民事法情報研究会だよりNo.9(平成26年12月)

初冬の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、過日ご案内いたしました12月13日の臨時会員総会・セミナー・懇親会につきましては、師走のお忙しい中、70名近い会員からご出席の返事をいただいております。今回のセミナーでは、本年3月まで早稲田大学法学部講師として教鞭をとっておられた藤原勇喜会員が、「渉外遺言と不動産登記をめぐる諸問題」と題して講演されます。藤原会員は従来から渉外不動産登記の研究をされており、先ごろテイハンから「新訂渉外不動産登記」を出版されておりますので、最新の有意義なお話をお聞きできるものと思っています。 なお、講演録は、これまでと同様、民事法情報研究会だよりの号外として全会員にお配りする予定です。(NN)  

妻との距離感(理事 小林健二) 退職し、自宅での生活が中心になると、妻との距離の取り方が最大の課題となる。御夫婦揃って同じ職場で仕事をしてこられたという方は、それなりの智恵を絞っておられたことと思うが、私にとってこれまでの自宅は、ほとんど寝に帰るところであり、妻にとってみれば、これまで昼間いなかった者が朝から晩まで一日中家の中にいることになるところから、鬱陶しいとの思いでいることはよくわかる。まず自分の身の置き所をどうするか。お互いに息が詰まってしまわない方法を考えなければならないこととなった。 いつだったか新聞に退職後の夫と妻の家庭内での望ましい位置関係を平面図にしてあらわすとこうなるとしていたものがあったが、その平面図によれば、両サイドに夫と妻の部屋を配置し、真中にリビング、台所、トイレ等共通の設備が配置されており、その説明書きには、必要なときだけ双方が顔を合わせることができるようにすることが望ましいとあった。 また、最近、テレビや雑誌では、「卒婚(そつこん)」なる言葉が目立つようになった。卒婚とは、「杉山由美子氏著の「卒婚のススメ」からきた新語で、熟年夫婦が、これまでの二人の関係をリセットした上で、もう一度自分自身というものを見直し、それぞれの道に進んでいくというライフスタイルです。別居、同居は関係なく、気持ちの上での「結婚からの卒業」で、お互いが自由に自分の人生を楽しむ、といった夫婦の相互信頼の延長上にあるポジティブな選択肢ということだそうです。」(yahoo知恵袋)とある。これは、夫と妻との距離をどのようにおくことが望ましいかを取り上げているものである。夫婦の在りようがなかなか難しい問題となっている現実が現在の風潮であることを示し、特に退職という新しい局面を迎えると、この問題が新たな課題として持ち上がっていると伝えている。 確かに、自宅はこれまで妻が思うように仕切ってきた。そこに粗大ゴミがどんと居座ることになったのであるから、家庭内での妻のペースは完全に狂ってしまうことになろう。その上、三度の食事の世話までとなると、家政婦でもあるまいし、いい加減にしてくれという気持ちがわからぬこともない。はっきり口に出して不満をいう奥方とそうでない奥方はいるだろうが、大方の奥方は、負担が増えたと思っていることは間違いない。うちは大丈夫と思われているかもしれないが、それは一方的な見方というものである。 家庭内のことは、日々のことでもあり、妻との距離をどのようにとりながら、過ごして行くか、知恵を絞らざるを得ないこととなる。とりあえず思いつくのが、妻のご機嫌とりと迷惑かけないようにするために、せめて家事のお手伝いくらいはと、食事の片づけ、清掃、ゴミだしに手を出すこととなる。もちろん、家事の分担ではなく、手伝ってやっているという気持ちでやり始めるので、やり方について文句を言われると、なんだ、してやっているのにという気持ちが先に立つ。妻にしてみれば自分なりのやり方、ペースがあるところ、夫のやり方がその通りになっていないと不満となる。家事手伝いの結果は、「しないで怒られ、やって怒られ」となるが、妻は、家事について何年も工夫をして自分流を編み出しているプロフェッショナルなので、ここは言われるがまま従い、反論はもってのほかである。どうせ分担なんか出来るわけがないので、お手伝いと決めて邪魔にならないようにさりげなくすることにつきる。 そんな退職後の過ごし方を模索しているとき、ある人から、「どうせ死ぬまでの短い時間だから、あれをやっておけば良かった、これをやっておけば良かったということの無いよう、とにかく悔いの無いようにやりたいことをやっておくことだ。ただ、妻との共通の趣味を持つか、あるいは一緒にできることを一つくらいは見つけることも大切だ。」との話を聞いた。 なるほどと思い、家で過ごす時間をなるべく減らす方法にも手をつけてみようと思い立った。これなら妻との距離を置くことができ、一石二鳥である。ただ、したいことがあればやっているのにそれすら手を出していないわが身であるから、何が向いているか、どんな能力を秘めているのか自分自身分からない。そこで、とりあえず、近場をぐるりと見回してみた。 ウォーキング、図書館通い、近くのコミュニティーセンター、公民館などで行われている行事、サークル活動への参加、趣味の教室の受講、貸農園で野菜栽培等々いろいろなものがある。なかでも、ウォーキングは、退職者にとって、健康管理と時間潰しを兼ねた定番中の定番である。自分なりにいくつかのコースを設定し、早朝、夕方と時間を変えたり、逆廻りと工夫して行えば、変化に富んでなかなか飽きがこない。道すがら俳句の一つも読めれば充実する。図書館通いも、暇つぶしにはもってこいである。 ただこれだけでは、出かける時間としては少ないと考え、たまたま家の近くにある陶芸教室と絵画教室、ついでにスポーツジムに出かけてみた。教室の先生には、「陶芸や絵が好きというわけではないし、うまくなりたいとも思っていない。妻と一定の距離を保つために始めたい。」と告げて通うこととした。スポーツジムも健康管理は二の次であると告げて始めることとした。この三点で家にいる時間をかなり減らすことができる。ただ、長続きするかどうかわからない。向いていれば続くであろうし、飽きたらすぐ止めということになろうが、不純な動機につき、おそらく長続きはしないであろう。 もっともこれでは、妻との共通の趣味を持つという課題をクリア―できない。妻が参加している地域の体操クラブ、歌声グループ、ボランティア活動に一緒に参加できるかというと、折角妻との間には、一定の距離が必要と思ってやり始めた本来の目的を逸脱してしまうと考え、ここは一線を画すことにした。 そんなわけで、妻との共通の趣味は、未だ見つからず、一緒にしていることとなると、毎晩の晩酌程度である。家庭内粗大ゴミは、只今悪戦苦闘中である。妻との良好な関係を保つためにどうしたら良いのか、その距離の取り方は実に難しい。

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

 

 No.4 遺言の付言事項に関する参考事項

 【はじめに】 我が国が超高齢社会を実現し、今や人生80年時代が到来しております。 全国の公証役場の取扱事件数を見ると、遺言が毎年増加しています。当役場でも同様の傾向にあり、証書作成業務に占める遺言の割合は、全体の6割強を占めるに至っています。公証業務における証書の作成は、相談に始まり、中でも、遺言は,公証人が本人と面談し、相談内容からその趣旨を法律事項としてまとめ、これを遺言者の最終の意思表示として遺言公正証書を作成しますので、これに費やす時間も相当なものがあります。 特に、遺言者の高齢化を反映してか、最近の傾向として、本人が病気治療で入院中、自宅療養中,施設入所中など様々な事情で来所できず、資格士業を始め親族などの使者による依頼のケースも多く,この場合の本人確認、意思能力の有無の確認とも相まって、一層多くの時間を費やすこととなり、全体の事件処理に遅れを来たさないよう事務処理に工夫が必要です。

【付言を記載することの意義】 遺言は、前述のとおり、相談に相当の時間を費やしているところ、遺言者において人生で熟慮された意思(考え)を遺言でする財産処分として、公証人に口授する際には、これに至るまでの多様な思い、作成の背景事情、作成への期待、満足感、達成感などがあり(法定の遺言事項を上回る、実に多様な思いなどを聞くことが多い。)、これを形にして遺言書とともに残しておきたいとの強い気持ちがうかがわれます。 公証人就任当初においては、遺言者が公証人に口授した内容を法律事項として構成することに精力を傾けて(というより、それ以上の余裕がなかったのが本音です。)いたので、さほど意識しなかったことの一つが「付言」です。 もっとも、付言については、法律的効果は伴わない(付言の内容を実現するための法的手段がない。)ことから,これまでにいろいろと議論もあり、そこでは法定事項以外は記載しないという考えもありました。 しかしながら、私は、遺言の作成依頼(嘱託)を受けるという形で遺言者と出会い、遺言者の遺言作成の気持ちにできるだけ寄り添いつつ、遺言の作成に至った思い、財産配分の理由、背景事情等の一端でも筆記して希望を叶えることは、公証人としてお役にたてることと考えます。 そこで、ほとんどの遺言相談の際、「付言は、法的効果は伴わないこと」を説明した上、作成の希望がある場合は、証書に条建てしないで、末尾に(付言事項)と表記し(長文でなくても、簡潔にして、二、三行でも含蓄のある忠実な表記に意を用いて)、記載しています。作成後の遺言者の感想は、感極まって涙を流される場面もあるほど、大変感激されます。 近時、OB、先輩公証人の方におかれましても、付言に思いを致され、本人の希望を踏まえて作成された結果は、大いに満足ゆくものがあったことを聞き及ぶことも多く、同感の思いです。

【付言事項の参考事例】 これまで作成した付言をランダムに列挙すると、次のような事項が多い。 ① 相続人のうち、特定の者に全財産を残す理由 ② 受遺者に対し、残された妻(又は夫)が心穏やかな余生が過ごせるよう、最後まで面倒見てほしいとの希望 ③ 受遺者に対し、先祖代々から受け継いだ不動産について、次の継承者についての考え、希望とその理由 ④ 受遺者でない相続人は、遺留分減殺請求しないでほしいとの要望 ⑤ 親族の遺産相続で調停にまで持ち込まれた経験から、自分の遺産でもめないために公正証書で遺言をする旨 ⑥ 相続人の特定の者(誰々)について、借金(金◎◎万円)の立替えをしており、相続分はないので理解してほしい旨の内容 ⑦ 葬儀は、家族葬(宗派、神式・仏式等、葬儀の規模のほか散骨等もある。)とし、遺骨は◇◇墓地(又は、△△寺の納骨堂)に納め、永代供養(供養料など支払済の旨を記載する。)を依頼 ⑧ 遺骨を亡き夫と同じ墓地(共同墓地又は納骨堂等)に収めることを依頼 ⑨ 葬儀に(兄弟又は姉妹)は呼ばない(死去を知らせない)こと等、その理由 ⑩ 遺言執行手続で面倒をかけないために、遺言執行者に第三者を指定したこと、遺言執行者への協力要請 ⑪ 兄弟姉妹が仲良くし、その家族が末永く幸せに暮らすことを願う気持ちの表明 ⑫ これまでの人生があることに対する、妻(又は夫)や家族への感謝の気持ちの表明 ⑬ ①に関連し、「これまで良く面倒を見てくれた(これからも見てくれる)ので、感謝の気持ち」を表明 ⑭ 子が無い夫婦で、夫(又は妻)から相続した不動産を夫(妻)の兄弟又は甥・姪に相続(代襲)又は遺贈させる理由 ⑮ 実子の配偶者(妻)への遺贈において、永年に及ぶ遺言者夫婦との同居の労いと感謝の気持ちを表明 ⑯ 相続人以外の者(他人、公共・福祉関係等)に対する遺贈において、その背景、理由等 ⑰ 受遺者たる事業承継者への期待、家族の支援要請等

【今後の傾向】 超高齢時代における遺言の必要性は、高齢者の権利擁護の観点のみならず、自己の責任として、また安心安全の確保のためにも利点があることが考慮され、年を追って、浸透していくものと思われます。 また、特に遺言が必要な例として挙げられる夫婦の間に子がいない方の遺言が多いこと、加えて、時代背景としても顕著なことは、男女ともに結婚年齢が高くなる傾向にあるほか、独身も増加していることから、兄弟間の相続のケースが多く、さらに結婚したカップルの3分の1が離婚しているといった現状もあって再婚、再々婚も予想され、それらの子も含め、今後も遺言の必要性が一層増すものと思われます。 このような状況を踏まえると、遺言公正証書作成に当たっては、心を遺す付言を書いて欲しいとの要望が年を追って増加するものと想定されます。                            (冨永 環)

 

 No.5 成年被後見人の遺言(事例紹介)

成年被後見人の遺言は、遺言者が遺言時に事理を弁識する能力を回復しているかの判断のみならず、民法973条により医師2人の立会いを要すること(任意後見の本人の遺言はこれに該当しない。民法794条参照)、成年被後見人については印鑑証明書が取れないこと、また、民法966条による被後見人の遺言の制限があること等、簡単ではありませんが、現実の例は、後見人である弁護士又は司法書士からの依頼で、通常、必要な条件は後見人がそろえてくれますので、特に支障もなく公正証書作成にいたっています。なお、この事例では嘱託人の確認については、同時に認証した成年後見人の宣誓供述書の提出により人違いでないことを証明させています。

******************** 遺言公正証書 本公証人は、遺言者(甲)の嘱託により、後記証人の立会をもって次の遺言の趣旨の口授を筆記して、この証書を作成する。 第1条 (以下遺言内容は省略)

本旨外要件 東京都○○市○○丁目○番○号 無職 遺言者 (甲) 昭和○年○月○日生 上記の者は面識がないから本日本職が認証した成年後見人(A)の宣誓供述書の提出により人違いでないことを証明させた。 東京都○○市○○丁目○番○号 精神保健福祉士 証人  (乙) 昭和○年○月○日生 埼玉県○○市○○丁目○番○号 看護師 証人  (丙) 昭和○年○月○日生 上記遺言者及び証人に読み聞かせたところ各自筆記の正確なことを承認し次に署名押印する。 (甲署名押捺) (乙署名押捺) (丙署名押捺) 遺言者(甲)は成年被後見人であるため、民法第973条に基づき次の医師2名を立ち会わせた。 東京都○○区○○丁目○番○号 医師 立会人 (丁) 昭和○年○月○日生 埼玉県○○市○○丁目○番地 医師 立会人 (戊) 昭和○年○月○日生 遺言者(甲)が上記遺言をする時において精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態になかったことを認める。 (丁署名押捺) (戊署名押捺) この証書は、平成○年○月○日埼玉県○○市○○老年病センターにおいて民法第969条第1号ないし第4号の方式にしたがい作成し同条第5号に基づき次に署名押印するものである。 埼玉県所沢市西新井町20番10号 さいたま地方法務局所属 公証人(署名押捺) ********************

宣誓供述書 私、弁護士(A)は、(甲)(住所:東京都○○市○○丁目○番○号、昭和○年○月○日生)の成年後見人であり、下記に署名押印した者は、(甲)本人に間違いありません。 記 (甲署名押捺) 平成○年○月○日 東京都○○区○○丁目○番○号 弁護士(A署名押捺) 昭和○年○月○日生 認証 嘱託人(A)は、法定の手続に従って本公証人の面前で、この証書の記載が真実であることを宣誓したうえ、これに署名押印した。 よって、これを認証する。 平成○年○月○日、埼玉県○○市○○老年病センターにおいて。 埼玉県所沢市西新井町20番10号 さいたま地方法務局所属 公証人(署名押捺) (野口尚彦)

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民事法情報研究会だよりNo.8(平成26年10月)

仲秋の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、前号でご案内した神﨑会員のセミナー講演録の配付につきましては、予定より遅れて9月にずれ込みましたが、過日全会員にお送りしたところです。明年の改正会社法の施行に向けて、ご活用いただければ幸いです。 なお、本年12月13日には臨時会員総会と藤原勇喜会員による講演を予定しておりますので、多数の会員のご参加を願いいたします。会員総会招集及びセミナーの開催通知は、11月初旬にお送りする予定です。 本号では、小畑理事の随想「江戸のユーモア古川柳」を掲載します。また、前号から始まった実務のページは、名称を「実務の広場」に変更いたしました。(NN)

江戸のユーモア古川柳(理事 小畑和裕)

1 突然ですが、クイズです。誠に失礼とは存じますが、以下の句は一体何を、どんな出来事を対象にして読んでいるのでしょうか? えっ、馬鹿にするなって。失礼しました。かくいう私はお恥ずかしい限りですが、初めてこの句を目にしたときは全く何のことやらチンプンカンプンでした。お分かりの方は日本の古典・故事来歴・歴史・川柳についてかなりの薀蓄をお持ちの方とお見受けいたします。恐れ入りました。私など遠く及ぶところではありません。以下の句はいずれも川柳で、江戸時代につくられた所謂古川柳と呼ばれているものです。江戸の人々のユーモアが満載です。 ① 来ぬ人を入れ百人に都合する ② 笈摺りはみかんにはじめ柿で脱ぎ ③ 玉むしは危ない役を言いつかり ④ 目と耳は只だが口は銭がいり ⑤ 犬に灸すえると猫に化ける也

2 私が、いわゆる川柳を詠んだ(生意気な言い方ですが)のは、今から20数年も前になります。ある日のこと、職場の上司から飲み会に誘われました。あまり気のりはしなかったのですが、同行しました。ところがその上司は、飲食の間中、説教やら小言を言い続けました。酒もまずいし、楽しくも何ともありません。そのあげく、勘定は割り勘でした。それはないだろう。さんざん説教されたあげく、割り勘だなんて。 それから数日後、ある雑誌の記事が目に留まりました。それは現在も続いている月刊「日本橋」の第1回川柳大会の募集記事でした。釈然としない気持ちを引きずっていた私は、即座に応募してみようと思いました。割り切れない気持ちを何かにぶつけたかったのかも知れません。「割り勘で ずっと説教する上司」。句はすぐに出来ました。ところが、どこでどう間違ったのか、この句が大賞になりました。選者の批評は、「この句は大方のサラリーマンの気持ちを代弁している。日本橋のサラリーマン、OLの方々に大いに共感していただける句だ。上司・部下それぞれの読み方ができる。上司だって安月給で大変なんです。あなたへの説教はありがたいといつか感じるときが来るかもしれません。怒りそのものを句に入れず、ちょっと冷静なのが面白い。」でした。誠にその通りで、いまはその上司に感謝しています。 こんなことがあって以来、今日まで川柳を続けています。私はごく最近まで、公証事務に従事していましたが、遺言や成年後見に関する講演をする際、川柳は大いに役に立ちました。講演のイントロで、「泣く泣くも良いほうを取る形見分け」、「お菓子なら仲良く分けた幼い日」、「相続の説明会で嫁とあい」、などの句を披露すると会場に笑いが起こります。その笑いにより、緊張がほぐれたところで、本論に入ります。 川柳は人を詠み、俳句は自然を詠むと言われます。65歳を過ぎ、いわゆる高齢者の仲間入りをした今、江戸の人々に負けないで多くの人々との付き合いを大事にして、毎日をユーモアに溢れた楽しい生活を送りたいと思っています。朝ドラの「花子とアン」の中で、ブラックバーン校長が言うように「最良のものは後から来る」を信じ、今までよりももっと楽しく、愉快で、嬉しいことがこの先きっと来ることを信じながら。

3 最後に冒頭の句です。①は、百人一首の選者藤原定家のことです。自身の句「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」を入れて(来ない人を入れて)やっと百人が揃い、百人一首が完成したと言っています。②は、西国三十三か所巡りのことです。笈摺り(おいずり)は、巡礼が着る袖のない羽織のこと。西国三十三か所巡りは、みかんの産地の紀伊の国の那智山に始まり、柿の産地の美濃の国の谷汲山で終わります。③玉虫は源平合戦で那須与一が射落とした扇の的を支えていた女性です。類句に、「与一が矢それると虫にあたるとこ」があります。④有名な素堂の句、「目には青葉山ほととぎす初鰹」を川柳に詠んでいます。目に鮮やかな青葉や耳にさわやかなほととぎすを見たり聞いたりするのは只だが、食べれば75日も長生きをするという初鰹は、当時も今もかなり高価だったようです。⑤三味線は猫の皮で作りますが、中でも「八つ乳」といって乳首の跡が八つある猫が最高でした。そこで犬に灸を据えて乳首のように偽装する不届きな輩もいました。

NAMBAなんなん・大坂弁川柳コンテスト平成10年第2回大賞作品より

 おおきにと 言える景気に はよしてや(小畑和裕)

全国カラオケ事業者協会2013年度「東北を応援する川柳」優秀賞作品より

 夢がある これを支える 歌がある(小畑和裕)

平成26年いわて銀河100kmチャレンジマラソン川柳コンテスト入賞作品より

   負けないぞ 復興はたす この走り(小畑和裕)

実 務 の 広 場

 このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.2-1【養育費に関する相談事例】子の親権者と監護者を分けたい。

特に親権者と監護者を分けなければ、親権者が当然に監護者でもある(民法第820条)ということになりますが、子の養育を担当しない方の親としても、子とのつながりを保っておくために子に対する何らかの権限を持っていたいなど、様々な理由から親権者と監護者を分けたいという相談を受けることがあります。 当然、親権者と監護者を分けることは可能ですが、学校教育法第16条では、「保護者」を「子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)」と定めていることから、進入学等学校関係の諸手続は親権者が行わなければならないことが考えられますし、子に関する法律行為の代理や同意(民法第5条)、15歳未満の子に関する父又は母の氏を称する入籍の手続(民法第791条第3項)、未成年者の営業の許可(民法第6条)や就職等の許可(民法第823条第1項)など、法定代理人である親権者でなければできないことが多くあることから、親権者と監護者が近くにいてその連携協力が円滑にできるのであれば良いのですが、そもそも、このようなことが円滑にできないような関係になってしまったから離婚するという場合もあり、実際には、子に関する様々な手続に支障を来すおそれがあります。 そこで、このような相談を受けた場合には、先ず、親権者と監護者を分ける理由を良く聞いた上で、前述のような問題点があることのほか、親子の縁は切れるものではないこと、養育費の支払や面会交流ということを通じて親子としてのつながりが保たれることなども説明した上で、分けるかどうかについて、子のためにどうするのが一番良いかという観点から考えてもらうようにしています。 その上で、親権者と監護者を分けたいということであれば、これに応ずることになりますが、これまでのところ、分ける結果となったことはほとんどありませんでした。 ちなみに、「保護者」について学校教育法第16条と同様の規定を置いている例としては、身体障害者福祉法第15条第1項があり、逆に、監護者が置かれている場合には監護者の方を「保護者」として扱う例(児童福祉法第6条、知的障害者福祉法第15条の2第1項、少年法第2条第2項)もあります。                                 (星野英敏)

 No.2-2【養育費に関する相談事例】子の親権者又は監護者の変更をあらかじめ決めておきたい。

父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければなりませんし(民法第819条第1項)、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項(養育費は、未成熟子の監護費用ですから、その支払等に関する事項もここに含まれます。)は、その協議で定める(民法第766条第1項)こととされていることから、離婚後一定の期間経過後又は何らかの事情が生じた場合の親権者又は監護者の変更についても、当事者の協議でできると思い込んでいる場合があります。 しかし、民法第819条第6項及び同第766条第3項により、子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所がその変更をすることとされており、親権者又は監護者の変更は当事者の協議のみで決められる問題ではありませんから、離婚に関する契約の公正証書に、一定の事由が生じた場合には当然に親権者等を他方に変更するとか、その時点で協議して変更するというような事を記載することはできません。 これらの変更は、いずれも家事事件手続法の別表第二に掲げられています(親権者の変更は別表第二の八、子の監護に関する処分は同三)ので、子の利益のため必要があるときは、当事者は家庭裁判所に対し、調停又は審判の申立てをすることになります。 したがって、特に公正証書に記載する必要はないのですが、当事者の要望がある場合には、念のため、「甲又は乙は、子の利益のため必要がある場合には親権者又は監護者の変更を家庭裁判所に申し立てるものとする。」旨の条項を入れています。 (星野英敏)

 No.2-3【養育費に関する相談事例】養育費の相場はどれくらいか。

これは、良く聞かれる質問です。 このような質問に対しては、参考として、インターネット上の裁判所のホームページでも紹介されている、養育費・婚姻費用算定表[東京・大阪養育費等研究会「簡易迅速な養育費等の算定を目指して―養育費・婚姻費用の算定方式と算定表の提案―」(判例タイムズ1111号285ページ以下)]の表を見てもらっています。 その際、この表は、裁判所で把握された事例を基礎として、その標準を示したもので、当事者の協議で決めた結果がこの範囲内に収まっていなければならないというものではないことも説明しています。 実際に、養育費として、複数の子の総額でしたが、月額50万円以上を支払うという事例があり、財産分与等他の要素が含まれているのではないかと思って良く聞いてみたところ、支払う側が医師であって十分な支払能力があること、子供の塾や習い事等も含めてこれまでと同じ生活水準を維持していくのにこれくらいは必要であることなどを言われた例がありました。 場合によっては、強制執行の場面で養育費としておいた方が有利であることから、財産分与等他の要素の支払を養育費の名目で支払うこととしている場合もあるので、注意が必要です。                                 (星野英敏)

 No.2-4【養育費に関する相談事例】公正証書作成後、養育費の額の変更ができるか。

養育費を支払う側の親が転職したりして、いったん決めた養育費の額を変更しなければならないような事情が生じた場合、養育費の額を変更できるのかということを聞かれることもあります。 養育費も、扶養義務に由来するものですから、民法第880条が準用され、改めてその変更について父母間で協議することになります。 当事者間の協議で円満に解決されればそれで良いのですが、これが円満にいかない場合は、家庭裁判所での調停等の手続により解決しなければならないことになります。 離婚に関する契約の公正証書に特に明記しなくても同様の結果になるとは思いますが、念のため、養育費について取り決めをした前提の「事情に変更があった場合には、養育費の変更について誠実に協議し、円満に解決するものとする」という条項を明記するようにしています。                                 (星野英敏)

No.2-5【養育費に関する相談事例】複数の子の養育費の額を一括で決めたい。

複数の子がある場合に、養育費として子供たち全員に対して全体で毎月金何円を支払うという約束(上の子が成年に達しても、一番下の子が成年に達するまでは、毎月同額を支払うという合意。)がされることがあります。 このような合意があった場合、仮に、子のうちの一人が死亡してしまったときなどには、この合意の意味を巡って再度協議が必要になる等の理由から、原則として毎月1人当たり金何円を支払うということにしてもらっており、例えば、子が2人の場合、全体として毎月金6万円を支払うという合意であれば、「上の子が成年に達するまでは1人当たり月額金3万円ずつ支払い、上の子が成年に達した後は下の子に対して月額金6万円を支払う。」というようにすることになります。 ただし、1人当たりで決めさせたとしても、上の子が未成年の間に亡くなってしまった場合に、上の子が成年に達すべき時期までは残りの1人について月額金3万円、その後は月額金6万円という結果になり、それが当事者の真意とも思われませんので、結局、万一子が亡くなってしまったような場合には、やはり事情変更として協議が必要となってしまいます。 そうであれば、この例の場合、「養育費支払義務者は子供たちの養育費として毎月総額金6万円を支払うものとし、上の子が成年に達するまでは1人当たり月額各金3万円を支払い、上の子が成年に達した後は下の子に対して月額金6万円を支払う。」というように、そもそもの当事者の合意内容も記載しておくことにより、万一の場合の協議の指針を明記しておくのが良いと思います。                                 (星野英敏)

 No.2-6【養育費に関する相談事例】養育費と慰謝料等を合わせて支払額を決めたい。

養育費のほか、慰謝料や財産分与等の支払を全部まとめて、毎月金何円を支払うという約束をしている場合もあります。 これは、当事者が、毎月継続的に支払える金額として先ず支払金額を決めている場合ですが、養育費と慰謝料や財産分与等の支払とでは、民事執行法上の取扱いが異なり、養育費については、同法第151条の2(確定期限未到来債権の特例)、第152条第3項(差押禁止範囲の特例)、第167条の15(間接強制)などの特例が適用され、慰謝料等の一般債権よりも優遇された取扱がされることになります。 ただし、これらの特例の適用は養育費等に限定されていることから、養育費部分とそれ以外の一般債権の部分とを明確に分けておかないと、養育費についてもこれらの特例を受けられないことになってしまいますので、養育費として毎月金何円を支払うという約束と、それ以外の金銭の支払いとを明確に分けて公正証書を作成することになります。 (星野英敏)

 No.2-7【養育費に関する相談事例】養育費はいつまで支払うべきか。

養育費とは、未成年の子に対する監護費用の分担分ということになりますから、原則として、その子が満20歳に達するまでは支払わなければならないということになります。 しかしながら、多くの人が大学に行くという現状から、①4年制大学に入学した場合は通常当該大学を卒業する満22歳に達した以後最初の3月まで(単に大学卒業までとした場合、何年浪人しても何年留年しても良いとまでは考えられませんので、できるだけ明確に期限を記載しています。なお、その後もまだ在学中という場合は、成年に達した当該子とその扶養義務を有する親との間で改めて扶養料支払契約を締結させるのが相当と考えます。№2-8参照。)は養育費の延長線上のものと考える例もありますし、逆に、②高等学校を卒業する満18歳に達した以後最初の3月までとする例もあります。 ただし、未成年の子に対する養育費支払義務をあらかじめ排除するような合意はできませんから、この後者②の合意は、それ以降は養育費を支払わないという合意ではなく、その時点までの養育費の額を取り決めただけのものと考えるべきです。 この後者②のような合意がされた場合、約定の期間を過ぎても子が未成年である間に子の側から扶養の請求があれば、これに応じる義務があることを十分理解させるように説明するほか、当事者の合意が得られれば、公正証書の条項にもその旨が明らかになるように記載する(「養育費として満18歳に達した以後最初の3月まで月額金何円を支払う。」ではなく、「満18歳に達した以後最初の3月までの養育費の額は月額金何円とし、これを支払う。」など。)ことになります。 ところで、未成年の子に対する親の扶養義務は、生活保持義務(扶養義務者が自己と同程度の生活をさせる義務)と解されており、重い責任があるとされています。 これに対して、成年に達した子に対する扶養義務は、生活扶助義務(扶養義務者が自己の地位相応な生活を犠牲にしない範囲で援助する義務)と解されており、生活保持義務よりは軽減されることになります。 一般的に、扶養義務についてはこの二類型で説明されており、親権の一部でもある監護の費用ということから当然のことですが、未成年の子に対するものだけを養育費と呼んでおり、先程の前者①の例で、大学卒業時(満22歳に達した以後最初の3月)までの「養育費」支払が約束された公正証書に基づく強制執行手続について、そのまま養育費の延長線上のものとして認められたということも聞きますが、「養育費」としての強制執行の手続を満20歳に達する時までの分しか認めないという裁判所もあると聞きます。 満20歳に達した以後の支払は「養育費」ではなく「扶養料」と呼ぶのが正しいとしても、親子間の扶養義務に基づく扶養料の支払いですから、当事者が明確に、子が満22歳に達した以後最初の3月まで毎月金何円を支払うという約束をし、強制執行認諾をしている公正証書があるのであれば、その受取人が子本人でなく監護者であった他方の親であっても、当然強制執行は可能ですし、養育費であっても扶養料であっても、民事執行法第151条の2第1項の第3号(民法第766条の養育費)に該当するのか第4号(民法第第877条の扶養料)に該当するのかの違いであって、民事執行法上同じ特例を受けることになるはずです。 しかし、養育費の強制執行の手続を満20歳に達する時までの分しか認めないという裁判所の考え方が、このような民事執行法上の特例適用について、直接、養育費請求権者(監護者)あるいは扶養料請求権者(この例の場合は子自身ということになります。)との間で作成された執行証書に基づく場合に限るという趣旨だとすると、先程の前者①の合意のうち、子が成年に達した以後の部分は、扶養義務者である父と母との間でその分担等について取り決め、その一方から他方に支払う約束をしたもので、扶養請求権者に対して直接支払う約束をしたものではないことから、民事執行法の特例の対象にならず、強制執行ができるにしても、一般の債権と同じ扱いになるということになりそうで、この点については裁判所の判断ですので、どうなるか確信が持てません(なお、子が未成年の間にその法定代理人との間で、直接当該子に支払うという約束をしたということであれば、成年に達した後の扶養料の支払いについても、特例の対象になると考えられます。)。 また、子が成年に達することによって、生活保持義務から生活扶助義務に変わり、支払う側の余力がなければ支払わなくても良いことになるということも上記裁判所の取扱の根拠の一つかもしれず、そうだとすると、子が成年に達した以降は、支払う側の親の経済的余力の有無が新たな判断要素に入ってくることから、その時点で改めて検討すべき問題だということかもしれません。                                 (星野英敏)

 No.2-8【養育費に関する相談事例】成年に達している子の養育費を払ってもらいたい。

前問に記載したとおり、成年に達したけれども大学在学中などの理由により、経済的に自立できていない子については、養育費ではなく、民法877条第1項の親子間の扶養の問題となります。 したがって、この場合の扶養料の支払契約は、原則として、当該子と支払うべき親との間の契約となります。 離婚時、既に大学在学中の子が成年に達していた場合の当該子の扶養料の支払について、成年に達した当該子と扶養料を支払う親との間の契約という形でなく、当該子を契約当事者とせずに、扶養の義務を有する父と母との間でその分担等について取り決める形ですることも適法に行えると考えますが、前問記載のような問題点を注意しておく必要があります。 なお、この場合、当該成年に達した子から扶養請求があった場合、既に他方の親に支払済みであるという抗弁は成り立たないものと考えますが、生活保持義務ではなく生活扶助義務になっていますから、支払余力がなければ、断ることもできることになります。 ちなみに、父母間で、成年に達した子の扶養料の分担等に関する契約をする場合、支払総額を明記した上で期限の利益喪失事項を入れておくことにより、民事執行法第151条の2の特例を受けるのと同様の結果が得られる(同法第152条第3項等の特例の対象にはなりません。)ことにはなりますが、大学在学中ということであればそう長い期間のことではありませんし、扶養料についてこのような条項を入れることにより、かえって、養育費の特例適用を満20歳に達する時までの分に限っている裁判所以外でもこのような問題を意識させてしまう結果になるようにも思われることから、現在のところ、期限の利益喪失事項までは入れていないのが実情です。                                 (星野英敏)

 No.2-9【養育費に関する相談事例】障害のある子に、生涯にわたる養育費を払ってもらいたい。

障害があって経済的自立が望めない子について、成年に達した後も、生涯にわたって養育費(扶養料)を支払っていくという合意がされることもありますが、このような場合には、成年に達した以降も相当長い期間にわたる契約となり、養育費の延長線上のものとは言えませんから、公正証書では、満20歳に達するまでの養育費の支払契約と、それ以降の扶養料の支払契約[その性質から、当該子又は支払う側の親のいずれかが死亡する時までの期間に限るということを明記しておくことになります(民法第689条の終身定期金契約)。]とに分けて作成しておいた方が良いと思います(ただし、父母間で同一の公正証書により作成した場合の手数料計算については、養育費も広い意味での扶養料と考えられますから、合わせて一つの支払契約と考えます。)。                                 (星野英敏)

 No.2-10【養育費に関する相談事例】監護者(親権者)が再婚したら養育費の支払を止めたい。

監護者(親権者)が再婚しても、他方の親との親子関係に変更は生じませんので、そのことのみをもって養育費の支払義務に直接の影響はありませんが、現実に子が養育されている環境に大きな変化があり、それが養育費支払いの前提となった事情の変更ということになれば、養育費の変更等に関する協議の原因となることになります。 また、子がその再婚相手の養子になる縁組をした場合には、新たな親ができることになり、その養親が第一義的な養育の義務を負うことになりますから、実親の養育費支払義務が軽減されたり、場合によっては支払を要しないということになる場合もあります。 いずれにしても、その時点でのそれぞれの経済事情にも左右される問題ですから、あらかじめこのような場合にはこうするというような確定的な内容にしないように留意し、このような条項をそのまま公正証書に記載することはできないけれども、事情の変更による協議の対象になる場合があるということを説明しています。                                 (星野英敏)

 No.2-11【養育費に関する相談事例】養育費を一括前払いしたい。

確実に養育費を確保したいとか、養育費を支払う側が早く区切りをつけてしまいたいというようなことから、養育費を一括前払いしたいという場合もあります。 このような場合、前払いした養育費が、子がまだ未成年の間に何らかの事情で底をつき、子の生活に支障が生じたときは、既に前払いしてあるからもう支払わないということは言えず、事実上養育費の二重払いをしなければならないことになる旨を説明し、それでもかまわないということであれば、要望どおりに公正証書を作成しています。 ただし、前払いできるのは、日常的な生活費等その金額があらかじめ想定されるものに限られますので、子の疾病等による予想外の臨時出費については別途協議するという条項を入れておく必要があります。 実際に、残り数年のことであり、二重払いのおそれも少ないということから、前述のような説明に双方納得の上で前払いにした事例で、後日、追加費用の支払に関する協議が難航したという報告がありました。 このような場合には、支払う側の覚悟だけでなく、支払を受ける側としても、前払いとして受け取った養育費を計画的に使用して養育に当たらなければならない義務がありますから、いつどのような目的でいくら支出したかを、できるだけ証拠に基づいて、きちんと説明できるようにしておくことが重要だと思いますので、そのようなことも説明しておく必要があると思います。 また、一括前払いした場合、子が未成年の間に亡くなってしまった場合などには、支払済みの養育費を返還するのかどうか、その場合の計算方法をどうするのかという問題が生じます。 なかなか、子が死亡した場合を前提とした取り決めをするということ自体抵抗がありますので、このような問題については、「事情の変更」の場合に含め、「養育費支払に関する事情に変更があった場合には、その増減について協議する。」というような条項を入れておくことになりますが、その際の計算の便宜のため、「事情の変更により、一括前払いした養育費の額を変更する必要が生じた場合は、1か月分単位で清算する。」という条項を入れた例もあります。 (星野英敏)

 No.2-12【養育費に関する相談事例】養育費は支払わなくて良いという約束の証拠を残したい。

父母双方の経済事情にもよりますが、養育費の支払は要しないという合意ができたので、それを証拠として残しておきたいという場合もあります。 しかし、双方の経済事情に変化があるかもしれませんし、子が未成年である間は、親としての強い扶養義務(生活保持義務)がありますから、どのような事情の変更があっても絶対に支払わないということはできません。 したがって、公正証書では、「現在の父母双方の経済事情に変更がない限り、養育費の請求はしない。」というようなことにしています。 逆に、経済的事情から養育費を支払うことは困難であるけれども、子とのつながりを保ちたいということから、形だけでも養育費を支払いたいということで、わずかな金額を毎月支払うという約束をした例もあります。                                 (星野英敏)

 No.2-13【養育費に関する相談事例】養育費が滞ったら、面会交流を認めないことにしたい。

面会交流については、平成23年の民法改正により、民法第766条第1項の、父母が協議上の離婚をするときに定めるべき子の監護に関する事項として明記されました。 その性質は、親の権利という面もありますが、親の愛育を受けるという子の福祉を中心に考えるべきものとされています。 親が子を虐待するなどの場合には、面会交流を制限しなければなりませんが、直接子の福祉とは関係のないことで面会交流を制限することはできませんから、面会交流についてこのような条件をつけることはできません。 なお、面会交流の日時や方法等について、あまり細かな定めを置いても、その時の子の体調や子自身の感情等の問題もありますから、通常は、具体的な点については、子の福祉に慎重に配慮しながら父母間で協議して決めるというような定めとしており、毎月1回第何何曜日の何時からとか毎週1回何曜日の何時からというような取り決めを入れてほしいという場合には、「原則として」という文言を付した上、その時の子の気持ちや体調なども考慮して、親としてどうするのが子のために一番良いのかという観点から決める必要があることを理解させるようにしています。 (星野英敏)

 No.2-14【養育費に関する相談事例】養育費の支払方法はどうしたら良いか。

養育費の支払方法については、特に制限があるわけではなく、特別な合意がなければ持参払い(民法第484条)ということになりますが、直接手渡しということになると、後日「払った。」「いやもらっていない。」というような争いが生ずるおそれもありますので、直接手渡しとする場合は、領収書等をきちんと作成して、その証拠を残す(民法第486条)よう説明しています。 一般的には、金融機関の指定口座に振り込むことが多く、その場合には、金融機関に客観的な証拠が残りますから、上記のような争いの心配もありません。 振込手数料については、通常、支払う側の負担(民法第485条)となりますが(もちろん、当事者の合意により、どのように負担するかを自由に決めることができます。)、同じ金融機関のATMからの振込みやインターネットバンキングという方法等によれば、手数料がかからないこともあります。 なお、振込先口座の名義が、監護者(親権者)でなくて良いかという質問を受けることがありますが、監護者(親権者)が管理している口座であれば、その名義が子の名義などであってもかまわないものと考えます。 ただし、養育費を支払う側の親名義の口座という場合、会社から給料の一定額を毎月振り込んでもらうためにその名義でなければならないという場合もありますが、住宅ローンの支払口座であることもありますので、支払われる金銭が養育費なのか財産分与なのかを良く確認しておく必要があります。 また、支払方法のうち、毎月何日までに支払うかという期限について明確な合意がされていない場合もありますが、このような場合には、給料日等を考慮して無理のないところで毎月何日までと決めてもらっています。 (星野英敏)

No.2-15【養育費に関する相談事例】養育費の支払債務に連帯保証人をつけたい。

養育費を支払う側の親が信頼できないとか、祖父母が孫のために支払いを確保してやりたいというようなことから、養育費の支払債務について連帯保証人をつけることがあります。 養育費を支払う側の親に支払能力がない場合、そもそも離婚をしていないときでも、子の養育に必要な費用の負担が十分できない訳ですから、子もある程度は辛抱しなければならないことになりますし、当然に祖父母がその不足分を負担しなければならない義務を負うということにもなりません。 子の養育費支払義務は、父母の生活保持義務という一身専属的な義務に由来するもので、父母が死亡した場合には相続の対象とはならずに消滅することになりますし、支払能力に不足が生じれば、事情変更ということで、養育費の支払額の変更等が必要ということになります。 したがって、仮に養育費支払債務を保証した保証人がいたとしても、主たる債務者が死亡すれば当然に保証債務も消滅しますし、主たる債務者の支払能力に不足が生じれば、まずは事情変更ということで、その支払額の変更等が必要ということになります。 そうすると、この場合に保証人が保証債務を履行(それも強制執行を受けてまで)しなければならない場合というのは、主たる債務者が支払えるのに支払わないというような場合ということになります。 また、仮に、保証人が先に亡くなってしまった場合、保証債務は相続の対象と考えられますから、相続人がこの保証債務を履行しなければならないということになり、そもそもは父母の一身専属的な債務であったものが、一般の債務と同じものになってしまいます。 そこで、保証人になろうとする者も含めて各当事者にこのような問題点を説明し、各当事者の理解を得た上で、「養育費支払債務の連帯保証期間は、養育費支払義務者及び保証人が共に生存する期間のものに限る。」というただし書きを付しています(主たる債務者が生存する期間に限るのは当然のことですが、念のためわかりやすいように記載しています。)。 (星野英敏)

 No.2-16【養育費に関する相談事例】交付送達してほしい。

交付送達を積極的に勧めているというところもあると聞きますが、私の場合、当事者から要望があったときに交付送達をするのは当然として、当方から交付送達を勧めるのは、その必要があると思われる場合(債務者が転職しそうだとか、遠方に住所を移転することが予想されるなどの場合)に限っています。 実際に送達手続に至る例はあまり多くありませんが、その中で見る限り、特別送達が行われたことによって滞っていた支払が行われるようになり、結局強制執行までは必要なかったということも相当数あることから、後日、支払が滞ったときに特別送達をするということで心理的なプレッシャーを与え、支払を促すという効果も期待できると思いますので、交付送達を積極的に勧めるのが良いかどうかは難しいところです。                                 (星野英敏)

No.2-17【養育費に関する相談事例】養子縁組していない、相手の連れ子の養育費を払いたい。

これは極めて珍しい事例だと思いますが、協議離婚するに当たり、相手の連れ子(養子縁組をしていない)と実子の全員について、分け隔てなく養育費を払いたいという相談がありました。 そもそも、養子縁組していない相手の連れ子は、法律上他人であり、養育費を支払う義務は生じないということを説明したのですが、これまで実子と分け隔てなく育ててきており、今後も実子と同様の関係を維持したいという強い要望でした。 どうしてもということであれば、定期金支払を内容とする贈与契約を締結するか、当該連れ子と養子縁組をした上で、養親として養育費を支払うことになる旨説明したところ、結局、この事例では、改めて当該連れ子と養子縁組をし、養親として養育費を支払うということになりましたが、親子というものについて考えさせられた事例でした。 (星野英敏)

 No.3 預貯金に関する消滅時効等について

現在、法務省で検討されている「民法(債権関係)の改正」項目中に「時効期間の起算点に関し、預金債権等に関する特則の要否」が掲記されています。筆者は、数年前に成年後見人の実務経験を通じ預貯金の消滅時効等が特に高齢者等の財産管理に係る身近な問題であることを痛感したこともあり、標記に関する金融機関等における取扱いの現状等について触れてみたいと思います。 1 眠れる預貯金等の行き先は? 「銀行・ゆうちょ銀行・信用金庫・信用組合、農協等を含む全金融機関で10年以上お金の出し入れがない(いわゆる休眠口座)預貯金等を2014年度からベンチャー企業や震災で資金に困窮している企業等の支援に活用する方針で、スタート時は500億から600億円規模を想定。休眠口座は、ゆうちょ銀行を除いて年間1400万口座発生し、500億円が払い戻されていない。」旨の新聞記事を見たのは平成24年6月である。最近の情報等によれば、今春から与党で具体的な素案を作成して野党にもこれを提示。今秋の臨時国会で議員立法を目指すという動きがある(㊟1)。この背景には、国の財政事情等の問題もあり当該措置の執行にはそれなりの合理的理由も存するように思われる。しかし、債権者である預貯金者等の権利保護や特に認知症や高齢者等に係る適切な財産管理等という観点からは、その対処策について十分に配慮すべき問題があるように思われる。 ㊟1 「休眠口座国民会議」と称するメンバーにより「金融機関における休眠預 金口座の取扱い及び休眠預金の活用に関する法律案」(平成25年4月1日版)を作成し、一般にも公開されている。 2 銀行等の預貯金に係る「いわゆる休眠口座」の取扱い (1) 我が国における銀行預金は、法的には商行為によって生じた商事債権として、消滅時効に関しては商法の規定が適用され、5年間払戻請求等の取引行為がないときは、当該債権は時効により消滅する(商522、502参照)。一方、信用金庫、信用組合等における預金は、法的には民事行為によって生じた民事債権として、消滅時効に関しては民法の規定が適用され、10年間払戻請求等の取引行為がないときは、当該債権は時効によって消滅する(民1671)。 ところで、金融機関に預金として預入れ後に長期間当該口座へ入出金等の取引行為がなく、金融機関から預金者への連絡等も取れない状態の預金口座は、一般的に「いわゆる休眠口座(以下「休眠口座」という。)」と称されている。従って、銀行預金については、商法に定める消滅時効の規定により5年間入出金等の取引がない場合は、その時点で当該口座を「休眠口座」として取り扱うのが相当な措置かと思われる。しかし、全国銀行協会から発出の通達(㊟2)で示されている「休眠口座」の定義等はこれと異なると共に、各銀行等の窓口における実務の取扱いの実情等は必ずしも同一ではない。ちなみに、同じ市中銀行であっても2年以上取引等がない口座については、直ちに「休眠口座」の取扱いとし、かつ当該休眠口座に預金残高が存する間は、自動的に「休眠口座管理手数料」を引き落とす取扱いをする銀行も現存する。この僅か2年以上における取引等の存否を前提として「休眠口座」とする取扱いは、前掲の銀行預金の消滅時効期間が5年という規定の趣旨及び他の金融機関等の取扱いと比較し均衡を失しているようであり、何か釈然としない思いを否めない。 但し、以上のとおり休眠口座の取扱い開始時期については、各銀行によって異なることは見受けられるが、法的に商事債権である銀行預金に関する5年間という短期消滅時効の規定に基づき銀行の利益金として計上する処理例は見当たらないようである。実務の取扱いは、前掲全銀協の通達で示されているとおり、民法の消滅時効と同様に最終取引日から10年経過を基準として消滅時効の取扱いがされているようであり、平成24年頃までは「休眠口座」上の預金について預金者等から払戻請求があった場合には、時効消滅後であっても事実上その支払いに応ずる取扱いが一般的に行われていたようである。 ㊟2 全国銀行協会の通達「睡眠預金に係る預金者に対する通知および利益金処理等の取扱い」で、「休眠預金の定義」として「最終取引日以降、払戻し可能の状態であるにもかかわらず長期間異動のないものを睡眠預金という」とあり、消滅時効に伴う取扱いが次のように示されている。 ① 最終取引日以降10年を経過した残高1万円以上の睡眠預金・・最終取引日から10年を経過した日の6か月後の応答日までに預金者へ郵送により通知し、当該通知が返送された場合等は、その通知等を行った日から2か月を経過した日の属する決算期に利益金として計上する。 ② 最終取引日以降10年を経過した残高1万円未満の睡眠預金・・最終取引日から10年を経過した日の6か月後の応答日の属する銀行決算期までに、利益金として計上する。 (2) 現在の「ゆうちょ銀行」における定期性の郵便貯金(定額・定期・積立郵便貯金等)の消滅時効等に関する取扱いは、郵便貯金の預け入れ時期が郵政民営化(平成19年10月1日)前か後かによって異なる。先ず、①郵政民営化前(平成19年9月30日まで)に預け入れの郵便貯金については、同年9月30日時点において、最後の取扱日から20年2か月(2か月は催告期間)を未経過のものは、最後の取扱日から10年が経過した時に「休眠口座」として取扱い、貯金者から払戻請求があれば支払う。但し、同年9月30日時点で既に最後の取扱日から20年2か月経過の場合は、該当する郵便貯金の権利は既に時効により消滅したものとして取り扱われた(旧郵便貯金法29・㊟3)。 次に、②郵政民営化(平成19年10月1日)後に預け入れの郵便貯金については、旧郵便貯金法の規定が適用されない。従って、他の金融機関と同様に最後の取扱日または満期日から10年経過のものは「休眠口座」として取扱い、貯金者から払戻請求があれば支払う。この「休眠口座」としての取扱期間に関しては定かでないが、定期貯金の場合は10年経過後、更に10年間通常貯金として取り扱われるとのことである。以上のとおり、郵便貯金に関しては、平成19年10月1日の郵政民営化前においては、銀行等の取扱いと異なり貯金者への催告期間を含め最長20年2か月の期間経過をもって消滅時効による取扱いがされ、民営化後においては、他の金融機関と同様に最終の取扱日から10年経過をもって「休眠口座」とする取扱いがされているようである。 ㊟3 郵便貯金法は既に廃止されているが、郵政民営化前に預け入れられた郵便貯金については、「郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」附則5条の規定により「なお効力を有する。」とされた旧郵便貯金法第29条の規定に基づく取扱いがされていた。 3 預金債権に関連する判例等 預金債権の消滅時効に関する判例は少ないようであるが、いわゆる自動継続特約付き定期預金における預金払戻請求権の消滅時効は、「預金者による解約の申入れがされたことなどにより、それ以降自動継続の取扱いがされることのなくなった満期日が到来した時から進行する」とした判例がある(最判・平成19年4月24日 民集61巻3号1073頁)。しかし、普通預金に関しては上級審の審判例はなく、消滅時効の起算点につき判例は確定していないようである。 4 終わりに 民亊債権または商事債権かを問わず消滅時効の成立は、債権者と債務者の権利関係に種々の影響を及ぼすが、時効期間は権利の性質により種々の特則が設けられている(民168以下、商522)。 但し、時効の起算点は、何れも権利を行使できる時からである(民166)。俗に「眠れる権利は保護されず」という言葉があるが、消滅時効はこれと同意の制度と言えよう。しかし、65歳以上の高齢者が4人に1人、認知症等の人が860万人とも言われる我が国では、時効により預貯金等の権利を喪失する債権者の多くが高齢者等と推測されるほか、日々振り込め詐欺等によってその財産が狙われ「未だ眠らない保護されるべき権利」でさえも危機に晒され、不当に侵害されている高齢者等の実態を垣間見る時、前掲の言葉が虚ろに響く思いである。本稿は、日々の生活にも関係する消滅時効に関し駄文を連ねた次第であるが、お互い生きる事に関しては可能な限り消滅時効の時を迎えないよう健やかな記憶に残る日々を過ごしたいものである。                                 (門田稔永)

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民事法情報研究会だよりNo.7(平成26年8月)

残暑の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、過日開催されました定時会員総会において新たに5名の理事が選任され、8月2日には、早速、今後の法人の事業の在り方等を協議するため、臨時理事会を開催いたしました。会員総会、理事会等の内容は、逐次、当法人のホームページに掲載しておりますので、ご参照ください。 また、会員総会後に行われたセミナーにおきましては、神﨑会員による本年6月20日に成立した会社法改正の概要について講演をしていただきましたが、時宜にあった大変有意義な内容でしたので、前回の小池会員の講演と同様、講演録の冊子にして民事法情報研究会だよりの別冊として全会員にお配りすることにいたしました。現在、印刷製本を依頼中ですので、8月中にはお送りできると思います。 ところで、前号でお知らせしたとおり、当法人の事業目的に沿った活動の充実を図る試みとして、当法人に編集委員会をおき、会員の参考になると思われる実務問題(主として公証実務)を取りまとめていただいて、論説解説スタイルで民事法情報研究会だよりに順次掲載していくことにいたしました。 なお、上記のほか、本号では、樋口副会長の随想「高齢者になって」を掲載いたします。(NN)

高齢者になって(副会長 樋口忠美) 1 法務省・法務局OBの親睦、交流・連絡の場とし、あわせて民事法の普及・発展に寄与するために一般社団法人民事法情報研究会が設立されてからすでに1年余が経過しました。その間に全国から150人を超える法務局OBに入会していただき、また、総会、セミナーなども予定どおり実施することができ、当法人は順調にスタートしたものと喜んでいますが、これからは会員の皆様のために存在価値のある法人となり得るよう一層の努力を続けていく必要があると考えていますので、会員の皆様のご支援・ご協力をお願いします。 ところで、相続税法が改正され平成27年1月から施行されることになったことなどから、新聞やテレビなどでよく相続や遺言などが取り上げられ、公正証書による遺言の作成が推奨されていることもあって公正証書遺言が大幅に増加しているということを聞きます。また、高齢者の増加により認知症患者も増加していることから、任意後見制度についても新聞などで取り上げられるようになっています。さらには、法制審議会が答申した「民法(債権法)改正案」では、連帯保証人を付す場合には公正証書で作成しなければならないということも検討されているということで、公証人の職務が高く評価されているということを実感することができ、元公証人としてうれしい限りであります。 恒例になりました各理事の持ち回りによる「研究会だより」の当番が回ってきましたので、会員の皆様に少しでも関心を持っていただけるものをと思い、さび付き、ガタがきている頭でいろいろ考えてみましたが、これといったものに思いが至らず、締切りが迫っていることもあり、公証人退職後の平凡な暮らしの中で高齢者が考えていることなどを記して責めを果たすことにしたいと思います。 2 公証人を退職した後は「今何をしていますか。」とよく聞かれますが、時々旅行する以外にはこれといった決まった予定はなく、図書館に行って本を借りてきて読むとか、OBや近くの町内会の人たちとゴルフをするとか、天気が悪い日には一日中ゴロゴロしながら野球やドラマなどのテレビを見て過ごすなどしています。現職の人から見れば、まことにうらやましい生活ぶりだと言われそうですが、退職後いつも家にいますと、「何も考えないでゴロゴロしているとすぐに呆けて認知症になりますよ」、「運動をしないと足腰が弱くなり歩けなくなりますよ。毎日散歩をした方がいいですよ」、「あまり濃い味のものは身体によくないので、食生活に気をつけてください」などと言われます。これに反論できるようなものがあるわけではありませんが、好きなものを食べ、自由気ままに日々を過ごすということはなかなか難しいものだということ実感しているところです。 3 私と同じ年齢(72歳)の者が事故や事件に巻き込まれると間違いなく「老人」とか「高齢者」と報道されますので、今はあまり意識していませんがそろそろ「高齢者」を意識し、今後のこと、つまり誰にでも間違いなくやってくる終末を真剣に考えなければならない時期が来たのかと思っています。その一つは病気のことです。2年ほど前に手術した胃がんは、その後順調に回復し、今のところ何も問題はありませんが、年齢を重ねるごとにいろんな病気になり、場合によっては寝たきりとなって家族に大きな負担をかけることも考えられますので、日ごろから「回復の見込みがないときは延命措置はせずに静かに死期を迎えることができるようにしてもらいたい」という、いわゆる尊厳死宣言と同じ趣旨のことを家族に伝えています。 二つ目は相続のことです。公証人として在任中に多くの人に対し遺言書の効用を説明し「遺言書を作っておくといいですよ」と伝えてきた者として私自身も遺言書を作っておく必要があると考え、また相続手続きをスムーズに進められるようにするためにも遺言書を作成することにしました。とはいっても、我が家の財産は自宅とわずかばかりの預貯金だけなので相続税の対象になるとは考えにくいのですが、相続税法の改正があり、平成27年1月から施行されることになっており、相続税の対象が大幅に増加すると言われておりますので、対象となった場合も考えてその対策を目下検討中であります。これ以外にも介護を受けなければならなくなったり、認知症になったりしたときのことや葬儀のことなども考えておく必要があると思います。 4 公証人を退職し毎日がサンデーの状況になると、在職中はあまり考えたこともないようなことが気にかかるようになってきます。そんなことを考えるようになったときこそ「老人」になったときだと言われるかも知れませんが、誰にでも間違いなくやってくるものですので、会員の皆様もいつの日にか考える必要があるのではないでしょうか。

 

実務のページ

実務相談に関するページの新設にあたって 今月から民事法情報研究会だよりに、実務相談に関するページを設けることになりました。公証人等が会員の皆様に参考になると思われる法律的な実務に関する事例を取り上げ、若干の解説を加えながら紹介するページですが、ここでの見解は、あくまでも個人的な見解を述べたものであることを予めお断りしておきます。 それから、このページの表題を、会員の皆様につけていただきたいので、適当な表題があればお寄せ下さい。     編集委員長 小林健二

No.1 期間の定めのある賃貸借契約を中途解約する場合の違約金条項

期間の定めのある賃貸借契約において中途解約を禁じる旨を定め、中途解約する場合の違約金条項を設ける例があるが、その際に、法外な違約金の定めをする事例も見られ、どの程度の違約金であれば問題ないのか、判断に苦慮することが多い。次のような事例では、どのように考えればよいのであろうか。

(事例―建物賃貸借契約) 第1条 賃貸人と賃借人は、賃貸人所有の建物を、賃借人がスナックを経営するために使用することを約し、賃貸借契約を締結する。 第2条 賃借人は、賃貸人に対し、賃料月額金10万円を、毎月末日限りその翌月分を支払う。 第3条 賃貸借の期間は、平成26年8月1日から平成31年7月31日までの5年間とする。本契約期間中は、解約できないこととする。 《この後に次のような但し書がある。》 例1(違約金額の定めがある場合) 但し、賃借人がやむを得ない事情により中途解約する場合は、賃貸人に対し、違約金として金500万円を直ちに支払う。 例2(違約金を賃料と期間をベースに定める場合) 但し、賃借人がやむを得ない事情により中途解約する場合は、違約金として解約予告日の翌日より期間満了日までの賃料相当額を、賃貸人に対し、直ちに支払う。

1 違約金 違約金は、約束違反をした相手方に対して、損害賠償と関係なく一種の制裁金を請求するものとしての意味をもつこともあるし、実際の損害を賠償するという意味をもつこともあるし、損害賠償の予定を定めたという意味をもつこともある。違約金の定めを、当事者がいかなる内容のものとして定めたかについては、判然としないことが多いので、民法は、「違約金は、賠償額の予定と推定する。」と規定している(民法420Ⅲ)。もっとも、当事者は、反証をあげて、その推定を覆すことはできる。 そもそも、金銭の支払いを目的とする債務にあっては、債務者の不履行により、損害が発生した場合、債権者はその損害賠償を請求できるが(民法415)、当事者は、現実にどの程度損害が発生したかを証明することなく、債務の不履行について損害賠償の額を予定することができるとされている(民法420Ⅰ前段)。つまり、当事者は、取引慣行等に基づき、自由に損害賠償額を定めることができるとし、それを違約金と称しても、それは、損害賠償額の予定と推定する(民法420Ⅲ)こととしたものである。 このように、予め損害賠償額、即ち違約金を定めることは、契約当事者間における契約の順守の担保のほか、現実にも、賃貸人にとって、契約途中で解約されることに伴う損害、例えば、新たな賃借人を探すまで賃料収入が得られないことになる損害等を補填する意味をもつものといえよう。 そして、この違約金を定めた場合、裁判所はその額を増減できないとされている(民法420Ⅰ後段)ので、例え、違約金として定められた金額が高額であっても、当事者が定めたものである以上、中途解約をしないという約定に違反して解約するのであるから、その額を支払わなければならないことになるのが当然であろう。 しかし、違約金の金額があまりにも高額で、賃借人に不利である場合までも、この原則を貫くことは、相手方を不当に圧迫する手段として用いられることとなり、それは、公序良俗に反し、無効であるといわざるを得ない場合もあろう。それでは、違約金は、どの程度であれば問題ないといえるのであろうか。

2 判例 本例のような場合に参考になるものとして、東京地裁平成8年8月22日の判例がある。この事例は、期間4年の建物賃貸借契約を締結した際、「賃借人が期間満了前に解約する場合は、解約予告日の翌日より期間満了日までの賃料を支払う。」との違約金条項が定められており、賃借人において契約締結10月後に契約を解約したところ、賃貸人はこの違約金条項に基づき残期間3年2月分の賃料等を違約金として請求したという事案である。 この事案について、裁判所は、「期間途中での賃借人からの解約を禁止し、期間途中での解約又は解除があった場合には、違約金を支払う旨の約定自体は有効である。しかし、違約金の金額が高額になると、賃借人からの解約が事実上不可能になり、経済的に弱い立場にあることが多い賃借人に著しい不利益を与えるとともに、賃貸人が早期に次の賃借人を確保した場合には、事実上賃料の二重取りに近い結果になるから、諸般の事情を考慮した上で、公序良俗に反して無効と評価される部分もあるといえる。」と判示し、「約3年2月分の賃料及び共益費相当額の違約金が請求可能な約定は、賃借人である被告会社に著しく不利であり、賃借人の解約の自由を極端に制約することになるから、その効力を全面的に認めることはできず、1年分の賃料及び共益費相当額の限度で有効であり、その余の部分は公序良俗に反して無効とする。」とした。 この判例は、①中途解約に伴う違約金の定めは有効である、②金額があまりに高額になると解約の自由を制約してしまう。③金額が相当である限度(二重取りならない、つまり1年分の限度)で有効とするが、その余は無効である、としたものであり、その結論及び理由づけは納得できるものといえよう。もっとも、この判例は、この判例の前提となった個別事例についての判断であり、一般論として違約金は「賃料1年の限度であれば有効」とまで判断したわけではなく、一般化されるものではないと理解されている。

3 検討 この判例を参考に例について、検討してみよう。 例1は、違約金500万円であり、これは月額10万円の5年分の賃料である金600万円に近い金額である。契約締結後早期に解約した場合でも、契約期間満了間近で解約した場合でも、金600万円を支払う必要があり、この金額は、あまりにも高額であり、これでは二重取りといわれても仕方がないとみることができ、このような定めは、無効といわざるを得ないであろう。 それでは、違約金を金額で決める場合、一般論としてどの程度の金額であれば問題ないといえるのであろうか。当該物件の概況、賃料の額、賃貸借期間等諸々の事情を考慮して定めなければならず、一概に金いくらということは言えない。ただ、賃貸借契約が中途で解約され、賃貸人が被る損害というのは、次の賃借人が見つかるまでの期間の賃料と新たな賃貸借契約を締結するに掛かる経費等であるから、それをベースに必要であればその他の事情を加味して算出することになろうが、その地域の賃貸借物件の取引の実情、即ち当該物件の概況からしてどの程度の期間で新賃借人が定まる状況にあるか等を不動産業者等から聴取する等して、双方が納得する額として定めることとなろう。もっとも、判例が賃料月額の1年の額を違約金として認めたことは、参考となろう。 例2は、解約予告の時期が、契約締結後早期の場合と期間満了間近の場合では、大きく異なる。前者の場合は、違約金は高額になり、後者の場合は、違約金は低額になる。つまり、このような定めは、解約時期によっては有効にも無効にもなる定めということになり、一概に無効というわけにはいかない。判例も、解約に時期よっては、無効になる部分があるが、この契約自体が無効になるわけではないとしている。従って、このような定めを設けることは、許されると解する。但し、このような定めを設ける場合は、当事者間で、解約の時期によっては、無効になる部分が生じることを理解しておく必要がある。 そこで、解約時期を細分化し、例えば1年以内の場合は違約金○円、2年以内の場合は違約金○円と、詳細な定めを置くことも可能であるが、その場合は、当該金額が妥当な金額であるか否か、例1で述べたことを参考に決める必要があろう。

4 消費者契約法との関係 消費者契約法は、消費者と事業者との契約に関し定める民法の特例であるが、賃貸借契約について、この消費者契約法が適用される場合には、同法第9条第1号において、「当該消費者契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項であって、これらを合算した額が、当該条項において設定された解除の事由、時期等の区分に応じ、当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超えるもの」については、「当該超える部分」について無効と定めている。従って、同種の賃貸借契約の平均的な損害額を超えるような違約金の定めは、無効とされていることに留意する必要がある。 (小林健二)

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民事法情報研究会だよりNo.6(平成26年6月)

青葉若葉の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、過日ご案内いたしました本月28日開催の定時会員総会・セミナーにつきましては、現在65名からご参加の返事をいただいております。当日は札幌のOB会(毎年6月の第4土曜日)の日程と重なっており、また本月は7日に民事局OB会が開催され、これに参加された地方の会員の中には、ひと月に2回も東京に出かけるのはと当会員総会・セミナーへの参加を見送った方もあったようです。当法人の定時会員総会は定款で毎事業年度終了後3か月以内に開催することとなっておりますので、6月中の開催は避けることはできませんが、このままでは毎年同じ状況が続いていくのではと懸念しているところです(平成27年も民事局OB会は6月6日開催の予定です。)。 なお、今回の会員総会では、5名の増員理事が選任され、当法人の体制が強化されます。先般開催された通常理事会において、この機会に新たな試みとして、会員の参考になると思われる実務問題(主として公証実務)を論説解説スタイルで民事法情報研究会だよりに順次掲載(ある程度蓄積されれば冊子として配布することも検討)していくこと等が協議され、その結果、小林理事を責任者とする編集委員会が具体的にこれを進めていくことになりました。徐々にではありますが、当法人の事業目的に沿った活動の充実が図られるよう引き続き検討してまいりたいと思います。 本号では、小口理事の「公証事務雑感」と小鷹勝幸会員からご寄稿いただいた「草創期の広報活動重点地域の活動を振り返って」を掲載いたします。(NN)

公証事務雑感(理事 小口哲男) 公証人に任命されてから、ほぼ3年になります。 悪戦苦闘の日々が続いていますが、そんな中で、こんなこともあるんだと思ったことを少し綴ってみたいと思います。それは、遺言執行者の権限と金融機関の対応についてです。 民法(以下「法」)により、遺言執行者は、遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有し(法1012条)、遺言執行があるときは、相続人は、相続財産の処分その他遺言の執行を妨げる行為をしてはならず(法1013条)、遺言執行者は相続人の代理人とみなされる(法1015条)ので、民法上は、遺言執行者が、単独で銀行預金等の解約手続をすることができ、その際には、自分が遺言執行者本人であることを証明すれば足りるということは明白だと思います。 ところが、実際に銀行と対応した何人かの話をお聞きすると、銀行は、遺言者が生まれてから死亡するまでの連続した戸籍・除籍の提出を求めるとともに、銀行所定の様式への相続人全員の署名と実印の押捺、印鑑登録証明書の添付を求めているとのことでした。 もっと極端な例になると、公正証書遺言があると銀行の担当者に言ったところ、それでは何もできないので遺産分割協議書を作ってくださいと言われたこともあったようです。 遺産分割協議書の作成が必要との話は、大きな勘違いとしか言いようがなく、論外とせざるを得ませんが、それ以外の書類を要求する対応については、かなり多くの銀行で見受けられるようです。 銀行は、遺言執行者からの預金等の解約・払戻し請求に対して支払ったことが、当該遺言の日付より後の日付の別の遺言により取り消されていたなどの理由により、後日、誤りであることが判明したとしても、免責され、問題は生じないはずですし、遺言執行者からの支払い請求を拒否した銀行に対しては、支払いを命じる判決も出ている状況にあるにもかかわらず、なぜ、このような対応をしているのでしょうか。 ここからは、私の推測になりますが、免責され、法的に責任を負うことはなくても、遺言で法定相続分どおりの相続を受けられなくなった法定相続人からの苦情があればこれに対応しなければなりませんし、遺留分減殺請求関係の問合せ等にも対応しなければならないことから、これらの事実上の面倒を避けるということが理由のように思います。 しかし、自分達の事実上の面倒を避けるために、遺言執行者に対して、不要な対応を要求することは、大きな問題だと思います。 この問題を回避するために、私は、遺言執行者の指定の次に、「相続人の同意を要することなく」預金等の解約や貸金庫の開扉をすることができるとの言わずもがなの文章を付記しています。 そして、遺言書作成時の遺言者に対するこの文章の説明時には、銀行への対応の仕方も説明しています。 銀行が遺言執行者になっている事案においても、他の方々と同様の説明をしましたが、その時の銀行の担当者は、分かりやすい説明をありがとうございましたと言っていました。 ただ、銀行に勤めている人と親しい方からの話としてお聞きしたところでは、銀行の内部では、一度は、前記の一連の書類の提出を求めなさいということになっているようです。 また、銀行関係の人に、なぜ、このような対応をするのかと聞いたこともありますが、理由はおっしゃるとおりだけれども、一連の書類提出についての上からの締め付けは、前よりもむしろ強くなってきていると言っていました。 そのせいかどうかわかりませんが、最近、遺言者が亡くなったと銀行に伝えた人から、相続人全員が署名して実印を押捺し、印鑑登録証明書を添付した「相続届け」という文書の提出を求められたとの話を聞きました。 遺言執行者が、自分の身分証明書と遺言公正証書を提示して手続きを採れば良く、銀行が要求するような文書の提出は不要ですとお伝えしたことは、言うまでもありません。 閑話休題、やはり銀行関係の人に、「預金」債権と「貯金」債権を使い分けているのはなぜですか?と聞いたことがあります。 答えは、財務省の監督下にある銀行等では、「預金」債権と言っているが、総務省の監督下にあるゆうちょ銀行と、農林水産省の監督下にあるJAバンクでは、「貯金」債権と言っている、とのことでした。
草創期の広報活動重点地域の活動を振り返って―熱意をもって、足繁く、粘り強く―(小鷹勝幸) 1 はじめに 平成15年8月に公証人に任命され、網走、北見、豊岡と3か所の公証役場に勤務し、今日に至っています。その間の印象深く残っている平成18年から始められた広報活動重点地域(モデル地区。以下「重点地区」という。)の活動(同年は「低○○役場の活性化を意図した広報活動」と称された。)を思い出すままに、振り返ってみたいと思います。 2 網走での広報活動 (1)人口約4万人弱の網走市で、オホーツクの自然と文化に親しみながらの公証人生活をし、多少とも心に余裕がでてきた平成19年の話になります。 大部分の読者がご存知のことと思いますが、日本公証人連合会(以下「日公連」という。)では、公証制度を広く国民の皆様に知っていただくため、毎年10月1日から7日までを「公証週間」として、法務省の後援、法務局・地方法務局の支援の下に、テレビ、ラジオ、新聞、各公証役場の活動等を通じて啓発を行っております。 (2)平成19年8月23日、日公連理事長から平成19年度広報活動重点地域として網走地区が指定された旨の通知をいただきました。この通知により、公証週間にとどまらず、年度内を通じ、地域の実情に応じて各種広報活動を組織的、かつ効率的に行うことが求められました。ここでは、重点地域の活動として、全国初となった3つの活動(観光イベントでの広報、バスのバックステッカー広告、商店街街頭放送)等を中心にその顛末を紹介いたします。 (3)重点地区についての当時の日公連の方針は、「①嘱託事件の掘り起しが見込まれる地域を選んで、とりあえず、公証週間中を中心としたブロック公証人会、単位公証人会の広報活動を展開する。②自治体、社会福祉協議会等とのネットワークを構築して、それ等の支援団体機関と共同した広報活動を展開する。③日公連は、そのための旅費、ポスター、チラシ代などの予算的な支援を講ずる。」というものであり、どのような広報活動が相応しいかということについては、講演会の開催、講師の派遣、移動公証相談、移動公証役場というようなものを考えておりました。従ってモデル地区に選定された役場ないし地域では、そのような活動しかしなかったようです。 (4)私としては、重点地域として、指定されたからには、意味のある活動をして成果を上げたいが、日公連が考えているようなことでは、何のインパクトもないし、単に公証週間中のこれまでの活動の充実程度にしかならず、また日公連の支援内容では何もできないと思いました。というのも、例えば領収書があれば、その旅費を支援してくれるといいますが、網走地区では、列車やバスという公共交通機関が1日に数本しか走らない地区が大部分であり、出張には自動車を使わざるをえませんし、何よりも公共交通機関のないところが沢山あるからです。そこで、日公連の支援の有無にかかわらず、①地域の皆様に関心を持ってもらう、②マスコミに大きく報道してもらえる、③「全国初」というキーワードで、できれば、経費を最小限に抑え、今後の重点地域での広報活動の模範となるようなものにしたいとの想いで実施したのが以下の活動です。 3 観光イベント(「2007感動の径」ウォーク) (1)公証週間中の行事として、まず、①公証週間中の平日の執務時間の2時間延長、②休日相談所の開設、③出前講演会(生命保険会社とのジョイント講演会を含む。)等の前年並みの行事に加え、重点地域指定に相応しい目新しい広報をしたいと考えました。 そこで、例年10月に行われている網走市観光協会が主催する観光イベント「2007感動の径ウォーク」(一般社団法人日本ウォーキング協会が選定した「美しい日本の歩きたくなる道500選」のウォーキングコースの1つ)での広報を思い立ち、8月28日網走市観光協会を訪ねて事務局長と面談しました。その結果、公証週間中の10月7日(日)に開催することで準備を進めていることが判明しましたので、公証制度の趣旨、啓発活動の一環として当網走地区が重点地域に指定されたこと、毎回150名から200名が参加する当該観光イベントで広報すればその効果がきわめて大きいこと等を説明して、協力を依頼しました。その方法としては、倍賞千恵子を起用したポスター2枚を体の正面と背中から見えるよう首から掛けてウォーキングしながらチラシ・しおり等を配布するか、受付場所のテントにポスターを貼り、チラシ・しおり等をファイルに入れて配布することを提案しました。これに対し、事務局長は、公証制度の重要性を理解できるが、イベントの趣旨・目的から実行委員会の会議に諮った上で、回答したいとのことでした。 後日、事務局長から、ウォーキング広報活動は認められないが、イベント当日、ウォーキングマップを入れた北海道網走支庁産業振興部の農業農村整備の広報ファイルを配布する予定であり、同ファイルにチラシ・リーフレットを入れるスペースがあるので、それでよければ協力するとの回答をいただきました。 その際、観光協会のメンバーである地元のホテル、旅館での公証週間のポスターの掲示をお願いし、観光協会の定期便で配布していただくことになりました。なお、市内の金融機関、郵便局にも観光協会でのやり取りを説明し、ポスター等を掲示していただきました。さらに、治療を受けたことのある歯科医院には、「遺言のすすめ」「任意後見のすすめ」を待合室に50部置いていただき、また、網走で一番大きいスーパーの掲示板に広報用ポスターを12月いっぱいまで貼っていただきました。 (2)以上の結果を受けて、休日相談所の開設は10月6日(土)の1日にして、9月5日付けで近隣自治体(15か所)及びテレビを含む報道機関(14か所)に対し、①公証週間中の平日の執務時間の2時間延長、②休日相談所の開設(10時から19時)、③無料出前講演会(講演時間は、45分ないし90分)の受付等について、公証役場の主な仕事を併記して、広報・報道依頼を行いました。 (3)9月23日に至り、地元日刊新聞社の編集担当課長(主筆)を訪ね、公証週間の記事等を大きく取り上げていただくようお願いしました。いろいろと取材を受ける中で、公証週間の前に、網走地区の重点地域の指定、前記(1)の①から③の内容を含む記事を出していただけることになりました。その際に、公証週間の広告を出して活動をアピールしていただけないかといわれ、一瞬とまどいましたが、地元との関係は、密にしておいたほうがよいと思い、それを承諾し、打合せの結果、広告の左半分に広報用ポスターの写真を、右半分に10月1日から7日までが公証週間である旨、休日相談の開催、「遺言や大切な契約は公正証書で」等を配置し、9月30日と10月4日の2回出すことにしました。 広告の費用は予定していなかったので、安くしてほしいと折衝したところ、最終的に通常の広告料の半分にし、1回の広告料をサービスするかわりに、創刊3周年の広告を公証役場でのせることで、決着しました。9月26日の新聞記事は、広報用ポスターの写真入り7段ぬきという大きなものになりました(毎週2回の全戸無料配布の同新聞社関連誌にも大きく掲載されました。)。 (4)10月7日の観光イベント当日は、約160名の参加があり、私もウォーキング中及び昼食会において参加者に公証制度の話をさせていただきました。地元新聞社の記者とも、途中まで一緒に歩いたせいでもないでしょうが、広報用ポスターが貼り出されているテントでの受付風景も、写真入りで報道されました。 翌年からは、このイベントを網走公証役場の公証週間中の恒例の行事として位置づけ、早い段階から、イベントの協賛者として、イベント開催並びに参加者募集のポスター、リーフレットの協賛者欄に、官公署のすぐ後ろに公証役場が載るように働きかけ、それを実現させるとともに、イベントの最中に公証週間のリーフレットを胸と背中にかけて広報活動しながらウォーキングすることも認められました。 これらに要した費用は、ゴール後の昼食会兼懇親会の中で行われる大抽選会の景品としての図書券(1000円分)を5組(実際には、図書券のほかに「遺言のすすめ」、「任意後見のすすめ」、各種パンフレットを同封)でした。 網走公証役場がなくなってからは、北見の公証人になったので、網走の他に北見で行われた日本ウォーキング協会主催の「でっかいどうオホーツクマーチ」(6月の第2週の土・日のいずれかの日)においても広報活動を行いました。 4 バスのバックステッカー広告 (1)重点地域の全国初の試みとして、歩行者やドライバーを対象とした、動くメディアによる広報活動を企画することとしました。バス、タクシー、電光掲示板等を候補に挙げて検討した結果、広く近隣自治体まで運行されているバスのリアガラスへのバックステッカー広告(広告スペースは、38cm×170cm角)が費用対効果を考えるとよいのではないかと思い、折衝を始めました。基本は、3台1年間で18万9千円及びステッカーの企画・製作費であり、1台だけの場合は製作費を入れて約10万円程度でありましたので、公証制度の広報が目的であることを強く訴え、半月程度のやり取りの末、2台で1年間12万6千円(企画料・製作費サービス)で決着をみました。その後、広告の内容・色・配置等につき、支援をいただいている日公連、北海道公証人会の了解を得て、11月1日から1年の契約とし、実際には、10月23日から市内及び郊外線に走りだしました。果たせるかな、「走る網走公証役場」という大きなタイトルで、バスの後ろからの写真付きで地元新聞に大きく報道されました。 このバックステッカー広告を付けたバスは2台とも、その後次の広告依頼があるまでの3年間、無料で走っていただきました。 5 商店街街頭放送 (1)公証役場から100メートルという至近距離に、通称「アプト4」と呼ばれている商店街があり、そこでは、音楽とお買い物案内の街頭放送が1日11時間流れています。公証役場の広報にこれを利用できないかと考え、街頭放送を行っている網走中央商店街振興組合に出向きました。平成20年3月までの放送であればスポット契約分(当月分)3万2千円、通常契約1月分6千円(15秒単位)という話でありましたので、公証制度が民事紛争の予防と私権の明確化を図る等の重要な公的制度であり、法務省と日公連が啓発を行っていることを訴え、格安にとお願いしましたところ、面談してくれた事務局長は、かつて同組合の関係で公証役場を利用したこともあり、好意的に対応していただき、内部で検討したいとの返事をいただきました。その後、費用については改めて協議することとして、数度の打合せを経て、11月1日から4月30日までの放送とし、1回45秒以内で、1時間に1度ずつ1日計11回(総計約2000回)、その放送内容は、「網走公証役場からのお知らせです。遺言や大切な契約は、公正証書にいたしましょう。公正証書は、国から任命された法律の専門家の公証人が作成する公文書です。相談は無料で、秘密は固く守られます。網走公証役場は、市民会館向かいで、電話番号は、43局1661番です。」としました。費用については、組合のご理解を得て、最終的に無料となりました。 (2)この無料放送については、放送回数、本来の費用を考えると、何等かの感謝の気持ちを表すべきと考え、日公連に上申し、会長からの感謝状(額縁付き)を出していただきました。 その伝達には、公証役場に地元新聞社等を呼び、仰々しく行い、これを写真入りで大きく取り上げていただくよう根回ししたのは言うまでもありません。 感謝状の威力かどうかわかりませんが、無料放送は、網走から公証役場がなくなった現在も、「北見公証役場からのお知らせ」として、網走公証役場が移転したことを加えて、毎日11回放送されております。 6 おわりに (1)広報活動重点地域に指定されたことで、新聞等で大きく取り上げてもらうことができ、また、広報手段として、観光イベント、バスのステッカー広告、街頭放送、新聞広告、ポスター、出前講演、立て看板設置等を利用したことにより、地域住民への公証役場の存在が大きくアピールできたものと思っております。このような成果を上げることができたのは、日公連、北海道公証人会の支援があったことは言うまでもありませんが、それと同時に、広報活動とは「未来への種まき」であることを認識しつつ、与えられた環境の中でいかに知恵をしぼり、よりよい方法を実現するかであり、前例に囚われることなく、熱意をもって、足繁く、粘り強く事にあたることの大切さを思い知らされた意義のある活動でもあっただけに、今日でも印象深いものがあります。 (2)私の経験を踏まえ、日公連等には、広報活動の結果報告と併せ、いろいろと進言(重点地域指定の早期化、支援の拡大化、複数役場による広報活動等)させていただき、現在では大部分のことが解決・改善されているように感じられます。 (3)広報活動の結果報告が、数年にわたり、いわゆる新任研修において参考にされたと聞き及んでいますが、その後の広報活動の一助になったとすれば、望外の幸せです。
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民事法情報研究会だよりNo.5(平成26年4月)

 桜花の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。  さて、当法人は成立後2年目の事業年度を迎えました。初年度の決算等は、早めに取り掛かったこともあり、大方の作業を終わり、これを審議するための通常理事会の招集を行ったところです。今後6月に開催の定時会員総会に向けて準備を進めてまいります。  ところで、当法人は非営利型の一般社団法人ですが、均等割の法人住民税を納付する必要がありますので、今後の事務処理の簡素化を考え、東京都新宿都税事務所に電子申告を行いました。初めての手続きは戸惑いも多いものの、やってみると案外簡単で、どこにも出かけずに2日目には電子納付も終わりました。いまや行政の電子化が各方面で相当進んでいることを実感した次第です。  本号では、佐々木理事の「最初の一着・最後の一着」と本間透会員からご寄稿いただいた「福島の今」を掲載いたします。(NN)

 
  最初の一着・最後の一着(理事 佐々木 暁)  この時節、街角で、電車の中で、見るからに新社会人と思われる真新しい背広を着て、緊張感漂う面持ちで歩いている若者を見かけます。おそらくは、この春に晴れて就職し、夢ある社会人としての一歩を踏み出した若者でしょう。  思えば、私が高校を卒業して就職した昭和41年4月1日(札幌法務局民事行政部登記課事務員)時点では、背広は着ていませんでした。叔父から就職祝いにもらった背広はあったのですが、いわゆるお下がりで、とても大きくて、流行にもかなり後れておりました。1年余り学生服と坊主頭で通勤しておりました(仕事中は事務服があり助かりました。)。あまり想像しないで下さい。若くか細く凛々しい私を(笑)・・・  私が最初に自分で背広を手に入れたのは、昭和42年3月のボーナスの時だったと記憶しております。当時の私は女性用のジーンズでも着用できる位に細身でありましたので、いわゆるブランコ物で十分満足でした。それから2着目を手に入れるまでは相当時間を要した気がします。  あれから47年、経済的問題・体型的問題を乗り越えながら、一体何着の背広に袖を通してきたのだろう。  平成19年3月、広島局で法務局生活を終わることとなり、退職記念とこれまでの公務員としての自分へのご褒美として、広島一のデパートで、今迄にない程に少し高い(私の中では)背広を新調しました。これが「最後の一着」と我が家の財務大臣に手を合わせて。  あれからまた7年余り、最後の一着が何着になったことか。「これは私が着ているのではなく、公証人が公証事務を執り行ううえで、品位?を維持するために着用しているもので、最後の一着とは別のものである」と言わなくてもいい言い訳をしながら。 人間何かのケジメを着ける時若しくは何かの願い事をする時に、ついついこれが「最後だから」と言ってしまうらしいのですが、これは私だけでしょうか。国会議員の選挙の際の「最後のお願い」に似てなくもない気がしますが。  「今夜はこれが最後の一杯」、「禁煙前の最後の一本」、「最後のゴルフクラブ」、「最後のカメラ」、「最後の釣竿」、「最後の新車」等々・・・・。身に覚えのある会員の皆様もいらっしゃるかと。  そしてこの度、公証人としての任期も残り少なくなったところで、退任後は背広を着る機会もめっきり減ることだろうと推測し、残りの任期と相談しながら、財務大臣の鋭い視線を感じながらも、こりもせず、これぞ「最後の一着」を新調しました。果たして「最後の一着」となりますか。  愛車は2年前に「最後の新車」として購入しました。間もなく車検が近づいております。皆様ならどうしますか。退任後は自由になる時間も増えますし、そのためにはしっかりと動き廻れる足が必要と考えるのですが。「ほんとうの?最後の一台」が。  天の声曰く、「最後の一着は、もう「黒」だけあればよいのでは。しかも夏・冬兼用で。どうせ感覚も鈍ってくるでしょうから」と。でも、せめて今しばらくは、たとえ礼服は黒でも、白いネクタイをする機会が多くなることを願って、「最後の一本とならない一本」の白い寿紋様のネクタイを新調したところです。   福島の今(本間 透)  今から3年前の平成23年3月11日(金)午後2時46分、三陸沖を震源としたマグニチュード9の観測史上最大の地震による東日本大震災が発生し、岩手、宮城、福島の東北地方太平洋沿岸では、地震と津波により未曾有の被害を受けました。特に、福島県では、この震災で、東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」といいます。)において、我が国では過去にない深刻な事故と事態が発生したことにより、原発地域の住民はもとより、県内全体でも重大な影響を受け、これが世界では、「フクシマ」として有名になりました。この原発事故による計り知れない問題については、東京電力は当然のこと、国を始めとして多くの関係機関が莫大な経費と労力を投じて対応しているところです。  震災発生直後から旧知の皆様に私の安否等について御心配いただき、また折にふれて原発事故の影響等をお尋ねいただきました。その都度、説明させていただきましたが、断片的ではなかなか詳しい状況が伝わらないことから、この場をお借りして、私事が中心となりますが、改めて震災発生時からこれまでの経緯と福島の現状を紹介させていただきます。 Ⅰ 震災について ○ 3月11日(金)  震災発生時、私は、行政書士会いわき支部がいわき駅前の複合ビル(ラトブといい、店舗、図書館、商工会議所等が入居する10階建の建物)の6階の大講堂において開催した市民公開講座(午後1時30分開始、参加者は、高齢者が主で約200人)において、「老後を安心に」というテーマで講師を務めており、1時間程講演をして任意後見に関するDVDを見てもらっていたところ、地震が発生しました。  地震は、3度にわたり強さが増し(震度6強、延べ3分10秒)、自力では立っていられない状態で、私は、講堂の奥に居たため、すぐに出られなかったので、近くの音声等の制御室に避難しました。このビルは、いわきでは最新の建物で、免震構造のせいか地震による揺れが私がこれまで経験したことがないもので、講堂内は、天井から可動式の照明の鉄枠が落下するとともに、スプリンクラーが壊れてその水があちこちから滝のように落下し、瞬く間に床は水浸しになり、深さは、足の踝まで達しました。机と椅子は、ぐちゃぐちゃに散乱してまさに足の踏み場もなくなっていました。  揺れが収まりつつあったので、私は、制御室から出て避難しようと講堂に踏み出したところ、老いた女性が逃げ遅れて机と照明の鉄枠に挟まれて動けなくなっているのを発見し、講堂の出口付近にいた行政書士会の方々を呼んで、その女性を救出し、講堂からやっとロビーに出ることができました。講堂のあるフロアで避難誘導していたビルの管理職員にこの女性を引き渡し、非常階段から屋外に出ました。後日談ですが、この女性は、講堂から救出した時点では意識がありましたが、当時としては止むを得ない状況ながら救急車や病院の手配が遅れて亡くなられたとのことでした。  いわき駅前は、建物外に避難した沢山の人で混雑し、余震が引き続いていたため、ほとんどの人がしゃがんでいました。妻が私の講演を聞きに来ていましたので、無事避難したかどうか確認するため、携帯電話を何度もかけ、メールも送信しましたが、繋がりませんでした。駅近くの自宅マンションに帰りましたが、妻は帰宅しておらず、自宅と駅前を何度も往復している中、奇跡的に妻からの携帯電話が繋がり、自宅マンション前で出会うことができました。  その後、妻と共に車で公証役場に向い、役場が入居しているビルの玄関にいた書記の無事を確認し、直ちに書記を帰宅させた後、役場事務室内の状況を確認したところ、パソコン・キャビネット等は、位置がずれただけで倒壊していませんでしたが、書庫内の帳簿等は、全て書棚から落下していました。役場が入居しているビルは、築40年以上ですが、建築当時、地盤が弱かったことから徹底した耐震工事をしたとのことで、建物自体は、損壊がありませんでしたが、敷地内の地盤が沈下し、地面と玄関階段とに約30cmの落差が生じました。  役場内の後片付けを翌日行うこととし、自宅マンションに戻りました。中の状況は、台所の食器棚の一部から飛び出した食器が破損していたり、家財道具の一部が転倒・移動していただけで、一番恐れていた妻が製作した陶器の陳列棚が大丈夫で、一つも破損していなかったのは驚きでした。この棚も含めて全ての家具等に転倒防止策と滑り止めをしていたのが効を奏したものと思われます。ただ、前日入れ替えたバスタブの水が多く残っていたことから、地震の揺れで洗面所などに溢れ出していましたが、これが後でとても役に立ちました。  この日は、水道は出ていましたが停電となり、暗い中、蝋燭と懐中電灯を頼りに片付けをして夕食を取りました。余震が絶え間なく続いて不安なので、着替えることなく、直ぐに避難できるよう、暖かくない炬燵に入って横になりました。 ○ 3月12日(土)  停電は解消しましたが、断水になっていました。昨日出ていた水は、マンションの貯水タンクに残っていたもので、気づくのが遅く、近くのスーパーに水を買い行きましたが、沢山の人が買出しに来ており、時既に遅しで、水も含めて必要な物を買うことができませんでした。とりあえず飲み水を確保するため、コンビニでロックアイスを買って当座をしのぐこととしました。洗面やトイレの水は、バスタブに残っていた水を活用することができ、大いに助かりましたので、これ以降、我が家では、常にバスタブに水を張っています。  携帯電話や固定電話では、私達の安否について子供達と連絡がとれないでいたところ、私のパソコンに長男(東京・世田谷在住)からメールがあり、ようやく連絡がとれました。臨月の長女(千葉・柏在住)のことが心配なので、息子に安否を確認してもらったところ、お互いに無事が確認できました。この後、他の親族にもインターネットによるメールで連絡することができ、インターネットの効用は、とても大きいことを実感した次第です。  午後から公証役場に行き、事務室及び書庫の片付けをし、書庫内のずれた書棚の位置を直すとともに、余震に備えて補強しながら散逸した帳簿等を確認して格納しました。  食事は、買い置きの食料品で間に合わせ、洗い物を出さないため、食器にサランラップを敷いて取りました  テレビには、東北各地の太平洋沿岸の津波による凄まじい状況が映し出され、言葉で言い表せないような映像に目が釘付けになるだけでした。  ※ 後で分かったことですが、この日、15時36分、福島第一原発の第1号機において核燃料の溶解による水素爆発がありました。 ○ 3月13日(日)  地元のラジオ放送で市が給水を行うこととその場所を知り、遅まきながら給水を受けるためのポリタンクを求めて、あちこちのスーパーやホームセンターに行きましたが、どこも水を入れるのに適した容器は売り切れで、窮余の策として、公証役場のごみ容器3個(1個30ℓ)の内側をビニール袋で覆い、役場近くの公園の給水場で給水を受けることができました。そこでは、給水を受けるための長蛇の列ができ、中には一人で沢山の容器を持って来て給水に長時間を要しトラブルになる場面もありましたが、手漕ぎのポンプを学生たちがボランティアで交代しながら動かしてくれ、助かりました。それでも給水の順番が来るのに約1時間待ちました。  市の広報車が「原発事故に伴う爆発のため、放射能が拡散しているので、できる限り外出を控え、どうしても外出する際は、外気に触れないよう帽子やマスクをするよう」アナウンスしながら巡回しました。さらに、市が原子力災害時用の放射性ヨウ素に対する予防薬として備蓄していた安定ヨウ素剤を配布するとの情報も入りました。 ○ 3月14日(月)  公証役場に出勤し、法務局や日公連等の関係機関で連絡の取れる所には状況を報告するとともに、今後の対応等について協議しました。当然のことながらその時点で予定されていた嘱託は、全部取り止めとなりました。  書記も出勤しましたが、当分仕事もなく、ガソリンが不足して車での通勤が困難なことから、しばらく自宅待機することとして、帰宅させました。  長男からインターネットでメールがあり、長女が無事娘を出産したとのことで、妻は、前々から生れたらすぐ長女の処へ行くこととしていましたが、高速道路、電車、バスとも、通行止めあるいは運休で身動きが取れないでいたところ、長男が仕事を終えてから東京から車で国道6号線を通って妻を迎えに来てくれることになりました。  ※ この日の11時1分、第3号機で水素爆発が発生しました。 ○ 3月15日(火)  長男夫婦が約6時間かけて明け方いわきに到着し、仮眠してから妻を乗せて長女のいる柏にとんぼ帰りしました。家族の思いやりや行動力に感心した次第です。  その際、長男から、東京では原発の爆発が大ニュースになり、大変なことになっているので、私も避難した方がいいと言われましたが、勝手に逃げ出すわけにもいかないので、自宅待機して様子を見ることにしました。  市の広報のせいか、市内は人通りが絶え、まさにゴーストタウンと化しました。原発事故に伴う風評被害もあり(いわき市の北部の一部だけが福島第一原発から30km圏内に入るにもかかわらず、いわき市全体がこの圏内と誤解されました。)、食糧品等の生活物資やガソリンがいわき市に供給されなくなり、断水も引き続き、日常生活の維持が困難となりました。市は、各公民館で被災者以外の市民に対しても飲料水と食糧を配給し始めました。  そこで、福島地方法務局と協議し、緊急避難的に公証役場の業務を一時休止することとし、その旨を役場に掲示した上、柏の長女夫婦宅に避難することとしました。  ※ この日の6時14分、第4号機が爆発により一部損傷しました。 ○ 3月18日(金)  16,17日は、自宅待機し、常磐自動車道が復旧開通したので(車のガソリンは、半分残っていました。)、長女の友人(柏在住)の母親を乗せて柏に避難しました。途中のいわき駅前の高速バス乗り場では、大きな荷物を持った人の長蛇の列がありました。高速道は、開通したものの、所々うねっていたり、片側通行規制がなされていました。  長女宅で初孫と初対面となり、いろいろと大変な中、大きな喜びと励みになりました。  柏でもガソリンが供給不足で、2時間待って10リットル入れ、翌日早朝から1時間待ってやっと満タンにすることができました。この後、ガソリンの残量が半分近くになったら常に満タンにするようにしています。  柏市の水道水から、基準値以下であるものの、放射性物質が検出されたため、乳幼児のいる家庭に通知があり、この通知書を持参すれば、1日20リットルを限度に給水してくれることとなり、以後、いわきに戻るまで、この給水への対応が私の日課となりました。 ○ 3月29日(火)  いわきの状況をインターネットで確認したところ、私の居住地域の断水が解消し、生活物資も供給されるようになったので、妻と共にいわきに戻り、翌日から公証役場の業務も再開しました。 ○ 4月11日(月)  これまでも度々余震が続いていたところ、午後5時17分、役場にいたときに震度6弱の余震がありました。また停電と断水も生じましたが、翌日解消されました。  自宅に帰る途中でも余震があり、車中での地震は初めてで、ゴンドラの中で揺れているような感じがして、電柱と電線の揺れが重なり不気味でした。信号が止まり、大渋滞の中、交差点を1台ずつ譲り合いながら通行する様に感激してしまいました。  大震災から丁度1か月の大きな余震は、せっかく復旧し始めた矢先のことで、被災地では特に精神的なダメージが大きかったと思われます。 ○ その後  公証役場が入居している建物は、市の社会福祉協議会が入っていることから、いわき市内の被災地救援のためのボランティアセンターとなり、4月の連休前から全国各地から大勢の人が訪れ、毎朝・夕混雑していましたが、9月末にはその役目を終えました。  5月の連休明けから、市内の人通りと車が増え始め、駅前のビジネスホテル等が満杯となり、営業不振で休業していたホテルも再開しました。これは、原発事故対応等のため、東電関連の企業の従業員が全国から集まり、様々な面でキャパシティがあるいわきを拠点としているためとのことでした。毎朝・夕には、従業員の人達がホテル前に集まり、コンビニで弁当を買って迎えのバスで福島第一原発(通称「フクイチ」又は「F1」と言われています。)に赴き、作業を終えてホテルに戻った後、夕食等のため飲食店を多くの人が利用していることから、特に駅前の飲食店街は、新規の居酒屋が開店するなど賑わっています。この状況は、今でも変りありません。  福島第一原発から20km圏内と圏外でも北西の一部地域が居住制限区域等に指定されたことにより、現在、県内の会津地方や県外に避難していたそれらの地域の住民が、同じ浜通りで放射線量が低く、気候風土も似ているいわき市(人口約33万人)に流入しています。その数は約2万4000人にのぼり、特に、いわき市の平地域には、様々な面でこれを受け入れられる余地があったことから、資力のある人は、仮設住宅に入らずに賃貸住宅に入居したり、ニュウータウンの物件を購入したりして、今では市内の賃貸物件と宅地・建物の売り物件が出尽くしたと言われています。また、震災で更地になったまとまった土地には、コンビニやホテルが建ち、新築マンションも計画されています。  これらにより街が活気づき、経済効果もありますが、一方では、人口増加によるごみ処理、医療機関の混雑や医療費の負担の問題が生じ、避難住民の自治体のいわゆる「仮の町」構想(役場所在地をいわき市に置き、避難住民への支援等を行いながら、その帰還を図ろうとするものです。)への対応の必要があります。いわき市では、できる限りその構想に協力して復興住宅を建設するなどしながらも、市独自の将来構想や財政事情もあって対応に苦慮しているようです。  また、同じように仮設住宅に入居していても、原発地域でない津波による被災者と原発地域の避難者とでは、補償金や損害賠償金が大きく異なることから、両者間でのいわゆる「やっかみ」的な軋轢により、心無い落書きなどトラブルが生じています。どちらも自分のせいではなく、だれも悪いわけではないので、やるせない気持ちになります。  福島県の昨年の選挙で、郡山、いわき、福島の三大市の現職市長が新人に敗れました。これは、行政に対する住民の震災復興・原発事故対応への不満や新たな首長に対する期待等が反映された結果と思われます。  県内では、震災の復旧・復興に当たり、原発地域のみならず様々な地域で原発事故が大きな障害となり、津波による瓦礫の撤去もできない地域があるなど、他県とは異なる問題を抱えていることから、道半ばと言わざるを得ません。  いわきでは、「がんばっぺ!いわき」を合言葉にして復旧・復興に取り組んでおり、特に、いわきの観光のシンボルである「スパリゾート・ハワイアンズ」では、フラガールの全国キャラバンなどもあり、施設内に新たなホテルもオープンし、利用客が震災前以上に増えたとのことです。  ※ 福島県の太平洋岸(160㎞)における津波は、5m~21m(推測)に達し、福島第一原発では、14メートルでした。   福島県の震災・原発事故による被災状況(平成26年2月28日現在)    死者:1607人(いわき市310人)    行方不明者:207人(いわき市37人)    震災関連死:1664人    避難者数:13万3584人(県内8万5589人、県外4万7995人)    仮設住宅入居者:2万8509人 Ⅱ 原発事故について ○ 福島第一原発の事故発生直後の経緯   3月11日   14:46 地震により1~3号機が自動停止   15:42 1~3号機で全ての電源が喪失   16:36 1、2号機で非常用炉心冷却装置による注水が不能   19:03 政府が原子力緊急事態宣言を発令   21:23 総理大臣が半径3km圏内の避難及び3km~10km圏内の屋内退避指示を発令  3月12日   05:44 半径10km圏内の避難指示発令   10:17 1号機でベントを開始    15:36 1号機で水素爆発が発生   18:25 半径20km圏内の避難指示発令   19:04 1号機への海水注入を開始     3月13日   05:10 3号機で冷却機能が喪失    3月14日   11:01 3号機で水素爆発が発生   13:25 2号機で冷却機能が喪失  3月15日   06:14 4号機が爆発により一部損傷   11:00 半径20km~30km圏内の屋内退避指示を発令  3月16日   05:45 4号機の建屋4階部分で火災発生   3月17日   09:48 3号機でヘリにより使用済燃料プールへの散水を開始  3月25日   11:46 内閣官房長官が半径20km~30km圏内の住民の自主 避難を促す。  3月30日 東京電力が1~4号機の廃炉を表明  4月 2日 2号機取水口付近から高濃度汚染水の海洋流出を確認  4月12日 事故の深刻度が国際評価尺度で最悪のレベル7とされる。  4月22日   00:00 半径20km圏内を立入り禁止の警戒区域に設定、圏外でも計画的避難区域、緊急時避難準備区域を設定   09:44 半径20km~30km圏内の屋内退避指示を解除 ○ 福島第一原発の現状等    1号機:炉心溶解、建屋水素爆発、原子炉建屋上部の瓦礫撤去のため建屋カバー解体へ   2号機:炉心溶解、原子炉建屋内の放射線量が高いため、遠隔操作のロボットによる調査中   3号機:炉心溶解、建屋水素爆発、原子炉建屋上部の瓦礫撤去が完了、核燃料取り出し用の建屋カバー設置へ    4号機:建屋水素爆発、使用済核燃料プールから燃料移送開始   5・6号機:2014.1.31付けで廃止を決定し、廃炉に向けた研究施設として利用  今後、4号機については、2014年末に核燃料移送を完了し、1~3号機については、2015年から順次、プールから使用済核燃料の取り出しを開始、2020年から原子炉内の溶解燃料の取り出しを開始、それらを了した後、全号機の施設を解体し、2040~50年頃廃炉を完了する予定です。  福島第一原発では、サッカーJリーグのJヴィレッジを拠点として毎日約3000人の作業員が、高濃度の放射線量の中、これらの作業等に従事していますが、汚染水の流出等の様々の問題や事態が発生し、その度に東京電力の対応が非難され、果たして予定どおり原発事故の収束に向うのか心配です。 ○ 放射性物質、汚染水の問題  原子炉建屋の水素爆発や格納容器の破損を防ぐため蒸気を意図的に外部に出すベントにより、放射性物質が大量に放出されました。当時の原子力安全委員会によれば、その量は、甲状腺被曝に関係するヨウ素131が13万テラベクレル、肉や野菜などの汚染で問題となるセシウム137が1万1000テラベクレル(ヨウ素131に換算すると44万テラベクレル)に達すると試算されましたが、匂いも色もない極小粒子で、単位が理解できないことから、正直なところ、量的なイメージや具体的な危険性が計りかねます。多くの人々、特に幼い子供を抱える家族が、それが故に不安になり過剰な意識を持ってしまうのも止むを得ないものと思います。  この放射性物質は、福島県では、当時の風で北西方向に運ばれ、不適切な情報管理・提供、連絡体制の不備から、原発地域の住民は、その方向に避難してしまい、混乱する中で病院に残された多くの高齢者が死亡するなどの悲劇が生じました。15日には、大気に漂う放射性物質が北風に乗って関東に運ばれ、雨によって地表に落下し、局所的に放射線量が高いホットスポットができました。  放射線量は、今ではかなり減少しているものの、注意を怠らないため、福島県内全域で放射線量を常時測定し、地元の新聞紙上に毎日数値を掲載しています。  また、原子炉を冷却するため常時注水している高濃度の汚染水と1日約400トンの地下水が原子炉建屋に流入していることによる汚染水の処理とともに、これが海へ流出することが問題となっています。東京電力の場当たり的な対応もあり、政府としては、国が関与していくことになりました。この処理策と防止策が急務となり、汚染水から放射性物質を取り除く設備の増設、汚染水を溜めるタンク群(現在1000基)の敷地の確保、タンクの不具合による汚染水漏れ、地下水の流入を食い止める凍土遮水壁の設置等のため、多大の時間と予算を費やすことになりますが、その進捗と効果は、不透明と言わざるを得ません。 ○ 避難状況等  原発事故により住民の避難等を余儀なくされた地域は、11市町村にお よび、現在、放射線量の状況に応じて、事故後6年間は戻ることができない「帰還困難区域」(年間被曝放射線量50ミリシーベルト超)、除染や社会基盤整備などを進めて数年内に帰還を目指す「居住制限区域」(同線量50ミリシーベルト以下20ミリシーベルト超)、早期帰還を目標とする「避難指示解除準備区域」(同線量20ミリシーベルト以下)に区分されています。  ※ 20ミリシーベルトは、国際的な許容基準とのことです。  原発事故による県外への避難者が相次ぎ、住民票を県内に残したままのケースを含め現在も約5万人(46都道府県すべてに及ぶ。)が福島を離れていることから、200万人を超えていた福島県の人口は、約195万人に減少しました。  この避難は、期間が長期化するにつれ、家族と地域の分断化をもたらしています。家族については、これまで一緒に生活していたのが仕事や居住スペースの関係でバラバラにならざるを得ず、引いては家族間の対立まで生じています。また、地域については、帰還を目指す人と諦める人とが明らかに分かれ、これまでのような自治体として維持していけるのかが問われています。  帰還を促進するためには、除染が欠かせませんが、年間被曝放射線量を1ミリシーベルトとする基準をクリアするには、長期的目標としながらも、どこまで行うか、人員の確保などの課題が多く、なかなか捗りません。また、除染により生じた大量の汚染土や廃棄物を最長30年間保管する中間貯蔵施設の建設予定地の選定も難航し、除染が捗らない一因となっています。  除染のみならず、生活基盤の整備が不可欠ですが、荒れた家屋や農地を元に戻すことには、行政による推進は勿論のこと個人的にも多大の気力と労力を要します。  ※ 1ミリシーベルトは、我が国の自然被曝放射線量の全国平均0.99ミリシーベルトによるもので、国際的には、世界の自然被曝放射線量の平均が2.4ミリシーベルトであることから、厳しすぎるとの見解があります。 ○ 風評被害  放射線量が事故直後に比べて大幅に低下しましたが、低線量とは言えそのリスクが多くの人を不安にさせ、健康影響について科学的知見が定まっていないこともあり、原発事故当初は、その不安等が増幅して、放射線量が極めて低い地域なのに福島に行かないとか福島で作った農作物や福島の漁港で水揚げされた魚介類は食べないという事態になり、福島の観光や農漁業は大打撃を受けました。  今では、県内で収穫された米を始めとする農作物は、流通する前に農協等で放射性物質の有無を検査し、放射性セシウムの濃度が国の規制値(1kg当たり100ベクレル)以下であることを確認の上(ほとんどが検出されていない。)、出荷しているので、これまでのように福島というだけで売れない又は売値が下がることは、かなり解消されるようになりました。見方によっては、全部検査済の物を出荷しているので、福島県産の物が一番安全と言えるかもしれません。  県内の観光地も福島を応援しようとする人達が積極的に訪れてくれ、観光客が戻りつつあります。昨年、研修同期会を東北で開催することになっていたところ、福島でやることになり、飯坂温泉に全国から集まっていただき嬉しく思いました。  漁業は、汚染水の海への流出が問題となり、漁ができない状況でしたが、昨年から試験操業を始め、放射性セシウムが国の規制値を下回る魚介類が増え、県漁連は、規制値より厳しい独自の基準(50ベクレル以下)を設け、水揚げした魚介類ごとに検査して出荷しています。市場の信頼感も回復しつつありますが、中には基準を上回る魚もあり、特にいわき沖にその例が多く、「いわき七浜」と言われる優れた漁港と漁場がありながら、そこで獲れるめひかりや柳下かれいなどの美味しい近海物が食べられないのが残念です。  風評被害の解消に当たっては、放射性物質等に対する意識を変えるための「心の除染」が必要と唱える方もいます。 ○ 原発について思うこと  福島第一原発の事故については、各方面でその原因等の調査・検証がなされましたが、未だ溶解した原子炉の核燃料の状態が確認できず、廃炉に向けた作業も予定どおり行われるかどうか計り知れません。  政府は、新たにできた原子力規制委員会の検討結果と地域住民の賛同を得て休止している原発の再稼動を行う方針ですが、本当に安全を確実なものとし、それが万全に担保される態勢でなければ再稼動すべきでないと思います。  国民生活や経済活動の維持のため、安定した電力の確保が必要なことは分かりますが、一方、原発事故により一夜にして普通の生活を奪われ、何万という人々が居住している所から避難を余儀なくされるだけでなく、拡散する放射性物質による影響を考えると、再稼動に慎重な意見にならざるを得ません。  福島で原発事故により大変な思いと苦労をされている方々を目の当たりにしていると、人間が作った装置でありながら、自然災害により人間がコントロールできなくなるような装置は、利用すべきでないとの思いが強まります。 Ⅲ 公証業務について  私は、震災前の平成21年7月からいわき公証役場で公証業務を執り行っていますが、平成23年の震災直後の状況では、これまでどおりいわきで公証業務を続けていくことができないのではないかと覚悟しました。通常であれば嘱託が多い3月は10日間しか勤務できず、4月は過去最小の嘱託件数でした。  しかし、5月頃から徐々に嘱託が増え始め、平成23年の嘱託件数は、前年比約10%減にとどまり、平成24年は前年を上回り、平成25年は過去10年で最多の嘱託件数となりました。  平成24年6月には、事実実験公正証書作成のため、福島第一原発の敷地内に赴き、全身防護服と全面マスクを着用して線量計が高濃度を示す中、所要の調査を行うなど、大変貴重な経験をしました。  前述したようにいわき市の人口増加とともに、震災等の復旧・復興のための予算と事業の需要が膨らんでいることが公証業務の増加に繋がっています。特に、事業の許認可や補助金のため、新たに会社を立ち上げて事業の受け皿になろうとする動きが加速し、これに伴い定款の認証が増加しています。その事業目的は、復旧・復興の動向を反映して産業廃棄物、土木・建築、放射線・除染、介護に関するものが多くなっています。また、人口の増加に伴い遺言や任意後見、各種契約の公正証書作成が増えています。  最近では、原発事故による東京電力の財物補償の関係で、相続登記未了の不動産に係る損害賠償契約を公正証書で作成するなど、福島県ならではの嘱託があり、原発事故による損害賠償請求権に関することを盛り込んだ遺言公正証書の作成もあります。  公証業務に関する相談が増え、それに直結しない様々な相談もありますが、できる限り相談者や嘱託人の親身になり、懇切丁寧な対応に心がけながら、少しでも地域住民の皆様のお役に立てればと思っております。 (福島県いわき市在住、平成26年3月11日記)  ]]>

民事法情報研究会だよりNo.4(平成26年2月)

 余寒厳しき折柄、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。  さて、当法人成立初年度もあと1か月余を残すだけとなり、そろそろ本事業年度の決算をし、次期年度の計画を検討する時期となりました。今期は理事一同不慣れの中で、手探りでの法人運営でしたが、次期年度からは各地域担当の理事5名を増員するなど、徐々に体制を整備し、活動の充実を図っていきたいと考えております。今後とも会員の皆様のご支援・ご協力をお願いいたします。  本号では、小林理事の「キョウイクとキョウヨウの生活」と、会員の近況を紹介する一環として、高渕秀嘉会員からご寄稿いただいた随想「碁とスペイン語が出会うところ」を掲載いたします。(NN) ******************************************************************************************* キョウイクとキョウヨウの生活(理事 小林健二)  間もなく現役生活ともおさらばできそうだ。仕事から解放される日が来ると心積もりはしてきたつもりではあるが、いざ目前になると、縛られない世界に入っていくことにいささか戸惑いを感じている。勿論、これまで、家内任せにしてきた親の介護、二の次にしてきた田舎の家と墓の管理等は当然に本業になってくることは分かっているが、以前は、せめて開放された世界に飛び込むわけであり、第二の人生これからと大上段に、あれこれ考えたものである。  しかしながら、今では、身体のあちらこちらが悲鳴をあげているようであり、段々その気力も衰え、まず言い訳をしたくなる自分に気づく。仕事と飲むこと以外に何もしてこなかった者に、その付けが回ってきたということであろうか。  これまでも、来るべきときに備えて、皆さんがどんなことをして、あるいはどんな思いで、過されているのか、それを参考にすることが一番と思い、暇を見つけては、「老後を如何に生きるか」というようなセミナーに参加したり、「田舎暮らし」、「老年の品格」、「死ぬという大仕事」等老後の生き方を題材にした本を読んだり、一応情報収集に努めてみたが、なるほどと感じられるようなものは何もなく、どれも看板倒れであった。覚えていることといえば、「絵でも、写真でも良いが、社会との係わりを持つことが大切である。」くらいである。      ところで、退職して失うものは、「居場所と生きがい」、得るものは「自由と時間」といわれている。いずれにしても、仕事からの解放であり、それ程深刻な話ではないと思っていたが、どうやってこれからを過していくかということは、案外楽になるようで、そうでもないことに気づく。解き放たれるということは、一見素晴らしい世界に身をおくことに見えるが、なんと難しいことであろうか。取りあえずは、地域デビューを果たし、そこで、何か見つけることから始めることになるのかなというところに落ち着きかけていた。  こんなことを気にしながらの年明けに、あまり気に止めていなかった年賀状が、今年は、俄然と興味を引くものとなった。そこには、現役を退いた後の生活状況がびっしりと記載されているものが数多くある。皆さんもおそらく同じような年賀状を受け取られたのではないかと思うが、そのパワーに圧倒される。大学院進学、講演会活動、執筆活動、各種資格取得と凄い。中には、外国で英会話学校に入学し、お正月はその国で過す予定というものもあり、そこまでやるのかと、その向上心と行動力に圧倒される。いずれにしても、年賀状からは、第二、第三の人生を、実に生き生きと活動されている様子が伺え、うらやましい限りである。自らリセットし、全く新しい人生に踏み出すパワーはどこから出てくるのであろうか。私も、見習いたいが、そこまでの自信はない。  ただ、一番、納得したのは、「キョウイク(教育ではない、今日行くところがある。)」と「キョウヨウ(教養ではない、今日用事がある。)」で日々を送っているというのであった。この用語は、新聞のコラムに出ていたと記憶しているが、当面、これでいくことになるのだろうか。  さて、昨年発足した本会の初めての総会が無事に終了した。発足後の経緯は、総会の席上、野口会長が説明されたとおりであるが、この団体の活動内容は、まだまだこれからであり、今後に委ねられている。OBが半数を占めている状況を踏まえると、少なくとも退職した者の生きがいにつながる企画は最低限必要であろう。「私は、こんな充実した素晴らしい毎日を送っている。」と発表してもらえる方が多くいらっしゃるはずである。何かの機会に、是非紹介していただきたいものである。   随想「碁とスペイン語が出会うところ」(高渕秀嘉) 1 はじめに   私は平成15年2月1日、それまで10年間勤めさせていただいた掛川公証役場公証人を退職した。あれから丁度11年。この長い、しかし時にはとても短いようにも感じられ月日を振り返ると、私の場合、趣味の囲碁と公証人時代に始めたスペイン語の勉強、この2つを軸に経過して来たように思える。  碁については語るべき事は少ない。覚えてから半世紀以上にもなるが、その間、師匠に付いたことも専門書でしっかり勉強したこともない。対局を楽しむだけの御多分に漏れないザル碁で、退職後も一向に上達しない純粋の趣味である。  一方の「公証人時代に始めたスペイン語」とは何か。これも暇な公証役場で時間を持て余し始めた趣味道楽の類だろうと誤解され易い。実は、公証役場のちょっとした接遇を考える中で出会った外国語である。そしてこの言葉の学習は、公証人退職後も法務行政に関係する私のボランティア活動を可能にし、最後には、囲碁という私の趣味をボランティア活動の場に導いてくれた。  以下、一寸変わった挿話として読み捨てていただければ幸である。 2 公証役場でスペイン語に出会う  静岡県西部には浜松市を中心に、ブラジル(ポルトガル語圏)その他の中南米諸国(スペイン語圏)から働くために来日した日系外国人が多数定住している。掛川市も例外ではない。公証役場は彼らの訪問を時々受ける。帰国後に本国で二重に課税されることを避けるために、勤務先から交付を受けた所得税の源泉徴収票について、帰国前に、公証人の認証を受けることが主な目的である。来訪者は比較的みな若く、公証役場は初めてに違いない。例外なく緊張した面持ちで事務室に入ってくる。彼等にせめて挨拶程度の言葉だけでも、その母国語で当方から声を掛けてみたらどうだろうか。ある日ふとそう思い付いた。早速簡単なスペイン語会話入門書を購入し、恐る恐る試してみた。「オラ」(今日は)。来客者は破顔一笑、たちまち緊張がほぐれる様子が見て取れた。感動した。挨拶の言葉から少し進めて簡単な質問のフレーズを次の来客に試してみる。今度は微笑と驚きの表情。このような反応の日々の積重ねに後押しされる感じで、私は毎週1回午後6時開講の初級スペイン語講座(NHK文化センター浜松教室)に通い始めた。公証人を拝命して5年目、仕事にも多少慣れた平成10年のことである。  スペイン語は我々日本人にとって発音し易い言葉であることと、勉強が進むに従い来訪者とより複雑な会話ができる喜びを知り、上記の講座には、出張遺言の場合以外は欠かさず熱心に通った。御蔭で勉強を始めてから4年目に、スペイン語技能検定試験3級に合格することができた(文科省認定。6級に始まり1級まである。3級は英検の準1級程度と言われている)。  スペイン語の勉強は、公証実務そのものにも少し反映させることができた。近くの磐田市に本社を置くヤマハ発動機が持ち込む中南米向けの外国文(スペイン語)私署証書認証については和訳の参考添付を不要とし、又公証人の日本語の認証文に慣行的に併記する英語の訳文は、スペイン語に切り替えた。 3 公証人退職後の翻訳ボランティア  スペイン語の勉強は公証人退職後も続いた。続ける必要もあった。なぜか。退職前年の平成14年、設立間もない「掛川国際交流センター」というNPO法人が発足に当たり、外国語通訳・翻訳ボランティアを公募したが、私はこれに応募して受け入れられたからである。私が引き受けた内容は「市民から依頼のあった日本の戸籍、婚姻証明書等の法律文書のスペイン語訳又は英訳。逆にスペイン語又は英語の出生証明書(婚姻要件具備証明)等の法律文書の和訳」であった。この分野では法務省・法務局出身の私以上の適任者はこの街にはいない筈という秘めた自負心もあった。退職後の私に実際に委託された翻訳案件は、上記のような言わば高度の法律文書だけではなく、市行政の各セクションから外国人個人宛の各種通知・督促文や一般的な広報文書のスペイン語訳も多かった。  この掛川国際交流センター(略称KIC)は、外国籍市民を対象に、日本語教育や日本社会への適応のための各種支援・相談業務を主な事業目的として、周知の「特定非営利活動促進法」に基づき設立された法人である。市からの財政的補助もあり、その事務所は掛川市役所庁舎内に置かれている。  私の翻訳ボランティア活動は、平成15年から20年頃まで高水準で続いたが、その後私に対する翻訳依頼は漸減した。背景には、在日期間も長期になり高度な日本語も読み書きできる外国人が増加した結果、その中から優秀な時給の翻訳・通訳(各言語毎に)アルバイターを市当局が長期に雇用するようになった事情がある。 4 「囲碁国際交流の会」― 碁とスペイン語の出会い  こうして私がスペイン語学習を続ける意味や意欲を失いかけていた時期の平成20年、大変驚いたが幸せな「事件」が起きた。スペイン語と趣味の碁の双方を同時に生かすことができるボランティア団体を知り、これに加入できたのである。  団体の名は、これも国際交流にかかわるNPO法人の「囲碁国際交流の会」。このような団体があることを私に教えてくれたのは、国際協力機構(JICA)のシニア派遣ボランティアで、囲碁の普及のためチリーで前年まで活動され掛川市に帰ってきた方である。  さて、この「囲碁国際交流の会」は、主にラテンアメリカ諸国の市民・学生に対し,囲碁の交流及び普及に関する事業を行い,日本の伝統文化の普及と国際親善に寄与することを目的」(同法人定款)として、平成18年に設立された。主にラテンアメリカ諸国なかんずくスペイン語圏における囲碁普及のボランティア活動を目的としてきたところに特色がある。会のスペイン語名はSociedad de Intercambio Internacional de GO(略称SIIG)。会員数・現在約100名・退職者が多い。事務所所在地・埼玉県ふじみ野市、会の名誉顧問として数名の日本棋院及び関西棋院高段者を擁する。年会費5千円・入会金なし。HP:http://igokokusai.web.fc2.com/  設立後現在まで、中南米諸国を主にしつつも、隣の中国を含め13か国に計20回、囲碁対局を中心にした文化交流団を毎年派遣している(多くの場合JICAから若干の助成金が交付されている)。  私も、このNPO法人に加入した平成20年には、早速キューバ派遣団に妻と共に参加。妻は囲碁対局場の傍で開設の日本の折り紙教室のお手伝いをした(他に習字、茶道教室など)。初めての社会主義国訪問であり様々なことを深く考えさせられる旅行となった。その後もメキシコ次いでアルゼンチン・チリーへの派遣団に参加。日本人に友好的な中南米の人達との様々な交流は勿論であるが、公式日程を終えた後のテオチワカンやイグアスの滝観光、アルゼンチンからチリーへ向かう長距離バスのアンデス越えなども、生涯忘れ得ない思い出となった。  ここで誤解のないように付け加えて置きたいのは、この会の入会には、スペイン語の素養は必要ないということである。世界共通ルールの囲碁(GO)というゲームを楽しみながらの集団的な交流が中心である。碁の指導など改まったことを行う場面では、同行の専門棋士や特定の高段会員が大盤などを使って通訳付きで行う。極論すれば最低限、対局開始前と終了後に軽く頭を下げるか握手するだけで足りる。もし対局後の検討を相手が望む場合は、盤上の石を無言で動かしたり置き変えたりで相当程度可能である。言葉は知っていれば好ましいけど必要条件ではない。ちなみに、スペイン語の「できる」人は、約100名の会員中10数名程度。通訳が必要であれば、この人達にお願いすればよい。私の場合は通訳なしで大方通じているらしいということで個人的に喜んでいる訳である。会員の棋力も10級から7段まで幅広く分布している。決して碁のエリート集団でもない。「碁を楽しみながら旅行社丸投げでない海外旅行もしてみたい」という方は入会資格ありである。碁好きの各位におかれても一度検討されてみたらいかがでしょうか。 5 おわりに 異分野の人達との触合い  このNPO法人「囲碁国際交流の会」に入会して早くも5年が過ぎた。会員は夫々、これまでの人生で養われた様々な識見、知識、技能などをお持ちである。私にとっては、このような法務分野以外の人達から色々な新しい刺激を受けた貴重な5年間であった。日本は、譬えは悪いが、尻尾の隅々まで餡子の詰まった美味しい鯛焼のように、どの周縁地域や分野にも人材が豊に存在する社会であることを知った。長年のスペイン語の勉強が少し役に立ったという個人的な喜びとともに、日本の底力の一つのあり方を改めて誇らしく感じた次第であった。  「一つのことを長くやって来て良かった」。御依頼を受けたこの拙文を書き終えて、今年喜寿を迎えた者が呟いた独り言である。  碁の上達も願いながら最後に蛇足の一句    「あと一段階(きざはし)上れ喜寿の春」]]>