民事法情報研究会だよりNo.30(平成29年12月)

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師走の候、会員の皆様におかれましては何かと心せわしい日々をお過ごしのことと存じます。 さて、本研究会だよりは法人発足直後の平成25年6月に発行した第1号以降、30まで号を重ねて参りました。会員の皆様に法人の活動状況等をお知らせする手段として、インターネットのホームページとともに採用したものですが、おかげさまでご好評をいただいております。これからも会員の皆様の交流を補助するツールとしても、充実を図っていきたいと考えております。つきましては、本年10月開催の通常理事会の協議を踏まえて、今月号から巻頭言を廃し、「今日この頃」の記事に一元化し、広く会員の皆様からの投稿をいただいて、ご紹介することといたしました。ご投稿は、各理事を経由して若しくは直接、会長(野口理事)又は編集委員長(小林理事)にお送りください。(NN)

今日この頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

後期高齢者になって(坂巻 豊)

平成29年6月に満75歳となり、行政から後期高齢者医療保険者証が送付されました。 ご承知のように75歳になると全ての人が、それまで加入していた被用者保険や国民健康保険から後期高齢者医療保険に移行します。そして、医療費のうち、後期高齢者が医療機関などの窓口で支払った金額を除いた残りの分は、①税金(約50%)、②若年者からの支援金(約40%)、③後期高齢者からの保険金(約10%)の3つの資金でまかなわれているようで、被用者保険や国民健康保険の加入者が支払う保険料には後期高齢者医療制度への支援金が含まれているようです。 ところで、この後期高齢者医療制度にも「2025年問題」があるようです。この問題は、2025年には日本の人口形成の中心に位置する団塊の世代の約800万人が75歳以上となり後期高齢者になることから上記の②の世代が一斉に給付を受ける側にまわることを意味し、後期高齢者の支払う保険料も、若年者の負担も増えていき、また、若年者の世代の数も減っていく見込みから若年者の1人当りの負担も更に重くなる、ということです。社会保障制度全体に影響するものと思われます。 目下のところ、おかげさまで医師のお世話になることもなく過ごしております。ただ、数年前から足腰の衰えや筋力の衰えからか道路のちょっとしたでこぼこに躓いたり、階段の上り・下りをするときに自然と体が手すりの方に寄っていたり、歩幅が狭くなったりを実感しています。若い頃、いろいろの場所で、どうしてフラフラと、また動作がにぶい高齢者に舌打ちすることがありましたが、自分がその身になり、はじめてわかることが多くなっております。また、最近、しきりと話題になり週刊誌などで記事になっている誤嚥性肺炎が気になります。著名な作家が週刊誌のコラムで「人は厄介なものを飲みこむ際に誤嚥をおこすわけではない。水でも、空気でも誤嚥はおこるのだ。そんな時、ごほん、ごほん、とむせる。このむせる力が大事なのだが、年をとると盛大にむせることができなくなってくる。朝、錠剤を飲みこむ時にも、うっかりするとスムーズに喉を通らないことがあるのだ。誤嚥の一つの原因は、慌てることだ。もう一つが、無意識にやることである。さあ、今からちゃんと飲みこむぞ、と自分に言いきかせてごっくんする。」と述べておられます。私も、これを心掛けるようにと思っております。 私は、20数年前からプルーン系の健康食品を家族全員で毎日夕食後に食べております。当初は誰かが脱落し全滅するだろうと思った時期もありましたが、今日まで続いております。これを食したからといって目に見える効果がはっきりと分かるものでなく、また何かが改善されていることも意識できません。ただ風邪をひいた時に、食べる量を少し多くすることで風邪をこじらせる予防にはなっているのではと体感しています。先般、消費者庁は健康食品を利用する際の注意点をパンフレットにまとめました。それには「健康食品に、病気を治したり、防いだりする効果はありません」、「健康食品だけで楽に痩せることはありません」等と過度な期待を抱きがちな消費者に警鐘を鳴らす内容になっており、パンフレットを監修した担当官は、「同時にバランスの良い食事や適度な運動を心がけたなら、効果が表れる可能性が高い」と述べておられます。これを肝に銘じて続けていきたいと思います。 後期高齢者なった今、体調を維持するために具体的に何かを思い至っておりませんが、ともかく健康寿命を一秒でも長く保つことに心掛けていきたいと考えております。

酒 (小畑和裕)

1 高校一年生の秋、景気づけに一杯引っかけて村祭りの神輿を担ぎ、三日間の停学を食らって以来、酒との付き合いは永い。京都で過ごした学生時代のアルバイトは、もっぱら酒屋の御用聞きだったし、採用された京都地方法務局の初任地は、灘と並ぶ有名な酒どころの伏見だった。出張所の宿直室には伏見の名だたる名酒が山ほど積まれていて、時たまペーペーにも払い下げがあった。当時はそれほど呑兵衛ではなかったので、すべて下宿のオヤジに進呈することにしていたが、酒に目のないオヤジは、私がすばらしい役所に就職したことをほめたたえ、陽当たりの良い部屋に移してくれるなど、格段に待遇を改善してくれた。 社会人としての飲酒のマナーは、各種行事の際の飲み会等を通じて上司や先輩から直接指導を受けた。当時の法務局は、一年を通して様々な行事があった。桜の花見に始まり、歓迎会、旅行会(春、秋)、野球・卓球・ボーリング大会、秋の運動会、忘年会、新年会等々。加えて庁内清掃や定期的な勉強会後の懇親会など、飲酒の機会は多かった。また、先輩から個別に誘われたり、同期の仲間との飲み会など、ほとんど毎日酒と付き合っていた。酒を飲みながら、上司・先輩の話に耳を傾け、仕事のこと、人付き合いのことなどを直接若しくは間接に教わるのである。同僚と飲むときは、もっぱら上司の悪口が肴になった(ただし、上司が憎い訳ではない。)。その頃、日本列島改造のアオリを受けて超繁忙になった登記事務処理上の不満や疲れも酒で癒した。毎日、酒を飲むことで一日を閉じると共に明日への英気を養っていたのである。 2 酒の効用は、ストレス発散のほか、酒の力を借りて、思いのたけを本音で語り合い、その結果円滑な人間関係がきずけることにある。仕事の不満や、人間関係の悩みなど、素面ではとても言えない場合には、酒を飲んで上司や同僚に打ち明けた。また、いかめしく取っつきにくい上司が、酒の場で意外にやさしい一面を見せてくれて親近感を持つことも多くあった。そんな酒の効用として今でも忘れられないことがある。それは、法務局から民事局に転勤したての頃のことだ。いつものように、係全員で居酒屋に行き、酒を酌み交わしていた。現場と本省の仕事ぶりに違和感を抱いていた私は、生意気にも酒の勢いで直属の上司にその不満をぶちまけた。当然のことながらその上司からは大いに反論された。両方とも、かなりの酒を飲んでいて一歩も引かなかった。座が白けてきたのが分かった。他の上司から、若年のお前が謝れ、と命ぜられたがそれでも引かなかった。 帰宅して酔いが醒め冷静になるにつれ、猛然と反省の気持ちが湧いてきた。愚にもつかない未熟で幼稚な意見を言い張って、楽しい懇親の場をぶち壊し、先輩諸氏に迷惑をかけた。翌朝、早めに登庁し、上司に謝罪しようと決めた。ところが、翌朝いつもより早く出勤すると、その上司はすでに出勤しておられ、「昨夜は悪かった。大人げなかったな。」と謝罪された。私は、深く自分を恥じた。なんと余裕のない器の小さい人間なのだろうと恥じた。そんなことがあってから、その先輩には親しくしていただき数々の指導を受けた。数年前鬼籍に入られたが、私はその上司をいまも尊敬し敬愛している。 3 一方、酒を飲んで失敗したことも数えきれないほどある。今思い出しても冷や汗の出る強烈な思い出は、大阪法務局戸籍課での失敗である。その当時、すなわち昭和47年の戸籍事務は繁忙を極めていた。5月15日には沖縄復帰、9月29日には日中国交回復など、歴史的な出来事があり、本土復帰を果たした沖縄戸籍の訂正・回復、台湾系中国人を中心とした帰化事件が激増、加えて大阪局特有な事情として族称の記載がある除籍・原戸籍等の再製の認可の検査などにより、超繁忙だったのだ。一方で、戸籍事務の窓口を他の業務も担当する総合窓口制とする市町村が増え、担当者の養成が喫緊の課題となっていた。そのため、戸籍課では、戸籍事務吏員の養成研修に力を入れていた。そんな中、ペーペーの私にも、戸籍実務研修の講義を命ぜられた。しかも、先輩達が繁忙であるため、私の担当は、戸籍実務では重要な科目である「養子縁組・離縁」である。講義時間も長時間が割り振られていた。必死で参考書・先例集等を読み込み独自の講義ノートを作成したり、直接市町村の職員に問題となる事例を聞くなどそれなりの準備をした。講義の前日には、前回の担当者から飲み会に誘われ、初めて講義を担当する心得を伝授していただいた。先輩から、「研修の大きな目的は、市町村の担当者に君を覚えてもらうことにある。担当者が、実務で分からないことがあった時、勝手に処理しないで、君のところに電話して指示を仰ぐという体制づくりにある。」との教示を受けた。張り切っていた私は、いささか気が抜けたが、反面、緊張も和らぎ、大いに気が楽になった。当然、酒も進んだ。結果、痛飲し、京都の自宅に着いたのは深夜だった。いかん!寝過ごした。翌朝、あわてて、朝食も取らずに自宅を出た。あれほど頑張って作成した講義ノートと六法全書を忘れたと気がついたのは、研修講義の壇上について鞄を開いた時だった。長い講義時間をどのように過ごしたかは、とても記す気にはなれない。法務局人生における、最初の進退窮まった出来事であった。もっとも、後日談だが、市町村の担当者からは、この失敗のお蔭で親近感を持たれたのか、気軽にしかも頻繁に電話連絡が入るようにはなったのだが・・・。 4 最近、法務局では、以前に比べ酒を飲む機会が減っていると聞く。呑兵衛の身としてはいささか寂しい思いである。

「シロモチくん」(渡辺秀喜)

安倍総理大臣は,「景気回復軌道をより確かなものとし,その実感を必ずや全国津々浦々にまでお届けする」(平成26年9月3日第二次安倍改造内閣所信表明)や「そして,必ずや,景気回復の実感を全国津々浦々へとお届けしてまいります」(平成26年12月24日第三次安倍内閣総理大臣記者会見)などのように,「全国津々浦々」という言葉をよく使われているようですが,若者の間では,この「つつうらうら」って何?。「津は港を,浦は入り江や海岸を意味し,全国いたるところ」の意味。「へえ~そうなんだ」といった具合のようです。もはや「津々浦々」は死語のようです。むしろ若者向けには「全国コンビニ道の駅」と言った方が通じるのでしょうか? ところで,当役場がある三重県津市は,そのむかし「安濃津」(あのつ)と呼ばれ,「博多津」(福岡市)や「坊津」(鹿児島県南さつま市)とともに,日本三津に挙げられていました。その安濃津の景気ですが,津財務事務所による本年10月の三重県内の経済情勢は「一部に弱さがみられるものの,全体として回復している」,また,津商工会議所の10月業況DIでも「3カ月ぶりに改善。先行きは慎重な見方残り,ほぼ横ばいの動き」だそうです。ここのところヒマで「うつらうつら」状態の当役場にも,ようやく景気循環のトリクルダウンが,ダウンする前に来るのではないかと心待ちにしているところです。 さて,前置きが長かったですが,その安濃津は,藤堂藩32万石の城下町で,藩祖は藤堂高虎公です。津市民は,敬愛を込めて「高虎さん」と呼よび,NHK大河ドラマの主人公に取り上げてほしいと平成14年以降毎年誓願を重ねております。そのようなこともあって,私も一津市民として応援いたしたく,ここに高虎公の人物像などを紹介します。 藤堂高虎は,1556年に近江国犬上郡藤堂村(滋賀県甲良町)で生まれ,幼いころから人並み外れた身体で,成長した頃には身長六尺二寸(約190㎝),体重三十貫(約113㎏)の大男であったそうです。14歳で浅井長政に出仕したのを皮切りに主君を替えて渡り歩いた後,羽柴秀長(秀吉の弟)に足軽300石で召し抱えられて2万石の筆頭家老に上り詰め,秀長亡き後は豊臣秀吉の水軍司令として伊予宇和島・大津8万石の大名となり,秀吉亡き後は徳川家康の片腕となって豊臣滅亡に貢献するなど生涯7人の主君に仕えたそうです。そのためか,「世渡り上手」,「日和見武将」,「裏切り者」などのネガティブイメージもあるようです。 しかし,高虎は,実際には仕えた主君を裏切ったことはなく,自分を評価してくれる主君には「槍一本」で常に先陣に立って勇猛果敢に戦って戦功を挙げました。とりわけ,秀長のもとでは,信長・秀吉による天下統一のため,播磨攻めや四国攻め,九州攻めの先陣に立って大きな戦果を挙げており,また,秀長と家康の親交が深かったことから,秀長亡き後は家康を深く尊敬するに至り,関ヶ原の戦いや大坂の陣では徳川方の先陣として大きな犠牲を払いながらも戦功を挙げ,家康の信頼を決定的なものにしました。 なぜ高虎は秀吉の臣下でありながら家康側についたのかについては諸説ありますが,私は,高虎は秀吉の天下統一や朝鮮出兵のために数多の戦に加わり,戦乱の世の悲惨さや国内の疲弊を間近に見ていることから,豊臣一強による中央集権国家よりも,幕藩体制による分権国家によって天下泰平の世を築くという家康の考え「偃武(えんぶ)」(武器を伏せて戦のない泰平の世)に共鳴し,同じ志を持ったと考えます。そうでなければ,自ら家康に進言して幕府側に従った伊達政宗に藤堂家の所領宇和島10万石を譲ったり,また,家康の死後も14年間75歳の生涯を閉じるまで,徳川家の相談役として,二代将軍秀忠の末娘「和子」を天皇家に嫁がせたりするなど,徳川幕府の体制整備に尽力するということはなかったと思います。 また,高虎は,築城の名手で,甲良大工衆や石垣積み穴太衆などの専門技術集団とも太いパイプがあり,その築城技術は,石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり,徳川方における大坂城包囲網をつくるべく,今治城,篠山城,津城,伊賀上野城や膳所城などを築城しています。 そのため,高虎は,常に徳川家康に重用され,外様大名でありながらも別格譜代として,江戸城の縄張りや江戸の町割り,日光東照宮の普請などを行っています。このような高虎の偉業により,藤堂藩は,明治維新まで改易されることなく260年間続いたそうです。 ところで,表題の「シロモチくん」とは,主君を求めて放浪の中の高虎が,三河国吉田宿(豊橋市)の餅屋で,空腹のあまりに銭がないのに餅を注文し,ぺろりと餅を食い終えてから,正直に無銭飲食であることを店主にわびると,店主は年若い高虎に対し,それをとがめるどころか帰郷の路銀まで恵み,支払いは出世したときでよいといって無罪放免にした。これに感激した高虎は,「白餅」と「城持ち」をかけ,「白もち三つ」(重ね餅)を旗印とし,大名に出世した後で再び吉田宿を訪れ,店主に丁重なお礼をしたそうです。そのようなエピソードにちなんで,津市が2008年に「高虎公の津入府400年」を記念してイメージキャラクターとして制定したものです。なお,2011年「ゆるキャラグランプリ」のランキングは,200位中87位だそうです(この年は「くまモン」が1位)。人気は,日光の一つ手前「イマイチくん」ですね。 最後に,自己を評価してくれる主君には全身全霊を尽くすという高虎の生き方は,現代のトップエリートが正当に評価してくれる会社を渡り歩き,会社の再建や発展に尽くすという姿にも通ずるものがあると思いませんか…。ぜひ藤堂高虎公がNHK大河ドラマの主人公となりますよう,応援のほどよろしくお願いいたします。 なお,藤堂高虎公に興味を持たれた方へ。高虎に関する書籍としては,「藤堂高虎」(横山高治:創元社),「藤堂高虎という生き方」(江宮隆之:(株)KADOKAWA),「江戸時代の設計者‐異能の武将・藤堂高虎‐」(藤田達生:講談社現代新書)などがありますが,読み物としては「下天を謀る」(安部龍太郎:新潮社)が面白いと思います。

42.195への道(永井行雄)

目的地まであと5キロ、その男の身体は限界に近づき、心は折れそうになっていた。「きつい。休みたい。」という気持ちを何とか抑えて、ヤシの木の並木道を左にUターンしたとき、目の前に現れた遠くまで広がる青い海、白い砂浜、空からの光を浴びてキラキラと輝く波、その男は、この美しい景色に感動し、少しの間、走りを止め、海風を身体一杯にゆっくりと何度も吸い込んだ。すると、脳が活性化され、肺に酸素が充填されたのだろう。「もう少しだ。頑張ろう。」と、その男に最後の力がみなぎった。 この絶景の地は、スタートから37キロの地点、宮崎県の青島トロピカルロードから望む日向灘の景色である。三人の仲間と一緒にゴールしたその男の顔は、満足感と達成感にあふれていた。 これは、私が、昨年12月に宮崎市で開催された「第30回青島太平洋マラソン」(フルマラソン)を走ったときのゴール前の情景である。 マラソンは、法務局に勤務していた平成22年に沖縄で始めた。きっかけは、体重を落とすために始めた運動が高じてマラソンへと発展したのである。 その年の春、人間ドックで医者にこう言われた「永井さん、たばこを止めないと、5年後には酸素ボンベを付けて生活しなければならなくなりますよ。」と、これにはショックを受けた。今までの医者とはトーンが違う。その医者に禁煙治療を勧められ、治療を受け、苦悶しながら何とか止めることができた。反面、食欲が増し、体重が5~6キロ増え、80キロ近くになった。身長は169センチである。身体が重い。歩くとすぐに足が痛くなる。体重を落とさなければ・・・。しかし、食事制限は辛い、他の方法はないか・・・と。 そこで、運動を始めてみることにした。これまで、ほとんど運動をやっていなかったので、まず、歩くことから始めた。1か月くらいは1キロをゆっくりと歩き、それから、距離を少しずつ伸ばした。2か月経った頃、軽く走ってみた。上半身がぐらぐらする。500メートルくらい走るのがやっとだった。しかし、人の身体は不思議なもので、徐々に慣れ、やがて身体も安定してきた。そこで、距離を少しずつ伸ばして、3キロくらい走れるようになった。運動を始めてから4か月、体重は4キロくらい落ちた。 そして、翌23年3月、職場のメンバーに誘われて糸満市で開催された「なんぶトリムマラソン」に参加した。10キロコースである。不安だったが、経験者からいろいろ指導してもらい、何とか完走することができた。 翌4月に福岡に転勤になったが、そこでも、職場の人たちと10キロマラソンを何度か走った。そのころ、飲むことも多く、体重は75キロをキープしていた。そして、2年後の平成25年3月に法務局を退職して、都城市で公証人の仕事をすることになった。週5日3キロ走は、一人でひっそりと続けていたが、体重が落ちることはなかった。まだまだメタボど真ん中であった。 そのような生活をしていたところ、平成27年、人間ドックで医者から次のことを言われた。「永井さん。肝機能が相当悪いです。このままでは肝硬変になりますよ。」「とにかく、体重を落としてください。」「まず、5キロの減量を目標にしてください。」と、私は「毎日3キロくらい走っていますよ。」と言ったところ、「それくらいの運動量では体重は落ちません。カロリー摂取量を減らさなければ絶対に無理です。」と厳しく言われた。私は、これまで20数年来、人間ドックでは、コレステロールや中性脂肪の数値が高く、特にγーGTPは基準値の3~4倍であった。医者からは、脂肪肝と診断され、アルコールを控えて、体重を減らすようにと、ずっと言われていたが、自覚症状がないので、食事制限などの努力は何もしなかった。しかし、「肝硬変」という言葉にかなりショックを受けた。 それで、病院からの帰りに、本屋に寄って、何冊か本を買い込んだ。楽をして減量できるのが一番いい、何か方法はないか・・・と。これだ!見つけた。「岡本羽加著・脂肪燃焼ダイエットスープ」である。それと、夜だけ炭水化物抜きである。ダイエットスープ(野菜とすり下ろしショウガ、味付けは何でもOK)は夜だけ、肉や魚は夜OK。朝昼は何でもOK。これならできる。即、実践してみた。ところが、なかなか体重が落ちない。「止めようか・・・。」と思いながら、惰性で続けていた。1月半くらい経った頃である。「あれ?1キロ減っている。」。翌日また1キロ減った。それから日を追うごとに減ってきた。とうとう70キロの壁を破った。20年ぶりだ。減量を始めて4か月、65キロまで落ちた。沖縄当時のピーク時からすると15キロ近く落ちたことになる。この変化に病気ではないかと心配してくれる人もいた。しかし、驚くことにメタボが改善されていたのである。この食生活を始めてから10か月後には肝機能はすべて正常値になった。信じられないことが起きたのである。 そして、平成27年の11月頃のこと、都城でこちらの仲間と飲んでいたときに、マラソン大会に出ようという話になった。近くハーフ(約21キロ)があるのでこれに出ようということになり、その勢いで「天翔けろ 南九州クラブ」という12人ほどのチームが発足したのである。 出ると言ったものの、走れるのだろうか、不安になった。そこに、救いの神が現れた。フルマラソンを何度も完走しているAさんとYさんである。 AさんとYさんのマラソンに対する考え方は、タイムを競うのではなく、完走を目指す。苦しい走り方はしないことである。Aさんには、ペース配分や呼吸の仕方、上り坂や下り坂の走り方などを教えもらった。Yさんには、足の運び方、丹田(へその下)に力を入れるイメージや上り坂は太ももで走ることなどを教えてもらった。初めてのハーフ、無事にゴールできた。 その後、ハーフを1本走って、とうとう、昨年12月に冒頭に書いたように、フルマラソンに挑戦することになったのである。ハーフからわずか9か月後、ここでも、二人からフルマラソン用の特訓を受けた。この歳になって、フルマラソンを完走できるとは思ってもみなかった。この二人が私に新しい世界を見せてくれた。本当に感謝している。 マラソンは、ランナーと地域の人たちとの間に一体感が生まれる。沿道の人たちの声援は、折れそうになった心をつないでくれる。エイド(給水・給食の施設)の温かいおもてなしに勇気づけられる。そして、走り終わった後、メンバーと温泉で疲れを癒やし、乾杯。互いの連帯感が強まり、達成感を共有できる。素晴らしいひとときである。 人は、仕事を離れて、趣味や遊びなど外部からの刺激や感動に触れて、情操力が高まり感受性が豊かになるものだと思う。 それは、仕事にも生かされてくるのではないかと思う。例えば、遺言の場合、本旨事項は、法律に従ったものでなければならないが、付言事項は、遺言者の気持ちを受け止めて、それを適切に反映した文章に仕上げるのがよいと思う。そのためには書き手に、遺言者の気持ちを受け止めるだけの情操力や感受性が備わっていることが大事だと思われるが、ときどき、付言事項に涙してくれる遺言者がいてくれることは、公証人として嬉しい限りである。マラソンを通じて得た内面的なものが仕事に役に立っているように思われる。 これから来年の春にかけて、ハーフを2本、フルを1本走ってみたいと思っている。これからも、身体と心を健康に保って、公証人の任期を全うしたい。

新人公証人、悪戦苦闘の数か月(榮 孝也)

私は、本年6月1日付けで米沢公証役場公証人に任命されました。この間、公証人の諸先輩方から教えを請いながら、何とか業務遂行ができておりますことに、紙面をお借りし厚く御礼を申し上げます。 さて、公証役場のある米沢市は、山形県南部に位置する人口約8万5千人の地方都市です。とろけるような美味しさの『米沢牛』で御承知の方も多いことでしょう。江戸時代に遡れば、上杉藩(米沢藩)30万石の城下町で、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり・・・」の名言で知られる第10代藩主上杉鷹山公による質素倹約・殖産興業の藩政改革がなされた地であります。現在も、上杉城趾公園や上杉謙信公を始めとする歴代藩主の御廟所があり、閑静な城下町のたたずまいが色濃く残っている街です。 公証役場の建物は、市内中心部にはありましたが、幹線道路から中に入った住宅地の中にあり、木造2階建ての民家を賃借して、これまで公証人が5代にわたり就業してまいりました。来庁者に場所を案内するにしても、目立った建物もなく一苦労でした。就任前には、何度か公証役場に足を運び、前任公証人からの引継を受けたわけですが、その中の一つが、冬期間の除雪作業のことです。県内でも有数の豪雪地帯にあり、除雪車が路肩に寄せた雪の壁で、役場前の道路は車1台がやっと通れるぐらいであるとのこと。唯一ある1台分の来庁者用駐車場も雪の山。役場利用者のために、心して雪片づけに努めるべしと・・・。 就任して間もなく、一念発起し役場を移転することにしました。公証業務もまだまだ心もとない状況であるにもかかわらず、就任から3ヶ月間は、土日返上で不動産屋を巡り、やっとのことで物件を探し当てました。書庫や事務スペースの模様替え工事を経て、9月17日、台風18号が来襲する中、無事、役場の移転作業を終えることができました。現職中に、出先の統廃合による庁舎移転に数多く関わった経験から、移転作業の成否は入念な準備作業にかかっていることを承知しているため、約2週間余りを費やして準備を行いました。結果、一滴の雨滴もかかることなく、短時間で全ての書類、備品等を運び入れることができました。 一方、30年近く賃借していた役場の原状回復にも苦心しました。役場開設当初に、書庫の床、壁、天井を約15センチほどの分厚いコンクリート壁に改造しており、建て替えない限り原状回復は困難な状況です。幸いにも大家さんの理解を得て、現状のまま返還させていただくことができ、ほっと胸を撫で下ろした次第です。 新役場は、少々古い建物ですが、鉄筋コンクリート造4階建ての1階テナント、約80平米の広さで、消雪設備完備の駐車場4台分もあり、同じ建物の4階には居住用のアパートも賃借できました。冬期間の除雪作業の心配もなく、出勤はエレベータを降りるだけ。市役所、郵便局、年金事務所、法務局、各種金融機関、農協などが一直線上に存在する幹線道路に面した立地であり、来庁者への案内も容易となりました。来庁者の利便性は、大幅に向上しています。 新米公証人の悪戦苦闘の数か月が過ぎ、これからは、公証業務に専念して、自らの知識を深めつつ、公証役場が地域の皆様に更に親しまれ、一層、公証制度を利活用していただけるよう精一杯努めてまいる所存です。 諸先輩公証人の皆様の御指導御鞭撻のほど、今後ともよろしくお願い申し上げます。

詩 歌

聞こえる     佐々木 暁

風の音が聞こえていますか 花の咲く音が聞こえていますか 星の瞬く音が聞こえていますか 川の流れの音 鮎の跳ねる音が聞こえていますか 雲の流れる音 雨の足音聞こえていますか 夜更けの音 夜明けの音聞こえていますか 自分の歩いている足音聞こえていますか -確かな一歩の音を ゆっくりな一歩の音を -想い出の足音を 軌跡の足音を -未来の足音を

実務の広場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.55 委任契約及び任意後見契約無効の訴えに対する陳述書

1 遺言公正証書について遺言無効の裁判が提起された場合における、公正証書作成についての陳述書については、民事法情報研究会だよりNo.25(平成29年2月)の実務の広場No.46において紹介されています。遺言公正証書の作成について、陳述書の提出を求められた会員は、相当数おられるのではないでしょうか。 2 今般、私が直面したのは、作成した委任契約及び任意後見契約公正証書について無効の訴えが提起されたということで、弁護士から公正証書作成時の説明や陳述書の提出を求められたものです。弁護士から聞き及んだところでは、任意後見契約の委任者の子Aが法定後見の手続を進める中で、委任者の子Bが任意後見契約をしていることが分かり、委任者は契約当時高齢であり、判断能力がなかったとして、その契約の無効を主張し訴えの提起に及んだもののようです。 3 会員の皆さんは、遺言書を作成する場合は、意思確認や内容の確認を厳格に行っており、その遺言が無効となるような事態は生じていないと考えますが、委任契約及び任意後見契約公正証書について無効が争われ、裁判所から呼出しや陳述書の提出、あるいは公正証書の作成状況について説明を求められると、前例がないこともあり、困難な事態となります。そこで、会員の参考になればということで、弁護士に提出した陳述書を紹介します。なお、その後の裁判の経緯は、不明です。 記

弁護士 〇〇〇〇 殿 大分公証人合同役場 公証人 中垣治夫 ㊞ 平成〇年〇月〇日付け平成〇年第〇号をもって当職が作成した委任契約及び任意後見契約公正証書について、次のとおり回答します。 1 大分公証人合同役場において委任契約及び任意後見契約公正証書(以下「公正証書」という。)を作成する場合の一般的な手順は、次のとおりです。 ⑴ 事前準備 大分公証人合同役場において公正証書を作成する場合は、まず予約をして、委任者及び受任者又はこれらの者の意思を正確に公証人に伝えることができる者(親族、委託を受けた司法書士、弁護士、行政書士等(以下、これらの者を「親族等」という。)に公証役場に出向いてもらって、①委任契約及び任意後見契約の内容の説明、及び②公正証書の作成に必要な書類の説明を聴くように促し、予約の日時を設定します。 ⑵ 事前相談 ア 公正証書作成のための事前相談日には、委任者、受任者又は親族等に公証役場に出向いてもらって公証人と面談します。 イ 事前相談は、公証人が委任者、受任者又は親族等に対して、①別添資料1(契約書案文)を交付した上で、委任契約及び任意後見契約(代理権目録を含む。)について説明し、②これらの者から公正証書に記載するために必要な次に掲げる内容を聴き取り、③委任者本人が来所しているときはその事理弁識能力及び授権意思について観察し、判断することを主な内容としています。 また、この別添資料1(契約書案文)が公正証書の内容になるので、当事者2人がこれを熟読し、十分に内容を理解することが必要であることをあわせて説明している。 (ア) 委任契約(第1章)関係について a 契約の開始時期(第4条関係) b 報酬の有無、ある場合は月額(第7条関係) c 報告の期間(第8条関係) (イ) 任意後見契約(第2章)関係について a 報酬の有無、ある場合は月額(第7条関係) b 報告の期間(第8条関係) ウ 委任者本人と面談する場合において、その事理弁識能力及び授権意思について疑義があるときは、まず雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していることを確認し、その後に聴き取り事項の内容を聴き取るようにしています。また、雑談等をしてもなお委任者の事理弁識能力及び授権意思について疑義がある場合は、別添資料2(診断書様式)を交付し、診断書の提出を求めています。 エ 委任者本人が来所せず親族等と面談する場合は、委任者本人と親族等との関係、委任者本人の健康状態(特に公正証書作成について支障の有無)、公正証書に記載する内容を聴き取り確認します。 なお、司法書士等が来所するときは、委任者及び受任者と打合せをした上で作成した公正証書案を持参することが多いが、このときでも司法書士等から公正証書案の内容を聴き取り、①委任者及び受任者が契約内容を十分理解していること並びに②委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していること確認します。 また、委任者本人が来所せずしかも高齢である場合は、親族等に対し、委任者の事理弁識能力は問題ないかを尋ね、公正証書作成日において「委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止する」ことを説明し、当日、延期又は中止があっては困るようであれば、あらかじめ医師の診断書を提出することを求めています。 オ 事前面談から数日又は1~2数週間後、事前面談の際に交付していたイ(ア)及び(イ)に掲げる事項の書き込みをした別添資料1(契約書案文)及び必要書類が委任者、受任者又は親族等から、提出されます。 また、この際に事前相談の際に交付していた別添資料1(契約書案文)の内容について質問などがされることもあります。 カ 大分公証人合同役場では、これらの書類提出があると公正証書案の作成に取り掛かり、書類提出の日から、おおむね1週間後の契約当事者である委任者及び受任者の都合の良い日時に公正証書作成日時を設定して、公証役場に出向いてもらいます。 ⑶ 公正証書作成 公正証書作成時には、委任者及び受任者が来所したら、閲覧用に準備している書類(公正証書が完成したらその正本になるもの)を読んでもらって委任者及び受任者による内容の確認を行った後、公証人、委任者及び受任者が一つのテーブルに着席します。 ア まず、公証人が委任者に対し、氏名及び生年月日を述べさせます(公証人から、「○○さんですね」とか、「何年何月何日生れですね」といった聞き方はせず、「氏名・生年月日をお願いします」と言って、必ず本人に氏名及び生年月日を述べてもらう。)。その後、本人により、提出済みの印鑑登録証明書に実印を押印させ、両印影を照合し、委任者本人であることを確認します。次に、公証人が受任者に対し、氏名及び生年月日を述べさせます(委任者本人の場合と同じ。)。その後、本人により、提出済みの印鑑登録証明書に実印を押印させ、両印影を照合し、受任者本人であることを確認します。 なお、事前相談の際に親族等が来所していたため、公証人が委任者本人と面談していない場合(この時が公証人と委任者本人とが初対面である場合)には、最初に雑談(天気、公証役場までの交通手段、親族関係、居住関係など)をして雰囲気を和らげながら、委任者が事理弁識能力及び授権意思を有していることを確認した後、氏名及び生年月日を述べてもらい、実印の照合をしています。 イ 次に、契約当事者の本人確認が済んだら、委任者の事理弁識能力及び授権意思のほか、委任者及び受任者が契約の内容を理解しているかを確認するために「契約書案文は熟読しましたか」、とか「内容は理解できましたか」等の質問をします。多くの場合は、「大丈夫です」、「分かりました」等という回答ですが、中には(割合にして1割程度か)「読んだけど分からなかった」、「理解できない」等の回答をする当事者がいます。 ウ 公証人は、イにおいて「分かりました」等と回答した案件については、公正証書全文の読み聞かせを省略し、公正証書の条項の幾つかについて説明をし、委任者及び受任者に閲覧の結果に間違いがないことの確認をします。 他方、イにおいて「理解できない」等と回答した案件については、公証人は、公正証書全条項の理解がないと公正証書は作成できないことをまず説明し、公正証書全文の読み聞かせ及び質問・回答等を行った後、委任者及び受任者に対し「いま読み上げた内容で間違いありませんか」と確認します。 エ いずれも委任者及び受任者が「間違いない」旨述べたときは、公正証書原本に委任者及び受任者が自ら署名し、押印してもらいます。 オ 委任者及び受任者に署名・押印させ、公証人が署名・押印することによって公正証書の作成が完了し、委任者及び受任者に対し公正証書正本を交付します。 カ ところで、公正証書を作成する過程(アからオまで)において、異常な事態や委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止し、医師の診断書を提出させるなど、客観的資料によって確認することになります。 また、後日の紛争防止等のために、公証人が必要と認めるときは、委任者本人の事理弁識能力の確認に関し、面接した際の本人の言動その他の状況又は親族等から聴取した状況等を記載した書面(以下「録取書面」という。)を作成します。 2 本件委任者・〇〇〇〇、受任者・〇〇〇〇の公正証書作成については、次のとおりです。 ⑴ 私は、公証人として事務を開始して以来、相当数の公正証書を作成しており、そのために多数の依頼者等と面談を行っていますので、よほど特殊な状況や異常な事態がない限り、公正証書作成当時の依頼者の状況等について記憶していることはありません。 ⑵ 本件受任者〇〇〇〇の公正証書作成については、特に記憶していることはありませんので、本件公正証書は、公証人が①受任者及び受任者が契約内容を理解していること、②1⑵オで提出された所要の書き込みをした別添資料1(契約書案文)と齟齬がないこと、及び③1⑵オで提出された必要書類と齟齬がないことを確認した後、受任者及び受任者に自署させ、かつ、押印させて公正証書の作成を完了するという大分公証人合同役場における一般的な手順に従って作成したものと考えます。 3 ところで、委任者・〇〇〇〇が公正証書作成当時、〇〇歳であることからすると、事前相談において判断能力に問題がないことの記載のある診断書を求めるのが通常と考えられるにもかかわらず、診断書の提出がないまま公正証書を作成していることからすると、当時、事前相談における公証人からの診断書の提出の求めに対し、来所した者から「本人に会ってください。会えば、判断能力等は何ら問題がなく、しっかりしていることが分かるはずです。」等との回答があり、公証人が「それでは委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱かせるような事態が見受けられた場合には、直ちに公正証書の作成を延期又は中止する」ことを告げた上で、公正証書の作成に及んだものと想定されます。 4 以上のこと及び録取書面を作成していないことからすると、本件公正証書を作成する過程において、異常な事態や委任者の事理弁識能力及び授権意思に疑問を抱くような事態はなかったものと考えます。

別添資料1 【移行型】 任意後見契約公正証書作成のための資料について 任意後見契約を公正証書で作成するには、あらかじめ次のものを準備してください。 1 委任者 (1) 印鑑登録証明書(発行後3か月以内のもの) 1通 (2) 戸籍全部事項証明書(戸籍謄本) 1通 (3) 住民票 1通 2 受任者 (1) 印鑑登録証明書(発行後3か月以内のもの) 1通 (2) 住民票(本籍の記載あり) 1通 詳しいことは、お尋ねください。相談は無料です。 大分公証人合同役場 電 話 097-535-0888 FAX 097-535-0891

委任契約及び任意後見契約公正証書 本職は、委任者○○○○(以下「甲」という。)及び受任者○○○○(以下「乙」という。)の嘱託により、次の法律行為に関する陳述の趣旨を録取し、この証書を作成する。 (趣旨) 甲と乙は、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、次の二つの契約を締結する。 ⑴ 第1章の委任契約は、甲が甲の療養看護及び財産の管理についての事務を委任するものである。 ⑵ 第2章は、甲が任意後見契約に関する法律第4条第1項に定める「精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況」すなわち甲の判断能力が不十分な状況になったときに、甲の療養看護及び財産管理についての事務を委任するものである。 第1章 委任契約 (契約の趣旨) 第1条 甲は、乙に対し、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、甲の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務(以下「委任事務」という。)を委任し、乙は、これを受任する(以下「本委任契約」という。)。 (任意後見契約との関係) 第2条 本委任契約締結後、甲が精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況になったときは、乙は、速やかに家庭裁判所に対し、任意後見監督人の選任の請求をしなければならない。 2 本委任契約は、第2章の任意後見契約につき任意後見監督人が選任され、同契約が効力を生じた時に終了する。 (委任事務の範囲) 第3条 甲は、乙に対し、別紙「代理権目録(委任契約)」記載の委任事務(以下「本件委任事務」という。)を委任し、その事務処理のための代理権を付与する。 (委任事務の開始) [契約と同時] 第4条 本件委任事務は、本委任契約の締結と同時に開始する。 [甲の申し出により開始] 第4条 本件委任事務は、甲の乙に対する委任事務開始の申出により開始するものとする。 2 甲の委任事務開始の申出は書面によるものとし、書面による申出ができない場合に限り、口頭での申出によるものとする。この場合、乙はその旨を書面に記録しておくものとする。 (証書等の引渡し等) 第5条 甲は、乙に対し、本件委任事務処理のために必要と認める範囲で、適宜の時期に、次の証書等及びこれらに準ずるものを引き渡す。 ①登記済権利証・登記識別情報通知、②実印・銀行印、③印鑑登録カード、住民基本台帳カード、個人番号(マイナンバー)カード・個人番号(マイナンバー)通知カード、④預貯金通帳、⑤キャッシュカード、⑥有価証券・その預り証、⑦年金関係書類、⑧健康保険証、介護保険証、⑨土地・建物賃貸借契約書等の重要な契約書類 2 乙は、前項の証書等の引渡しを受けたときは、甲に対し、預り証を交付してこれを保管し、この証書等を本件委任事務処理のために使用することができる。 (費用の負担) 第6条 乙が本件委任事務を処理するために必要な費用は、甲の負担とし、乙は、その管理する甲の財産からこれを支出することができる。 (報酬) [報酬額の定めがある場合] 第7条 甲は、乙に対し、本件委任事務処理に対する報酬として、1か月当たり金○○○円を当月末日限り支払うものとし、乙は、その管理する甲の財産からその支払を受けることができる。 [無報酬の場合] 第7条 乙の本件委任事務処理は、無報酬とする。 (報告) 第8条 乙は、甲に対し、○か月ごとに、本件委任事務処理の状況につき報告書を提出して報告する。 2 甲は、乙に対し、いつでも、本件委任事務処理状況につき報告を求めることができる。 (契約の変更) 第9条 本委任契約に定める代理権の範囲を変更する契約は、公正証書によってするものとする。 (契約の解除) 第10条 甲及び乙は、いつでも公証人の認証を受けた書面によって本委任契約を解除することができる。ただし、本委任契約の解除は、後記本任意後見契約の解除とともにしなければならない。 (契約の終了) 第11条 本委任契約は、第2条第2項に定める場合のほか、次の場合に終了する。 ⑴ 甲又は乙が死亡し、又は破産手続開始決定を受けたとき。 ⑵ 甲又は乙が後見開始の審判を受けたとき。 ⑶ 本委任契約が解除されたとき。 第2章 任意後見契約 (契約の趣旨) 第1条 甲は、乙に対し、平成○○年○月○日(公正証書作成日)、任意後見契約に関する法律に基づき、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況における甲の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務(以下「後見事務」という。)を委任し、乙は、これを受任する(以下「本任意後見契約」という。)。 (契約の発効) 第2条 本任意後見契約は、任意後見監督人が選任された時からその効力を生ずる。 2 本任意後見契約締結後、甲が精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況になったときは、乙は、速やかに、家庭裁判所に対し、任意後見監督人の選任の請求をしなければならない。 3 本任意後見契約の効力発生後における甲と乙との間の法律関係については、任意後見契約に関する法律及び本任意後見契約に定めるもののほか、民法の規定に従う。 (後見事務の範囲) 第3条 甲は、乙に対し、別紙「代理権目録(任意後見契約)」記載の後見事務(以下「本件後見事務」という。)を委任し、その事務処理のための代理権を付与する。 (身上配慮の責務) 第4条 乙は、本件後見事務を処理するに当たっては、甲の意思を尊重し、かつ、甲の身上に配慮するものとし、その事務処理のため、適宜甲と面接し、ヘルパーその他日常生活援助者から甲の生活状況につき報告を求め、主治医その他医療関係者から甲の心身の状態につき説明を受けることなどにより、甲の生活状況及び健康状態の把握に努めるものとする。 (証書等の保管等) 第5条 乙は、甲から本件後見事務処理のために必要な次の証書等及びこれらに準ずるものの引渡しを受けたときは、甲に対し、その明細及び保管方法を記載した預り証を交付する。 ①登記済権利証・登記識別情報、②実印・銀行印、③印鑑登録カード、住民基本台帳カード、個人番号(マイナンバー)カード・個人番号(マイナンバー)通知カード、④預貯金通帳、⑤キャッシュカード、⑥有価証券・その預り証、⑦年金関係書類、⑧健康保険証、介護保険証、⑨土地・建物賃貸借契約書等の重要な契約書類 2 乙は、本任意後見契約の効力発生後、甲以外の者が前項記載の証書等を占有所持しているときは、その者からこれらの証書等の引渡しを受けて、自らこれを保管することができる。 3 乙は、本件後見事務を処理するために必要な範囲で前記の証書等を使用するほか、甲宛ての郵便物その他の通信を受領し、本件後見事務に関連すると思われるものを開封することができる。 (費用の負担) 第6条 乙が本件後見事務を処理するために必要な費用は、甲の負担とし、乙は、その管理する甲の財産からこれを支出することができる。 (報酬) [報酬額の定めがある場合] 第7条 甲は、本任意後見契約の効力発生後、乙に対し、本件後見事務処理に対する報酬として、1か月当たり金○○○円を当月末日限り支払うものとし、乙は、その管理する甲の財産からその支払を受けることができる。 2 前項の報酬額が次の事由により不相当となった場合には、甲及び乙は、任意後見監督人と協議の上、これを変更することができる。 ⑴ 甲の生活状況又は健康状態の変化 ⑵ 経済情勢の変動 ⑶ その他現行報酬額を不相当とする特段の事情の発生 3 前項の場合において、甲がその意思を表示することができない状況にあるときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意によりこれを変更することができる。 4 前2項の変更契約は、公正証書によってしなければならない。 5 後見事務処理が、不動産の売却処分、訴訟行為、その他通常の財産管理事務の範囲を超えた場合には、甲は、乙に対し、毎月の報酬とは別に報酬を支払う。この場合の報酬額は、甲と乙が任意後見監督人と協議の上、これを定める。甲がその意思を表示することができないときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意によりこれを定めることができる。この報酬支払契約は、公正証書によってしなければならない。 [無報酬の場合] 第7条 乙の本件後見事務処理は、無報酬とする。 2 本件後見事務処理を無報酬とすることが、次の事由により不相当となったときは、甲及び乙は、任意後見監督人と協議の上、報酬を定め、また、定めた報酬を変更することができる。 ⑴ 甲の生活状況又は健康状態の変化 ⑵ 経済情勢の変動 ⑶ その他本件後見事務処理を無報酬とすることを不相当とする特段の事情の発生 3 前項の場合において、甲がその意思を表示することができない状況にあるときは、乙は、甲を代表する任意後見監督人との間の合意により報酬を定め、また、定めた報酬を変更することができる。 4 前2項の報酬支払契約又は変更契約は、公正証書によってしなければならない。 5 (報酬額の定めがある場合の第5項に同じ) (報告) 第8条 乙は、任意後見監督人に対し、3か月ごとに、本件後見事務に関する次の事項について書面で報告する。 ⑴ 乙の管理する甲の財産の管理状況 ⑵ 甲を代理して取得した財産の内容、取得の時期・理由・相手方及び甲を代理して処分した財産の内容、処分の時期・理由・相手方 ⑶ 甲を代理して受領した金銭及び支払った金銭の状況 ⑷ 甲の生活又は療養看護につき行った措置 ⑸ 費用の支出及び支出した時期・理由・相手方 ⑹ 〔報酬の定めがある場合〕報酬の収受 2 乙は、任意後見監督人の請求があるときは、いつでも速やかにその求められた事項につき報告する。 (契約の解除) 第9条 甲又は乙は、任意後見監督人が選任されるまでの間は、いつでも公証人の認証を受けた書面によって、本任意後見契約を解除することができる。ただし、本任意後見契約の解除は、本委任契約の解除とともにしなければならない。 2 甲又は乙は、任意後見監督人が選任された後は、正当な事由がある場合に限り、家庭裁判所の許可を得て、本任意後見契約を解除することができる。 (契約の終了) 第10条 本任意後見契約は、次の場合に終了する。 ⑴ 甲又は乙が死亡し、又は破産手続開始決定を受けたとき。 ⑵ 乙が後見開始の審判を受けたとき。 ⑶ 乙が任意後見人を解任されたとき。 ⑷ 甲が任意後見監督人選任後に法定後見(後見・保佐・補助)開始の審判を受けたとき。 ⑸ 本任意後見契約が解除されたとき。 2 任意後見監督人が選任された後に前項各号の事由が生じた場合、甲又は乙は、速やかにその旨を任意後見監督人に通知するものとする。 3 任意後見監督人が選任された後に第1項各号の事由が生じた場合、甲又は乙は、速やかに任意後見契約の終了の登記を申請しなければならない。

 

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