に法定後見(後見・保佐・補助)開始の審判を受けたとき。 ⑸ 本任意後見契約が解除されたとき。 2 任意後見監督人が選任された後に前項各号の事由が生じた場合、甲又は乙は、速やかにその旨を任意後見監督人に通知するものとする。 3 任意後見監督人が選任された後に第1項各号の事由が生じた場合、甲又は乙は、速やかに任意後見契約の終了の登記を申請しなければならない。

 

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民事法情報研究会だよりNo.29(平成29年10月)

天高く馬肥ゆる秋、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、本年度の当研究会の後期セミナーは、12月9日に開催を予定しておりますが、講師には東京大学名誉教授の内田貴氏(民事法務協会会長)に再度お願いしております。講演テーマは未定ですが、好評だった前回(27年度後期セミナー)の講演後の研究成果等についてお話を伺うことができるものと思います。セミナーの開催通知につきましては、11月までには会員の皆様にお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。(NN)

画一化と多様性(ダイバーシティ)(理事 中垣治夫)

CDラジカセという商品があります。電器屋に行くと幾多のメーカーから様々な製品が販売されており、所狭しと並べてあります。このCDラジカセ一つ取ってもおそらく数百からの種類があるに違いありません。SDカード対応の有無、ハイレゾ対応の有無、大きいのから小さいのまで、いろんな色があり実にカラフルです。買い手はどれを選ぼうか、長い時間を掛けなければなりません。 多くの人々の沢山のニーズに応えるため、こんなに種類があるのだとは思うのですが、よくよく考えてみると、CDという商品にも一定の規格があるのに気が付きます。どんなに大きな製品でも、またどんなに小さなものでも使用するCDは皆同じ規格なのです。数百という種類の製品が開発されていますが、全て同じ規格の枠内で開発されているのです。そうでなければ商品としての価値が全くなくなってしまいます。確かに、製品開発時に規格を作ることは便利であるし、必要なことでしょう。生産効率も上がるし、コストも低減できます。故障した時だって簡単に修理できるでしょう。さらに、消費者にとっても皆が同じCDを使えるという、これほど有り難いことはありません。 確かに製品作りのとき、規格の枠内で設計するのは必要なことでしょう。生産性を上げ、コストを下げ、数多く購入してもらうということが大切です。したがって、今日では、規格品は一般的ですし(スーパーでは、野菜にも規格があります。)、それゆえ規格作りで各国・各社が熾(し)烈な競争をし、規格が策定されるとその枠内での開発競争にしのぎを削ることになります。 ところで、今日の日本の社会は人間にまで、この規格を当てはめようとしているように思えてなりません。教育の画一化はその典型的な例の一つと考えます。私たちの学生の頃を含め長い間当然と考えられていた「詰め込み教育」→私たちの子供の世代になると、過度の受験競争が、いじめ、不登校等を誘発しているとの批判から生まれた「ゆとり教育」→さらに、私たちの孫の世代になると、ゆとりの持たせすぎや学力低下などの批判から「ゆとり教育からの転換」など、子供たちが皆、ひとつの枠内で教育され、競争し、しのぎを削っているのです。優秀な子というのは規格の中で優秀なのであって、規格を外れたらそれは社会のはみ出し者になるというリスクがあります。そういう環境は、異質なものを嫌う社会をつくります。身体障害者を排除し、落ちこぼれを切り捨て、老人を疎ましく思い、苦しむ者が横にいても自分と関係がなければ無視する、というそんな社会を作ってしまってはいないでしょうか。 今、日本を始め世界中が異質を嫌う社会をますます作りあげているような気がしてなりません。シリア内戦、アメリカンファースト、白人至上主義、果ては北朝鮮のミサイル問題まで、世界中が異質を嫌う社会、異質を排斥する社会を長い期間をかけて作りあげてきた結果が、今になって顕在化しているのです。ところで、近時、マネッジメントの世界を中心に、多様性(ダイバーシティ)が叫ばれるようになりました。異質を好きになることは困難であるにしても、少なくとも排斥はしない、嫌いではない、普通に存在を認め合う社会の到来が期待できそうです。孫たちが活躍する時代には、そのような教育が徹底され、異質を排斥しないことが普通の社会になっていることを望むばかりです。

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

今日この頃(鈴木健一)

これまでは、本紙に大きな期待を抱いていたのに何らの貢献もせずに、ただ徒に馬齢を重ねるのみで、現職その他の方々の活動状況を垣間見ているだけだった。何か書くように要請を受けながら、言を左右にして徒にその任を免れてきた。本紙が会員の方々の日常におけるたゆみない努力により間もなく30号を超えるところまで実績を重ね、多くの先輩同僚の道しるべとして大きな存在に発展していることに畏敬の念を感じているところである。 私が公証人就任の折に感じたことは、公証制度は多くの市民の日常生活に役立ち定着していて不可欠の制度として重きをなしている、その担い手として任命されるのであるから、不断の努力によって維持していかなければならないということであった。今日の民主主義社会においてどのような社会事象が発生しようと、この崇高な理念に基づく制度を支え、市民社会に広く普及させ、福祉の向上に寄与していかなければならないということである。そのためにこの有用な制度の担い手として将来にわたって発展させていかねばならない。 とは言え、人生の大半を終え、現在身心が今日の会員諸氏のように活発に動かない。最近も経験したことであるが、ある会合に出席するため会場近くの私鉄の駅を降りて十数歩歩いたところで、道を誤ったかなかなか目的の会場に着かない。途中で通行人に尋ねてようやく見覚えのある会場にたどり着いた。ところが私が訪ねた場所は、翌週に予定されているとのこと、止むなく引き返した。原因は私の記憶誤り。これだけは小事であるが、会や会員諸氏にどれほどの迷惑をかけたか、反省することしきりである。 今後も各種会合にできるだけ出席させていただき、各位の活動ぶりを拝聴したいと思っているが、若い会員諸氏のように活発に動けない。会合で皆さんの御高説を聴くことは大いに楽しみあり、期待もしている。ただ私は受け取るだけで、与えるものは殆どない。市井の公証人の良き理解者と思っていただきたい。

新米公証人として(芳見孝行)

本年7月1日に公証人に任命され、2か月半が経過しました。 東日本大震災の被災地でもある岩手県沿岸の公証役場で、被災者の皆様に寄り添いながら、どれだけ貢献できるのか毎日奮闘しております。 ○アパート探し 3月に宮古市内のアパートを探すべく、ネットで調査したところ、東日本大震災の復興工事で県外からの工事業者が多くアパート事情が非常に悪いことが分かった。不動産業者を探し、電話で訪ねてみたところ、希望に添う物件はおろか、貸出予定のアパートが全くなかった。 役場事務所の賃貸人は、建築・建設業を営んでいる陸中建設(株)であったため、事情を話したところ、運良く1LDKの物件が見つかり、4月中旬にトントン拍子で仮契約まで済ませ、安堵していた。 先輩から、公証人任命後は休めなくなるから、公証人任命前に家族旅行をした方が良いといわれ、4月下旬に妻との沖縄旅行を計画済みであった。福島県二本松市の自宅から仙台空港へ車で向かった。まもなく空港に着く頃に、私の携帯電話が鳴り、運転していたため妻が対応した。内容は、「アパートの住人は、復興工事が伸びたため、退去しない」とのことで、振り出しに戻ってしまった。ルンルン気分の沖縄旅行が暗い状況に・・・・? 最悪、ホテル暮らしか寝袋持参で宮古市内に住むしかないかと考えたが、沖縄旅行後、手当たり次第に不動産業者に電話し、なんとか見つかり、5月下旬に契約を済ませ、6月中旬に入居した。 法務局退職後の2か月は、公証業務の勉強も頑張らなくてはいけない時期であったが、なんとなく気分が優れない日々を過ごしていた。 ○はんこスーパー宮古店 6月に公証業務に必要な印判を注文した。店は,きれいな新しい建物で、東日本大震災の津波で店が流され、最近新築したことが分かる建物であった。 注文した印判を受け取りに行き、店主と津波の話をしていたところ、実は昨年8月の台風10号でこの店の1階部分が全部浸水したとのこと。下閉伊郡岩泉町の老人福祉施設が川の氾濫で流され、入居者全員が死亡したとのTV報道は有名であったが、宮古市内も閉伊川の氾濫で甚大な被害を受けていた。 店主は、「泣きっ面に蜂」ではないが、どこに怒りをぶつけて良いか分からないと言ってた。 宮古地方は、東日本大震災の津波と台風10号の被害状況を十分承知していないと、嘱託人の心の内が分からないことになることから、遺言書作成時の説明には気を遣っているところである。 ○神棚と観葉植物 法務局在職時、退職までの14年間は単身赴任生活であった。 7月から書記(妻)と同居し、公証業務の間も一緒にいる時間が多くなり、どのように過ごすか少し悩むものである。 任命当初の7月は、嘱託事件が少なく(前任公証人の6月は普段の倍くらいの嘱託件数であった反動か?)、一日に電話が一度も鳴らない日が続き、書記に公証役場に電話させ、電話回線に異常がないことを確認することもあった。 宮古公証役場の入居先は、元々は農協関連の3階建のJAビルであったが、陸中建設(株)がビルを買い取り、陸中ビルとして現在に至っている。 前任公証人が陸中建設(株)社長の遺言公正証書を作成したときに、陸中ビルに空部屋があり、公証役場が入居してもらえば、地元からも信頼の置けるビルになるから入居してはとの話があり、入居が決まったと聞いていた。2階に、陸中建設(株)の本社、ひまわり弁護士事務所と公証役場とが仕切られて事務室ができている。 役場事務室内には、2.5メートル幅のケヤキ造りの立派な神棚がある。公証役場の事務室には似合わないものである。どうやら、JAビル時代に設置されたものであるが、前任公証人は何も飾らずほこりをかぶっていた。 早速、書記と共に、宮古市内の「横山八幡宮」と釜石市内の「釜石大観音」にお参りに行き、御札を神棚に飾ることにした。さらに、書記は、福島県二本松市の自宅にあったケヤキ造りの30センチほどの恵比寿様と大黒様を持参し、神棚に飾っている。 書記は、観葉植物が趣味で、冬場になると二本松市の自宅は、観葉植物の保護のため、廊下や部屋が占領されていた。 役場事務所の環境は、観葉植物に最良であるらしく、8月になると自宅から「君子蘭」、「モンステラ」、「オリヅルラン」、「コーヒーの木」、「サンスベリー」、「セローム」、「ストレチア」、「ポトス」など10数鉢運び込まれている。 その中にひっそりと「金のなる木」も一鉢並んでいる。 ○トップダウン 嘱託人の相談を受けると、公証役場は「何をやっているところか分からなかった」、「公証役場の場所が分からない」、「相談は有料だと思っていた」などの声が聞こえてくる。また、地元市町村広報誌を見て相談に来る人が多いことも分かった。 前任公証人からは、宮古市の遺言件数が少なく、土地柄があるのか釜石市は宮古市よりも人口は少ないが、遺言件数は多いと聞いていた。 7月末、宮古市役所の相談担当室長に挨拶に行くと「私は3年在職しているが、公証人と会うのも話すのも初めてである」旨、嫌み口調で話された。 宮古市の広報誌を見ると、公証業務の相談日が毎月第3火曜日の1日で、弁護士相談と同じ並びで掲載してある。これでは、「相談はその日以外はだめなのか?」、「相談は有料?」と受け取られかねないと感じた。 8月、沿岸の首長と面談をし、実情を話し、広報誌の内容の充実を図ることにした。 ある市長は、祖父の公正証書遺言で、孫である自分が財産を相続した経験があり、公正証書の重要性を分かってくれて、内容を吟味する旨回答をいただいた。9月号の広報誌は、当職の要望どおりに変更されていた。 また、ある町長は、面談時、担当課長を町長室に呼び、トップダウンで広報内容を検討するよう指示していただいた。小さい町では、町長の力が非常に大きいと感じた。 ○電子公証システム 全国で電子公証システムを導入していない役場は、数カ所と聞いていた。 起業したい方から定款作成の相談があるが、収入印紙4万円が節約できるので電子公証でやりたいと切り出されることも数件あった。盛岡の他の公証役場ではできますと回答しているのが実情である。 現在、回線工事を9月下旬に行い、11月1日の指定に向け、日本公証人連合会、日立製作所と連絡を取り、準備中である。 ************ 離婚給付等公正証書作成は、両人の複雑な関係もあり、なかなか難しいものがあります。離婚後の未成年の子の将来を第一に考え、最善の内容を提案しております。 また、遺言公正証書を作成し、安心される嘱託人の顔を拝見すると公証人になって良かったと感じます。 とりとめのない話を書きましたが、新米公証人で、嘱託件数は少ないですが、毎日汗をかきながら奮闘しております。引き続きご指導宜しくお願いします。

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.54 不動産の賃貸借契約について

地方都市では,自家用自動車の普及とともに,公共交通機関が減少してきた。その結果,スーパーマーケット等は,駐車場の確保が難しい駅前を敬遠し,郊外の大型店舗を構える傾向にある。福山も例外ではなく,公証役場に持ち込まれる不動産賃貸借契約も,郊外型大型店舗を所有するための事業用定期借地権設定契約などが多いように思う。 本稿では,定期借地権に限らず,不動産の賃貸借契約について公正証書の作成の依頼を受けていて,気付いたことを数点紹介させていただいたが,問題提起として記載したものであることをご了承いただきたい。

事例1 甲・乙共有地の乙の持分に甲が賃借権を設定したいという事例 概要:甲は,ある事業目的で,乙単独所有地(A地)と甲・乙共有地(B地)を乙から借り受けて一体として使用したい。賃料は,A地とB地(乙持分)併せて金〇〇万円と決めた。この内容で不動産賃貸借契約公正証書を作成して欲しい。 検討:このような事案は,実例としては,ありそうな気がする。例えば,親兄弟で共同相続したB土地全体を,共同相続人の一人が賃貸用駐車場用地として使用し,他の2名には賃料を支払うといった場合などである。この事例は,法律的には,甲・乙共有のB地について,乙持分に関し甲・乙間で賃貸借契約を締結することができるかという問題である。 そもそも,乙持分について,賃貸借契約が締結できるかという点については,持分権についての賃借権の設定はできないと解されている。なぜなら,賃貸借について,民法第601条は,「賃貸借は,当事者の一方がある物の使用・・・」と規定し,賃貸借の成立要件は,「物の使用をさせることである。」としている。つまり,土地そのものを使用することによって賃貸借は成立するとしており,共有持分のように,他の共有者によって制約を受けるような場合は,設定できないということである。このことから,乙の持分について,賃貸借を設定することはできないことになる。 それでは,甲がB地を借用したい場合には,どのような契約を結べばよいかということになるが,方法の一つとして,共有物を現物分割し,分筆して乙所有部分として特定できた箇所を賃借する方法が考えられる。他の一つは,B地を対象とし,貸主甲及び乙,借主甲として賃貸借契約を締結することができるかである。B地を第三者に貸す場合は,その第三者との間に借主第三者,貸主甲及び乙として賃貸借契約を結ぶことができるのであるから,この場合も同様に考えられるのではないかと思う。 そもそも,共有物の賃貸借については,共有物の変更,管理,保存のいずれに該当するかという問題もあるが,賃貸借期間が長期にわたる場合は,共有物の変更として共有者全員の同意が必要と解されており,本件のようにB地を事業用借地として長期間に渡り賃貸する場合は,甲・乙の同意が必要となる。本件では,乙の同意が得られれば,B地を賃貸借契約の対象とすることには何ら問題がなく,貸主甲及び乙,借主甲という賃貸借契約は,可能ではないかと考える。ただ,甲が貸主と借主の双方の立場にあるが,貸主としての甲は,共有物の変更に同意しているという立場の甲であると理解することで差し支えないと考えるがどうであろうか。 似た例として,自己借地権があるが,これはA所有地上にA・B共有の建物を所有する場合であるから,本事例に適用することはできない。

事例2 ある土地に事業用定期借地権設定後,隣接地を駐車場として借り増しするために事業用定期借地権を設定したいという事例 概要:A地とB地について事業用定期借地権設定契約を締結したが,後日,隣接するC地をA地及びB地とともに一体として使用する駐車場とするために,C地についても事業用定期借地権を設定したい。このような要望の背景には,C地は,A地及びB地と一体として事業用に供されることにより,賃料収入が確実視されることや,所定の期間が到来すれば返還してもらえるという安心感があるから貸すのであり,また,借主も安心して借りられるという事情もある。 検討:事業の用に供する建物と一体として使用する駐車場についても,事業用定期借地権設定契約ができると解されているが,これらの契約は建物所有地と同時にすべきであり,後日,追加的に駐車場用地を借り増しする場合には,事業用定期借地権設定契約は困難である(したがって,民法上の賃貸借契約によるべきである)旨説明されている。しかし,同時に契約できないのには,それぞれに事情がある。 例えば,大規模小売店舗所有に必要な広大な土地を借り受けるため多くの地権者との折衝を重ねてきたが,駐車場用地の一部について地権者との合意ができない,当該土地を除いて,とりあえず店舗開店に必要な土地について事業用定期借地権を設定する場合がある。この場合,後日当該地権者と合意ができた段階で土地の賃貸借契約を締結することになる。また,今は借りないが,将来駐車場用地として使用したいとして地権者から内諾を得ている場合もあるかも知れないし,あらかじめ内諾は得ていないとしても,事業拡大に伴って駐車場の借り増しが必要となる場合もある。しかし,このような背景事情は契約書に明記するものでもないので,背景事情によって事業用定期借地権が認められたり認められなかったりするのは適当ではない。 そこで,後日に事業用借地として提供したい土地が出てきた場合に,当該土地を事業用借地として扱っても差し支えないのではないかという意見が出てくるのは十分理解できるところである。問題は,当該土地について,事業用借地と一体ではなく,駐車場として利用するための土地賃貸借では,何故駄目なのかであるが,通常の土地の賃貸借契約は,20年を超えて締結することができないとされており(民法604),借主である事業者にとっては,長期にわたる事業展開には契約満了で解約されると不都合という問題あるかもしれないが,契約を更新すれば済む問題であるし,貸主にとっても,20年間,契約は尊重され,20年経過後は契約の更新,解除のいずれの選択肢もあり,それほど不都合とも思われない。 しかし,事業用借地として一体として取り扱うことはできないとすることも,何か不都合があればできないとして差し支えないが,特段の事情もなく,事業用定期借地権を設定したいという要望があり,既に事業用定期借地権設定契約を締結している土地と一体として使用することが明確であり,賃貸借期間も既設定の事業用定期借地権設定契約に求められる賃貸借期間期間を満たしている場合は,駐車場用地等の借り増しについても,事業用定期借地権を設定することは,可能として取り扱っても差し支えないと考えるがどうであろうか。

事例3 解約違約金についての事例 概要:借地権設定契約等によっては,借主側からの中途解約権を留保し,中途解約による違約金を定める例もあるが,この違約金はどの程度まで許されるか。 検討:建物賃貸借契約の中途解約の違約金について,賃借人からの申出による解約について,解約予告日の翌日より期間満了日までの賃料相当額の違約金支払い条項が一部無効であるとした東京地裁平成8年8月22日判決(注)があり,その趣旨は,定期借地権にも参考になるところである。 ただ,土地の賃貸借契約の場合,当該土地について,農地を宅地に変更するような場合や,多数の土地を一体として造成するなど,完全な原状回復が困難な場合もあり,建物賃貸借とは相当事情が異なる。 したがって,このような場合の違約金は,建物所有を目的とする土地賃貸借契約という建物賃貸借との違いを考慮すれば,相当程度多額となってもやむを得ず,前記判例では,違約金を賃料の1年程度が相当としたものの(判決は,違約金条項それ自体は有効と判断),違約金として「解約予告日の翌日より期間満了日までの賃料を支払う。」という条項がある場合,契約締結後直ちに解約した場合であっても,その条項をそのまま適用する例が生じても差し支えないと考える。 注 東京地裁平成8年8月22日の判例は,「期間4年の建物賃貸借契約を 締結した際,賃借人が期間満了前に解約する場合は,解約予告日の翌日より期間満了日までの賃料を支払う,との違約金条項が定められていた契約で,契約締結10月後の解約事例について,違約金として残期間3年2月分の賃料請求は,無効であり1年間について認める。」という事案である。 民事法情報研究会だより№7実務のページp3参照。

(由良卓郎)

 

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民事法情報研究会だよりNo.28(平成29年8月)

残暑の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、去る6月17日の前期セミナーでは68名の会員が参加して、元日公連会長で弁護士の筧康生先生から「公証制度改革と公証人の役割」についてご講演をいただきました。日公連による公証制度の改革、とりわけ低収入役場支援策実施に至る部内の経緯等は、具体的で興味あるお話しでしたが、都合により講演録の冊子の印刷配付はいたしませんでした。欠席された会員の皆様には、講演レジメのみ本号に掲載いたしましたのでご了解ください。(NN)

今治とはどんなところ?(会員 檜垣明美)

私が、ここ愛媛県今治市に居を構えて、3年近くが過ぎました。 着任して1年あまりは、家庭の事情もあり、毎週末今治を離れていましたが、やっと腰を落ち着けて今治の生活を楽しむことができるようになりました。 昨今は、春から物騒な事件や大学の獣医学部新設関連で「愛媛県今治市」の名前がマスコミ等でたびたび話題になっていますので、ご存知の方も多いかもしれません。 ここ今治市は、愛媛県の東予地方にある人口約16万人の、県庁所在地である松山市に次ぐ愛媛県第2の都市です。今治駅前に、「造船とタオルの町にようこそ」との看板があるとおり、商売の街と言えるでしょう。 「造船」については、日本最大の海事都市であり、「海事代理士」という海運関係の司法書士的役割を果たす方がいます。仕事上、その名を初めて耳にしたときには、仕事の内容もイメージできませんでしたが、内航海運業関係の書籍を読んだり、海事代理士の個別レクチャーを受けつつ知識を深めながら「船舶共同建造」等の公正証書を作成しています。 また、先日は、今年で5回目になる「バリシップ2017」という3日間のビッグイベントも開催され、賑わいをみせました。 「バリシップ」とは、西日本最大の海事展として国内外に知られているものであり、日本の海事関連企業からはその最新の技術、サービスが展示されるほか、国外のナショナルパビリオンも設置され、出展社数300社を超える世界の業界関係者から注目を浴びるイベントです。 「タオル」については、「今治ブランド」で全国的にも有名になっていますので、ご存じのことと思います。肌触りがとても良く、私の大のお気に入りタオルです。高級な贈答品から、日常使いまで多岐にわたり品揃えされており、各社主催のバーゲンセールも頻繁に開催され、個人的にいろいろと買い込んでいます。 また、市内には「夢」や「文化」、「癒し」などがテーマになっているタオルとアートを融合させた世界的にも例を見ない「タオル美術館」があります。訪ねてみるのも一興かもしれません。 さらに、お出かけスポットと言えば、焼き肉のたれで有名な日本食研株式会社の宮廷工場等の見学はいかがでしょうか。敷地に入ると、工場方面からいい匂いがしてきますので、「食いしん坊」の方にはお勧めです。また、松山の道後温泉に知名度ではかないませんが、市内には日帰り温泉も幾つかあり、好評です。 そして、今治と言えば、やはり「しまなみ海道」でしょう。 瀬戸内「しまなみ海道」は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60キロメートルの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなっています。この道路は、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々を橋で結んでおり、新尾道大橋以外の各橋には、原動機付き自転車道及び自転車・歩行者専用の道路が整備されています。瀬戸内海に散在する島々を眺めながらのサイクリングやドライブは絶景です。 島々に架かる橋の中で私の一番のお勧めは、来島海峡大橋です。世界初の三連吊橋で美しいブルーの海と優美な橋の姿は感動ものです。 そのほか、ゆるキャラのバリィさんがPRする「やきとり」や「柑橘類」もはずせません。 以上、雑駁な「今治」紹介をしてきましたが、「百聞は一見に如かず」です。当地にお越しいただく機会があれば、ぜひ声をかけていただけたらと思います。お待ちしています。 「住めば都」と言いますが、四季の移ろいを感じながら、その地域の良さをじっくり味わえる日々を過ごせたらいいなぁと思う今日このごろです。

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。 

 

公証人の仕事に伴い体験した健康問題等(門田稔永) 

はじめに 公証人の仕事を終えて間もなく10年を迎えます。70歳代を迎え既に半ばを過ぎたためか、「高齢者」という言葉の響きに違和感も無くなったような気がします。しかし、果たして何歳を区切りとして「高齢者」と称するのが正しいのかという思いもあります。 ところで、6月初旬に霞が関ビルで開催された民事局OB会に出席した際、以前一緒に仕事をしたことがある現職公証人から、私の日々の健康管理等に関する生活スタイルについて聞かれました。そこで、若い現職公証人で体調が悪い方がおられる話をお聞きしたこともあること、及びたまたま本誌「民事法情報研究会の野口代表」から原稿依頼をされていたこともあり、誠に駄弁であるとは承知の上で小生が公証人に着任予定の間際に経験した想定外の出来事と、その後に於ける8年間の公証人在職中に体験等した健康問題とその対応等について書いてみました。少しでも在職中の公証人及び今後公証人に任命される後輩の方々のご参考にでもなれば幸甚です。

Ⅰ 健康管理は自己管理・・・人生初めての忘れられない脳手術の経験

1 俗に「健康管理は自己管理」と言いますが、誰でも長い人生の中で「自己管理」を図りつつ日々健康な生活を維持することは、易しい様でなかなか難しい問題ですね。私も健康管理には、それなりに注意したと思いますが、法務局退職時(平成12年3月)には、身長165cmにして、①体重は70.1キロ(標準体重61.6キロ)という完全なメタボ体質と血圧の高めの身体になっていたこと、②加えて複数の若手職員の方が同時期に脳動脈瘤破裂で退職されたこと等を知り、年齢等を考慮して我が身を振り返った時、この病状に関しては決して他人事とは思われず、日々の生活の中で一種の恐怖感みたいなものを抱くような気持になっていました。 そこで平成10年6月に共済組合のT中央総合病院の「脳ドックセンター」に於いて初めて「脳ドック検査」を受けました。その結果、自分でも一瞬信じられない想定外の「約3ミリ位の脳動脈瘤があります。」との主治医の診断に驚きましたが、更にビックリしたのは「当センターの脳神経外科からは、早急に手術をすることを勧められました。」との説明でした。正に突然、我が身に降りかかった病状に関する「宣告」に、驚愕と呆然とする思いでした。そのために、暫くの間、隣局の友人等に休日ゴルフに誘われた時には、「プレー中に破裂しないか」との不安な思いをすることもありました。しかし、取り敢えずこの事は家内にも伏せて「先ずは何とか無事に退職の日を迎えるのが第一だ!」という思いを心に秘め、約一年半は毎月の定期検診を受けながら日頃の「健康管理」に努めていました。 お陰様で平成12年3月、危惧するような症状の急変も無くて浦和局を最後に退職することとなり、通算35年間の公務員生活(民事局・法務局等職員)を無事に終えることができました。

2 「脳動脈瘤」の手術に当たって・・・我が身を託す慎重な病院・医師の選択 今でこそ色々な病気等に関連し医療機関の選択に当たっては、「かかりつけ医」との接触から始まり、患者の意思により自由に他の病院を選択すること(いわゆる「セカンド・オピニオン」)の活用が出来ることは、ごく当たり前の事として理解されております。しかし、平成12年頃では未だこの「セカンド・オピニオン」たる考え方や言葉は、必ずしも一般的に知られていたとは思われません。むしろ、通院している病院から他院を訪ねること等に関しては、患者の立場として何か引け目・弱みの様な思いがあったのではないでしょうか。

3 副院長の「ひと言」で決断した私なりの「セカンド・オピニオン」の実行 私の退職後の仕事に関しては、公証人として赴任地の内示は受けていたことから、その準備のための住居(マンション等)探しをしながら、前掲「脳ドックセンター」での検診と具体的な手術等につき担当医師と相談をしていました。そんな折、何故か担当医師から「受診予約は当方で行いますので、是非、T脳ドックセンターの副院長の診察(土曜の午後)を受けて頂きたい。」との説明がありました。従ってその後は、当該副院長による診察を受けることになりましたが、確か平成12年4月頃の検診の時に「未破裂脳動脈瘤」の手術とは言え、我が身と家族の将来の有り様等に係る手術であることから、副院長の診察による説明が終わった時、私は自分なりに覚悟を決めた思いで「誠に失礼な不躾な質問で申し訳ありませんが、先生がもし、私と同じ様な症状の脳動脈瘤の手術を受けられるとしましたら、当脳ドックセンターに於いて手術を受けられますか?」とお尋ねしたら、暫しの沈黙後に「それは、何とも言えないですね・・。」という回答でした。私は「えっ!」と一瞬、信じ難い言葉の様に聞こえたことから、「それでは、私自身この手術の結果に全てを託していますので、もし先生が信頼できる病院と思われている他の病院をご存知なら、それは何処の病院か是非お教え願えませんでしょうか。」とお聞きすると、暫くして「それはT女子医大の脳神経外科かな。」という答えでした。更に私は、厚かましいことは承知の上で、「では、誠に申し訳ありませんが、是非そのT女子医大脳神経外科で信頼できる先生をご紹介方、お願い頂けませんでしょうか。」と懇願した結果、「H省関連の共済職員の方だから、後から訴訟にでもなったら困るからなあ・・」と笑いながら話された後、最近、他大学からT女子医大脳神経外科の筆頭教授として帰任されている「H教授」への紹介状を書いて頂きました。 今から顧みますと、「大変厚かましかったかな?」と苦笑する思いもしますが、その甲斐あって今日の自分があることを考えると、「これは、私なりの「セカンド・オピニオン」の先取りだったかな?」という思いはあります。

4 前掲1及び3の経緯を経て、私は希望通りに平成12年6月7日にT女子大脳神経外科に入院。前掲3の筆頭教授の下に主治医のK准助教(と思った)外4名のチームが手術を担当されることとなり、病名は「脳動脈瘤(未破裂)」で入院後の約1週間は、各種の事前検査等が実施され、6月14日午前9時から前記の手術(クリッピング術)が施行されました。私が麻酔から覚めICUの部屋から個室に戻ったのは、6時間余を過ぎた午後3時過ぎでしたが、麻酔から覚めた時に先ず私がやったことは、両手の指折りが出来るか否かの確認であり、それを確認してから再び安らかな眠りに就きました。術後の回復も順調で痛み等も無く身体機能も平常に戻って無事に退院したのは、奇しくも私の誕生日(6月30日)の日でした。

5 私は、前掲の「脳動脈瘤(未破裂)」の手術後、約2か月半後の9月1日をもって公証人に任命され、愛知県西尾公証役場の公証人として着任しました。約3年間位は年に数回定期検診の為に上京しましたが、以後症状変化も無くて現在に至っております。余談ですが、私の担当主治医であったK先生は、その後栄進されて数年前からT女子医大脳神経センター(以前の「脳神経外科」から改称)の筆頭教授として活躍されておられます。もし前掲の手術での失敗等があったとしたら、私は公証人としての任命(任命及び退任時に於ける法務大臣は、同じ保岡興治氏)をお断りする覚悟を決めていた事も、今は懐かしい思い出の一つです。

Ⅱ 公証人として在職中に体験した幾つかの健康問題

私は満76歳を迎えたばかりですが、現在の身体状況等は、①身長164cm、②体重59キロ、③体脂肪16.5、④基礎代謝量1310、⑤内臓脂肪11、⑥筋肉量47という状態です。この数値は、私の年齢・身長から見れば問題のない身体状況の様ですが、現在日々の健康管理として心掛けているのは、適度な運動と筋トレ等を含め、食事等にも留意しながら過ごしております。以下は、私が公証人在職中に於いて体験した幾つかの病状等ですが、必ずしも公証人の仕事に伴う職業病とまでは言えないとしても、この仕事関係と全く無関係とは言い難い公証人在任中に体験した健康問題等に関連した出来事について記憶を辿ってみました。

1 公証業務を開始して間もなくの胃炎発生・・・近くの医者とは仲良くすべし 公証役場に来所される人達は、それぞれ目的等も異なることからその対応等については、各公証役場でそれぞれ工夫・苦心されておられることと思われます。また、公証役場に来所される方は、初めての人や来所経験豊かな人等、色々あると思われます。しかし、公証人となって間もない頃は、来所者の目的やその心中の思い等を直感的に把握することは必ずしも容易なことではなく、一般的にそんな心の余裕が持てる状況でもないように思われます。顧みますと、私自身も当初は同様の状態であったように思いますが、何か良い方策はないかと思案していた折に、「公証役場の公証人として、来所者に対する最大最良のサービスとは、先ずは公証人自身の元気な笑顔と来所者を安心・安堵させる最初の一言(言葉)ではないか?」という思いに辿りつき、以後、その実行を日頃から心掛けるようにしていました。 しかし、公証人として仕事開始当初は、一日の終わり頃は心身ともに疲労感等を感じるのが一般的ではないでしょうか。大袈裟に言えば、正に一日の間に仕事で抱え込んだ色々なものが体に纏わり付いた状態ではないかと思われました。そこで、私は自宅に帰ってからは可能な限り「ゆったりした気持ち」で食事等を終え、寝る前は、疲れを癒すための呪文のような「宵越しの ストレス残さず 朝ぼらけ」の思いを大事にするよう心掛けていました。しかし、やはり数か月後「胃炎の症状」を感じるようになりました。幸いだったのは、近隣に同じロータリークラブ会員の内科医が居られましたので、早速、相談したところ、診察後その当時に普及し始めた胃癌防止のための「ピロリ菌の駆除」を勧められ、①潰瘍の薬と②2種類の抗生物質の3種類によって一次除菌に成功して、お陰様で所要の服薬等によって以後は胃炎の症状も解消されました。 但し、現在の状況から言いますと、過去に於いて「ピロリ菌の駆除をした人」は、それが原因で一般的には胃の「萎縮性胃炎」の症状が見られると説明されていますが、その指摘はピタリと当たっており、私も毎年受診している「胃の内視鏡検査」に於ける結果では、その症状があることが指摘され現在に至っております。

2 突発性難聴・・・夜更けの駅で「かかりつけ医」との思わぬ出会い ⑴ 「突発性難聴」とは、いつから耳の聞こえが悪くなったのか、はっきり自覚できる状態で突然に難聴が起こることが特徴であり、難聴の多くは片方の耳に起こるとのことです。また、適切な治療は発症後2週間がリミットであり、治療開始の時期によって完治率が左右される旨の説明がされています。しかし、適切な治療を受けたとしても難聴が完治する確率は、約3分の1とも言われているようです。 ちなみに、その原因としてはストレス、ウィルス感染、内耳循環障害(血流障害)等が考えられるも、明確な原因に関しては未だ判っていないとのことですが、私自身がある日突然、この「突発性難聴」たる病を体験することになるとは、全く想像もしていなかった出来事でした。 ⑵ 私の体験した「突発性難聴」は ① 西尾市に所在する私の公証役場から僅かな距離に隣接する地に市内でも信頼の高い「耳鼻咽喉科」がありました。平日は混んでいること等から夫婦共々土曜日に定期検診等に行きお世話になっていたこともあり、先生のお顔も存じておりました。 私の日頃の検診結果では何事も無かったのですが、確か平成16年の秋頃の朝起きた時に、右側の耳がジンジンする痛みと「ボアッ」とした感じがあり、何の音も聞こえない状態に「一体何事だ!」とビックリしました。しかし、その日は土曜日で生憎、昼頃からJR名古屋駅近くのホテルで「名公会」の会議等が予定されていました。取り敢えず病院に行きたくても時間外であるので、仕方なく救急処置も諦めて予定通り名古屋駅前の会場に行き、何とか「左側の聞き耳」だけで一日を過ごして懇親会にも出席しました。しかし、時間の経過と共に強い痛みも感じるようになったことから、懇親会終了と同時に急いで帰途の電車に乗りました。 ② 自宅近くの駅に着く前から、右耳の痛みも更に増してくるので一晩中痛みが続くことも思案しながら、その駅を乗り過ごし「夜勤の方が居られないか耳鼻科を訪ねてみよう。開いているかな?」という不安も抱きながら西尾駅まで行き改札口へ降りている時でした。何と思い掛けないことに耳鼻科の先生も改札口に向かっておられる姿を拝見して、一瞬「助ける神様も居られたか!」という安堵の思いでした。改札口を出るとき先生に挨拶したら「私も名古屋に用事があり遅くなりました。」とのお話でしたが、私が「誠に申し訳ない話ですが」とお断りして、今朝以降の出来事等を先生にお伝えすると「ああ、それは突発性難聴ですよ。夜勤の看護師も居ますからどうぞ一緒に来て下さい。」と病室に案内して頂きました。多分、10時頃と思われましたが、診察後に「今夜は病室に泊って下さい。」とのことで直ぐ点滴が始まりました。しかし、点滴の針が上手く入らないための痛みが残り、なかなか眠れない一夜でしたが、無事に終わったのは朝焼けの陽射しが眩しい頃でした。自宅には名古屋からの帰途に奇しくも耳鼻科の先生と会えて、病院で朝まで点滴が続く旨を伝えましたが、「突発性難聴」という人生初めての経験の中で得た心に残る忘れ難い人との出会いの有り難さと尊さを噛みしめた夜でした。突発性難聴の治療法は、飲み薬が中心で薬物療法には「副腎皮質ホルモン薬・ステロイド薬」等があるとのことですが、あの夜の長時間に及ぶ点滴の痛さは身に堪えました。

3 気付かぬ内に進行する目の病・・・サイレントキラー的な白内障 ⑴ 目の病気の一つである「白内障」とは、目の中のレンズの役割をする水晶体が濁ってしまう病気であると言われていますが、私は平成10年に宇都宮局に在任中の頃から、視界の中で小さな虫が飛び交うような、いわゆる「飛蚊症」の症状があることに気付いて通院していました。しかし、ある程度その症状が治まったことや転勤等で、それ以降は特に眼科での治療はしないままで、平成12年9月から西尾公証役場での公証人としての仕事が始まり数年を経ていました。 ⑵ 少し、「飛蚊症」の話とは外れますが、私は法務局等の在任中「車の運転免許」に関しては、全くその気もなく必要性も感じない生活でした。しかし、西尾市での公証人の仕事に慣れた頃から住居地周辺はトヨタ自動車やその系列会社のデンソウ等があり、また、近隣住民の多くが小型自動車なら数台所有という「車社会」であることに気付きました。そして、思いついたこととは「もし将来このままで車と全く縁がないとしたらどうなるか?」との不安と共に、時々見掛ける高齢者の方の「手押し車」による買い物姿と同じような家内の姿を想像すると「何とも不憫で可哀そうだ!」という思いに駆られました。そこで、たまたま自動車教習所が自宅に近い所にあることから、63歳で「ヨッシャ。必ず運転免許を取るぞ!」と3月頃に思い立ち、早朝の散歩を兼ねて教習所の練習コースの下見等や練習を繰り返し、平成15年7月24日に幸いにも一回で試験に合格して普通車の運転免許取得が実現しました。正に夢心地での「快哉!」を叫びたい思いでした。 ⑶ そして、運転免許取得の1か月後に自家用車を買いましたが、この自家用車購入に当たって私が心に決めていたことは、①決して自動車教習所で乗車した車と同じ、又はそれより小型の車は買わない(小型に慣れて普通車への乗り換えの考えは無駄である。)、②地元のトヨタ系の自動車は絶対買わない(新車の発売毎に買い替えを勧められる。)という思い等から、自家用車を買う時は、③「若しもの事故等に遭遇した際、車両は傷ついても、運転者・同乗者等に対する被害を最小限に留める。」という、創業者・本田宗一郎氏の「ホンダイズム」の思いに心惹かれること及び車両の構造等に関して、先ず、①衝突安全ボディを採用していること、②運転席・助手席のエアバッグの標準装備、及び③オプションによってサイドエアバッグの装備ができること等から推測されるように、初心者にとっては極めて安全性が高く当たり負けしない車であることを考慮して、車種は普通車・5人乗り・総排気量1.99、長さ466cm等の「ホンダ・アコード」を購入することに決めました。在任中は、この愛車で公正証書による遺言等の際に外出するようになりましたが、帰途は装備されているCDプレイヤーで好きな「カーペンターズの歌」を遠慮なく聞かれることが何より楽しみで、「精神的な面で車の効用の有り難さ」を噛みしめる思いでした。現在でもこの愛車に乗って同じ様に音楽を楽しんでおりますが、気分転換とボケ防止等にも役立っているように思われます。 ⑷ 話は「白内障」のことに戻って、運転免許取得から2年余を過ぎた頃から、車の運転中に周辺の灯りが眩しく感じることがあり、特に夜間には強い光や街灯の光を見た場合は眩しく見えることが多くなりました。また、雨の日の夜間運転の際は対向車のヘッドライトが通常より更に強い眩しさを感じることが多くなり、これらの症状が気になる状態であることに気付きました。今迄は特に日常生活に於いて特段の支障はなかったように思いますが、これらの症状が徐々に進行して今日に至ったことが不安になり、西尾市に来て初めて眼科医院を訪ねました。 その診察の結果は、「両目とも白内障の症状がありますね。」という診断でした。現在の仕事等との関係では、何より視力等が大事なことを考えると、ガックリする思いでしたが、宇都宮局在任中に経験した「飛蚊症」の症状等が公証役場の長時間に及ぶパソコン使用等によって影響があったかなという思いもしました。しかし、厄介なことに「白内障」という症状の特徴は、気が付いた時には既に「手術」以外の方法が選べなくなっている場合が多いとの説明でした。そこで、手術をする場合に術後の療養期間及び仕事との関係等を考えても直ぐには良策は見当たらないので、結論的には公証人在任中に於ける手術は諦めて、その間は当病院を「かかりつけ医」として診察を継続する旨のお願いをしました。幸いなことに、特に私から他病院への通院等を依頼したことはなかったのですが、毎週の診察過程に於ける症状等を踏まえて「かかりつけ医」が自ら、近辺に所在する市営病院内の眼科を紹介してくれたこともあり、公証人退任迄の間は当該病院に通院することにしました(医師自身からのセカンド・オピニオンか?)。 ⑸ 私は平成20年9月1日付けをもって公証人を退任後、暫く西尾市内に在住中に前掲「白内障」の手術を考えていました。病院は情報で名古屋市熱田区三本松所在の「中京眼科」に「白内障手術・硝子体手術」の「いわゆる名医」が居られることを知って、数回通院後に先ずは右目の「日帰りの白内障手術」を受けました。手術時間は約10分以内で「あっという間」に終わって、「大きい眼帯」を付けた状態での帰宅でしたが、特に痛みもありませんでした。但し、目を保護するための自宅での予後措置は大変でした。しかし、結果的には短期間の通院によって眼帯を外す日が来て、右目の眼帯を外した時の周辺の様相が「何と世間が明るく見えて綺麗な風景だ!」と感動したことを記憶しています。 その後、平成21年の春頃に横浜市の自宅に戻りました。その数年後に横浜市青葉区内に開院して間もない眼科医のことを知り、「白内障の手術」もしている旨の情報を知って通院するようになり、平成24年5月頃にもう片方の「左目の手術」をしました。このように、私は時を異にして左右の両目につき「白内障の手術」をしましたが、現在に於ける視力は両目共に1.2の状態です。しかし、残念ながら現在は、高齢者に多い「緑内障」の症状があるとのことから、月1回の通院をしていますが、つい最近、眼科医の処方箋によるパソコン使用時の「専用の老眼鏡」の購入を指導され、その眼鏡を初めて使用して本原稿を作成した次第です。

 

クルーズの楽しみ(本間 透) 

私は、昨年の7月1日をもって福島県のいわき公証役場の公証人を退任してから1年が経過しようとしています。退任直後は、達成感と一抹の寂しさがありましたが、現在は、安堵感と解放感に浸っています。 公証人在任中は、毎日、ひっきりなしに相談や証書作成等で嘱託人と接し、声が嗄れるほどしゃべっていましたが、退任後は、毎日しかも四六時中妻と一緒ですので、そんなにしゃべることもないせいか、妻から活舌が悪くなったと指摘されています。それだけでなく、お互いに目につくことや気になることがいろいろと生じますが、先が長いと思われる老後のことを考えると、至らないことは、素直に認め、できるだけ二人が一緒に楽しめることをするようにしています。 最近、テレビや新聞広告等で豪華客船のクルーズが取り上げられ、日本近海や遠くはハワイ、カリブ海、地中海、エーゲ海などのクルーズが人気となっています。その期間は、短いものでは、3日間、長いものでは、数か月かけての世界一周など様々です。 クルーズの魅力は、①オールインクルーシブ(全部込み)で、移動、宿泊、食事、アミューズメント施設(ショーやプールなど)に要する費用全部がクルーズ料金に含まれる(個人的な買物やアルコールは除く。)ので、船内でお金を使わないで済む。②レストランや食事スタイルが複数あり、食事の選択肢が増える。③客室カテゴリーは、スイートから内側まで多岐にわたり、料金によって選べる。④甲板からの360°の大海原や出入港の際の景色など他にはない非日常的性がある。⑤船内では、生演奏やショーが催され、ゲーム、カジノ、映画、プール、スポーツジムなどが楽しめる。⑥荷物は、客室にそのままで、寝ている間に移動するので、体力的に負担が少ない。⑦寄港地では、上陸して観光が楽しめる。ことにあります。

私達夫婦もクルーズにはまっており、そのきっかけは、妻が加山雄三さん(今年で80歳の永遠の若大将)の大ファンで、私もその影響でコンサートがあれば一緒にあちこち出かけていました。そのうち、加山さんが「飛鳥Ⅱ」でコンサートをするクルーズがあることを知り、早速申し込んだところ、予約がいっぱいでスイートしか空いていないとのことで、妻に聞いたら、迷うことなく「即予約でしょ!」となり、横浜港から出港して伊豆諸島を廻って横浜港に戻る2泊3日のクルーズに参加しました。 ちなみに、飛鳥Ⅱは、日本最大の客船(50,142トン、全長241m、全幅29.6m、最高速度21ノット、乗客定員872名、客室数436、乗組員約470名)で、日本発着のクルーズが主ですが、来年は、世界一周のクルーズを復活するとのことです。 飛鳥Ⅱでの船旅は、短期間でしたがこれまで経験したことのないゆったりとした優雅な旅行で、しかもディナーの際は、サプライズで加山さんが私達のテーブルの間近で乾杯の音頭をとり、加山さんとの握手会や講演会そして乗客だけの素晴らしいいショータイムがあり、初めてのクルーズに大満足でした。

その後、クルーズに関してネットで調べていたところ、世界の豪華客船の中で洋上の貴婦人と言われ、最も格式の高い「クイーンエリザベス」が、神戸港開港150年を記念して初めて日本発着のクルーズを行うことが分かり、一昨年の11月の予約開始日に複数の旅行会社を通じて予約しましたが、いずれもキャンセル待ちで、それもかなり後順位であったことから諦めていたところ、昨年の11月にキャンセル待ちをキープしてくれていた旅行会社からキャンセルが出た旨の連絡があり、とても幸運でした。 ちなみに、世界の豪華客船の種類としては、カジュアル船:旅行代金が格安で、3~7泊のクルーズが中心となり、乗客定員が2,000名を超す70,000トン級の船、プレミアム船:乗客2名に対し約1名の乗組員が乗船しているので、きめ細かいサービスが期待でき、7泊以上のクルーズが中心となり、船内もゆったりしている船、ラグジュアリー船:2週間から3か月以上のロングクルーズが中心の高級船で、乗組員1名当たりの乗客数が2名以下で優雅で充実したサービスを味わうことができる船があり、それらの占める割合は、カジュアル船が80%、プレミアム船が16%、ラグジュアリー船が4%となっています。クイーンエリザベスは、90,900トン、全長294m、全幅32.3m、高さ54.5m(12フロア)、乗客定員2,081名、客室数1,043、乗組員数1,105名のラグジュアリー船となります。 本年3月13日に憧れのクイーンエリザベスに神戸港から乗船し、神戸港開港150年記念イベントとして盛大な見送りを受け、午後8時に出港しました。クイーンエリザベスは、世界一周の途中で神戸港に寄港し、そこで記念クルーズに参加した日本人を乗船させ、8日間にわたり各地を巡りながら神戸港に戻り、記念クルーズの日本人は下船し、これ以外の世界各国の乗客は、世界一周を続けるとのことでした。 2日目は、終日クルーズ、3日目は、鹿児島に寄港し、市内を観光、4日目は、韓国の釜山に寄港し、慶州を観光、5日目は、終日クルーズ、6日目は、広島に寄港し、市内観光、7日目は、高知に寄港し、市内観光、8日目は、神戸に帰港しました。この間、2回ドレスコード(ディナーの際の服装の決まり)のフォーマル(男性はタキシード、女性はイブニングドレス)の日があり、私も初めてタキシードを着用しましたが、慣れないせいか食後はかなり疲れました。日本の寄港地では、いずれもクイーンエリザベスが入港するのが初めてということもあり、盛大で心のこもった歓送迎イベントがあり、日本のおもてなしの気持ちが十分に伝わりました。

本年5月には、札幌在住のS氏から勧められ、かねてから是非実現したいと熱望していたマイン河・ライン河の船旅とスイスの名峰ユングフラウの観光に行ってきました。 5月13日に成田空港からスイス航空でスイスのチューリヒに向かい、そこで乗り継いでドイツのミュンヘンに到着し(飛行時間等約15時間)、バスで船旅の船が停泊しているニュルンベルグに向かい、午後11時に到着し、「セレナーデ号」に乗船しました。このセレナーデ号は、日本の旅行会社が日本人乗客専用の船として建造したもので、船籍はオランダ、1,700トン、全長110m、全幅11.4m、乗客定員137名、客室数70、乗組員30名、日本からの添乗員7名のリバークルーズ船です。 翌日から9日間かけてマイン河の上流からライン川に入り、50か所以上の水門を経て、両方の河添いにあるドイツとフランスの10か所の世界遺産等の都市を訪れました。途中でマイン河とライン川の分岐から古城渓谷に入り、両岸の山上に築かれた古城群やローレライの岩、急斜面の広大なブドウ畑を船のサンデッキから眺める景色は、このクルーズならではのものでした。 数々の世界遺産の都市では、ヨーロッパ中世の神聖ローマ帝国時代に築かれた堅牢でそびえ立つ城壁と天を突かんばかりの高い尖塔のある大聖堂が残っており、当時の領主と大司教を兼ねた権力者の計り知れない権勢と財力を思い知らされました。 11日目にスイスのバーゼルに入港し、そこからバスでベルンを経由してアルプス観光の拠点であるグリンデルワルトのホテルに到着しました。ホテルのベランダからは、アルプスの名峰であるアイガーを始めとする山々が眼前に迫り、何時までも見飽きない景色でした。そして、二日間かけてロープウェーや登山列車を乗り継ぎ、標高2,970mのシルトホルン展望台やヨーロッパ最高地点の標高3,454mのユングフラウヨッホ駅に行き、その車中や展望台から眺めるアルプスの絶景を満喫しました。 こうした15日間でクルーズ仲間として多くの方々と知り合い、特に船中での食事やイベントの際にいろいろと会話できたことも大きな楽しみでした。

その後も旅行雑誌やネットでクルーズ情報を見ながら、時間的かつ経済的に許される範囲でクルーズを楽しみたいと思っております。

   

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.52 債権回収会社(いわゆる「サービサー」)から執行文の付与及び送達の申立てがあった場合の手続について

公証人に任命されてから早いもので数年が経ちました。今だに悩む事案も多々ありますが,苦労しながらも他の役場の公証人の方々のご指導を得ながら何とかここまで来たという感じです。そんな中,先般の「民事法情報研究会だより」に、執行文の付与等に関する経験談が掲載されていましたが,私も公証人に任命されてまだ間もないころに,執行文の付与・送達申立て事案を苦労して処理したことがありました。 そこで,私が経験した執行文付与と特別送達の事案について紹介し、参考に供したいと思います。

1 申立ての概要(実際の事案を簡略化しています。)は、次のとおりです。 (1) 執行文を受ける執行証書 昭和○○年第○○号「金銭消費貸借契約公正証書」 公正証書中に期限の利益喪失条項として「債権者の催告」が条件として記載されている。 (2) 債権者 ○○公庫(政府系金融機関。以下「甲」という。) 債権者甲は,公正証書作成後,法律に基づき解散し,○○機構(以下「乙」という。)が甲の権利・義務を承継している。その後、前記公正証書記載の債権については、乙が○○債権回収株式会社(以下「サービサー」という。)に対し、その管理回収を委託している。 (3) 債務者 丙 丙は死亡し丙の債務を丁が相続している。 (4) 強制執行をすることができる範囲 債権の一部 債権者は,債務者から貸金債権の一部弁済を受け、また、貸金債権を被担保債権とする抵当権実行として配当金を受領している。

2 執行文付与の手続において特に検討を要した事項 (1) 執行文付与の申立適格者は誰か。 執行文付与の際の①債務名義が存在すること、②債務名義が執行に適した内容を有すること、③債務名義の執行力が現存すること、④執行認諾文言が記載されていること等一般的な要件については充足しており、特段問題となることはありませんでしたが、本件の場合において,執行文付与を申し立て得る者(公正証書に表示された債権者又はその承継人)が誰になるのか、つまり、債権者甲の権利・義務を法律に基づき承継した乙なのか、又は乙から債権の管理回収を委託されたサービサーになるのか、について疑問が生じました。 この点に関し、サービサーの権限については、債権管理回収業に関する特別措置法第11条第1項にその定めがあり、「債権回収会社は,委託を受けて債権の管理又は回収の業務を行う場合には、委託者のために自己の名をもって、当該債権の管理又は回収に関する一切の裁判上又は裁判外の行為を行う権限を有する。」とされており、同条の説明として、「(サービサーが)①委託者のために、自己の名で裁判外の行為等を行い、その効果を委託者に帰属させることができることを明らかにするとともに、②任意的訴訟担当として、委託者のために自己の名で裁判上の行為を行うことができることを明らかにした規定であると解されており、委託がなされた場合には,執行の場面においても,サービサーが執行当事者適格を有することとなる…」(東京会報12.2.10p以下参照)、さらに「…サービサーを執行当事者とする承継執行文付与が必要」(前同)とありましたので、サービサーを執行当事者適格を有する者と認めるとともに、サービサーを承継人として執行文を付与することとしました。 (2) 証明書等として何を提出させるか。 本件申立ては、債権者・債務者の承継(民執法27Ⅱ)、事実到来(民執法27Ⅰ)、強制執行できる範囲が一部(民執規17Ⅰ)についての執行文付与の申立てであり、これらの証明文書として何を提出させるかについて検討を要しましたが、次の文書を提出してもらいました。 ① 債権者甲から乙に権利・義務が承継されたことの証明として,その根拠となる法律が掲載された官報の写し,及び申立てに係る債権の管理を乙からサービサーに委託したことを証明するものとして乙の証明書 ② 債務者丙の相続により相続人丁が申立てに係る債務を承継したことを 証明するものとして,戸除籍謄本,並びに相続の放棄及び限定承認の申述が受理されていないことの家庭裁判所からの回答書 ③ 前記公正証書の期限の利益喪失条項に,「債権者からの請求を受けたときは…期限の利益を失う」旨の約定がありましたので,債権者から債務者に催告をした事実を証明する文書等として「催告書」(内容証明郵便)及び「郵便物等配達証明書」 ④ 以上のほか,強制執行のできる範囲が公正証書記載の貸金債権の一部 ということでしたので,執行文付与申立書にその範囲を具体的に記載してもらい,併せて利息・損害金算出の計算書も提出してもらいました。 (3) 執行文をどのように記載するか。 単純執行文,事実到来執行文,承継執行文,請求権の一部執行の各場合については,日本公証人連合会発行の「公証実務」160ページ以下に,それぞれ執行文の文例が個別に掲載されていますが,本件は, ①債権者の承継(甲⇒乙⇒サービサー)があったこと。 ②債務者の承継(丙⇒丁)があったこと。 ③債権者の証明すべき事実が到来したこと。 ④請求権 の一部についての執行ができる旨 のすべてを執行文中に記載する必要があり,具体的にどのように遺漏なく正確に記載したらよいかについてはかなり悩むところとなりました。 種々苦慮した結果,日本公証人連合会発行の「公証実務」184ページに掲載されている執行文書式を使用することとしました。この書式は,表形式で所要事項を記載することができるものであったため労少なく作成することができました。この書式が裁判所で通用するかどうか一抹の不安はありましたが,このことにつき特に指摘はありませんでした。実例を示すと末尾に掲載した資料のとおりです。 今後,本件のような複雑な執行文の場合には,この書式が有効に活用できるのではないかと思っています。

3 送達手続 (1) 送達を要する書類 強制執行をするには,公正証書の謄本を債務者に送達しなければなりません。また,本件のように,執行証書に表示された債権者・債務者以外の者に対して執行文が付与される場合及び執行が条件にかかる場合には,債務者に対し前記公正証書の謄本のほかに債権者が提出した証明文書の謄本と執行文謄本とを送達しなければなりません(民執法29)。本件は,執行文の付与の申立てと同時に送達の申立てもありましたので,その申立てに基づき,次の書類の送達手続を行いました。 ①公正証書謄本 ②債権者及び債務者の承継の事実を証明する文書の謄本 ③事実到来を証明する文書の謄本 ④執行文の謄本(②③を含む。) (2) 郵便送達報告書の記載内容の確認及び送達証明書の発行 ⑴の①から④の書類について郵便局において特別送達手続を行い,その後,郵便局から郵便送達報告書を受領しましたが,送達先である受送達者の住所と郵便送達報告書に記載された送達場所が異なっていることが判明しました。郵便送達報告書には,同居者等ではなく受送達者本人が受領した旨の記載がありましたので,転居後の新住所に適正に送達されたことは推測できましたが,「送付を受けた公証人は『郵便送達報告書』の記載内容を点検し,送達場所が特別送達の宛先場所と異なっているときなどは,その理由等を担当の郵便集配人に問い質し,有効な送達がなされているか否かを確認する。」(公証人法関係解説・先例集(法務省民事局編)185ページ)こととされていますので,念のため,当職から郵便局に電話してその理由を確認しました。これに対し,郵便局は,「郵便送達報告書記載のとおり,本件送達は適正に送付された。」と答えるのみでした。そのため,当職としては,本件書類については有効に送達がされたものと認めることとしましたが,裁判所の強制執行手続においてこのことが問題になってはいけないと考え,念のため,「郵便局に適正に送達されていることを確認済み」の旨を記載した簡単な文書を送達証明書に添付(職印で契印)して,申立人に,執行文を付与した公正証書正本とともに交付しました。 4 その他 以上の手続後,公正証書原本に執行文付与の旨の記入(民執法規18Ⅰ)を終えて,本件事案の手続をすべて終了することができました。 実はこの事案には後日談があります。それは,申立人に執行文及び送達証明書を交付後しばらくして,申立人から「裁判所が執行文中の執行債権者(承継人)はサービサーではなく乙を記載すべきである,と言っているので,執行文を訂正してほしい」旨の連絡がありました。この指摘に一瞬戸惑いましたが,上記処理に誤りはないはずとの確信のもと,申立人を通じて裁判所に対しその旨を説明しましたが,裁判所は直ちには理解をしてくれません。そこで,当職から裁判所の担当書記官に直接説明をし,資料を送付して,最終的に理解を得ることができました。 以上,最初から最後まで苦労の連続でしたが,いい経験をさせていただきました。

(椿  栄一)

 

No.53 法人格のないマンションの管理組合と管理費の滞納者間で債務弁済契約公正証書を作成する上での留意点(質問箱より)                      

【質 問】 法人格のないマンションの管理組合から管理費を滞納している人との債務弁済契約の公正証書を作成したい旨の相談がありましたが、公正証書を作成する上での留意点について、ご教授ください。 【質問箱委員会回答】 マンションの所有者は、全員で、建物並びにその敷地及び附属施設の管理を行うための団体を構成し、管理組合法人とすることができるのですが(区分所有法3、47Ⅰ)、お尋ねの管理組合は、法人化の手続きをしていない団体と思われます。このような団体を、法人格なき団体あるいは権利能力なき団体と呼んでいますが、法人格なき団体が公正証書を作成する上での留意点としては、次のようなことがあると考えられます。 1 法人格のない団体を当事者とする公正証書作成嘱託の可否 法人格のない団体については、一定の場合に当事者能力を認める取扱い(民事訴訟法第29条、特許法第6条、供託規則第14条第3項)や、法人とみなす場合(国税通則法第3条、所得税法第4条、法人税法第3条)などがありますが、公正証書作成嘱託については、そのような規定がないことから、その団体を当事者とする公正証書作成の嘱託には応じられないものとされています(昭和35.3.28民事甲733号民事局長回答。日本公証人連合会編「公証事務先例集」221頁)。 そうすると、このような法人格なき団体の公正証書の作成は、登記申請の場合に「社団の代表者が、社団の構成員全員の受託者たる地位において、個人の名義で所有権の登記をすることができるに過ぎず、社団を権利者とする登記をし、または、社団の代表者である旨の肩書を付した代表者個人名義の登記をすることは、許されない」旨判示した判例(最高裁昭和47年6月2日第二小法廷判決。判例タイムズ282号164頁、民事月報27巻11号191頁等)の考え方と同様に、団体の代表者とされる個人名義で行うほかないこととなります。 このような考え方は、公証実務において定着した扱いであり、お尋ねのような法人格のないマンション管理組合にあっては、団体名義での公正証書の作成はできず、当該管理組合の代表者である管理者個人を当事者として公正証書を作成することになります。 2 公正証書本文に当事者として記載する団体名の表示方法 法人格のないマンション管理組合にあっては、その名義ではなく、代表者である管理者個人を当事者として公正証書を作成するとしても、そこに記載されている個人は、マンション管理組合の代表者としての個人であり、純然たる個人としての権利義務に関するものではないので、公正証書本文においてそのことを明らかにしておく必要があるものと思われます。 そこで、実務においては、公正証書の本文中において、通常の場合であれば「債権者○○太郎(以下「甲」という。)は、」のようにするところを、「債権者□□マンション管理組合管理者○○太郎(以下「甲」という。)は、」のようにするほか、「甲が本契約に基づいて受領した金員は、□□マンション管理組合の△△会計に所属させる」旨を明記するなどして、甲個人の債権債務とは別のものであることを明記しておくのが一般的な扱いです。 なお、本件は、管理組合が債権者となる例であり、余談となりますが、仮に管理組合が債務者となって強制執行認諾を行う場合、債務者はその団体の代表者個人とせざるを得ないので、代表者個人の財産に強制執行がされないよう、前述のように、甲個人の債権債務とは別のものであることを明記するほか、執行受諾文言において債務の引当財産として団体の財産を特定して記載し、これに限定する旨を明記しておくなどの方策が必要となります。 3 本旨外要件に当事者として記載する団体名の表示方法 法人格のない団体の代表者を当事者とする公正証書を作成する場合、法人格のない団体の代表者の場合に関する特別の根拠規定もありませんから、本旨外要件の嘱託人欄は、個人としての住所・氏名等を記載するほかないことになりますが、この場合は、括弧書きにより団体の代表者たる肩書きを併記する取扱いが相当であり、そのような記載方法は可能とされています(日本公証人連合会編「新訂 公証人法」91頁)。 4 提示(提出)を求める資料 公証人法では、嘱託人の確認のため印鑑証明書の提出を要するほかこれに準ずべき確実なる方法により人違いなきことを証明させることを要すると規定していますので(公証人法28Ⅱ)、マンション管理組合の管理者個人及び債務者は、印鑑証明書あるいは自動車運転免許証等の提出を要することになりますが(代理人による場合については、公証人法31、32Ⅰ)、それ以外にどのような資料を提出させるかについては、公証人法は、何ら規定を設けていないので、公証人の判断に委ねられることになります。本件のような場合には、次のような資料について、原本の提示を求めるか、写しの提出を求めるのが相当と思われます。 (1) マンション管理組合規約(当該マンション管理組合が法人格はないものの団体として存在していることが必要であり、そのことを確認) (注)管理組合の主たる事務所について、規約に定めのないときは、これを定めた理事会の議事録 (2) 総会議事録(嘱託人が当該マンション管理組合の管理者として選任された者であることを確認) (注)写しが提出された場合は、議事録の写しに相違ない旨の理事長の署名・実印の押印が必要 (3) 総会又は理事会議事録(本件債務弁済契約を締結することについて、管理規約に基づく有効な決議がなされていることを確認) (4) 場合によっては、区分所有者名簿 (参考文献) 財団法人東京公証人協会公証問題研究会編著「公証Q&A 公証役場へ行こう!」(社団法人民事法情報センター)24頁、新訂法規委員会協議結果要録542頁、公証実務(解説と文例)43頁、公証82号92頁

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民事法情報研究会だよりNo.27(平成29年6月)

入梅の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、当法人は4月に新年度を迎えて以降、若干の退会者がありましたが、新たな会員のご入会により、前年度を上回る会員数を維持しており、手探りで進めてきた事業の展開ですが、おかげさまで皆様のご支持をいただいているものと考えております。今後とも継続して皆様の期待に添えるよう改善に努めていきたいと思いますので、引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(NN)

「登記と法と社会生活」(テイハン刊)と著者・田代有嗣先生の思い出(会員 渡邊玉五知)

―田代有嗣先生の思い出― 私は、田代有嗣先生が法務総合研究所研修第3部長になられた年に高等科研修を受講、先生からは民法総則の講義を受けました。 研修終了後も私は民事局第1課に在籍していましたので、営繕課を訪ねた帰りに、同じ棟にあった部長室に屡々お邪魔し、いろんなお話を聞くのが楽しみでした。 机の上にはいつも書籍や資料が雑然と積み上げられていましたが、先生の話では、右、左、少し斜め等、置き場所、積み方に意味があり、これを親切な係員がきれいに整頓してくれると探すのに難儀する、と苦笑されていました。 お酒は飲まれませんでしたが、研修生の同期会には何回かご参加いただき、幹事室での2次会では得意のジョークを連発、翌日の観光にもつきあっていただきました。残念ながら晩年はお会いする機会もなく、年賀状だけのお付き合いになってしまいました。 先生のご専門は会社法のイメージが強いと思いますが、第5課長(国籍)と第2課長(戸籍)を合わせて9年、本書の上巻から下巻まで14年、構想から下巻完成までは実に35年が費やされており、こちらの方がライフワークと言っても良い労作です。 折に触れ手続法の重要性を説かれ「不動産登記は各種法制度の宝庫であり、この制度を支えているのは国民の総力である」と熱く語られていたのを懐かしく思いだします。 登記法の解説書は多数ありますが、本書のように登記制度に特化した比較法の専門書は他に類を見ない貴重なものです。 古い話で申し訳ありませんが、法務局関係者にはぜひ読んでほしい一冊として語り継ぐため、以下その概要を紹介させていただきます。

―アメリカには戸籍も登記もない!― 1 「登記と法と社会生活」(全3巻・1555頁)執筆の動機と目的 「登記と法と社会生活」(以下「本書」と書きます)は、上巻;身分法、中巻;財産法、下巻;会社法の3巻から成り、副題は『「法律風土」日米格差の根源』。上巻の箱には「戸籍・不動産登記・会社登記等、各種登記制度の有無が、日米の法構造の根源を大きく左右している。」と記されています。 田代先生が、本書を執筆されることになった動機は、昭和44年、民事局第2課長の時、家族法会議のため、カナダ、アメリカへ出張された際、そこには戸籍(身分に関する登記)、不動産・会社の登記制度がないことを知り、驚いたことによるとのことです。 本書執筆の目的は、副題にあるとおり、社会の法的風土の違いは「登記の有無」にあることを実証することにあります。 本書で私の心に強く残っているのは「①どんな立派な実体法も実行可能な手続法と、それを支える歴史的・文化的背景がなければ存続できないこと、②実体法の要請が手続法の能力を超える時、それは実行しえないもの(絵に描いた餅)となり、そのことが実体法に跳ね返って、実体法そのものの変更を余儀なくすること、③「公的機関の能力の限界が法の限界である」とする部分で、このことは先生が繰り返し語られていたこところです。 登記;全ての人(国民・法人)と物(不動産)について日々生起する重要な変動を漏れなく、しかも正しく継続記録して、その「現状」を公証するもの(上巻、4頁)

2 アメリカの身分登録(国籍登録)(以下上巻) 出生に立会った医師等の報告により、人口動態統計局が、出生年月日、出生地、子の氏名、母の住所・氏名、人種等を登録します。父の氏名・人種は母の申告により記載しますが、法律上の父となる訳ではなく、その後の婚姻、氏名変更、死亡等の記録はなされません。 届出義務者が母でなく医師等とされているのは、国籍が出生地主義であることにもよりますが、遵法精神等、国民性や文化の違いがあると、資料を基に分析されています。 占領下の日本でも、親による申告漏れを恐れたGHQの指示により、昭和22年、出生に立ち会った医師等は市町村長に出生報告をするよう省令を発しました。しかし、当時日本の国籍は父系優先の血統主義のため、父を知る立場にない医師等による出生事実の報告だけでは足りず、親の届出義務も残され、市町村長への二重報告は講和条約発効まで続きました。

3 公証人による本人証明 アメリカの公証人は証書の作成は行わず、サイン証明が主たる業務です。「宣誓の上Aである旨証言し、署名した」という事実を証明するのみで、真否についての責任はありません。本人証明は面識主義のため、看護師や街のたばこ屋さん等兼務が殆どで、日本の民生委員より多く、その数は数百万人とも言われています。システムとしては危うく見えますが、神に誓った「宣誓」の上なされた供述を、疑う方がおかしいのです。

4 結婚と離婚 結婚;ワシントン市では、①市に宣誓の上「婚姻許可状」発布申請 ②3日間公示 ③異議がなければ「許可状」発布 ④結婚式挙行 ⑤牧師は本人に「婚姻証明書」交付、婚姻庁に「結婚式挙行報告書」送付 ⑥「婚姻登録簿」にその事実を登録、となっています。 離婚;親族関係を公示する制度(戸籍)がないため、協議離婚制度は存在せず、教義上離婚を認めない教会も離婚に関与しませんので、裁判離婚のみとなります。 裁判所は離婚登録庁のため、当事者間に争いがなくても裁判所に行きます。離婚裁判を経ない再婚は重婚となり違法ですが、著名人でなければ、上記の婚姻手続を経れば重婚は簡単にできます。そこで違法な再婚でも、長期間平穏に継続すれば「自分占有」により「身分の時効取得」が成立し、有効な婚姻になるようです。戸籍のない国特有の法理論です。

5 父子関係の個別主義 普遍的に父を公示する制度(戸籍)がないため、抽象的に父子関係の存否を確認する訴訟や認知制度はなく、父は扶養、相続等必要の都度裁判で定めることになります。しかしそれは当該紛争の解決に付随して処理されるだけで、普遍的に父を定めるものではありませんので、裁判毎に父を定める個別主義(分裂主義)となります。

6 相続 実体法に法定相続の定めがあっても、戸籍がないため、他に相続人がいないことを証明することは困難です。そこで遺言相続が中心で、州もそれを推奨しているようです。

7 不動産に関する証書登録制度(以下中巻) (1)リコーディング・システム(recording system);不動産譲渡証書(deed)を登録所へ提出し、謄本が年代順に編綴されます。 (2)トレンス・システム(torrens system);創設的登記を望む者が登記申請訴訟を提起し、裁判所から登記官への通知により創設的登記(登録)。以後の取引は(1)によります。 登録申請は任意で、登記官は審査をすることなく、申請書を機械的に編綴します。 届書には「この登録(届出)は、正しく行われたときは、永久的な法的記録となります」と記されています。つまり、国は登録の内容について責任を負いませんので、届出の真否は国民の自己責任で調査することになっています。 そこで国民は、弁護士(120万人)・調査会社(abstract company)等の調査報告書により取引しますが、報告書が間違っていた場合は、大きな損害を被ることになります。 それをカバーするためには、不動産権原保険会社(title insurance company)と保険契約も締結しておかなければなりません。日本に比べますと、多くの時間と経費が必要です。

8 登記の有無と「物権」・「債権」峻別の有無 日本の民法では、「物権法」は強行法で物権法定主義・一物一権主義。「債権法」は契約自由の原則で任意法、と分けられていますが、アメリカ等無登記国では、「物権」と「債権」を峻別する概念はありません。その法的構造を詳しく比較・分析されています。 無登記国では所有より占有が優先され、日本とは逆に「売買は賃貸借を破らない」ことになります。

9 不動産登記の公信力と対抗力 日本では、「実体法」で物権を法定し、「手続法」では戸籍➞住民登録➞印鑑証明制度等を整備して本人の意思確認を容易にし、加えて緻密な登記ルールの設定により、登記官は形式審査により忖度を要することなく、迅速な審査が可能になっています。 日米とも登記・登録に公信力はありませんが、日本では対抗力しかなくても、登記に対する信頼は厚く(第三者に対抗できない権利は無意味)、取引の静的安全も動的安全も守られています。登記簿謄本に損害保険をかける必要はありません。 登記により公示される権利は、訴訟による二者間の争いとは違い、万人に対するものですから、形式審査であれ実質審査であれ、絶対的な権利の証明は、正に悪魔の証明です。 悪魔の証明(ラテン語probation diabolica);ローマ法以来「所有権の証明責任を負う当事者が、無限に連鎖する承継取得のいきさつを証明することの不能性および困難性によって、必ずや敗訴する」という「所有権帰属の証明の困難性」を比喩した言葉。

10 会社の設立(下巻) 設立者が基本定款を州長官に届け、設立証書が発せられると会社は成立し、以後役員変更、解散等の届け出はなされません。詳細は省略しますが、いわゆる登記制度はありません。

・・・・・・・・・ ※昨年は、田代先生の7回忌に当たります。先生のご実家もお寺さんだったと記憶していますが、偶然にも昨年の高等科研修の同期会は高野山で行うことになりました。出発前、高野山大学にインド憲法の起草者、アンベードカル博士の銅像が建立されると聞いていましたので、博士のことを調べていたところ、田代先生と博士の風貌が良く似ていることを発見しました。 当日、私は集団から離れて高野山大学を訪ね、除幕式前のアンベードカル博士の銅像に合掌し、田代先生にお礼を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りした次第です。

【田代先生略歴】 昭和3年熊本市生れ 同29年東京地検検事 同41年法務省民事局第5課長(国籍) 同43年第2課長(戸籍) 同50年法務総合研究所研修第3部長 同54年法務省退職・弁護士登録 同55年日大教授 平成10年日大退職 同19年没(80歳) 著書 登記と法と社会生活 国籍法逐条解説 体系戸籍用語辞典(監修) 株式会社法 親子会社の法律と実務 企業提携の法律 海外子会社の管理 新銀行取引と相続 他多数

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。 

 

今、そしてなお気になること(佐々木 暁)

公証人を退職して丁度一年になる。一年前のあの日、公僕・公務とか、責務・責任とかの目には見えない何となく重たいものを両肩から降ろし、夢にまで見たご褒美の自由な時間を手にし、我が人生最後?のスタートを切ったのである。 健康・経済・家族等、我が身を取り巻く状況をしっかりと見極めて、その上で楽しい余生を送るための設計図を描く予定であった。時間はいくらでもある。従って、今日、明日中に完成させなくてはならないものでもない。それでも今月中には、来月中には、夏が来る前には、冬が来る前には、と熟慮?しているうちに一年が経った。 ある先輩のお言葉が蘇る。「仕事を辞めると、とにかく時間の経つのが異常に速いので、そのことを頭において、過ごしなさい」と。正しく、一日が、一週間が、一か月が、一年があっという間に過ぎ去った。 結局、余生を送るための設計図には、一本の線すら入れることができずに一年が過ぎたのである。 私にとっての一番の問題点は、これといった趣味や特技を持ち合わせていないということである。唯一心の隅にひっそりと温めていたのは、「小料理屋のおやじ」であるが、お客と言えば毎週土・日にやって来る近所の孫たちの夕食造りに留まっている。水彩画も書も俳句・短歌も嫌いではなく、やればそこそこはやれる(と、自己評価)とは思うが、余生のために無理してやることもないし、特段に上手くなりたいとも思わない。どこかの教室で先生に師事するなど、私の性格上ありえない。これらの分野は、すでに諸先輩方がその道を極めておられる。等々の言い訳づくりに専念している。が、結局は単にやる気がないだけなのである。 そんな私が、公証人時代から唯一続いているのが、早朝のスロージョキングである。女房殿と二人でただ黙々と走っている。たまに散歩の人に抜かれることもあるが気にしない。毎日同じ景色を見ながら、季節の移り変わりを感じながらゆっくりと走る。余計なことは考えないようにしているが、たまには空っぽの頭に浮かんでくるものがある。忘れたいのに忘れられない長年の習性であろうか。 その一つは、法務局のことである。古くは、採用(昭和41年)された頃のバインダー登記簿や記入用ローラそしてアンモニアコピーのこと、施設整備のこと、組織・増員のこと、特別会計のこと、コンピュータ化のこと、登記所の窓口対応の変遷そして、最近の一般会計予算の動向、定員の状況、所管する法制度の改正の動向、震災復興に関わる対応などなどを懐かしんだり、現役の職員の皆さんの今の時世ならではのご苦労ぶりを思ったりして、時に躓きながら走っている。その二は、公証人時代のことである。遺言書の作成をした依頼者の方々は安心して老後を過ごされているだろうか、遺言書のとおり上手く執行出来ただろうか、相続人の間で揉めていないだろうか、離婚給付の契約公正証書のとおり養育費は支払われているだろうか、金消は、賃貸借は、などなどがたまに頭をかすめる。その三は、すでにご引退されたお世話になりっぱなしの先輩のこと、心配な?後輩の赴任先・役どころのこと、残念ながら鬼籍に入られた先達の方々のことなどが頭をよぎる。その四は、兄弟姉妹のこと、親戚のこと、友人・知人のことなどが浮かんでは消える。走り終える頃には荒い息遣いとともに忘却の彼方である。確実なのは、いつまで走れるかなと思うことである。 よく言えば悠々と過ごした、悪く言えばだらだらと過ごした一年でありましたが、現役中にあまり考えもしなかったことや気が付かなかったことも、ゆとりある時間の中で少し見つめなおすことができた一年でもあった。 平成13年7月釧路局に在任中、急性前骨髄性白血病を患いましたが、治療のかいあって、その後は健康を快復することができ、新たに吹き込んで貰った命も古希を迎えることになり、支援・応援をして頂いた多くの皆様と家族に感謝申し上げながら毎日を過ごしている。 この上は、少しでも速く、未完の人生設計図に一本でも二本でも線を入れたいと思いながら、ゆっくりと走る日々である。

商業登記倶楽部は、今 一般社団法人商業登記倶楽部代表理事・主宰者/桐蔭横浜大学法学部客員教授/公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート理事/日本司法書士会連合会顧問 神﨑満治郎) 

 1 商業登記倶楽部発足の経緯 法務局を卒業して早や24年になります。卒業年次は、平成5年4月1日ですが、この年の7月1日が奇しくも商業登記制度100周年記念日で、当日は、虎ノ門のホテルにおいて、法務省主催の記念式典が盛大に挙行され、小生もその末席を汚す光栄に恵まれました。そこで、商業登記制度100周年の年に法務局を卒業したご縁を考え、商業登記制度のPRと司法書士の皆さんにもっと積極的に商業・法人登記に取り組んでいただくために主として法務OB司法書士の支援を目的に始めたのが商業登記倶楽部というわけです。もちろん倶楽部発足の日は、商業登記制度100周年記念日の平成5年7月1日です。そして、110周年記念日の平成15年7月1日に有限責任中間法人商業登記倶楽部となり、さらに平成20年12月1日に施行された一般法人法に対応する登記を経て、同日我が国第1号の一般社団法人になったというのが商業登記倶楽部の歴史です。 以下、商業登記倶楽部の今日この頃について紹介します。

2 商業登記倶楽部の今日この頃 商業登記倶楽部には、正会員(司法書士)と特別会員(法務局職員、公証人)がおり、会員を対象に次の事業を実施しています。なお、正会員と特別会員(公証人)からは、年会費18000円をいただいています。 (1)商業登記倶楽部のホームページを活用した情報の提供。「商業登記漫歩」と題する小職のブログを毎週月曜日に登録(会員以外は、閲覧不可。) (2)商業登記倶楽部のホームページを活用した相談・回答 インターネットを通じてホームページに投稿された質問(匿名可)に対して24時間以内に回答。会員は、質問と回答を24時間中いつでも閲覧することができます。 (3)電話、FAXによる相談(24時間以内に回答) 質問件数は、(2)と(3)を合わせて1日平均2~3件程度。 (4)商業・法人登記に関するセミナーの開催 ① 夏期商業登記東京セミナーの開催 毎年8月の最後の土曜日の13:00~17:00、日司連ホールで開催。 ② 支部セミナーの開催 札幌、仙台、茨城、千葉、横浜、静岡、名古屋、金沢、大阪、岡山、高松、福岡、沖縄に支部を設け、支部長(司法書士会の名誉会長クラス)を置き、年1回~2回の支部セミナー開催。時間は、土曜日の10:00~17:00の6時間コースと13:00~17:00の4時間コースです。今年の日程も決定済です。 例えば、札幌は10月7日、最後の沖縄は12月3日で、これが千秋楽です。 なお、札幌や茨城等は、法務局からも首席登記官、統括登記官、登記官等多数の参加者がいます。 ③ 会員数の少ない司法書士会との共催による「司法書士のための商業・法人登記特別セミナー」の開催 毎年7月の3連休(海の日)の初日の土曜日13:00~17:00に開催。今年は、7月15日、島根県司法書士会と共催で出雲市において、「夏期商業登記出雲縁結びセミナー(商業・法人登記とご縁のあるセミナー)」を開催します。 以上、①~③の講師は、現在のところ小職が1人で務めていますが、終了後は地酒と郷土料理で2時間程度の懇親会もあり、十分疲れを癒すことができます。 (5)図書の出版 (2)のホームページに寄せられた質問・回答を「商業・法人登記事務相談事例」として出版しています。その他の図書と合わせ、商業登記倶楽部が著作権を有する書籍はかなりあり、会費収入に次いで、印税収入が倶楽部の財源となっています。 (6)研修会に対する講師の派遣 要請に応じて、司法書士会、法務局(講師料は無料)に小職がでかけています。 (7)その他 ① 「司法書士・商業登記スペシャリスト養成塾」を東京、大阪、沖縄で計5回開催しましたが、第1回目の東京の講師は、史上最高でした。特別講師(肩書は当時のもの)は、次のとおりです。 保岡興治(衆議院議員、元法務大臣)、筧康生(日本公証人連合会長)、稲葉威雄(早稲田大学大学院法務研究科教授)、相澤哲(法務省民事局商事課長)、松井信憲(法務省民事局付)、野村修也(中央大学法科大学院教授) ② 非営利型一般社団法人の運営と税務に関するノウハウを蓄積するため、平成21年6月1日に一般社団法人商業法人登記総合研究所を設立しましたが、必要なノウハウは蓄積しましたので、平成28年3月31日解散し、6月30日清算結了しました。 ③ 法律図書の出版社といえば有斐閣というのが小職の年代の通説です。その有斐閣から「判例六法Professional」(商業登記法担当の編集協力者に過ぎません。)と商業登記法入門(著者)を上梓し、平成27年7月31日、法曹会館において、大谷剛彦最高裁判事(元最高裁事務総長で本年3月定年退官)、野口商事課長(現総務課長)、松井参事官(現商事課長)、三河尻日司連会長のご臨席を得て、出版記念会を開催していただき、身に余る光栄でした。

3 ただ今、後継者募集中 「悠々自適は、認知症への1里塚」を合言葉に、商業登記馬鹿一代を続けてきましたが、引き際も近づいたようです。どなたか、事業承継をいたしませんか。2~3人共同でも、法人でも結構です。ただし、次の点は、厳守をお願いします。 (1)照会に対する回答は、24時間以内にする。 (2)セミナーにおける最低4時間の講義と講義内容に対する質疑の時間を設ける。 (3)懇親会には、可能な限り出席する。 なお、小職の右肩も相当凝っていますが、これは肩書が多すぎるからだと冷やかす人もいます。正に、そのとおりです。ここに記してない肩書に、一般社団法人日本成年後見法学会理事と日本登記法研究会顧問があります。これらの肩書の承継も併せてお願いします。 (商業登記倶楽部  http://stclub.co-site.jp/public/STClub2.htm

     

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.51 ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の遺言

1 ALS ALS(筋萎縮性側索硬化症)と聞いて私の脳裏に浮かんだのは、徳洲会事件の報道で徳田虎雄氏が文字盤を使ってコミュニケーションを行っているテレビ放映である。ALSは、筋肉を動かす指令が脳から伝わらなくなる難病で、手足や呼吸に必要な筋肉が急速に衰え、有効な治療法がない病気である。

2 民生委員からの相談 今から約2年前、あるALS患者(以下「A氏」という。)が「遺言をしたい」と言っているがどうしたら良いかと、民生委員が当役場に相談に来られた。民生委員の話では、視力、聴力に全く問題はないが、口述、筆記はできないとのことであった。私は、A氏が遺言をしたいと思っていることがどうして分かったのかと民生委員に尋ねたところ、A氏が入院している病院の看護師から聞いたとのことであった。そこで、遺言をするには、印鑑登録証明書、戸籍謄本、これらの他、身体障害者手帳、病名・遺言能力の有無及び意思疎通の方法を記載した診断書などの書類の提出と証人二人の手配が必要である旨を説明してその場は終わった。 それから2か月を経過したころ、民生委員が突然来訪し、A氏が「どうしても遺言をしたい」と言っているので病院で面会していただけないかとの申し出を受けたので、病院で面会する運びとなった。

3 病院での面会 面会のアポを取って、A氏、担当医師・看護師と面会した。私は、A氏が4人部屋に入院しており、自力では動けないこと、気管を切開して人口呼吸器を装着していること、胃に直接栄養剤を注入するチューブを取り付けていることを確認し、担当医師・看護師からは、A氏が遺言をしようと思っている本人に間違いないこと、視力、聴力に問題はないこと、口述、筆記はできないが複数の介護支援専門員との間で透明文字盤を使用して意思疎通することは可能であるとの証言を得た。後日提出された診断書には、86歳のALS患者であること、遺言能力に問題はないこと、遺言は透明文字盤にて伝授することができることなどが記載されていた。

4 事前準備 その数日後、当役場で民生委員と打合せを行い、病院内の相談室等の個室を3時間から5時間程度借用したいので病院の了解を得ること、通訳人として看護師又は介護支援専門員の手配、透明文字盤を使用して遺言をした状況全てを撮影・録音するのでビデオカメラとその撮影者の手配、証人二人の手配を指示した。 それから3か月後、民生委員が来訪し、病院には酸素ボンベなどの医療器具を搬入し公証人や証人など大勢が入れる相談室等ないので、A氏は一度遺言を諦めたが、先日、「どうしても遺言をしたい」と強く希望したので正式に嘱託したいこと、近くのホテルの会議室を借用してA氏をそこに運ぶこと、病院から通訳人として介護支援専門員の派遣を受けること、別室に看護師が待機して何時でも痰の吸引ができるようにすること、証人の一人はA氏の甥が引き受けその甥がビデオ撮影・録音を行うこと、もう一人の証人は公証役場が手配してその証人が役場持参のテープレコーダーを操作して欲しいなど準備状況を説明した。 5 遺言手続の状況 最初の相談から約6か月経過した日の午後、ホテルの会議室を借用してA氏を大型の車椅子に乗せて寝かせ、人口呼吸器を装着し胃に直接チューブを取り付けている状態で3時間を超える遺言手続を行った。なお、途中、何度か作業を中断して看護師による痰の吸引を行った。 (1) 透明文字盤を使用した遺言の仕方 透明文字盤は、透明のプラスチック板に平仮名と数字を書いた紙が貼り付けてあるものをいう。意思疎通の方法は、遺言者の目の前に通訳人である介護支援専門員が透明文字盤を片手に持ち、もう一方の手に持った差し棒で平仮名又は数字を一文字ずつ指し示して遺言者の目の動きを判断して言葉にしていく方法である。例えば、私の生年月日の「昭和26年」を聴き出すには、介護支援専門員が、「あ行」、「か行」、「さ行」と声を出しながら文字盤を指し示し、遺言者の目の動きを判断して「さ行」と決定する。そして、「さ行のさ」、「さ行のし」と指し示し、目の動きを判断して「し」と決定する。これで昭和の「し」が確認でき、この作業を繰り返して「昭和26年」と確認し、最後に「昭和26年」で間違いないかと聴き、遺言者の目の動きを判断して決定する仕方である。 (2) 有効な口授がなされたことの補強証拠としてのビデオ撮影と録音 遺言者には、妻と、先妻との間の子供が3人いる。事前に、担当看護師及び介護支援専門員に遺言者がどのような遺言をしたいと言っていたか尋ねたところ、「農地の一部を妻に、その他の不動産は長男に、二女と三女には預貯金を少しずつ、残りの預貯金は妻と長男に平等に、預貯金以外は全部長男」とのことであった。ところで、実際に透明文字盤を使用してこのような遺言がなされたとしても遺言の無効を主張する相続人が現われるかも知れない。そのためには、遺言がしっかりなされたことの証拠として、出張遺言のメモを作成するだけではなく、ビデオ撮影と録音をしておくことが重要と考えた。ビデオ撮影では、介護支援専門員が指し示した透明文字盤の文字に遺言者がどのような目の動きをするか、これを上手く撮影できるよう注意を払った。 (3) 遺言書の作成 ビデオ撮影と録音をするに当たっては、先ず、遺言者の了解を得ることから始めた。その後、遺言の趣旨と公正証書遺言手続等について説明後、遺言者の名前、生年月日、妻の名前、先妻との間の子供の名前、妻との間の子供の有無、財産のうち不動産の確認、定期貯金と普通預金の額などを聴取して、遺言公正証書を作成した。 遺言の聴取では、妻に相続させる不動産の特定に時間を要した。また、二女と三女に相続させる預貯金の額を聴取するのも手間取った。最後に、不動産、預貯金以外の財産を相続させるのは誰かと聴いたところ、「きんぶちのめがねは よめ」という予想していなかった口授があった。この遺言の確認に時間を要した。その後は、次のとおり作成した遺言の読み聞かせ、閲覧を行い、その内容に間違いがないことの確認を得、遺言者の依頼により私が遺言者に代わって署名・押印して終了した。

平成○○年 第○○号 遺 言 公 正 証 書 本公証人は、遺言者○○○○の嘱託により、証人☆☆☆☆ 証人□□□□立会いのもとに、後記通訳人の通訳による遺言者の申述を筆記して、この証書を作成する。 (遺言内容省略) 本 旨 外 要 件 遺言者の住所、職業、氏名、生年月日 証人二人の住所、職業、氏名、生年月日 遺言者は、口がきけないので、遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述させるため、次の通訳人を立ち会わせた。 通訳人の住所、職業、氏名、生年月日 上記遺言者、証人及び通訳人に読み聞かせ、かつ、閲覧させたところ、各自この筆記の正確なことを承認し、署名押印する。 遺言者 ○ ○  ○ ○  ㊞ 遺言者は、病気で手指が不自由のため署名することができないので、本公証人が代署・代印した。印 (以下記載省略)

6 おわりに 民生委員からの最初の相談から遺言書作成まで約6か月を要した。この間、遺言をするという遺言者の強い意思、妻の理解、病院関係者の協力、遺言者・病院・公証役場との調整に努めた民生委員の尽力がなければこの遺言はできなかった。 遺言手続の最後に、私が遺言者に対し、「これで、公正証書遺言が完成しました。よろしいですか」と聴いたところ、遺言者が満面に笑みを浮かべた。私は、あの笑顔が今でも忘れられない。

(林 久義)

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民事法情報研究会だよりNo.26(平成29年4月)

春風の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、当法人は5期目の事業年度を迎え、現在の役員の任期は6月17日開催の定時会員総会で終了することになります。目下、旧年度の決算、新年度の事業計画、役員改選等について資料作成中であり、4月中には会員総会の開催通知をお送りする予定です。なお、同時に行われるセミナーでは、元日本公証人連合会会長の筧康生弁護士にご講演をお願いしております。(NN

ふらんすへ・・・一人旅のすすめ(理事 小畑和裕)

旅上      萩原朔太郎 ふらんすへ行きたしとおもへども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広を着て きままなる旅にいでてみん 汽車が山道をゆくとき みずいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめ うら若草のもえいずる心まかせに

1 法務局も公証人も卒業し、自由な時間が圧倒的に多くなった。これといった趣味を持ち合わせていない身にとって、在職中から卒業後の毎日をいかにして過ごすかということの課題にきちんと対応していなかったことを後悔した。まさに「後悔先に立たず」である。あれこれ考えを巡らしている時、ふと思いだしたのが、昔から愛誦している萩原朔太郎の前掲の詩である。そうか、その手があったのか。そう言えば、旅は昔から大好きだった。学生の頃には、アルバイトで資金を蓄え、ウイスキーの小瓶と文庫本を友として、あちこち旅をしていたことを思い出した。幸い自由になる時間だけは十分ある。一人旅をこれからの人生の友として生きて行こうと決めた。 2 決めたのはいいが、実行する前に難題に直面した。そう、長年人生を共にしてきた伴侶の了解を得る必要があることに気が付いたのだ。そう言えば妻も旅が大好きだった。公証役場の書記に雇用していたが、任期が終了するころから、旅に関する新聞の特集記事を熱心にスクラップし始めた。言うまでもなく、一人旅は一人で行くから良いのだ。朔太郎も前掲の詩で「きままなる旅」とか、「われひとりうれしきことを・・」と言っている。どうしたものか。困った。その時、偶然目に留まったのが、JR東日本が主催する「大人の休日倶楽部」だ。その俱楽部では、一年に数回、会員に限り期間限定でJR東日本の全区間の電車等(新幹線、バスを含む。最近はJR北海道とも連携している。)が4、5日間乗り放題の切符を販売している。しかも料金は格安だ。妻は週4日間学童保育のアルバイトをしているので、この切符を購入した上、3日間を一緒に旅行し、残りの日々を使って一人旅をすることを許可してくれるように提案した。二人で旅行をする提案であり、しかも手軽で格安であることを強調し、なんとか了解を得ることができた。 3 退職以来初めての一人旅の朝は、期待と嬉しさでちょっぴり興奮した。いつもより早めに起床し、リュックに荷物を詰めて取りあえず東京駅に向かう。行先は未定だ。東京駅では、新幹線や在来線乗り場を歩き回り、あれこれと思案しながら行き先を決める。勿論、旅の途中での変更は全く自由で、誰の束縛も受けない。全席指定の新幹線もあるので、自由席がある列車を探す。在来線は基本的にはどの列車にも自由席がある。指定席に乗車することも可能だが、予め発券を受けておく必要がある。自由気ままな旅という目的から言って、事前に乗車する列車を決めるのは何となくそぐわない気がする。長野・新潟方面に行こうか、東北地方か、それとも伊豆方面に行くか。あれこれ考えるのは楽しい。時間はたっぷりある。取りあえず弁当とウイスキーの小瓶を買い込む。たまたま入線してきた新幹線の自由席に乗り込んで地方の拠点の都市まで行き、そこで乗り換えて、今まで利用したことも無いローカル線で一杯やりながら、ぼんやりと窓外に過ぎていく景色を眺める。至福のときである。加えて、旅先で出会った人たちとの交流は実に楽しい。旅行中の老夫婦と意気投合し、彼らが予約している温泉宿まで誘われて行き、日帰り温泉に浸かったり、鄙びた町の小さな食堂で、メニューにない食事を商売抜きでご馳走になったり、一人旅だと告げるとマイカーで名所・旧跡を案内して貰ったりしたこともある。概して言えばだが、田舎の人々の多くは一人で旅をする者に特に優しいような気がする。一人旅をする醍醐味の一つはそんな処にも有る。大きな声では言えないが、最近は一人旅をする若い女性も多く、たわいもない会話を妻の耳目を気にせず楽しむのもまた一興である。有難いことに、最近はどの都市に行っても観光案内所がある。ここを訪ねると、あらゆる情報が手に入る。応対は親切丁寧だ。その土地ならではの美味しい食事や地酒を楽しむことも可能だ。最後に老婆心ながら一言付け加えたい。それは、絶対にお土産を忘れない事だ。快く送り出してくれた妻への心遣いは重要だ。そのためには日ごろから妻の嗜好をよく理解しておく必要がある。お土産はその土地独自の物を十分吟味の上求めた方が良い。なぜなら、情報化社会が発達した今、お土産の情報は全てパソコン等から入手することが出来るからだ。おざなりに選んで買ったお土産は、直ぐ化けの皮が剥がれ冷ややかな評価を下されるのがオチである。納得と満足のいくお土産は、次回の一人旅も快く出発できる要因になる。心しなくてはならないのだ。 4 古稀を迎えてから、以前に比べ一年の経過を短く感じるようになった。若い頃は、一年をもっと長く感じていたと思う。同じ一年なのにこの違いは何処から来るのだろうか。ある人は、感受性の違いによるのだと言う。感受性が豊かな時代はあらゆる出来事を新鮮に感じたり、興味深々だった。季節の移ろいに敏感であったり、それぞれが抱いている夢を追っていたりと、毎日が充実しているからだと言う。綺麗な草花や素晴らしい風景に感動したり、多くの人々と交流し、喜怒哀楽に素直に反応する心を維持しているからだと言う。その感受性が年と共に衰えてくるのだ。それ故一年が早く過ぎていくと感じるのだと言う。ではどうすれば良いのか。詩人の茨木のり子は「自分の感受性くらい自分でまもれ ばかものよ」と突き放して叱っている(自分の感受性くらい 茨木のり子、民事法情報研究会だよりNo.13)。残念ながら年を経て感受性が衰えてきたことは否めない事実だ。ならばどう対処すれば良いのか。その答えの一つとして、たまには日常から離れて一人旅をする事を勧めたい(誰かと一緒だと日常性を脱却できないのだ。)。素晴らしい自然や名所・旧跡を訪ねて感動したり、美味しい料理や地酒に舌鼓を打ったり、また、旅先で多くの人たちと触れ合って「人間っていいなあ、生きるって素晴らしいなあ」と感じることが大切だと思う。(喜怒哀楽に敏感に反応する)そのようにして衰えていく感受性を守ることだと思う。それが、一人旅を勧める所以である。なお、誤解のないように言っておくが、一人旅は毎日の生活からの逃避行では断じてない。むしろ感受性を豊かに保ち、毎日の生活をより楽しく素晴らしいものにするためなのである。           了 

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。 

俳句短歌往還(高渕秀嘉)

1 ことの発端

 「親不孝悔い拭ふごと墓洗ふ」 秀嘉

一昨年の秋、大分県の山間部の小さな町に墓参のため帰郷した。掲句はその時の作である。季語は「墓洗ふ」(秋)。世間で軽く自虐的に使われる「親不孝」という言葉と、やや諧謔味も感じられる「悔い拭ふごと」の表現で一応俳句になったと思った。しかし、どうも落ち着かない。墓を洗う私を突然おそった或る悔恨は、この俳句では削ぎ落されている。この思いが俳句を短歌の形に展開してみることを促した。その自然な結果が次の拙詠である。

 「ひと言の優しき言葉で足りたるを悔い拭ふごと母の墓洗ふ」 秀嘉

冒頭掲句は読む人によりあれこれ想像の働く余地があるのに対し、この拙詠は、具体的な状況全部には触れないものの、一歩踏み込んだ個人的なある特定の感慨になっている。 公証人を退職後、数年経った平成19年、囲碁の友人の勧めで俳句を始めた。一向に上達しないが、句会に出席して様々な個性の句友と交流すること、また俳句に必須の季語を通じて季節の循環を感得することは楽しい。一方、短歌は門外漢に近い。手を染めたのは俳句より少し早いが、見様見真似の作例は数えるほどしかない。私の場合、短歌を作るには俳句と違って何か強い現実の感慨が必要である。 このように俳句・短歌双方に未熟な私であるが、最近前述のように、先行の俳句を短歌の形に展開してみるという生意気なことを試みることがある。その切っ掛けは、全く思いがけないことだが、前掲の短歌がある中高年向け家庭雑誌で「特選」に選ばれたことだった(婦人之友社・明日の友218号、選者は皇室の作歌指導・歌会始の選者等として著名な岡野弘彦先生)。私の生涯における驚天動地ともいうべき出来事だった。

2 俳句から短歌へ

柳の下の泥鰌ということではないが、この「出来事」を契機に、自作の俳句を時折、短歌の形に展開してみるようになった。ただし、手当たり次第ということではなく、前述のように、句の背後に省略された私のある情感が潜んでおり、それが短歌への展開を促していると感じられる場合に限られる。

 俳句から短歌へ・作例2首 〇「日脚伸ぶと言えば頷く妻と居て」 ー「日脚伸ぶと言えばうべなふ人と居て共に歩みし道のはるけき」 秀嘉 〇「夜白むかなかな次を鳴かぬまま」 ー「かなかなの次なる声を聴かぬまま何時しか白む旅の短か夜」 秀嘉

上記は、いずれも五七五17音の俳句から五七五・七七の31音の短歌の形に一応なってはいる。しかし、このような展開の結果が先行する俳句の単なる「説明」や言わずもがなの「蛇足」になっていないか。つまり、関連はあっても俳句とは異なる「詩趣」の短歌として自立しているか、という不安がある。そうでなくては展開の意味が薄れる。前掲の2首はどうなのか、自信はない。

3 短歌から俳句へ

逆に、昔作った短歌を俳句に凝縮できるか時に試みることもある。

 沖縄行・作例2句 〇「滴りを内に秘めたる黍の穂の白き地平に日は落ちむとす」 秀嘉 ー「さたう黍の花野の果ての入日かな」 〇「白波はリーフに消えて安らけし内なんちゅうは優しかりけり」 秀嘉 ー「白波はリーフを超えず島の春」

以上も俳句として自立しているか、これも些か心許ない。

4 「往還」ということ

さて、この拙文に「俳句短歌往還」などと大袈裟なタイトルを付けてはみたが、要するに私という一人の人間が、俳句から短歌へ時には逆の「往き還り」を、その出来不出来は別として楽しんでいるということである。このような「お遊び」自体は、俳句や短歌一般を学ぶ道としても多分迂遠な邪道であろう。 しかし、異なる二つの詩形式の間で何故このような往還「運動」が可能なのか、その秘密を知るために、先ず俳句の歴史を少し勉強してみることにした。

5 俳句の歴史 ― 連れを失った孤独な発句

日本の詩歌の長い歴史をふり返ると、万葉時代に成立し現代に至る「短歌」は、千数百年の長い時間の中で「連歌」を生んだ。連歌は、短歌五七五・七七を、上の句五七五と下の句七七に分け、この両者を原則複数の人が交互に詠み進めて一定の句数で完結させるものである。 次いで、この貴族的で上品な連歌から派生して、移り行く自然と人生の諸相を世俗的な諧謔味をもって追及する「俳諧の連歌」が室町時代に成立した(「連句」又は「俳諧」とも言う。)。そして、この俳諧連歌の巻頭に置かれる第一句(五七五音)を「発句」(ほっく)と言うが、この発句が、江戸時代の芭蕉の蕉風俳諧を経て、明治時代の子規の俳諧革新運動で連歌から「分離独立」した。つまり、脇句を切り捨てた発句が作られ、それ自体が鑑賞されるようになった。これが「俳句」である。換言すれば、「連れを失った」又は、「失ったものを内に秘めた」孤高な発句に付された名称、それが俳句である。

6 俳句の母胎は短歌

こうして俳句は、俳諧連歌の最初に置かれる発句に行き着くが、発句は元々短歌の「上の句」五七五であるから、「俳句の母胎は短歌」ということに帰着する。 したがって、ある俳句の持つ句想を母胎の中で展開し短歌に仕立ててみることは不自然なことではないと言える。また逆に、ある伝統的スタイルの短歌をあれこれ腑分けしていると全ての場合ではないが、その中に核としての俳句的要素を発見する場合があっても不思議ではない。「往還」は短歌という「力の場」で起こっている事柄であろう。

7 俳句の中の遺伝子

こうした俳句短歌往還の遊びを通じて、句作の上達ではないが、「参考」になる両者の「詩趣の違い」を垣間見ることになった。感覚的に一口で言えば、概ね俳句は「写生(省略)」であり、短歌は「叙情(展開)」であること、静止画と動画の違いとも言えるだろうか。 俳句の写生、短歌の叙情という対比は、これも「俳句の出自」に関係することだと思う。 前述のとおり、俳句は俳諧連歌の発句に由来する。発句は次なる脇句を期待し誘うものであった。そのための装置として、発句には「季語」や「切れ字」(「かな」「けり」等)を使用すべしとする規則が定められていた(式目)。 五七五音という絶対的な短さによる省略(述語の省略=事物だけ=写生)や切れ字による文の断裂は、それを展開し或いは埋めてもらうべく次なる脇句を誘っている。そして、季語は一語で脇句の舞台・背景を提供する。「言いおほせて何かある」とは芭蕉の言葉。短いから発句で何もかも全部言うことは出来ない相談だし、また続く脇句の出番を阻害して好ましくない。 俳諧連歌における発句の、このような遺伝子は現代の俳句の中にも残っていると言える。現在、俳句には沢山の流派があるが、子規・虚子の流れの「写生」「花鳥諷詠」を好ましいと思う私のような者は、その句作において発句の「式目」を今一度勉強し、時には句友と俳諧連歌(連句)を実際に試みてみることも大事ではないかと、想い到った次第である。

8 今日この頃

以上、「俳句短歌往還」の遊びのお蔭で、俳句という世界最短の詩形式の歴史や特質を少し勉強することになったが、同時に勉強すべきことが未だ沢山あることも知った。 公証人退職後に得た趣味の俳句に短歌を加え、最後までこの二つに係わっていきたいと思う「今日この頃」である。

(余録) 〇 最近の拙句5句 「卒寿の手恋の歌留多を飛ばしけり」   新年 「雪吊りの縄一本を切って春」      春 「青紫蘇の草に交じらぬ高さかな」    夏 「粒毎に冷え一房の黒葡萄」       秋 「みちのくに除かれぬもの除夜の鐘」   冬 〇 比較的最近の拙詠2首 「夫婦でも似ても似つかぬ十二桁マイナンバー届く時雨寒き日に」 「娘より届く宅配の荷の底に縁(えにし)のチョコぞバレンタインの日」

 

家事調停委員となって(石戸 忠)

公証人を退職した後、長年お世話になった地域でこれまで培った知識経験を活かし、社会貢献できるようなことがないか漠然と考えていたころ、司法書士の業務をする傍ら家事調停委員をされている方から、「調停委員になってはどうか、家事のほうは男性が少ないので、私が推薦しておきますよ。」と有難い言葉をかけていただいた。何気なく「じゃお願いします。」と返事をしたところ、話はトントン拍子に進み、数日後、家裁支部の担当課長から、「○○先生から話を聞きました。履歴書と応募動機を書面で提出してください。」との連絡があった。家事調停委員の活動がどのようなものか分からないながら、退職後、趣味の平日ゴルフに打ち込むだけでは寂しいとの気持ちから、この際、家事調停委員になろうと決断をした。 そこで私は、公証人として、遺言、任意後見、離婚給付、遺産分割、年金分割など、家事調停事件との関連性のある公正証書の作成に関与してきた経験を、いくつかの具体例を挙げて述べ、それらのことから培った知識経験を家事調停の場面で活かしたい旨の申述書を提出したところ、担当課長から、「後日、本庁で家事調停委員選考のための面接があります。」との連絡を受けた。 それから約1か月後、家裁所長名で面接の日時・場所、面接の参考にするためとして、面接日の2週間前までに、テーマを決められ、A4判2枚程度にまとめてのレポート提出を求められた。 面接は、家裁所長をはじめ、裁判官、家事調査官、書記官等7名の方から、約30分間にわたり、職務経験や応募動機、提出済みのレポート内容に関し、矢継ぎ早に質問を受けたが、多少の余裕をもって答えることができた。面接が終了すると、早速、事務担当者から「仮に、家事調停委員に任命されることが決定した場合は、新任者研修会が4日間予定されていますので、○月○日から○日まで空けておいてください。」との説明があった。 正式には、面接日から約1か月近く経って任命内定の連絡を受けることとなり、本庁での新任者研修会の冒頭で辞令交付式が行われ、最高裁判所名による任命辞令を頂戴し、晴れて家事調停委員となることができた。 新任者研修会では、本庁の裁判官等からの講義やDVD鑑賞があったが、一定の時間を割いて「調停見学」というカリキュラムが組まれていた。あらかじめ、当事者双方の了解が得られた事件について、数名の研修員が一緒に実際の調停でのやり取りを傍聴するというものである。離婚や遺産分割について、事案の概要を知らされているわけではなく、その場での発言やメモを取ることも禁止されていたが、傍聴終了後、感想レポートの提出が義務付けられていたので、当事者双方のやり取りの一言一句を聞き漏らさぬよう相当の緊張を強いられた。研修最後の座談会において、研修員のほぼ全員が「大変有意義な傍聴であった。」との感想を述べていたが、私自身も多くの成果を得ることができた研修となった。 新任者研修会の受講が終わると、早速、支部の担当書記官から調停期日の連絡が来るようになったが、そのほとんどの事件が「離婚調停」である。 離婚を求める夫婦間では、親権者の指定、養育費、面会交流、財産分与、慰謝料、年金分割等が問題となるが、協議離婚を前提に、当事者間で合意が整った場合は、原則として、当事者が揃って公証役場に出向き、離婚給付等契約公正証書を作成することが最も簡便な方法であり、私自身も相当数の証書を作成してきた経験がある。しかし、夫婦間に争いがある場合は、事前相談の段階で「それは調停手続の方法しかありませんから、家庭裁判所に相談してみてください。」といった程度の説明で終わらせていたものが、今度は、その逆の立場になったわけである。おそらく、どこの公証役場においても同様の説明をしているのではないかと考えるので、この機会に調停手続の具体的な進め方について、簡単に触れてみたい。 家事調停とは、家庭内の紛争に関し、家庭裁判所の調停委員会又は裁判官の下で、紛争の当事者間では解決できない家庭内の紛争を、適正妥当な合意の成立を目指すという紛争の自主的解決を図る制度である。あくまでも合意が基本であり、いくら適正妥当と思われる解決案であっても、当事者が納得しない限り、強制的に紛争を解決することはできない。そのため、家事調停手続は、裁判官と民間から選ばれた調停委員とによって構成される調停委員会によって行われるのが原則で、調停委員の人格や様々な分野における豊かな知識経験を活かした弾力的な解決を図ることができるものとされている。 家事調停手続は、紛争を抱える当事者からの調停の申立てによって開始される。申立て自体は、できるだけ簡単に利用しやすいよう申立用紙を窓口に備え付け、記載方法も概ねチェック方式になっており、窓口で案内や相談も随時行われている。 調停が申し立てられると、事件の内容に応じ、担当裁判官が男女2人の調停委員を指名し、この裁判官と調停委員2人が調停委員会を構成し、以後、担当事件に関与することになる。特に、夫婦が対立当事者となる離婚調停では、男女間のプライバシーの領域に踏み込んだり、心理面に影響を及ぼすこととなるため、夫婦双方に信頼感を与え、適正妥当な事件の処理・解決に導くための配慮から、調停委員は男女がペアとなって対応するのが通常である。当然のことながら、各調停委員は、あらかじめ事件記録に目を通し、事案の概要、身分関係、争点等を把握し、関係人の人物像や紛争の背景などを思い描き、調停委員同士で意見交換をするなどしてイメージを共有し、役割分担、進行方法、事情聴取のポイント等を打ち合わせ、担当裁判官との事前評議や家裁調査官に意見聴取をするなどして、第1回期日を迎えることになる。 第1回期日は、激しく感情的に対立をしている当事者の場合、別々に調停室に案内し、双方の言い分をじっくり聴くようにしている。申立人は、申立書や事情説明書等では主張しきれなかった事情を述べるし、相手方は、申立人に対する不満や悪口など、感情的な発言に終始することが多々あるが、調停委員としては、丁寧かつ謙虚な姿勢で臨み、心情に配慮した対応をしながら事情聴取をしなければならない根気のいる作業である。当事者からの事情聴取は、感情面に配慮しながら、1回当たり30分程度を目途とし、交互に計2回、概ね2時間程度の時間をかけて行い、当事者との信頼関係を築く中で、当事者双方の発言から、事実上・法律上の争点を明確にして行くこととなる。そして当該期日では当事者間でどのような点で意向が一致したか、次回期日には何を話し合うか、そのため双方に対し、主張の整理や資料の提出を指示したりもする。調停委員同士では、先を見通した調停の進め方を打ち合わせながら、担当書記官と調整のうえ、概ね1か月以内を目途に次回期日を指定するようにしている。そして、当該期日の経過は、期日ごとに調停委員が交替で調停委員連絡票に記録し、担当書記官を通じて、担当裁判官に報告することとなっている。 通常、何期日かを重ね、当事者の主張も出尽くし、事件の全容が明らかになった時点で、調停委員会の評議によって、その事件を解決するにはどのような内容の調停が最も適正妥当かということを検討し、調停の基本方針というものを決める。調停の基本方針が決まると、その方向に沿って合意が成立するよう調停案を当事者に提示し、調整することになる。 調停案は、調停委員が作成に関与するが、養育費等の金銭給付にかかる定型的な文案の場合は、比較的簡単だが、既に別居状態が長く続き、子供と会っていない相手方からの請求による面会交流の取決めのような場合、面会の頻度・時間・場所、送迎方法、監護親の同行の有無、宿泊・旅行の可否、夏休み等長期休暇の取扱い、面会日時の変更方法等こと細かに記載しないと納得しないときなどは、文案を取りまとめるだけでも大変な作業である。いずれにしろ調停案の提示は、調停の成否に与える影響が大きいので、担当裁判官とも十分評議をするよう指導されている。 当事者双方の納得できる合意が得られ、調停委員会としても相当と認め、調停条項として調書に記載されたときは、調停が成立し、調停手続は終了することとなる。調停条項は、客観的に明確なものでなければならず、記載が不明確だと、後日紛争を蒸し返されることにもなりかねないし、強制執行手続をとることができない事態も起こり得るので、十分に注意を払う必要があり、担当裁判官や担当書記官とも綿密な打合せをするようにしている。 調停手続の最後には、調停委員会として、当事者双方に調停条項を読み聞かせ、意味内容を分かりやすく説明することも欠かせないが、第1回期日には激しく感情的に対立していた当事者から、感謝の言葉を聴けるようなことがあると、調停委員としても、苦労の甲斐があったと感じる一瞬でもある。 金銭給付を目的とする強制執行受諾文言付き公正証書の場合は、調停調書と同様、債務名義として強制執行力を有するが、公正証書では認められない調停証書に特有の制度についても、ついでに触れてみたい。 第1は、履行勧告の制度(家事事件手続法第289条)である。履行勧告とは、調停で決まったことが守られない場合、その調停をした家庭裁判所に申立てをすることにより、当該裁判所が書面等で、決まったことは履行するよう相手方に勧告してくれる制度である。申立方法は、電話でも受け付けてくれ、手数料は無料である。また、この制度は、強制執行とは違うので、金銭的なもの以外でも利用できる。例えば、面会交流の取決めをしたが、相手方がその取決めを守らないときは、「子供に合わせてあげなさい。」と勧告してくれる。この制度は、あくまで勧告であるから、従わないからといって罰則はないが、裁判所からの勧告なので、心理的なプレッシャーを与えることはできる。 第2は、履行命令の制度(同第290条)である。履行命令とは、調停で決まった金銭給付を目的とする義務の不履行に対しては、履行勧告と同様、家庭裁判所に申し立てることで、決まったことは履行するよう命令を発してもらえる制度である。この履行命令に従わなかった場合は、10万円以下の過料に処せられることになり、この場合の手数料は、500円ほどである。 第3は、間接強制の申立て(民事執行法第172条)である。例えば、調停で面会交流の取決めをしたのに、相手方が守らない場合、強制執行手続をとることができる。この場合の強制執行の方法は、執行官が子供を家から連れ出して会わせるという直接執行の方法は認められていないので、その代わり、調停条項に違反して会わせないということについて、相手方に金銭(制裁金)の支払いを命じて強制するという「間接強制」の手続をとることになる。具体的には、裁判所が1回会わせない度に相手方に「金○○円を支払え。」というような命令を発するものである。したがって、面会交流を拒み続けると、多額の制裁金を支払わなければならない結果となる。この間接強制の申立てをするには、調停証書など裁判所が関与した執行力ある債務名義の正本でなければならず、公正証書では認められない。 公正証書と調停調書とでは、以上のような制度の違いがあるが、離婚調停においては、夫婦間に未成年の子供がいる場合、離婚すること自体には同意するものの、親権者の指定や面会交流の取決めで当事者双方の主張が激しく対立することがよくある。調停委員としては、子供の福祉の観点から、適正妥当な解決方法を助言するが、制度の建前上、自らの意見を押し付けるわけにはいかず、そのための調整に苦労する場合が多い。特に、面会交流に関し、最近の最高裁判例(最高裁平成25.3.28決定)において、「面会交流の日時・頻度、各回の面会交流時間の長さ、子の引渡しの方法等が具体的に定められていれば、監護親に対し間接強制決定をすることができる」旨の判断が示されたこともあり、相手方からは、監護親が面会交流を拒絶した場合に備え、間接強制の方法で実現可能となるような具体的な取決めを、調停条項に盛り込むよう主張する事案も出ているようである。 公正証書での面会交流の取決めは、「甲は乙に対し、丙との面会交流を認める。面会の日時、場所、方法等は、丙の福祉に十分配慮し、甲乙が誠実に協議して定める。」といった簡単なものが多く、嘱託当事者も取り立てて問題視しなかった経験からすると、離婚調停の場面では、当事者の様々な思惑の中で、面会交流を巡る争いが激化する傾向が強いようで、新任の調停委員としては、今後、難しい調整が求められることもあろうと痛感している。

 

終 活(横山 緑)

公証役場を利用していただく多くの皆様や先輩公証人、そして家族に支えられ、公証人を拝命から間もなく満7年が過ぎようとしており、平成29年度公募対象の公証役場として公募がされ、任期を終えることができる日が近づいてきている。 今から20年程前に、自然豊かな山紫水明な環境の地に一戸建ての住居を新築し、家族が住み、公証人拝命後は自身もそこに住むことができている。というのは、単身赴任期間が長く、法務局勤務時にその住居に私が住んだのは新築後間もない時期の1年間のみであり、ご近所からは、いつしか母子家庭と思われていたようであり、7年前の4月には、誤解がないようにとご近所に改めて挨拶回りをした。 四季折々の自然を肌で感じられる住環境ではあるが、市の中心部からは少し離れており、中心部までの足は、バスとJR(徒歩15分ほどの無人駅)であり、いずれも通勤時間帯以外は1時間に1本、2時間に1本という、いつ廃止されてなくなるかもしれない厳しい交通環境にある。そのような住環境にあるため、最近、不便と不安を覚えることとなった。すぐ近くに大きな病院はなく、体調を崩して医者に診てもらうにも車で20~30分はかかる。さらに、当地は冬期間に何度か数センチから20センチ程の積雪がある。あるとき、タクシーを予約していたところ、「積雪のため住居前まで出迎えに行くことができないので、バスが走っている広い通りまで出ていただけますか。」とタクシー会社から連絡があり、やむなくその日の予定を中止ざるを得なくなった。 今はまだ自分も妻も車の運転ができるが、高齢が原因と思われる交通事故の報道を毎日のように見聞きしており、自身がその当事者になることも十分に考えられ、数年先には免許証を返納する時期が間違いなく訪れる。 子どもからも、不便な住居へ戻ってくることはないと宣告されていることもあり、仕事を終えて落ち着いたら、夫婦二人が老後の人生を不安なく、楽しく過ごすための拠点として、交通事情がよく、スーパーマーケット等の商業施設が歩いていける近くにあり、医療機関が整備・充実している地への転居を考え、インターネットで候補地の住宅情報を取得し、休日を利用して現地を訪れ、立地条件を実際に自分で歩いて確認し、可能な場合はモデルルームを見学させてもらっている。金額の縛りを除き必須条件はなく、また、いつまでにという緊迫性もないため、終活の一つと考え、納得のいく物件探しがしばらくは続くものと思われる。 公証人を退任後、最も心配しているのが、仕事がなくなり、毎日が日曜日となった後に、妻が体調不良にならないかである。医師から「夫源病(定年退職後の夫の存在が妻のストレスの原因)」ですと診断されないよう、料理などの家事の分担、テレビの旅番組で紹介され、行ってみたいと思った地への旅行など、家族への感謝の気持ちを行動に示すように心掛けていきたいと思っている今日この頃である。

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.48 公証人に求められる当たり前のルール

公証役場には、公正証書の作成を求めて、老若男女いろいろな事情を抱えた方が直接訪ねてこられます。特に、遺言書作成のためにこられた高齢の方の多くが、初めて訪れる方であり、公証役場が何をする所かもよく分かっておられないことがあります。家族(相続人である子、その配偶者等)から詳しく説明を受けることなく、車に乗せられ公証役場に連れてこられた方は、いきなり見知らぬ公証人と対面することになります。公証人も初対面の方から話を聞くことから始まるのですが、限られた時間内で、遺言者の緊張をほぐし、公正証書に記載する内容をいかに的確に話していただける雰囲気を作れるかにかかってきます。 人と人とのコミュニケーションは、言葉と言葉以外の容貌、顔の表情、目の動き、声の質や大きさ、身振り手振りを含む態度などによって図られると言われています。そのうち、言葉が占める割合は、わずか7%と言われていますが、この言葉による対話がなければスタートしません。先ず、公証人の「○○」であることを名乗り、どのような内容の遺言書を作成されるのかを尋ねるのですが、この問いかけに的確に話をしていただける方は多くはありません。特に高齢者が多い遺言者については、世間話から始まり、これまでに遺言者が歩んで来られた人生の四方山話をお聞きすることになります。四方山話を話されることにより緊張がほぐれ、本題の、なぜ、今、遺言書を書くこととなったのかを話し始めてくれます。ここまで時間にして10分から15分、この遺言者の思いを聴く時間なくして遺言者が希望される遺言書の作成はできないように思います。したがって、初めて説明に来ていただき、話をお聞きするときは、ゆっくりと遺言者のペースで進めるようにしています。迅速・効率的ではないかもしれませんが、遺言者の思いを聴き、公証役場を訪ねてこられた皆様に、気持ちよく目的を果たしてお帰りいただくために、1時間を確保しています。証書作成後には、最初にお聞きした遺言者の人生の四方山話に触れて、今後も素敵な人生をお過ごしいただくようにとの言葉をかけるようにしています。遺言書ができあがり、帰って行かれるときに遺言者からかけていただく「これで安心しました。ありがとう」の言葉に、公証人という仕事をさせていただける幸せを感じています。 遺言者が人生の最期に向けて準備する終活の一環として作成された遺言書のうちから、その作成に携わることができて良かったと思われる事案の3件を、振り返りながら紹介させていただきます。

その1 危篤状態の中で遺言書作成 自宅で病気療養中の高齢の方から、自宅へ出張しての遺言書作成を依頼されていたところ、容体が急変し、医師からも危篤であると宣告され、遺言者の兄弟姉妹、子、孫を始めとする親族が集まり見守る中で、遺言書を作成した。自宅を訪れたときに家族から、「朝から、体を動かすこともなく会話もできない状態である。」との説明を受けた。遺言者は目を閉じてベッドに横たわっていた。家族の「公証人が来てくれたよ。」との呼びかけに応じ遺言者はしっかりと目を見開き、無言のまま当職をみていた。証人が立ち会っているこの場で遺言内容を説明していただく必要がある旨を伝えたが、遺言者に反応は見られなかった。その後も2度、3度話しかけたが、同様に反応は見られなかった。このような状態では、遺言書の作成はできない旨を反応がない遺言者及び家族の方に説明し、証人共々退去しようとしたところ、家中に響き渡る大きな声で、はっきりと「面倒をみてくれた娘の○○に全部あげる。」と発言した。朝から危篤状態の遺言者が大きな声ではっきりと発言したことに集まっていた親族からは驚きの声が漏れ、泣いておられる方が何名もいた。発言の内容は事前に確認していた内容であったことから、その場で遺言書を作成した。 翌日、家族の方から電話があり、「公証人が帰られた後、穏やかな表情になり、その後は何も話すことなく、程なく皆に見取られて息を引き取りました。」との報告があった。 危篤で話もできない状態であると聞いたときには、出張するまでもなく遺言書作成の中止を考えたが、公証人として求められている「した方が望ましい行動や取ることが望ましい態度、あるいはしてはいけないことはしない」という当たり前のルールを守ることが大切であると再認識した。 その2 家族等が求める内容による遺言書作成を求める遺言者 跡取りであり同居している長男と税理士からのアドバイスを受けて、相続税、遺留分等を踏まえた遺言内容を、準備してきたメモを見ながら苦労して説明する遺言者に、「メモを見ないで遺言者が思っている内容を説明していただけばよろしいですよ。」と説明したところ、遺言者は、「このメモのとおりに作らないといけない。このメモも自分で書いてきたものである。」と説明し、遺言者自身の思いを語っていただけない。公正証書遺言について説明し、しばらく問答を繰り返していたところ、公証人は、メモの内容による遺言書をなぜ作らないのだと、やや険悪な雰囲気になったが、その後、何とか遺言者も理解し、遺言者が書き残したい思いを語っていただけた。長男に電話して、遺言者の思いのままの内容で作成することについて了解を得たいと申し出た。結果、長男も「遺言者の思いのままの内容で作成すればよい。」と遺言者に伝えた。 遺言者は、自分の思いのままの内容の遺言書を作成することができたことについて感謝の言葉を述べて帰って行かれた。 たまにではあるが、「息子や娘の言うままに、内容もわからず遺言書を作ってしまったので作り直したい。」と公証役場を訪ねてこられる方がいる。このような思いをしていただかないように、懇切丁寧に粘り強く遺言者の思いを聴き、遺言書を作成しなければならないと再認識した。 その3 難しいことはわからないが遺言書を作成したい者の遺言書作成 「高齢で学歴もなく、難しいことはわからないが、自分が死んだときには残った預貯金の半分を、これまで一緒に生活して面倒をみてくれてきた弟(死亡している)の配偶者にあげる。」内容の遺言書を作成してほしいとの依頼があった。遺言者の推定相続人は、持参した戸籍等から兄弟姉妹(甥・姪)であり、確認できたその数は20名以上であり、遺言者に確認できたのはそのうちのごく一部の者のみであった。遺言書を作成し、弟の配偶者に遺贈させたいとの遺言者の意思は明確であるが、預貯金の残りの半分はどうするのか、遺言執行者を誰にするのかを尋ねても、難しいことはわからないと話すのみであった。しかし、なぜ弟の配偶者に預貯金の半分をあげるのかについては、「弟夫婦がいなければ遺言者が歩んできた人生、今の自分はないからである。」と語った。 「遺言者は、遺言者の有する預貯金の半分を弟の妻である○○に遺贈する。」のみを記載し、後日に提起されるであろう遺言無効確認訴訟に備え、「これまで一緒に生活して面倒をみてくれてきた者である。」旨を付言として記載した遺言書を作成した。 (横山 緑)

No.49 祭祀の主宰者として指定することの意味

1 遺言書において、「遺言者の有する財産の一切を甲に相続させる。」とした上で、「遺言者は、祭祀の主宰者として、甲を指定し、同人に祭祀用財産の一切を承継させる。」と記載する例は、よくみかけます。遺言者としては、自分の死後、これまでと同様に先祖代々の供養をしてほしいとして、祭祀の主宰者を指定するのですが、甲が財産の一切を相続しながら、祭祀の主宰者として先祖の供養をしないままにしている場合、甲の以外の相続人にとっては、甲の態度は許せるものではなく、甲に対して、何らかの措置を講ずることはできないのかという考えが生じるのは、自然な感情と思われます。 そこで、甲以外の相続人としては、遺言者が他の相続人を差し置いて甲に一切の財産を相続させるとともに同人を祭祀の主宰者に指定したという遺言書を作成したのは、負担という文言はないものの、甲に対して、祭祀の主催者として、祭祀用財産の一切を承継させるとともに、先祖代々の供養をするという負担を付したものと解する余地はないのかという疑問が生じます。 仮に、負担を付したものと解することができれば、民法第1027条で、「負担付遺贈を受けた者がその負担した義務を履行しないときは、相続人は、相当の期間を定めて、その履行を催告することができる。この場合において、その期間内に履行がないときは、その負担付遺贈に係る遺言の取消しを家庭裁判所に請求することができる。」と定めていますので、この規定を適用し、法的措置をとることができることになります。 なお、民法では、負担付遺贈について定めているだけですが、相続についても類推適用されると解されていますので、以下、負担付遺贈と表記しているところは、そのまま負担付相続についても当てはまります(公証107 229p 要録170p)。2 条件付相続と負担付相続 祭祀の主宰者として指定されたことをもって、指定された者に先祖代々の供養をさせる法的な負担を付したものであるとの見解は、見当たりません。それは、遺言者として、負担付き相続とするためには、負担を履行する者にとって負担の内容がわかるように具体的に記載することはもとより、負担付相続であることを明確に記載すべきであり、単に祭祀の主宰者として指定されたことをもって、負担付と解することは困難であるとされているからと思われます。 それでは、遺言者にとって、自分の死後、先祖代々の供養を確実に行わせるために、「祭祀の主宰者として先祖代々の供養をすることを条件」として相続させる、あるいは「祭祀の主宰者として先祖代々の供養をすることを負担」として相続させるというように、遺言書に遺言者の意図を明確に記載しておけば問題ないでしょうか。 祭祀の主宰者として先祖代々の供養をすることを停止条件付きとした場合は、いつまで先祖代々の供養を続ければ条件が成就した、すなわち相続したことになるのかという問題が生じますし、また解除条件付きとした場合、先祖代々の供養を怠ればその時から相続がなかったことになり、そうすると新たな相続財産の帰属の問題が生じることとなり、いずれにしても長期間に渡って相続財産の帰属が不安定になり、「祭祀の主宰者として先祖代々の供養をすることを条件とする相続は相当でないと思われます。 それでは、祭祀の主宰者として先祖代々の供養をすることを負担付きで相続させるとした場合はどうかというと、いったんは相続が開始しますので、条件付き相続のような問題は生じないと思いますが、先祖代々の供養といってもどの程度のことをすればよいのか、いつまで続けるのかということを具体的に記載しておく必要はあり、単に「祭祀の主宰者として指定とした」と書くだけでは具体性に欠けますし、負担が履行されないときは、遺言の取消の問題が生じますので、負担付相続も全く問題ない遺言であるということにはならないと思います。 3 祭祀の主宰者として指定の意味 そうすると、条件付相続も、負担付相続も、いずれも問題ありということになりますが、そもそも祭祀の主宰者として指定したということは、どのような意味を持つのでしょうか。これに関しては、次のような判例があります。 「祖先の祭祀を主宰する者と指定された者は死者の遺産のうち系譜、祭具、墳墓のように祭祀に関係あるものの所有権を承継する(民法897条)ことがあるだけでそれ以上の法律上の効果がないものと解すべきである。すなわちその者は被相続人の道徳的宗教的希望を託されたのみで祭祀を営むべき法律上の義務を負担するものではない。その者が祭祀を行うかどうかは一にかかってその者の個人的信仰や徳義に関することであつてこれを行わないからといつて法律上これを強制することはできない。従って受遺者が偶々祭祀を主宰する者に指定されたからといってこれを負担付遺贈を受けた者とすることはできない。」(昭和43年8月1日判決、宇都宮家庭裁判所栃木支部昭和43年(家)第601号負担付遺贈遺言の取消申立事件)と判示しています。 この判例は、祭祀の主宰者として指定された者が祭祀をどのように執り行うかは、個人の信仰の自由と絡む問題であり、遺言者が祭祀の主宰者として指定としても、その指定は、法的義務を伴うものではないとしています。確かに、信仰の自由は、憲法上保障されている権利であり、祭祀の主宰者として指定されたからといって、その者がこれまでのしきたりに従って先祖の供養をしなければならないという法的義務はないといえます。 4 結論 以上述べた点から、遺言書で、祭祀の主宰者を指定したとしても、指定された者が従来の慣習に従って先祖代々の供養をしなければならない法的義務はないとなると、法的義務を前提にした条件付相続、あるいは負担付相続として遺言書を作成することは相当でないとういうことになります。そうすると、遺言者が、祭祀の主宰者を指定し、その者に先祖の供養を行ってもらいたいと考える場合は、遺言者の希望として、その旨を遺言書に記載することが相当と思われます。(会報26.9 22p)。 (小林健二)

No.50 日本国籍の相続人の「アメリカ国籍の被相続人の相続人は、自分以外にはいない。」旨の陳述書は、宣誓認証の対象となるか。(質問箱より)

【質 問】 日本国籍の相続人から、「アメリカ国籍の被相続人の相続人は、自分以外にはいない。」旨の陳述書について、宣誓認証の対象となるか相談を受けています。 当職としては、対象となる証書は、「法律行為その他私権に関する」ものであることが必要で、身分関係に関するものは対象とはならないと考えますが、いささか疑義があることから問い合わせするものです。 【質問箱委員会回答】 1 宣誓認証制度 宣誓認証制度とは、その権限の行使の一環として、公証人が私署証書に認証を与える場合において、当事者が公証人の面前で認証の記載が真実であることを宣誓した上、証書に署名もしくは捺印し、または証書の署名もしくは捺印を自認した時は、その旨を記載して認証する制度です(公証人法58ノ2Ⅰ)。 公証人の面前で、証書の記載が虚偽なることを知り宣誓した場合は、過料に処せられることとなるので、書面の信用性、正確性を高めることになる点で、単なる私署証書の認証とは異なりますが(公証人法1②)、対象となるのは、「私署証書」であり、それに「認証」するという点においては、宣誓認証であっても、私署証書の認証であっても、変わりはありません。 2 私署証書 それでは、「私署証書」とは、どのような文書をいうのかということについては、作成者の署名のある私文書という意味であり、公文書は除かれますが、私法上の法律行為を記載した文書に限られず、法律上の権利義務関係に直接間接に影響のある事実が記載されていれば、それが法律行為であろうと法律事実であろうとすべて認証の対象になるものとされています(日本公証人連合会編「新訂公証人法」140頁)。 そこで、お尋ねの「アメリカ国籍の被相続人の相続人は、自分以外にはいない。」との文書が私署証書に該当するかですが、私法上の法律行為を記載した文書であり、法律上の権利義務関係に直接間接に影響のある事実が記載されているものですから、私署証書に該当すると思われます。身分関係に関する事実についての私署証書であっても、法律上の権利義務関係に直接間接に影響のある事実に関するものもあるので、身分関係に関するものであることのみを理由に認証の対象外とすることはできず、本件の例は、私署証書に該当するということはできるものと思われます。 なお、日本法が適用される場合にあっては、相続人の特定は民法で、その証明は戸籍法によることとなりますが、この点については、後段に記載の箇所を参照願います。 3 問題点 しかしながら、次の2点で、問題と思われます。 ⑴内容の具体性 まず、宣誓認証制度を利用するということは、証拠保全の目的や将来予想される紛争の予防を目的とするもの、紛争の現時点での解決のため作成するもの、嘱託者が将来に備えて、何らかの意味でその文書を作成保管する有用性のあるもの等が考えらます。 この点から考えると、お尋ねの文言どおりの記載では、被相続人や相続人が特定されておらず、宣誓認証をしてもあまり利用価値があるとは思われません。少なくとも被相続人については、氏名、生年月日、住所等被相続人であることを特定できる記載となっている必要がありますし、相続人についても同様に特定できる記載となっている必要があると思われます。 このことを前提にすると、「アメリカ国籍の被相続人〇〇(西暦何年何月何日生、住所〇〇、死亡しているならば死亡年月日、場所)の相続人〇〇(続柄、昭和何年何月何日生、本籍・住所〇〇)は、自分以外にはいない。」程度の内容になっている必要があるものと思われます。 もっとも、嘱託人が記載のとおりで訂正しないということであれば、私署証書とみて、認証の対象となる私文書と言わざるを得ないと思います。 ⑵内容の適法性 次に、宣誓認証を受ける文書は、内容が適法なものでなければならず、公序良俗に反する文書、違法、無効の内容を含んだ記載のある文書は、認証を受けることができないとされています(公証人法60、26の準用)。(注1) そして、「公証人は、法律行為につき証書を作成し、又は認証を与える場合に、その法律行為が有効であるかどうかについて疑があるときは、関係人に注意をし、且つ、その者に必要な説明をさせなければならない。」と規定するとともに(公証人法施行規則第13条Ⅰ)、「公証人が法律行為でない事実について証書を作成する場合に、その事実により影響を受けるべき私権の関係について疑があるときも、前項と同様とする。」と定めています(公証人法施行規則第13条Ⅱ)。 お尋ねの陳述書は、アメリカ国籍の被相続人について相続人を特定する内容の文書ですが、法の適用に関する通則法第36条によれば、「相続は、被相続人の本国法による。」と規定されていますので、アメリカ国籍を有する者を被相続人とする相続が発生したときは、原則として、アメリカ法に照らして、相続人が決定され、相続が行われることになります。このアメリカ法を調べないで、提出された陳述書をそのまま認証をすることで問題ないのか、疑問が生じます。 また、嘱託人は、日本人である相続人と思われますが、結果的に日本法が適用される例かもしれず、そうであるならば、日本には、身分関係を公に証明する制度として戸籍制度があり、相続人は、日本の戸籍によって証明されることとなります。このときは、身分関係に関する事実の証明について公証人が関与する必要はなく、戸籍制度により証明すべき事実ですから、これを戸籍制度以外の方法で認証することはできません。もっとも、相続人の特定は、戸籍によって証明されるだけでなく、遺言書による場合もあり、外国に提出する書類として日本の戸籍謄本では通用しない場合もありますので、そのような場合は、認証制度を利用できることになります。 このように、この陳述書を、問題なく有効な内容であると判断するには疑問が生じます。そうであるならば、公証人としては、認証するに当たって、疑問を解消する必要があると思われますが、渉外的な内容の文書については、外国の法制度について不明確なことも多いことから、このような陳述書の記載が適法か違法かを断定することは、現実的に困難な問題です。 そこで、公証人として、どの程度、調査すべきなのかについてですが、最高裁判所平成9年9月4日判決では、次のように述べています(この判決は、公正証書を作成した場合の例ですが、公証人法施行規則第13条第1項で公正証書の作成の場合と認証の場合を同様に取り扱っているところから、認証についても同様に当てはまるものと思われます。)。 「公証人法(以下「法」という。)は、公証人は法令に違反した事項、無効の法律行為及び無能力により取り消すことのできる法律行為について公正証書を作成することはできない(二六条)としており、公証人が公正証書の作成の嘱託を受けた場合における審査の対象は、嘱託手続の適法性にとどまるものではなく、公正証書に記載されるべき法律行為等の内容の適法性についても及ぶものと解せられる。しかし、他方、法は、公証人は正当な理由がなければ嘱託を拒むことができない(同法三条)とする反面、公証人に事実調査のための権能を付与する規定も、関係人に公証人の事実調査に協力すべきことを義務付ける規定も置くことなく、公証人法施行規則(昭和二四年法務府令第九号)において、公証人は、法律行為につき証書を作成し、又は認証を与える場合に、その法律行為が有効であるかどうか、当事者が相当の考慮をしたかどうか又はその法律行為をする能力があるかどうかについて疑いがあるときは、関係人に注意をし、かつ、その者に必要な説明をさせなければならない(一三条一項)と規定するにとどめており、このような法の構造にかんがみると、法は、原則的には、公証人に対し、嘱託された法律行為の適法性などを積極的に調査することを要請するものではなく、その職務執行に当たり、具体的疑いが生じた場合にのみ調査義務を課しているものと解するのが相当である。したがって、公証人は、公正証書を作成するに当たり、聴取した陳述(書面による陳述の場合はその書面の記載)によって知り得た事実など自ら実際に経験した事実及び当該嘱託と関連する過去の職務執行の過程において実際に経験した事実を資料として審査をすれば足り、その結果、法律行為の法令違反、無効及び無能力による取消し等の事由が存在することについて具体的な疑いが生じた場合に限って嘱託人などの関係人に対して必要な説明を促すなどの調査をすべきものであって、そのような具体的な疑いがない場合についてまで関係人に説明を求めるなどの積極的な調査をすべき義務を負うものではないと解するのが相当である。」 4 結論 実務においても、この最高裁判決の趣旨に沿った考え方で取り扱われていると思われますので、この考え方を前提にしますと、本件は、法律行為の法令違反あるいは無効による取消し等の事由が存在することについて具体的な疑いが存する事例に当たると考えられますので、嘱託人などの関係人に対して必要な説明を促すなどの調査をした上で、認証すべき事案と考えられ、次のような取扱いをされるのが相当と思われます。 ⑴嘱託人が自分を唯一の相続人と考えている根拠(被相続人と嘱託者との身分関係、被相続人の生活の本拠地や被相続人と嘱託者との交流状況等)について質問して、事実関係を調べる。 ⑵事実関係に不自然なもの(疑うべきもの)が感じられなければ、嘱託者に、陳述書の提出先及び提出先の求める文書の内容を確認した上で、嘱託人から提出先に法的に問題ないかの確認をしてもらい、このような陳述書が当該国においても違法でないということを確認する。当該国の法令に精通した外国法務弁護士に相談することようアドバイスすることも考えられる。 ⑶このような対応をして、提出先から、何らかの回答があり、違法であるという確認がとれない限り、認証をしても差し支えない。その際、提出先から違法でないことの根拠が示された場合は、それを陳述書に記載しておくことが相当と思われる。 ただし、提出先の担当者が内容を理解していないままに回答していることも懸念されるので、認証した場合は、当該私署証書が相手国で有効なものとして扱われる保証はできないことを注意しておく。 ⑷提出先から、何らの説明がなされないような場合は、認証は控えておくことが相当と思われる。 注1 この準用の意味については、公証人が作成する認証文について準用されるのであって、認証を与える書面に準用されるのではないという見解(岩本信正著「条解公証人法」94頁)もありますが、その見解によっても、公証人が行政庁として行う行為であることから、認証を与える書面の内容が法令違反等でないことは当然の前提とされています。 注2 日本法が適用される可能性のある場合には、嘱託人の原則的本人確認資料の他、可能な限り嘱託人の戸籍(場合によっては母の戸籍)及び被相続人の死亡の事実を確認できる資料の提出を求め、相続人は、戸籍により特定され、宣誓認証では証明できないことを説明し、宣誓認証するのであれば、相続人であること特定するために必要な事実関係を陳述させることが相当である旨説明することが相当です。

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民事法情報研究会だよりNo.25(平成29年2月)

立春の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、本年度予定した事業は、この2月号の発行をもっておおむね終了しました。民事法情報研究会だよりについては、本年度は9月号と11月号を臨時に増刊し、実務の広場の記事を増やして現職公証人の会員への利便を図りましたが、会員情報誌としての性格上、記事の構成のバランスをどうするか、今後の検討課題となっています。ご意見があれば、お寄せください。 また、会員交流事業については、次年度は、6月17日(土)に定時会員総会・セミナー・懇親会を、また12月9日(土)にセミナー・懇親会を予定しておりますので、よろしくお願いします。 なお、4月に入りましたら、新年度の会費納入のご案内をお送りいたしますが、都合により本年度限り退会を希望される会員は、3月末日までに郵便・ファックス等でお知らせください。(NN)

「まさか」で済まされない時代(副会長 小林健二)

最近、高齢者ドライバーによる悲惨な事故が相次いで起きている。アクアセルとブレーキを踏み間違えたということが原因のようであるが、高齢者になると本来ありえないことが起きてしまうということであろう。ただ、このような高齢者が絡んだ事故に関する新聞記事等を見ても、まだ、自分には関係ない記事と思いがちであるが、最近、立て続けに、こんなことはあり得ないと思われることに遭遇した。 一例は、最寄り駅の上りのエスカレーターに乗っていた時、私の前に老夫婦がいて、先にいた夫がその後ろにいた奥さんに乗りかかるように突然倒れ、そのあおりで私も二人を支えきれず、私の後ろにいた家内を巻き込んで倒れてしまった。 エスカレーターに乗るときは、前の人との間隔は、階段状の板一枚程度しかないことが多く、足元は前に進んでいるので、上半身が前から押されるといとも簡単に後ろに転がってしまうのである。とっさにベルトを強くつかんだので、後ろに勢いよくひっくり返るということはなく、大事にならずに済んだが、傾斜がついていることもあって仰向けに倒れてしまうこととなった。 もう一つの例は、夕方、車を運転中、踏み切り待ちをしていて、遮断機があいたので、前の車に続いて、発車しようとしたところ、前の車と私の車の間に、私から見て左前方から自転車に乗ってきた初老の男性が自転車と共に突然倒れ込んだのである。もちろん慌ててブレーキを踏んだ。自転車が接触した感じもなかったが、とりあえず声をかけたところ、男性はすぐに立ち上がり手を挙げて「すいません。」と言いながら去っていった。この踏切は、渡った先も混むので、前の車が渡り切っても、更に余裕がないと発車できないところであり、ゆっくりとした発車せざるを得ないという事情もあったことで、事なきを得た。 インターネットで、エスカレーター事故や自転車事故を検索すると、「エスカレーターでの事故にご用心 都内だけで年間1000件以上!」とか、「高齢者に多い自転車乗用中の事故」とあり、意外にエスカレーター事故や自転車事故が多いのに驚く。そこでは、高齢者の加齢に伴う平衡感覚等の衰え足腰の衰えが原因となる事故が増加していると、警鐘を鳴らしている。 私自身、今回の出来事に遭遇しても、高齢化に伴って生じる事故は、身近でも起きることがあるのだという程度にしか思っていなかった。しかし、振り返ってみると、かつて、問題なくできたことが最近スムーズにできなくなっていることに気付く。例えば、様々なスイッチを度々消し忘れたり、一度できれいに収まった車庫入れが何回も切り返しが必要になったり、いくつかの用事の一つをうっかり忘れたり等いろいろある。何も考えなくてもスムーズにできていたことが、前の通りにはできなくなっており、「うっかり」をなくするために何か工夫をしなければできなくなっている。いくら気持ちは前向きであっても、高齢者から準高齢者と言い換えられも、能力低下が始まっていることを認めざるを得ない。皆さんは、いかがでしょうか。 遭遇したありえない出来事も、転んだ本人にとってみれば、まさか、こんなことを起こすなんてと思ったことであろう。でも、着実に、自分もその者と同じ年齢に近づいているわけであり、そう思うと、他人事と笑っていられない。自分もいつ加害者になるかもしれないのである。個人差はあるが、高齢者の行動には、大丈夫だろうという安易な予測は当てはまらないということであり、高齢化するということは、加害者となるか被害者となるかは別として、思わぬ出来事が常に起きる危険性を抱えているということなのであろう。 ところで、現在65歳以上の者は日本の人口の3割弱であるが、平成72年(2060年)には4割となる、いわゆる「超高齢化社会」になるという予測を盛り込んだ「高齢社会白書」が閣議決定されたとのことであり、人口の4割が高齢者ということになると、今は、特定の老人についてのみ発生した、思わぬ出来事として片付けられていることが、日常的に起こりうる出来事になるということになろう。そうなると、「まさか」では済まなくなる時代がやって来るということになる。 きたるべき高齢化社会に向けて、自動ブレーキが付いた車の開発等が行われており、それは、もちろん、必要で有意義な取り組みの一つであるが、機械だけではなく、身体能力や判断能力が衰えてくる高齢者を前提にした、公共の場における設備や通行のルール作りの見直しが必要になってきているのではないかと思う。 これまでの、公共の場における設備や通行のルールは、健常者の身体能力や判断能力を中心に設定され、それを補うように身体の不自由な人の身体能力も考慮して作り上げられているが、人口の4割が高齢者ということになると、「平衡感覚の衰えた人」、「足腰の弱い人」だけにとどまらず、「聴覚」、「視覚」、「嗅覚」等あらゆる能力が健常者に比べて劣ることとなるので、このような能力の劣る高齢者を前提にした、公共の場における、ドアー、階段、トイレ、エスカレーター、エレベーター等各種設備のあり方、電車、バス等公共交通機関の設計、あるいは歩車道の通行地帯における新たなルール作りが求められているのではないかという感じがしている。

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

第3の人生は成年後見制度の活性化で! NPO法人高齢者・障害者安心サポートネット― 森山 彰)

 1 はじめに 福岡・東京間は飛行機に乗れば、すぐに着く。しかし、生活感覚から言えば、東京は、私の住む筑紫野市(福岡)からは実に遠い。東京に限らず、遠隔地の情報は、メディアが提供する以外は、ほとんど接する機会が無いからかもしれない。そんな中、「民事情報研究会だより」は、その昔、一緒に仕事をした同僚や後輩の情報や消息を伝えてくれる。有難い話である。 そこでの最関心事は、第2の人生を終えられた皆さんの第3の人生の送り方である。悠々自適の生活を選ぶ人もいれば、趣味三昧の人、家事や介護に追われる人もいれば、サークル活動に熱心な人、いろいろのボランティアを楽しんでいる人、十人十色で,人様々である。そんな人達の近況話に接するにつけ、大変羨ましく思ったり、賛同したり、時に同情したりもする。 私達が現役の頃は予期し得なかった、このような長寿社会になると、生き甲斐ある人生とか、充実した人生を送れたというためには、第3の人生をどう生きるかが、大変重要な意義を持つようになったと思う。 そこで、第2の人生を終えて、これから、第3の人生の選択が必要となる皆さんのために、何らかの参考になればという少し出しゃばった思いと、折角の機会だから、当法人すなわち安心サポートネットの理念を啓発、宣伝して、いささかでも、共鳴者を増やしたいという思いがあって、拙稿を投稿するに至った次第である。

2 第3の人生はボランティアで! 私自身筑紫公証役場公証人を拝命して2・3年後には、第3の人生をどう送るかという課題に向き合った。自らの性向を「小人閑居して不善をなす。」類であることをよく認識していたからである。そのうち、公証役場の運営が地域住民の皆さんの信頼と支援によることを実感するようになると、地元への恩返しの意味も含めて、「第3の人生は、ボランティアによる社会貢献!だと決心し、できれば、恒久的に持続可能な社会貢献がベストだと思った。 その当時、九州国立博物館が設立準備中であった。そこで、最初は、多数のボランティア活動で支えられた、あの有名なスミソニヤン博物館の例にならって、催し物の企画のボランティアを志し、設立準備会に参加した。 ところが、平成12年成年後見制度の創設を知るや、「第3の人生は、これだ!と迷うことなく飛び付いた。その当時、いわゆる「老人病院」では、魔の3ロック(注1)より寝たきり老人が急増し、また、他方では、親族による着服等の無法行為が横行する等、高齢者を取り巻く劣悪な環境を憂慮していたからである。

注1 魔の3ロックとは、1つ目が手足等を縛り付ける身体拘束、2つ目が麻酔薬等薬物による拘束、3つ目が暴言等のスピーチによる拘束、のことを言うが、これがその当時社会問題化していた。

3 NPO法人の構想と立上げ 15年9月公証人を退任すると、早速設立準備に取りかかり、翌16年5月にはNPO法人高齢者・障害者安心サポートネットを立ち上げた。 成年後見制度は、介護保険制度が順調な滑り出しを見せたのに対し、極めて低調に推移した。そこで、当法人は、「成年後見制度の活性化」を旗印に、主たる事業目的を「後見人の受任、指導、育成」としてスタートした。 問題は、「成年後見制度の活性化」をいかに実現するかである。この観点から、次の3つの活動指針を策定したが、この指針が当法人の武器となり、特徴にもなって、現在に至っている。 第1に、個人の尊厳保持と自立支援という福祉の根本理念により活動すること。後見における財産管理中心から身上監護重視への転換を明確にした。 第2に、ボランティアを視野に入れて活動すること。 この指針により人を支え、役立つことに喜びや生き甲斐を感じる「市民後見人」が当法人における後見人候補の有力な供給源であること、また、これにより身上監護重視の後見が可能になり、後見が地域住民の助け合いの中で行われる基盤ができること。 第3に、各専門家によるネットワークを構築し、それを活用して活動すること。このネットワークの支援を受けて市民後見人が活動する方針を明確にした。 以上の構想のもとに、市民後見人が、支援ネットワークを活かし、身上監護重視の後見を展開すれば、親族後見人や専門職後見人とは全く異質の後見人の誕生となる。そして、このような市民後見人が親族後見人や専門職後見人と良い意味で競い合い、刺激し合えば、相互の質の向上につながり、地域住民の多様なニーズにも応えることが可能になって、成年後見制度の活性化は果たされるだろう。この3つの指針のもとに、当法人は、法律実務や福祉・介護等各専門分野のネットワークを構築し、会員は44名、事業所は福岡市の本部と筑紫野市の出張所の2か所で順調なスタートを切ることができた。

4 地域後見の実現 全国的視野でみると、成年後見制度の利用は、依然として低迷し、活性化の兆しは見られない侭である。その原因としては、多重的に種々の原因が指摘されているが、低迷の最大の原因は、被後見人たる本人の身近に、本人を支援できる適切な後見人候補が見当たらないことだと思う。 そこで、このような憂慮すべき状況を打開し、その利用促進を図るためには、地域住民の多様なニーズに応えうる理念なり目標を提唱し、その共感を得ることが必要だと考えた。その目的で当法人が提唱した新理念が、「判断能力の不十分な高齢者・障害者の皆さんが、いつでも、どこでも、容易に成年後見制度を利用して、安心して生活のできる社会をつくろう!」という「地域後見の実現」である。 この地域後見を担う後見人として、その資質の第1は、いつでも全国津々浦々どこでも、容易に育成ができ、また活用ができること、第2が地域住民のニーズに最も良く応えられること、であるが、この資質要件に最もふさわしいのは、市民後見人だと思う。その意味で、地域後見の主役は「市民後見人」である。ただし、この市民後見人は、ボランティアを視野に入れて地域後見を担う者であれば、専門家であろうと、親族であろうと構わない。 地域後見が実現すれば、そのメリットは、全国いたるところの地域で、同地域の後見人の支援により安心・安全な生活が送れるというだけでなく、後見の職務遂行が、地域の人達の協力や助け合いの中で行うことができ、また、地域を知悉していれば、地域の諸資源のネットワークを有効に利用することもできる。更には、将来新しい地縁の絆つくりや地域包括ケアシステムの中核機能さえ果たすことができる有力候補だと考えられる(注2)。 そんなことも念頭にあってか、厚労省は23年度に後見人供給の多様化を図る見地から地域後見と理念を同じくする「市民後見推進事業」を創設した。この推進事業は、将来に明るい展望を拓くものとして歓迎されたが、現在では、残念ながら当初の勢いを失っている。

注2 詳しくは、森山彰・小池信行編著『地域後見の実現』(日本加除出版2014年)参照。この地域後見の理念は、28年4月成立した成年後見制度利用促進法にも取り入れられ、制度の実践の場でも、重要な理念となっている。

5 身上監護重視の後見 後見事務とは、ご承知の通り身上監護と財産管理の双方を合わせた事務を言い(民法858条)、このうち、身上監護事務とは、本人の生活及び療養看護に関する事務で、いわゆる本人の生命、身体を守り、健康を維持し、安心した生活を保持(支援)するために行う事務であるから、判断能力の減退者にとって、これほど重要な事務は、他に見当たらないと断言しても過言でない。 そのため、当法人では、設立当初から後見は財産管理中心ではなくて、身上監護中心であるべきとして、この視点から後見事務を処理してきた。 ところが、そこには大きな障壁が横たわっていた。その障壁は何かといえば、身上監護事務の範囲を画する通説(立法担当者を含む。)である。すなわち、通説では「身上監護事務とは、契約等の法律行為及びその法律行為に当然随伴する事実行為を指し、同じ事実行為でも、例えば、介護やケアプランの同意のように法律行為に当然随伴しない事実行為は含まない。」と説明する。この考え方が実務上根深く定着していたからである。 この通説に従うと、身上監護に関する事実行為には、法律行為に随伴する行為と法律行為と無関係に行われる独立完結的事実行為があることになる。そして、後者に属する事実行為、例えば、①.本人の見守り行為や寄り添い行為、②.本人の不自由にしている行為を手助けする行為、③.介護サービス計画の説明を受け、その計画に同意する行為、④.医療上の説明を受け、その医療行為に同意する行為等、身上監護上極めて重要な事実行為が法律行為と無関係に行われると、身上監護事務つまり後見事務から除外される結果になる。 こんな解釈では、身上配慮義務(民858条)を新設して、身上監護面の職務の質を向上させる目的と矛盾するばかりか、地域住民の身上監護に関する強いニーズには応えられず、実務上の混乱を惹起する原因となった。 そこで、すべてを白紙に戻して、わが民法特に後見立法を素直に解釈するとどうなるか? 通説とは逆に、「身上監護事務は、上記の独立完結的事実行為を含む。」という見解に辿り着く。しかし、この独立事実行為包含説では、当法人の会員等の指導上も混乱を招くので、この説が正しいとの「お墨付き」が欲しくて、成年後見制度立法当時の官房審議官であった小池さんにこの論稿を送って検証をお願いした。その結果、小池さんは躊躇なく賛同された上、この包含説の理論を深めていただいた。更に、福祉事業で第一人者である堀田弁護士も賛同され、その後の学者等の動きを見る限り、この包含説は有力説としての地位を確保し得たものと理解される(注3)。 身上監護重視の後見は、この独立事実行為包含説の理論を前提にしない限り、その実現は無理であり、この理論によってはじめて地域住民のニーズに応える後見が可能となる。

注3 身上監護重視の後見、独立事実行為包含説等の詳細は、前出『地域後見の実現』参照。

6 成年後見制度利用促進法 現行の成年後見制度の運用を見てみると、全体的に依然として利用は頭打ちの低迷状態が続いており、その中で顕著な現象は、発足5年後の平成17年に80%の割合で選任されていた親族後見人が27年には30%を割り込むまで減少し、それに代わって、第三者専門家後見人の選任が急増していることである(注4)。法人後見を含む市民後見人の数は増加しているものの、苦戦の様相は否定できない。 このような状況は、地域後見の実現の視点から見ると、まったく憂慮すべき自体と言わざるを得ない。こんな憂慮する多数の人達の声を反映してか、28年4月、議員立法ではあるが、成年後見制度利用促進法が成立した。 この法律は、①「判断能力の不十分なことにより、財産管理や日常生活等に支障がある者を社会全体で支え合うことが高齢社会における喫緊の課題である。」とした上で、②.成年後見制度がこれらの者を支える重要な手段であるにも関わらず、十分に利用されていない事実を指摘し、③.この制度の利用促進策の総合的かつ計画的な推進を目的として、基本理念及びその基本方針に基づく施策等を定め、国、地方自治体等の責務や実施方法等を明らかにした。 この法律自体は、成年後見制度のあるべき姿を描いたプログラム法に過ぎないが、特に注目すべきことは、当法人の提唱してきた理念や施策が、この法律の推進目標である基本方針の柱となっている点である。 その第1は、制度利用促進の基本理念として新たに身上の保護(身上監護)の重視が掲げられたことである。そして、その施策として、被後見人等本人が医療、介護等を受けられるよう後見人等の事務の範囲について検討・見直しを図ることが明記された。 その第2は、地域における人材の確保策として、市民後見人の育成と活用を図る施策が織り込まれたことである。まさに、地域後見の具体化である。 ところで、本来なら、成年後見制度法制の主管庁は法務省であるから、同省が制度の利用促進策を講ずべきであるが、医療、介護面に疎く、市民後見人の育成と活用には縁遠い存在という事情がある。他方、医療、介護を主管し、制度利用の最大の恩恵を受ける厚労省は、利用促進を図りたくとも、主管庁でないという負い目がある。こんな事情が重なって、この促進法は議員立法になったと推測するが、議員立法とは言え、れっきとした「法律」である。内閣をはじめ各行政機関は勿論、家庭裁判所等の司法機関、更には国民に至るまで、この法律を誠実に遵守する義務がある。したがって、この法律による利用促進策がうやむやとなったり、又は先送りされたりする心配はないと思いたい。 何はともあれ、この法律の中身をみると、制度に対する地域住民のニーズに応えるためには、この法律が必要不可欠なことが理解できる。今後はこの法律の基本理念、関連する施策の審議及びその具体化が、万事順調に進捗し、実りある成果が得られるよう心から期待したい。

注4 成年後見人等の選任は、家庭裁判所の職権による。民法上選任の基準は定められているが(民843条4項)、近時の選任の傾向は、被後見人本人の意見等自己決定権の尊重の理念等に基づき後見人候補が推薦されても、推薦候補は無視され、裁判所と密接な関係のある職能団体から選任される傾向が際立っている。この裁判所のやり方が職権乱用だとか裁判所による自己保身だと批判され、また、後見制度の魅力を削いでいる一因であるとの声が上がっている。

7 任意後見移行型・・・・後見型委任契約 任意後見制度は、自己決定権の尊重の理念が最も素直に反映されているシステムであるから、その利用度は高いのが通常だが、利用度の低い法定後見と比較しても、比較しようのない程利用度が低い。この事実は異状であるから、この制度の利用促進策が講じられるのは当然であって、それも焦眉の急である。 そこで、上記の利用促進法でも、「任意後見制度の積極的な活用」が基本理念の具体化策の1つとして明記されている。 100歳超えも珍しくない現代の長寿社会では、高齢者・障害者は、次のいずれかのパターンをたどって生涯を終える。すなわち、①.身体能力の低下で自立生活は困難となったが、死ぬまで判断能力は失わない。②.身体能力の低下で自立生活は困難となった後、判断能力も失う。③.いきなり判断能力を失って、その状態が続く。 このいずれのパターンをも支援する方策が、「任意後見移行型」の契約である。任意後見移行型の前段階の契約である「財産管理等委任契約」が上記①と②前段の支援を、任意後見契約が②後段と③の支援を、それぞれ担うことになるから、活用促進策の対象は、任意後見移行型全体でなければならない。 (1)任意後見契約 この分野では、先ず、身上保護重視の観点から全体をリニューアルすることである。寝たきり状態の防止、能力の保持、尊厳死条項等身上配慮義務に基づく細則規定等を織り込んで、身上保護を強化することが重要である。 次いで、任意後見人と同監督人に対する二重の報酬支払いの負担軽減策である。監督人を公的機関又はボランティア団体等への移行を検討すべきである。 (2)「財産管理等委任契約」・・後見型委任契約 この契約も、身上監護と財産管理に関する事務の委託を対象とする契約である。したがって、任意後見契約と同質であるから、任意後見と同等のレベルまで身上監護重視を図ることが必要である。財産管理から身上監護重視に衣装替えをすると、任意後見契約に劣らないぐらい有用性が増加する(注5)。 また、弱点だった受任者に対する指導監督も、受任者による報告の仕組みを改善し、あるいは第三者や法人による無料監督制を導入して、その強化を図ることが課題だと思う。 この刷新の結果、旧来の「財産管理等委任契約」は、財産管理中心から身上保護重視に変貌する。受任者に対する指導監督も強化されて、その中身が一新されると、新酒ができたわけだから、「新しき酒は新しき革袋に盛れ!」という故事のとおり、この契約の新しき革袋としては、「後見型委任契約」の新名称がふさわしい。現在当法人は、名実相伴う「後見型委任契約」を活用して、その普及を図っている(注6)。

注5 特に財産管理等委任契約において身上保護重視の観点から認知症予防・早期治療が規範化され、その処理が効果を上げると、この契約が持続し、任意後見に移行しないケースが増加することも予想される。こうなると、この契約の有用性については、任意後見に優るとも劣らない契約に変貌する可能性が強い。 注6 当法人は、発足当初は任意後見重視だったが、次第に法定後見の受任が多数を占めるようになった。ところが、従前の「財産管理等委任契約」を刷新して、「後見型委任契約」を誕生させた26年以降は、法定後見から任意後見に移行、すなわち、後見型委任契約を前段階の契約とする「任意後見移行型」に軸足を移し、その利用拡大に努めている。

8 地域後見・出番は無限に 以上、我が国の成年後見制度の実情を述べてきた。本来、成年後見制度には、判断能力の不十分となった高齢者や障害者の人権擁護機能と自立した生活の保持機能があるから、これほど素晴らしい制度はないといっても過言ではない。しかし、残念ながら、現在の同制度の運用には課題が山積、利用度が低迷して、本来の魅力が発揮されていない。現時点は丁度、成年後見制度利用促進法をきっかけとして、この行き詰りを打開し、これから改善の方向に歩み出そうとするターニングポイントにある。 改善の方向は、地域後見の実現だと思う。そのためには、全国津々浦々、住民のニーズに応えることのできる後見人が存在し、活動していることが大前提となる。 当法人は、地域後見の旗印を掲げて、これまで、いろいろと創意工夫して、下図のようなNPOのシステムづくりとその充実・強化を図ってきた。また、22年には熊本市にも同様のNPO法人を設立し、相互が協力し合う「安心サポートネット・グループ」を形成した。そして、28年当初には、福岡市に生活支援・死後事務処理を事業目的とした新たなNPO法人を立ち上げて、同グループの総合力の強化を図った。 また他方では、当法人主催の本格的な「市民後見人養成研修」を5回にわたり実施し、1回あたり70人、延べ350人の修了生を社会に送り出し、更に、地方自治体主催の市民後見推進事業(直方市、筑紫野市、宗像市)も、それぞれ受託して、厚労省の意図するレベルの研修を実施した。また、グループ全体で後見人等の受任数も190人を超えて、身上監護重視の後見活動を展開している(28年末現在)。 しかし、「安心サポートネット・グループ」のような零細法人が、いかに地域後見の実現への活動を活発に展開しても、その成果は取るに足りない微々たるものである。日本地図を俯瞰すれば、針の穴にも等しい。このことは、弁護士、司法書士等の「職能団体」の後見人活動を含めても、同様である。 このことを逆から見れば、地域後見を志向すれば、この分野は、仕事が無限にあることを意味する。 しかも、地域後見の分野は、その仕事たるや、社会貢献事業で、人の役に立つ仕事であるから、やり甲斐もあり、充実感もあり、地域住民の皆さんから感謝もされる。幸いにも、これから第3の人生を選択される皆さんは、使命感と助け合い精神に富み、法律実務的能力に優れ、地域後見の一翼を担う資質と能力を十分に持ち合わせている有能な人達である。それに加えて、悠々自適という環境を得て、事業に対する精神力を集中させることができる。 地域後見の分野では、皆さんのような有能な人材のニーズがひと際高い。是非とも、その強いニーズに応えて挑戦されることを期待したい。 (NPO法人高齢者・障害者安心サポートネット 理事長)

(安心サポートネット)  http://anshin-net.jp/

65歳の手習い(本間 透)

公証人を退任して半年が過ぎましたが、公証人の任期が残り少なくなり、高齢者といわれる65歳に達したとき、退任後の過ごし方を如何にしようかと考えるようになりました。本誌においても諸先輩がその過ごし方について書いておられるように、「今日用と今日行く」を念頭において、目的をもって生活することが肝要です。各地の法務局OB会の会報等を拝見すると、人それぞれにこれまでの趣味を深めたり、国内に限らず海外へも旅行したり、また、新たな研究をされたりするなど、その後の人生を大いに謳歌されています。 私にとって趣味といえるのは、ゴルフですが、在任中のいわきにおいてもゴルフ仲間ができ、いわき以外でもお誘いがあれば、北海道から九州にかけて各地でプレーを楽しんでいました。妻からすると、連休のしかも観光シーズンに遠くまで出かけて行って連日ゴルフだけをしてくることは、今では呆れるどころか感心されるようになりました。これだけ熱心にゴルフをしていると、さぞかし腕前が上がるように思われ、そういう時期もありましたが、最近は、スコアアップどころか低迷が続き、数多くプレーすればいいというものではないことを痛感しています。低迷の言い訳として、体力や視力の衰えとか、クラブが合わないとかのせいにしていますが、以前よりもゴルフに対する熱意が段々薄れてきているのではと思うようになりました。しかしながら、相変わらずお誘いがあれば遠距離にもかかわらず出かけて行ってゴルフをしておりますが、偶々、思ったよりも飛んだり、良いスコアが出たり、コンペで入賞したりしますので、止められないのかもしれません。 さて、ここでは、私の下手の横付きのゴルフのことではなく、本題に入ります。それは、65歳になった平成26年の3月からいわきで陶芸を習い始めたことです。妻が先に習っており、陶芸の工房に妻を送迎したり、作品の展示会等に通っているうちに、妻や先生に勧められたわけではなく、気軽に気分転換のつもりでやってみようかと思い、それを妻に告げたところ、大変驚き、本当なのかと半信半疑でした。私自身も、いわゆる芸術的才能や創作能力には全くと言っていいほど縁がないことを自覚していましたので、陶芸に関する何の予備知識もなくても、あの先生だったら習ってみようと思ったのが、一番の動機でした。 その先生(以下「K先生」といいます。)は、奥さんのY先生と二人で工房を営み、私と同年代で、50歳で会社を辞め、それから東京と京都の美術学校に入学して陶芸とガラス工芸を本格的に習得し、いわき市内の自宅には作品の展示・販売のためのアトリエがあり、郊外には生家がある敷地内に陶芸とガラス工芸の工房、陶器を焼く窯、各種工作室があります。また、バーベキューができる庭や設備があるなど、しかも、それらをほとんど二人で設計・施工をして、とても意匠を凝らした素敵な工房で、裏には川が流れ、川向うは山林で春には山桜、秋には紅葉が楽しめるなど素晴らしい環境です。 さらに、K先生は、若い時から空手もやっており、工房に行かないときは、空手道場で指導に当たるなど、正しく多芸多才そのものです。 陶芸の方法としては、手びねり、たたら、轆轤がありますが、K先生は、専ら轆轤による作陶を指導していることから、私も止むを得ず難しいとされる轆轤(電動)による陶芸を習うことにしました。 轆轤による作陶の手順として、先ずは、「土練り」から始めますが、荒練り、菊練りの作業があり、粘土の硬さを均一にして、中に入っている空気を抜きます。菊練りをマスターするには、こつと経験を要し、未だにうまくできずに先生からやってもらっています。これをちゃんとしないと、作品に小さいながらも穴ができて焼いたときに割れる原因になります。次に、粘土を轆轤の中心に据え、押し付けて固定し、「土ころし」をします。これは、轆轤をゆっくり回しながら手に水をつけて粘土を押し上げてから押し下げる作業を繰り返し、土を締めてひび割れしにくい粘土にするためで、この時、轆轤の回転の中心と粘土の中心を合わせて作品が歪まないようにします。 いよいよ作陶にとりかかりますが、その際の姿勢が大事で、左肘は太ももに付けて固定し、右肘はしっかりと脇を締めて安定させ、粘土を真上から見下ろすように座ります。右足で轆轤の速度を調整して回転させ、粘土のてっぺんを平にしてイメージした作品に応じてその底となる部分の横に窪みをつけて「土取り」をし、粘土のてっぺんに両親指を差し込んで穴を開け広げていきます。ある程度穴が広がったら、右手の人差し指、中指、薬指で中心を押さえて底を作ります。そして、「本のばし」と言って、手に水をつけながら粘土の穴の内側に右手の指を、外側に左手の指をそれぞれ添えて粘土を包み込むようにして引き上げていきます。この引き上げを繰り返してイメージした作品に仕上げますが、この時、微妙な力加減や轆轤の速度によって作品が歪んだり、へたったりしますので、一番集中してできる限り素早くすることが求められます。なお、最終工程の本焼き後の作品は、粘土の中の水分が抜けて焼き締まって2割くらい縮まるので、それを見込んだ大きさで作陶する必要があります。 成形した作品を粘土から切り離し、乾燥させた後(生乾き状態)、「削り」を行います。これは、作品の厚さを均一にし、高台をつけるための作業で、作品を逆さにして轆轤に据え付けて四方を小さい粘土で固定し、轆轤を回しながら作品の外側を小型のカンナで削り出していきます。 次に作品を「素焼」した後、ベンガラやゴスなどの顔料又は陶芸用絵具で「絵付け」をします。絵心がない私は、この絵付けが悩みの種です。 そして、作品の表面にガラス質の被膜を作り、耐水性を増すため、「釉掛け」を行います。 作品に釉薬を浸けたり、掛けたりしますが、本焼き後の作品の仕上がりの雰囲気をイメージし、下絵を引き立たせる釉薬を調合することになります。 最後の工程として「焼成」があります。K先生の工房には、大型の灯油窯があり、1200度近くの高温で「本焼き」をし、それにより釉薬が溶け、中に含まれる成分によって色が付き、ガラス質が溶けて作品がコーティングされます。窯の中の作品の位置や、熱の影響で思いがけない色や模様が出たりします。私の最初の作品が焼き上がったときは、わくわくどきどきして、大袈裟ですが生まれたばかりの我が子を見る感じでした。 陶芸の各工程には、様々な技法があり、とても奥深いものがあり、私は、まだまだ初心者で納得のいく作品に至っておりませんが、拙い感性ながら熱中して物づくりができる喜びを感じております。せっかく始めた陶芸ですので、公証人を退官して千葉の柏市に引っ越してからも、月に一回程度は、姉弟子の妻と共にいわき市に行き、K先生の陶芸教室に通っています。

「水戸黄門」を録画中(田村耕三)

『 水戸光圀(黄門さま):「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい ! 」 佐々木助三郎(助さん)・渥美格之進(格さん):「鎮まれ !鎮まれ ! 」 格さん:「この紋所が目に入らぬか ! こちらにおわす御方をどなたと心得る ! 畏れ多くも前(さき)の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ ! 」 助さん:「一同 ! 御老公の御前である ! 頭が高い ! 控え居ろう ! 」  』

このセリフは、長い間(42年間)お茶の間に親しまれてきたテレビ時代劇「水戸黄門」のクライマックスでのセリフです。 ところで、平成19年7月に岡山県津山市に居住して間もなく、地元のRSKテレビが「水戸黄門」の再放送(毎週月曜日~金曜日の午後4時)をしていることを知りました。 「水戸黄門」と言えば、私が学生の頃、実家(栃木県大田原市)に帰省すると、亡父が毎週欠かさず「水戸黄門」を観ていたのを、今でも鮮明に思い出します。当時、亡父はどのような思いで「水戸黄門」を観ていたかは分かりませんが、私も「水戸黄門」を観たいとの思いが強まり、平成21年7月にブルーレイテレビを購入し、同月6日(火)に第1回目となる「水戸黄門」(第4部第20話「湖水の女(十和田)」)を録画し観ることができました。 さて、「水戸黄門」の放送回数、配役について、インターネットで調べたところ、次のことが分かりました。 1 放送回数 1,228回 (1) 第1部(昭和44年8月4日放送)~第43部(平成23年12月12日放送) (2) 1000回記念スペシャル(平成15年12月15日放送) (3) ナショナル劇場50周年SP(平成18年3月13日放送) (4) 最終回スペシャル(平成23年12月19日放送) (5) スペシャル(平成27年6月29日放送) 2 主な配役 (1) 水戸光圀(黄門さま)役 東野英治郎さん(第1部~第13部)・西村晃さん(第14部~第21部) 佐野浅夫さん(第22部~第28部)・石坂浩二さん(第29部~第30部) 里見浩太朗さん(第31部~第43部) (2) 佐々木助三郎(助さん)役 杉良太郎さん(第1部~第2部)・里見浩太朗さん(第3部~第17部) あおい輝彦さん(第18部~第28部)・岸本祐二さん(第29部~第31部) 原田龍二さん(第32部~第41部)・東幹久さん(第42部~第43部) (3) 渥美格之進(格さん)役 横内正さん(第1部~第8部)・大和田信也さん(第9部~第13部) 伊吹吾郎さん(第14部~第28部)・山田純大さん(第29部~第31部) 合田雅吏さん(第32部~第41部)・的場浩司さん(第42部~第43部)

これらのインターネットの情報を基に、「水戸黄門一覧」及び「水戸黄門様御一行の旅先一覧」を作成しました。 「水戸黄門一覧」は、検索のために作成したもので、「部・話」、「タイトル」、「水戸黄門役」、「再放送日」、「CDのNo」を一覧にしたものです。現在の「CDのNo」は「100」、すなわち、「CD」の枚数は「100枚」になりました。 また、「水戸黄門様御一行の旅先一覧」は、都道府県別に「旅先」、「放送回数」、「放送された部・話」を一覧にしたものです。この一覧は、1,228回放送された「水戸黄門」のうち、私のこれまでの居住地【大田原市⇒宇都宮市⇒甲府市⇒横浜市⇒港区⇒徳島市⇒中野区⇒鎌倉市⇒世田谷⇒福島市⇒松山市⇒長野市⇒江東区⇒高知市⇒長野市⇒津山市】が何回ぐらい登場したのか知りたいとの思いから作成したものです。 「水戸黄門」の録画を開始して8年6か月が経過し、未録画数は計102話となりました。公証人を退任する頃には、この102話の録画も終了していると思います。公証人退任後、録画した「水戸黄門」を観るのを楽しみにしていますが、第1部第1話から順番に観るべきか、私と所縁のある地から優先して観るべきか迷っているところです。

 

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.46 遺言無効の裁判に対する陳述書

1 昨年11月、「命のビザ」で有名な故杉原千畝氏の妻が作成した公正証書遺言は遺言能力がなく無効という判決が東京地裁であったという新聞記事がありました。公正証書遺言が無効となる判決が出ることは稀だと思いますが、謂わば有名人である人の公正証書遺言が無効無効になったということで大きな驚きでした。 当研究会の会員の中には在職中に作成した公正証書遺言書について遺言無効の裁判が提起され、証人として裁判所に呼び出され、あるいは公正証書作成についての陳述書の提出を求められた会員もあるのではないかと思います。当研究会の会員が遺言書を作成する場合は意思確認や内容の確認を極めて厳格に行っており、その遺言が無効となるような事態は生じていないものと思っておりますが、裁判所から呼出しや陳述書の提出、あるいは遺言書の作成状況について説明を求められたりすると、こころ穏やかに過ごすことはなかなか難しいものです。そこで少しでも会員の参考になればと思い、私の数少ない経験を記してみたい。

2 公証人を退職して4年ほど経った平成27年2月ごろ、某弁護士から「平成〇〇年〇〇月〇〇日付け第〇〇号で樋口公証人が作成した遺言者△野△子の遺言公正証書により母から財産を相続することになる長女に対し、他の姉妹から遺言無効の裁判が提起されている。ついては、被告の代理人として公正証書作成時の状況を伺いたい。」旨の連絡がありました。 当該遺言書は6年ほど前に作成したもので、当然のことながら作成時の状況について具体的な記憶があるはずもなく、見せてもらった遺言公正証書謄本を参考に下記の文書を作成し、これに基づき弁護士に詳しく説明しいたしました。弁護士は、「この文書は公正証書作成時の状況がよく分かり、特に附言事項の部分は遺言者自身が明確な意思を有していたことを表すものであって本遺言が有効であることを証する有力な証拠になると考えられる。」ので、これを陳述書として裁判所に提出したいという申し出があり、差し支えない旨回答いたしました。その後この文書は公証人の陳述書として裁判所に提出されて裁判の役に立ったようで、私自身が裁判所から出頭を求められることはありませんでした。裁判の結果については不明ですが、何の連絡もなくすでに2年以上経過しているので、遺言無効の判決はなかったものと思っているところです。 なお前記の弁護士が言うように、附言事項は遺言者が遺言作成時に遺言能力を有していたことを証する有力な証拠になり得るものと考えられますので、将来の紛争防止のために、遺言者自身の言葉や言い回し(例えば方言)などで具体性のある何らかの附言事項を記しておくのも効果があるのではと思っているところです。

                 記 ○ ○ 弁護士 殿 柏 公証役場 元公証人 樋 口 忠 美  ㊞ 平成〇〇年〇〇月〇〇日付け第〇〇号で作成した遺言者△野△子の遺言公正証書について、次のとおり回答します。 1 柏公証役場において遺言公正証書を作成する場合の一般的な手順 事前準備 柏公証役場において遺言公正証書を作成する場合は、まず必要書類(遺言者などの戸籍謄本、住民票、印鑑証明書、土地建物の登記簿謄本、固定資産評価証明書等)を集めるよう伝え、これらが揃った段階で遺言書作成のための事前相談日を設定しています。 ①事前相談 ⅰ 遺言書作成のための事前相談日には、遺言者本人または本人の意思を正確に公証人に伝えることができる者(親族、委託を受けた銀行、弁護士、司法書士、行政書士、税理士など(以下これらの者を「親族等」という。)に公証役場に出向いてもらい公証人と面談します。 ⅱ 事前相談は、公証人が遺言者本人または親族等から遺言公正証書に記載する遺言の内容(誰に、何を相続させるか、遺言公正証書に記載する附言事項等)を聴き取ることを目的とするものです。 ア 遺言者本人と面談する場合は、まず雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、遺言者が遺言をする意思と能力を持っていることを確認し、その後に遺言の内容を聴き取るようにしています。 イ 遺言者本人が来所せず親族等と面談する場合は、遺言者本人と親族等との関係、遺言者本人の健康状態(特に遺言書作成について支障の有無、)、遺言書に記載する内容を聴き取り確認します。 なお、銀行、弁護士等の場合は、遺言者と打合せをして作成した遺言の原案を持参することが多いが、この場合でも銀行、弁護士等に遺言内容を聴き取り確認します。 ⅲ 遺言の内容が他の相続人の遺留分を侵害するおそれがあるようなときは、必ず遺留分についての説明をしています。 また、遺言公正証書を作成するに当たっては、利害関係がない証人2名が立ち会うことが必要であり、遺言公正証書作成日に遺言者が証人を連れてくる必要があることを説明しています。 ⅳ 柏公証役場では、この事前相談に基づき遺言公正証書案の作成にかかり、相談の日から、おおむね1週間から10日ぐらい後の遺言者の都合の良い日時に遺言公正証書作成日時を設定して遺言者および証人に公証役場に出向いてもらい、遺言公正証書を作成しています。 ②遺言公正証書作成 遺言公正証書作成時には、公証人、遺言者本人および証人2人が一つのテーブルに着席します。なお、家族が付き添って公証役場に来ている場合であっても、この席に同席することは認めず、遺言者から見えない離れた場所にいさせるようにしています。 ⅰ 公証人が遺言者本人に対し、氏名、生年月日を述べさせます。(公証人から、「○○さんですね」とか、「何年何月何日生れ」ですね、といった聞き方はせず、必ず遺言者本人に氏名、生年月日を述べてもらう。)。その後、遺言者本人に実印を提出させ、提出済みの印鑑証明書と照合し本人であることを確認する。 なお、事前相談の際に親族等が来所したため公証人が遺言者本人と面談していない場合には、最初に雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、遺言者が遺言をする意思と能力を持っていることを確認した後、氏名、生年月日を述べてもらい、実印を照合する。 ⅱ 公証人が遺言者本人および証人に対し、その関係を聞きます。 ⅲ 遺言者の意思およびその内容を確認するため、遺言者本人に遺言の内容「誰に何を相続させる。」や「附言事項」等、遺言書に記載する内容の要旨を口述してもらいます(公証人から、「誰に何を相続させることでいいですか。」といった聞き方はせず、必ず遺言者本人に遺言の内容の要旨を具体的に口述してもらいます。)。 ⅳ 公証人は、前記の口述が事前相談日の面談に基づき作成している遺言公正証書案と齟齬がないことを確認し、遺言者および証人に対し、必ず遺言公正証書全文を読み聞かせ、遺言者本人および証人に対し「いま読み上げた内容で間違いありませんか」と確認します。 ⅴ 遺言者本人および証人が「間違いがない」旨述べたときは、遺言公正証書原本に遺言者本人および証人に自ら署名してもらい、また押印してもらう。(なお、遺言者本人が自ら署名できないときは、本人に代わって公証人が署名することはできることになっているが、その場合には本人が署名できない理由および公証人が代わって署名する旨を公正証書に記載しなければならない。) ⅵ 遺言者本人および証人に署名押印させ、公証人が署名押印することによって遺言公正証書の作成が完了し、遺言者に対し遺言公正証書正本および謄本を交付する。 ⅶ 遺言公正証書を作成する過程(ⅰ~ⅵ)において、異常な事態や遺言能力に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに遺言公正証書の作成を延期し、または中止します。 2 本件△野△子の遺言公正証書作成について ① 私は、公証人として在職中は毎年相当数の公正証書を作成しており、そのために多数の依頼者等と面談を行っていますので、よほど特殊な状況や異常な事態がない限り、公正証書作成当時の依頼者の状況等について記憶していることはありません。 ② 本件遺言者△野△子の遺言公正証書作成についても特別に記憶していることはありませんので、本件遺言公正証書は、公証人が遺言者に遺言内容の要旨を口述させ、かつ、その内容を記載した遺言書案を公証人が遺言者および証人に読み聞かせ、その内容に誤りがないことを確認した後、遺言者本人および証人に自署させ、かつ押印させて遺言公正証書の作成を完了するという柏公証役場における一般的な手順に従って作成したものと考えます。したがって、本件遺言公正証書を作成する過程において、異常な事態や遺言能力に疑問を抱くような事態はなかったものと考えます。 ③ 本件遺言公正証書には、附言事項として 「平成××年××月××日に私の夫が死亡して開始した相続につき、その相続分をめぐって争いが起きてしまいました。(現在は調停が成立しています。) 今回遺言するにあたり、私の相続財産をめぐってこのような肉親間での争いを再燃させることが無いようにお願いします。 これまでに弐女・〇田〇子には新築の時に便宜を図ったり、参女・〇藤△子には度々お金を貸して欲しいと言われ、その都度お金を渡してきました。ですから〇子、△子の二人には、これ以上やらなくてもよいと考えます。」と記載されています。 遺言公正証書に記載する附言事項は、遺言者本人から公証人に特別に申し出をしたときにのみ記載するものであり、かつ上記のような具体的な内容の附言事項は遺言者本人が明確に口述しない限り記載することはできませんので、遺言者がその内容を具体的に口述したものと考えます。 (樋口忠美)

No.47 執行文付与等に関する経験談

1 公正証書は、民事執行法の要件を具備する場合は債務名義として直ちに強制執行ができるとされている。執行力を有する公正証書が執行証書となるためには、①金銭の一定額の支払いを目的とする請求権であること、②債務者の強制執行認諾文言があることとされており、また、公正証書作成後には、債権者から公正証書に執行文の付与を求められることになるが、執行文の付与については、いわゆる単純執行文、事実到来執行文と承継執行文がある。 しかしながら、実務においては、その取扱いに疑義が生じることが多々あり、その都度、諸先輩の指導、裁判所への問い合わせながら処理しているが、主に裁判所からの指摘又は問い合わせて処理した事例の一部を参考までご紹介することとする。なお、これは、正しい処理かどうかではなく、あくまでも筆者の「経験談」ですので、ご了承願います。 2 事実到来執行文 (1) 離婚給付公正証書の執行文付与の申し立てがあり、単純執行文を付与して申立人に手渡したところ、後日、申立人が裁判所から子の大学の在学・卒業見込み証明書が必要と言われた旨の連絡があった。公正証書の養育費支払期間について改めて確認したところ「・・それぞれ満20歳に達する日の属する月まで(大学・専門学校等に進学したときは、それぞれ満22歳に達した直後の3月又はその卒業の日の属する月のいずれか早いときまで)」となっていた。これまで、子が満20歳に達した後の執行文付与の例があまりないことから単純執行文を付与したが、本件は執行文付与申立て時点で子は満20歳に達していた。申立人に、子の卒業見込みを記載した大学在学証明書を依頼し、申立人の相手方に大学在学証明書の謄本と公正証書謄本を送達した上、事実到来執行文を付与した。なお、本件は、公正証書作成時に公証人送達がされていた事案である。 (2) 債務弁済契約公正証書の執行文付与に際して、当該公正証書の記載中の期限利益喪失条項に「・・分割金の支払いを2回怠ったとき」の記載があり、これが債権者が証明すべき事実到来執行文に該当するか照会したところ、事実到来執行文には当たらないとの回答があり、単純執行文で処理した(参照 司法協会発行「執行文講義案(改訂再訂版)」92ページ)。 (3) 離婚給付公正証書を作成する際、親権者は夫、監護権者は子が高校卒業するまでは夫で卒業後は妻とする合意から公正証書に「親権者は甲とし、〇年〇月から×年3月までの監護者は甲、×年4月からの監護者は乙とすることを合意し、甲は乙に対して、子の養育費として×年4月から子が満20歳に達する日の属する月まで、・・」と記載した場合に、執行文の付与の際には、乙が監護権者になったことを証明する事実到来ではなく、単純執行文で良いことに若干の疑義が生じ、裁判所に念のため確認したところ、確定期間なので単純執行文で可能との回答を得た。 3 承継執行文 (1) 強制執行認諾条項がある公正証書の債権者に相続が発生し、その承継人から戸除籍謄本、遺産分割協議書等相続を証する書類を添付して執行文付与の申立てがあった。債務者に対して債権者に相続が発生したことを証する謄本を添付し特別送達することになるが、血縁関係のない債務者に債権者の個人情報満載の戸除籍謄本を送付することに疑義が生じ、これに替えて公証人が債権者の承継人であることを確認した相続関係説明図をもって可能か裁判所に照会したが、積極的な回答がなかったので、債権者に戸除籍謄本を送付することについて了承を得た上で送達した。今後、法務局で法定相続人の証明書が発行された場合には、その証明書が活用できるようになるのではないかと思っている。 (2) 強制執行認諾条項がある公正証書の債務者に相続が発生したとして、債権者から債務者の戸除籍謄本・住民票等を添付してその承継人に対して執行文付与の申立てがあった。承継人は複数であり、その住所は異なり、裁判所管轄も異なったため、執行文は承継人全員を記載したものを管轄裁判所の通数を作成するか、裁判所管轄に住所を有する承継人ごとに作成するか疑義が生じ、裁判所に問い合わせたところ、後者の取扱いによることの説明を受けたので、同様の処理をした。 (西川 優)

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