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民事法情報研究会だよりNo.42(令和元年12月)

 初冬の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、12月14日開催の後期セミナーでは、中央更生保護審査会委員長(元法務省民事局長)の倉吉 敬先生に講演をお願いしておりますが、演題は「行政は運動神経~法務省思い出噺~」となります。(NN)

今 日 こ の 頃

   このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

  所沢・さいたま(西川 優)  

 所沢市に居住して7年半になりますので、所沢のことを少しご紹介します。
 以前、さいたま市南区に2年ほど居住したことがあり、通算すると10年弱、埼玉県人であることになりますが、さほど、埼玉県のことについて詳しくはありません。埼玉県は何となく地味なイメージがありますが、最近、映画「翔んで埼玉」、「のぼうの城」がヒットし、また、史跡・名産品等ではもっとメジャーになれるものが多くあると感じています。
 これまでは、あまり県内の史跡等の探訪ができなかったので、これから、すこしずつ、探訪したいと思っています。

1 所沢市の交通機関

 所沢は、埼玉県南西部に位置し、東京都清瀬市、東村山市、武蔵村山市と接しており、所沢駅から一駅で東村山市であり、東京と近接しています。
 所沢駅は、西武鉄道が新宿から本川越までの「西武新宿線」と池袋から飯能・秩父までの「西武池袋線」で乗り入れており、また、「JR」は武蔵野線の東所沢駅があります。新宿まで約30分、池袋まで約20分で行くことができます。
 所沢駅では、東京方面に向かう西武新宿線の新宿行と西武池袋線の池袋行の電車が同じ方向に向かわず、逆方向に進行しますので、最初は戸惑うことがあります。
 最寄りの公証役場としては、西武新宿線沿いに新宿、高田馬場、川越、西武池袋線沿いに池袋、練馬、秩父の各公証役場があり、交通機関沿いではありませんが、近隣に立川公証役場があります。
 公正証書の作成等にあたり、急ぐもので時間的に処理することが困難な事案は川越を、外国文の私署証書は練馬を紹介していました。また、遺言については、相談から遺言書作成までの間に遺言者が近接の東京の病院に入院することがあります。この場合、改めて、東京の公証役場に依頼するか、外出許可を得て来庁していただいて作成することになります。

2 所沢市内等

 東京から交通至便の位置にあることもあり、人口が30数万人で埼玉県で4番目の規模にもかかわらず、所沢駅周辺にビジネスホテルが1軒ほどしかなく、また、百貨店・デパート、イオン、大型書店等が余りありません。駅周辺は、タワーマンションが林立し、現在も建設中です。当方の週末の買い物は、入間市・武蔵村山市のイオンを利用しています。
・ 航空記念公園・西武ドーム
 所沢に何があるかと問われたときは、「航空記念公園」と「西武ドーム」と説明します。
 「航空記念公園」は、所沢が日本の航空発祥の地として、米軍所沢基地の返還に伴い整備された公園で、飛行機が展示された記念館、テニスコート、野球場、サッカー場、野外ステージ等がある広大な公園で、週末には家族連れで賑わっています。公証役場は、この「航空記念公園」沿いにあり、西武新宿線の「航空公園駅」から徒歩10~15分程度のところに在ります。この「航空記念公園」を挟んだ反対側にさいたま地方法務局所沢支局があり、時々、来庁者が間違われるようです。また、「西武ドーム」は、プロ野球西武ライオンズの本拠地球場で、周辺には、遊園地、ゴルフ場、狭山湖があります。当方の子供、孫が遊びに来たときは、「航空記念公園」を案内しています。
・ 名産・特産
 地名「所沢」は、古くは山の芋を意味する「野老沢」と表記されていたそうですが、それが名産とは余り聞くことはなく、うどん、焼き団子などが名産と言われていますが、お土産品として利用するには今一つというところです。
 埼玉県には、甲府のブドウ、静岡のミカンというような名産品が思い浮かびませんが、浦和の鰻、草加せんべい、深谷ネギ、川越のサツマイモ、狭山・入間の狭山茶、東松山の焼き鳥などは比較的に知名度があると思います。最近は、パワースポットとして三峯神社・秩父神社がある秩父が注目されており、わらじカツどんが名物になりつつあります。埼玉県は市町村数が日本一であり、その市町村ごとに名産がありますので、今後、注目され、ブームになる名産品が現れることを期待しています。
・ 史跡等
 所沢には、小手指(こてさし)という地名と駅があり、小手指ヶ原という古戦場の碑があります。新田義貞と鎌倉幕府軍の戦場となり、新田義貞が勝利し、鎌倉入りしたことから鎌倉幕府が滅亡したと「太平記」に記されているそうです。
 埼玉県には、「埼玉(さきたま)古墳群」、「吉見百穴横穴墓群」などの多くの古墳があり、奈良時代には高麗人・百済人が入植しています。また、武蔵武士は平氏でしたが、源頼朝の旗揚げ時から源氏に被官し、熊谷氏・畠山氏・河越氏・比企氏など鎌倉幕府を支えた武士を輩出し、現在、地名・史跡として残っています。このように、古くからの歴史を有する県は、東日本には少ないものと思われます。

  信託で心多苦(心がクタクタ)(栁井康夫)  

第1信託契約

 4月某日、当公証役場に初めての信託契約の公正証書作成の依頼があった。委託者は福知山市在住の両親(以下、「甲」「乙」という)、その所有する財産(父所有の不動産、父母各自の預金)を信託財産として、神奈川県在住の息子を受託者(以下「丙」又は「受託者」という)、受益者は甲と乙として信託契約を締結するという内容で、詳細な信託契約書案がメールで送信されてきた。
 当初の信託目的は、第1条(信託の設定)委託者甲及び乙は、受託者丙に対し、次条記載の信託の目的を達成するため、第3条記載の財産を信託財産として管理、運用及びその他当該目的達成のために必要な行為をすることを信託し、受託者丙はこれを引き受けた(以下「本件信託」という。)。第2条(信託の目的)「本件信託は、受託者による資産の適正な管理・保全・運用を通じて、受益者の生活・介護・療養・納税等に必要な資金を確保及び給付するなどして、受益者が長寿天寿を全うできるように安全かつ安定した生活及び福祉を確保するとともに、資産の有効活用を図り、円滑な資産の承継を目的とするものである。特に、受益者の健康の回復が見込めなくなったときには、受益者に肉体的及び精神的苦痛を与えることのないように、医療関係者、介護関係者等の協力を仰ぎながら、自宅またはケアハウス等において、穏やかに天寿を全うできるよう、必要に応じて緩和ケア等を行うために、最善の福祉を確保することとする資産を活用することとする。」(原文のまま。)とあった。
 丙からの聴取では、将来介護施設等に入るような状況になったら、土地建物を売却してその費用を甲又は乙のために充てることができるように信託契約を設定したいとのことであった。
 丙は、独自に書籍やインターネット上の書式等を調査して、信託契約書案を起案したとのことである。
 甲の不動産の信託について、受益者を甲とすれば課税されることはないが、信託不動産の所有者以外の乙を加えると、甲から乙に贈与されたとみなされ課税されるおそれがあることを丙に伝えたが、それでもよいとのことであった。
 信託を、甲と丙、乙と丙の2つの信託として信託契約書を作成することとし、信託の目的を次のとおり変更した。

第1条 (信託の設定)
 委託者:甲と乙は、受託者:丙に対し、令和元年○月○日、第2条記載1及び2の信託の目的を達成するため、第3条第1項記載の不動産及び同第2項記載の金融資産を信託財産として管理処分することを信託し、受託者丙は、これを受託する。

第2条(信託の目的)
(1) 甲信託
 甲所有の信託不動産及び信託金融資産を信託財産とし、これと乙が所有する下記信託財産とを一体とする適正で有効、かつ、効率的な管理運用及び処分を行い、受益者甲の住居の確保と生活費の確保を図ることにより甲の幸福な生活と福祉の確保を図ることを目的とする。
(2) 乙信託
 乙所有の信託金融資産を信託財産とし、これと甲が所有する下記信託財産とを一体とする適正で有効、かつ、効率的な管理運用及び処分を行い、受益者乙の幸福な生活と福祉の確保を図ることを目的とする。

第8条(受益者及び受益権)
 本信託の受益者は、委託者甲及び乙である。
1 甲及び乙の受益権の割合は、甲が2分の1、乙が2分の1とする。ただし、受益者各々の身体能力低下の度合いによって、受託者と各受益者又は受益者代理人が協議して受益権の割合を変更決定することができるものとする。
2 本信託の受益権は、相続により承継せず、第1項記載の受益者の一方が死亡した場合は他方の受益者がすべてを取得する。
(金銭・追加信託)
 甲は、土地、建物(自宅)と預金、乙は預金のみとし、当初の現金は、0円とし、現金は、丙の指定する金融機関の口座に追加信託することとして、「次条の金融資産受託用銀行口座への入金により追加信託するものとし、当該入金の事実をもって追加信託の合意があったものとする。」と記載されていた。委託者が追加信託すること自体は、問題ないが、将来、委託者の判断能力に問題が生じた場合に、信託の追加の是非を判断することができないことになるので、この条項を次のとおり修正した。「委託者所有の次の(1)~(4)の金融資産については、委託者から受託者に対する書面の通知により金銭を下記金融資産から追加信託することができる。追加信託については、受益者の身体能力低下の進行に伴い、受益者代理人と受託者が協議の上、適宜行うことができるものとする。」。また、信託当初の現金を信託しないと、信託の登記費用等をまかなえない旨伝えたところ、各金50万円信託するとの指示があった。
(信託専用口座)
 信託専用口座を、「前条2項の金融資産受託用銀行口座は受託者丙名義の次の1の口座とし、必要に応じて1の口座から2の口座とも本件信託の専用口座とする。口座の記載略」と表記していた。倒産隔離機能のある信託専用口座は、福知山市所在の金融機関では、まだ信託専用口座の開設を認めた例がないため、受託者の希望する口座名をそのまま表記することとした。
(受託者の義務)
 受託者が負う義務として、善管注意義務、分別管理義務、各受益者について公平にその職務を行わなければならない公平の義務を明記した。
 その後、何度か案文を修正した後に、公正証書を締結することができた。

第2信託契約

 福知山市内で活動するフィナンシャルプランナーからの持ち込みで、家族信託契約を公正証書で締結したいと信託契約案が持ち込まれた。宅建業者の書式例を参考にしたとのことであった。委託者父、受託者は長女、当初受益者は委託者、第二受益者は母、信託財産は、アパート2棟(敷地を含む)である。
 信託目的が、「本信託は、受託者が信託財産を、管理及び処分することを目的とする。」とあり、肝心の目的の記載がなかった。
 信託の期間を、「本契約締結時から第○条(信託の終了事由)による本信託の終了の日までとする。」 とあったり、信託終了時の帰属権利者を受益者とするなど、この家族信託は、委託者が希望する信託内容に合わないことが確認できたことから相談者に差し戻した。
 信託契約は、信託法上、公正証書の作成が義務づけられるものではなく、また、委託者や受益者の権限を信託契約で特段の定めをすることで権限を付与したり縮小することができるので、公証人として、特段の定めをどこまで許容すべきか、どこまで厳格に契約内容を定義すべきか難しいところである。

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 以上、信託で私の心がくたくた(心多苦)になったという近況報告とさせていただきます。

 なお、参考にした書籍として、①宮田房枝 そこが知りたかった!民事信託Q&A100、②伊庭潔 信託法からみた民事信託の実務と信託契約書例 をあげておきます。

  改めて感じたこと(喜多剛久)  

 公証人となって1年6か月が過ぎようとしている。現在、縁があって自宅のある相模原市内の公証役場で勤務している。
 私が初めて相模原市の住民となったのは、今から約19年前の平成12年4月、当時、本省訟務局の庶務係長のときであった。家族が増えたことを機に都内の公務員住宅から、相模原市内の公務員住宅に移り住んだのが始まりである。その後、自宅を構える場所を探していたところ、やはり家族にとっては、既に生活の基盤となっていた公務員住宅の近くがいいということになって、たまたま見つけた今の地に自宅を構え、引き続き相模原市民となっている。
 家族と住む自宅から公証役場には、毎日約50分かけて通っているが、全国的に見ると、自宅から遠く離れた公証役場で勤務されている公証人が多い中で、とても恵まれた環境にあるといえる。
 自宅から通勤できることが決まった直後は、まだ独立していない三人の子どもたちに、これまであまり父親らしいことをしてこなかったことを反省し、これから少しは父親らしいことができると考えていたが、いざ公証人となると、今のところなかなか家族との時間をとる余裕がない状況にある。
 加えて、月日がたつのに合わせて、家族内での自分の立ち位置が変わってきていた。いつの間にか、皆それぞれが自分の道を歩いているかのようである。一人、将来の自分の進む道が分からないと嘆いている高校生の二男も、毎日がスマホとサッカーに多忙のようである。将来については、機会がある都度、法務局のことを話すものの、残念ながら今のところは全く関心を示していない。
 仕事が多忙、昔と状況が変わったとはいえ、せっかく自宅から通勤しているので、昔のような家族との関係ではなく、今の家族の状況に合わせて少しでも多くの時間と会話のある関係を持つように心がけている今日この頃である。

 仕事に目を向けると、公証事務は範囲も広く、まだまだ分からないことが多く、しかもそれなりに案件も多いため、毎日忙しくさせていただいている。というより、日々の案件を処理するために毎日の仕事に追われ、まとまって勉強する時間もなかなかとれない。正直時間が足りないと感じているが、これは日々工夫していくしかない。
 また、仕事上の生活は、昔の本省勤務時代の自分に戻ったような感覚を覚えるところがあるが、残念ながら昔とは違って、自分の体の状況は大きく変わってきている。身体的な機能が、年を重ねて衰えてくるのは仕方がないのかもしれないが、最近顕著に体力の衰えを感じている。
 昨年、着任してしばらくは、多くのことが訳が分からなく、心身とも大きな負荷を感じていたせいもあってか、忙しい毎日を積み重ねていくうちに、気がつくと、法務局時代と比較してかなり体重を減らしてしまった(ただし、公証人生活が1年を過ぎた頃から下げ止まり、現在は若干回復?傾向にある。)。
 ところで、公証人の仕事はマスコミの報道に左右される面もある。最近の高齢者の財産管理に関する報道、特に週刊誌の特集記事の影響は少なからずあるようで、つい先頃も、心配になったという高齢の女性の方が公証役場を訪れて、これからの自分の財産管理は、任意後見がいいのか、家族信託がいいのか、どちらでしょうかとの質問があった。また、電話での問合せもときどきある。家族信託が一般の方にも浸透しつつあることを感じるし、士業者から持ち込まれる案件にも、家族信託が顕著に増えてきている。この家族信託は、自分自身が不勉強のせいもあるが、その内容は自由度が高く、しかも一般人には分かりにくいこともあり、公正証書による契約の読み聞かせの際などに、その内容を分かりやすく置き換えて説明を加えるとなると、非常に骨が折れる。
 さらに、最近は、遺言と移行型任意後見に加えて信託を公正証書で作成するという案件もあり、その際の読み聞かせが終わると明らかに疲れを感じて誠に情けない話である(嘱託人にお疲れではないですかと言いつつ、自分の方が疲れている。)。もともと体力に自信がないのであるから当然であるとはいえ、何とかしなければとも感じている。
 ただし、そう簡単に体力が付くものでもなく、せいぜい日頃の健康管理に気をつけて毎日の体調管理をしっかりとしていくしかない。しかも、衰え始めた注意力を最大限に発揮する上でもこの体調管理というのは大切である。
 忙しさにかまけて昨年行かなかった人間ドックに行くことはもちろん、努めて毎日の規則正しい生活に心がけている。
 体調管理が大切であるということは、仕事をする上では当たり前のこととはいえ、大きな組織の中で仕事をしていた時とは違う今の立場、年齢を重ねた今の状況において、これまで以上に自覚と責任が求められていると感じる今日この頃である。
 極めて個人的な話題で恐縮ですが、改めて感じた今日この頃でした。

実 務 の 広 場

   このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

  No.73 遺言による胎児についての未成年後見の指定(事例紹介)  

1 はじめに

 公証人になって2か月ほど経ったある日、出産を控えた女性からの相談を受けた。話の内容はおおむね次のようなものであった。
 3か月前に夫と離婚したが、別れた夫との間にできた子を4か月後に出産する予定である。無事に出産できれば問題はないが、万が一、出産の時に私が死亡してしまった場合、生まれてくる子のことが心配だ。別れた夫には親権を取らせたくないし、面倒もみてほしくない。遺言で未成年後見人の指定ができると聞いたので、遺言書を作りたい。また、私が死んだ場合でも、別れた夫が子の親権者とならないようにしてほしいし、子が別れた夫の戸籍に入らないようにもしたいと考えており、それらについても遺言で何とかならないか。

2 対応

(1)未成年後見人の指定
 未成年者に対して最後に親権を行う者は、遺言で、未成年後 見人を指定することができるとされている(民法第839条第1項)。また、子の出生前に父母が離婚した場合には、親権は母が行うとされている(民法第819条第3項)。そこで、当職は、相談者について、遺言により未成年後見人を指定することにして、次により遺言書を作成した。

 第1条 遺言者は、遺言者が現在懐胎している胎児の未成年後見人として、次の者を指定する。(以下略)

(2)親権者の死亡後における未成年後見人と生存親との関係
 日公連の文例集には、離婚後単独で親権を行使する親が死亡し、他の一方が生存する場合は、生存親の親権は当然には回復せず未成年後見が開始すると解するのが通説であるが、生存親を親権者とすることが子の福祉にかなうと認められるときは、親権者の指定又は変更の審判により生存親を親権者とすることもできると解する学説があり、これに同調する審判例も多く見受けられるとの記述がある(証書の作成と文例・遺言編〔改訂版〕169ページ)。他の文献にも、本件のような離婚後単独で親権を行使する親が死亡した場合、当然に後見が開始するという説や生存親の親権に復するので後見は開始しないとする説などのいくつかの説が存在するとの記述があった。
 そこで当職は、これらを踏まえ、相談者に対しては、遺言で未成年後見人を指定しておいても、それが最優先され、子の父が絶対に親権者とならないというものではないようであり、例えば父が親権を主張したような場合は、最終的には、家庭裁判所の判断によることになると思われる旨説明した。

(3) 子の戸籍の問題
 嫡出である子について、子の出生前に父母が離婚したときは、離婚の際における父母の氏を称するとされている(民法第790条第1項ただし書)。これは、離婚後の親権者や監護者がだれであるかにはかかわらず、離婚の際の父母の氏が子の氏となるということであり、結論として、父が戸籍の筆頭者であった場合、本件の子は、出生により、父(親権者でない)の戸籍に入ることになる(戸籍法第18条)。
 一般的に、母が婚姻によって氏を改めていた場合、母は協議離婚によって婚姻前の氏に復するとされており(民法第767条第1項)、その結果、子と母とは氏が異なることになる。しかし、子は、家庭裁判所の許可を得て、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、母の氏を称することができるとされている(民法第791条第1項)ので、子(子が15歳未満の場合はその法定代理人)がそれらの手順を踏めば、母の戸籍に入ることは可能である。
 しかしながら、本件のように、母がすでに死亡している場合には、父の戸籍に入っている子について、父の戸籍を離れ、母の戸籍に入れることは戸籍実務として難しいようであり、また、仮に15歳未満の子についてその手続きをするにしても、法定代理人がだれになるのかによって、手続きできる者も変わってくることになり、いずれについても最終的な判断は、家庭裁判所や戸籍実務がすることになると思われることから、遺言でもって、決めておくことはできない。
 相談者には、以上を説明し、理解していただいた。

3 おわりに

 本件を振り返ってみると、遺言による未成年後見人の指定については、相談者の希望に応じることができたが、それ以外については応えることができなかったように思える。これは制度上やむを得ないことではあろうが,せめて、相談者の遺言書の附言事項として、生まれてくる子の親権や監護権を子の父に渡したくない事情や、戸籍についての要望内容を記載しておけば、後日、裁判所が判断する場面があったときには、その判断の参考になるのではないかと思い、多少悔いているところである。
 あれから1年少々経過した。予定どおり生まれていれば、その子は1歳の誕生日を迎えたばかりの頃である。無事に生まれて母の戸籍に入り、母親の愛情を受け、すくすく元気に育っていることを願っている。
(余田武裕)

平成30年度司法研究(家事)「養育費、婚姻費用の算定に関する実証的研究」の研究報告が、令和元年12月23日に公表される予定となっておりますので、その内容が判明しましたら、これを受けての家庭裁判所の動向なども含めてお知らせする予定です。
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民事法情報研究会だよりNo.41(令和元年10月)

 初秋の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、令和元年度後期に入り、12月14日開催予定のセミナーでは、講師に、元法務省民事局長で、現在中央更生保護審査会委員長を勤めておられる倉吉 敬先生にお願いしております。演題は未定ですが、興味深いお話しを伺えるものと思います。(NN)


今 日 こ の 頃

   このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

  家事調停委員一年生(由良卓郎)  

-はじめに-
 私は,縁あって公証人として7年間福山で生活をして参りましたが、途中から妻も福山に来て暮らすこととなったために、公証人退任後も福山で生活しています。
 福山は、夫婦とも、地縁も血縁も人との縁もなく、日々出かけていくべき場所もないことから、今後どのようにして暮らしていくかが公証人退任を控えて一つの課題でもありました。
 随分昔になりますが、他省庁の方から、退職後調停委員になりたいとの希望を聞いたこともあり、調停委員制度の大体は知っていたつもりですが、これまで自らが調停委員になることは考えていなかったので、深く考えたことはありませんでした。しかし、前記のような状況や、まだ60代半ばということから、これまでの経験を活かすことができそうで、人とつながりがあり、かつ、地域の方のお役に少しでも立てればと思い、家事調停委員に応募することとしました。
 調停委員については、本誌26号において石戸先生が紹介されているほか、同36号以下において星野先生が詳しい説明をされているので、今更私が何の説明ができるかという思いもありますが、裁判所によって実情は異なるように思われることや、今後調停委員を希望される読者がおられるかも知れませんので、三番煎じ(多分)を承知の上で、少し違う切り口から紹介させていただくこととしました。


-調停委員応募-
 公証人退任を控えた平成30年3月、私は広島家庭裁判所福山支部を訪れ、家事調停委員の応募に必要な書類や調停制度のパンフレットなどをいただきました。
 その際、裁判所から10月1日付け任命の場合、申込期限は4月末になること、支部経由のため申込書類は少し早めに提出して欲しいこと等の説明を受けました。
 ちなみに、任命は4月1日付けと10月1日付けの年2回あるようです。
 推薦状は必要ないようですが、元公証人の某氏に話をしたところ、快く推薦状を書いてくださり、関係図書までいただきました。

―選考・任命―
 申込みのための一件書類を広島家裁福山支部をとおして提出後、裁判所における書面選考を経て、7月中旬に面接選考があり、その後、7月下旬に任命手続に必要な書類の提出などを求める書面が送られてきました。
 面接選考は、一般的な質問に続き、当日事前に配布された仮定の家事調停事案について、調停委員としてどう対応するかなど、場面、場面を想定して質問されました。また、民事調停委員には応募しないのかといった質問もあったように思います。両方応募する方が多いのかも知れません。
 これらの手続を経て、10月1日付けで家事調停委員に任命されました。

―研修―
 任命された月の中旬に広島家庭裁判所(本庁)で研修がありました。この研修は、座学と調停見学です。本庁での研修を前に、その研修がより効果的であるようにとの配慮から、支部での説明や調停見学も実施していただきました。調停委員に任命されて2か月ほど経過した12月にも本庁で調停見学の研修がありました。12月の研修時点で、私は、数回調停期日を経験していましたが、まだ調停期日を経験していない人もいるなど、新任調停委員への事件の配点は慎重にされているようです。
 その後も、折に触れ研修会が開催されるなど、調停委員に対する裁判所の指導・教育は手厚く、調停制度が重要視されていることを実感しています。

―事件の配点・調停期日―
 福山支部では、調停委員任命直後から事件の配点がある訳ではなく、本庁での研修終了後、様子を見ながら少しずつ配点されます。私の場合は、まだ数件程度で、多くの事件を抱える状況には至っていません。
 それはともかく、私は、調停開催日は、月曜日から金曜日まで毎日あると思っていたのですが、福山支部の家事調停の開催日は、月曜日と木曜日の週2日のみであり、午前と午後に分けて別の事件の期日を入れることができるので、フルで期日が入ったとしても、週に2日、合計4期日までとなります。調停期日のために週の大半を自宅外で過ごすということにはなりません。
 月曜日から金曜日まで毎日調停が開催される本庁所属の調停委員とは、配点される事件数に相当の開きがあるようです。
 調停期日は、1事件につき1月~1月半程度の間隔で、当事者双方及び調停委員会(調停委員と裁判官等)の都合と調停室の空き具合を見ながら入れるので、今のところ私が裁判所に行くのは、月に数期日程度です。内容も比較的負担感の少ないものを配点していただいているように思います。
 なお、家事事件手続法別表第2に該当する事件は、調停が不成立になった場合、家事審判に移行する(家事事件手続法272条4項)ため、状況によっては家事審判に移行した場合に備えた資料収集も必要になりますが、当事者の協力が得られず手間取ることもあります。

―身分・給与―
 調停委員の身分は非常勤の裁判所職員(国家公務員)であり、当然法令遵守義務がありますし、違反等した場合の報告義務もありますので、常勤の国家公務員と同様、車を運転するときも常に注意しなければなりません。
 報酬は給与として支給され、期日の回数と一定単位の時間で計算されますが、所定の会費が徴収されるほか、前記のとおり、所属支部では、期日設定に週2日、午前・午後計4回という上限がある上、事件数にもよりますので、相応の給与を期待できる仕事ではなく、社会貢献的な側面の強い業務といえます。

-迅速処理と完結処理-
 平成15年に裁判の迅速化に関する法律が公布・施行され、民事訴訟法も改正されるなど、裁判の迅速化への具体的な取組みが始まって久しいですが、裁判の迅速化に関する法律第1条で「・・・裁判所における手続全体の一層の迅速化を図り」とされているように、家事調停も例外ではなく、迅速処理が期待されているようです。
 ある人から、「委員によっては、すぐに不成立にする」などといった、調停の進め方に対する不満らしき感想を聞いたこともありますが、これも迅速処理の故かもしれません。
 本案訴訟に限らず、調停委員としても、先を見通して、この事件は何回で終わらせるかを想定し、そのためには次回期日までに当事者に何を準備してもらうかを分かりやすく説明するなど、スピード感を持った効率のよい対応が求められているように思いますし、福山支部では庁舎新営のため近々仮庁舎の建設や引越しが始まることを踏まえると、一層効率的で迅速な調停運営が求められているのかも知れません。
 しかし、反目する一方当事者の協力が得られず予定通りに進捗しないこともありますし、突然調停を申し立てられて、戸惑い、どう対応すべきか決めかねている当事者もいます。
 成立した調停内容を変更する契約の公正証書作成依頼なども受けてきた前職時代の経験や、前述の不満らしき感想を踏まえると、調停成立後、間もなく公正証書により変更契約を作るようなことにならないよう、当事者の不満や希望にも十分に耳を傾け、成熟した合意形成に導く必要もあるのではないかと感じています。

―洗礼―
 もっとも、公正証書作成後、家事調停に持ち込まれる事案もあるという悩ましい問題もあります。家事調停委員になった当初、複数の委員から、そのことを示唆するような、あまりうれしくない一言を掛けられたことがありましたが、嘱託受任義務(公証人法3条)のある公証人が、離職後その地元で調停委員になる場合には、避けて通れない洗礼なのかも知れません。

―終わりに―
 情報管理の観点から、調停における記録ツールは、原則として紙と筆(鉛筆、ボールペン等手書き)のみであり、情報を持ち出すこともできません。ワープロに慣れたいま、やや効率の悪い作業をせざるを得ませんが、前職時代も含め、これまで関与してこなかった問題解決に関与できることや、他の調停委員の方との新たな人間関係の形成など、仕事として、また、職場としての面白さもあるので、裁判所にご心配、ご迷惑をお掛けしないよう、任務を全うすべく努めて参りたいと思っている「今日この頃」です。

  ペップトーク(栁井康夫)  

 本稿は、近畿公証情報(2017.7.1・No70)に登載した原稿の一部を 削除の上加筆したものです。

 皆様は、ペップトークをご存じでしょうか。
 ペップトークの第一人者である岩﨑吉純氏(全米アスレティック・トレーナーズ協会(NATA)公認アスレティック・トレーナー(ATC)、日本体育協会公認アスレティック・トレーナー資格を持つ。一般財団法人ペップトーク普及協会代表理事、トレーナーズスクエア株式会社代表取締役社長、他)の著書からやる気を起こす魔法の言葉「ペップトーク」を紹介します。

心に響くコミュニケーション ペップトーク  (岩﨑吉純著・日本ラーニングシステム[監修]・中央経済社)

ペップトークの語源
 英語では、やる気にさせる訓話のことを「ペップトーク(Pep Talk)」と呼びます。
 名詞の「Pep」は「元気」という意味で、香辛料の「Pepper」に通じる「刺激を与える」という意味合いが語源にあります。「Pep up」で「元気づける」という言葉になり、他にも「気合いを入れる」「元気を出す」といった文脈で活用され、アメリカでは栄養剤のことを「ペップドリンク」とも呼ぶそうです。
 さて、この「ペップトーク」の起源ですが、スポーツの現場において監督や指導者が競技前に選手を励まそうとして行う「短い激励のメッセージ」にあります。アメリカでは、「あの子、最近元気がないから励ましてあげて」と言う意味で「あの子、最近元気がないからペップトークしてあげて」という表現を日常的に用いるくらい、一般化されています。

ペップトークの定義
 スポーツの現場で生まれたペップトークは、特にアメリカでは一般家庭やビジネスの現場でも取り入れられるほど浸透しています。上記のような、誰かを元気づけるための「励ましの言葉」が基本ですが、より狭義に定義づけるのであれば、「短く、わかりやすく、行動指針を明確に伝えるショートスピーチ」というものになると、私は理解しています。
 言葉だけの説明ではわかりにくいと思いますので、事例を通してペップトークを紹介しましょう。
 これは、ラフティングという特殊なゴムボートで激流を下る競技の日本代表チーム監督のペップトークです。


 俺は今日この舞台にいられることを誇りに思う
 今日この日のために
 みながどれだけの想いでやってきたか知っているからな
 それは日本で待っている家族も同じ気持ちだと思う
 俺たちはやるだけのことをやってきた
 ここまでは完璧、100点だよ
 でも最後の宿題がある
 俺たちが今日この舞台に立つことは生まれる前から決まっていた
 そして俺たちが世界一になることも決めていたんだ
 魂の底から力を出し切れ、そして何があっても前に出るぞ
 日本の底力を見せつける時だ
 ぶちかませ!

 ラフティングという競技は、日本ではまだ知名度が低いのですが、夏のオリンピックの正式種目としての採用が検討されるほど、世界では競技人口も増えています。
 2010年夏にオランダで開催された世界大会は、世界30ヵ国からの代表チームが出場して行われました。日本は前年度準優勝を成し遂げた日本代表チーム「チームテイケイ」の浅野重人監督を中心にこの大会に挑みました。
 国際大会は、4人乗りボートでの4種目の総合成績で争います。3種目をすべて2位という結果で迎えた最終日、最大のライバルは2007年、2009年総合チャンピオンのブラジルでした。
 しかし、浅野監督は、意識すべきはブラジルではなく、「謙虚さと誇り」という自らの心の状態だと確認し、チームのメンバーに伝えました。そして、見事に世界一の座を手に入れたのです。
 ペップトークにはこのように、ごくわずかな時間の短いスピーチで選手の心を強くして挑戦意欲を高めたり、ネガティブなイメージをポジティブに変換することができます。ときには奇跡的な大逆転をも呼び起こす力があるのです。

やる気をなくす悪魔の言葉vsやる気を起こす魔法の言葉(岩﨑吉純著・中央経済社)

健全な夢のために健全な心をサポートしたい

 家庭での子育て、学校教育、スポーツ指導の現場、ビジネスの現場など、「人を育てる」「能力を伸ばす」現場における指導を見ていて、とても驚くことがあります。それは、「禁止令」を中心とした指導が本当に多いことです。「やめなさい」「やっちゃだめ」「これをしてはいけない」という言葉を耳にしない日はないのではと思います。
 確かに「教育的観点」からは「やってはいけないルール」や「マナー」を教えることは大切ですが、やり過ぎると「自分で考える」「自分で判断する」「自ら実行する」といった自主性は失われてしまいます。
 また、世の中の多くの大人たちも「禁止令」でがんじがらめになっている気がします。「男子の草食化現象」「草食系男子」もそのひとつではないでしょうか。
 スポーツや受験の優先度が高い時期に「大事な時期だから異性と付き合ってはいけない」という禁止令が親や指導者から発令され「自分で考える」「自分で判断する」「自ら実行する」といった「自主性」や「積極性」を奪われると思考はネガティブなスパイラルに入ってしまいます。「女性にアプローチして断られる」「女性と付き合って嫌われる」「付き合い始めたときは良くても別れるときに嫌な思いをする」と失敗のイメージばかりが先行して女性との交際が面倒だと感じたり、文句を言わない理想の「二次元」のキャラクターに愛情を向けたりと、間違ったリスク回避や現実逃避をしているのではないでしょうか。
 このような現象は、現代の大人社会では数多くあり、課題に挑戦する姿勢よりリスクから逃げる思考習慣が当たり前になっています。
 人がやる気を出せないのは、このように「成功イメージが持てない」ことや「失敗のイメージが先行する」からです。人のやる気を引き出すにはどうやって「成功のイメージを持たせるか」が重要なのです。
 そのためには、「禁止令」を多発するのではなく、「禁止令」は命や健康に関わることに留めて、なるべく「やって欲しいこと」を「ポジティブな表現で伝える」ことが重要であると提案しています。
 つまり「廊下を走るな」という禁止令をだすより「廊下は静かに歩きましょう」という表現に切り替えることです。
 「道徳=人の道」を教えるうえでは「なぜ走ってはいけないのか」にある背景や理由を教えることは重要です。しかし、それを教えたうえで実際の行動指針には「廊下は静かに歩きましょう」と肯定的な表現を使う方が、言葉を発する側も、メッセージを受け取る側も気持ちが良いと思うのです。
 それだけでも、コミュニケーションは明るく前向きになり、清々しさもでてくるはずです。
 さらに、このようなポジティブな思考と言語習慣があれば、たとえば相手がミスをしたときにも相手を責めるのではなく、原因を明らかにして新たな行動につながるサポートをする姿勢が生まれるはずです。

「絶対に●●するな」~間違いだらけのスポーツ現場

 少年スポーツの現場にいくと、「きっと、このコーチの指導は子どもには伝わっていないだろうな」と思えるようなシーンに数多く出くわします。
 たとえば、少年野球の試合。
 コーチは子どもがバッターボックスに入る前に「ボール球に手を出すな」と声をかけます。
 すると、子どもは「ボール球に手を出さない」という意識が強くインプットされるため、ボール球ではなくストライクがきても見逃してしまい、結果三振に終わります。すると今度は、「バットを振らなきゃ、ボールに当たらないじゃないか!」とコーチが叱ります。
 笑い話のようですが、小学校低学年の子には理解できません。「ボール球に手を出すな」「バットを振れ」の相反する指示に混乱してしまうのです。
 これは、大人でも同様です。顕在意識では理解できても、潜在意識では「しろ」と「するな」が混在してしまうため、行動につながりにくくなります。
「ストライクだけを狙って打て」「好きな球に的を絞って打て」と、して欲しいことを伝えることが重要です。

積極的な行動が失敗を招いたとき 

 良かれと思って決断・実行したことが裏目に出たときには、誰しも「後悔」「失意」といったネガティブな心境に陥ります。このときに、「何考えてんだ」「何やってんだ」「何てことしてくれたんだ」と追い打ちを掛けるような罵声を浴びせると、失敗を次に活かす意欲を奪い取ってしまいます。「反省し行動を改める」ためには、「ミスの原因がどこにあるのかを解明して次に活かす」という着眼点にもとづく思考が必要です。つまり、「成功するためにはどうすれば良いか」という思考です。しかし、罵声を浴びせると極端な場合には、「二度とミスを起こさないために、積極的に行動することをやめる」という間違った方向へ反省してしまうことがあるのです。

失敗から救って、相手のやる気を引き出すには

 人は失敗すると、どうしても次の行動が慎重になります。そこに追い打ちを掛けるような叱咤があると、どうしても次の行動が慎重になります。
 相手のやる気を引き出すには、日頃から、「失敗から学び、次に活かす」習慣を身につけておく必要があります。そのためには、「試行錯誤」をモットーに失敗を恐れずに正しいと思うことは果敢にチャレンジしていくことが必要です。
 それでも失敗したときは、気分が後ろ向きになり、積極性をなくしてしまいます。このときのフォローが積極性を取り戻したり、維持したりすることに必要な機会になります。

やる気を引き出すコミュニケーションの法則

失敗の共感と共有が信頼と尊敬を生む

苦楽を分かち合うから信頼関係が強くなる

 ビジネスでもスポーツでも、上下関係や仲間との信頼関係は、多くの場合、苦楽をともにすることで生まれ強化されていきます。
 苦しい試練に耐えたからこそ目標達成の喜びも大きく、またその経験があるからこそ新たな試練にチャレンジする勇気が生まれ、試練を乗り越えるファイトに向かうプラスのスパイラルが生まれていくのです。
 上司や監督が試練に耐えている姿を認めて評価しているからこそ、部下や選手もそれを乗り越えるモチベーションを維持することができます。それを乗り越えたときに喜びを分かち合える「共感」があってこそ、信頼は深まるのです。
 信頼は「苦楽の共感」から生まれると言っても過言ではありません。

ミスをお互い受け入れることの重要性

 特に、相手がミスをしたときには、以下のような指導的な言動を通して相手の成長を促すと同時に、信頼関係を強固にするチャンスです。
 ●そのミスを二度と起こさないようにする。
 ●ミスをしたことが次の行動の意欲減退にならないように歯止めをかける
 ●ミスをしたことで落ち込んでいる相手の心の負担を軽くする

 ミスを「許す」のではなく、ミスを「機会」と捉えることで、組織にとっても、相手にとってもミスを「成長の糧」にすることができ、あなたとの信頼となって返ってきます。

ミスは…

 昔昔の話であるが、某法務局長から聞いた話である。A登記調査官は、登記申請書の調査を1日100件処理する。B調査官は、同じく1日20件処理する(比較のため誇張していることを了承願います)。A登記調査官がミスをしたので、内規に従い懲戒の対象とせざるを得ない。そうすると、A登記調査官のやる気をそぐばかりか、人事評価や将来の登用にも影響を与えてしまう。某法務局長はたいへん心を痛めておられた。
 その後の顛末は、承知していないが、組織のため、身を粉にして頑張っている者が、ミスをしたことにより懲戒の対象となるのであれば、だれも、頑張って100件の処理を目標にしなくなり、1日20件の処理に胡座をかくようになるのではないでしょうか。
  法務局では、過誤登記の撲滅をテーマに、各職場毎に過誤の一掃に力を入れているという。しかし、ここでも、誰が過誤登記(ミス)をしたのかということが詮索され、ミスばかりが評価(しかも過大評価)されているとしたら組織としての発展が憂慮されます。
 半沢直樹、下町ロケット、陸王、ノーサイドゲームには、ペップトークが至るところで活用されています。それが視聴者の共感を呼びます。テレビを見ながら、この場面では、自分だったら何を話すだろうかと、主人公になったつもりでテレビを見るのも一興だと思います。

  成長が止まらない(余田武裕)  

 先日、法務局のOB会に出席してきました。採用当時からお世話になっているかつての上司や先輩方に久しぶりにお会いすることができました。先輩方は、相変わらずエネルギッシュで、明るく、人生を前向きに楽しんでおられるようで、会話の中で、懐かしさがこみあげてきただけでなく、元気をいただいたように思えたひとときでした。
 最近,健康寿命という言葉を聞きます。健康寿命というのは「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されているようで、男性は、平均寿命が約80歳、平均健康寿命が約72歳であり、その差は約8年もあるとのことです。これによって種々な問題が生じていることから、政府をはじめとして関係機関等から、健康寿命を延ばし、寿命と近づけるための取り組みが検討・提言されているようです。インターネットなどにより、その関連の記事をいろいろ見て、今の自分の生活習慣等と照らし合わせると、考えさせられるものも多くあります。
 ところで私は、昨年6月、公証人となり、やっと1年が経過したところです。公証人になってからの1年間は、長くお世話になった組織を離れ、慣れない仕事に追われたことはもちろんのこと、プライベートでも様々なことがあり、振り返れば、日々、いろんなことに追われているうちに、あれこれ考える時間もなく、あっという間に過ぎ去ってしまったような気がしています。最近になって、ようやく、やや落ち着いてきたような感があります。落ち着いてくると、いろんなことを考えてしまいます。公証人の仕事をしていると、高齢者の方々の人生の一端を知ることができます。いろんな生き様、人生の終わり方があり,中には考えさせられる方にも接することもあり、帰宅して1人になった時、昼間に聞いた言葉などを思い出し、つい自分の人生を重ねてしまうこともあります。また、自分の人生や今後を考えたとき、私には、今の健康状態のうちに、やっておかねばならないことがあるのではないかなど、焦ったりもしています。
 一方で、最近、私のお腹の成長が気になっています。ここ数年で一気に成長したように思います。先日のOB会でも、多くの方々からお腹の成長ぶりにご指摘をいただき、私の健康を心配していただきました。かつて私はスポーツが大好きで、若い頃は地域のソフトボールチームやバドミントンクラブに所属し、市民大会などに出場したり、中年の頃は趣味のカメラを片手に、いくつかの公営の公園のパスポートを購入し、毎週のように四季の花を撮りに行ったり、また大好きな富士山にも何十回通ったことか。その頃は、今より、ずっとスリムでした。久々にお会いする先輩方が驚かれるのも当然だと思います。開き直る訳ではないのですが、このようなご指摘を受けることは日常的なことであり、私自身も常々、食生活と運動を考えなければとは思っているところです。健康年齢に関する記事にも、食生活と運動を改善することが重要との指摘があります。しかし、今の私は、美味しいものがあれば我慢できず、つい食べ過ぎてしまうし、食べた後にはすぐ眠くなり、そのまま寝てしまったり、短い距離でも歩くより車を使ってしまう。このお腹の原因は、まさにこれにあり、それが私の健康寿命を短くすることになることはわかっています。わかっているのに、それができないのは、自分の弱さだと自覚しています。
 今回、この「今日この頃」の原稿を提出することは、私自身を見つめ直すいい機会となり、モヤモヤしていた頭の中が整理できたような気がしています。今の私にとって、健康寿命を延ばすことが最重点課題だということを改めて実感しました。そこで、私が、10年後、いや20年後も、OB会で出会った先輩方や、元気に悔いない人生を送ってこられた高齢者の方々のように、明るく、元気に、前向きに過ごせるように、自分の弱さを克服し、食生活を改善し、適度な運動を行うことにします。
 来年のOB会の頃、私のお腹の成長具合はどうなっているか、過度な期待をせず、気長に見守っていてください。

実 務 の 広 場

   このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.71 相続法改正に伴う遺言書作成に当たっての遺言者への説 明・助言事項について

 公証事務に従事して3年目に入りましたが、遺言書の作成のための面談の際に、「こういう遺言書を書いた場合にはどのような法的効果が生ずるのか」というような、遺言者が遺言書の内容を決めるに当たっての前提知識としての相続法規に関する質問を受けることがよくあります。また、公証人から説明がなかったために遺言者の意図どおりの遺言書にならなかったということがないように、遺言者から質問がされない事項であっても、個別のケースに応じ、なるべく必要な説明や助言を行うように心がけています。
 ところで、平成30年の相続法改正では、配偶者居住権の新設、長期間婚姻している夫婦間で行った居住用不動産の贈与等を保護するための方策の新設、相続された預貯金債権の払戻しを認める制度の新設、自筆証書遺言に関する見直し、遺言執行者の権限の明確化、遺留分減殺請求権の金銭債権化、特定財産承継遺言について法定相続分を超える部分の承継については登記等の対抗要件を備えなければ第三者に対抗することができないこととする規律の見直し、などの大改正がされました。
 これらは、ご案内のとおり、公正証書遺言作成の実務にも大きな影響をもたらすものですが、改正事項が多岐に渡っていること、改正法の施行日が3回に分かれていること、また、経過措置の例外もいくつか定められていることから、遺言書作成の面談時の説明や質問に対する回答を正確に行うことができるよう、備忘として、以下のとおり、改正事項別に施行日と経過措置を整理し、併せて、若干の留意点を整理してみました。

1 自筆証書遺言の方式を緩和する方策(第968条2項)

・改正のポイント
 自書によらない財産目録を添付できることとする。
・施行日:2019年1月13日
・経過措置(法附則第6条)
 施行日後に作成された遺言について適用される。したがって、相続開始が施行日以後であっても、施行日前に作成された遺言については適用されない。
・留意事項
 新たに、法務局における遺言書の保管等に関する法律(2020年7月10日施行)に基づき、指定法務局において本人確認の上で遺言書を保管することにより、自筆証書遺言の検認を不要とする制度も設けられた。

  預貯金の払戻し制度(第909条の2) 

・改正のポイント
 遺産分割前においても、各相続人に一定範囲内の払戻しを認める。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第5条)
 相続開始が施行日前であっても、施行日以後に預貯金債権が行使される場合は適用される(新法主義を採用)。

3  遺留分制度の見直し(第1046条) 

・改正のポイント
 減殺請求の金銭債権化、計算方法の明文化をする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第2条・原則どおり)
 改正法は、施行日後に開始した相続について適用される。
・留意事項
 株式や不動産は共有状態にならない。ただし、不動産等の現物での清算が禁止されたわけではない。
 相続人に対する贈与は、婚姻若しくは養子縁組のため又は生計の資本として受けた贈与の価額に限り、かつ、相続開始前の10年間にされたものに限り(ただし、1044条1項後段の例外がある。)、遺留分を算定するための財産の価額に算入することとなった(1044条)。

  特別の寄与制度の見直し(第1050条) 

・改正のポイント
 相続人以外の親族からの請求を認める。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第2条・原則どおり)
 改正法は、施行日後に開始した相続について適用される。

5 共同相続における権利の承継の対抗要件(第899条の2)

・改正のポイント
 法定相続分を超える部分の承継については、登記等の対抗要件を備えなければ、第三者に対抗できないこととする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第3条)
 施行日前に開始した相続に関し、遺産の分割による債権の承継がされた場合において、施行日後にその承継の通知がされるときにも、適用される。

6 夫婦間における居住用不動産の贈与等(第903条第4項)

・改正のポイント
 婚姻期間20年以上の夫婦間の居住用不動産の贈与等について、持戻し免除の意思表示を推定する。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第4条)
 持戻し免除の意思表示の推定(第903条第4項)については、施行日後に行われた遺贈又は贈与について適用される。したがって、相続開始が施行日以後であっても、施行日前にされた遺贈又は贈与については適用されない。
・留意事項
 配偶者に居住用不動産を遺贈する旨の遺言書作成を嘱託された場合、持戻し免除の意思を確認し、持ち戻す(持戻しの免除をしない)との意向の場合は、その旨を遺言書に記載する必要がある。

7 遺言執行者の任務開始の通知(第1007条第2項)

・改正のポイント
 任務開始の通知義務を明文化する。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第8条1項)
 遺言内容の相続人への通知の規定は、施行日前に開始した相続に関し、施行日後に遺言執行者となる者にも適用される。
・留意事項
 遺言執行者は、任務を開始したときは、遅滞なく就任した旨と遺言内容を相続人に通知しなければならないことを説明しておくことが望ましい。

8 遺言執行者の権利義務(第1012条第2項)

・改正のポイント
 特定遺贈と包括遺贈とを問わず、遺贈の履行は遺言執行者のみが行うことができるものとする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第8条1項)
 遺贈の履行は遺言執行者のみが行うとの規定は、施行日前に開始した相続に関し、施行日後に遺言執行者となる者にも適用される。
・留意事項
 遺言執行者がある場合、相続人は遺贈の履行義務を負わないというだけのことで、例えば、預貯金債権の債務者が、遺贈による債権譲渡を承諾して、受遺者に直接弁済することは妨げられない。

9 特定財産(預貯金債権を含む。)に関する遺言の執行(第1014条第2項)

・改正のポイント
 遺言執行者は、特定財産承継遺言(相続させる遺言)について対抗要件を備えるために必要な行為をすることができるものとする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第8条2項)
 遺言執行者は、施行日前にされた特定財産承継遺言(相続させる遺言)については、対抗要件を備えるために必要な行為をすることができない(遺言執行者は、施行日後にされた特定財産承継遺言について、対抗要件を備えるために必要な行為をすることができる。)。
・留意事項
 特定財産承継遺言については、不動産を相続する者のほか、遺言執行者も登記申請をすることができる。法定相続分を超える部分ある場合だけでなく、それがない場合も登記申請することができる。

※ 令和元年6月27日法務省民事局長通達 2(2)エ
 エ 特定財産に関する遺言の執行
 遺産の分割の方法の指定として遺産に属する特定の財産を共同相続人の一人又は数人に承継させる旨の遺言(以下「特定財産承継遺言」という。)があったときは、遺言執行者は、当該共同相続人が法第899条の2第1項に規定する対抗要件を備えるために必要な行為をすることができるとされた(法第1014条第2項)。
 また、法第1014条第2項の規定にかかわらず、被相続人が遺言で別段の意思を表示したときは、その意思に従うとされた(同条第4項)。 なお、遺言執行者は、一般に、法定代理人であると解されており、これは、改正前後で異なることはない。
 これにより、不動産を目的とする特定財産承継遺言がされた場合に、遺言執行者は、被相続人が遺言で別段の意思を表示したときを除き、単独で、法定代理人として、相続による権利の移転の登記を申請することができることとなる。
 おって、相続人が対抗要件を備えることは、遺言の執行の妨害行為(法第1013条第1項)に該当しないため、当該相続人が単独で、相続による権利の移転の登記を申請することができることは、従前のとおりである。
 この改正後の規定は、改正法の施行の日(令和元年7月1日)前にされた特定の財産に関する遺言に係る遺言執行者によるその執行については適用しないとされた(改正法附則第8条第2項)。 

10 特定財産(預貯金債権のみ)に関する遺言の執行(第1014条第3項)

・改正のポイント
 特定財産承継遺言の対象が預貯金債権の場合には、遺言執行者は、その預貯金の払戻し請求及び解約の申入れをすることができるものとする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第8条2項)
 遺言執行者は、施行日前にされた特定財産承継遺言(相続させる遺言)については、預貯金債権の払戻しの請求及び解約の申入れをすることはできない(遺言執行者は、施行日後にされた特定財産承継遺言について、預貯金債権の払戻しの請求等をすることができる。)。
・留意事項
 預貯金以外の金融商品については、今回の改正の対象となっていないが、遺言によって別段の意思表示が可能なことは変わりない。
 当職は、法改正前も、遺言執行者において預貯金債権の払戻しの請求等をすることができるよう、「遺言者は、遺言執行者に対し、この遺言の執行のため、遺言者の有する預貯金等の金融資産について名義変更、払戻し、解約等をする権限、不動産の登記手続、その他この遺言を執行するために必要な一切の行為をする権限(各手続又は行為をするに当たり他の相続人の同意は必要としない。)を与える。」と記載していたが、現在は、特に嘱託人からの文言の希望がない場合、「遺言執行者は、この遺言の執行のため、遺言者の有する預貯金等の金融資産について名義変更、払戻し、解約等をする権限、不動産の登記手続、その他この遺言を執行するために必要な一切の行為をする権限(各手続又は行為をするに当たり他の相続人の同意は必要としない。)を有するものとする。」と記載している(なお、従前と同様に「遺言者は、遺言執行者に対し、権限を与える。」との表現を希望される場合は、そのように記載している。)。

11 遺言執行者の復任権(第1016条)

・改正のポイント
 遺言者の別段の意思表示がない限り、遺言執行者は自己の責任で第三者にその任務を行わせることができるものとする。
・施行日:2019年7月1日
・経過措置(法附則第8条3項)
 施行日前にされた遺言による遺言執行者の復任権については、新法1016条(遺言執行者の復任権)の規定にかかわらず、なお旧法1016条が適用される。この場合は、やむを得ない事由がなければ、遺言執行者は第三者に遺言執行の任務を委任することができない。ただし、遺言で特段の意思表示として復任権を与える旨記載している場合は、第三者に遺言執行の任務を委任することができる。
 施行日後にする遺言については、遺言執行者は、遺言者が遺言において別段の意思表示をした場合を除き、自己の責任で第三者にその任務を行わせることができる。
・留意事項
 当職は、従前、復任権を認める旨を記載してほしいとの遺言者の意向がある場合に、「遺言者は、遺言執行者に対し、第三者にその任務を行わせることができる復任権を与える。」と記載していたが、施行日後は、復任権を与えない旨を記載してほしいとの遺言者の意向がある場合に、「遺言執行者は、第三者にその任務を行わせてはならない。」と記載することとし、復任権を認める旨を記載してほしいとの遺言者の意向がある場合に、確認的に「遺言執行者は、第三者にその任務を行わせることができる復任権を有する。」と記載することとしている。

12 配偶者居住権の新設(第1028条~第1036条)

・改正のポイント
 配偶者が相続開始時に居住していた被相続人所有の建物について、原則として終身の居住権を認める。ただし、遺言等で別段の定めがされたときは、その一定期間とする。
・施行日:2020年4月1日
・経過措置(法附則第10条)
 改正法は、施行日後に開始した相続について適用する。
 施行日前にされた配偶者居住権の遺贈は無効である。
・留意事項
 遺言者に、次の事項について説明しておくことが望ましいと考える。
① 配偶者居住権の存在
② 配偶者居住権は登記によって対抗要件を具備する。
 配偶者居住権を遺贈の目的とした場合、遺言執行者が登記申請する。
③ 配偶者居住権に関する規定(1028条~1036条)は、施行日(2020年4月1日)前にされた遺贈については適用されない。したがって、配偶者居住権を遺贈するには、施行日以後に、その旨の遺言書を作成する必要がある。

13 配偶者短期居住権の新設(第1037条~第1041条)

・改正のポイント
 配偶者は、相続開始時に被相続人の建物に無償で住んでいた場合、少なくとも6か月間は無償で使用することができるものとする。
・施行日:2020年4月1日
・経過措置(法附則第10条)
 改正法は、施行日後に開始した相続について適用する。
・留意事項
 被相続人が居住建物を配偶者以外の者に遺贈した場合や、配偶者に対する使用貸借関係に反対の意思を表示した場合であっても認められる。
 存続期間は、①配偶者が居住建物の遺産分割に関与するときは、居住建物の帰属が確定する日までの間(ただし、相続開始から6か月間は保障される。)。②居住建物が遺贈された場合や、配偶者が相続放棄をした場合には、居住建物の取得者から配偶者短期居住権消滅の申入れがされた日から6か月間。

                                                   (多田 衛)

No.72 遺留分算定の基礎となる財産の額と民法第903条第4項について(質問箱より)

【質 問】

 民法第1043条第1項は、「遺留分を算定するための財産の価額は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除した額とする。」と定めています。
 ところで、民法第903条第4項は、「婚姻期間が20年以上の夫婦の一方である被相続人が、他の一方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地について遺贈又は贈与をしたときは、当該被相続人は、その遺贈又は贈与について第1項の規定を適用しない旨の意思を表示したものと推定する。」と定めており、居住の用に供する建物又はその敷地については、民法第1043条第1項の贈与の価額として加える必要がなく、遺留分を算定するための財産の価額から控除することができると考えますが、いささか疑義がありますのでご教示願います。

【質問箱委員会回答】

1 先ず、結論から申し上げますと、民法第903条第4項の規定が遺留分の算定に影響を与えることはないと考えます。
 この規定は、遺産分割の前提となる相続財産の範囲を定める民法第903条第1項の、持戻し(相続人に対する遺贈や、遺産の前渡しと評価される生前贈与の価額を相続財産に含める。)という原則に対する例外(持戻し免除)の意思表示を推定するというものであり、遺留分の問題とは別のものです。

2 遺留分制度は、自らの財産は自由に処分でき、遺言においても自由に死後処分できるという原則(全財産を相続人以外の者に贈与してしまうような処分も有効に行える。)に対し、一定の相続人の期待権を保護し、被相続人死亡後の遺族の生活を保障するために、相続財産の一定割合を一定範囲の遺族のために保障するという制度です。
 被相続人の自由な処分にかかわらず、最低限の遺留分権利者の権利を守る制度ですから、被相続人のみの意思に基づいて遺留分権利者の権利を奪ったり縮減したりすることはできません(被相続人が養子縁組をすることによって、反射的に遺留分権利者の権利が影響を受けることはあります。)。
 したがって、民法第903条第4項の贈与等について、持戻し免除の意思表示があったと推定されたとしても、その贈与等が遺留分を算定するための財産の価額に加えられるべきことに変わりはありません。

3 遺留分に関する考え方ですが、従前は、被相続人の贈与等の処分(持戻し免除の意思表示を含む。)の効力を、遺留分を侵害する限度で否定する(減殺する)というものだったのに対し、今回の民法改正で、被相続人の自由意思による処分の効力はそのまま維持した上で、別途、遺留分権利者に遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求権を認めるというものに転換されました。
 持戻し免除の意思表示に関する民法第903条第3項の規定から、「その意思表示は、遺留分に関する規定に違反しない範囲内で、その効力を有する。」という文言が削除されたのは、遺留分制度が、被相続人の自由な処分の効力は維持したまま、別途、遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求権を認めるという考え方に転換された結果、被相続人による処分を否定することを前提とした表現が実体に合わなくなったことによるものです(民法第902条第1項ただし書き及び同第964条のただし書きも、同じ理由で削除されました。また、「減殺」という文言も使われなくなりました。)。

4 ちなみに、民法第903条第1項の「被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたもの」という規定と、遺留分を算定するための財産の価額を定める民法第1043条第1項の「被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額」という規定は、よく似ていますが、その内容は同じものではなく、連動もしていません。
 例えば、民法第903条第1項の「その贈与」は、相続人以外の者に対する贈与は含みませんし、相続人に対する遺産の前渡しと評価できる贈与であれば、それが10年より前のものでも対象となります。

 これに対し、民法第1043条第1項の「その贈与」は、相続人以外の者に対する贈与(原則として相続開始前の1年間にしたものに限る。)も含むほか、相続人に対する贈与については、遺産の前渡しと評価できる贈与であって、原則として相続開始前の10年間にされたものだけが対象となります。

5 民法第903条第4項の規定は、居住用不動産の贈与等を受けた配偶者が、より多くの財産を取得できる方策として新設されたもので、相続税法上の贈与税の特例(婚姻期間20年以上の夫婦間で、居住用不動産の贈与が行われた場合等に、税法上の特例を認める制度)を参考に、配偶者の長年の貢献に報いるとともに、配偶者の老後の生活を保障するという、一般的な被相続人の意思にも合致するものとして新設された旨説明されています。
 ただし、居住用不動産に限定されており、居住用不動産の購入費用の贈与等は対象とされていません。
 この規定の施行日は令和元年(2019年)7月1日で、施行日前にされた贈与又は遺贈については適用されませんから(改正附則第4条)、施行日前にされた贈与又は遺贈について持戻しの免除をしたい場合は、別途その旨の意思表示をしておかなければなりません。
 なお、死因贈与についても、遺贈の規定が準用されることから(民法第554条)民法第903条第4項の対象となり、配偶者居住権の遺贈についてもこの規定が準用されます(民法第1028条第3項)。

6 最後に、公証人としては、民法第903条第4項が「推定する。」という規定であり、推定は反証によって覆されることがあり得ることに留意し、配偶者に対して居住用不動産を贈与等する場合、被相続人が確実に持戻し免除の効果を生じさせたいと考えているのであれば、推定規定に頼るだけでなく、後日の紛争防止のため、不動産(死因)贈与契約公正証書や遺言公正証書等に、持戻し免除の意思表示を明確に行っておくほか、他の相続人にあいまいな説明を行ったりして反証とされるようなことのないよう、被相続人に注意しておくのが相当と考えます。

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民事法情報研究会だよりNo.40(令和元年8月)

 残暑の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、去る6月15日の前期セミナーでは77名の会員が参加して、元法務省民事局長で前最高裁判所長官の寺田逸郎先生から「法と裁判――平成をふりかえって」と題するご講演をいただきました。時宜に適った含蓄のあるお話しでしたが、講師のご意向により講演録としての文字おこしはいたしませんでした。欠席された会員の皆様には、講演レジュメと資料を本号に掲載いたしましたのでご了解ください。(NN)


今 日 こ の 頃

   このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

  ❝事件です❝の50年(五十嵐 徹)  

本稿は、近畿公証情報(2014.10.1・No59)に登載した原稿の一部を 削除の上加筆修正したものです。

3億円事件と日本武道館

 1968年(昭和43年)国連総会は、世界人権宣言採択20周年に当たるこの年を国際人権年と指定し、テヘランで国際人権会議を開催しました。法務省では、記念切手・記念たばこ(ピース)を発売し、NHK歌謡コンサートにおいて記念コインの宣伝をしてもらうなど多種多様の啓発活動をしました。
 そして、12月10 日の「人権デ-」に日本武道館において、皇太子、同妃両殿下のご臨席のもとに国際人権年記念式典が挙行されました。私は、一担当職員として、文字どおり走り回っていました。


日本武道館

 同日午前9時20分ころ、東芝府中工場従業員のボーナスのための現金約3億円を積んだ日本信託銀行の現金輸送車が、府中刑務所北側の路上で、後を追ってきた白バイ警官に止められました。警官は、爆発物を発見したといって、行員たちを車外へ退避させ、運転席に乗り込み、そのまま走り去りました。
 この事件のため、国際人権年記念式典の模様は、ほとんど報道されませんでした。
 残念。

浅間山荘事件と富良野スキー場

 昭和46年4月1日付けで北海道の釧路地方法務局訟務課長を命ぜられました。雪と濃霧のため釧路空港には着陸できず、帯広空港で下ろされ、航空会社の手配したタクシーで釧路の宿舎まで行き、なんとか期限内に着任できました。

 翌年2月28日、札幌での会議を終え、帰路につきました。片道350キロメートルです。列車は、大雪のため、富良野駅で運行停止となりました。見知らぬ町で降ろされ、途方に暮れました。そうだ、出張所があるはずだ。飛び込みで入りました。所長宿舎が併設されており、一晩泊めていただくことができました。

 その夜、テレビに釘づけになりました。

 連合赤軍5名による寵城事件と警察による人質(山荘の管理人泰子さん)解放作戦です。警察と過激派との攻防は、映画の戦闘場面を見るようでした。テレビは、雪の降り続く中、連続10時間を超える中継を行いました。犯人逮捕・人質救出の午後6時から7時まで、民放を合わせたテレビの総世帯の最高視聴率は、89.7パーセントに達したとのことです。所長ご夫妻との会話も少なく、見入っていました。

浅間山荘

 これがご縁で、富良野スキー場(旧・北の峰スキー場)とのお付き合いができました。

立山・富士山・キリマンジャロ

 昭和58年4月30日、立山3山の一つ雄山(2992メートル)登頂を目指しました。最高峰は、北隣りの大汝山(3015メートル)です。室堂を中心とする立山高原は、330度(360度-30度)どの方角へ向かっても山で、残りの西30度方向を下れば、富山市へ出ます。
 グラグラする岩、ゴロゴロ落ちる石にハラハラしながらも、なんとか山頂に着き、雄山神社へのおまいりもそこそこに、360度ひと回りすると、見えました。富士山が、はるか彼方にくっきりと。一斉に歓声が挙がりました。手前の槍、穂高も、今日は脇役です。
 立山から富士山までは約170キロメートルですが、直線上には、松本、甲府盆地があり、北アルプス、南アルプスにより視界をさえぎられることはないのです。
 2週間後、富士山へ行きました。スバルライン終点の手前から、雪渓を利用して、7,8合目位まで登ります。雪が氷のように堅くなっているので、斜め登行はできません。直登です。快晴無風で、物音ひとつしません。しかし、立山は見えませんでした。立山からは見えたのに。

 昭和60年11月21日海外青年協力隊の隊員6名が死亡しました。彼らは、マラウイで活動中でしたが、休日を利用して北方に位置するアフリカ最高峰のキリマンジャロ(タンザニア)へ登頂しての帰り道、乗車していたマイクロバスが暴走対向車と正面衝突したのです。遺体の帰国後、当時の海部俊樹文部大臣も出席して、盛大に葬儀が執り行われました。


キリマンジャロ

 死亡者の一人は、立山登頂に同行したゴリラこと林君(享年28歳)です。その名を不二夫(ふじお)といいます。法務省(営繕課技官)を休職して、隊員として頑張っていたのです。無念です。

地下鉄サリン事件と小伝馬町駅

 平成7年3月20日午前8時ころ、東京都内の地下鉄丸の内線、日比谷線の各2編成、千代田線の1編成、計5編成の地下鉄の車内で、化学兵器として使用される神経ガス・サリンが一斉に散布されました。日比谷線の目黒行き電車には、上野駅で林泰男(死刑囚)が乗車し、秋葉原駅付近でサリンのビニール袋に傘で穴を開けて床へ置いて下車し、小伝馬町駅で乗客がこれをプラットホームへ蹴り出し、築地駅で電車は非常停止しました。各駅のホームは、ガス中毒の症状に苦しむ乗客であふれました。小伝馬町駅では、後続の列車の乗客も次々に被害を受け、8名が死亡しました。全体では13人が死亡し、約6,300人が重軽傷を負いました。

 この日私は、いつものように午前8時30分ころ上野駅で日比谷線に乗り換え、勤務先である財団法人抵当証券保管機構(平成24年8月1日解散しました。)のある小伝馬町駅へ向かった途端、地下鉄は、運行を停止しました。およそ10分の差で地獄を見なかったわけです。


小伝馬町駅

東日本大震災と安比高原スキー場

 平成23年3月4日岩手県安比高原スキー場へ行きました。コース数が21もある広大なスキー場です。そして翌週には、東北新幹線全線開通記念ツアーに参加し、35年振りに青森を訪問する予定でしたが、直前に定員オーバーという連絡があり、断念しました。
 そして1 1日、あの大地震が発生しました。仙台市生まれということもあり、できる限りの支援をしてきましたが、なんといってよいか。まだまだ、復旧したとはいえません。


安比高原スキー場

 平成26年8月東野圭吾のベストセラー小説(120万部)「白銀ジャック」が渡辺謙の主演でドラマ化されて、テレビ朝日の土曜ワイド劇場で放送されました。これは、安比高原スキー場とホテル安比高原グランドを舞台にしたサスペンスで、数多くのコースで撮影されていました。最後に、ダイナマイト爆破により雪崩が発生したゲレンデは、しっかりと記憶に残っているコースでした。

氷河を滑る?

 平成24年5月立山・雄山と剱岳にある3つの雪渓が、氷河であると認められました。氷河とは、雪渓(万年雪)が長期にわたって斜面を流動する氷の塊をいいます。日本には存在しないとされてきました。北海道には高い山がないため、また、富士山は降雪量が少ないため、いずれも氷河はできないのです。

 赤道直下のキリマンジャロの山頂クレーターには、巨大な氷河があるそうです。しかし、ゴリラ君が見たこの氷河は、地球温暖化の影響を受けて、早ければ、2020年ころには消滅するのではないかといわれています。


【カナディアンロッキーを滑る】

 カナダのウイスラー山とブラッコム山には4つの氷河があります。2004年4月にはヘリコプターをチャーターして、この氷河を滑ることができました。

 世界最大の氷河は、スイスのアレッチ氷河でしょう。2001年に世界遺産に登録されています。 2007年3月にスキーツアーでスイスに行ったときに、グリンデルバルトからユングフラウヨッホに上がり、雄大な流れを見ることができました。滑ることはできません。

公益財団法人? 東京都スキー連盟

 公益財団法人は、一般財団法人のうち、公益事業を主な目的としている法人で、申請により公益性を認定された法人です。この公益財団法人は、いきなり公益認定を受けられるわけではなく、まず一般財団法人を設立し、次に「公益認定」の申請をすることになります。ただし、東京都スキー連盟(以下「都連」という。)のように既存の法人は、平成26年11月30日までは「公益財団法人」への移行認定申請をすることができました。全日本スキー連盟は、その申請をして認定されましたが、都連は、申請をしなかったため、「一般財団法人」のままです。

 同年8月IOC副会長などを歴任した猪谷千春氏(1956年冬季オリンピック大会の回転競技で銀メダル・アルペン競技で日本人ただ一人の受賞者)が会長に就任しました。会長は、「公益移行」の方針を示し、規約審議委員会に対して、定款その他の規約の全面的な見直しを諮問しました。
 同委員の私は、そのころから体調不良を生じ、通院、入院を繰り返すことになりました。しかし、審議をストップすることはできないため、麹町にある都連へは、入院中を除いては欠席せず、また、メールをフル活用して審議を進め、平成27年8月に答申をし、翌年4月には再答申をしました。猪谷会長は、これを受けて、内閣府に対して、認定申請をしました。
 ところが、内閣府のOKは1年以上出ず、猪谷会長の平成29年7月満了までに「公益財団法人」化はなりませんでした。会長への“はなむけ”になると思っていたのですが、残念です。そしていまだに一般のままです。


【猪谷千春(右)・金メダルのトニー・ザイラー(中央)】
  こんな男に誰がした?(佐々木 暁)  

 古稀を過ぎた身には、夏の日差しがじんわりと堪える。熱中症対策用の飲料を持たされ、ベランダの窓際の椅子にもたれて、生温い風に吹かれながら、久しぶりの東京の蒼い空を見上げているうちに、いつしか自分の生きてきた道などにつらつらと想いが流れた。
 私と言えば、・・・そう、昭和の時代には、戦後生まれ、団塊世代の旗頭、亥年生まれの猪突猛進型と揶揄されつつ、戦争知らない若者代表、競争社会の代表世代として、良くも悪くも一生懸命生きてきて、平成を経て令和の今がある。
 思えば、北海道の田舎の次男坊として生を受けたが、長男たる兄が幼くして他界したため、実質5人弟妹の長男格として君臨?したものの、非力で、潮風にも対抗できず、早々に跡継ぎレースからは脱落、というより、親にも当てにもされず、絶対に合格しないと太鼓判を押された公務員初級試験に見事?に合格して見せたところから、苦難?の法務局人生が始まる。
 窓際にいる私の目の前を、名前も知らない大きな黒い蝶がふわりふわりと花から花へと自由そのままに飛んでいる。私が何を想い耽っているのかと言わんばかりに。私もこの蝶のように自由に今日まで生きてきたんだろうか。もちろん、公務員としては、法律・規則・倫理等々のなかでそうそう自由とはいかなかっただろうし、一人の人間としても、夫や親としても目の前の蝶のようにはいかないこれまでの人生ではある。
 ぼんやりと遠くの空を見上げながら、ふと、最近、元同僚や後輩たちの私に関する何気ない?遠慮のない?言葉のやりとりを思いだし、一体私はどんな人間で、どんな男で、世間の皆様方からどんな風に看られているんだろうと言う思いに駆られた。
 かって、何かの会報に、私は、妻に対して、「ありがとう」「ごめん」と言えないし、加えて「妻の名前を呼べない、呼んだことがない」、そんなところをどうにか改善したい、と反省の弁を述べたことがある。しかし、しかしである。そのことが未だ改善されていない。よく言えば、改善途上であると言えなくもないが、要するに、口先だけのいい加減な人間なのである。他にも我が人格(性格)上、おかしなところが山ほどにあるらしい。自分も気が付いている。その極々一部を挙げてみた。
 ・・・・・・
 「ゴルフは、自分よりスコアの悪い人としかやらない。つまり、自分より旨い人とはやらない。だから今はしていない。新しいクラブも、3年間封印したまま。」
 「ギャンブルはしないと言うより嫌いである。パチンコは人生で二度・計200円の損失。競馬は、年一回有馬記念のみ1000円」
 「煙草は、生涯2本。吸い込んではいない。煙を揺らせただけ。不味い。」
 「甘党・辛党、両党使い」
 「非を簡単に認めない。自説を曲げない。強情っ張り?。」
 「涙もろい。人情に弱い」
 「将来見込みのある者しか叱らない。自分はあまり叱られた記憶がない。」
 「理不尽なことには、とことん立ち向かう。相手が誰であろうが。」
 「東京ガス以上の強力瞬間湯沸かし器と陰で評されている。」
 「都会のホテルより、田舎の囲炉裏のある温泉宿が好きだ。」
 「高価な車は買わない。その代わり車検も取らない?」
 「家に架かる電話は絶対に取らない。20回鳴ったら出るかも。」
 「何か頼まれたら、断れない。借金以外は。」
 「信頼関係ができた友人との付き合いはしつこいかも。」
 「女性を食事に誘うのは不得手。断られるのが怖い。」
 「他人には厳しいが、自分に甘い。孫には、まるでまるで甘いらしい。」
 「飛行機の座席は、前方通路側と決めている。」
 「大きな夢がない。身近な目標もない。」
 「趣味がない。得意なことがない。その気になればいつでもできると思っている。」
 「法務局は大好きと言っているが、訟務の経験がない。」
 「昔の登記所の庁名1200を全部覚えたことがある。」
 「魚は大抵尾頭付きを買う。身以外のアラ部分が旨いから。」
 「机の上に物を置くのが嫌いである。整理・整頓好きである。」
 「メールより葉書や手紙が好きだ。」
 「酒を飲む容器・グラスにこだわる。酒の種類毎、冷・温毎に。」
 「背広のポケットに余計な物は入れない。」
 「嫌は嫌、好きは好きと速攻で言う。」
 「頑張っても一番にはなったことがない。」
 ・・・・・・・・
 以上は、あくまで思いついた一例である。数え上げたらきりがない。これ以上の列挙は裸の王様状態となり恥の上塗りとなる。これだけでも充分に変人男である。どんな人間像が浮かび上がるのであろうか。捉えようのない複雑怪奇な人間像が想像される。
 人の性格は、「良い方向へと治す」との努力の甲斐もなく、実は一生死ぬまで変わらないもの、治らないものと悟る境地に間もなく辿りつきそうである(本当は、もうとっくにその境地に辿り着いているのに、まだ進化、改善の努力中と無駄な抵抗をしているようにも見えるから可笑しい。)。
 古稀から喜寿への旅路も更に険しくなりそうな予感がする。旅の途中で失いそうな、体力、知力、活力、視力、聴力、記憶力、財力等々(もともと持ち合わせていない力も多くあるが)。
 結局のところ、こんな男になったのは誰の所為でもなく、すべて私自身の所為であり、自業自得の結果である事は、百も承知の筈なのだが。
 空模様が急におかしくなってきた。夕立が来て我が身の心底まで洗い流してくれたらと願いつつ、・・♪♪誰の所為でもありゃしない・・みんな俺が悪いのさ・・♪♪・・と昔流行った唄を口ずさみながら、今日も一日無事に終わりそうである。
 会友の皆様には、こんな私でも、今少しの間、温かく、辛抱強く、ご指導、ご助言、ご交誼下されば幸いである。

  秋山伊左衛門(秋山重紀)  

 私は、転勤の都度、家族と公務員宿舎に入居させていただき、退職の1年前に、札幌市郊外の閑静な地に終の住まいを設け、僅かな敷地にトマト、茄子、サツマイモ等をそれぞれ数株植えその収穫と、家に衝突しそうに向かって来る電車や丘珠空港から飛び立つ航空機を窓越しに見るのを楽しみにしている。
 拙宅の建築にあたり、100歳に近づいていた父は祭司承継等について何も語らなかったが、長男の勤めとして仏間を設け、宗派に相応しい金仏壇を購入し、以前から保管していた過去帳を納めた。この過去帳には、明治42年に66歳で他界した曾祖父伊左衛門まで、三代の長男夫婦について記録されている。

過去帳

 幼い頃に聞いた祖母の教えに従い、朝夕仏前に座し南無阿弥陀仏を唱え、家族の皆が健康であることへの感謝と、これまでを顧みている。法務局時代は、私なりに気遣いしたつもりだったが,退職し組織の外から過去を振り返ると赤面することが多く、今更ながら一人で反省している。
 私は、春耕のころ斜里岳からの強烈な風がオホーツク海に向けて吹き抜ける地で生まれ育った。両親は、小規模な農業を営み、種まき、草取りそして収穫までのほぼ全てを手作業で行い、5月の連休から11月の初雪の頃まで、休むことなく、畑に出ると日が沈み暗くなるまで戻ることなく働いていた。私達の食事等の世話は、母に代わり祖母の仕事であった。祖母は、明治の女、武士の娘らしく凜として無駄口は叩かず寡黙であったが、私には昔話や戦争体験等を聞かせてくれた。また、祖母は、幼くして母と死別したためか孫には平等に優しく、私は祖母から叱られた記憶がない。床の間には、曾祖父伊左衛門の辞世の句をしたためた掛け軸があり「66歳まで健康で生きたことに感謝していること。他人様のこと(悪口)は言わないこと。家族は争うことなく助け合い繁栄に努めること。戦争のない平和な世が続いて欲しい。」と書かれていると祖母に教えられた。さらに、曾祖父は地域の心配ごとや揉めごとの相談を受けることが多々あり皆から頼りにされていたとも聞いた。私は、疑うことなく祖母の話を素直に聞き入れ、曾祖父伊左衛門を敬い、このことを心の片隅に記憶していた。

 私は,曾祖父の他界した66歳を超えたが健康に恵まれ、夏は車を利用し、冬は徒歩3分の百合が原駅から電車に乗り札幌駅で特急に乗換え岩見沢駅で下車、事務所までは歩き約1時間かけて通勤している。この通勤時間を利用して警察小説等を楽しんでいる。厳冬期の札幌は氷点下10度程になり、早朝の札幌駅ホームはわずかの風でも文庫本をめくる手が痛く感じることがある。そんな朝は、コートの袖を伸ばして本を持つ手の露出を少なくし、特急が入線するまでの十数分を耐えている。

 雪祭りが終わり中国人観光客が減少したシバレの厳しい日、寒さを凌ぎながら「黒書院の六兵衛(浅田次郎・上巻:文春文庫)」を手にしていた。この物語は,大政奉還後の江戸城の明渡しにあたり、それを執り行う官軍の俄か隊長に命ぜられた御徒組頭加倉井隼人が江戸城西の丸御殿に赴いたところ、一介の御書院番藩士六兵衛が梃でも動かず座り続けているところから始まる。江戸城は不戦開城とされ、仮にこの六兵衛を移動させるために力を用い争いが起こり刃傷沙汰となることは断じて許されないとされていた。加倉井は六兵衛の属していた八番組頭の命により六兵衛を立ち退かせることとした。
 さて,その御書院番八番組の御頭は「秋山伊左衛門(あきやま いざえもん)」様と同書157頁に振り仮名を付して記してある。この組頭は、徳川将軍家に仕える千石格の旗本である。
 私の心臓は高鳴り鼓動が伝わる。目は止まり活字を追わない。2月の寒さは感じられない。半世紀以前に祖母に聞かされ写真や遺影もなかった曾祖父秋山伊左衛門の登場である。曾祖父伊左衛門は、明治42年に66歳で他界したのであるから明治維新には20歳を過ぎていた。加えて、家には曾祖父伊左衛門のものとされる裃や刀が保管されていた。
 何と、今も徳川幕府が続いていたならば、私は、組頭を世襲し、騎兵80人を従える千石高の旗本、月代は十分にあるがちょん髷は心配などと勝手に想像を膨らませた。
 特急に乗車後、いつもの5号車10番C席に着き、心を落ち着かせ文庫本を開き読み続け、事務所に到着後も同様で、お客様からの電話に「本日は予約で一杯です。」とは答えることはなかったが、時間の限り読み続けた。この組頭伊左衛門は、50歳に近く、江戸城を離れ千葉の妾宅に身を寄せている状態であり、八番組の組頭であったが信頼されておらず下命することはなかった。
 組頭と曾祖父とは、年齢が異なること、曾祖父は岐阜県から渡道していたこと、何より組頭に人望がないことにより別人と思われたが、上下巻を読み終わるまでの間、これまでの小説で得ることのない期待と感動を覚えた。
 浅田次郎が小説に使用する名前や人物設定に興味を持ったが、一笑に付されそうで浅田事務所に問合わせることは思いとどまった。蛇足であるが、浅田次郎が第2次世界大戦終戦当時のカムチャッカ半島に近い占守島の知られざる戦を書いた「終わらざる夏(上・中・下:集英社文庫)」は,終戦記念日を迎え、北方領土から命がけで引き揚げた元島民のご苦労を知るうえでもお勧めである。

 まもなく迎える毎日が日曜日の準備として、二人の子供の家の草むしりと野菜作り、暇なときは今回のような出会いを期待して文庫本を読む「晴耕雨読」の今日このごろである。

  「伊勢の国から」(福田 勝)  

 伊勢公証役場公証人に任命され、一年が経過しました。この一年間は、毎日が勉強、勉強の日々でした。法改正、新規手続の導入など、自己学習だけでは対応できず、諸先輩からの御指導や、名公会研究会での協議問題の検討、日公連、四公会主催の講演会への出席等、様々の 所で御教授をいただき、何とかこの一年、公証業務を行うことができました。今後も法改正等が続き、日々の自己学習を続け、適正・公正な公証業務を行うためにも、様々な勉強会等への出席を心がけていきたいと思います。

 ところで、業務に慣れるとともに、地域とその地域の人たちにも慣れることも重要です。気候、人柄、言葉(方言)など、早くその地域に馴染むことも大事です。
 遺言公正証書の読み聞かせでは、住所や本籍等を読み上げますが、どうしても読み方が理解できない地名があります。ここ伊勢は、難読地名が非常に多く、一例ですが、「朝熊」と書いて「あさま」、「佐八」を「そうち」、「相差」を「おうさつ」、「石鏡」を「いじか」と読みます。就任当初は、読み方が違うため、嘱託人や証人から何度も指摘され、四苦八苦しました。そこで地名の読み方一覧を作成し、机上に貼り付け、指摘を受けないように努め、今は、ほとんど間違えなく読めるようになりました。
 また、意味がよく理解できない言葉(方言)もあります。「わしの遺産をオイボシにやりたいさかい、先生、公正証書をまいてもらいたいんやが。」この意味わかりますか。遺言相談における嘱託人との会話の一部ですが、嘱託人は、「私の遺産を甥に相続させたいので、遺言公正証書を作成してほしい。」と述べているのです。「オイボシ」とは、「甥」のこと。「まく」とは、「作る」という意味です。 「オイボシ」は何となく「甥」のことかなと感じ取れますが、「まく」を「作る」と理解するには苦慮しました。公正証書をまくの、ん?配る?ばらまくっていうこと?「オイボシ」は「甥」、では「姪」は何というのか。「姪」は「めい」です。なぜ「甥」だけ「オイボシ」というか、「これだ。」と、はっきりした理由はないそうです。今は私も、「オイボシに遺贈ですね。」、「公正証書をまくのでいいんですね。」と言ってます。

 伊勢の人びとは、やはり伊勢神宮とともに生きていると言っても過言ではありません。「お伊勢さん」に守られ生活しているんだという気持ちを少なからず持っていると思います。年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例のお祭りの中で、最も重要なお祭りが「神嘗祭(かんなめさい)」です。その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りです。「神嘗祭」では、「初穂曳」という行事があります。これは、米の実りに感謝を込め、全国から集められたお初穂をお木曳車(大型の荷車)に載せ、陸路で外宮までの陸曳(おかびき)と、五十鈴川から内宮へ船を曳き入れる川曳(かわびき)の一連の行事を「初穂曳」と言います。「初穂曳」は、多くの伊勢っ子が参加します。私も、伊勢に住んでいるからには、「初穂曳」に是非、参加したいと思っています。

  地方では、その地域の風土や人々と慣れ親しむことは、公証業務を行う上では、重要なことと思います。
 現在、伊勢公証役場では、伊勢市は毎月1回、志摩市及び鳥羽市は隔月に1回、公証相談を各市役所で行わせていただいています。また、伊勢市広報に毎月1回、「公証相談」の案内を載せていただくなど、 少しずつですが、自治体等の御協力を得ながら、地域の皆様に公証業務の周知を図って、公証業務を通じて地域に貢献できる公証役場を築いて行けたらと、誌友の皆様に、「伊勢の国から」お伝えします。

実 務 の 広 場

 このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.70 年金分割の請求に関する文例について

 本稿は、私が、平成25年度の近公会研究委員として、「新任公証人の文例等のメモ(離婚給付等)」をまとめ、同年度の四公会有志合同研究会において概要を発表したもののうち、年金分割請求に関する部分について、その後の年金分割請求に関する取扱い変更を踏まえて加筆修正したものです。

1 年金分割合意

注:年金分割の請求は、離婚後、厚生年金を所管する年金事務所(厚生年金の運営主体は、平成22年1月1日から、社会保険庁が廃止・解体され、厚生労働大臣から委任を受けた日本年金機構である。)に対して行う。平成27年10月1日以降、国家公務員共済組合、地方公務員共済組合及び私立学校教職員共済組合の各共済制度は厚生年金に一元化されることになり、請求の名宛人は、厚生労働大臣又は日本年金機構理事長(以下、注の中では「厚生労働大臣等」という。)となった。

合意分割による離婚時年金分割請求における公正証書には、①標準報酬 の改定又は決定の請求をすることの合意、②請求すべき按分割合についての合意のほか、③第1号改定者の氏名、生年月日及び基礎年金番号並びに、④第2号改定者の氏名、生年月日及び基礎年金番号が記載されることが必要である。

新版「証書の作成と文例」家事関係編〔改訂版〕(以下「文例」という。)204頁以下参照。ただし、文例の【文例22の1】及び【文例22の3】は、上記①の合意が明記されていないことから、誤記証明書の交付を請求される場合があるので留意すること。

 2 被保険者が国家公務員共済組合員であるとき(年金分割のみ合意)

注:共済組合の手続は、組合員である甲が所属組合にしたほうがスムーズにできる場合があるので、この条項を記載した。共済組合の種別により、○○県市町村職員共済組合等と記載する。 

 3 年金分割合意(情報通知書を別紙として添付する場合

 4 いわゆる3号分割のみの合意

注:平成20年5月1日以後に離婚し、平成20年4月1日以後に国民年金の第3号被保険者(第2号被保険者の配偶者であって主として第2号被保険者の収入により生計を維持する者のうち20歳以上で60歳未満の者)としての婚姻期間がある場合、第3号被保険者であった者は、按分割合の合意なくして対象期間(平成20年4月1日以降)の標準報酬の分割(3号分割)を厚生労働大臣等に請求できるので、公正証書に記載を要しないが、嘱託人から記載する旨請求があったときは、備忘録として記載することになる。

 5 年金の分割について認証手続をした例

 6 離婚時年金分割の請求をしない旨の合意

注:年金分割の制度は、年金制度が夫婦双方の老後等のための所得保障という社会保障的意義を有しており、厚生労働大臣等に対する公法上の請求権であって、財産分与とは異なる制度であるが、離婚当事者は、財産分与の一つとして考える傾向がある。離婚に当たって離婚給付等契約公正証書で、年金分割の合意をせずにその余の財産分与等の請求をしない旨、他に債権債務がないことの清算条項が合意されても、後に年金分割の請求をすることは、同請求権が上記のとおり厚生労働大臣等に対する公法上の請求権であることから妨げられない。ただし、同公正証書等で、年金分割の申立てをしないとの合意(年金分割の請求をしない旨又は年金分割事件の申立てをしない旨)をすることは、公序良俗に反するような事情がない限り有効とされ、この場合には(3号分割の請求は別として)、年金分割の請求をすることができなくなる。

この合意に係る公正証書を作成することは、公証人としても慎重に判断すべきであろう(文例210頁参照)。

(栁井康夫)


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民事法情報研究会だよりNo.39(令和元年6月)

 初夏の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、平成の時代から新しい令和の時代に変わってひと月が経過いたしました。当法人の事業年度は4月から3月までの1年としておりますので、7期目の本年度の始まりは平成31年4月からになりますが、年度の事業計画を承認する定時会員総会は本月15日に開催されますので、本年度の表記は「令和元年度」とすることにいたしました。元号法が成立した昭和54年当時、香川法務省民事局長が、国の業務で最も多く元号を使用している登記、戸籍業務に関して、国会で一貫して「国の管理する帳簿には国が定めた元号で記載する」と答弁されたとのことですが(研究会だよりNo.12、樋口「今は昔」参照)、これに倣うものです。(NN)


今 日 こ の 頃

 このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

  濱崎さんの思い出(小畑和裕)  

1 濱崎恭生さん(元法務省民事局長)が亡くなられた。ご家族からお知らせ頂いた時は余りにも突然のことで、お悔やみの言葉も言えず絶句してしまった。ご病気だとは聞いてはいたがこんなにも早く逝かれるとは夢にも思わなかった。濱崎さんが民事局長に在任された時、総括補佐官としてお仕えし、公私にわたりお世話になった。日常の業務執行の際や、出張の随行、私的な付き合いの場面等において数々のご指導を賜った。楽しい思い出も沢山頂いた。亡くなられて一月が経過した今も実感が湧かずに、呆然としている。

2 濱崎さんは公私の別を厳格にされる方だった。奥様を亡くされた時もそうであった。普段から私的な事柄を職場に持ち込んだり、話をされることはなかった。奥様が闘病されていることは全く知らなかった。亡くなられた後、送迎担当の運転手によれば、濱崎さんはいつも自宅付近で降車されるので不審に思っていたところ、奥様を見舞うために、病院に行かれていることが分かった。口止めをされていたという。また、当時の民事局は、立法作業や国会の対応で繁忙を極めていた。そのため、日曜出勤されて資料を検討されたり、参事官室の皆さんと打ち合わせなどをされていた。私は全く知らなかった。後で聞いたことだが、日曜日は勤務を要しない日だ、迷惑をかけることになるので総括補佐官には一切知らせないようにと濱崎さんが指示されていたとのことだった。地方で開催される法務局長会同や支局長会同に出席する場合に、国会等の対応で出張先の宿舎への到着が深夜になることが一再ならずあった。その場合、勤務時間外であり出迎えは絶対ならぬと厳命を受け、地元幹部への説明・説得に苦労した。

3 濱崎さんは多趣味の人だった。ゴルフ、囲碁、麻雀、カラオケ等どれをとってもプロ級だった。ゴルフは何度となくお供をしたが、特に思い出が深いのは、総括補佐官グループと一緒にプレーを楽しんだ王子にある都民ゴルフだ。昼食はコースの途中にある茶屋で缶ビールと簡単なおでんで済ませた。ほとんどの場合2ラウンドをプレーした。特に、桜の季節はプレーを終えた後、缶ビールとつまみを沢山買い込み、王子駅前で花見をした。明るく楽しい酒盛りだった。参加者全員が前後不覚に酔っぱらった。朝早くから出かけて、帰宅が深夜になることはザラだった。濱崎さんはいつも自宅から自転車を駆って参加された。帰宅途中に警察官に呼び止められ職務質問を受けたこともあったらしい。また、法務局出身の公証人で組織されていた白鳳クラブのゴルフに招待されてお供をした。どんなにスコアが良くても、ゲストなので準優勝が最高位だった。同会の規程により、ゲストは優勝できないのだ。それでもベスグロ賞を得て楽しそうだった。全身を鞭のようにしならせて華麗なフォームでスイングをされた。下手くそな私には、パートナーや後続のプレーヤーに迷惑をかけるから「打ったら走れ」が口癖だった。囲碁は有段者の腕前で、法務省の囲碁クラブや、法務局OBによる石心会のメンバーとして活躍されていた。麻雀も上手であり、事務次官や他の省議メンバーから誘われて卓を囲んでおられた。総括補佐官としては勝負の結果が気になるところだが、一度も口にされることはなかった。カラオケは主に総括補佐官グループの集まりや出張先の懇親会などで楽しんでおられた。伸びのある高音で上手だった。演歌が得意だった。お酒はよく飲んでおられた。ただし本人は、「私は元来下戸である」と言っておられた。とても信じられなかった。一方、タバコはヘビースモーカーだった。法務局から帰京する際、飛行機の出発を機内で待っていた時、機内が全面禁煙である旨アナウンスされ、それなら降りると言われて困ったことがあった。禁煙を勧めたこともあったが、一笑に付された。

4 濱崎さんは若い職員が大好きだった。法務局に出張された際も、本局の幹部たちの業務報告とは別に若い職員たちから直接話を聞くことを希望された。そのため、日程が可能な限り、支局や出張所の視察を望まれた。視察先では若い職員に気軽に話しかけられた。声をかけられた職員は感激のあまり緊張してとんちんかんな返事をする場合もあったが、濱崎さんは嬉しそうに聞いておられた。今思えば、法務局の将来を担う若い職員に期待するとともに、民事局長が直接出向いて話しかけることにより、本省との距離を近くしようと考えておられたのだと思う。

5 濱崎さんの思い出は沢山ある。どの思い出も楽しいものばかりだ。ごく最近までお付き合いをしていただいた。私が愚にもつかない話をしてもいつもにこやかに聞いて頂いた。亡くなられたことが未だに信じられないが、今はただ衷心よりご冥福を祈るのみである。

  高齢化社会におけるある遺言(木村俊道)  

 近年、高齢者ドライバーによる自動車事故が増加し、特に最近は高速道路の逆走やブレーキとアクセルの踏み間違いなどによる痛ましい重大な事故が連日のように発生しています。

 これらの事故防止のため、各都道府県警察や地方自治体においては、運転免許証の自主返納を推進するための様々な取り組みを行い、また、各メディア等でもこの問題が頻繁に取り上げられています。自主返納をする高齢者も年々増加しており、特に、今年の4月に3歳の女児と母親が亡くなった池袋での87歳の高齢者ドライバーによる暴走事故後には、東京都内で自主返納が急激に増加しているようです。

 しかし、当公証役場の管内である十勝管内においては、公共交通機関網が十分でないため、交通手段は車に頼ることとなり、必然的に高齢者ドライバーも多くなります(私もその一人かもしれませんが…)。もっとも、当管内では交通量もさほど多くないので、第三者を巻き込んだ目立った重大事故等は発生していませんが、信号が赤になっても止まらず非常にゆっくりとしたスピードで交差点を通過して行ったり、ウインカーを出さずに急に曲がったりと、高齢者ドライバーによる危なっかしい場面は毎日のように見かけます。

 当役場管内では遺言作成のため出張する際には、市外では片道40~50キロ程度はざら、市内でも片道20キロを超えるところもあり、当然、車を利用することとなりますが、遺言作成のために来られる高齢者の方も、自分で車を運転してくる方がかなりおられます。

 このような高齢者の方には、できるだけ来られる回数を減らし早く作成してあげたいと思い、十分に話を聞いた上で、必要書類等を記載したメモを渡し、書類が揃ったら郵送でも構わないのであらかじめ電話で連絡をくれるように伝えていますが、このような高齢者に限って、また、突然、飛び込みで来られるので、結局、書類が不足していて、何度も足を運ぶ結果となることが結構あります。当の本人は、「なんも、どうせ何もやってないから、何回かかってもいいんだ。」と笑っていますが、こちらとしては、途中で事故にでもあったらと思うと、笑い事ではありません。

 そのような中、私が経験した中では、自分で運転してきた最高齢となる91歳のお爺ちゃんの遺言を,先日、無事作成することができました。住所からすると役揚まで車で片道約30分の道のりで、結果として、完成まで4回通われましたが、この遺言を通じて、高齢者の交通事故の問題とともに、高齢者の独居問題などいろいろなことを考えさせられました。

 このお爺ちゃんもご多分に漏れず、最初は、飛び込みで、杖をついてゆっくりとした足取りで役場にいらっしゃいました。自分で遺言らしい内容をびっしり書いたノートを持参し、頭はしっかりされていました。とりあえず、話を伺いましたが、ほとんどは、戦時中と戦後の大変ご苦労をされた話に終始し、小1時間経過してやっと遣言の趣旨らしきものにたどり着きました。持参されたノートには、妻が数年前に亡くなっていること、法定相続人が長男、長女、二女の3人であること、預貯金の明細や各残額のほか、3人の子の過去の修学状況や孫の数などを考慮して誰に何万円を多くなど事細かく書かれていて、預貯金がメインとなるものでした。

 そこで、「自宅などの不動産はないのですか。」と伺ったところ、「今、住んでいる自宅と敷地がある。」とのことなので、「その不動産はどうするのですか。せっかく遺言を作るのであれば、全部の財産について書いておかないと、残った財産について3人の子で分割協議することとなり、揉めるもとにもなりますよ。」と助言したところ、「本当は長男に家と仏さんを継いでもらいたいけど、長男は妻の葬儀以来、実家に顔も出さない。どうしようもない。」などと悪口を言いつつ、一方では「長男は札幌に住んでいるけど、3人の子供がいて丁度お金がかかる時期で大変なんだわ。」と気にかけている様子も窺わせ、少し考えてからまた来たいということで1回目は終わりました。

 帰り際に、「それでは、考えがまとまったら、必ず電話してから来て下さいね。」と伝え、その歩く姿から、まさか自分で車を運転して来たとは思いもよらず、軽い気持ちで「気をつけて帰ってくださいね。今日はどうやってこられたんですか。誰かに送ってもらったんですか。」と声をかけると、自慢げに「自分で車を運転して来た。車は隣の立体駐車場(5階建ての自走式駐車場)の上の方に停めてきた。」という信じられない言葉が返ってきて、はじめて超高齢者ドライバーであると認識し、ビックリ仰天となりました。そこで、改めて「本当に気をつけてくださいね。必要であれば出張することもできますからね。」と無事の帰宅を祈り見送りました。

 2回目は、この約1週間後でした。また、何の前触れもなく、突然の訪問でした。幸い、他の予約もなく、1時間程度話を伺いましたが、結果として1回目と変わりなく、考えがまとまっていない様子でした。そこで、「話はいくらでも伺います。ただ、あなたの車の運転が本当に心配なので、何回も足を運ばせないようにしたいと思っています。私も出張で不在だったり、他の予約で埋まっていることもあるので、考えがまとまってから来られる前に必ず電話していただけませんか。」と、ついつい強い口調で言ってしまい、何か悪いことをしたような気がして、その後、数日間は何か落ち着かない日々が続きました。

 しかし、さらにその約1週間後、「やっと踏ん切りがついて決めたので、行ってもいいか。」と明るい様子で予約の電話があり、3回目でやっと遺言内容が確定し、付言事項も一緒に考え、遂に、4回目で遺言の完成にたどり着きました。

 完成後、お爺ちゃんは、「本当に世話になった。これで安心した。そのうち暖かくなったら、この遺言の謄本を持って長男のところに行ってこようと思っている。」と満足げに笑みを浮かべて帰られました。こちらも、何とか事故もなく、無事に完成できて一安心、…と思いきや、何と5分後に、お爺ちゃんがいつものように杖をついて事務室に戻って来たではありませんか。また、どこか遺言の内容を変更したいと言い出すのかなと思っていると、「あんたには、すごく世話になった。決まった手数料しか受け取ってもらえなかったので、これ飲んでがんばってや。」と、栄養ドリンク2本を鞄から差し出すではありませんか。不自由な足でわざわざ事務室のある3階から1階の自動販売機まで買いに行ってくれたと思うと、さすがに断り切れずありがたく頂戴することにしました。

 今、この高齢化社会において、高齢者ドライバーの問題とともに、高齢者を狙った詐欺による被害も後を絶たず、テレビや新聞報道等で頻繁に注意を呼びかけているのに、連日のように被害報道がされています。手口が巧妙化しているのはもちろんですが、その背景には、話し相手になってくれる人が身近にいない人が増えているということもあると思います。

 今回、お爺ちゃんにとっては、遺言を作成するということも必要だったと思いますが、それ以上に、自分の話を聞いてくれる相手が必要だったのかもしれません。また、一人暮らしのお爺ちゃんにとって車は重要な道具であることは間違いなく、その危険を指摘してくれる人が誰もいなかった。そこで、お節介にもその危険を指摘し、心配してくれたことが嬉しかったのかもしれません。

 これまでも、高齢者の遺言作成の相談に当たっては、本人の話を十分聞くということを心がけてきましたが、今回の経験を踏まえて、より一層、高齢者に寄り添い丁寧に話を聞くことで、公証人として地域社会に少しでも貢献できればと考えているところです。

実 務 の 広 場

 このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.69 養育費・婚姻費用算定表使用上の留意事項等について

 養育費・婚姻費用算定表は、東京家庭裁判所のウェブサイトでその使い方も含めて公開されていますし、「新版 証書の作成と文例 家事関係編〔改訂版〕」(日本公証人連合会)の34ページ以下に養育費の算定表が、85ページ以下に婚姻費用の算定表が転載されていますので、会員の皆様方には、公正証書作成の相談等で使われた経験のある方も多いと思います。

 しかしながら、この算定表(以下「標準算定表」と言います。)に関しては、全国の家庭裁判所において広く使われているにもかかわらず、一般の方々には、必ずしもその考え方が十分理解されていないのではないかと思われる点がありますし、公正証書作成の際に留意すべき事項もありますので、このような観点から、使用上の留意事項等についてまとめてみたいと思います。

1 「養育費」及び「婚姻費用」について

① まず、「養育費」とは、父母が離婚する場合に、子の監護をすべき者及び子の監護に要する費用の分担等を定めることとなっており(民法第766条第1項)、このときに定められる子の監護費用のことで、言うまでもなく、父母の離婚が前提となります。

 「子の監護」という文言は、基本的には未成年の子の監護ということになりますが(民法第820条)、養育費支払期間の終期(合意により定められた終期が事情の変更によって早まる場合を含む。)は、子が成年に達する時期とは一致しない場合もあります。

 即ち、未成年者であっても、就職して十分な収入を得ている場合は養育費の対象にならないと考えられますし、病弱等のために就労できない場合や大学在学中である場合は、成年に達した後も一定期間は養育費支払いの対象とされることがあります。

 なお、子が成年に達した後において、例えば大学院に進学する等、子が経済的に自立できない事情が生じた場合は、親どうしで協議することもできますが、一般的には養育費の問題ではなく、子本人が親に対して扶養請求を行い、扶養義務の程度等について親子間で協議すれば良いこととなります(民法第877条ないし879条)。

② 次に、「婚姻費用」とは、民法第760条に定める「婚姻から生ずる費用」のことで、夫婦の衣食住の費用、子の監護費用、医療費、交際費等、婚姻共同生活を営む上で必要な一切の費用を言います。

 標準算定表にいう婚姻費用は、夫婦の協力扶助義務(民法第752条)に基づく生活保持義務(自分の生活を保持するのと同程度の生活を被扶養者にも保持させる義務で、自分の生活を犠牲にしない範囲で被扶養者の最低限の生活扶助を行う生活扶助義務とは異なります。)に基づいて、夫婦の一方が他方に支払うべき費用と解されており、その内容は、一般的な婚姻費用と同じです。

 言うまでもなく、「婚姻費用」は、夫婦が婚姻中であることが前提となります(実質的に夫婦関係が破綻していても、法律上婚姻が継続していれば、原則として婚姻費用が発生します。)。

 なお、「養育費」も「婚姻費用」も、当面の生活費の支払いということですから、原則として定期金の支払いとなりますし、将来に備えた貯蓄の原資を含むことまでは想定されていません。

2 なぜ標準算定表が使われるようになったのか

 家庭裁判所における、婚姻費用分担請求事件や養育費請求事件は、請求者の生活費に関わるものであり、日々の生活費に困窮している場合も多いことから、迅速な解決の要請が特に強いにもかかわらず、当事者双方の家計収支状況、個別の経費の額やその適否の認定等複雑困難な問題の検討を要するため、解決までに時間を要することが多かったことから、様々な工夫がなされてきたところです。

 このような状況の中で、平成15年4月に、東京・大阪の裁判官による研究会が、それまで家庭裁判所で採用されていた方式を基本としつつ、実際の費用額に基づいて個別に認定していた部分を、統計資料に基づいて標準化した指数や割合に置き換えた簡易な計算方式を採用し、その計算方式に基づいて、迅速に目安となる金額を見出すことのできる標準算定表を提案しました。

 この標準算定表は、戸籍関係資料のほか当事者双方の年収額の資料さえあれば簡易迅速に概ね2万円の幅を持たせた目安を得ることができ、多少の個別事情についてはこの幅の中で解決を図ることが可能で使いやすく、家庭裁判所の実務において利用されるようになり、最高裁判所もその合理性を認めた(最高裁平成18年4月26日決定)ことから、広く利用されるようになりました。

3 標準算定表の考え方

 標準算定表は、厚生労働省によって告示されている生活保護基準のうち生活扶助基準を利用して最低生活費を積算し、これに14歳以下の子の生活費には公立中学校の教育費相当額(年額134,217円)を考慮し、15歳以上の子の生活費には公立高等学校の教育費相当額(年額333,844円)を考慮した上、成人の生活費の指数を100、14歳以下の子の生活費の指数を55、15歳以上の子の生活費の指数を90として、夫婦(父母)の総収入(税込)から固定的な必要経費額を控除した基礎収入額(衣食等の生活費に充てることのできる収入額)を、権利者側(養育費又は婚姻費用を請求する側)と義務者側(支払う側)の生活費指数に応じて按分するという考え方をとっています。

 ここで、固定的な必要経費額を、実際の支出額に基づいて認定するのではなく、公租公課については、法令による税率・徴収率により、その他の経費額については、総収入額を一定範囲の金額区分に分けた上その区分ごとに総務省統計局の家計調査年報の数値に基づく平均的な割合に置き換えて認定することによって、簡易迅速な計算を可能にしたところが、それまでの方式との大きな違いになります。

 なお、固定的な必要経費とは、給与所得者の場合、公租公課(社会保険料を含む。)、職業費(被服費、交通・通信費、書籍費、諸雑費、交際費等)、特別経費(住居に要する費用、保険医療費等)となります。

 これに対して、自営業者については、社会保険料は確定申告書に記載された金額を差し引くほか、職業費等の経費が差し引かれた後の所得金額を収入額とすることから、この収入額から控除する固定的な必要経費中に職業費は含まないこととなります。

 したがって、標準算定表を使用する場合、給与所得者については源泉徴収票等の「支払金額」(税込年収額)をそのまま年収額として当てはめることになりますが、自営業者については確定申告書の所得金額から社会保険料控除欄の金額を差し引いた上で実際には支出されていない専従者給与(控除)額の合計額及び青色申告特別控除額を加算した金額を年収額として当てはめることになります。

 また、給与収入と事業収入の両方の収入がある場合は、標準算定表に当てはめるべき事業収入の年収額とそれに相応する社会保険料を加えた金額を「1-給与収入に対する職業費の割合(約20%)=0.8」で除すことによって給与収入額に換算して給与収入と合算することができます。

 なお、国の高等学校等就学支援金が支給される場合でも、公的扶助は私的扶助を補うものであり、親ではなく学校設置者に給付されるものであることなどから、標準算定表の基礎となる収入額に影響を与えるものではないとされており、児童手当や児童扶養手当についても公的扶助は私的扶助を補うものであることから、原則として当事者の収入額に加算はされません。

4 標準算定表の対象となる「子」について

 標準算定表の対象となる「子」は、夫婦の子であることが前提であり、養子も含みますが、養子縁組をしていないいわゆる連れ子の場合、通常は、法律上の親子関係のない配偶者に当該子に対する扶養義務はありませんから、養育費等の対象にはなりません。

 標準算定表の対象となる「子」かどうかについては、必ず戸籍で確認する必要があります。

5 子の年齢が14歳以下と15歳以上とで別の表になっている理由

 前述のとおり、成人の生活費の指数を100とした場合の14歳以下の子の生活費の指数を55、15歳以上の子の生活費の指数を90として標準算定表の基礎となる計算式が成り立っていることから、夫婦(父母)それぞれの年収額が同じであっても、子の年齢14歳以下と15歳以上とで養育費及び婚姻費用の額が異なる結果となるので、標準算定表では別の表になっています。

 このことからすると、14歳以下の子の養育費について標準算定表の目安額の範囲内において月額金何万円と定めた場合、当該子が15歳に達したときは、改めて標準算定表の15歳以上の表に当てはめて養育費の額を決めなおすということになります。

 しかしながら、実際にはこのようなことは行われていないことが多く、子が15歳に達する際に養育費増額請求を行ったとしても、そもそも子が高等学校に進学することを前提とした合意だったのかどうかという問題が生じ、紛争となる可能性があります。

 このような紛争を予防する目的だとしても、14歳までの養育費額と15歳以降の養育費額をあらかじめ別個に定めておくことや、いったん14歳までの養育費額のみを決めておいて後日子が高等学校に進学する際に改めてその後の養育費額を決めるとすることには、抵抗を感じる当事者が多いと思います。

 せっかく合意ができた当事者に、このような問題点を指摘して再考を促した場合、そもそもの合意が反故になってしまうことも考えられますので、養育費を受け取る側の当事者に対してこのような問題があることを説明の上、どうしても養育費の増額が必要になった場合には再協議が円滑に行えるよう、「子の進学を含む事情変更があった場合には、養育費の増減額について協議する。」というような条項を入れておくことが考えられます(ただし、当事者に強い抵抗があるような場合には無理強いできませんので、紛争となった場合の解決に資するよう、養育費を受け取る側の当事者に対し、合意の前提となった双方の年収額等の資料を保管しておくよう促すのが相当と考えます。)。

6 子の教育費について

 標準算定表では、公立中学校の教育費と公立高等学校の教育費が前提になっていることから、私立学校や大学等に進学した場合の学費等(標準算定表で計算に入っている教育費との差額)をどう負担すべきかという問題が生じる場合があります。

 このような場合に備えて、当事者間において私立学校や進学塾、大学などの学費等の負担について合意ができているのであれば、後日の紛争防止のため、それを明記しておくことが望ましいと考えます。

 例えば、公立大学であればその学費の分担に応じるという合意ができれば、その旨明記しておくことによって、仮に私立大学に進学した場合でも、少なくとも公立大学の学費に相当する分担額の支払いを求めることができることになります。

7 標準算定表の目安とは異なる合意

 標準算定表は、当事者間での合意が困難で家庭裁判所に持ち込まれた事件の処理の目安ですから、当事者が納得して合意しているのであれば、この目安とは異なる合意でも違法でないのはもちろんで、これを公正証書にしておくこともできます。

 ただし、標準算定表の目安よりも高額な金額で合意した場合、これを公正証書にしておくと、場合によっては強制執行を受けることにもなりかねないことから、支払義務者に対しては、確実に支払っていけるのかどうかを確認しておく必要がありますし、後述するように、後日事情の変更があった場合にも、標準算定表の目安に加算した部分が維持されることがある旨を説明しておくのが相当と考えます。

 また、標準算定表の目安よりも低額な金額で合意してしまった場合に、合意時には標準算定表を知らなかったという理由だけで合意を無効にできるものではありませんので、標準算定表よりも低い金額で合意しようとしている権利者に対しては、標準算定表を参考にしたのかどうか、今後の生活に支障がないのかどうか、仮に当事者間での改めての合意が困難だとしても、家庭裁判所の調停等の手続によれば標準算定表の目安程度の金額が認められる可能性が大きいことを説明しておくのが相当と考えます。

8 事情の変更

 特に養育費については、長期間にわたる定期金の支払いとなることが多いため、その間の事情の変更によって、当初定めた金額が不相当になることもありますので、そのような場合の再協議を円滑にするため、「甲及び乙は、将来、事情変更があった場合、誠実に養育費の増減額の協議をするものとする。」(「新版 証書の作成と文例 家事関係編〔改訂版〕」40ページの文例3の1第3条)のような特約を入れておくのが望ましいことになります。

 ここで、①事情の変更が認められる場合、及び②事情の変更があったときに従前の合意内容が影響を与える場合について、確認しておきます。

① 事情の変更が認められる場合

 一般的に、事情の変更が認められるには、従前の合意の前提となっていた客観的事情に変更が生じただけでなく、その事情の変更が当事者には予見できなかったこと、当事者の責に帰すべき事由によらない事情の変更であること、合意どおりの履行を強制することが著しく公平に反する場合であることを要するものと解されています。

 例えば、養育費支払義務者が再婚して新たに子が生まれた場合(再婚相手の連れ子と養子縁組した場合も同様)、一般的には事情の変更に該当することになります。

 これに対し、子が既に中学生で高校進学を希望している場合などは、合意の時点で14歳以下であっても、高校進学を前提に合意すべきですから、特に高校進学の際に再協議するというような特約がない限り、子の高校進学は事情の変更には当たらないものと考えられます。

 ただし、子がまだ小さいときは、高校進学を前提に養育費の額を定めるのは現実的ではありませんので、子の高校進学が事情の変更に該当する場合もあると思われます(このような場合には、紛争防止のため、子の高校進学の際には養育費の変更について協議する旨の特約をしておくのが望ましいと考えます。)。

② 事情の変更があったときに従前の合意内容が影響を与える場合

 当事者間で事情の変更があったことに合意した上、変更後の新たな事情に基づいて養育費を定める合意ができるのであれば、何も問題ありませんが、当事者間でこのような合意ができない場合は、家庭裁判所における調停等の手続で解決されることとなります。

 この場合、従前の合意内容が、標準算定表の目安より高いものであったときに、事情の変更による減額は認められたものの、標準算定表の目安額に加算する合意をしたという点が維持された例があります。

 これは、公正証書により、通常想定される養育費の額よりもかなり高い額の養育費が定められていた場合に、支払義務者の再婚後の子の出生という事情変更が認められ、標準算定表で採用された計算方式によって変更後の事情に基づいて改めて養育費額を算定した上で、従前の合意により高く定められていた加算分を、再婚前の子と再婚後の子とに生活費指数で配分して加算したという事例です。

 特殊な例ですが、当事者があえて標準算定表の目安よりも高い金額で合意をする場合には、養育費支払義務者に対して確実に支払っていけるのかどうかを確認し、養育費請求者に対しては後日事情変更があった場合に備えて、合意の前提となった資料(双方の源泉徴収票の写し等)を保管しておくよう促しておくのが相当と考えます。

9 標準算定表見直しの動き

① 日本弁護士連合会の提言

 日本弁護士連合会では、標準算定表が時代の変化への対応が不十分で、養育費などが低く算定されて母子家庭の貧困の一因になっている等の指摘があったことから、標準算定表に代わる新たな算定方式の検討を開始し、平成24年3月15日に意見書を発表し、その後さらに検討を進めて平成28年11月15日「養育費・婚姻費用の新しい簡易な算定方式・算定表に関する提言」(以下「日弁連算定表」と言います。)を公表しました。

 日弁連算定表の考え方も、当事者の基礎収入を算出し、これを生活費指数で按分するという点は標準算定表と同様ですが、基礎収入の算出において、特別経費を控除せず、公租公課は原則として実額で控除し、職業費として控除する範囲を縮限するほか、計算方式において、子の年齢区分を見直しています。

 その結果、日弁連算定表によると、養育費及び婚姻費用の額は標準算定表よりも1.5倍程度高額となりますが、家庭裁判所の実務では日弁連算定表は採用されていません。

 それでも、弁護士が日弁連算定表による額を提案し、当事者がこれに納得して合意した場合には、もちろん違法ではありませんので、これに基づく公正証書の作成も可能です。

 しかしながら、早く離婚を成立させたいために将来的な支払能力を十分検討せずに合意をしてしまったり、標準算定表との違いに気付かずに合意してしまって、後日紛争となるおそれもありますので、当事者には、家庭裁判所で採用されている標準算定表とは異なること、後日事情変更による減額請求が認められた場合でも、前述のように標準算定表より加算されている部分が維持される可能性があることを理解しておいてもらう必要があります。

 なお、日弁連算定表によるときは、可能であれば日弁連算定表によった旨を明記し、これを明記することに同意が得られないときは、当事者に算定の根拠となった資料の保管を促しておく必要があると思います。

② 最高裁判所の動き

 現在、最高裁判所の司法研修所において、標準算定表見直しの研究が進められており、近々その結果が公表されるとの報道がありましたので、その結果が注目されるところです。

 新たな算定表が公表された場合でも、それが実務においてどのように使われていくのかを見極める必要がありますが、最新の統計資料に基づく最小限の見直し程度のものであれば、比較的短期間のうちに従来の標準算定表からの移行がされる可能性があります。

10 公正証書作成の際に留意すべき事項

 繰り返しになりますが、以上述べたところから、養育費又は婚姻費用に関する公正証書作成の際に留意すべき事項を整理してみます。

① 夫婦関係及び親子関係については、必ず戸籍の記載を確認する。

② 当事者に、標準算定表を参考にして金額を定めたのかどうかを確認する。

③ 当事者に年収額を確認できる資料(源泉徴収票や確定申告書の控等)の提示を促す。

 なお、高等学校等就学支援金、児童手当や児童扶養手当は、原則として当事者の年収額には加算されないことを確認する。

④ 標準算定表によらずに金額を定めている場合(日弁連算定表によって金額を定めた場合を含む。)、後日の紛争を防止するため、家庭裁判所で使用されている標準算定表とは異なる旨説明の上、高額な場合には義務者に対して確実に支払っていけるのかどうかを確認し、低額な場合には権利者に対して今後の生活に支障がないのか確認すると同時に家庭裁判所の調停等の手続きによれば標準算定表の目安程度の金額が認められる可能性が大きいことを説明する。

⑤ 標準算定表の目安とは異なる金額での合意となる場合は、その根拠となる資料(養育費等を定めた時点の当事者双方の源泉徴収票の写し等。以下同じ。)の保管を促しておく。

⑥ 最高裁判所から新たな算定表が示された場合は、どの算定表に基づいて定めたのかを明らかにしておく(それが困難な場合には、根拠となる資料の保管を当事者に促しておく。)。

⑦ 14歳以下の子に関して養育費等を定める場合、高校進学を視野に入れた金額なのかどうか、15歳に達した場合どうするつもりなのかを確認し、できればその旨を明記しておく。

⑧ 私立学校や大学への進学の可能性があるときは、標準算定表で考慮されている教育費との差額をどう分担するのかという問題があることを説明する。

⑨ 必要に応じて、子が進学する際に改めて協議する旨の特約を入れるか、養育費等を定めた根拠となる資料の保管を促す。

 なお、特約の内容は、進学の際の一時的な特別費用だけでなく、進学後の学費を含む養育費等の増減額に関するものであることに留意する。

 参考文献:松本哲泓 著「婚姻費用・養育費の算定」(新日本法規)

(星野英敏)

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民事法情報研究会だよりNo.36(平成30年12月)

歳末の候、会員の皆様におかれましては何かと心せわしい日々をお過ごしのことと存じます。 さて、平成23年3月の東日本大震災発生当時、仙台法務局長をしていた橘田会員(厚木公証人)にそのときの様子を、本号と次号の2回に分けて、寄稿していただきました。災害は忘れた頃にやってくる・・・時が経つと災害の記憶や助け合いの気持ちは薄れがちですが、昨今の次から次に発生する地震・豪雨・台風等の悲惨なニュースを見るにつけ、決して他人事にしてはならないという思いを新たにする今日この頃です。(NN)

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。

あの日 それから7年余を経て(その1)(橘田 博)

平成23年3月11日午後2時46分、多くの犠牲者と多くの街を壊滅させ、福島の原発事故の引き金となった、あの日あの時から7年余の歳月が流れました。 今般、本誌編集幹事から、あの時の様子など書いていただけたらとのお話があり、筆をとることにいたしました。 あの日から一月余りは、すべてが無我夢中の中で過ごした日々であり、退職後、当時を記録したデータが引っ越し荷物にまぎれ紛失したことから、曖昧な記憶に基づく回顧になっています。また、とりとめのない話や情緒的な表現が多々登場しますが、寛容な読者の皆様ゆえお許しいただきたくお願いいたします。 この原稿を書き始めようと重い腰を上げたころ、BSNHKの「心旅・2018秋」が始まりました。 毎朝、8時45分から楽しみに視聴している番組です。 今回は、北海道から静岡県までの旅です。その放送の開始直後、北海道胆振東部大地震が発生しました。 地震は、一行が襟裳から帯広に抜け、厚岸に着いた日の夜半に発災し、翌日の行程は、電気、鉄道も止まっているため、中止となった旨、放送は伝えていました。 翌日以降の放送を見ると、その後、旅は続けられ、青森県にわたり、10月中旬には、岩手県、下旬には宮城県を火野正平さんは、走り続けています。 しばらく訪れていない東北の地をテレビで見させていただき、また海岸線の町々の映像を見るたびに、当時のことが昨日のように蘇ってきて、なかなか進まない復興の難しさを感じるとともに、しかしながら、そこに暮らす人々の笑顔に救われる思いをしています。 前書きが長くなりましたが、当時のことを思い返しながら、筆を進めたいと思います。

1 二日前(その前日から) 発災3日前の3月8日、あと数日で、法務局生活にピリオドを打つ最後の職場視察に朝から出かけ、県北の登米支局、気仙沼支局に伺う。気仙沼市にて、いつもの常宿に宿泊。 気仙沼支局において、当時の東海林支局長と地震・津波に備えた防災訓練が話題となり、気仙沼支局が入居する国の港湾合同庁舎では、机上訓練は行っているが、実地訓練は未実施と伺いました。 気仙沼の港周辺の港湾施設の中の中高層ビルは、港湾合同庁舎と県合同庁舎のみであり、付近には缶詰工場など水産加工場が多数あることから、いざというときには、2棟の合同庁舎に避難者が予想されるが、国合同庁舎の出入り口は自動ドアのため、停電により開閉が困難になるので、1階の入居庁に速やかに開けてもらう必要がある等々意見交換をし、できれば実地訓練を行っていくのが管理庁としてベストである旨をお話ししたと記憶しています。 その夜は、支局の皆様と、来るたびにお邪魔する居酒屋「ぴんぽん」さんにて、珍味に舌鼓をうち、楽しい夜をすごしました。 翌日、気仙沼支局から仙台本局への帰途、正午前であったと記憶しています。三陸道を南下中、妻からメールが入り、「今、震度5強の地震があった。どこを走っているか?」とのこと。急ぎ、官用者車備え付けのテレビを見ると、大きな被害はないものの、相当大きな地震のようでありました。私たちは高速道路上(高架ではない)にいたため、気が付かなかったようでした。 東北では、30数年に1度、宮城沖地震が発生すると予測されており、国等の機関の長が集まる月曜会(毎月1度、幹事は持ち回り)においては、必ず地震の話題が出され、参加者も意見交換を行っておりました。私も着任以来、その備えに取り組んでいました。 職場に戻り、地震の様子や庁舎の被害状況等を管内にも照会をし、ほとんど被害がないことを確認しました。 これが宮城県沖地震であったとしても、昔と違い、建物の新営等されたのであるから、大丈夫であろうと、このとき、私自身、都合よく、思いこんでしまった感じがありました。 規模も小さくはありませんでしたが、それほど大きくもありませんでした。それでも震度は5強でしたので、宮城県沖地震が発生したのではないかと思い込んでしまったような気がします。 相当程度地震エネルギーが放出されれば、しばらくは大丈夫かと思い、二日後の大地震について、思いを巡らすことはありませんでした。

2 当日の朝から発災前 当日の朝から発災前にかけての記憶は、あまり鮮明に覚えていませんが、お昼は、奥山技官の案内で、美味しいお蕎麦をいただい後、大河原支局を視察し、大河原公証役場に伺い、前島公証人(当時)にご挨拶し、夕方の会食での再会を約して、大河原から亘理町、岩沼市を経て、名取出張所へ向かう途中でした。 前島公証人、木島公証人(当時古川公証役場公証人)のお二人には、石巻公証役場井上公証人が急逝されたことから、長らく石巻公証役場の代理公証人をお願いしており、夕方、仙台駅前の某所で、お二人に対する御礼とお別れの会食予定でした。 また、会食後、夜半には、当時、東京局総務部長であった西川現所沢公証人と仙台において、一献酌み交わす予定でした。 勤務中ながら、私の気持ちは、早く帰庁し、その準備にと、そちらに傾いていたように思います。

3 発災 亘理町、岩沼市を抜け名取市に入り、国道から法務局に向かう交差点の手前に差し掛かった時、テレビで緊急地震速報がながれ、奥山技官の機転で、交差点を急ぎ抜け、名取出張所へあと数十メートルという地点についたとき、経験のない激しい揺れに襲われ、私たちは官用者の中でしがみついているのが精一杯でした。防いでいても車の天井に頭を何度もぶつけているのが、わかりました。 ゆれる車窓から周りを見ると、車が揺れているせいもあるあったのでしょうが、道路が波を打っているように感じ、横に建つホテルルートインの建物が、右に左に撓るように揺れ、今にも横倒れになるような恐怖感を覚えました。 (名取出張所の事務室内) 少し、揺れが収まり、車外へ出ると、名取出張所から飛び出した人たちが、ある人は街路樹につかまり、ある人は地べたに座りこみ、自分の体を支えるのに必死の状態でした。 当時、名取出張所は、3月下旬の本局への統合を控え、管内から応援職員を派遣し、未済解消に向けて取り組んでいる最中でした。 その中の職員が、「局長、しばらくは車内にいたほうが安全ですよ。」と大きな声で、私たちに車に留まるよう声を張り上げていたのを覚えています。 私としては、とにかく、出張所の中の様子を確認することが大事と思い、中に入りましたが、待合室の記載台はことごとく転倒し、足の踏み場もない状態でした。受付カウンターをはじめ、卓上の端末のほとんどは、落下し、書庫をみれば、これもほとんどの簿冊が落下し、到底、速やかな原状回復は困難なことが確認できました。 名取出張所は、旧バックアップセンターの建物であり、他の施設からみると、強靭に造られた建物であるにも関わらず、これほどのダメージを受けるのかと、大きなショックと他の建物の被害がいかばかりかと、思わず身が震えた記憶があります。 車中のテレビでは、大きな津波が予想される旨、速やかに非難するよう繰り返し伝えておりました。 私としては、本局との連絡がままならない状態の中、とにかく帰庁することを優先し、名取出張所の職員には、速やかに事務所を閉鎖して、最上階へ避難することを指示し、本局への帰途につきました。このときには、津波からの避難を優先するが先と思い、職員には帰宅せず、状況が判明するまで待機すること、併せて、職員個々の単独行動は控え、できる限り情報収集にあたるよう指示し、仙台に向かいました。 (名取から仙台本局まで) 名取出張所を発ったのは、午後3時半過ぎだったと記憶しています。文化会館を回り国道へ出た途端、停電のため信号機が作動せず、大渋滞の中に身を置かざるを得ませんでした。 車窓からは、屋根が大きく壊れ落下している大手電機メーカーの工場、外壁が崩れ落ちている数々のビルが見え、地震エネルギーの凄まじさを感じずにはいられませんでした。 車内テレビでは、自衛隊(若しくは海上保安庁)の航空機が三陸沖に巨大津波が発生し、陸地に向かって押し寄せている様が映し出されました。その時の海側の空は、見たこともない灰色とも黒色ともつかない、濃い群青色に染まっておりました。 私たちは、車の窓を開け、大渋滞に巻き込まれている多くの車に「津波が来るぞー」と山側へ逃げるよう大声で叫びましたが、他の車に届いたどうかわかりません。 仙台に戻るには名取川を越えなければ戻れません。しかし、これは危険と考え、山側へ逃避することにしました。途中、ホームセンターの屋上駐車場に入り、海側を見てみましたが、名取市内までは、相当距離があること、途中高速道路(三陸道東道路)が縦に連なっていることから、幾ばくの安心はありましたが、とにかく山側を通り、八木山を回って仙台市内に戻ることにしました。 幸いにも、同乗者は、名取市在住の石川庶務課長と地理にめっぽう詳しい奥山技官でしたので、道案内に戸惑うことはありませんでした。 帰路の途中、農家の納屋がぺちゃんこに潰れていたり、14条地図を作成した緑ケ丘地区においては、道路が地滑りを起こして迂回を余儀なくされたり等々しながら、渋滞する中、3時間余をかけて、6時半過ぎ仙台本局に到着しました。

4 帰庁 3時間余をかけて到着した本局庁舎は、周囲が停電する中、自家発電を稼働させてひときわ明るく地震がなかったように堂々としておりました。 話はそれますが、本局庁舎新営は仙台局の念願であり、2年余の歳月をかけて、3月14日に落成したばかりでありました。 外観に被害はなく、安堵したのを覚えております。 (安否確認) 庶務課においては、沢藤庶務課長補佐をはじめ多くの職員が、本局、管内支局出張所、ブロック内各局の被害状況、職員及び家族の安否確認に奔走しておりました。 停電の下、安否確認がままならず、頼りは、職員の携帯電話という状況であったと思います。全員無事の報告の度に、安どの声が漏れていました。 しかし、携帯電話の電源も心もとない状況下での、被害状況の確認、安否確認の困難さを実感しました。 戸津統括登記官(現盛岡地方法務局首席登記官)が自家用車を庁内駐車場に持ち込んで来られたので、車載テレビで、沿岸部の被害状況をみていると、気仙沼支局が入居する港湾合同庁舎が周りを火の海に囲まれ、その屋上からは救助を待ちわびる多くの人々が手を振っているのが映し出され、よく見ると、気仙沼支局が所在する2階フロアーは、無残にも大津波の直撃を受けておりました。 気仙沼支局との通信は確保できておらず、ただただ職員の無事を祈ることしかできませんでした。 庶務課、会計課、職員課の職員をはじめ、徹夜での安否確認作業となりました。 (対策本部の立ち上げ) 当日は、人権擁護部長、総務管理官、職員課長、首席登記官をはじめ多くの幹部が、本省等への出張のため不在でありました。 各部課室、各部門から部課長のほか、筆頭の代理者を集め、現在までに収集できた被害状況等、情報の共有化を図るとともに、1日3回(午前8時30分、午後1時、午後5時)の本部会議を行うこととし、当該時間までに収集した情報の共有化、各課室の所掌事務のうち急ぎ取り組まなければならない事項の洗い出し、翌週月曜日からの各所掌事務の復旧の可否、それに向けた取り組み及びその状況を報告することを指示し、毎回の会議においては、報告を受け、私が具体的な指示(短期的なこと、中期的こと)を行う、それを具体的に取り組んでもらい、次の会議において、その取り組み状況の報告を受け、また指示を行うということを繰り返し、徐々にではありますが、数日たち被害の全容と、課題が見えてまいりました。 本来であれば、会議をし、議論することも大事でありますが、今まで誰もが経験のしたことのない事態に遭遇し、また、職員自身が被災者でもあります。会議において各方面の課題を議論すれば、なかなか前向きになれないのが心情かと思い、ここは、とにかく今は私の指示に従い、目鼻が立つまで、頑張ってほしい旨お願いをいたしました。 幹部の皆さん、職員の皆さんの中には、ご親族をこの災害で亡くされた方も少なくなく、心中を察するとおかけする言葉もありませんでしたが、そこを何とか奮い立って頑張っていただき、あの時を乗り越えられたと、感謝の気持ちでいっぱいです。 (気仙沼支局に関する対応) テレビ映像で、気仙沼支局の被災をみて、至急、気仙沼支局の事務停止と本局への事務の委任措置を行うよう、併せて、名取出張所の本局統合も取り急ぎ延期すること(この時点では、官報公告の準備が進んでいたと記憶しています。)を高橋民事行政調査官(現仙台法務局不動産首席登記官)に指示し、本省と緊密な連絡を取るようお願いしました。 気仙沼支局の状況等については、別途記述したいと思います。 (避難者) 話は前後しますが、帰庁し駐車場を経て、1階ロビーに向かうと多くの避難者の方々がいらっしゃいました。災害時の避難所は、近くの小学校が指定されており、当局庁舎は避難所に指定されてはおりませんでしたが、避難所には大勢の避難者がいて入ることができない等々、当局へ来られた方々には様々な理由があったろうと思います。 当局には、避難所に対応する備品が備わっていないこと等から、職員が避難所に移動されるよう説得をしておりましたが、険悪な状況も見られたことから、当局は避難所でないが、現在来られている方は受け入れる、しかし、物資は備蓄していないので満足なものは供給できないこと等を説明し、大会議室へ案内するともに、自家発電の停止を指示しました。 非常灯以外は、明かりがなくなった庁舎は、災害が嘘のように静寂につつまれ、余震の度に、建物のきしむ音のみが響いていました。 避難者への対応は、避難された方が相当数いたことから、その中から代表を決めていただき、当局も担当者を決め、そこを窓口として要望事項を伺い、また、当方が規律ある避難生活をするために従っていただきたいルール等、お互いの信頼を確保する作業から始めました。 幸いにも、仙台局には、宮城沖地震に備え、水、アルファ米、簡易トイレ、携帯コンロ等、職員数に相当する備蓄をしておりました。 発災翌日の土曜日の朝から、避難者への食事を考えなければならず、とりあえず、水とアルファ米を人数分提供すること、石油ストーブ(1個しかなかった)を提供し、お湯を沸かしてポットにためてもらい、それを避難者で飲料してもらう等々の対応を行いました。 (電源の確保) 仙台本局には、真新しい自家発電があり、この地震対応が初の稼働となるとは思いもよりませんでした。 しかしながら、その発電能力は4時間までで、発災直後に2時間ほど使用してしまっており、重油の残量は2時間分しかない状況でした。その電源は、月曜日各種システムの立ち上げ、点検に要することから、各種通信手段確保のために無駄に使用することはできませんでした。 発電機を探したところ、簡易ボンベの発電機があり使用してみましたが、発電量が小さく、携帯電源程度しかないことがわかり、次に灯油発電機を見つけ、それを使用しようとしたところ、ブースターケーブルがない等々いろいろありましたが、当時の堀内会計課長の自家車用ケーブルを拝借して何とか発電にこぎつけ、人権局との電話及びパソコン回線を確保することができました。この間、職員には、ガソリンスタンドへ灯油の買い出しに何度も往復をお願いしまた。 (被災職員家族の本局への避難) これは賛否があると思われますが、私の妻も含め職員の家族も本局庁舎へ避難させることを決めました。その際に、冷蔵庫の中のものはできる限り持参してもらうようお願いをしました。これが、その後の籠城に大いに役に立ちました。 発災の夜は、余震が収まらず、震度4を超える大きなものがたびたび発生し、不安もあり寝付かれぬ夜をみんなで過ごしていました。ただ、長丁場になることが予想されたので、できる限り睡眠をとることをみんなに伝えましたが、一睡もできない人々がほとんどであり、不安な夜を過ごしました。 (窓から見る停電した街並み) 東北の大都市仙台も、一帯が暗闇となり舞う小雪に寒さが一段とつのりました。 窓から見える街並みは、建物の外観が、車が通る際のライトに照らされる際に浮かび上がるだけで、加えて寒さも手伝い、知らず知らずに不安感が押し寄せてくるそんな夜でした。 津波の大きさは、車載テレビで見ているものの、どれだけの被害が出ているのか、翌日以降に次々に明らかになる被害の大きさに想像も及びませんでした。 (以下 次号)

世代間のギャップを考える(尾﨑一雄)

いささか旧聞に属するが、世代間ギャップの現状を特集した新聞記事があり、 「そりゃー大変だ」と思ったり、「自分ならどうする」と、思わず引き込まれた。 まず、「先輩のおどろき」ランキングの第1位は、「友達感覚でなれなれしいときがある。」、「何でもマジですかと返してくる。」、「まじめな話をしている時の受け答えが軽い。」などであり、「新人のおどろき」ランキングの第1位は、「余計なことを言うと変な空気になる。」、「事前の根回しで方向性が決まっている。」、「有給があるのに取ってはいけない暗黙のルールがある。」、「休むときは一人一人に理由を説明しなければならない。」などである。 多くの職場は人的な資源が限られており、限られた人員で最も効率的に機能するようにそれぞれの職責が定まっているが、スマホで人と人が直接つながっていることを実感している世代には、なかなか理解しがたいのかもしれない。 限られた人員で構成されるが故に、他人への思いやり、あるいは「忖度」などが不可欠にならざるを得ないが、幼い頃から大事にされて育ってくると、ある日、「あなたは世界の中心ではない。」と突然言われても、「そんな馬鹿な。」ということになるのかもしれない。 次に、「先輩のおどろき」ランキングの第2位は、「会議で突然指名されても堂々と意見を言う。」、「自分が同じ年の頃はそんなにはきはき答えられなかった。」であるのに対し、「新人のおどろき」ランキングの第2位は、「マニュアルがないことでミスが改善されない。」「いちいち口で説明して非効率」、「文字で見た方が覚えやすいのでやりずらい。」というものである。 先輩としては、好意的に教えてあげているのに、非効率とは何だ、「私たちは教えてさえもらえなかった。」と意気込む人も多いのではないかと思う。 「仕事は盗んで覚えろ」と言われて生きてきた我々としては、マニュアルどおりに繰り返されるコンビニのレジ等の味気ない応対に辟易しているので、「マニュアルにない事態が起こったときも、本当に大丈夫?」といらざる心配をしてしまう。 予算担当から事件担当の部署に異動し、判決の要旨を書くことになったときのこと、何度起案しても、係長から返され、4・5回目に「掲載されているものをよく見ろ。」と教えていただいたが、確かに掲載されているものは数行であるのに対し、私のものは、その3・4倍に及ぶものであった。要は判決の前提となった要件事実を書けば良かったものを、事案の概要を書いていたということになる。 当時は、起案文書を放り投げる怖い先輩も皆無ではなかったことなど、今の若い人からは想像もできないかもしれないが、もちろん四六時中怖いわけではなく、飲みに連れて行って、いろいろアドバイスをしていただくなど、優しい面もあるわけで、そういう環境の中で我々はある意味大事に育てられた。 要は人を育てるための手段・方法の違いということであろうが、今にして思えば、何より情が通っていたというのは間違いのないところである。 「要件事実を書くように」と結論だけを明示し、その通りにやれば効率も上がるし,間違いもないというのは、一見素晴らしい手法のように見えるが、長い目で見たときにはどうであろうか。 長い目などと言っている余裕がないと言ってはばからず、効率のみを追求する組織には人も育たず、将来がないように思えるが、いかがであろうか。 「先輩のおどろき」ランキングの第3位は、「トラブルが発生して大変なときに休みを取る。」、「男同士で月1回行く飲み会に誘ったら、きっぱり断った。」などであるのに対し、「新人のおどろき」第3位は、「大きな地震があったが出勤した。」、「台風直撃でも定時に出勤した。」というものである。 いずれもプライベートに関わるものであるが、私の出張所勤務時代を思い出すと、少なくとも週に2・3回は近くの立ち飲み屋、居酒屋などに出かけており、安月給の新人がお金を払うことは、まずなかった。 大げさに言えば、職場の人間関係や、仕事の進め方を理解する場としては、時間中(当時は乙号担当で、一日中、倉庫と閲覧席との間を行ったり来たりしていた。)より、アフター5の方が、大事だったような気がする。 私が係員、係長の時代は、各職場に旅行会があり、給料から天引きされて、年1回近くの温泉地などに出かけたものであった。 関西であれば、白浜温泉など紀伊半島の温泉地、また、芦原温泉など北陸温泉郷がその主な候補地で、電車に乗るなり飲み始め、到着する頃にはすっかりできあがっていて、降りるのはイヤと駄々をこね、幹事を困らせた先輩も今では懐かしい思い出になっている。 こういう飲み会・旅行の場を通じて日頃じっくり話す機会のない職員間・組織のコミュニケーションが図られていたように思う。 できの悪い私などは、係長の前に座らされ、お説教されるのはいつものことで、当時口癖のようになっていた「絶対・・・・・・」についても、世の中に絶対というものはないから、軽々しく口にしてはいけないと指導を受け、その後、気を付けるようになった。 いつの頃からか、旅行会が食事会になったことを覚えているが、今は月1回の飲み会も難しくなっているようで、寂しい限りである。 台風時の出勤なども幾度となく経験したが、公務という仕事の性格からか、皆、普段と同じように対応していたような気がしている。 以下4位以下6位までを見てみると次のとおりである。 「先輩のおどろき」ランキングの第4位は、「覇気がなく平均で満足している感じがする。」、同第5位は、「1から10まで伝えないと理解しない。」「先輩の仕事ぶりを盗もうという姿勢がない。」、同第6位は、「何の努力や工夫もなくできないと平気でいう。」、これに対して、「新人のおどろき」ランキングの第4位は、「飲みに誘われない。」、同第5位は、「残業が美徳と思っている先輩が多く、ちっとも効率を考えて仕事をしない。」、「低賃金だったので、残業代で稼ぐために定時過ぎまで残る先輩がかなりいた。」、同第6位は、「個人の直感的な対応が最終的な対応策になることが多い。」、「長く仕事をしているのに説明が下手だったり、機器が使いこなせていなかったりする。」というものである。 「俺たちが若い頃は、・・・」という言い古された慣用句を待つまでもなく、世代間のギャップはいつの時代にもあったが、情報化が進展し、ありとあらゆる情報が簡単なキィ操作で入手できるようになった今日、それも違った様相を呈しているような気がしてならない。 仕事を進めるに当たって、先輩の経験と実績の重みが昔ほど重要視されなくなってきたのかも知れないが、実際には、経験と実績に裏打ちされたものでなければ使い物にならないような気がするのは、私だけだろうか。 ここまで書いてきて、今から50年ほど前、「珍しい事件だから、記載例をあげる。」と言って、先輩から手刷りの登記記載例を分けていただいたことをふと思い出した。 今、法務局では新規採用が再開され、職場には20代の職員が増えていると聞く、先輩と後輩を繋ぐ絆はどうなっているのか、気になるところである。

主夫、調停委員になる(星野英敏)

―調停委員になる― 昨年9月に公証人を退任後、早く一人前の主夫となれるようにと考えていたところ、認知症予防のためにも何か仕事をしてはどうかという勧めを受けたこともあり、調停委員であれば主夫とも両立可能なことから、自宅から近い家庭裁判所支部の家事調停委員になることにしました。 自宅から一番近い家庭裁判所支部に出向き、家事調停委員になりたい旨を告げると、家事調停委員の任期は2年で、更新はあるけれども70歳になると更新はされないので、私の場合既に66歳でしたから、更新は1回のみで、最長でも4年間ということでした。 70歳近くの方は、任期が短くなってしまうことから、採用が難しくなるようです。 それでも、面接試験を受けた結果採用となり、今年の4月1日付けで家事調停委員の任命を受けることになったのですが、突発的な事情により今年の1月末から5月いっぱいまでは半田公証役場の公証人を勤めなければならないこととなったので、裁判所の方はそれまで待ってもらうこととしました。 6月からは裁判所に行くことができるようになったので、最初に2日間、午前・午後の2期日ずつ先輩調停委員が実際に調停を行っているところを見学させていただき、その後は、ベテランの家事調停委員とのペアで調停を進めることとなりました。 最初のうちは、事件の配分もあまりなかったので、週に1日か2日裁判所に行く程度でしたが、次第に事件の配分が増え、新規事件のほかに継続して2回目、3回目となる事件もあることから、毎週3日は午前と午後に期日が入るという状況になりました。 また、10月からは、家事以外に、地方裁判所の民事事件と簡易裁判所の調停委員にも任命され(そのための面接試験も別途受けました。)、平日はほぼ毎日裁判所に行くことになってきました。

―主夫の朝は大変― 主夫の仕事もあまり手を抜くわけにはいきませんので、特に朝の時間配分が大変です。 毎朝5時ころには起きて薪ストーブに火をつけ(寒い時期のみですが)、みそ汁を作り、猫たちに餌をやり、洗濯をして干し、ラジオ体操をし(腰痛予防のために始めましたが、もう5~6年続けています。)、ふとんを上げ、ゴミの日にはゴミを出し、というところで、朝食(おかずは妻が作ってくれます。)を食べて出勤となってしまいます。 午前中に期日が入っていない日には、朝のうちに掃除機かけもできるのですが、これをサボると部屋の中を猫の毛のかたまりが漂い始めてしまいます。 何よりも、主夫の一番の悩みは、水仕事による手荒れです。 いつの間にか指にひび割れができ、水がしみて痛くなりますので、炊事用手袋や洗濯掃除用手袋のお世話になったり、色々な塗り薬やハンドクリームなどを試してみていますが、思うようには効果がありません。 また、地元の町内会長も引き受けてしまったことから、土日の半分くらいは町内会の行事等でとられてしまい、平日手抜きをした掃除などの穴埋めも難しく、子供たちと遊ぶ時間もなかなか取れません(だんだん子供たちも遊んでくれなくなってきました。)。

―通勤― 下の子が生まれ、それまでのアパートが手狭になってきたことから、西尾市内に家を建ててしまいましたが、アパートも家も、その当時の勤務先であった西尾駅前から徒歩約20分のところを選びました。 健康維持のため、徒歩通勤と考えたことによるのですが、片道30分ではくじけてしまいそうですし、あまり短いのでは意味がないということで、この距離にしました。 現在は、家から駅まで徒歩約20分、駅から電車約40分で裁判所支部の最寄駅、そこからまた徒歩約20分ということになりますが、暑さの酷い時期や悪天候の際には、裁判所支部の最寄駅からはバスを使うこともあります。

―調停委員会― 調停委員は、兼務の制限はないので、別に本業としての仕事を持っている方も多く、弁護士や司法書士、税理士、不動産鑑定士などの専門家もいて、その専門知識が生かされています。 民事や簡易裁判所の事件では、女性の調停委員が少ないことから、男性の調停委員2名と担当裁判官による調停委員会が多くなりますが、家事調停の場合は、原則として女性の家事調停委員と男性の家事調停委員各1名と担当裁判官の3名で調停委員会を組織します。 担当裁判官は、同時に複数の調停委員会を持っていますので、通常の調停の進行は2名の調停委員で行い、随時裁判官と相談しながら進めて、成立時等必要な時には裁判官に出席してもらいます。 本業が忙しい調停委員は、月に1,2回しか調停委員としての仕事ができないという方もおいでになりますので、日常的に裁判所に来ている調停委員は、退職者や主婦(夫)が多くなります。

―調停― 調停は、裁判官が判断を示すというものではなく、当事者間の話し合いによる合意を目指す制度ですが、そもそも当事者どうしでの話し合いがうまくいかないことから調停を利用しているので、双方の当事者を直接話し合わせても非難の応酬となってしまうことが多く、調停委員が間に入って交互に各当事者の話を聞きながら進めていくことになります。 なお、最初に各当事者に調停制度について説明しますが、金銭の支払いについて合意が成立した場合、確定判決と同じ効力を持つことから、強制執行の対象となることも注意しておきます。 離婚等の場合、「相手の方が悪い」という点だけ双方の意見が一致して、真っ向から対立することが多いのですが、それぞれの言い分を十分に聞き、信頼関係を築いてから法制度の考え方を説明し、あなたの気持ちは良くわかるけれども法的には直接それを通すことは難しいので、この点は譲る代わりにこのような方向で合意を目指してはどうかというような提案をしていくことになります。 中には、とにかく早く離婚したいという一心で、支払い不可能と思われる法外な給付を提案したり、相手方の無茶な申し入れに合意しようとしたりということもありますが、すぐに破綻してしまうことにならないか、子供の今後の生活は本当に大丈夫なのかなどの観点から再考を促したり、納得のいかないまま合意を急いではいけませんなどと注意をすることもあります。 また、相手や子供の気持ちを察するよりも、自分の主張に固執する当事者がおり、離婚に当たって子供の親権をどちらが取るかで深刻な争いになることもあります(大岡裁きのように、双方に子供の手を引っ張らせるというわけにはいきません。)。 このような場合、父親も母親もどちらも好きなのにその二人が争っていることで心を痛めている子供の気持ちを察するように促すと、気持ちが動く場合もあり、このような時に調停委員としてのやりがいを感じます。 離婚に関する事件では、双方とも外国人で、それもそれぞれ国籍が違うという場合もあります。 そのような場合は、法の適用に関する通則法や扶養義務の準拠法に関する法律によって適用する法を定め、外国法が適用される場合には関係する外国法を書記官に調べてもらって判断することになりますが、そもそも親権や監護権というような概念自体が日本とは異なっているのではないかと思われる場合もあります。

―算定表― 家事調停では、別居中の夫婦の婚姻費用や子の養育費が問題となることが多く、家庭裁判所のホームページで公開されている「養育費・婚姻費用の算定表」がその目安として使われています。 この算定表は、「新版 証書の作成と文例 家事関係編〔改訂版〕」34ページ以下及び85ページ以下にも掲載されているので、公証人の皆様はご存知と思いますが、その考え方の詳細については、別途実務の広場等でご説明したいと思います。 ここでは、養育費等の算定表で、子の年齢により0~14歳の表と15~19歳の表とに分かれている理由についてだけ指摘しておきます。 これは、公立の中学校までの平均的学費と公立の高等学校の平均的学費の差に基づくもので、本来は、子が高等学校に進学する時点で、適用される算定表が切り替わるのです。 したがって、0~14歳の表に基づいて養育費等の額を定める場合には、「進学に伴う特別な費用については別途協議する」というような条項が必要となりますので、公正証書作成相談の場合にも、別途協議するという条項の追加を助言していただきたいと思います。

―婚姻費用又は養育費に関する合意― 調停では、できるだけ当事者の合意を尊重することから、審判や裁判による裁判官の判断よりは合意の効力が認められる幅は広くなりますが、算定表の目安よりも大幅に低い金額で当事者が合意する場合、子供の将来の生活に支障がないかという観点から再考を促すことになりますし、大幅に高い金額となる場合には、本当に支障なく支払えるのか、破綻してしまうことにならないのか確認することとなります。 また、婚姻費用も養育費も、直面する生活費の問題ですから、その解決は早急にしなければなりませんし、すぐに合意できない場合には、暫定的な支払いを促すことになります。 最終的な金額が決まっていない段階でも、暫定的に一定の金額を支払ってもらい、後日金額が決まった時に、不足していた場合には未払い分の追加支払いということになりますし、過剰だった場合には清算となりますが、支払う側としても暫定的に一部でも支払っておけば、後日の追加未払い分は少なくなりますし、支払いを受ける側としても当面の生活費が確保できることで、双方の利益につながります。

―日々反省― 期日が終わると、もっとこのように説明した方が良かったのではないかとか、あの当事者はこんなことを考えていたのではないかなど、日々反省と新たな気付きの連続で、確かに認知症予防には効果がありそうです(そうは言っても、確実に認知症が進行していることを自覚せざるを得ない毎日です。)。 公証人経験者が調停委員となるには、最初に述べたとおり、年齢的な問題がありますが、可能であれば退職後の認知症予防のための選択肢の一つとして考えてみてはいかがでしょうか。 また、戸籍や登記、訟務、人権などの経験が役立つ仕事で、司法書士等の業務と両立させることも可能ですので、機会がありましたら、後輩の法務局退職者にも声をかけていただければと思います。 ただし、報酬は、週3~4日出勤したとして、月額10万円程度です。

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。

No.65 甲・乙共有地の乙の持分に甲が賃借権を設定したいという事例について

本件については,本紙No.29(平成29年10月)において,3つの事例に絞って検討を試みたもののうち,事例1について再掲するものである。 原稿掲載後いくつかの意見をいただいた。説明不足の感も否めないので,改めて以下のとおり文案を修正して紹介したい。 記載が重複する部分も多いと思うが,書直しなのでご容赦願いたい。また,本稿の内容については,引用文以外筆者の個人的見解であることを,あらかじめお断りしておきたい。 事例1 甲・乙共有地の乙の持分に甲が賃借権を設定したいという事例 概要:甲は,ある事業目的で,乙単独所有地(A地)と甲・乙共有地(B地)を乙から借り受けて一体として使用したい。賃料は,A地とB地(乙持分)併せて金〇〇万円と決めた。この内容で不動産賃貸借契約公正証書を作成して欲しい。 検討:このような事案は、実例としては、ありそうな気がする。例えば、親兄弟で共同相続したB土地全体を、共同相続人の一人が賃貸用駐車場用地として使用し、他の2名には賃料相当額を支払うといった場合などである。 本事例は、法律的には、甲・乙共有のB地について、乙持分を甲が乙から借りるべく、甲・乙間で賃貸借契約を締結することができるかという問題である。 甲・乙共有地に第三者である丙が賃借権を設定できることについては,異論はないであろう。 しかし、甲又は乙の共有持分の全部又はその一部に賃借権の設定ができるかということについては、肯定論もあるようであるが、実務は否定的に運用されていると思われる。なぜなら、賃貸借について、民法601条は、「賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うことを約することによって、その効力を生ずる」と規定し、賃貸借の成立要件の一つとして「物の使用・・・を約すこと」を掲げている。すなわち、対象が物であることを前提としており、土地であれば当該土地が対象物となり、共有持分権という権利を対象としていないからである。また、民法249条は、「各共有者は、共有物の全部について、その持分に応じた使用をすることができる」とし、「持分に応じた使用」とはしているものの、(共有)物の全部の使用を前提としている。そうすると、乙の持分に賃借権を設定することはできないことになる。登記実務においても、共有持分についての賃借権設定登記を否定している(昭和37年3月26日民甲844号通達・登記研究320-63ページ参照、昭和48年10月13日民三7694号回答)。 それでは、甲がB地全部をある程度長期間使用したい場合、どのような契約を結ぶことができるのかということであるが、大別して以下の3つの方法が考えられる。 ①  共有物を現物分割し、分筆して乙所有部分として特定した箇所を甲が賃借する方法 この方法は、甲及び乙が合意しなければできないし、本問では、甲・乙共有のまま甲が使用することを前提としているので、本問の回答にはならない。 ②  貸主を甲及び乙とし、借主を甲とする賃貸借契約を締結する方法 この方法は、甲が貸主であるとともに借主になることから、借地借家法15条のような自己借地権の規定がない限り、また、混同の原則により難しいという意見がある。 ③ 甲・乙間において、その共有するB土地を甲のみが使用することについての,共有土地の使用に関する合意契約のような契約を締結する方法 債権については、物権法定主義のような縛りはないから、このような契約も可能と考える。 以下において、②、③の説について、共有持分の賃貸借という観点から若干検討してみたい。 まず、共有物の賃貸借が、共有物の変更、管理、保存(民法251条,252条)のいずれに該当するかという問題がある。多少見解の相違もあるようであるが、短期賃貸借はともかく、長期間の賃貸借の場合は、共有物の変更として共有者全員の同意が必要と解されている。したがって、本事例のようにB地を賃貸用駐車場としてある程度長期間にわたり賃貸借する場合も、共有物の変更に当たり、共有者全員の同意が必要と解される。 本事例の場合、乙の同意が得られれば、B地を賃貸借契約の対象とすることには何ら問題がない。ただ、借主がB土地の共有者の一人である甲であっても問題がないかということである。 まず、前記②は、貸主を甲及び乙とし、借主を甲とする賃貸借契約ができないかという問題提起である。この場合、甲は貸主と借主の双方の立場にあるが、貸主は、甲だけではなく甲及び乙であり、しかもその対象は、甲の共有持分権ではなく甲及び乙の共有地という物であることから、単に甲が甲の土地を借りるということではなく、この意味において自己の所有地に自ら権利を設定する混同には必ずしも該当しないと理解することで差し支えないのではないかというものである。 しかし,この意見については,前記②のとおりの問題が指摘される。 ところで、借地借家法第15条(自己借地権)は,借地権設定者が他の者とともに借地権者となれる旨の規定であるが、この法改正(新設)の理由として以下のとおり説明されている。 「建物が区分所有建物である場合あるいは共有にかかる建物である場合には、建物所有者のなかに土地所有者である者とない者が混在するという状況がしばしば生ずる。この場合に建物を建てるための占有権原として借地権を設定しようとしても、現行法体系のもとでは認められない。土地所有者が自らを権利者とする借地権をその所有地に設定することが混同の原則により許されていない(民法179条1項,520条)ということがその基本にある。しかし、法律上、土地と建物とを別個の所有権の対象とし、建物を所有する権利として典型的に借地権を認めておきながら、しばしば生ずる土地所有者が建物所有者の一人であるという状況に対応した借地権を認めないのは不都合である。そこで、新法15条1項では、このような不便を解消するため、他人と共に借地権者となる場合に限り、自己を借地権者として借地権を設定することを認めることとした。」(寺田逸郎・新借地借家法の解説(4)NBL494号28ページ) 私がこの問題を取り上げたのは、借地権者が複数の場合には、自己借地権を創設するという借地借家法の改正により問題解決が図られたが、その逆、すなわち、(借地借家法の適用の有無にかかわらず)共有地を当該共有者の一部の者が使用する場合について、しばしば生ずる問題であるにもかかわらず、法規上明確な方策が示されてないように思われたことによるものである。 この点については、前記、借地借家法の解説(4)において、「借地権者となる者に借地権設定者でない者がいない場合、たとえばA・Bが所有する土地をAだけが使用するような場合には、15条の規定による借地権の設定が認められることはない。この場合には、共有者間の土地利用の合意という形で占有権原が存在するのである」と説明されている。(NBL494号29ページ) これは、建物の共同所有を目的とする借地権設定については、建物共有事例の不都合を救済するため法15条のような規定を設ける必要があるものの、共有土地の利用にあっては、共有者間の土地利用の合意ということで対応することで足り、特別な規定は必要ないことを前提としたものと解される。 そうであるならば、②の考え方に対する前述の疑問は解消されたことになるが、「貸主を甲及び乙とし、借主を甲とする賃貸借契約」とするよりも、「甲及び乙の共有地を甲が利用する合意契約」とするのが、より的を得た契約であると思われる。 そうすると、このことを明らかにした③の考え方が相当であると思われるが、これには、次の3つの説があり、契約を締結する場合、かかる議論に留意する必要があるとされる(齋藤理・宮城栄司、共有・分有土地上に存在する建物に係る土地利用権について(上)、ARES不動産証券化ジャーナルVol.10,120ページ以下)。 ア:共有者間における共有物利用に関する合意と考える見解 イ:甲を一方当事者とし、甲及び乙を他方当事者とする土地利用の設定契約 と考える見解 ウ:乙の土地共有持分について甲に利用権を設定する合意と考える見解 これらの考え方は、前記②で説明したとおり、共有土地の利用は、「共有者間の土地利用の合意という形で占有権原が存在するのである。」との解説に沿った考え方であり、上記ア、イ、ウは、説明の仕方の相違に過ぎず、いずれの説が正しいということではなく、いずれの考え方によったとしても、具体的な契約方法に変わりはないものと思われる。 それでは、この考えによるとしても、甲が乙に対して、一定額の利用料を支払うということになれば、そのことを決めなければならず、そうなると、合意内容といっても賃貸借契約と同様の内容の契約となってしまうこととなろう。 (結論) 以上のことを踏まえて、本件の契約内容をいかにすべきか考えるに、「共有者間の土地利用の合意」というのは、「甲及び乙の共有地(B地)を甲が単独で利用することに甲と乙が合意し、その利用期間は〇年、利用対価は毎月金〇円、支払時期は月末まで等」を定めることになるものと思われる。 そうであるならば、契約書は「甲乙間における共有物利用の合意」とし、共有地(B地)を甲が単独で使用することに甲及び乙が合意した旨と利用対価等を記載し、公正証書とすることが最も相当な方法であろう。 しかしながら、結局のところ、上記の合意内容は、甲・乙共有地の乙持分に甲が賃借権を設定するのと実質的には同様の結果となるものであり、当事者の意に沿うものであると考えるがいかがであろうか。 (由良卓郎)

No.66 地方自治体と市中銀行が発起人となって株式会社を設立することの可否について(質問箱より)

【質 問】 今般、地方自治体と市中銀行が発起人となって株式会社を設立したいとの相談がありました。 当職といたしましては、昭和42・1・21法規委協議結果(新訂法規委員会協議結果要録(362ページ))を踏まえて、地方自治体については、当該地方自治体の長の会社の発起人となることが地方自治体の目的の範囲内である理由を付した証明書の添付があれば、発起人となることは、可能であると考えます。 一方、昭和42・1・21法規委協議結果(新訂法規委員会協議結果要録(365ページ))においては、市中銀行等が観光開発会社の発起人になることについては、消極とされています。 しかし、現在、産官学連携による地産地消の推進等、地域の活性化が図られているところ、市中銀行が発起人となることについても可能であると考えますが、いささか疑義がありますので照会させていただきます。 併せて、相談時における設立予定の会社の目的は、次のとおりです。当職といたしましては、この内容では、営利事業を行う法人と何ら変わりなく、私人の営業と競争的に営利事業を行うと解される(前掲、新訂法規委員会協議結果要録(363ページ))ので、許可できないと考えますが、一方で、この協議結果は50年以上も前のものであり、特に官民が一体となって地域の活性化を図ることが普及している現在の社会経済に適応していないのではないかとも考えられますので、併せてご教示願います。 (設立予定の会社の目的) 第 条 当会社は、次の事業を営むことを目的とする。 1 発電事業及びその管理・運営並びに電気の売電に関する事業 2 インターネット及び情報サービスに関する事業 3 各種イベントの企画及び運営に関する事業 4 各種研修、教育、セミナー等の企画及び運営に関する事業 5 企業向けの相談窓口に関する事業 6 人材派遣及び雇用支援に関する事業 7 コンサルティングに関する事業 8 不動産、動産管理及びリースに関する事業 9 広告及び宣伝に関する事業 10 食品等販売に関する事業 11 上記各号に附帯する一切の事業

【質問箱委員会回答】 1 法人の行為能力について 法人は、民法第34条に定められているとおり、「定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し義務を負う」ことから、その目的の範囲外の行為はできません。 したがって、新設株式会社の発起人としての権利義務を有することができるかどうかは、新設株式会社の目的が、発起人となる法人の目的の範囲内のものであるかどうかで判断されることとなります。 その判断基準について、判例は、営利法人の場合「定款に記載された目的自体に包含されない行為であっても目的遂行に必要な行為は、社団の目的の範囲に属するものと解すべきであり、その目的遂行に必要かどうかは、問題となっている行為が、会社の定款記載の目的に現実に必要かどうかの基準によるべきでなく、定款の記載自体から観察して、客観的・抽象的に必要となり得るかどうかの基準に従って決すべきものである。」(最判昭和27.2.15)と、非営利法人の場合「法人の行為が法人の目的の範囲内に属するかどうかは、その行為が法人としての活動上必要な行為であり得るかどうかを客観的・抽象的に観察して判断すべきである。」(最判昭和44.4.3)と示しています。 また、具体的な目的の範囲の判断においては、非営利法人より営利法人の方が、比較的広く認められているようにも思われます(他人の債務引き受けに関する大判昭和10.4.13と大判昭和16.3.25等)。 2 地方公共団体の目的について 前記1の観点から、地方公共団体の目的について検討してみますと、地方公共団体は、地方自治法第1条の2第1項の「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。」という規定を基本とし、同法第2条で規定されている自治事務及び法定受託事務を行うものとされていますが、自治事務については定款等その目的を個別具体的に記載したものは存在しません。 このようなことから、地方自治体が特定の新設株式会社の発起人となり得るかどうかについては、それが当該地方自治体の目的の範囲内である理由を付した当該地方自治体の長の証明書によって個別に判断せざるを得ないものと考えられます。 なお、御意見のとおり、地方自治体の目的は、社会経済情勢の変化に応じて変化していくものと考えられますので、地方自治体の目的の範囲外であることが明らかでない限りは、定款の認証を拒むことはできないものと考えます。 おって、地方自治体が発起人となった株式会社が、単に営利を目的として民業を圧迫するようなことをするのは好ましくないと思われますが、定款認証の際に公証人がこの点をチェックしなければならないものではなく、実際に新設株式会社が営業を開始してから、地域住民によってチェックされるべきものと考えます。 3 銀行の目的について 銀行は、株式会社(営利法人)であり(銀行法第4条の2)、その目的は登記されていますので、当該銀行が新設株式会社の発起人となれるかどうかについては、現に登記されている当該銀行の目的の記載自体から観察して、客観的・抽象的に必要となり得るかどうかを判断することになります。 そして、この判断においては、銀行法第1条第1項の「この法律は、銀行の業務の公共性にかんがみ、信用を維持し、預金者等の保護を確保するとともに金融の円滑を図るため、銀行の業務の健全かつ適切な運営を期し、もって国民経済の健全な発展に資することを目的とする。」という規定や、銀行が子会社とすることのできる会社(銀行法第16条の2)及び銀行持株会社が子会社とすることのできる会社(銀行法第52条の23)に関する規定が手掛かりになるものと思われますが、銀行等が子会社とすることのできる子会社対象会社には、社会経済情勢の変化に応じて、いわゆるベンチャー企業等が追加されています。 具体的に当該銀行の目的を確認する必要はありますが、このようなことを前提に、質問箱検討委員の間でも見解が分かれたところです。 一つは、一定の融資先の支援等は銀行の目的に含まれるものの、自ら起業するという前提でご質問の新設会社の目的を見る限り、金融取引で構成された銀行の目的の範囲を超え、また、その目的に関連しているとも言えないのではないかという見解です。 他方は、現在の社会経済情勢を踏まえると、市中銀行が出資して発起人となり、様々な事業を活性化させることも広い意味で銀行の目的と考えて、ご質問の新設会社の目的5、7等がこれに該当するものと考えて差し支えないのではないかという見解です。 質問箱検討委員の間でも見解の分かれているところですので、当該銀行の目的を確認し、不明確なところがあれば嘱託人から説明を求めるなどして、各公証人において判断していただくこととなります。 なお、銀行の出資比率が50%を超えたり、出資比率は少なくても役員を送り込むなど財務及び事業の方針の決定を支配している場合(会社法施行規則第3条第1項)に該当しますと、会社法第2条第3号にいう「子会社」となり、銀行法第16条の2に限定列挙された子会社対象会社であるかどうかも確認しなければなりませんので、銀行の目的の範囲内と判断する場合には、念のためこの点にもご注意願います。

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