民事法情報研究会だよりNo.16(平成28年2月)

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立春の候、会員の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、本年度の事業計画に掲げた「公証事務の照会・回答システムの構築」につきましては、昨年5月の通常理事会における協議の中で、公証人は本来、日公連の照会回答制度を利用するべきではないかとの意見もありましたが、比較的軽微な事務処理上の疑義について、この法人の仲間内で経験豊富な会員が相談相手となって議論し対応すること自体、何ら問題はないだろうとの判断から、とりあえずの試みとして「質問箱」の仕組みを作ることとし、7月から運用を始めました。その結果、12月までに13件の照会があり、質問箱委員会において対応していますが、利用された会員からは大変参考になったという好反応をいただいておりますので、当面この仕組みを続けて行きたいと考えております。 なお、本研究会だよりは隔月発行を原則としておりますが、「実務の広場」に掲載すべき質問箱の事例が多いため臨時に増刊することとし、次回のNo.17は、本年3月にお送りいたします。(NN)

小倉馨著「わが航跡」を読んで(理事 井内省吾)

先頃、法務局・民事局の大先輩である小倉馨先生が自分史として発刊された「わが航跡」を読ませていただきましたが、その随所で、人生、法務局ひいては日本民族ないし日本国の現在過去未来についての様々な気持ちが私の中で去来しました。 ここでその全てを取り上げることは到底できませんので、その中の一つのご論稿「大和特攻と少尉候補生の退艦命令」についてのみ触れてみたいと思います。 「大和特攻」について、ここではその詳細には触れませんが、一般には、戦争が末期に至り物的・人的資源が極めて限られてきた中で、沖縄戦において起死回生を願い立案され遂行されたものと考えられているようです。 しかしながら小倉先生は、大和特攻で出撃した大和を旗艦とする第二艦隊の各艦艇に一旦乗艦した合計73名の少尉候補生が、乗艦3日後に大和特攻が命令された直後に、命令によって全員が退艦したことなどもあり、その後終戦までの間における戦死者が極めて少数であったことを数字的に確認された上で、「軍艦「矢矧」海戦記(井川聡著)」の記述を引用し、少尉候補生の退艦の際の各々の心情を、楠正成が湊川の別れで二十余名の家臣たちとの決別の際にふるさとの後図を託したという故事になぞらえ、「出て行くのも国のためなら、残るのも国のためだった。「大和」特攻は、終戦用意の第一歩でもあったのだ。」とされています。この言葉が私の心に突き刺さったのです。 その理由は二つあります。 第一に、「大和」特攻は、一面「特攻」であると同時に、他面、「終戦用意の第一歩」であり、一度乗艦したが実戦経験のない(という一見もっともな理由のつく)多数の若者に、(遥か昔から先祖代々連綿と続いてきて、明治維新期に植民地化の危機も乗り越えた)日本「国の後図」を託したという面も有していた、と小倉先生は断言されているのです。 そのように考えると、「国の後図」は、軍指導者や特攻で散っていった人々から、生き残った人々、ひいては、その後その子孫としてこの国に生を享け現代に生きる私達全体に託されたものであるとも考えられるのではないでしょうか。 そして、小倉先生の海軍の先輩・仲間たちへの熱い思い、これまでの至る所での常に全力投球のお仕事ぶり、家族・先祖・郷土への限りない愛と感謝の念は、本書「わが航跡」でも随所に垣間見ることができますが、海軍兵学校在学中に終戦を迎えられた先生のその後の命も、この「後図」実現のために捧げられているのではないかという思いに圧倒された次第です。 第二に、「「大和」特攻は、終戦用意の第一歩」という表現の中には、「特攻のような多数の若者の理不尽な死が必要な国には二度としてほしくない」という、小倉先生はもとより、特攻をされた方々、そして少尉候補生に退艦命令を下した軍指導者の痛切な願いが表わされていると思われることです。 時あたかも、現在は、冷戦終結で一極支配が確立したと考えられた米国の油断と力の陰り等から、世界各地でテロとの戦い、グローバリズムと反グローバリズムの戦い、覇権国とそれに挑戦する国の争い等が生じ、第一次・二次世界大戦後に作られ、それなりに安定していた世界秩序が(中東における国境画定のほか、ブレトンウッズ体制や核不拡散体制等)部分的にせよ崩壊の危機に瀕するかもしれないと感じさせるような状況にあります。 このような中にあって、昨年我が国政府は集団的自衛権を認め、安保法制を作り、G21などで明確に反テロ戦線に加わるなど、それなりに旗幟を鮮明にしてきたとも考えられます。とはいえ我が国がいきなり戦争に巻き込まれるなどということはあり得ないとは思うのですが、小倉先生の「わが航跡」を読んで、今後、どのような事態が訪れようとも、感性と文化を共有する日本国民全体の力と叡智を結集して、先人の「特攻が必要な国には二度としてほしくない」という願いに応えていくべく必死の努力していかなければならないと、痛切に感じている次第です。

今 日 こ の 頃

このページには、会員の近況を伝える投稿記事等を掲載します。 

帳箱は物語る大唐正秀1 由来 そのものは、2年前の真夏に、箱に入って公証役場にやってきた。正確には、土地家屋調査士のTとKが自家用車に乗せて、二人がかりで大事に運んできたものである。 そのものは、桐材により制作された縦32.4㎝×横63㎝×高さ32.6㎝の蓋付きの箱で、古い時代から長期にわたり使われてきたことが容易に分かる大型の収納(文)箱とでもいうべき容れ物である。火災・災害時等においては、直ちに持ち出し可能なように設えたものであろう。蓋付きのまま利用すれば、記帳机としても充分機能する広がりである。その時代の大人であれば、一人でも持ち上げ移動できる、いわば現代におけるボストンバッグだと想像してもらえばよろしいかと思われる代物である。 所有者は、そのものを所有すること自体への思い入れがあるからか、この箱の裏面には「名東郡東名東邑御番所下山永左エ門」と大書されている。御番所注*1参照の下山永左エ門が設えたものと読むことができる。それに続けて、江戸時代の「安政四丁巳彌生月」(安政4年、1857年)と墨書されていることから、今から158年前に製作されたという計算になる。日米和親条約が締結されたり、安政東海、安政南海地震が数年前に起こった後の封建制の頃から近代国家へと移行した過度期を経て、今日までの時代に耐えてきたものであることから、この箱は、過去からの玉手箱、換言するならば、「時の入り船」ということになろうか。

注*1 御番所(ばんしょ) 「阿波近世用語辞典」(著者:高田 豊輝)によれば、「①関所のこと、②職業の類に番所があり不詳」と説明されている。 川口番所・堺目番所・遠見番所・見張番所・船渡番所には、郡(こおり)奉行支配番人(小高取・切田取・判形人もあり)又は郷士格・庄屋等一人~二人を番に当たらせた。 遠見番所と見張番所は海上・海岸警備の番所である。遠見番所は小屋程度の規模で番人は川口番所等と兼務であった。 番所には幕府の禁令(切支丹・毒薬・耕作損亡・忠孝・捨馬の制禁、諸廻船・異国船・酒造の御定等)の高札及び藩の制札(密告褒美、伴天連訴人銀子百枚黄金拾枚、いるまん訴人銀子五拾枚黄金五枚、切支丹訴人銀子三拾~二拾枚黄金三~二枚)を建ててあった。番所は明治五年に廃止された。 ◎川口・湊口番所の所在地 幕末に四六か所あった。分一所(ぶいちしょ)を兼ねていた川口番所もある。 ◎堺目口番所の類所在地 *(他藩との藩界付近に設置されていた模様で)、幕末に一四か所あった。 ◎船渡番所等の所在地 三好郡白地村本名に船渡番所、海部郡奥浦脇ノ宮に高瀬船番所があった。 ◎遠見番所の所在地 幕末に一六か所。寛政頃設置されたと言う。 ◎見張番所の所在地 幕末に10か所あった。 右は桑井薫氏編著の「阿波淡路両国番所跡探訪記」を基にして書いた(と著者)。 筆者注:前記用語辞典では、「名東郡東名東邑」に御番所が存在したことの記録はない。下山永左エ門さんが勤務していた御番所はどこでどのような番所であったのか、今のところまだ解明できていない。

2 事始め その箱の中には、一見して、おびただしい量の文書類が無造作に収納されていた。 上記のTとKによれば、旧家の土蔵を取り壊すとのことで、建物滅失登記を依頼された関係から、現場調査に行ったところ、その土蔵の二階から収納箱が見つかった。その家の当主は、その存在自体を子どもの頃から薄々知っていたものの、「古い物であり、土蔵の取り壊しと同時に、この際、中身ごと一括して廃棄してもらって結構だ。」ということであった。 そこで、念のため箱の中を覗いたら、どうも古文書類やら昔の地図類が沢山入っている様子なので、「一度、これらを公証役場で見てもらったほうがいいのではないか。」との話になり、所有者の承諾を得て、現状有姿のまま持ち込んだというのである。 板材の樹脂が抜け落ち生暖かい手触りのするその蓋を持ち上げてみると、古家と土蔵の香りが入り混じった遙か昔の香り(実は、埃の臭い)が立ち上がり、そこにはおびただしい量の内容物が詰まっていた。その時の気持ちは、あたかも、古墳を発見した考古学者が、胸の高鳴りを押さえ切れないであろうその動悸と同視できるのではないだろうか。 必要に応じて内容物が出し入れしたことが分かる状態での保管であり、几帳面に整理が行き届いた状態ではなかったものの、和紙に書かれた古文書類、それから古地図類がその大半であることは容易に判明した。何よりも多かったのが地券の類である。そこで、手始めに地券群を整理してみたので、ここで紹介してみたい。 3 地券 収納品を分類整理してみたところ、地券は3種類に大別でき、その内訳は、「地券之證」が10枚、「明治9年改正地券」が88枚あった。 前者は手漉きの和紙製、後者は明治政府により調製され配布を受けたものである。このほか破損した地券が各種類ごとにそれぞれ数枚ずつ存在する。 (1) 地券之證 このうち「地券之證」は、壬申地券創成期のもの(10枚、縦32㎝横43㎝、保管サイズ:二つ折り後に三つ折り)であり、「地券の證」と墨筆により記されている。この10枚は、明治7甲戊年3月発行分(2枚)と明治7甲戊年5月発行分(7枚)の2期に分かれている。 「従来の持地は追って地券を付与すべし」とされた範疇に含まれるものである 注*2 壬申地券創成期の地券「その3」参照 )

注*2 壬申地券創成期の地券 壬申地券創成期の地券は、次の3種に区分することができる。 その1は、明治4年12月27日に東京府下の武家地、町地の区別を廃し、土地の所有者に交付したものである。地所の代価の2/100を沽券(証文)税として課税することを意図し券面に記載されたもので、言わば都市型の地券である。 その2は、土地の売買譲渡に伴って交付された地券であって、「地券の證」がその初出である。この地券の様式は、「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」(明5.2.24大蔵省達25号)の公布に伴ってその雛形が示された。この地券の様式は、売買を原由とするものであることから、言わば所有権移転型の地券の発行ということができる。 その3は、明治5年7月4日に至り、「売買譲渡以外の土地の従来所持の者へ最前相達候規則に準じすべて地券を渡すようにせよ」と各府県に通達(大蔵省達第83号)されたものである。前記「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」(明5.2.24大蔵省達25号)において、「従来の持地は追って地券を付与すべし」(同13条)と予定していたものであり、同日公布され、上記の様式がそのまま承継され、交付されることとされた。この地券は、所持事実の現認・認定を原由とするものであることから、言わば所有権保存型の地券の発行ということができよう。 これらその1及びその2に係る地券(「地券の證」)は、いずれも、「地所持主たる確証」(同6条)とされたのである。 なお、地券発行に係る用紙及び地券之證印並びに地券に契印する押切割印について、大蔵省から次のような達が発出されており、当分の間、用紙は強靱な用紙(名東県は和紙)とし、地券状には地券之證印を押印の上、地券状と地券大帳との押切割印は従前の府県印を用いることとされた。
明治5年8月5日大蔵省達第97号 「今般地券発行に付券状に相用候料紙は追て相達候迄其地有合堅牢にて耐久の品可相用證印の儀は各府県へ一顆づつ相渡候條右を相用押切は従前の府縣印可相用此段相達候事 但し證印受取方の儀は租税寮へ可申立事」 (近代デジタルライブラリー「法令全書」・明治5年651p内閣官報局)
明治5年8月28日大蔵省達第115号 地所売買譲渡二付地券渡方規則中第一条第二条左之通改正 第一条 地券相渡候節地券は最前の雛形通りに製し地主へ相渡地券大帳はニツ折帳に仕立     半枚に二筆宛記載し券状と割印可致置事 但腹書多分有之分は見計たる可き事 第二条 地券大帳は年々収税の照準に致し地券渡済の上一村限地所之段別地券金高とも綜合高取調租税寮へ可差出来 但綜合高取調方別紙表式之通可相心得尤表式は追て可相達事 右之通及更正候条此段相達候也 (近代デジタルライブラリー「法令全書」・明治5年663p内閣官報局)

(2)「改正地券」について もう一種類の「明治9年改正地券」は、明治9年式の改正地券(88枚)である。「明治9年改正」と朱書き印刷されているものが多い。 改正地券は、地租改正事務局から明治8年11月20日達乙第8号としてその雛形が示され、洋紙に印刷した全国一律の用紙が各府県庁あて交付された。 これらの88枚は、前記の雛形により示され、各府県庁あてに印刷交付された用紙そのものが使用されており、また、時期を異にして交付された地券であっても同一官印が押印されていることがこれらの地券全部を比較照応する(官印の押印箇所に手ぶれが見られる)ことによって判明する。このうち背景茶地印刷の地券は75枚、背景青地印刷の地券は13枚である。 なお、明治9年8月22日達乙第12号により地券の表題の上部に「明治9年改正」の朱印を押す旨の改正がなされているので容易に識別できる。 その後、地券制度は、土地台帳規則(明治22年3月22日法律第13号)が公布される明治22年まで続いた。 (3)下山家の地券の分析 下山家の地券中、「明治7甲戊年3月発行」地券之證(縦32㎝横43㎝)については、上記「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」の公布に伴い示された雛形と比較して、個々の「地券の證」の表記方法が、次のとおり、相当部分において異なっている。 ① 反別(地積)の表示が記載されていないものの、これは、地券渡方規則第36条の規定に従ったものと思われる。 ② 地代表記部分の左端に「御運上金注*3参照」とその額が併記され、「名東御取立」の確認押印が付加されていることから、この税額により、税の賦課が決定されたか、又は、證印税規則(明治5年7月20日大蔵省達第88号)による證印税を納付したか、いずれかの証拠となる。

注*3 運上金(うんじょうきん) 運上は、近代日本における租税の一種で、それが金銭により納付が行われる場合に運上金と呼ばれた。江戸時代では、農業以外の商工業や漁業従事者に対する一定税率が定められ、その課税したものを運上と称した。また、特定の免許を与えられた者に必要に応じ上納させたものは冥加と呼ばれた。 明治維新後も明治2年に運上、冥加は当分の間現状維持とされたが、地租改正が進捗した明治8年には地方の多種多岐にわたる雑税が廃止された際に、これまでの運上・冥加のほとんどは廃止された。

③ 前記②については、下記文献では、「この地券に基づいて課税されることもなかった」と説明されていることに注意されたい。

「㈡ 郡村地券は、郡村の田畑宅地等の幕藩時代からの持主に「持主タル確証」として交付されたが、従来から所持する田畑などには代価も不明であったことから、地券にも「適当ノ代価」が記載されるだけで、地租率なども記載されず、地券だけからは地租額も不明であったので、郡村地券は「土地の持主であることを公証する」だけで、納租の標目でもなく、また、この地券に基づいて課税されることもなかった。 ㈢ 田畑等の持主は検地帳等に登録された地主であり、賦税の照準も検地帳等に書入られた「石高」から「地価」(適当な代価)に変更されるだけであったが、この地価は明治六年地租改正法に基づく改正地券によって確定されることになる。」 以上、「近代的土地所有権の形成と帰属」(古舘 誠吾)118p

④ 本「地券の證」の証明書き本文の内容が「授与」ではなく「相渡置候」となっており、しかも、その根拠として「従前割賦之通」との理由が付記されている。なお、地所を所持する者に壬申地券を交付する名東県庁の達は次のとおりである。

明治5年7月23日名東県達第34号 「先般相達候地所売買規則第13則に従来持地は追而地券渡方之儀可相達旨掲載有之候所今般管下人民地所々持之者は都最前之規則に準じ地券可相渡旨大蔵省より御達に付其旨相心得地所所持之者は田畑従来之位付に不拘方今適当之代価書入来る8月15日迄に不洩様持区限取纏め租税課へ可差出候萬一不得止次第に而取調て及遅延分は右日限前に情実申立相当之日延可願出候 壬申七月廿三日                  名東県庁」 (徳島市史料編695p)

⑤ 本「地券の證」の証明者として3名が連署のうえ押印されている。連署者は、3名とも「證」を証明発行する根拠となる権限がいずれも銘記されておらず、「県令、大少属の氏名及び押印」という雛形様式の方式は執られていない。なお、本「地券の證」では10点とも、連署者3名のうち1名は朱印により押印し、うち2名は墨印で押捺しているとの規則性が見られる。このことは、官吏と民間人を峻別するための地域の慣習によるものなのか、あるいは、けん制順を表示するための措置であろうか。朱印と墨印の区別には特段の事情はないのかも知れないとの推測も成り立つ。 敷衍すれば(あくまで私見であるが)、朱印押印者を地券取調掛(官吏)、墨印押印者を実地適宜の者(民間人)であると仮に見立てれば、連署及び押印は「名東郡取立」つまりは證印税規則のとおり取立(つまりは徴収=納入)済であることの証拠となり、ひいては、本「地券の證」が真正に作成されたことの担保になっているとの評価に繋がるのであるが、どうであろうか。 郡村地券発行の目的が、全国の地価総額の緊急の把握にあったことに鑑みれば、地租徴収のための主要な調査対象は田畑、宅地であり、山林、原野等については、劣後する調査対象であったものと思料されるものの、原則的には、明治5年7月4日大蔵省達第83号により、売買譲渡以外の土地の従来所持の者へ「最前相達候規則に準じ」すべて地券を渡すようにせよとの各府県あてに通達( 前記注*2 壬申地券創成期の地券「その3」参照 )されたことから、東名東村としては、山林、原野等であったとしても租税課へ差し出し、地券の証の発行を求めるべきものであろう。 ところが、壬申地券創成期のものである9点の「地券の證」に限っては、そうではなく、雛形様式の方式によらずに「最前相達候規則に準じ 」て「地券の證」を墨筆書きにより調製し、しかも、県庁租税課が関与した痕跡のないままで、それらを土地の従来所持の者へ、いずれも直接に「相渡」すという手法を執っているのである。 県(権)令、大少属等の氏名、署名そして押印はないものの、私文書であるとはとても思えないのである。この地域に独自の様式が認められていたとすれば、その根拠は何であったのか、について今後調査・確認する必要がある。 なお、上勝町誌198p上段には、「明治6年10月付け地券之證」、佐那河内村史(昭和42年1月3日発行)246pには「明治6年10月23日付け地券之證」、美郷村史(昭和44年3月31日発行)189pには「明治不詳年月日付け地券之證」が掲載されており、ここでは、共に同時期、かつ、地券渡方規則雛形様式どおりの交付となっている。このほか、酒井家文書総合調査報告書(編集発行徳島県立文書館)208P表(3)「『地券の証』からみた酒井弥蔵の所有地」によれば、地目「林」、面積「3畝6歩」との表記の後に「険阻、立木これあり」とあり、地券発行年月日欄に「明治9年11月19日」と表示されていると記されているものの現品そのものを確認することが叶わないため、これ以上の詳細情報を入手することはできていない。なお、表記方法は、下山家「地券の證」との類似性が見られる。 ⑥ 「名東御取立」の官(職)印が朱印されている。また、押切割印(官印、印影に「秋」、「庸」の文字の一部が判読される、上納(秋斂)の意味であろうか。)により割付印の措置が施されており、戸長、副戸長、用掛の決済・確認が戸長役場における地券発行事務の一環として行われていたことの証となっている。また、本件証書(正本)のほか本割付印の片方である「地券大帳」の存在を明確に示している。なお、氏名の後の押印は、朱印墨印であることはともかくも、それぞれ個人印が押捺されている。 ⑦ 前記⑥の官印及び割付印の存在から、本「地券の證」は、明治5年7月4日大蔵省達第83号により、「売買譲渡以外の土地の従来所持の者へ最前相達候規則に準じすべて地券を渡すようにせよ」との各府県に通達されたものを受けて、「東名東村」の名において渡されたものであるとの一応の推定が働く。 署名・押印者が戸長、副戸長、用掛かどうかは本「地券の證」では明白になっていないのであるが、徳島市史の記録(同史101P)によれば、署名・押印者は戸長でも、副戸長でもなく、また、用掛にも該当者の掲載がないことは確認済である。 このことから、実地適宜の者として地元の名望家(例えば、伍長等)が本件小区の地券取調掛に任命され、実施機関からその権限(実地下調べを含む。)を付与され、名東県庁から派遣された地券掛官の指導、監督及び検査手続きを経て、地券発行の任にあたったものと考えられるがどうであろうか。大蔵省から短期間における緊急の民有土地全部の調査とその地券発行を命令されていること、田畑調査に劣後する山林調査であることの要請を受け、戸長、副戸長が地元の名望家を動員し、戸長、副戸長、用掛が主体となって、山林について所持の事実を確認認定する証として本「地券の證」の発行措置が図られたのではないだろうか。 土地の把握と所持者の確認という事柄の重要性を認識するならば、官が主導しない限り、私的に単独では実施できない大事業であるからである。 ⑧ 加えて、本「地券の證」証明書き本文記載の文言から、 a.本地券発行検査が行われた、 b.当該山林は従来所持者のものと確認(認定)された、 c.(このことは)従前割賦のとおりである、 d.(そこで)この證書を渡し置く、 と判読できるがどうであろうか。 本「地券の證」の証明書き本文の内容は、土地売買譲渡の場合には、地券の文言を「授与」と直接規定されているものの、売買譲渡以外の土地の従来からの所持者である場合には、「最前相達候規則に準じ」と命じられているのみで、具体的な文言とか雛形までは指示されていない。 このことから、最前相達候規則に準じて、本税(=御運上金)を取り立てている「東名東村(戸長)」としての前記a.ないしc.の確認認定事実を具体的に列記記述する方法によったことから、「授与」ではなく「相渡置」との文言になっているものと推察されるのである。 ⑨ 今日時点における一応の結論 以上①から⑧までの事実から、本件「地券の證」は私文書ではなく、「名東御取立」と押印された官印の印影から、ⓐ所持事実の確認・認定事務を行い、ⓑ賦課ないし證印税の取立権限を持つ「機関」である東名東村が、ⓒ公文書として発行したものであることは明白である。売買に伴うところの地券発行ではなく、明治政府(官)による所持事実の現認・認定による地券発行であることから、この行為は、所有権保存登記に比定することができよう。 なお、地券渡方に関する大蔵省達が下記のとおり発出されていることからは、證印税として徴収したとするのが妥当性が高いもののように思われる

明治5年7月20日大蔵省達第88号 「今般地券渡方の儀相達候付ては右諸入費は證印税規則之通取立右を以支拂置」 (近代デジタルライブラリー「法令全書」・明治5年648p内閣官報局)

4 「証文・契約書類」及び「一村全図と各字図」ほか 紙面の都合で、帳箱の中身のほんの一部しか言及できていない。地券以外にも、「証文・契約書類」「一村全図と各字図」ほか未分類のものが多く収納されている。 地券以外の「証文・契約書類」は、150本以上(現時点において未整理分を除く。)あり、一応の分類として次のように整理している。 (1) 私人間における契約書類(私文書関係) ○売渡證文、地所売渡約定証、売買契約書・・・・・・・・・・・37本 (地所、地所建物、山林の文言を冠したものを含む。) ○地券預り之証  ・・・・・・・・・・・・・3本 ○金子借用之証、金員借用之証、金銭消費貸借、金子願証、費用金借用証、金円借用証、借用金支払期日契約書、副書・・・・・・・・・・・56本 (地券書入、地所書入、山林書入、土地1番抵当権設定、質付の文言を冠したものを含む。)などと区分けできる。 この中には、明治確定日付が付与されたものも数点存在する。 「質付金銭貸借契約」に「明治43年12月14日、公証人鈴木利行役場」の確定日付印が押印され、今1点は、「動産物売渡證」に「明治44年6月15日、前記公証人役場」となっており、かの時の、かの場所での先人の公証仕事の一つを垣間見て、書証とその証拠が確かに存在することの重さに、ただただ頭が下がる思いがする。 (2) 判決書、公正証書ほか(公文書関係) ○判決言い渡し(明治11年12月4日判決) ○判決言い渡し(明治25年 5月11日判決) ○貸金請求支払命令申請書 ○仮住所届 ○地所貸借契約書(徳島県知事土居直次昭和6年3月31日) ○動産物賃貸借契約証書謄本 ○動産物売買公正証書正本 ○地租計集廿口会報 ○証(落札) ○地所公募落札同所登記願 ○地所売渡付地券御確認願 ○租税代納済證明書 ○地券証印紙税領収 ○東名東村堤防費の納入の証 ○庄外三村継続土木費追徴地方税の納入の証 ○庄外三村明治20度上半期分村費の納入の証 ○租税代納受払帳 (3) 用水開削図((4)以外の図面関係) ○阿波国第八小区相合井掛用水埋樋居込絵図 ○村役場保管の図面写し (4) 一村全図と各字図 また、「一村全図と各字図」(素図)は、東名東村全図一葉、東名東村字図三十七葉(うち字図四葉のみ欠落)、由緒書記載帯封の3セットで構成されている。 この一村全図の特徴は、トラバース測量を実施した上で全図作成がなされていることである。字図には1号から41号までの番号が付され、小字単位で字図が調製されていることから、東名東村は、41の小字を持った村であることが判明する。東名東村全図によって小字の位置及び形状が容易に見分けることができ、字図により明治期の原始筆界(区割り)や道路水路の詳細が一目瞭然となるように記されている。 下山家の「全図、字図」(素図)は、基本的には、地図の作図方法が「地籍編製心得書及び雛形(明治15・8・3徳島県達乙第119号別冊地籍編製心得書)」を踏まえてのものであることから、「地籍地図」に分類することができる。 本地図上で、①山林等で高低差のあるものにはすべからく筆界に「度数及斜面ノ距離」が記入されていること(「筆界度数斜面距離記入達(明治18・5・13徳島県乙第69号達)」)、②「川、旧二等路とか旧二等路の道敷、用水路敷、悪水路敷」つまりは、「道路、水路の敷地」に新に番号を設け、其地順に従い「一ノ二、二ノ二」と枝番(作成当時は「糸番」と呼称している模様)を付し、その番号を朱書しており、改租の際に付した地番と明確に区別し表示されていること、③ 全図は一厘を一間とし、字図は一歩を一間の縮尺としている、いわゆる一歩一間図である。これらの地図調製技法から上記の地図であることが判明するのである。 下山家の地図が上記徳島県達乙第119号の雛形と異なる特徴的な部分を列挙する。 大部分の耕地の筆界線付近(一定箇所)には、細字で「二」の表示が見られる。この表示は、耕地(ほとんどは「田」)を有するいずれの字図にも、等しく付されている。現地の地物を斟酌するならば、「二」の表示は、畦畔の存在を示しているものと考えられる。 現地における用水路(水流)を斟酌するならば、黒細線(実線)の位置により筆界を明示した上で、「二」の表示は内畦畔(長狭物)を指すものとして地図作成者が略記したものと容易に読み解けるのである。その認識をもって耕地を再見すると、「上田」と「下田」の内、「上田」と認識できる側に「二」が表示されているのである。つまり、畦畔は、「二」の表示がされている側の土地の畦畔であること、換言すると、畦畔は、「二」の表示がされている側の土地に属するものであること、がその略号によって図上略記されていることになる。「地図ながめ 二の字、二の字の下駄の跡」との軽口が口ずさみたくなるほど、浮き浮きしてくる。 ① 上田・下田の区別のために必要な措置として「二」の表示による畦畔の存在(この略記表示の段階では、未だ雛形凡例で示された色分け表記にまでは至っていない。)、 なお、色分け表記は、「地籍編製心得書及びその雛形(上記徳島県達乙第119号)」により筆界の内側に着色する方法によることが雛形凡例により示されていることに留意されたい。 ② 実線引きの後に、実線引き自体を削り取ったり、和紙小片を貼付し再度位置を変えての実線引き箇所の存在(修正のための措置が施されている箇所)、 ③ 筆界位置を正確に特定できる工夫として、2.35㎝間隔で罫線が印刷されている和紙を用いていること、 ④ 地図帯封記載由緒書に「地籍下調檢査済ニ付檢本」(検査用地図)との位置付けがなされていること、 以上のことが記録、観察できることから、最終的な製図(清書)を行うための極めて完成度の高い原図(ないし元図)と把握し得るのである。  このことから、下調べを終え、地図業者として納品するための製図(清書)を行うための事前検査を受けた上で、修正を施した検査完了の素図と推察されるのである。①筆界位置修正(第弐号字図、第五号字図、第七号字図、第28号字図)、②字界位置修正(第六号字図)、③字番号自体修正(第30号字図、第39号字図)等の手入れを実行していることの痕跡が存置されている。 5 「時の入り船」での私の旅 このように、地方で住まう者には、息づいている明治に出会える機会がまだ残されており、殊に、この地方で保存されている明治期の絵図や古文書類と比較考量しながら調査でき、アマチュアでも十分楽しむことができる法歴史学的注*4参照に価値がある史料がまだまだ埋もれている。 古文書・古地図類(明治期の史料)と出会う楽しみの本質は、何であろうか。 調べ尽くされ過去の出版物に登載され縮小化されたものとか、さらにそれをコピーしたものとか、または、レプリカ(複製物)であるとか、手あかのついたものではなく、眠っていた存在そのものに直接出会いたいとの思いである。そのものが唯一絶対のものとして対峙できること、そのものを直に手に触れて存分に浸り切ることができ、探求心が刺激されて喜びの時を手に入れることができるところにあるのだと思う。つまりは、古文書・古地図類の原本性に魅せられ惹かれているということになろうか。 公証制度も原本を創り出すことにその本質的な意味を見出すことができる。嘱託を受け、唯一無二の原本を作出するところにその苦しみも、また楽しみも併存しているのだということに気付く。 この意味において、 「時の入り船」での私の探求の旅は、これからもまだまだ続いていくのである。 それにしても、肉体的にも精神的にも老いが忍び寄ってきている証左であろうか、時折、ギックリ腰になったり及び腰になりながらも、なお、日々是好日が続いている。

  注*4 法歴史学 老後の楽しみに、昨日私が考案した学域であり、領域として、地券、古文書、古地図の3分野からなる。少数無力学派の一つ。3分野の好きな者、この指止まれ。
鉛筆素描15年  

実 務 の 広 場

このページは、公証人等に参考になると思われる事例を紹介するものであり、意見にわたる個所は筆者の個人的見解です。
 

No.24 法改正に伴う社会保険労務士法人の定款記載例について

社会保険労務士法人(以下「社労士法人」という。)については、社会保険労務士法(昭和43年法律第89号、以下「社労士法」または「法」という。)の一部を改正する法律(平成26年法律第116号)が、平成26年11月21日に公布され、また、同法の施行期日を定める政令(平成27年政令第69号)が、平成27年3月6日に公布され、社員が一人の社労士法人の設立等を可能とする規定を除いて、平成27年4月1日に施行されたことから、定款認証実務もそのように運用されてきたところ(「社労士法人を設立するには、その社員となろうとする社労士が2人以上必要であることは明らか」、日公連「各種法人定款認証実務Q&A」113頁参照)ですが、今般、社員が1人の社労士法人の設立を可能とする政令の施行期日が平成28年1月1日とされたことから、同日以降に成立を予定する社労士法人については、社員となろうとする社労士が1名であっても設立可能となりました。 ところで、社労士法の改正は、特定商取引に関する法律の改正に伴い、社会保険労務士の業務範囲が拡大することとなったことによるものですが、具体的には、 ① 紛争目的価額の引上げ(個別労働関係紛争に関する民間紛争解決手続における紛争目的価額の上限が、民事訴訟法第368条第1項に定める額(60万円)から120万円に引き上げられたこと) ② 補佐人制度の創設(事業における労務管理その他の労働に関する事項及び労働社会保険諸法令に基づく社会保険に関する事項について、社労士法人が当該事務の委託を受け、弁護士である訴訟代理人とともに社労士法人の社員等を裁判所に出頭させ、補佐人として陳述することができるようにしたこと) ③ 社員一人の社労士法人(社員が一人でも同法人の設立等が可能となったこと) であり、この改正に伴い、定款の目的及び社員に関する規定等について、若干の変更が生じることとなったものです。 そこで、本稿では、この改正に伴い、変更となる社会保険労務士法人定款記載の一例(さいたま地方法務局と協議済み)を、次に記しておきます。日公連「各種法人定款認証実務Q&A」109頁以下に示された定款記載例と異なる部分に下線を付してあります。 なお、本改正に伴い、全国社会保険労務士会連合会及び各都道府県社会保険労務士会の社会保険労務士法人の規定に係る会則等は既に変更されているとのことですが、社労士法人の定款認証実務における法人社員となり得る資格を有することの資格証明書(特定社員資格証明書等;別添資料)の確認が必要である点は従前と同様であり、また、定款の絶対的記載事項及び相対的記載事項並びに任意的記載事項等については、日公連「各種法人定款認証実務Q&A」109頁以下に詳しく解説されていますので、これを参照願います。 【社会保険労務士法人定款記載例】 社会保険労務士法人○○○○ 定款 第1章 総 則 (法人の名称) 第1条 当法人は、社会保険労務士法人○○○○と称する。 (目的) 第2条 当法人は、次に掲げる業務を営むことを目的とする。 (1) 社会保険労務士法(以下「法」ともいう。)別表第一に掲げる労働及び社会保険に関する法令(以下「労働社会保険諸法令」という。)に基づいて行政機関等に提出する申請書、届出書、報告書、審査請求書、異議申立書、再審査請求書その他の書類(電磁的記録を含む。以下「申請書等」という。)を作成すること (2) 申請書等について、その提出に関する手続を代わってすること (3) 労働社会保険諸法令に基づく申請、届出、報告、審査請求、異議申立て、再審査請求その他の事項(厚生労働省令で定めるものに限る。以下「申請等」という。)について、又は当該申請等に係る行政機関等の調査若しくは処分に関し当該行政機関等に対してする主張若しくは陳述(厚生労働省令で定めるものを除く。)について、代理すること (4) 個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律第6条第1項の紛争調整委員会における同法第5条第1項のあっせんの手続並びに雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律第18条第1項、育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律第52条の5第1項及び短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律第25条第1項の調停の手続について、紛争の当事者を代理すること (5) 地方自治法第180条の2の規定に基づく都道府県知事の委任を受けて都道府県労働委員会が行う個別労働関係紛争(個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律第1条に規定する個別労働関係紛争(労働関係調整法第6条に規定する労働争議にあたる紛争及び行政執行法人の労働関係に関する法律第26条第1項に規定する紛争並びに労働者の募集及び採用に関する事項についての紛争を除く。以下単に「個別労働関係紛争」という。)に関するあっせんの手続について、紛争の当事者を代理すること (6) 個別労働関係紛争(紛争の目的の価額が120万円を超える場合には、弁護士が同一の依頼者から受任しているものに限る。)に関する民間紛争解決手続(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律第2条第1号に規定する民間紛争解決手続をいう。)であって、個別労働関係紛争の民間紛争解決手続の業務を公正かつ適確に行うことができると認められる団体として厚生労働大臣が指定するものが行うものについて、紛争の当事者を代理すること (7) 労働社会保険諸法令に基づく帳簿書類(その作成に代えて電磁的記録を作成する場合における当該電磁的記録を含み、申請書等を除く。)を作成すること (8) 事業における労務管理その他労働に関する事項及び労働社会保険諸法令に基づく社会保険に関する事項について相談に応じ、又は指導すること及び裁判所において、補佐人として、弁護士である訴訟代理人とともに出頭し、陳述をすること  (9) 社会保険労務士法施行規則第17条の3第1号に定める事業所の労働者に係る賃金の計算を行うこと (10) 社会保険労務士法施行規則第17条の3第2号に定める労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律第2条第3号に規定する労働者派遣事業を行うこと 2 前項第4号から第6号までに掲げる業務(以下「紛争解決手続代理業務」という。)には、次に掲げる事務が含まれる。 (1) 前項第4号のあっせんの手続及び調停の手続、同項第5号のあっせんの手続並びに同項第6号の厚生労働大臣が指定する団体が行う民間紛争解決手続(以下「紛争解決手続」という。)について相談に応ずること (2) 紛争解決手続の開始から終了に至るまでの間に和解の交渉を行うこと (3) 紛争解決手続により成立した和解における合意を内容とする契約を締結すること (事務所の所在地) 第3条 当法人は、主たる事務所を埼玉県○○市に置く。 第2章 社員及び出資 (社員の氏名、住所及び出資) 第4条 当法人の社員の氏名及び住所並びに出資の目的及びその価格は、次のとおりである。 埼玉県○○市○○番地○        ○○○○ 金銭出資                 ○○○○○○ 円 現物出資 ○○○○  この価格      ○○○○○○ 円 総出資額                  ○○○○○○ 円 (持分譲渡の制限) 第5条 当法人の社員は、社員が1名のときを除き、その持分の全部又は一部を他人に譲渡するには、他の総社員の承諾を得なければならない。 (競業禁止) 第6条 当法人の社員は、自己若しくは第三者のために当法人の業務の範囲に属する取引をなし、又は他の社会保険労務士法人の社員となってはならない。 (社員法人間の取引) 第7条 当法人の社員は、社員が1名のときを除き、他の社員の過半数の承認があったときに限り、自己又は第三者のために当法人と取引をすることができる。 (新加入社員の責任) 第8条 当法人の設立の後に加入した社員は、その加入前に生じた当法人の債務についても、これを弁済する責任を負う。 第3章 法人の代表及び業務執行 (代表社員) 第9条 当法人を代表すべき社員は1名とし、社員が1名のときはその者を代表社員とする。 但し、社員が複数のときは、業務を執行する社員の中から社員の互選をもってこれを定める。 2 前項の規定にかかわらず、紛争解決手続代理業務については、法第2条第2項に規定する特定社会保険労務士である社員(以下「特定社員」という。)のみが当法人を代表する。 (業務の執行) 第10条 当法人の社員は、業務を執行する権利を有し、義務を負う。 2 前項の規定にかかわらず、紛争解決手続代理業務については、当該業務にかかる特定社員のみが業務を執行する権利を有し、義務を負う。 (業務及び財産の状況の報告義務) 第11条 代表社員は、社員が1名のときを除き、他の社員の請求があるときは、いつでも、当法人の業務及び財産の状況を報告しなければならない。 第4章 社員の加入及び脱退 (加入) 第12条 新たに社員を加入させるには、社員全員の同意を得なければならない。 (止むを得ない事由がある場合の脱退) 第13条 止むを得ない事由があるときは、社員は、いつでも、脱退することができる。 (脱退事由) 第14条 社員は、前条及び持分を差し押さえられた場合のほか、次の事由によって脱退する。 (1) 社会保険労務士の登録が抹消されたとき (2) 死亡し、若しくは失踪宣告を受けたとき (3) 破産手続開始の決定を受けたとき (4) 社員が1名のときを除き、総社員の同意があったとき (5) 成年被後見人又は被保佐人になったとき (6) 除名されたとき (除名並びに業務執行権又は代表権の消滅) 第15条 社員又は業務を執行する社員について、次の事由があるときは、当法人は、訴えをもってその社員の除名若しくは業務執行権又は代表権の消滅を裁判所に請求することができる。 但し、社員が複数のときは、対象社員以外の他の社員の過半数の決議に基づき、訴えをもってその社員の除名若しくは業務執行権又は代表権の消滅を裁判所に請求することができる。 (1) 出資の義務を履行しないとき (2) 第6条の規定に違反したとき (3) 業務を執行するに当たり不正の行為をし、又は権利なくして業務の執行に関与したとき (4) 当法人を代表するに当たって不正の行為をし、又は代表権がないのに当法人を代表して行為をしたとき (5) その他重要な義務を尽くさなかったとき (6) 当法人の業務を執行し、若しくは当法人を代表することに著しく不適任であるとき (除名社員と法人間の計算) 第16条 除名により脱退した社員と当法人との間の計算は、除名の訴えを提起した時における当法人の財産の状況に従ってこれをなし、かつ、その時から法定利息を付するものとする。 (除名以外の事由による脱退社員に対する持分の払戻) 第17条 除名以外の事由により脱退した社員に対しては、脱退の時における当法人の財産の状況によってその持分を払い戻すものとする。 (金銭による払戻) 第18条 脱退した社員の持分払戻しは、その出資の目的のいかんにかかわらず金銭をもってするものとする。 第5章 計 算 (事業年度) 第19条 当法人の事業年度は、毎年○月1日から翌年○月31日までとし、その末日をもって決算期とする。 (計算書類の承認) 第20条 社員が1名のときの代表社員は、毎決算期において、次の書類を作成し、主たる事務所に保管しなければならない。   但し、社員が複数のときの代表社員は、毎決算期に次に掲げる書類を各社員に提出して、その承認を求めなければならない。 (1) 財産目録 (2) 貸借対照表 (3) 損益計算書 (4) 事業報告書 (5) 社員資本等変動計算書 (6) 利益の処分又は損失の処理に関する議案 (積立金) 第21条 当法人は、その出資額の4分の1に達するまで、毎決算期に利益の処分として支出する金額の10分の1以上を積み立てるものとする。 (利益の配当) 第22条 当法人は、損失を補填した後でなければ利益の配当をすることができない。 (損益分配の割合) 第23条 社員が1名のときを除き、各社員の損益分配の割合は、その出資額による。 第6章 解散及び合併 (解散の事由) 第24条 当法人は、次に掲げる事由により解散する。 (1) 総社員の同意 (2) 他の社会保険労務士法人との合併 (3) 破産手続開始の決定 (4) 解散を命じる裁判 (5) 法第25条の22第2項の規定に該当することとなったこと (6) 法第25条の24第1項の規定に基づく厚生労働大臣による解散の命令 (合併) 第25条 当法人は、他の社会保険労務士法人と合併する場合には、総社員の同意を得なければならない。 第7章 清 算 (清算人の選任及び解任) 第26条 清算人の選任及び解任は、社員の過半数をもってこれを決する。 (残余財産の分配の割合) 第27条 残余財産は、社員が1名のときを除き、各社員の出資額に応じて分配する。 (任意清算) 第28条 前2条の規定にかかわらず、総社員の同意によって当法人が解散した場合における法人の財産の処分方法は、総社員の同意をもってこれを定めることができる。 第8章 定款の変更 (定款の変更) 第29条 定款の変更をするためには、総社員の同意を得なければならない。 第9章 附 則 (最初の事業年度) 第30条 当法人の最初の事業年度は、当法人成立の日から平成○年3月31日までとする。 (法令の遵守) 第31条 本定款に定めのない事項は、すべて社会保険労務士法その他の法令の規定による。 上記のとおり社会保険労務士法人○○○○設立のため、この定款を作成し、設立時社員が記名押印する。 平成   年   月   日 ○○○○      ㊞

平成  年  月  日 社会保険労務士法人の特定社員資格証明書 住  所  〒 埼玉県○○市○○○○ 番地 氏  名  ○ ○ ○ ○ 社会保険労務士登録番号  第○○○○○号   全国社会保険労務士会連合会 会 長  ○ ○ ○ ○ 貴殿について、下記の事項を証明します。 記 1. 全国全国社会保険労務士会連合会の社会保険労務士名簿に登録された社会 保険労務士であること。 2. 社会保険労務士法第25条の8第2項各号に該当しないこと。 3. 社会保険労務士法第14条の11の2の規定による付記を受けた社会保険労務 士であること。   (注.特定社員でない場合は記載がありません。)

 (松田謙太郎)

No.25 遺言公正証書の作成に際して、その過程をビデオ撮影したいとの要請があるが、これに応じて差し支えないか。(質問箱より)                      

【質 問】 当職が以前作成した遺言公正証書の全部を撤回する遺言書を、遺言者が高齢(99歳)のため遺言者の自宅で作成してほしいとの嘱託があり、あわせて依頼人で証人となる司法書士から作成当日はビデオによる撮影を行いたいとの要請がありましたが、作成手続のビデオ撮影に応じることについてはいささか疑義がありお伺いします。 なお、本件については次のとおりの経緯があることを申し添えます。 記 ・ 当初、関係者から相談があったときに、正本、謄本を回収したい旨伝えたところ、正 本、謄本については手元になく所持者から返してもらえない。また、正本、謄本がなければ作成依頼に応じないのかとの問いには、必要書類ではないが提出をお願いしていると伝えたところ、後日、法務局から電話で遺言撤回の依頼に正本、謄本の提出がなければ作成できないと言われたとの通報があったと連絡があり、その経緯を説明したところ法務局は了承した。 ・ その後、他の司法書士からも同事件の遺言撤回の相談があったが、その際にも経緯を説明したところ、その司法書士も了承し、その後連絡はなく、今回の司法書士からの依頼となった。 ・ また、本件では、別件で訴訟が提起されており、前記当職作成の遺言公正証書が乙号証として提出されている。 ・ 前記当職作成の遺言公正証書は、弁護士を通じて依頼があり、当該弁護士が証人及び遺言執行者となっている。 このような経緯もあることから、本件については、担当の司法書士に対して遺言者の法律的判断能力の有無を確認したところ問題はないとの回答を得ましたが、当日、判断能力に疑問を抱いた場合には執務を中止することや、医師の診断書の提出も促すなど、慎重に進めているところでしたが、ビデオ撮影については、今後の公証事務遂行全体に支障を及ぼすと考えられることから消極と考えておりますが、御教示願います。 【質問箱委員会回答】 1 問題点  本件は、前に作成した遺言公正証書を、撤回する遺言を作成するに際して、その模様をビデオ撮影したいが、差し支えないかというものです。ビデオ撮影を要望している者は、撤回遺言の証人・遺言執行者となる司法書士であり、その者が何故、ビデオ撮影したいのかについては、定かではありませんが、遺言公正証書作成に当たって、ビデオ撮影することには、消極的であるというのがこれまでの一般的な考えで、その理由とするところは、概ね次のようなものと思われます。 2 ビデオ撮影には消極的であるとの考え  遺言書は、死後において効力を生じるものであり、作成のやり直しができないものであるところから、その作成に当たっては、厳格な方式が採られており(民法969以下)、そして、遺言者に安心して遺言書を作成してもらえるよう作成後の遺言公正証書については、遺言の効力発生の前後を問わず、公証人に厳しい守秘義務が課せられています(公証人法4)。このような性質をもつ遺言公正証書について、その作成の過程をビデオ撮影することは、次の理由により問題点があるものと思われます。 ⑴第1に、公証人に守秘義務が課せられていることからの問題点です。当該ビデオは、撮影した司法書士が管理することになるでしょうか。そうなると、当該ビデオが利害関係者の間に流出しないとも限らず、結局のところ、公証人に課せられている守秘義務が守られない恐れが生じます。このような事態を招きかねないビデオ撮影は、許されるべきではないということになります。 ⑵第2に、遺言公正証書は、厳格な方式を踏んで作成されるものである点からも問題と思われます。遺言の方式として、代理に親しまない行為であり、証人2人の面前で遺言者自身が公証人に対して口授する等してすることとされていますが、これは、遺言公正証書の作成に当たって、遺言者の自由な意思が保障されなければならないという意味をも含んでいるものと理解されています。 ところが、通常の方式によらず、遺言者の自由な意思を妨げる状況が発生した場合は、どうでしょうか。そのような例を取り上げた裁判例があります。それによると、「公証人としては、遺言者が自己の真意に基づいて遺言をすることが妨げられるような疑義が生じる事態が生じないよう配慮すべき一般的な注意義務を負う。」ということを前提として、公証人が利害関係者の退去を要請したにもかかわらず、それが聞き入れられなかったことから遺言公正証書の作成を中止した場合に、公証人の判断は違法でないと判示しています(東京高裁平成21年4月8日判決。東京公証人会会報平成22年9月号13ページ)。 このことを踏まえてビデオ撮影について考えてみますと、真に遺言者の意思に基づくもの(自ら記念として撮って自分だけで管理するという場合)であれば特に差し支えはないものとも考えられますが、ビデオ撮影されているということは、遺言公正証書がその効力を発生する前に当該ビデオが流出し、遺言者の意に反して利害関係者に遺言の内容を知られるおそれがあることは当然予測されるところであり、そのことから遺言者にとっては、真意に基づいて遺言をすることが妨げられるおそれがあるものと考えられます。 したがって、公証人としてはまずビデオ撮影をすることについての遺言者の真意を確認する必要がありますが、上記裁判例でいうような疑義が生じるときは、ビデオ撮影をしようとしている者にこれをしないよう要請し、それが聞き入れられず、これが強行されるような場合には、その場での遺言公正証書の作成を中止しても違法とはならないものと考えます。 ⑶第3に、ビデオ撮影が、遺言公正証書の作成の有効性を証明するために、何故必要なのか不明であり、必要性について十分な理解のないまま、司法書士から要望があるからというだけで、ビデオ撮影を認めることは、厳格な方式を採用している遺言公正証書にとっては、むしろ邪魔であり、相当でないと考えます。 遺言公正証書作成に当り、最も重要なことは、遺言者の遺言能力と遺言者の意思の確認です。特に、本件のように、高齢であり、撤回の場合は、遺言者に対し、遺言能力の有無と従前の遺言の内容を確認するとともに、撤回の動機等の意思確認を特に念を入れて行う必要があります。遺言者の遺言能力を証明したいのであれば、医師の診断書を提出させ証明させるほうが効果的であり、ビデオ撮影ではあまり意味がないと思われます。また、従前の遺言の内容の確認と撤回の動機確認は、公証人が証人立会いの下に、口授させその内容を確認して行う必要があり、問題になる恐れがある場合は、日本公証人連合会からやり取りについて記録を残すこととされており、この方法が実務の取扱いとして確立された方法と言えます。ビデオ撮影が効果的とも思われるのですが、そのような扱いにはなっていないのです。このような意味から、遺言公正証書作成の要件でないビデオ撮影は、意味がなく、これに応ずべきではないものと考えます。なお、公証人が確認すべき事項の確認ができず、証書作成が不可となり、これ証明するためのビデオ撮影であったとしても、これに応ずべきではなく、証書作成ができなかった理由を書面で求められた場合は、公証人法施行規則第12条で対応すべきと考えます。 3 例外的にビデオ撮影を認められるとの考えと実例 ⑴例外的扱いの可否 それでは、ビデオ撮影は例外なく許されないかというと、①録画したビデオが流出するおそれがなく、利害関係者がみることができるような状況になることがないということであれば、公証人の守秘義務に反する恐れはなく、②遺言者自身も希望しており、あるいは了解しているような場合は、遺言者の自由な意思を阻害することにはならず、ビデオ撮影も差し支えないとも考えられます。 しかし、ビデオ撮影という民法、公証人法には定められていない方法を取り入れるわけですから、正面からこの問題を議論するとなると、①、②のような問題がないという理由だけでは不十分で、ビデオ撮影する必要があるという積極的な理由の存することが必要と思われます。 つまり、ビデオ撮影が認められるためには、①、②の要件を具備していることは当然のこととして、③例えば、訴訟対応上、ビデオ撮影をしておくことが有益な手段となり得る等、ビデオ撮影の必要性につき納得のいく説明がされるのであれば、認めても差し支えない場合もあるのではないかと思われます。 但し、この③については、様々な事由が考えられ、個別に判断せざるを得ないケースも出てくるので、①、②の要件の外に③の要件が満たされなければ、全くビデオ撮影を認めないとまで言い切るのは、いささか厳しいのではという考えもあり得るとも考えられます。③の要件まで必要と考えるかどうかについては、今後の実例の積み重ねに委ねることとせざるを得ないものと思われます。 ⑵ビデオ撮影をした例(公証法学第35号34頁参照) 目の動き以外に意思伝達方法がない者による公正証書遺言を作成した際、遺言者本人了解の下にその作成状況をビデオ撮影し、公証人の記録として遺した例がある。ビデオは、公証役場において保管されているとのことである。 4 本件についての対応 本件の対応を考えるに当たって、留意しなければならないのは、前の遺言公正証書は、弁護士が証人・遺言執行者となって作成したものであり、その遺言公正証書を巡って現在訴訟が提起されていること、その遺言公正証書を撤回しようとする遺言者の年齢は99歳と高齢であること、今回の撤回の遺言公正証書の証人・遺言執行者は司法書士であり、その司法書士が遺言公正証書作成の状況をビデオ撮影したいとの意向を示していることです。 このことを前提にすると、先に作成した遺言公正証書について不満を持つ者がおり、その者が年齢99歳の遺言者に対して前に作成した遺言公正証書を撤回するよう働きかけ、それで、今回、先の遺言公正証書を撤回しようということになったのではないかという疑問が生じます。もっとも、このような事情がなくても、本件は、年齢99歳の遺言者が本当に遺言公正証書を撤回したいと考え、そのことを公証人の面前で口授できるかどうかというが一番の問題点です。 司法書士としては、遺言公正証書の作成状況をビデオ撮影しておけば、裁判で公正証書の作成が問題になったときに、最も重要な証拠として採用されると考えているのかもしれませんが、訴訟対応としては不十分であり、むしろ、年齢99歳の遺言者の判断能力、撤回の意思確認こそが今回の撤回遺言公正証書の有効性を立証するポイントであることを考えると、司法書士に対して、ビデオ撮影だけでは有効な方策ではないこと、及びむしろ精神科専門の医師による「訴訟に耐えられる遺言者の診断書」を用意することが優先すべき問題であることを説明して、ビデオ撮影しなければならない理由が説明されない以上、認めないとする扱いが相当と思われます。 ただ、遺言者本人が了解し、録画ビデオを公証役場において保管し、診断書も準備でき、その上で、口授の状況だけでも録音を兼ねてビデオ撮影(弁護士と相談させ、訴訟上で有用であるとの確認をさせた上で)しておきたいということであれば、場合によっては、認めても差し支えないとも思われます。

No.26 共有地について事業用定期借地権設定契約をする場合に、共有者ごとに公正証書を作成することは可能か。(質問箱より)                      

【質 問】 事案の概要 所有者が、甲会社と乙ほか複数の個人との共有のA土地に事業用定期借地権を設定する場合に、共有者全員が設定には合意しているのだけれども、公正証書作成の日程調整が困難なため、各別に公正証書の作成ができないかとの照会があったもので、個人乙ほかの複数の個人と甲会社とは無関係な間柄にあります。 登記をする場合には、設定日が必要になりますので、公正証書に設定日を明記するなり、契約当事者外の共有者と共にA土地に事業用定期借地権を設定するのだという趣旨を記載すれば、共有者ごとに公正証書を作成することも可能かと考えているのですが、否定的な見解(理由は不明)を聞いたりすると自信がありません。よろしくご指導をお願いします。 【質問箱委員会回答】 1 共有地の賃貸借の法的性質 共有地について借地権を設定するということは、民法第252条にいう「管理」ではなく、同第251条の「変更」(即ち処分)と考えられますので、共有持分の価格の過半数で行えることではなく、共有者全員で行うか、少なくとも他の共有者の同意が必要となります。本件の場合、契約の当事者である共有者が公証役場に出向き、契約を締結するとのことなので、同意の問題は生じることなく、共有者各々が土地賃貸借契約の当事者となります。 ところで、共有地の賃貸借契約というは、「共有者の持分」について各共有者が貸主との間で契約を結ぶということではなく、「ある物を使用する」ところに契約締結の目的があるわけですから、「共有土地について一つの賃貸借契約が成立」し、その契約当事者は、本件でいえば、借主甲会社と貸主乙ら共有者であるということになります。もっとも、本件は、事業用定期借地権設定契約ですから、公正証書を作成する必要があります。 そこで、貸主乙ら共有者と借主甲会社は、契約当事者として、公証役場に出向き公正証書を作成することになるのですが、両者が同時に出席できないので、別々に公証役場に出向いて、各別に公正証書を作成することができるかということが問題となっています。もちろん、代理制度があることは了解しているのですが、それにはよりたくないとのことです。 2 次の事例をもとに、当事者が同時に公証役場に出向かないでも、公正証書の作成ができるかについて、検討してみましょう。 事例 ⅰ A土地(1筆)の所有者は乙1と乙2(共有者)で貸主 注 共有者が多いときは、乙2以外の者について、乙2と同様の扱い。 ⅱ 借主は甲会社 ⅲ 賃貸借期間 11月1日から20年間 ⅳ 賃料月額金10万円 ⅴ 公証役場に出頭できる日 乙1は10月7日のみ可能、乙2は10月14日のみ可能 甲会社は10月7日、10月14日のいずれの日も可能 ⅵ 乙1、乙2、甲会社、公証人は、共に10月14日契約成立で支障なし 3 共有者ごとに公正証書を作成 ⑴方法 ①公証人は、A土地に関する事業用的借地権設定契約公正証書(貸主乙1 借主甲会社)(X公正証書という。)とA土地に関する事業用的借地権設定契約公正証書(貸主乙2 借主甲会社)(Y公正証書という。)を作成し、準備 ②10月7日に、出頭した乙1と甲会社がX公正証書に署名・押印し、公証人が署名・押印してX公正証書が完成(効力は、同じ内容のY公正証書が作成されることを条件とする旨及びY公正証書作成日を設定とする旨を記載) ③10月14日に、出頭した乙2と甲会社がY公正証書に署名・押印し、公証人が署名・押印してY公正証書が完成(効力は、同じ内容のX公正証書が作成されていることを条件とする旨及び本日をもってX公正証書と同時に設定日とする旨を記載) ⑵説明 ①共有者全員の署名・押印が終わらないと公正証書としての効力が生じないので、他の共有者全員と同じ内容の契約がされることを停止条件とすることを公正証書にも明記しておき、かつ、最終の公正証書締結の日(停止条件が成就する日)が設定の日とします。相互の契約の関係を明記して停止条件付契約とするなどの工夫をしておけば、1筆の土地の共有者全員が同時に公証役場に出頭できず、各別に日時を異にして公正証書を作成することも、特にこれを禁ずる規定等はなく、このこと自体に問題はないものと考えます。 ②借主、貸主の要望ある場合は別として、貸主の手数料につき考えると、複数の公正証書とする場合の手数料の算定は、ⅰそれぞれ不可分債務である賃料額全体を基礎として算定する方法、ⅱ各契約の実質的利益に着目して、各共有者の持分割合に相当する賃料額を基礎としてそれぞれ算定する方法、ⅲ賃料額全体を基礎として算定した手数料を、共有持分割合に応じて複数の公正証書に振り分ける方法が考えられますが、この方法による場合は、作成される公正証書による実質的利益に着目して手数料を算定する手数料令の原則的考え方から、ⅱが相当と考えます。 ⑶問題点 この方法に対しては、本件賃貸借契約は、一つの契約であり、この賃貸借契約の債権である賃料は、不可分債権として理解されているので、公正証書は1通作成することが相当であり、契約当事者乙1と乙2のために公正証書2通を作成することは、対外的に混乱を招くので好ましくなく、作成すべきでないとの意見があります。 4 公正証書1通を作成 ⑴3の方法についての問題点を解消する方法として、次の方法はどうかという意見があります。 ①公証人は、事業用的借地権設定契約公正証書(貸主乙1・乙2 借主甲会社)を作成し、準備 ②10月7日に、出頭した乙1と甲会社が公正証書に署名・押印 (乙1と甲会社の署名・押印は、10月7日であるが、乙2が署名・押印し、公正証書が作成された日に効力が生じる旨付記) ③公証役場で、②をそのまま保管 ④10月14日に、出頭した乙2が公正証書に署名・押印、甲会社は確認 ⑤10月14日に、④に公証人が署名・押印して公正証書が完成 ⑵ 説明 ①共有地の賃貸借契約は、当事者が複数いたとしても、賃料請求権は分割債権ではなく不可分債権であり(乙1及び乙2の賃料請求権は内部関係に過ぎない。)、債務も共同で履行する義務があり、目的物は一つなので、一つの賃貸借契約が成立しており、公正証書も一つにすべきで、実情をそのまま表した公正証書といえます。そして、契約書の効力発生に停止条件が付けられるなら、署名について同様な考えをとっても差し支えないのではと考えます。 ②借主、貸主の要望ある場合は別として、貸主の手数料につき考えると、賃料月額をもとに手数料額全体を算定し、各共有者の持分割合、あるいは賃料債権の内部割合に応じて相当する手数料を算出することとなります。 ⑶問題点 この方法は、乙1の署名が公証人の署名が終了するまで中途な状態となり、そのような状態になること自体公証人法が想定しておらず認められないのではとの疑問が生じます。 5 上記3、4の方法に関連する先例 ⑴「事業用定期借地権設定契約の手数料について、共有土地を賃貸する場合、一行為とみるか数行為とみるかについて、賃貸借契約は一つであるから、一行為として算定する。」との先例(公証141号253p)があります。 この先例は、手数料に関するものですが、共有地の賃貸借契約では当事者が複数であっても、賃貸借契約は一行為として考えるべきであるとの考えを示したものであり、そうであるならば、契約書も一つで作成すべきで、当然のことながら、手数料も一行為として計算すべきことになります。 これに関しては、この先例は、全共有者が一緒に一つの公正証書で作成する場合が前提になっているものと思われ、共有者ごとに別々の公正証書を作成することも、債権契約としては可能と考えられるところ、当該協議結果は、その場合までを想定したものとは思われないので、共有地に関し共有者ごとに別々の公正証書を作成することを否定したものではないとの反論があります。 ⑵「嘱託人が多数いる事件については、役場が狭隘でやむを得ない場合に限り、数回に分けて公証人法第39条の手続をしても差し支えない。」との先例(明治42年8月30日民刑958号民刑局長回答(公証事務先例集191頁))があります。 この先例は、一度の署名・押印できない場合は、数回に分けて公正証書の作成を認めているものであり、理論的には、前記4の方法を肯定するものと思われます。 しかし、この先例を逆に読むと、共有者の数が特別多い場合は、数回に分けて行うこともやむを得ないが、それ以外のとき、つまり共有者が少ない場合は、一つの公正証書について法第39条の手続を分けて行うことはできないということになります。 6 結論 ⑴これまで述べたところから、同時に出頭できない当事者のために、「3共有者ごとに公正証書を作成する方法」は、理論的にも、先例からも、これを無効とする理由はなく、二つの公正証書に相互の関係が分かるように記載されていれば差し支えなく、また、「4公正証書1通を作成」も、これを無効とするとまでは、言えないと思われます。 しかしながら、前述したように、理論的には可能であるものの、通常の作成方法でなく、無理をして作成した公正証書との印象は否定できず、この方法が望ましい方法かというと決してそうではないと思われます。 ⑵以上のことから、本件に関しては、次のように考えます。 お尋ねの件に関しては、前記「3共有者ごとに公正証書を作成する方法」、あるいは「4公正証書1通を作成」に依らざるを得ない特段の事情がある場合は、それによることを否定するものではありませんが、次のような対応をされることが望まれます。 公証人は、執務時間外であっても執務することは禁止されておらず(公証人法施行規則9参照)、作成日を工夫する等により、公証役場に出頭したいとする嘱託人の意向が叶うよう努力すべきですが、その努力をもってしても、嘱託人が同時に公証役場に出頭できないときは、嘱託人に代理制度の趣旨を納得のいくよう説明し、代理制度を利用させるよう仕向ける必要があります。 それでも嘱託人において、代理人により作成することを拒否する場合は、その理由について納得のいく説明を求め、それができればともかく、おそらくそのような説明はできないと思われますが、そうだからといって、公証人の責任において、代理制度によらず、別の方法を探ることは、いわば嘱託人のわがままのために、公正制度本来の仕組み(嘱託人が出頭できないときは代理人による嘱託)を変えてまで対応することとなり、公証人として、そのような対応は許されないと考えます。 以上述べたとおりであり、公証役場に出頭できない者については、代理制度があるのでそれによるべきであり、代理人による方法を安易に避け、特段の事情がないにも関わらず、通常の作成方法を無視してまで、公正証書を作成することは、公証人自ら代理制度の存在意義を否定するものであり許されず、従わない嘱託人の申請は拒否せざるを得ないと考えます。

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